即興短編・SS
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「待ちなさい、ナックルヴァール様!」
昼間の城下街の通路を抜け、名前は走るナックルヴァールの背中を追いかけていた。人通りの多い道や入り組んだ建物の間のせこ道に入ったり、彼は名前の追跡から逃れようとしていた。
何故今の状況になったかと言うと、先程…銀架城内ですれ違った彼から「キルゲの部屋から大事な物を頂戴した」と告げられた。具体的に何を盗んだのかは分からなかったが、キルゲ様の貴重品であればみすみす見逃す訳にはいかない。賢い彼が何故そのような事をするのか…何故、わざわざそれを名前に告白してくるのか、理解出来なかった。
徐々に繁華街から離れ、雑木林の中に入った。人通りが無くなり、追いつかれそうになると彼はギフト・バルを放ち名前に向かって攻撃してきた。炸裂させ、噴出した毒に触れぬよう後ろに避ける。回り込んで視線を向けると彼の姿は見当たらなかった。
(霊圧を抑えているつもりだけど、分かるわよ…。)
姿は見えなくとも追跡は可能だった。完全に霊圧を消す事は出来ないからだ。
『名前…城外にいるようですが、何をしているのですか?』
名前はピアス式の無線機から聞こえてきた主の声に耳を傾けた。
「キルゲ様の部屋の物を盗んだ疑いで、ナックルヴァール様を追っています。」
『……。』
キルゲは暫く沈黙した。部屋の中を確認しているようだ。
(洞窟…。)
ナックルヴァールの霊圧を追うと彼は洞窟に入った。名前もその後を追う。
「キルゲ様…洞窟に入るので、暫く通信は出来ません。」
『待ちなさい!今すぐ戻りなさ…ザザザザ...』
「きゃあぁっ…!」
洞窟に入る直前、キルゲが命令した瞬間に通信は途絶えた。最後の言葉を聞く直前、名前は羽ばたいたコウモリに驚いてキルゲの声を聞き逃していた。
(私とした事が、ただのコウモリに驚くなんて恥ずかしい。)
真っ暗で足元がぬかるんだ洞窟内に逃げ込むとは、お洒落好きで衣装の汚れを気にする彼の事を考えると、些か疑問に思った。奥に進む程、雨水や湧水によって濡れて足場が悪くなってくる。彼の足跡もクッキリと残されていた。耳を澄ますと、前方からバシャバシャと彼の物と思しき音が聞こえてくる。
「奥へ逃げたって無駄です、逃さないわ!」
名前の声が洞窟内に響くが、返答は無かった。徐々に道が狭くなり、通り抜ける事すら難しくなってくる。白い装束が汚れる事も構わず、ナックルヴァールの霊圧を頼りに洞窟の奥へと進んだ。
(止まった。)
彼の霊圧が止まり、名前は警戒しながら慎重に進んだ。
「……っ!」
開けた空間に出た名前。目の前には真っ赤な池が広がっていた。その光景は今まで見た事がない程美しく、思わず息を飲んだ。追跡している最中だと言うのに、立ち止まって魅入ってしまう程に神秘的だった。
「毒でも湧いてるのかしら…。」
赤い池は禍々しく光っているように見え、触れてはいけないような気がした。
「違うぜ、赤い空に反射して池の水が赤く見えているだけだ。」
声のする方向に視線を向けると、ナックルヴァールが赤い池の中で仰向けになって水面に浮いていた。
「ナックルヴァール様!」
「名前ちゃん、来たか。」
ナックルヴァールは名前に視線を向ける事無く、洞窟の上に空いた穴から見える空を眺めていた。名前は意を決して赤い池に入水した。池は足が付かない程深かった。泳いで彼の元へと向かう。
「捕まえました。」
名前はナックルヴァールの腕を掴み、取り逃さないように力を込めて握った。
「名前ちゃんもこの景色、一緒に眺めようぜ。」
「キルゲ様の大事なものを盗んだのでしょう?白状しなさい。」
ナックルヴァールはチラリと名前の表情を見た。彼女の目は怒りに燃え、ナックルヴァールを見下ろしていた。
(おぉ、恐っ…。)
彼女は聖兵なので目上であるナックルヴァールに対して敬語を使わなければならなかったが、キルゲの事になると冷静ではいられなくなる。普段の優雅な彼女の表情は何処へ消え失せてしまったのだろうか?本気で怒っているその表情すら美しいとナックルヴァールは不敵に笑った。
「そんな怒らないで。絶景に似合わないぜ?」
「はぐらかさないで下さい。一体、何を盗んだのですか?」
するとナックルヴァールはニヤリと大きく口元を引き上げて嗤った。
「それはキミだよ、名前ちゃん。」
「……っ!!?」
危険を察知した名前はすぐさまナックルヴァールの腕を手放したが、彼の腕に引き寄せられた。それに抵抗するように名前は水中に逃れた。息を吸う事を忘れてしまい、体はどんどん沈んでしまう。赤く透き通った水中は恐ろしく綺麗で、このまま底へと吸い込まれてしまうのではないかと思った。浮き上がろうともがけばもがくほど、水面から離れて行ってしまう。
(息が続かない…もう、駄目っ!)
名前が覚悟を決めたその時、息が出来なくて苦しかった体の苦痛が消え去った。
「……っ!!?」
一体何が起きたのか分からず、目を開けて状況を確認する。水面の光が離れて行く事から、体は底の方へと沈んでいっているのは間違いない。名前が手足に意識を向けると、体は自由に動かす事が出来た。するとナックルヴァールが水中に顔を沈め、名前を確認した。ちょいちょいと指で上を指している事から上がって来いと指示している。
(これは、彼の能力…。)
ナックルヴァールの能力、致死量によって体内中の酸素量を操作されたのだと名前はすぐに理解した。名前は身体の力を抜いて、前屈みになりながら手足を脱力してゆっくり浮上した。水面から顔を出した名前は、恐る恐る鼻と口で息を吸った。すると普段と変わらず、呼吸する事が出来た。
「おかえり~。」
呑気な彼の声に思わず怒りたくなった名前だったが、一旦落ち着いて深呼吸をするとその気持ちは収まってきた。
「大丈夫かい?」
「…誰のせいだと思っているのですか?」
名前はジッとナックルヴァールを睨みつけた。ナックルヴァールは苦笑しながら「ごめんごめん」と謝罪した。
「キルゲから盗んだ大事な物はキミの事さ…キミと一緒にこの絶景を見たくて連れ出したんだ、ごめんな。」
両手で手を合わせながら笑うナックルヴァールに、名前は何とも言えない気持ちになった。キルゲ様になんて説明すれば良いのだろうか?
「誘い出すなら、もっと違う方法は幾らでもあったと思います。」
「それが思いつかなくってさ~。普通にキルゲに頼んだって、良いって言う訳ないだろう?危うく名前ちゃん死なせて、俺も殺される所だったぜ…うおっ!」
笑うナックルヴァールに名前は手で水面を弾き、水を掛けて仕返した。
「気を取り直して、水中散歩しないかい?もう気付いてると思うけど、凄く綺麗だからさ。」
ナックルヴァールは名前に向き直った。ここまでして名前を連れ出したのだから、彼が満足するまで解放してくれる事は無いだろう。素直に従った方が早いと思った名前は、ナックルヴァールの要望に応える事にした。
「お付き合いするのは、少しだけですよ。」
「あぁ、勿論!さっきと同じで、普通に息止めててね。」
満面の笑みを浮かべてナックルヴァールは水中に潜った。名前も大きく息を吸い込み、彼に続く。
先程は慌てていて良く見えなかったが、透明度の高い水中は対岸の岩肌までハッキリと見えていた。よく見ると小魚が泳いでおり、名前自身も魚になったような気分になった。
(凄い能力ね…。)
暫くしても息苦しくならない事から、彼に酸素量を操作されているのだと思った。彼の能力が無ければ、装具を付けずに水中を散策する事など出来る筈が無かった。非日常の体験に名前は胸が高鳴っていた。
(でも、彼はこの力を良くは思っていない…。)
ナックルヴァールは以前、強大故にこの能力を嫌っていると名前に打ち明けてきた。他の騎士達は自身の能力を誇示していたが、ナックルヴァールはそのような事はしなかった。
『使い方次第では、一度で大量の人達を殺める事が出来るんだ…恐ろしい能力だろ?』
もし、そんな力を手に入れたらどう制御すればいいのだろうか?これまでの彼の苦労を考えて、名前はチクリと胸が痛んだ。
前を泳いでいたナックルヴァールが名前の方を振り返った。手を差し出され、躊躇していると彼が反対の手で前方を指さしている。彼が指差す方向を見ると、光が当たらない暗い影の先に光が差している。ナックルヴァールは其方へ向かおうとしているようだった。はぐれないよう、彼から離れないようにしなければならなかった。名前はナックルヴァールの手を取り、二人で暗い水中を泳いだ。真っ赤な水中に映し出される真っ黒な岩陰は、不気味に感じた。よくよく考えると、この池の中はまるで地獄の中の景色みたいだと名前は思ってしまった。強張る名前に気付いたナックルヴァールはグッと手に力を込めて「俺が付いてるから、大丈夫だ」と言っているかのように笑顔を向けた。
(私は…この人の笑顔が好きなのかもしれない…。)
彼の笑顔を見ていると名前は不思議と心強く思えた。ナックルヴァールにはいつも笑っていて欲しい…名前はそう願った。
暗い岩陰を抜けると、光が入る明るい空間に出た。赤い水中に白い光の線が差し込み、それはとても美しい光景だった。眩しい程の光に目を細めながら、二人は浮上して水面から顔を出した。チュンチュンと小鳥の鳴き声が聞こえ、風がなびいて木々がサワサワと揺れていた。
「地上に戻ってきたみたいだな。」
「えぇ…。」
二人は地面に向かって歩き、池から上がった。
「あ~楽しかったなぁ…名前ちゃん、付き合ってくれてありがとな!」
「私も…貴重な体験をさせて頂き、ありがとうございました。とても楽しかったです。」
丁寧にお辞儀する名前に戸惑いつつも、彼女にも水中散歩を楽しんで貰えたナックルヴァールは上機嫌だった。
「名前ちゃんが来たいってんなら、いつでも付き合うぜ!今度は水着で泳ごうな!」
「それはお約束出来ません。」
二人で笑っていると、名前の無線に声が入った。
『名前、聞こえますか?』
「キルゲ様!?大変申し訳ございません、私は無事です!」
キルゲ、と聞いたナックルヴァールは真顔に戻り、名前を見つめた。耳のピアスは無線機になっているようで、地上に出た事によって通信が再開したようだ。
『ナックルヴァール君と二人で、私の元へ来なさい…分かりましたね?』
「はい…かしこまりました。」
虎視眈々としたキルゲの声…必要最低限の言葉に名前は背筋が凍る感覚を覚えた。
「ナックルヴァール様…私と共に来て頂けますか?」
強張る名前の表情で、キルゲがお怒りなのを把握したナックルヴァールは、努めて明るく返答した。
「あぁ、勿論!二人でキルゲに叱られに行くか!」
ナックルヴァールの言葉に名前は目を吊り上げた。
「私が叱られるのは、そもそもナックルヴァール様のせいなんですからね!」
「そうだなァ…まぁ、大目に見てくれるさ!名前ちゃん、言い訳頼んだぜ!」
「ナックルヴァール様っ!!」
怒る名前から逃れる様にナックルヴァールは軽やかに走り出した。追い掛けてくる彼女の姿を見ながら、ナックルヴァールは幸せを噛みしめていた。
(こんな能力でも、彼女の笑顔を見られるんだったら…悪い気はしねぇな…。)
名前を笑顔にする事が出来るのだとしたら、忌み嫌っているこの能力も好きになれそうだとナックルヴァールは思った。そして、好意を寄せる彼女とは確実に距離が縮まってきていると手ごたえも感じていた。多少強引でも、キルゲの元から引っ張り出して掻っ攫ってしまおうとナックルヴァールは目論んでいた。
「名前ちゃん!今度は俺を捕まえる事が出来るかな?」
「必ず捕まえます。覚悟して下さい、ナックルヴァール様!」
【水中散歩】...end.
昼間の城下街の通路を抜け、名前は走るナックルヴァールの背中を追いかけていた。人通りの多い道や入り組んだ建物の間のせこ道に入ったり、彼は名前の追跡から逃れようとしていた。
何故今の状況になったかと言うと、先程…銀架城内ですれ違った彼から「キルゲの部屋から大事な物を頂戴した」と告げられた。具体的に何を盗んだのかは分からなかったが、キルゲ様の貴重品であればみすみす見逃す訳にはいかない。賢い彼が何故そのような事をするのか…何故、わざわざそれを名前に告白してくるのか、理解出来なかった。
徐々に繁華街から離れ、雑木林の中に入った。人通りが無くなり、追いつかれそうになると彼はギフト・バルを放ち名前に向かって攻撃してきた。炸裂させ、噴出した毒に触れぬよう後ろに避ける。回り込んで視線を向けると彼の姿は見当たらなかった。
(霊圧を抑えているつもりだけど、分かるわよ…。)
姿は見えなくとも追跡は可能だった。完全に霊圧を消す事は出来ないからだ。
『名前…城外にいるようですが、何をしているのですか?』
名前はピアス式の無線機から聞こえてきた主の声に耳を傾けた。
「キルゲ様の部屋の物を盗んだ疑いで、ナックルヴァール様を追っています。」
『……。』
キルゲは暫く沈黙した。部屋の中を確認しているようだ。
(洞窟…。)
ナックルヴァールの霊圧を追うと彼は洞窟に入った。名前もその後を追う。
「キルゲ様…洞窟に入るので、暫く通信は出来ません。」
『待ちなさい!今すぐ戻りなさ…ザザザザ...』
「きゃあぁっ…!」
洞窟に入る直前、キルゲが命令した瞬間に通信は途絶えた。最後の言葉を聞く直前、名前は羽ばたいたコウモリに驚いてキルゲの声を聞き逃していた。
(私とした事が、ただのコウモリに驚くなんて恥ずかしい。)
真っ暗で足元がぬかるんだ洞窟内に逃げ込むとは、お洒落好きで衣装の汚れを気にする彼の事を考えると、些か疑問に思った。奥に進む程、雨水や湧水によって濡れて足場が悪くなってくる。彼の足跡もクッキリと残されていた。耳を澄ますと、前方からバシャバシャと彼の物と思しき音が聞こえてくる。
「奥へ逃げたって無駄です、逃さないわ!」
名前の声が洞窟内に響くが、返答は無かった。徐々に道が狭くなり、通り抜ける事すら難しくなってくる。白い装束が汚れる事も構わず、ナックルヴァールの霊圧を頼りに洞窟の奥へと進んだ。
(止まった。)
彼の霊圧が止まり、名前は警戒しながら慎重に進んだ。
「……っ!」
開けた空間に出た名前。目の前には真っ赤な池が広がっていた。その光景は今まで見た事がない程美しく、思わず息を飲んだ。追跡している最中だと言うのに、立ち止まって魅入ってしまう程に神秘的だった。
「毒でも湧いてるのかしら…。」
赤い池は禍々しく光っているように見え、触れてはいけないような気がした。
「違うぜ、赤い空に反射して池の水が赤く見えているだけだ。」
声のする方向に視線を向けると、ナックルヴァールが赤い池の中で仰向けになって水面に浮いていた。
「ナックルヴァール様!」
「名前ちゃん、来たか。」
ナックルヴァールは名前に視線を向ける事無く、洞窟の上に空いた穴から見える空を眺めていた。名前は意を決して赤い池に入水した。池は足が付かない程深かった。泳いで彼の元へと向かう。
「捕まえました。」
名前はナックルヴァールの腕を掴み、取り逃さないように力を込めて握った。
「名前ちゃんもこの景色、一緒に眺めようぜ。」
「キルゲ様の大事なものを盗んだのでしょう?白状しなさい。」
ナックルヴァールはチラリと名前の表情を見た。彼女の目は怒りに燃え、ナックルヴァールを見下ろしていた。
(おぉ、恐っ…。)
彼女は聖兵なので目上であるナックルヴァールに対して敬語を使わなければならなかったが、キルゲの事になると冷静ではいられなくなる。普段の優雅な彼女の表情は何処へ消え失せてしまったのだろうか?本気で怒っているその表情すら美しいとナックルヴァールは不敵に笑った。
「そんな怒らないで。絶景に似合わないぜ?」
「はぐらかさないで下さい。一体、何を盗んだのですか?」
するとナックルヴァールはニヤリと大きく口元を引き上げて嗤った。
「それはキミだよ、名前ちゃん。」
「……っ!!?」
危険を察知した名前はすぐさまナックルヴァールの腕を手放したが、彼の腕に引き寄せられた。それに抵抗するように名前は水中に逃れた。息を吸う事を忘れてしまい、体はどんどん沈んでしまう。赤く透き通った水中は恐ろしく綺麗で、このまま底へと吸い込まれてしまうのではないかと思った。浮き上がろうともがけばもがくほど、水面から離れて行ってしまう。
(息が続かない…もう、駄目っ!)
名前が覚悟を決めたその時、息が出来なくて苦しかった体の苦痛が消え去った。
「……っ!!?」
一体何が起きたのか分からず、目を開けて状況を確認する。水面の光が離れて行く事から、体は底の方へと沈んでいっているのは間違いない。名前が手足に意識を向けると、体は自由に動かす事が出来た。するとナックルヴァールが水中に顔を沈め、名前を確認した。ちょいちょいと指で上を指している事から上がって来いと指示している。
(これは、彼の能力…。)
ナックルヴァールの能力、致死量によって体内中の酸素量を操作されたのだと名前はすぐに理解した。名前は身体の力を抜いて、前屈みになりながら手足を脱力してゆっくり浮上した。水面から顔を出した名前は、恐る恐る鼻と口で息を吸った。すると普段と変わらず、呼吸する事が出来た。
「おかえり~。」
呑気な彼の声に思わず怒りたくなった名前だったが、一旦落ち着いて深呼吸をするとその気持ちは収まってきた。
「大丈夫かい?」
「…誰のせいだと思っているのですか?」
名前はジッとナックルヴァールを睨みつけた。ナックルヴァールは苦笑しながら「ごめんごめん」と謝罪した。
「キルゲから盗んだ大事な物はキミの事さ…キミと一緒にこの絶景を見たくて連れ出したんだ、ごめんな。」
両手で手を合わせながら笑うナックルヴァールに、名前は何とも言えない気持ちになった。キルゲ様になんて説明すれば良いのだろうか?
「誘い出すなら、もっと違う方法は幾らでもあったと思います。」
「それが思いつかなくってさ~。普通にキルゲに頼んだって、良いって言う訳ないだろう?危うく名前ちゃん死なせて、俺も殺される所だったぜ…うおっ!」
笑うナックルヴァールに名前は手で水面を弾き、水を掛けて仕返した。
「気を取り直して、水中散歩しないかい?もう気付いてると思うけど、凄く綺麗だからさ。」
ナックルヴァールは名前に向き直った。ここまでして名前を連れ出したのだから、彼が満足するまで解放してくれる事は無いだろう。素直に従った方が早いと思った名前は、ナックルヴァールの要望に応える事にした。
「お付き合いするのは、少しだけですよ。」
「あぁ、勿論!さっきと同じで、普通に息止めててね。」
満面の笑みを浮かべてナックルヴァールは水中に潜った。名前も大きく息を吸い込み、彼に続く。
先程は慌てていて良く見えなかったが、透明度の高い水中は対岸の岩肌までハッキリと見えていた。よく見ると小魚が泳いでおり、名前自身も魚になったような気分になった。
(凄い能力ね…。)
暫くしても息苦しくならない事から、彼に酸素量を操作されているのだと思った。彼の能力が無ければ、装具を付けずに水中を散策する事など出来る筈が無かった。非日常の体験に名前は胸が高鳴っていた。
(でも、彼はこの力を良くは思っていない…。)
ナックルヴァールは以前、強大故にこの能力を嫌っていると名前に打ち明けてきた。他の騎士達は自身の能力を誇示していたが、ナックルヴァールはそのような事はしなかった。
『使い方次第では、一度で大量の人達を殺める事が出来るんだ…恐ろしい能力だろ?』
もし、そんな力を手に入れたらどう制御すればいいのだろうか?これまでの彼の苦労を考えて、名前はチクリと胸が痛んだ。
前を泳いでいたナックルヴァールが名前の方を振り返った。手を差し出され、躊躇していると彼が反対の手で前方を指さしている。彼が指差す方向を見ると、光が当たらない暗い影の先に光が差している。ナックルヴァールは其方へ向かおうとしているようだった。はぐれないよう、彼から離れないようにしなければならなかった。名前はナックルヴァールの手を取り、二人で暗い水中を泳いだ。真っ赤な水中に映し出される真っ黒な岩陰は、不気味に感じた。よくよく考えると、この池の中はまるで地獄の中の景色みたいだと名前は思ってしまった。強張る名前に気付いたナックルヴァールはグッと手に力を込めて「俺が付いてるから、大丈夫だ」と言っているかのように笑顔を向けた。
(私は…この人の笑顔が好きなのかもしれない…。)
彼の笑顔を見ていると名前は不思議と心強く思えた。ナックルヴァールにはいつも笑っていて欲しい…名前はそう願った。
暗い岩陰を抜けると、光が入る明るい空間に出た。赤い水中に白い光の線が差し込み、それはとても美しい光景だった。眩しい程の光に目を細めながら、二人は浮上して水面から顔を出した。チュンチュンと小鳥の鳴き声が聞こえ、風がなびいて木々がサワサワと揺れていた。
「地上に戻ってきたみたいだな。」
「えぇ…。」
二人は地面に向かって歩き、池から上がった。
「あ~楽しかったなぁ…名前ちゃん、付き合ってくれてありがとな!」
「私も…貴重な体験をさせて頂き、ありがとうございました。とても楽しかったです。」
丁寧にお辞儀する名前に戸惑いつつも、彼女にも水中散歩を楽しんで貰えたナックルヴァールは上機嫌だった。
「名前ちゃんが来たいってんなら、いつでも付き合うぜ!今度は水着で泳ごうな!」
「それはお約束出来ません。」
二人で笑っていると、名前の無線に声が入った。
『名前、聞こえますか?』
「キルゲ様!?大変申し訳ございません、私は無事です!」
キルゲ、と聞いたナックルヴァールは真顔に戻り、名前を見つめた。耳のピアスは無線機になっているようで、地上に出た事によって通信が再開したようだ。
『ナックルヴァール君と二人で、私の元へ来なさい…分かりましたね?』
「はい…かしこまりました。」
虎視眈々としたキルゲの声…必要最低限の言葉に名前は背筋が凍る感覚を覚えた。
「ナックルヴァール様…私と共に来て頂けますか?」
強張る名前の表情で、キルゲがお怒りなのを把握したナックルヴァールは、努めて明るく返答した。
「あぁ、勿論!二人でキルゲに叱られに行くか!」
ナックルヴァールの言葉に名前は目を吊り上げた。
「私が叱られるのは、そもそもナックルヴァール様のせいなんですからね!」
「そうだなァ…まぁ、大目に見てくれるさ!名前ちゃん、言い訳頼んだぜ!」
「ナックルヴァール様っ!!」
怒る名前から逃れる様にナックルヴァールは軽やかに走り出した。追い掛けてくる彼女の姿を見ながら、ナックルヴァールは幸せを噛みしめていた。
(こんな能力でも、彼女の笑顔を見られるんだったら…悪い気はしねぇな…。)
名前を笑顔にする事が出来るのだとしたら、忌み嫌っているこの能力も好きになれそうだとナックルヴァールは思った。そして、好意を寄せる彼女とは確実に距離が縮まってきていると手ごたえも感じていた。多少強引でも、キルゲの元から引っ張り出して掻っ攫ってしまおうとナックルヴァールは目論んでいた。
「名前ちゃん!今度は俺を捕まえる事が出来るかな?」
「必ず捕まえます。覚悟して下さい、ナックルヴァール様!」
【水中散歩】...end.
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