夜明けの向こう側へ

 
 現場は凄惨な有様であった。
 それはそうだろう。ここは組織側の主要メンバーが集結していた場所でもある。一番の激戦区だったに違いない。
 俺は別エリアの陣頭指揮を担当していた為、ここで行われていた戦いについては何も知らされていない。ただ、想像を絶するものであった事は、あの三人の負傷具合から容易に想像がついた。
「……」
 彼等は気づいていただろうか、地中深く眠るウロボロスの存在を。
 ……いや、知っていたところでそれを聞く時間も猶予もありはしなかったのだが。
 部下に指示を出して一時間は経過しただろうか。首尾よく事が運んでいれば、彼等は既に救助されているハズ。
「行くか」
 銃を手に持ち、崩壊寸前の建物の中に足を踏み入れた。
 半壊したエントランスの床には、自らの尾を喰らう巨大な蛇の絵が描かれている。

「ウロボロス……」

 この場所で間違いない。まずは地下へ続く階段を探そう。
 すぐ近くにエレベーターがあったが、この有様ではまともに機能しているとは考えにくい。
「……?」
 その時だった。カラカラ、とコンクリートの欠片が頭上に降ってくる。
「何!?」
 その後は本当に一瞬であった。倒壊した壁の一部が無遠慮に落下してきた。
 俺は咄嗟にその場から離れる様に跳び退け、何とか落下の直撃を避ける。激しい轟音と共に落下したそれは、唯一無二であった進入路であり退路であった道を容赦なく塞いでくれた。
「やれやれ、まったく」
 堪らず苦笑いが漏れた。そんな事をしなくとも俺は役目を終えるまで引き返すつもりは無いと言うのに。
 穴の空いた天井を見上げると、満点の星空が目に入る。
 夜明けまでまだ時間がある。俺は、明日の太陽を果たして拝めるだろうか。
「……」
 繰り返される、ありふれた日常。
 それこそが、俺達が本当に護るべきものであった。
 国の為に殉ずると歌っておきながら俺が本当に護りたかったのは、そんなありふれたモノに溢れた世界だった。
 いつか貴方が、当たり前の日常を享受できるその時を。いつの間にか己の行動理念すらも大きく脱線していた事に気づいたのは果たしていつだったか。

 ――風見さん――

 ふと脳裏をよぎるのは、今はもうどこにもいない“かつての後輩”
 あぁ、そうか。きっかけは多分、お前だったな。
 命を捨てる覚悟でここまで来た。本当に捨てるつもりはないが、もし俺がそっちに行く事があれば……

「その時は、大きな声で笑ってやってくれ」


 * * * *


 意外とあっけなく見つかった地下へ続く階段を静かに下りる。
 姿すらわからない男の言葉通り、辺りに人の気配は無い。その代わり、階段を下りる度に伝わるのは振動だ。
「……」
 結局、あの男は何者だったのだろうか。組織の一員と言っていたが……
 いや、今は何も考えない方がいいか。自分がすべき事を全うしなければならないのだから。
「この扉か?」
 階段を下り、少し進んだ先に無機質な扉が俺の前に立ち塞がる。
 セキュリティロックがかかっている為、当然ながら開かない。扉の横にあるモニター付きの仕掛けを見るに、網膜または声紋照合の類か。
 さて、どうするべきか。悠長に考える時間は無い。そう言ったタイプのロックであるならば、解除できる人間はごく一部に限られているだろうし、今ここには俺しかいない。
 となれば、力で訴えるより他ないだろう。
「後二発――」
 俺は銃を構え、照準をモニターに向ける。
 トリガーを引くと、銃口を火を吹き、放たれた弾丸はモニターの奥深くに抉り込んだ。

 ピー……ガシャンッ。

 赤く点滅していたライトが緑に代わり、扉の解除音が響き渡る。
 俺は両手で目の前の扉を押し開けようとしたが、自動扉だったらしく、それはあっさりと真横に開いた。

"破滅の胎動は輪の中心に座して時を待つ”

 言葉の通りだった。扉の先にある部屋は驚く程に殺風景で――故に中心部にあるモノがいかに異質極まりないかよくわかる。
 床には巨大なウロボロスの絵。その中心に設置されている黒い柱の様な物。
 柱に繋がっている無数のコードは蛇のそれを思わせる。それらは法則性も無く床を、壁を這っている様に見えた。
 そして、最後に。
 まるで自分と向かい合う様に置かれているノートパソコン。
 小さなデスクの上にあるパソコンは起動したままだ。何かが表示されている。
「まさか、これで?」
 パスコード入力式の時限爆弾なのか? とにかく操作できるか確かめなくては。
 導かれるまま前進し、デスクと共にある椅子に腰を下ろす。
 喰い入る様にパソコンの液晶画面を睨み付けるが、表示されているのはスクリーンセーバーと思われる風景画像だけだった。
 蒼い空、白い雲、どこまでも続く草原。ただ、それだけが映っているのみだった。
「……ん?」
 そんな中、画面の端に表示されているアイコンが一つ。
 手がかりが他にない以上、やる事は一つだ。傍に添えられていたワイヤレス式のマウスを掴み、操作する。
 たった一つのアイコンをダブルクリックすると……
「これは……」
 突然、室内に流れ始めたのは“音楽”であった。
 アイコンだけでは特定出来なかったが、音楽を再生するアプリか何かだったのか。
「こんな時に何を――」

  今こそ語るべき物語がある
  遙か彼方の歌 煌く夢を

 静かな旋律と共に“歌声”が唱和する。
 これは歌だったのか。でも、何だってこんな物だけが残されているんだ?
「何か……」
 何か意味があるのだろうか。

  今こそ選ぶべき道がある事を
  僕等は指し示す 未来へ続く道を

「……!?
 突然、プラウザが一つ追加される。俺が操作したものではない。
 まるで、この歌がキーになっていたかの様にそれは俺の目の前に表示された。

【ウロボロスを止めに来た者よ。君がもしこの場に立ち、この歌を再生させていると言う事は、それは正しい判断と言えるだろう。
 全てを失い、全てに絶望し、請われるまま組織に与し、永劫と言う理念に取り憑かれた哀れで愚かしい男は、しかし心のどこかでそれを拒んでいたのかもしれない】

  生きていく為に(心を投げ捨てた)
  唯一つの願いを信じ続けてきたなら

【贖罪、と言えば聞こえは良いだろうか。全ては生き続ける為でもあった。
 己の中にある“たった一つの願い”を叶える為に、俺は幾人もの命を奪う道を選んだ】

 これは、もしかして……
 俺の考えている通りなら、今ここにある全ての物は他ならぬ“あの男”が生み出したモノなのか?

【誰かに止めてもらいたかった、などと弱い台詞を吐くつもりは無いが、俺も長く組織の人間であった。
 ならば、せめて最後まで彼等の為に在り続けようと思う。結局のところ、俺は肝心なものが見えていなかったのだろう】

  光を欺いて(本当は求めていた)

【今この時この瞬間、ウロボロスの前に立つ者よ。君はどうか間違えないでほしい。
 永遠などありはしない。人間は所詮小さく、弱い生物だ。だからこそ、見誤ってはならない】

「……」

【失う事を恐れ、永遠と言う名の毒に惹かれ、闇の中に在る者こそが。
 俺達の様な人間こそが、誰よりも光を求めているのだと言う事を】

  命溢れる涙 真実の愛を叫べ

 ドンッ!

 一際強い地響きが中にある全てのものを大きく揺さぶる。
 その衝撃で左右の壁に大きな亀裂が走った。
「後、もう少し……もう少しなんだ!」
 この歌が。この歌こそが、破滅の胎動を止める唯一の方法なんだ。
 まだ歌は終わっていない。俺も、このままでは終われない、終われないんだ!

  時の歯車は狂い始めてた
  それでも君は生き続けている
  出会いと別れを繰り返してもなお
  確かに残された“絆”を信じて

 生きるとも死ぬともわからない状況の最中、またしても走馬灯の様に駆け巡ったのは降谷さんの後ろ姿だった。
「……!」
 そうだ、彼もまたそうだった。
 彼はあまりにも多くのものを失ってきた。己の使命を果たす為に、自分自身すらも失って。
 そうやって、彼は生きてきた――生きていかなければならなかったんだ!
「俺はっ!」
 ならば、どうして俺はここにいる? 今一度、自分の心に問いかける。

  君と共に歩んでいく
  君と共に刻んでいく
  過去も現在(いま)も未来も
  そう、君が在るべき場所と成りて

「――!?」
 再び、大きな振動。天井の一部にも亀裂が走り、その一部が落下してくる。
(まだだ! まだ終わらせるワケにはいかない!)
 ノートパソコンを庇う様に身を乗り出し、落下してきたモノを身体全体で受け止めた。激しい衝撃と激痛で意識が飛びそうになる。今ここで意識を失うワケには……! 

 彼等に託した未来を、失うワケにはいかないっ!!

  今こそ語るべき物語がある
  遙か彼方の歌 煌く夢と愛を

【だからどうかその時は。
 その時は、君が支えになってやってくれ】

 
 
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