夜明けの向こう側へ
言うなれば、これは“自爆装置”に近い。
万が一に備え、製造されていたのだろう。組織は自分達の敗北を認めたその瞬間、停止していた心臓に火を点けた。
それは、地中深くに存在する。
地中と言っても、実際は地下室なのだが……問題はその破壊力だ。
何せ、この辺一帯をもろとも吹き飛ばす程の火力だ。起爆すればまず助からない。
敵も味方も、その全てが灰塵に帰すだろう。文字通りの自爆である。
「……」
俺がこの情報を掴めたのは、本当に奇跡に近い。
あるいは、良心の呵責であったのか。
身柄を確保され、連行されていく時――確かに“俺達”は交差した。
長く美しい金髪を揺らしながら、彼女は確かにこう言った。
――破滅の胎動は、ウロボロスの導く先に――
「ウロボロス……」
おそらくは比喩であろうが、実体は時限爆弾のそれだ。
ウロボロスとは己の尾を喰らい、一つの輪となった竜または蛇であったと記憶している。
となれば、ウロボロスは一種の目印と考えて良いだろう。爆弾の設置場所は……この辺りをまとめて吹き飛ばすとなれば……
「中央エリアか」
制圧そのものはほぼ完了しているが、それでも油断は出来ない。それでなくても、組織側にとっては俺達を一網打尽にする唯一の切り札だ。妨害の可能性も十分にあり得る。
装着しているガンベルトから手入れの行き届いた己の拳銃を手に取る。
「残弾は四発……予備は無い。一発も無駄に出来ないな」
不意に、降谷さんと共に射撃訓練をしていた時の事を思い出す。あの時のアドバイスのおかげで射撃の腕もそれなりに上がっている。
この極限状態でそれが役に立つと思うと、本当に地道に努力してきてよかったと思う。否、自分は努力をする事しか出来なかったのだが。
「……」
……彼等は無事に救出されただろうか。
本当は皆が戦線を離脱するまでの時間稼ぎでもよかったのだが、掴んだ情報と共に聞かされた起爆までの残り時間を考えると、どうあっても爆弾そのものを止めなくて全員が助かる道はない。
当然、自分に爆発物処理の経験も無ければ技術もない。
しかし、事ここまできてしまったからには“出来る出来ない”の問題じゃない。
(やるしかないんだ、自分の手で)
バァ、ンッ!
「っ!?」
耳を
ツゥ、と流れる血を乱暴に手の甲で拭いながら近場にある
ざっと見た限りでは、敵の数は二人。相手も銃を所持している。長期戦は言わずもなが此方が圧倒的に不利だ。
狙うは一点突破。自分とて、伊達にあの人の右腕を長く務めていない。
(利き腕が3、もう片方を7の割合)
かつて降谷さんに教授してもらった内容を脳内で反復する。
(姿勢はボクサーをイメージし、腰を落とし……やや前傾)
張り詰めた空気の中、銃を構えて機会をうかがう。
夜明けまではまだ遠い。人工的な明かりなど無く、頼れるのは夜目に慣れた己の眼だけ。
一瞬も気を許すな。相手に隙を見せてはならない。
「……」
それはほんの数分か、それとも何時間と経過した後か。
そんな錯覚を覚えそうな緊張が辺りを支配する中、アサルトライフルを構えていた敵が僅かに身体を動かした。
(今――!)
すかさず遮蔽物から身を乗り出し、トリガーを引いた。
ギィ、ンッ!
放たれた弾丸は一部のズレも無く敵が持っているライフルに命中する。弾丸が当たった衝撃で銃は持ち主の手から離れ、宙を舞う。
その隙を見逃さず、その場から躍り出て一気に間合いを詰めた。
「――ッ!?」
声を上げる暇も与えず、振りかぶった右の拳で思いっ切り顔面を殴り飛ばす。
「貴様!」
近くにいたもう一人が短銃を構える。
俺は吹き飛ばした奴には目もくれずに身体の向きを強引に変えた。
「接近戦なら
相手がトリガーを引くよりも早くその胸倉を無造作に掴んだ。
「邪魔をしないでくれ!」
手に持っていた銃を一時手放し、銃は地面に落下する。
手放すと同時に拳を作り、相手が怯んでいる一瞬を付いて鳩尾にそれを叩きつけた。
「ぐ、がっ……」
呻き声を漏らし、二人目も地面に伏す。それを
どうやら、方向は間違ってなさそうだな。
「残り三発、か」
とにかく急がなくては。俺が歩みを止めるワケにはいかない。
方向が間違っていないのであれば、まずはこの奥にある建物を目指すとしよう。
* * * *
思えば、こんな思い切った独断専行は初めてだ。
まるで降谷さんの真似をしているようで何だか不思議な気分になる。
俺も、知らない間に降谷さんに感化されていたんだな。多分、真似をしてはいけない部類なのかもしれないが。
「……」
隣に立つ――などと大それた事は考えず、ただひたすら自分が出来る事をしてきた。
力が及ばず、とてつもない無力感にかられる日もあった。それも全ては“ゼロの右腕”で在り続けたいが為。
賞賛も叱責も。嫉妬も挫折も。全てを受け入れ、己の糧とした。
(俺は)
自分は彼等の様な人間にはなれない。だから、己の力量に見合うだけの努力を続けてきた。
その結果が今の自分なら、帰結した未来がそうであるならば。
それが、この国の命運を託されるまでに至ったのであれば、これほど誇らしい事は無い。
「……」
誰に言われるでもなく、静かに目を閉じる。
走馬灯の様に駆け巡る光景には、尊敬して止まない上司がいる。
あぁ、自分はこんなにもあの人を慕っていたのかと、自然と零れたのは笑みだった。
ならば、自分は右腕として“最後の務め”を全うしよう。
元より捨てる覚悟の命だが、だからと言って本当に捨てるつもりも無い。
だが、どちらに転ぼうともこれが俺にとって最後の戦いである事に変わらない。
「――ウロボロスを止めに来た者か」
咄嗟に動きを止め、銃を構える。
確かに声がした。一体どこから……
「ウロボロスは遙か昔から存在する象徴であり、その意味も実に様々だ。
組織がウロボロスに見出した象徴は“永劫”」
「……」
「そう、彼等は永遠であろうとしていた。その真意を知る者は、今はもうどこにもいないのだがね」
何かを覚り、達観したかの様な静かな口調。
比較的若い男の声は、しかし俺に対する敵意や殺意は微塵も感じられなかった。
「お前は組織のメンバーか?」
「そうだな。君達の認識で考えればそうなる。
だが誤解しないでくれ。今更組織の為にどうこうするつもりは無い」
「……」
「我々は既に頭を欠いている。その時点で敗北は決まった様なものだ。
ウロボロスの心臓に火を点けたのは最後の悪あがきに過ぎない」
その言葉に嘘は感じられない。決して油断はならないが敵意は無い……それは信じてもいいだろう。
改めて辺りを見回してみるも声の主らしき姿は見えない。一体どこから話しかけているのだろうか。
「……君は、どこまで掴んでいる?」
「何?」
「ウロボロスの子細を知る者は組織内でも限定されている。
であれば、君はその耳で聞いたのだろう? この大地に根付く破滅の胎動を」
確かに、敵も味方も区別なく吹き飛ばすモノであれば簡単にその存在を明かすワケにはいかない。
あの女性は、それほどまでの情報を共有する立場にあったのか。今更それを問い質す術は無いが、おそらくは。
「破滅の胎動は、ウロボロスの導きの先に――俺が聞いたのはこれだけだ」
これが時限式の爆弾と知った時、自分は驚く程冷静だったのを覚えている。
あるいは、心のどこかで最悪の事態を想定していたのかもしれない。だからこそ、一切の迷い無く行動に移せたのだろう。
「そうか……ならば、これは俺からの手向けだ。心して聞くといい」
一瞬だけ、ユラリと気配が動く。相変わらず姿は捉えられないが。
「このエリア全体が、ウロボロスの輪の内側であると考えればいい。
破滅の胎動は輪の中心に座して時を待つ……安心したまえ、何人たりとも君の歩みを止める者はおるまいよ。君が倒したその二人で最後だったのだからな」
「……お前は」
「俺は何もせんよ。ただ時の流れに身を委ねるだけだ。
ウロボロスがもたらす永遠を享受するも拒絶するも君の自由だ。己の思うがままに動くがいいさ。
爆発までまだいくばくかの猶予はある。ウロボロスと対峙する時間は残されているだろう」
目印ではなく、俺達は既にウロボロスの領域内で戦っていた事になる。
「……破滅」
“破滅の胎動は輪の中心に座して時を待つ”か……
「曰く、ウロボロスは“全知全能の神”としての側面を持つ。
であれば――君は神の意思に背く異端者と言うべきなのかな?」
「……」
異端者、か。それもいいだろう。
最早、この道は敷かれたレールから大きく脱線している。で、あれば。
「そこに神の意思など必要ない」
それは、歩みを止める理由にはならない。
俺は振り返る事はせず、止めていた足を再び動かす。
耳に装着していたインカムを取り外し、地面に放り投げた。
運命は俺に託した、この国の命運を。
俺は彼等に託した、この国の未来を。
さぁ、始めよう。
風見裕也の、最後の物語を――!