夜明けの向こう側へ

 
「風見さん」

 目を開くと、そこには懐かしい姿が立っていた。
 人懐っこい笑みを浮かべ、彼は俺に手を差し伸べる。
「お前がここにいると言う事は、俺は最後の最後でしくじってしまったみたいだな」
 差し出された手を握り、立ち上がる。
 最悪のケースは阻止できたと思うが、自分はその限りではなかったらしい。

 しかし、目の前にいる男は何故か豪快に笑い飛ばした。

「お、おい諸伏?」
「なァーに眠たい事言ってるんですか風見さん。
 貴方は何もしくじってなんかいない。それに、終わるどころかまだ始まってもいませんよ」
 な、何だって? 
 じゃあ目の前にいるお前は一体何なんだ。仮に死んでいないのであれはこれは夢なのか?
「風見さん。貴方がここに来るのは流石にまだ早すぎる」
「しかし……」
「“全部背負って生きていく”――貴方がそう言ってくれたじゃないですか」
「……!」
 確かに、言った。
 この戦いに赴く前、死んでいった仲間の墓前で。
 それが、お前達の生きた証になるならと。その証と共に戦い抜くと。
 護るべきものを護る為に。その力となる為に。

"――風見”

「……?」
 誰かに名前を呼ばれた気がして、それとなく背後を振り返る。そこには何も無いハズなのに何故か目が離せなかった。
「風見さん」
 もう一度、目の前の男と向き合う。
 彼は笑っていた。とても朗らかに、綺麗な目をしながら。
「……ッ」
 彼の背後から徐々に溢れ出たのは――眩い程の“光”だった。
 俺は堪らず目を細める。

 この光、この感じは……

「少なくとも“俺達”にとって貴方は“光”だった」
「諸伏……!」
「誰が何と言おうと、その光に救われた人間が確かにいた事を……どうか忘れないで下さい」

 救った? 俺が、お前を? いや――“俺達”と、言ったのか?

  今こそ語るべき物語がある
  遙か彼方の歌 煌く夢を

「さぁ、風見さん」
 膨れ上がった光は、諸伏が両手を広げた瞬間に拡散する。

「新しい未来の夜明けです」


 * * * *


 ……少しずつ、意識がハッキリしてくる。
 身体が重い。と言うか痛い。どうやら仰向けになっている様だ。
 それにしては、腹の辺りに何かが圧しかかっている……いや、突っ伏している?
 とにかく自分は生きている。それだけは確からしい。
「……」
 うっすらと目を開く。視界いっぱいに広がったのは、どこまでも雄大な青空だった。
 僅かに流れる風が心地よい。あのノートパソコンに表示されていたスクリーンセーバーの様な、そんな穏やかな空気だった。

 ……って、青空だって!?

 俺は慌てて起き上がる。途端に全身を激痛が駆け抜けた。その痛みに悶絶し、声を殺しながら余韻が過ぎるのをグッと耐えた。
 痛みがあるって事は生きてる証拠でもある。しかし、どうやって地上に戻って来たのか――

「風見……?」

 自分を呼ぶ声がした。おそらく、俺の傍らにいたであろう人物。
 自然な流れで目を向けると、そこにいたのは未だ満身創痍の降谷さんだった。ただ、救急隊の処置を受けたのか、俺の施した応急処置よりも大分良い手当てがされている。
「ふ、降谷さん! 駄目じゃないですか、ちゃんと安静にしていないとっ」
 完全に自分の事は棚に上げて目の前の上司をたしなめる。
 すると、降谷さんは何かを言い返すワケでもなく俯いてしまう。よく見ると、身体がワナワナと震えていた。
「え、えぇっと……」
 初めて見る上司の異変を間に当たりにし、途端に血の気が引いてきた。
 一体、俺はどんな状況で発見されたのだろうか。もしかしなくても、火に油を注いだかもしれない。
「……風見」
「は、はいっ!」
 降谷さんは垂れていた顔を上げる。
 その碧眼にうっすらと涙が浮かんでいる――ところまでは確認出来た。
「ッ!?」
 彼は、まるで失くしていた物を見つけ、自分の方に引き寄せる様に俺の身体を抱き締めた。
 力加減はお世辞にも出来ているとは言えず、身体中の痛みで変な声が出そうになるのをグッと堪えた。
 俺の顔は降谷さんの胸板に押し付けられ、降谷さんは俺の肩に顔を埋める。
 俺も俺で彼の背に腕を回してあげたかったが、いかんせん腕ごと抱き込まれている為それも出来ない。
「……意味が、ない」
「え?」
「君がいなければ意味が無い! 君がいない世界を、君は僕に生きろと言うのか!?」
 俺を抱く腕が震えている。力加減は寧ろ強くなる一方だ。
「降谷さん、貴方は」
「……」
「そんな風に思ってくれていたんですね」
 心臓の鼓動が聞こえる。生きている証、人の温もり。
 俺はそれをありのまま享受しながら、そっと目を閉じた。
 全ては終わった。目標は達成された。悲願は遂に叶った。

 俺の最後の戦いは、決して無駄にはならなかった。
 否、無駄なものなど何一つありはしなかった。思い残す事は、きっともう。

「黒の組織が壊滅した事により、俺の“右腕”としての役目は果たされました」
 降谷さんは小さく首を横に振る。癇癪かんしゃくにも似たそれが何だか妙に微笑ましい。
 全く、子供じゃあるまいし……いや、この人は存外子供っぽい一面もあったかな。
「……」
 あぁ、心臓の鼓動が心地良い。
 この人の懐は、こんなにも離れ難いものであったのか。
「俺が護りたかったのは、貴方が在るべき日常です。
 当たり前の様に繰り返される日常、それこそが――俺が戦ってきた理由です。
 国の為、正義の為と言いながら、根底に根差していたモノは至極個人的な感情だったんです」
「日常……」
「そうです。貴方が“降谷零”として生きられる日常を俺は護りたかったんです」

 それは、上司と部下の枠組みで計れるモノではないかもしれない。
 それ以上の何かが俺の――いや、互いの心に根差していたのかもしれない。

  命溢れる涙 真実の愛を叫べ

「俺の務めは果たされました。でも、それでも……貴方がそれを望んでくれるなら」
 俺との別れを、ほんの少しでも惜しんでくれると言うのなら。
「貴方が俺を“光”と言ってくれるなら、俺は何度だって貴方を照らしてみせますよ」

  君と共に歩んでいく
  君と共に刻んでいく
  過去も現在(いま)も未来も
  そう、君が在るべき場所と成りて

「貴方が、俺を照らし続けてくれた様に――」
 いつの間にか自分も泣いていた。
 降谷さんの手が優しく俺の背を撫でる。
「降谷さん」
「風見」

 捨てる覚悟の命だった。貴方を護る為の命だった。
 だけど、これからは。許されるのであれば。

 貴方と共に生きる命で在りたい。

「もう放さない。もう離れない。君が護ってくれた“降谷零の日常”を僕と共に生きてくれ」
「はい……はい、降谷さん」

  今こそ語るべき物語がある
  遙か彼方の歌 煌く夢を

 遠くから俺達を呼ぶ声がした。
 東から昇る太陽と共に見知った顔ぶれが此方に駆け寄って来る。

 ――さぁ、風見さん。

 あぁ、わかっているさ。俺は当分、そちらに行くつもりはない。
 どうか、見守ってやってくれ。降谷さんのこれからを、俺達の進む道筋を。
 いつの日か、然るべき場所で再会するその時まで。

 ――新しい未来の夜明けですよ。


 彼等の願いは、遂に果たされた。
 夜明けの向こう側に広がる未来を、これからは共に生きていこう。

 
 END
 
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