神芳

ふと、芳野が時計を見ると針は午前の3時前を指していた。
肌寒さを感じながら、羽織っていたカーディガンを着直した。
徹夜するつもりで作業をしているが、流石に今日の午後から大事なミーティングがある。
寝不足のまま臨むのはよくなかったが、これが終わらなければ話にならない。
発表に必要な資料をあと3枚作らなければならなかった。
芳野は昨日の仕事の疲れも残っていたため、頭がぼんやりして効率よく作業ができなかった。
(少し休もうかしら…。)
芳野はパソコンのディスプレイをたたみ、デスクに突っ伏した。全身にまとわりつくような疲労も残っている。
早く終わらないかしら…。と芳野は呟いた。
自分がやらなければ仕事は終わらないことなど分かっていたが、どうにもはかどらない。
猫の手も借りたいとは、本当にこのこと。誰でもいいから自分の代わりを頼みたかった。
「芳野、お疲れさま。」
神が部屋に入ってくる音が聞こえず、芳野はつぶっていた目を開いた。慌てて体を起こし、彼の方を振り返った。
「神…まだ起きてたの?」
恋人の彼の姿を認めた芳野は、神が愛おしくてたまらなくなった。
缶詰め状態だった芳野に、彼は救いの救世主に違いなかった。芳野は今すぐにでも彼の温かい腕に包まれたかった。
「いや。目が覚めたから、君の様子を伺いにきたのさ。案の定、苦戦してるみたいだな。」
寝ぼけ眼の芳野を見た神は、にこっと笑い、彼女の側に寄った。
「終わらないのよ~。」
「はは、珍しく弱気じゃないか。いつも完璧な君では考えられないな。」
神は右手でぽんぽんと芳野の頭を撫でながら、左手で持っていたお盆をデスクに置いた。
お盆には白い湯気が立つカップが二つあった。
「まぁ、あまり詰めるのもよくない。休憩しないか?」
「ありがとう。」
神の優しい気遣いに、芳野は胸が熱くなるのを感じた。
「明日の会議の資料づくりか。どうだ?」
「ん。大体まとまってきたんだけど、あちこちに情報が必要だから大変。でも、楽しいわよ。」
 はは、と神は笑いカップを持ち上げた。
「ねぇ、これってミルクティ?」
「あぁ。コーヒーよりこっちの方がいいと思ってな。」
芳野はカップのミルクティーを一口飲み、ふっと息を吐いた。
「おいしい。」
先ほどより彼女の表情が和らいだのを見届け、神は笑った。
「話は変わるんだが、今度旅行にでも行かないか?」
カップから顔を上げれば、神は芳野をじっと見詰めていた。
「たまには、いいだろう?」
芳野は何も言わずにこくこく、と頷いた。
「どこ行くの?」
「うん?そうだなぁ…ヨーロッパ。ドイツとか。」
いつになく神は、いたずらでもしたような顔をする。
「どうしてドイツなの?」
芳野の質問に神はしばらく黙っていたが、デスクに自分と彼女のカップを置いた。
そして自分を見つめる彼女を抱きしめた。
「昔を思い出すんだ。なんでだろう?」
質問を質問で返すのは反則だ。
「そんなの…決まってるじゃない。」
ミルクティとドイツ。
あの頃の二人を思い出し、芳野は微笑んだ。
「忘れてないわ。」

【ホッとミルクティ】...end.
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