夜明けの向こう側へ
崩壊著しい雑居ビルの片隅に、今は負傷して気を失っている二人の男と一人の少年を安全な場所まで運び込む。
死んではいない。呼吸は整っている。ただ、いくらか血を流しすぎて貧血を起こしたのだろう。
「……よし」
まずはスーツの上着を脱ぎ、力任せにワイシャツの袖を引き裂く。
それを更に細分化させ、出血が酷い個所に巻き付けた。今の状況で出来得る、拙いにも程がある応急処置。しかし、何もしないよりはマシだ。
組織壊滅まで後一歩。我々は確実に奴等を追い詰め、幹部クラスと思しきメンバーのほとんどは確保または死亡が確認されている。
本当に、王手をかける手前だった。
運命とは、どこまでも残酷で。
現実とは、どこまでも無慈悲で。
後どれだけの血が流れれば。
後どれだけの涙が流れれば。
世界は彼等に救いの手を差し伸べてくれるのか。
「……」
目の前にいる三人は、言わば黒の組織に人生を狂わされたと言っても過言では無い。
長く彼等を縛りつけていた楔が、今も尚彼等を捕らえ続けて放さない。
「……」
本当に皮肉なものだ。
自分は彼等とは違う。常に彼等とは異なる立ち位置で己が信じる正義の為に戦ってきた。
それがどうだ? 今この場でまともに動けるのは自分だけ。
自分だけが、ただそこに立っている。
運命とは、どこまでも残酷で。
現実とは、どこまでも無慈悲で。
よりにもよって、己の様な凡人に“この国の命運”を託してしまうとは。
* * * *
『――風見さん、状況を!』
インカム越しに部下の声が聞こえる。更に耳を澄ましてみると、混迷を極めた戦場は徐々に沈静化しているのがわかった。痕の事は彼等に任せても問題無いだろう。
(であれば、己も覚悟を決める時だ)
この国の命運が俺に託されたのであれば、俺もまた彼等に託さなければならない。
「こちら風見。全ポイントの制圧を確認した。
負傷者が三人。命に別状はないが重傷だ。すぐに応援をよこしてくれ」
『了解です! 負傷者のいる位置を教えていただければすぐにでも救急隊を手配します!』
「場所はFポイント内にある雑居ビルの一階だ。ただ、ビルの崩壊がひどくて長くは保てない。出来るだけ急いでくれ。それから……」
ゆっくりと深呼吸を一つ。
大丈夫、彼等なら。俺が多くの信頼を寄せている部下達なら。
「後の事は、任せてもいいな?」
『……』
即答はされなかった。小さく息を飲む音が聞こえる。
俺は何も言わず、ただ静かに返事を待つ。
『風見さんは、どちらへ?』
「そんな声を出すな。何、そう時間はかからない。ちょっとした尻拭いをするだけさ」
そうだ、彼等はもう十分に戦った。十分に苦しんだ。十分に傷ついた。
もういいじゃないか。運命は、これ以上彼等に何を望むと言うのか。
せめて今だけは、静かに眠らせてやってもいいじゃないか。
こんな俺に命運を託したからには、それ位の願いは叶えてくれてもいいじゃないか。
『止めても、無駄なんでしょうけど』
「……すまないな」
思えば、彼とも長い付き合いだった。今この場でこの瞬間、同じ戦場を共に駆け抜けられた事は実に感慨深いものがある。
出来る事なら、その喜びも分かち合いたかったが……いや最早何も言うまい。
『どうか、ご無事で』
「あぁ。お互いにな」
通信を切る。もう後戻りは出来ない。
俺は脱いだスーツの上着を小さな名探偵の身体にかける。
「……」
その様子をうかがいながら、俺は彼等の前に直立した。
まずは、左側にいるニット帽を被った男に目を向ける。
「赤井捜査官。どうかこれからも降谷さんの良きライバルでいて下さい。
貴方がいる限り、降谷さんはきっと歩みを止める事は無いでしょう。どうか、よろしくお願いします。
住む国は違えど、貴方達の絆が断たれない事を願っています」
目線を、次は小さな少年に向ける。
「江戸川コナン君。本当に君には驚かされてばかりだった。だが、これからは同年代の友人達との時間を大切にすると良い。君はまだ若い。これから先、もっと多くの事を学べるだろう。
大丈夫。君ならきっと、あの毛利小五郎に負けない位の立派な名探偵になれるさ」
最後に、中央にいる己の上司と向かい合う。
「降谷さん。今日まで貴方の部下として在り続けられた事は自分にとって最も充実した時間でした。
最後まで至らぬ右腕ではありましたが、俺にとっては最高の誇りです」
[[rb:形振 > なりふり]]り構わず走り続けて来た事もあった。
認められたい一心で周りが見えなくなる時もあった。
時に、己の正義を疑う時もあった。
沢山の希望が奪われ、踏みにじられる事もあった。
大切な仲間を、友を失う事さえあった。
それでも膝を折らずにここまで進んで来れたのは、全て貴方のおかげでもあります。
「……俺は」
俺は、多くの事を貴方から学びました。その全てを片時も忘れた事はありません。
だからこそ――俺は行きます。辿り着いてみせます。
彼等が信じた未来への扉を。
貴方が信じたこの国の未来を。
俺が信じた、己が正義の、その先を。
俺は無言のままその場で敬礼する。
返ってくるべき答えはなかった。だが、それでいい。
「行ってきます――降谷さん」
敬礼を解き、彼等に背を向ける。
誰も何も言わなかった。俺も振り向かない。
振り向かずに、大地を蹴った。
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