弓親短編集
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【汚れた手を取るのは】
流魂街で出会った私たちは、協力し合って生きていた。
「弓親、そっち行ったよ!」
山林を駆け抜け、逃げた鹿を追う名前。
冬で狩る動物が少ない中、貴重なたんぱく源を補給できる絶好のチャンスだ。
本来食事を摂らなくても苦労しない流魂街の人間だったが、私たちは力を持っている。
その為、定期的に食べ物を口にしなくてはならなかった。
名前は走って鹿を追いながら弓親の動きを確認する。
彼は狙いを定めてタイミングを計っている。
その時、鹿が隆起した木の根っこに足を取られてよろめいた。
(今だ……!)
その瞬間、弓親が発した鬼道が鹿の脳天を貫いた。
ドタンっ!
鹿はその場に倒れ、痙攣を起こしている。
「弓親やったね!」
「喜んでる暇はないよ、名前。さっさと締めて血抜きしないと。」
「はーい!」
久しぶりにお腹いっぱい食事が出来る。名前は上機嫌だった。
*
ぐつぐつと煮えたぎる鍋の中には、山菜と綺麗に下処理した鹿肉。
弓親が手際よく調理してくれたお陰で、とても美味しく頂くことが出来た。
「弓親、狩りから調理までほんと上手だよね。」
「回数こなしてれば名前も出来るようになるよ…と言うか、出来るようにさせるから。
今回は僕がやったけど、次回は名前にやってもらうからね。」
「えぇ~!やだよぉ。」
「甘ったれないで。やらないなら、食事抜きだから。」
「弓親、冷たい~!」
流魂街での生活は苦労する事も沢山あったけど、弓親がいたから一緒に乗り越えられた。
今思えば、流魂街での暮らしは幸せな日々だった。
狩りをする時、弓親はいつも口酸っぱく言ってたよね。
『鹿や猪を仕留める時は綺麗に』
この時の教えが、暗殺で役に立つとは思わなかった。
***
それから弓親と名前は護廷十三隊に入隊した。
弓親は十一番隊、名前は二番隊。
離れ離れになってなってしまったが、お互いに強くなろうと励まし合った。
弓親に自慢出来るよう、私も強くならなきゃ!
程なくして実力が認められた名前は、隠密機動にも籍を置くことになった。
入隊してすぐは五つの分隊のどれにも所属せず、隠密機動としての基礎を叩きこまれる。
名前は愚直に与えられた試練を潜り抜け、力を発揮していた。
砕蜂隊長に実力を認められた。
嬉しく思う名前とは裏腹に、弓親は喜んではくれなかった。
「名前、足音を立てずに近づくのは止めてくれる?」
「あ…ごめん、癖になっちゃって。次からは気を付けるね…。」
度々隠密機動としての癖が出てしまい、弓親に怒られてしまった。
「僕の前では素の名前でいてね」…と。
隠密機動に入隊してから、弓親とは以前ほど親交が減ってしまった。
勤務体制が他の隊と違う事もあり、時間が合わない。
弓親に愚痴を話す事も出来ない…名前は寂しく思った。
*
「苗字名前、第一分隊 刑軍に配属を命ずる。」
隠密機動総司令官である砕蜂隊長から辞令を言い渡され、名前は頭を下げた。
刑軍は隠密機動でもトップの実力を認められた者が配属される。
これで弓親にも堂々と胸を張って自慢できる。
昇格した事を喜んでくれる…そう思った名前だったが、その期待は外れる事となる。
「人目に付く所で話すのは止めようか。」
「えっ……。」
甘味処でお茶をしていた弓親と名前。
名前が刑軍に配属された事を報告した瞬間、彼はその言葉を放った。
絶句する名前を置き、弓親は勘定の為に立ち上がった。
「待って!」
店から出ると弓親はサッサと歩いて行ってしまう。
そして人気のない園庭で立ち止った。
「名前、昇格おめでとう。これからもっと厳しい環境に身を置くことになるけれど、僕は応援しているよ。くれぐれも体には気を付けて。」
「ありがとう…。」
突き放されたと思った名前は、弓親の言葉に一先ず安堵した。
しかし弓親は昔みたいな笑顔は見せず、本当に喜んでいるとは思えなかった。
「弓親…本当の事言ってよ…本当は嬉しくないんじゃ…。」
「嬉しいさ!…嬉しいけど、刑軍だろ…十一番隊だって戦闘部隊だけど、ワケが違う。僕は単純に名前が心配なのさ…。」
「…っ!?」
弓親は名前の事を心配してくれている。
それを確認出来て、心が温かくなるのを感じた。
「大丈夫、私は簡単には死なないよ。だって強いもん!」
すると弓親は昔のようにニコリと笑った。
「クスクス…こっちは気が気じゃないってのに、その自信は一体どこからやってくるんだろうね。」
「バカにしないでよね~!」
久しぶりに笑った弓親の表情を見ることが出来て、私は嬉しかった。
彼の笑顔を見ていると心の底から癒される。
いつか…この気持ちを伝えられたらいいのに、と思った。
*
「私はもう、弓親に会っちゃいけないんだね…。」
自室に戻った名前は、弓親に言われた言葉を思い返していた。
『人目に付く所で話すのは止めようか』
弓親はきっと、世間体を気にしたから言ったのだと。
隠密機動の刑軍なんて、裏で何をしているか分からない。
名前は「良からぬ事をしているに違いない」と時折、噂されている事を知っていた。
弓親が本心から喜んでいなかったのは、心配しているからではない。
きっと、『そっち』の理由からだ。
もう、弓親の傍に行けないんだと思うと、胸が苦しくなった。
「そうだよね…暗殺だってこなさなきゃいけないのに、弓親の隣に立とうなんて無理だよね…。」
己の立場がようやく理解出来た名前はボロボロと涙を零した。
弓親は私を傷つけないように言ってくれたけど、もうあの頃には戻れないんだ。
刑軍に配属が決定した今、名前がしなければならない事は一つ。
刑軍の一員として任務をこなす事。
これからは、弓親のいない世界で生きていく。
***
それから数ヶ月が経ち、様々な任務をこなした。
暗殺もあった。
その任務は決して一人で取り掛かった訳ではない。
幾つもの犯罪を犯し、情状酌量の余地はないとして処分が下された人物で、手を下したのは先輩だった。
名前が人を殺めた訳ではない。
だけど、その日自室に戻った途端に名前は嘔吐してしまった。
刑軍に配属されれば、誰もが通る道だと言われた。
私もいつか暗殺で、直接人を殺める日がやってくる。
講義では「深く考えるな、暗殺される輩はそれだけの理由がある。ただの任務だ」と繰り返し何度も言われる。
暗殺される人物は中央四十六室から判決が下された人物に限られる。
それまで入念に審査され、暗殺の否かを判断される。
法によって裁かれたのだ…ただ、それだけの事。
その日から名前は寝付けぬ日々が続いた。
***
数年後、名前は任務で一人の命を奪った。
その人物の周辺の事は調べもせず、名前と顔だけ覚えて任務を遂行した。
昔、狩りで弓親から教えられた通り、綺麗に仕留められたと思う。返り血も殆ど浴びていない。速やかに処理は行われた。
「初めてにしては上出来だ。」
先輩にも言われ、名前は軽く会釈した。
そして帰宅した名前は一番にシャワー室へ駆け込んだ。
入念に手を洗うが、どれだけ洗ってもその手は綺麗に洗えた気がしない。
(手を汚してしまった。)
顔と名前しか知らない人物。どういう罪を犯したかは知らない。
今更涙は出なかったが、汚れてしまった手は二度と綺麗にはならない。
(もう弓親にこの手は握ってもらえないね。)
汚れてしまった手で、彼に触れる事すら嫌だと思った。
弓親に近づいてはいけないと戒めてから月日は経つが、彼に逢いたくて仕方がない時がある。
それが今だった。
人を殺めてしまった悲しみ、苦痛…弓親に全てを聞いて欲しかった。
だがそれは叶わない。。
汚れた物を嫌う彼に、私など見てくれる訳がないのだ。
(逢いたい…あの頃に戻れたら…。)
シャワーを浴びながら、名前は震える体を抱き締めてしゃがみ込んだ。
***
数年後——————。
「ふんふふん~♪」
夜道を歩くのは居酒屋でたらふく酒を呑み、上機嫌な斑目一角だった。
すっかり遅くなってしまい、日を跨ぐ所だったので人気は一切ない。
眠気がきていた為、十一番隊の隊舎の屋根が見えて安堵しきっていた。
自室に着いたらそのまま眠りに就こうかと思っていた瞬間、刃を弾く音が聞こえてきた。
「一角!」
一角の目に飛び込んできたのは斬魄刀を持った弓親と弾かれたクナイと切れた糸。
「何だ!?」
突然の出来事に眠気が一気に吹き飛んだ一角は、目を見開いて叫んだ。
「それは僕が聞きたいよ…出てきなよ、名前。」
弓親が見やる視線の先に、名前が舌打ちして出てきた。
「まさか弓親に邪魔されるなんてね。」
「おいっ!どういう事だよ!」
一角は訳も分からず名前を睨みつける。
「指示が下された…暗殺しろと。」
「はぁっ!?俺は暗殺されるような事した覚えはねぇぞ!」
「私は知らない。上の指示に従っているだけだ。大人しくしろ。」
弓親は眉に皺を寄せた。
床に就いていた弓親だったが、帰宅途中の一角の後を付き纏う微弱な霊圧を感知して飛び起きたのだ。
微弱な霊圧は弓親がよく知っている、彼女のもの…「間違いであってくれ」と思ったが、嫌な勘は的中し、目の前に広がる現実に打ちひしがれた。
弓親の目の前に立つのは、紛れもなく苗字名前だった。
霊圧を探ると、この場にいるのは彼女ただ一人。他に仲間はいないようだ。
そして勘の鋭い弓親は妙に思った。
後処理があるのに、暗殺をたった一人で遂行するだろうか?
しかも実力のある第三席を暗殺…?一角の立場であれば普通、罪状が出る筈だ。
「ねぇ名前、それって本当に上からの指示?いつもと違う事はなかったのかい?」
「部外者は黙っていろ。」
名前は弓親の言葉をまともに聞き入れなかった。
視線すら合わない。会話の通じぬ彼女に弓親はショックを受けた。
(名前…まるで別人みたいだ。僕と会わなかった数年間の間に何が…?)
数年ぶりとは言え、自分の知っている彼女とはまるきり別人のような変貌ぶりに驚きを隠せなかった。
対話に応じるどころか、名前は戦闘態勢に入る。
弓親は斬魄刀を構えた。
「邪魔するなら、弓親も死んでもらうよ。」
「名前!!!」
名前は二人の言葉を聞かずに攻撃を仕掛けた。
「こんな時間に何の騒ぎだ。」
その時、三人の間に入ったのは十一番隊の長、更木剣八だった。
「隊長…!!」
名前の視界に隊首羽織が入り、動きを止めた。
「隠密機動の犬一匹が俺の部下になんか用か?」
「その男に暗殺命令が下った。私はそれを遂行するまで。」
剣八の問いに動じることなく、名前は淡々と返答した。
表情一つ変えない名前の姿に、弓親は驚くばかりだった。
「それは何かの間違いだろう?名前、一体どうしたってんだい?賢い君だったらこの異常な状況が分かるだろう?」
弓親の言葉を聞き、状況を飲み込んだ剣八は息を吐いた。
「なんだ、おめぇのツレか…痴話喧嘩なら他所でやれ。」
「ただの痴話喧嘩なら笑い話なんですけどね。」
本当に、ただの痴話喧嘩だったらどれほど良かったか。
名前は暗殺の任務を遂行しに来ている。穏便では済まされない。
弓親は苦笑し、名前を見つめる。
邪魔が入り、更に隊長まで登場…これは最早暗殺ではない。
分が悪いのは完全に名前だった。
「……。」
しばらく考えていた名前だったが、これ以上どうする事も出来ないと判断し、斬魄刀を下ろした。
「任務継続は不可能。これにて本部に戻る。」
名前の言葉を聞き、弓親は安堵した。
三人に背を向け、瞬歩で姿を消した。
「弓親、どういう事だ?」
「それは僕も聞きたいから。」
「アイツ、正気じゃなかったぞ。本当にお前のツレなのか?」
「……。」
一角の指摘に弓親も黙り込むしかなかった。
確かに霊圧も姿も彼女本人のまま…だが彼女は弓親の知っている名前ではなかった。
「戻るぞ。」
剣八の合図で二人は隊舎に入った。
*
「苗字名前 単独での行動、無断の暗殺実行により処分を下す。」
帰舎した名前は隠密機動の上官と同僚、二人によって取り押さえられていた。
「どういう事ですか?私は指示に従ったまでです。」
「そんな指示は出していない。」
(どういう事…?)
名前は記憶を辿った。
指示の書かれた書類はいつも着替えのロッカーに入れられ、読んだら即座に処分する。
(誰かに嵌められたか…。)
証拠である指示書は自らの手で燃やしてしまった為、示すことが出来ない。
軽率だった、と名前は後悔した。
しかし、既に済んでしまった事なので後戻りは出来ない。
名前は拘置所に入れられた。
柵を施錠され、同僚の姿が消える。名前は置かれていた椅子に座った。
恨みを持つ誰かが名前を嵌めたのだろうが、犯人が誰かなんて見当が付かない。
暗殺を遂行するようになってから、名前は半ば自暴自棄になっていた。
いつ任務で命を落としてもいいとすら思っていた。
自害なんて弓親に顔向けできない死に方は出来ない。
殉職すれば、立派だったって思ってくれるよね?
名前は自嘲気味に笑った。
でも、今回の事で完璧に弓親に嫌われたに違いない。
彼に斬魄刀を向けてしまった。
弓親だけは敵に回したくないと思っていたのに…。
名前は一筋、涙を零した。
*
翌日、名前は拘置所から出された。
取り調べが始まるかと思いきや、いきなり任務を言い渡された。
「現世在中の死神が虚を断界内に逃した。その虚を討伐する事。任務完了次第、今回の不祥事は破門とする。」
突然言い渡された任務に、名前は有無を言わさず出発させられた。
危険度の高い任務だ。
断界の中はどの次元とも干渉しない異次元の空間。
地獄蝶を伴わない断界内は常に不安定だ。
下手をすれば閉じ込められ、一生断界から出られなくなる可能性がある。
(実質、流刑にされたか…。)
かつて、断界は流刑地にされていた。
逃げた虚を追って討伐すると言うのは、余程の理由がなければ通常あり得ない。
この任務は完了しようが、失敗しようがどちらでも良いと言うあからさまな魂胆に名前は苦笑するしか無かった。
断界の扉の前に立った名前。
見送りは昨日から顔を合わせている上司と同僚、二人だけ。
「苗字、虚討伐任務に出発いたします。」
「健闘を祈る。」
二人はそれ以外の言葉を発する事も無く、開いた断界の先を見つめた。
名前は断界に足を踏み込んだ。
扉が見えなくなると、名前は一度立ち止まり辺りを見渡した。
霧のようなモヤが立ち込め、不穏な空気を醸し出している。
既に汚れきった手だ。
生き延びようが命を落とそうが#、#NAME2##にとってはどちらでも良かった。
(ようやく、死ぬことが出来る…。)
任務をこなすだけの辛い毎日からようやく解放される。
昨夜、あんな形だったが弓親に会う事も出来た。
だから、後悔はない。
ないのに、名前の頬には涙が流れた。
「弓親、さようなら。」
名前は虚の捜索を開始した。
*
名前の襲撃を受けたその日の夜——————。
「おい、一体どういう事なんだよ、弓親!」
執務室に入った三人は煎茶の入った湯呑みを眺めていた。
「それは僕だって知りたいよ。…って言うか、キミ、暗殺されるような事したの?」
「する訳ねぇだろ!隊長、聞いてくださいよ!俺は隊長に顔向け出来ねぇような事は絶対してないっス!!!」
「…どうだろうな。」
「隊長~~~!!」
剣八の言葉にショックを受けた一角よりも、深刻な表情を浮かべる弓親。
弓親は明らかに動揺していた。
まずは一角に暗殺命令が下された事…これは何かの間違いだと信じたい。
一角は女遊びはしているものの、揉め事を起こすような事はしない。
一角よりも、名前の事が気になってどうしようもならない。
「ツレ、なんかやべぇ事に巻き込まれてんじゃねぇのか?」
一角の言葉に、弓親は目を見開いた。
彼女が事件に巻き込まれているのは、一目瞭然だった。
「もしそうだったら、名前が危ない!」
居ても立っても居られない弓親。
しかし、一人ではどうする事も出来ない。
「協力してやるよ。」
そんな相方の様子を見ていた一角は呟いた。
「昔っからのお前のツレだろ?なら、見捨てておくなんて男失格だろうが。」
「一角…。」
一角はニッと口元を引き上げた。
流石、喧嘩上等。血の匂いがするものなら喜んで騒ぎ出す十一番隊の一員だ。
「ちっ…めんどくせぇ事に首突っ込みやがって…。」
「すみません…。」
「決まったんなら、さっさと動くぞ。」
剣八まで弓親に協力してくれると言った。
心強い二人の協力があれば彼女を助ける事が出来る。
「名前を救うよ…必ず!」
***
名前は明るくて、根が真っすぐな子だった。
子供の様に無邪気で、弓親は名前を妹のように可愛がっていた。
流魂街にいた時は彼女と一緒にいるお陰で、物寂しい景色も色鮮やかに感じた。
名前は「弓親と一緒に行く!」と言い、僕と一緒に護廷十三隊に入隊した。
隊は離れたものの、定刻が過ぎれば一目散に走ってやってくる。
そしていつも鍛錬での愚痴や雑談を聞かされた。
弓親はその時間がすごく好きだった。
『私、隠密機動に配属されることになったの、実力が認められたのよ!』
名前がそう言った日から、僕はどうすればいいか分からなくなっていた。
そう言っている間にも彼女は昇進し、隠密機動に配属が決まった。
その時から僕の心は激しく揺らいだ。
『弓親…本当の事言ってよ…本当は嬉しくないんじゃ…。』
『嬉しいさ!…嬉しいけど、刑軍だろ…十一番隊だって戦場だけど、ワケが違う。僕は単純に名前が心配なのさ…。』
刑軍に所属すると言うのは、並大抵の強さが無ければ不可能に近い。
それに選ばれたという事は彼女の努力と才能が開花した証拠だった。
喜ばしい事だ。それなのに、弓親は素直に応援できずにいた。
(あんな危険な仕事、誰が喜んでやるの?)
監視、偵察、暗殺、枕仕事…弓親の本音はそんな汚れ仕事を彼女にやらせたくなかった。
だが、僕が反対したら彼女はどう思う?
努力していた姿を誰よりも近くで見ていた僕が彼女を祝ってやらなきゃ、名前は悲しむだろう。
どうして隠密機動に配属される前に異動した方がいいと助言できなかったのだろう?
過去の自分に言えるものなら叱り飛ばしたい。
しかし、こうなってしまった以上、僕に出来る事は彼女の傍で支える事しかできない。
*
『休みを取ったんだ。気晴らしに少し遠くまで出掛けないか?』
仕事や任務が続く彼女の気分転換にと、外出に誘おうと二番隊を訪れた弓親。
名前は余程疲れていると見えて「ありがとう…でも今日は一日ゆっくりしていたいの」と真っ青な顔をしていた。
『どうしたの?酷い顔色だ…相当無理してる。救護詰所に行った方がいいよ』
『気遣ってくれてありがとう…今日一日休めば大丈夫だから…誘ってもらったのに、ごめんね』
『そんな事は気にしなくていい。とにかく、名前は体調を第一に。滋養強壮にいい漢方を贈るから飲むんだよ』
『ありがとう』
その日から彼女と会う事はなくなった。
手紙でのやりとりもしていたが、遂には返事も返って来なくなった。
今思えば、あの時から何かがおかしかったのだと気付くべきだった。
僕は激しく後悔した。
彼女が隠密機動に配属されなければ。
彼女が死神にならなければ…こんな事にはならなかったのに。
悔いる事は山ほどある。
しかし、後悔している暇はない。
今、彼女の身に危機が迫っている。
名前を救い出さなければ。
(必ず、僕が助け出すから…待ってて!)
***
断界の中を走る名前。
一本道だが、モヤに紛れて時折隙間が見える。
だが、無理やり入る程の勇気は出なかった。
入ってしまったら最後、元の道には戻れなくなる気がした。
(霊圧を探ったけど、虚がいるような気配は感じられない…。)
断界内だからなのか、霊圧探知が出来ない。
こうなると五感から感じ取るしか方法はない。
目をこらし、耳を澄まし名前は虚捜索に専念した。
ゴゴゴゴゴゴゴ...
遠くから低音の地響きのような音が聞こえてくる。
まさか拘突ではないだろうか?
一週間に一度、断界内に侵入した者を一掃する化け物だ。
修院生時代の教本で習っただけで実物など見た事がない。
名前は恐怖で足がすくんだ。
(あれが拘突…私はあれで…。)
頭に点いた光が物凄い速さで迫って来る。
小さな点だと思っていた物体はあっという間に目の前まで迫ってきていた。
頭で分かっていたが、いざ目の前にすると恐怖でパニックに陥った。
(どうすればいいの?どうやって逃げたら…そうだ、隙間に隠れれば…。)
しかし、小さな隙間は奥行きなど無くなく、拘突の大きな体は壁すら抉って突き進んでいる。
免れる事は出来なかった。
ゴオオオオオォォォ!!!!!
凄まじい轟音と地響き。
拘突の光が名前を捕えた。
名前は眩しさで目が眩み、視界は真っ白になった。
(本当にもう死ぬんだ…。)
名前は涙を流しながら、意識を手放した。
「——————名前!!!!
薄れゆく意識の中、誰かが私の名前を呼んでいる気がした。
*
数時間前、朝日が昇ってすぐ二番隊隊舎に来客があった。
「ざ…更木隊長…!」
「急用だ。砕蜂を呼んで来い。」
早朝の慌ただしい時間。
十一番隊の面々が来訪した事に、その場にいた二番隊の隊員達はたじろいだ。
観衆が集まる中、颯爽と現れた砕蜂の喝が飛んだ。
「見世物じゃないぞ、さっさと持ち場へ戻れ!」
砕蜂の登場であっという間に観衆は散って行った。
「小さいのに凄い迫力だな…」と一角が思っていると、剣八の背中にいたやちるが肩から乗り出した。
「ふぉんふぉん、おっはよー!!!」
「こんな朝早くから、一体何の用だ!?」
砕蜂はやちるの挨拶を無視し、剣八に食って掛かった。
剣八は振り返り、後ろにいた弓親に合図した。
弓親は剣八の隣に立ち、口を開いた。
「苗字名前に会わせてください。」
「苗字…?アイツは昨日から無断欠勤しているぞ。」
砕蜂の言葉に弓親は目を細めた。
「はぁっ!?どういう事だ?俺は昨夜その苗字って子に殺されかけてるんだぞ!」
後ろから叫んだのは一角だった。
暗殺指示を隠密機動軍団長が知らない筈がない。
ならば、何故名前は一角を襲撃した?
「彼女は今、何処にいる?名前に危険が迫ってるかもしれないんだ。」
砕蜂はただ事ではないと察知し、即座に裏廷隊の伝令兵を呼んだ。
「苗字名前を捜索しろ!」
「了解。」
その様子を見ていた弓親は更に言及した。
「一角に暗殺指示は出ていたんですか?昨日、名前は『暗殺指示が下った』と言っていたんです。指示を出せる人間は限られている筈ですよね?」
「隊員に暗殺指示を出しているのは五人。上(四十六室)から下った内容が私に通達され、私が直接五人のいずれかに指示を出す。…斑目の暗殺指示は上から通達されていない。私も指示を下していない。」
一角は「良かった~」と安堵の表情を浮かべた。
「じゃあ、その五人の誰かが名前に指示を出したって事ですね?」
「まだ確定した訳ではないが、可能性は高い。」
砕蜂は耳に装着しているイヤホン型のインカムに手を当て、何処かに通話した。
「特定できたか?……穿界門だな、分かった。」
砕蜂は十一番隊の四人に向き直った。
「苗字は今、穿界門前にいる。一刻を争う、私は先に行く。」
砕蜂は瞬歩で姿を消し、四人は全速力で穿界門に向かって走り出した。
名前は一人ではない筈だ。穿界門を通って現世へ行くつもりなのか?
それとも、かつて流刑地にされていた場所であることを考えると…。
弓親は早まる気持ちを胸に、全速力で穿界門に向かった。
穿界門前に到着すると、既に門の前で二人の隊員が捕縛されていた。
「私の目を盗んで、何をしていた?」
砕蜂の追及に隊員二人は黙秘していた。走って息の整わない弓親は、沈黙する隊員の前に立った。
怒りで霊圧を滾らせ、二人の隊員をすごませた。
「名前はどこ?彼女の身に何かあったら許さないよ。」
「ひぃいいいい!!!」
剣八に劣らぬ霊圧の威圧に隊員は恐怖した。
「断界内です!もう直ぐ拘突が来るはず…。」
弓親は隊員の言葉を全て聞き終わる前に断界へ飛び込んで行った。
時間が無い。一刻も早く行かなければ、助けることは出来ない。
「剣ちゃん、私たちも行くよ!」
「待て!更木、拘突が来るんだぞ!貴様死ぬもつりか?!」
砕蜂の制止に、剣八は冷静に答えた。
「死にに飛び込む馬鹿がいるか。連れて戻る。俺の部下も勝手に行っちまったしな。」
「…頼んだぞ。」
砕蜂は指揮官の立場上、救出に向かうことが来ない。自身の部下の救出を剣八に託した。
「一角、そっちは頼んだぞ!」
「隊長、任せてくだせぇ!」
剣八とやちるは穿界門を潜った。
*
拘流のモヤが断界内を漂っている。
薄暗い一本道をひたすら走っていると、行く先には光が見える。
そしてよく目を凝らすと、先の道端に誰かが倒れている。
「隊長、いました!!!」
弓親は瞬歩で倒れている人物に駆け寄る。
馴染みの霊圧。顔を見ると、名前に違いなかった。
意識は失っているが、怪我はしていないようで弓親は一先ず安堵した。
ドドドドドドドドド…!!!
その間にも拘突は恐ろしい速さで四人に迫っていた。
「汽車みたい!まぶしいー!」
やちるははしゃいでいる。剣八も同じく口元を引き上げ、目を輝かせている。
「拘突は斬った事がねぇ…面白れえ!!!」
拘突に触れると外界との時間軸が百年ずらされ、肉体が付いて行けずにその者は死ぬ。
「隊長、拘突に触っちゃ駄目ですよ!!!」
「わーってる!」
剣八は斬魄刀を握り、一太刀振るった。
斬撃は何事もなかったかのように飲み込まれていく。
「いいじゃねぇか。」
弓親は倒れている彼女の体を抱き上げ、もと来た道を走り出した。
「隊長、名前を連れて戻ります!」
「ゆみちー落とさないでね~!」
「副隊長も転ばないように気を付けて下さいね!」
やちるを先導に名前を背負った弓親が後を追う。
(良かった…もうこの手、絶対離さないから。)
弓親は背負った名前の手を強く握り、心に強く誓った。
剣八は眼帯を取り、目の前まで迫って来ている拘突に向かって立ちはだかった。
斬魄刀の柄を両手で握り、大きく息をした。
「うおおおおおおおっ!!!」
霊圧を高め、思い切り放った斬撃は拘突を直撃した。
大きな斬撃の後が付いたが、すぐに回復できるようでみるみるうちに治っていく。
「ちっ、バケモンかよ。」
本当は最後まで決着を付けたかったが、拘突は断界内では必要な存在。
斬って無くなってしまえば、山爺の説教だけでは済まされないだろう。
拘突が回復で動けない内に見切りを付けて戻る事にした。
*
穿界門を潜り抜け、再び瀞霊廷に戻ってきた三人は多くの死神達に迎えられた。
弓親たちの体感で言えば、数十分の出来事が、外の世界では数時間経っていたようだ。
一番先に出てきたやちるの三刻後(六時間)に剣八が出てきている。
「隊長が戻って来たぞー!」
「剣ちゃんおそいー!」
「お怪我はありませんか?」
駆け寄ってきた十一番隊隊員は涙を流しながら剣八を迎えた。
「なんで夕方になってんだ?」
「断界内は時間の流れが狂ってるんですよ!隊長に何かあったらって思ったら俺たちもう…。」
泣く隊員の頭をしばき、剣八の前に現れたのは一角だった。
「隊長がくたばるワケねぇだろうが!隊長…おかえりなさい。」
「おう。拘突の奴、斬っても馬鹿みてぇな速さで回復しやがってよ。」
「拘突に斬撃入れたんスか!?ぎゃははは、流石、俺らの隊長だ!」
盛り上がる隊員達をよそに、剣八は弓親の姿を探した。
「弓親はどこに行きやがった?」
「あぁ、アイツは救護詰所っス…しばらくは帰って来ないと思います。」
*
四番隊救護詰所———。
「名前さんの体は異常が見られないようです。意識が戻ったら呼んで頂けますか?」
「分かりました。」
瀞霊廷に戻ってきた弓親は、名前を四番隊の治療班に引き渡した。
処置が終わり、個室に入った名前のベッドの脇に置いた椅子に座り、弓親は彼女を見つめていた。
昨夜は暗くてまじまじと見られなかったが、彼女は瘦せこけて見える。真っ青な顔色は生気が感じられなかった。
(名前が変わってしまったのは、紛れもなく隠密機動に配属されてからだ…。)
明るく天真爛漫な面影は何処へ消えてしまったのか。変わり果てた名前の姿に弓親は胸を痛めた。
「……っ!?」
ぴくり、と名前の指が動いた。
弓親は重ねていた彼女の手を握った。
「……っ。」
呼吸器を取り付けられている名前は息苦しそうに目を開けた。
「名前、分かる?」
名前はぼやけた視界を正すように何度も瞬きを繰り返し、今まで何をしていたのか思い出そうと試みた。
名前は長い夢を見ていたようだった。
真っ暗な場所で何かを探していて、気が付いたら眩しい光に目が眩んで、そこから何も覚えていない。
「名前、目が覚めたんだね。僕が誰だか分かるかい?」
名前は自身の名を呼ぶ人物をゆっくりと眺めた。
「弓親…これは夢…?」
「夢じゃないよ、名前。キミは危うく死ぬところだったんだよ。」
名前は一瞬考え、目を瞑った。
弓親は彼女の手を握り、意識朦朧としている名前に現実であることを伝えようとした。
「夢じゃない…夢じゃ…!?」
名前は突如目を見開き、弓親の手を払いのけた。
そして呼吸器を乱雑に取り外し、体を震わせた。
「私に触れないで…!汚れた私が、弓親に会う資格なんてない!!」
「名前!?落ち着いて。どうしたの!?」
呼吸器が取り外されモニターにエラーが表示され警告音が鳴り響く。異変を察知した隊員が数人、個室に駆け付けた。
「どうかされましたか!?」
「目を覚ました途端、パニックになってしまって!名前!!」
「いやあああっ!!」
暴れる名前の様子を見てただ事ではないと判断し、救護隊の隊員は弓親に退室してもらうよう促した。
「綾瀬川さん、一度退室願います。後は私たちに任せてください。」
「分かりました…お願いします。」
個室から出た弓親は胸のざわつきを覚えながら、一度外の空気を吸いに救護詰所を出た。
*
外は陽が落ち、すっかり暗くなっていた。
「お、弓親!彼女の様子はどうだった?」
救護詰所の門の外では一角が弓親を待っていた。
弓親の硬い表情を見て「まだ予断を許さないって感じか?」と尋ねた。
「いや…意識は戻ったんだ。だけど…。」
「『だけど』なんだよ?」
まだバクバクと早く心臓が脈を打っている。弓親は冷や汗が止まらなかった。
顔色の悪い相方の肩を一角はバン、と叩いた。
「取り敢えず、飯食いに行こうぜ。お前今日、何にも食ってねぇだろ?」
「今は食べたくないから…。」
「いいから、行くぞ!」
「ちょっと…!放せよ…!!!」
弓親の言葉を無視し、一角は腕を引っ張って近場の居酒屋に入った。
腹が減っては冷静でいられる訳がない。先ずは腹ごしらえだ。
一角が勝手に注文した料理を食べさせられた弓親だったが、腹が膨れると自然と荒れた心も静まりを取り戻した。
店を出た一角は弓親の方を振り返った。
「彼女んとこ戻るのか?」
「あぁ…今日は話が出来ないかもしれない。でも、彼女の顔を一度だけ見たら、僕も帰るから。」
「そうかよ、じゃあな。」
一角は手をひらひらと軽く振り、言葉の代わりにエールを送っておいた。
(一角、感謝するよ。)
彼の気遣いに感謝しつつ、弓親は再び救護詰所に戻った。
*
隊員に声を掛け、弓親は名前の様子を尋ねた。
「名前さんは酷く取り乱していて…ですが、綾瀬川さんの姿が見え無くなると直ぐに落ち着いたんです。」
「どういう事ですか…?」
隊員は深くは語らず、首を振った。
「今の苗字さんの精神状態はとても不安定です。時間が…必要なんです。」
「……っ!?」
今まで考えた事もなかったが、彼女がこうなったのは自分のせいなのだろうか?
隊員は頭を下げ、弓親の前から立ち去った。
一体どうしたらいいのか?
今は彼女の心をかき乱すような事をしない方がいいのは分かっていたが、キチンと話がしたかった。
結局、弓親は個室の前に来ていた。
扉はない為、中の様子は伺える。
彼女の顔が一瞬でも見えたら帰ろう、そう思って部屋を見ていると…。
「名前、やめろ…!!」
弓親は斬魄刀で自身の首を掻き切ろうとしている名前の右手首を掴んだ。
「弓親…!?離して!!」
「名前!こんな事して、僕が許すと思っているのかい!?」
斬魄刀は所有者の命の次に大事な物だからこそ側に置いていたようだが、不安定な彼女にその配慮は間違っていた。
「離してっ…!お願い、もう楽にさせて…。こんな姿…弓親に見られたくなかったの…!」
名前は斬魄刀を落とし、泣き崩れた。
「名前、教えて。どうして僕を避けるの?僕に顔向けできない理由があるの?」
「私は暗殺部隊。何人も人を殺してしまった。私の手は汚れてる。もう、綺麗にならないの…!弓親に会う資格なんてないの…!」
弓親は大きく深呼吸し、名前の手をぎゅっと握った。
「名前は汚れてなんかいない。キミが隠密機動に配属された時から、そうなる事は覚悟していたさ…。」
名前は涙を零しながら弓親を見つめた。
弓親は優しい表情で、これまでの経緯を説明してくれた。
名前に指示して一角を暗殺しようとした隊員は、秘密裏に個人からの暗殺を引き受けていた。多額の金銭を対価に、依頼された暗殺を指示していたようだ。
今回の件で事件が明るみになり、大規模な調査が行われる。
更に名前を嵌めた隊員の悪事は続く。
隠密機動に配属されて会う事が難しくなり、文通をしていた名前と弓親の手紙や贈り物を上の隊員が横領していたと言うのだ。
これには弓親も怒りを通り越し、呆れていた。
弓親の話を聞き終え、名前は安堵に包まれていた。
名前は弓親に愛想を尽かされたと思い込んでいたが、それは誤解だったようだ。
弓親の話を聞き終えた名前は「ごめんなさい…!」と涙を流しながら謝罪した。
「名前が謝る必要ないだろ…謝らなきゃいけないのは、僕の方だ…キミの気持ちに気付かず、こんなになるまで追い詰めてしまった。」
「弓親…本当に、私は汚れてない…?また、弓親の隣にいていいの…?」
「当たり前だろ。」
「ほんとに…?」
「あぁ。」
名前は再び涙を流した。
弓親はハンカチを取り出し、名前の頬に流れた涙を優しくふき取った。
「弓親…私、何だか眠くなってきちゃった。」
「あぁ、ゆっくりお眠り。また名前が元気になったら、迎えに行く。」
「ほんと…?嬉しい。」
名前をベッドに寝かせ、掛け布団を掛けた。
手を握り、名前が眠りにつくのを見届け、弓親は椅子から立ち上がった。
先程落ちた彼女の斬魄刀を拾い上げ、救護詰所の隊員に斬魄刀を手渡した。
すると、隊員は名前と弓親のやり取りを見ていたようで謝罪した。
「すみません、斬魄刀を傍に置いたのは迂闊でした。本当に申し訳ありません。」
弓親が止めなければ、危うく自害してしまう所だった。
それほど精神的に追い詰められていたと、誰もが思っていなかったので仕方ない所はある。
しかし、救護詰所は常に心身共に安心である場所であって欲しい。
深々と頭を下げる隊員に弓親は「後は頼みますね」と声を掛けて建物を後にした。
***
数週間後——————。
裏金で暗殺を請け負っていた隊員二名は懲戒免職処分が言い渡され、余罪を追及されていた。
全ての罪が明らかになれば、最終的な処分が下されるであろう。
何人もの命が失われているようで、処刑は免れないだろう…。
弓親は雑誌を閉じ、救護詰所を訪れた。
今日は名前の退院日だった。
治療は慎重に行われ、精神的に不安定だった名前も自分に自信が付いてくる程に回復した。
名前は隠密機動への復帰はせず、七番隊へ異動する事になった。
信頼している射場さんの下という事もあり、不安はなかった。
「荷物はこれで全部のはず!」
名前は荷物をまとめて、退院準備を進めていた。
「忘れ物はないかい?」
「弓親!」
部屋を訪れた弓親の姿を見て、名前はぱぁっと目を輝かせた。
「約束通り迎えに来たよ。」
名前は嬉しさと照れ臭さを感じつつ「ありがとう」と笑った。
「荷物、持つよ。」
「大丈夫、自分で持てるから!」
優しい弓親の気遣いがむず痒く、名前は顔を赤らめた。
「良かった…僕の知ってる名前だ。」
療養中、名前は精神面でのケアを重点的に行った。
治療の甲斐あり、昔と同じまでに笑う事も出来るようになった。
「心配ばかり掛けちゃってごめんね…私、もう大丈夫だから!」
名前は荷物を持ち、救護詰所の隊員に挨拶をした。
「名前、快気祝いに何処か行こう。何処がいい?」
名前はしばらく考えて、窓の外を眺めた。
季節は桜が咲き始める頃だった。
「桜を見に行きたいな。」
「いいね。そう言って、花見団子が食べたいんだろう?」
「え、なんで分かったの!?」
「昔っからそうだったじゃないか。名前は花より団子だったよね。」
「子ども扱いしないでよね!これでも私、花を愛でる事を覚えたんだから。」
「ふふ…。」
あの頃と変わらない、無邪気な笑顔。
僕が傍に居る限り、曇らせないよ。
例え、汚れてしまっても
僕はその手を放さない。
【汚れた手を取るのは】...end.
流魂街で出会った私たちは、協力し合って生きていた。
「弓親、そっち行ったよ!」
山林を駆け抜け、逃げた鹿を追う名前。
冬で狩る動物が少ない中、貴重なたんぱく源を補給できる絶好のチャンスだ。
本来食事を摂らなくても苦労しない流魂街の人間だったが、私たちは力を持っている。
その為、定期的に食べ物を口にしなくてはならなかった。
名前は走って鹿を追いながら弓親の動きを確認する。
彼は狙いを定めてタイミングを計っている。
その時、鹿が隆起した木の根っこに足を取られてよろめいた。
(今だ……!)
その瞬間、弓親が発した鬼道が鹿の脳天を貫いた。
ドタンっ!
鹿はその場に倒れ、痙攣を起こしている。
「弓親やったね!」
「喜んでる暇はないよ、名前。さっさと締めて血抜きしないと。」
「はーい!」
久しぶりにお腹いっぱい食事が出来る。名前は上機嫌だった。
*
ぐつぐつと煮えたぎる鍋の中には、山菜と綺麗に下処理した鹿肉。
弓親が手際よく調理してくれたお陰で、とても美味しく頂くことが出来た。
「弓親、狩りから調理までほんと上手だよね。」
「回数こなしてれば名前も出来るようになるよ…と言うか、出来るようにさせるから。
今回は僕がやったけど、次回は名前にやってもらうからね。」
「えぇ~!やだよぉ。」
「甘ったれないで。やらないなら、食事抜きだから。」
「弓親、冷たい~!」
流魂街での生活は苦労する事も沢山あったけど、弓親がいたから一緒に乗り越えられた。
今思えば、流魂街での暮らしは幸せな日々だった。
狩りをする時、弓親はいつも口酸っぱく言ってたよね。
『鹿や猪を仕留める時は綺麗に』
この時の教えが、暗殺で役に立つとは思わなかった。
***
それから弓親と名前は護廷十三隊に入隊した。
弓親は十一番隊、名前は二番隊。
離れ離れになってなってしまったが、お互いに強くなろうと励まし合った。
弓親に自慢出来るよう、私も強くならなきゃ!
程なくして実力が認められた名前は、隠密機動にも籍を置くことになった。
入隊してすぐは五つの分隊のどれにも所属せず、隠密機動としての基礎を叩きこまれる。
名前は愚直に与えられた試練を潜り抜け、力を発揮していた。
砕蜂隊長に実力を認められた。
嬉しく思う名前とは裏腹に、弓親は喜んではくれなかった。
「名前、足音を立てずに近づくのは止めてくれる?」
「あ…ごめん、癖になっちゃって。次からは気を付けるね…。」
度々隠密機動としての癖が出てしまい、弓親に怒られてしまった。
「僕の前では素の名前でいてね」…と。
隠密機動に入隊してから、弓親とは以前ほど親交が減ってしまった。
勤務体制が他の隊と違う事もあり、時間が合わない。
弓親に愚痴を話す事も出来ない…名前は寂しく思った。
*
「苗字名前、第一分隊 刑軍に配属を命ずる。」
隠密機動総司令官である砕蜂隊長から辞令を言い渡され、名前は頭を下げた。
刑軍は隠密機動でもトップの実力を認められた者が配属される。
これで弓親にも堂々と胸を張って自慢できる。
昇格した事を喜んでくれる…そう思った名前だったが、その期待は外れる事となる。
「人目に付く所で話すのは止めようか。」
「えっ……。」
甘味処でお茶をしていた弓親と名前。
名前が刑軍に配属された事を報告した瞬間、彼はその言葉を放った。
絶句する名前を置き、弓親は勘定の為に立ち上がった。
「待って!」
店から出ると弓親はサッサと歩いて行ってしまう。
そして人気のない園庭で立ち止った。
「名前、昇格おめでとう。これからもっと厳しい環境に身を置くことになるけれど、僕は応援しているよ。くれぐれも体には気を付けて。」
「ありがとう…。」
突き放されたと思った名前は、弓親の言葉に一先ず安堵した。
しかし弓親は昔みたいな笑顔は見せず、本当に喜んでいるとは思えなかった。
「弓親…本当の事言ってよ…本当は嬉しくないんじゃ…。」
「嬉しいさ!…嬉しいけど、刑軍だろ…十一番隊だって戦闘部隊だけど、ワケが違う。僕は単純に名前が心配なのさ…。」
「…っ!?」
弓親は名前の事を心配してくれている。
それを確認出来て、心が温かくなるのを感じた。
「大丈夫、私は簡単には死なないよ。だって強いもん!」
すると弓親は昔のようにニコリと笑った。
「クスクス…こっちは気が気じゃないってのに、その自信は一体どこからやってくるんだろうね。」
「バカにしないでよね~!」
久しぶりに笑った弓親の表情を見ることが出来て、私は嬉しかった。
彼の笑顔を見ていると心の底から癒される。
いつか…この気持ちを伝えられたらいいのに、と思った。
*
「私はもう、弓親に会っちゃいけないんだね…。」
自室に戻った名前は、弓親に言われた言葉を思い返していた。
『人目に付く所で話すのは止めようか』
弓親はきっと、世間体を気にしたから言ったのだと。
隠密機動の刑軍なんて、裏で何をしているか分からない。
名前は「良からぬ事をしているに違いない」と時折、噂されている事を知っていた。
弓親が本心から喜んでいなかったのは、心配しているからではない。
きっと、『そっち』の理由からだ。
もう、弓親の傍に行けないんだと思うと、胸が苦しくなった。
「そうだよね…暗殺だってこなさなきゃいけないのに、弓親の隣に立とうなんて無理だよね…。」
己の立場がようやく理解出来た名前はボロボロと涙を零した。
弓親は私を傷つけないように言ってくれたけど、もうあの頃には戻れないんだ。
刑軍に配属が決定した今、名前がしなければならない事は一つ。
刑軍の一員として任務をこなす事。
これからは、弓親のいない世界で生きていく。
***
それから数ヶ月が経ち、様々な任務をこなした。
暗殺もあった。
その任務は決して一人で取り掛かった訳ではない。
幾つもの犯罪を犯し、情状酌量の余地はないとして処分が下された人物で、手を下したのは先輩だった。
名前が人を殺めた訳ではない。
だけど、その日自室に戻った途端に名前は嘔吐してしまった。
刑軍に配属されれば、誰もが通る道だと言われた。
私もいつか暗殺で、直接人を殺める日がやってくる。
講義では「深く考えるな、暗殺される輩はそれだけの理由がある。ただの任務だ」と繰り返し何度も言われる。
暗殺される人物は中央四十六室から判決が下された人物に限られる。
それまで入念に審査され、暗殺の否かを判断される。
法によって裁かれたのだ…ただ、それだけの事。
その日から名前は寝付けぬ日々が続いた。
***
数年後、名前は任務で一人の命を奪った。
その人物の周辺の事は調べもせず、名前と顔だけ覚えて任務を遂行した。
昔、狩りで弓親から教えられた通り、綺麗に仕留められたと思う。返り血も殆ど浴びていない。速やかに処理は行われた。
「初めてにしては上出来だ。」
先輩にも言われ、名前は軽く会釈した。
そして帰宅した名前は一番にシャワー室へ駆け込んだ。
入念に手を洗うが、どれだけ洗ってもその手は綺麗に洗えた気がしない。
(手を汚してしまった。)
顔と名前しか知らない人物。どういう罪を犯したかは知らない。
今更涙は出なかったが、汚れてしまった手は二度と綺麗にはならない。
(もう弓親にこの手は握ってもらえないね。)
汚れてしまった手で、彼に触れる事すら嫌だと思った。
弓親に近づいてはいけないと戒めてから月日は経つが、彼に逢いたくて仕方がない時がある。
それが今だった。
人を殺めてしまった悲しみ、苦痛…弓親に全てを聞いて欲しかった。
だがそれは叶わない。。
汚れた物を嫌う彼に、私など見てくれる訳がないのだ。
(逢いたい…あの頃に戻れたら…。)
シャワーを浴びながら、名前は震える体を抱き締めてしゃがみ込んだ。
***
数年後——————。
「ふんふふん~♪」
夜道を歩くのは居酒屋でたらふく酒を呑み、上機嫌な斑目一角だった。
すっかり遅くなってしまい、日を跨ぐ所だったので人気は一切ない。
眠気がきていた為、十一番隊の隊舎の屋根が見えて安堵しきっていた。
自室に着いたらそのまま眠りに就こうかと思っていた瞬間、刃を弾く音が聞こえてきた。
「一角!」
一角の目に飛び込んできたのは斬魄刀を持った弓親と弾かれたクナイと切れた糸。
「何だ!?」
突然の出来事に眠気が一気に吹き飛んだ一角は、目を見開いて叫んだ。
「それは僕が聞きたいよ…出てきなよ、名前。」
弓親が見やる視線の先に、名前が舌打ちして出てきた。
「まさか弓親に邪魔されるなんてね。」
「おいっ!どういう事だよ!」
一角は訳も分からず名前を睨みつける。
「指示が下された…暗殺しろと。」
「はぁっ!?俺は暗殺されるような事した覚えはねぇぞ!」
「私は知らない。上の指示に従っているだけだ。大人しくしろ。」
弓親は眉に皺を寄せた。
床に就いていた弓親だったが、帰宅途中の一角の後を付き纏う微弱な霊圧を感知して飛び起きたのだ。
微弱な霊圧は弓親がよく知っている、彼女のもの…「間違いであってくれ」と思ったが、嫌な勘は的中し、目の前に広がる現実に打ちひしがれた。
弓親の目の前に立つのは、紛れもなく苗字名前だった。
霊圧を探ると、この場にいるのは彼女ただ一人。他に仲間はいないようだ。
そして勘の鋭い弓親は妙に思った。
後処理があるのに、暗殺をたった一人で遂行するだろうか?
しかも実力のある第三席を暗殺…?一角の立場であれば普通、罪状が出る筈だ。
「ねぇ名前、それって本当に上からの指示?いつもと違う事はなかったのかい?」
「部外者は黙っていろ。」
名前は弓親の言葉をまともに聞き入れなかった。
視線すら合わない。会話の通じぬ彼女に弓親はショックを受けた。
(名前…まるで別人みたいだ。僕と会わなかった数年間の間に何が…?)
数年ぶりとは言え、自分の知っている彼女とはまるきり別人のような変貌ぶりに驚きを隠せなかった。
対話に応じるどころか、名前は戦闘態勢に入る。
弓親は斬魄刀を構えた。
「邪魔するなら、弓親も死んでもらうよ。」
「名前!!!」
名前は二人の言葉を聞かずに攻撃を仕掛けた。
「こんな時間に何の騒ぎだ。」
その時、三人の間に入ったのは十一番隊の長、更木剣八だった。
「隊長…!!」
名前の視界に隊首羽織が入り、動きを止めた。
「隠密機動の犬一匹が俺の部下になんか用か?」
「その男に暗殺命令が下った。私はそれを遂行するまで。」
剣八の問いに動じることなく、名前は淡々と返答した。
表情一つ変えない名前の姿に、弓親は驚くばかりだった。
「それは何かの間違いだろう?名前、一体どうしたってんだい?賢い君だったらこの異常な状況が分かるだろう?」
弓親の言葉を聞き、状況を飲み込んだ剣八は息を吐いた。
「なんだ、おめぇのツレか…痴話喧嘩なら他所でやれ。」
「ただの痴話喧嘩なら笑い話なんですけどね。」
本当に、ただの痴話喧嘩だったらどれほど良かったか。
名前は暗殺の任務を遂行しに来ている。穏便では済まされない。
弓親は苦笑し、名前を見つめる。
邪魔が入り、更に隊長まで登場…これは最早暗殺ではない。
分が悪いのは完全に名前だった。
「……。」
しばらく考えていた名前だったが、これ以上どうする事も出来ないと判断し、斬魄刀を下ろした。
「任務継続は不可能。これにて本部に戻る。」
名前の言葉を聞き、弓親は安堵した。
三人に背を向け、瞬歩で姿を消した。
「弓親、どういう事だ?」
「それは僕も聞きたいから。」
「アイツ、正気じゃなかったぞ。本当にお前のツレなのか?」
「……。」
一角の指摘に弓親も黙り込むしかなかった。
確かに霊圧も姿も彼女本人のまま…だが彼女は弓親の知っている名前ではなかった。
「戻るぞ。」
剣八の合図で二人は隊舎に入った。
*
「苗字名前 単独での行動、無断の暗殺実行により処分を下す。」
帰舎した名前は隠密機動の上官と同僚、二人によって取り押さえられていた。
「どういう事ですか?私は指示に従ったまでです。」
「そんな指示は出していない。」
(どういう事…?)
名前は記憶を辿った。
指示の書かれた書類はいつも着替えのロッカーに入れられ、読んだら即座に処分する。
(誰かに嵌められたか…。)
証拠である指示書は自らの手で燃やしてしまった為、示すことが出来ない。
軽率だった、と名前は後悔した。
しかし、既に済んでしまった事なので後戻りは出来ない。
名前は拘置所に入れられた。
柵を施錠され、同僚の姿が消える。名前は置かれていた椅子に座った。
恨みを持つ誰かが名前を嵌めたのだろうが、犯人が誰かなんて見当が付かない。
暗殺を遂行するようになってから、名前は半ば自暴自棄になっていた。
いつ任務で命を落としてもいいとすら思っていた。
自害なんて弓親に顔向けできない死に方は出来ない。
殉職すれば、立派だったって思ってくれるよね?
名前は自嘲気味に笑った。
でも、今回の事で完璧に弓親に嫌われたに違いない。
彼に斬魄刀を向けてしまった。
弓親だけは敵に回したくないと思っていたのに…。
名前は一筋、涙を零した。
*
翌日、名前は拘置所から出された。
取り調べが始まるかと思いきや、いきなり任務を言い渡された。
「現世在中の死神が虚を断界内に逃した。その虚を討伐する事。任務完了次第、今回の不祥事は破門とする。」
突然言い渡された任務に、名前は有無を言わさず出発させられた。
危険度の高い任務だ。
断界の中はどの次元とも干渉しない異次元の空間。
地獄蝶を伴わない断界内は常に不安定だ。
下手をすれば閉じ込められ、一生断界から出られなくなる可能性がある。
(実質、流刑にされたか…。)
かつて、断界は流刑地にされていた。
逃げた虚を追って討伐すると言うのは、余程の理由がなければ通常あり得ない。
この任務は完了しようが、失敗しようがどちらでも良いと言うあからさまな魂胆に名前は苦笑するしか無かった。
断界の扉の前に立った名前。
見送りは昨日から顔を合わせている上司と同僚、二人だけ。
「苗字、虚討伐任務に出発いたします。」
「健闘を祈る。」
二人はそれ以外の言葉を発する事も無く、開いた断界の先を見つめた。
名前は断界に足を踏み込んだ。
扉が見えなくなると、名前は一度立ち止まり辺りを見渡した。
霧のようなモヤが立ち込め、不穏な空気を醸し出している。
既に汚れきった手だ。
生き延びようが命を落とそうが#、#NAME2##にとってはどちらでも良かった。
(ようやく、死ぬことが出来る…。)
任務をこなすだけの辛い毎日からようやく解放される。
昨夜、あんな形だったが弓親に会う事も出来た。
だから、後悔はない。
ないのに、名前の頬には涙が流れた。
「弓親、さようなら。」
名前は虚の捜索を開始した。
*
名前の襲撃を受けたその日の夜——————。
「おい、一体どういう事なんだよ、弓親!」
執務室に入った三人は煎茶の入った湯呑みを眺めていた。
「それは僕だって知りたいよ。…って言うか、キミ、暗殺されるような事したの?」
「する訳ねぇだろ!隊長、聞いてくださいよ!俺は隊長に顔向け出来ねぇような事は絶対してないっス!!!」
「…どうだろうな。」
「隊長~~~!!」
剣八の言葉にショックを受けた一角よりも、深刻な表情を浮かべる弓親。
弓親は明らかに動揺していた。
まずは一角に暗殺命令が下された事…これは何かの間違いだと信じたい。
一角は女遊びはしているものの、揉め事を起こすような事はしない。
一角よりも、名前の事が気になってどうしようもならない。
「ツレ、なんかやべぇ事に巻き込まれてんじゃねぇのか?」
一角の言葉に、弓親は目を見開いた。
彼女が事件に巻き込まれているのは、一目瞭然だった。
「もしそうだったら、名前が危ない!」
居ても立っても居られない弓親。
しかし、一人ではどうする事も出来ない。
「協力してやるよ。」
そんな相方の様子を見ていた一角は呟いた。
「昔っからのお前のツレだろ?なら、見捨てておくなんて男失格だろうが。」
「一角…。」
一角はニッと口元を引き上げた。
流石、喧嘩上等。血の匂いがするものなら喜んで騒ぎ出す十一番隊の一員だ。
「ちっ…めんどくせぇ事に首突っ込みやがって…。」
「すみません…。」
「決まったんなら、さっさと動くぞ。」
剣八まで弓親に協力してくれると言った。
心強い二人の協力があれば彼女を助ける事が出来る。
「名前を救うよ…必ず!」
***
名前は明るくて、根が真っすぐな子だった。
子供の様に無邪気で、弓親は名前を妹のように可愛がっていた。
流魂街にいた時は彼女と一緒にいるお陰で、物寂しい景色も色鮮やかに感じた。
名前は「弓親と一緒に行く!」と言い、僕と一緒に護廷十三隊に入隊した。
隊は離れたものの、定刻が過ぎれば一目散に走ってやってくる。
そしていつも鍛錬での愚痴や雑談を聞かされた。
弓親はその時間がすごく好きだった。
『私、隠密機動に配属されることになったの、実力が認められたのよ!』
名前がそう言った日から、僕はどうすればいいか分からなくなっていた。
そう言っている間にも彼女は昇進し、隠密機動に配属が決まった。
その時から僕の心は激しく揺らいだ。
『弓親…本当の事言ってよ…本当は嬉しくないんじゃ…。』
『嬉しいさ!…嬉しいけど、刑軍だろ…十一番隊だって戦場だけど、ワケが違う。僕は単純に名前が心配なのさ…。』
刑軍に所属すると言うのは、並大抵の強さが無ければ不可能に近い。
それに選ばれたという事は彼女の努力と才能が開花した証拠だった。
喜ばしい事だ。それなのに、弓親は素直に応援できずにいた。
(あんな危険な仕事、誰が喜んでやるの?)
監視、偵察、暗殺、枕仕事…弓親の本音はそんな汚れ仕事を彼女にやらせたくなかった。
だが、僕が反対したら彼女はどう思う?
努力していた姿を誰よりも近くで見ていた僕が彼女を祝ってやらなきゃ、名前は悲しむだろう。
どうして隠密機動に配属される前に異動した方がいいと助言できなかったのだろう?
過去の自分に言えるものなら叱り飛ばしたい。
しかし、こうなってしまった以上、僕に出来る事は彼女の傍で支える事しかできない。
*
『休みを取ったんだ。気晴らしに少し遠くまで出掛けないか?』
仕事や任務が続く彼女の気分転換にと、外出に誘おうと二番隊を訪れた弓親。
名前は余程疲れていると見えて「ありがとう…でも今日は一日ゆっくりしていたいの」と真っ青な顔をしていた。
『どうしたの?酷い顔色だ…相当無理してる。救護詰所に行った方がいいよ』
『気遣ってくれてありがとう…今日一日休めば大丈夫だから…誘ってもらったのに、ごめんね』
『そんな事は気にしなくていい。とにかく、名前は体調を第一に。滋養強壮にいい漢方を贈るから飲むんだよ』
『ありがとう』
その日から彼女と会う事はなくなった。
手紙でのやりとりもしていたが、遂には返事も返って来なくなった。
今思えば、あの時から何かがおかしかったのだと気付くべきだった。
僕は激しく後悔した。
彼女が隠密機動に配属されなければ。
彼女が死神にならなければ…こんな事にはならなかったのに。
悔いる事は山ほどある。
しかし、後悔している暇はない。
今、彼女の身に危機が迫っている。
名前を救い出さなければ。
(必ず、僕が助け出すから…待ってて!)
***
断界の中を走る名前。
一本道だが、モヤに紛れて時折隙間が見える。
だが、無理やり入る程の勇気は出なかった。
入ってしまったら最後、元の道には戻れなくなる気がした。
(霊圧を探ったけど、虚がいるような気配は感じられない…。)
断界内だからなのか、霊圧探知が出来ない。
こうなると五感から感じ取るしか方法はない。
目をこらし、耳を澄まし名前は虚捜索に専念した。
ゴゴゴゴゴゴゴ...
遠くから低音の地響きのような音が聞こえてくる。
まさか拘突ではないだろうか?
一週間に一度、断界内に侵入した者を一掃する化け物だ。
修院生時代の教本で習っただけで実物など見た事がない。
名前は恐怖で足がすくんだ。
(あれが拘突…私はあれで…。)
頭に点いた光が物凄い速さで迫って来る。
小さな点だと思っていた物体はあっという間に目の前まで迫ってきていた。
頭で分かっていたが、いざ目の前にすると恐怖でパニックに陥った。
(どうすればいいの?どうやって逃げたら…そうだ、隙間に隠れれば…。)
しかし、小さな隙間は奥行きなど無くなく、拘突の大きな体は壁すら抉って突き進んでいる。
免れる事は出来なかった。
ゴオオオオオォォォ!!!!!
凄まじい轟音と地響き。
拘突の光が名前を捕えた。
名前は眩しさで目が眩み、視界は真っ白になった。
(本当にもう死ぬんだ…。)
名前は涙を流しながら、意識を手放した。
「——————名前!!!!
薄れゆく意識の中、誰かが私の名前を呼んでいる気がした。
*
数時間前、朝日が昇ってすぐ二番隊隊舎に来客があった。
「ざ…更木隊長…!」
「急用だ。砕蜂を呼んで来い。」
早朝の慌ただしい時間。
十一番隊の面々が来訪した事に、その場にいた二番隊の隊員達はたじろいだ。
観衆が集まる中、颯爽と現れた砕蜂の喝が飛んだ。
「見世物じゃないぞ、さっさと持ち場へ戻れ!」
砕蜂の登場であっという間に観衆は散って行った。
「小さいのに凄い迫力だな…」と一角が思っていると、剣八の背中にいたやちるが肩から乗り出した。
「ふぉんふぉん、おっはよー!!!」
「こんな朝早くから、一体何の用だ!?」
砕蜂はやちるの挨拶を無視し、剣八に食って掛かった。
剣八は振り返り、後ろにいた弓親に合図した。
弓親は剣八の隣に立ち、口を開いた。
「苗字名前に会わせてください。」
「苗字…?アイツは昨日から無断欠勤しているぞ。」
砕蜂の言葉に弓親は目を細めた。
「はぁっ!?どういう事だ?俺は昨夜その苗字って子に殺されかけてるんだぞ!」
後ろから叫んだのは一角だった。
暗殺指示を隠密機動軍団長が知らない筈がない。
ならば、何故名前は一角を襲撃した?
「彼女は今、何処にいる?名前に危険が迫ってるかもしれないんだ。」
砕蜂はただ事ではないと察知し、即座に裏廷隊の伝令兵を呼んだ。
「苗字名前を捜索しろ!」
「了解。」
その様子を見ていた弓親は更に言及した。
「一角に暗殺指示は出ていたんですか?昨日、名前は『暗殺指示が下った』と言っていたんです。指示を出せる人間は限られている筈ですよね?」
「隊員に暗殺指示を出しているのは五人。上(四十六室)から下った内容が私に通達され、私が直接五人のいずれかに指示を出す。…斑目の暗殺指示は上から通達されていない。私も指示を下していない。」
一角は「良かった~」と安堵の表情を浮かべた。
「じゃあ、その五人の誰かが名前に指示を出したって事ですね?」
「まだ確定した訳ではないが、可能性は高い。」
砕蜂は耳に装着しているイヤホン型のインカムに手を当て、何処かに通話した。
「特定できたか?……穿界門だな、分かった。」
砕蜂は十一番隊の四人に向き直った。
「苗字は今、穿界門前にいる。一刻を争う、私は先に行く。」
砕蜂は瞬歩で姿を消し、四人は全速力で穿界門に向かって走り出した。
名前は一人ではない筈だ。穿界門を通って現世へ行くつもりなのか?
それとも、かつて流刑地にされていた場所であることを考えると…。
弓親は早まる気持ちを胸に、全速力で穿界門に向かった。
穿界門前に到着すると、既に門の前で二人の隊員が捕縛されていた。
「私の目を盗んで、何をしていた?」
砕蜂の追及に隊員二人は黙秘していた。走って息の整わない弓親は、沈黙する隊員の前に立った。
怒りで霊圧を滾らせ、二人の隊員をすごませた。
「名前はどこ?彼女の身に何かあったら許さないよ。」
「ひぃいいいい!!!」
剣八に劣らぬ霊圧の威圧に隊員は恐怖した。
「断界内です!もう直ぐ拘突が来るはず…。」
弓親は隊員の言葉を全て聞き終わる前に断界へ飛び込んで行った。
時間が無い。一刻も早く行かなければ、助けることは出来ない。
「剣ちゃん、私たちも行くよ!」
「待て!更木、拘突が来るんだぞ!貴様死ぬもつりか?!」
砕蜂の制止に、剣八は冷静に答えた。
「死にに飛び込む馬鹿がいるか。連れて戻る。俺の部下も勝手に行っちまったしな。」
「…頼んだぞ。」
砕蜂は指揮官の立場上、救出に向かうことが来ない。自身の部下の救出を剣八に託した。
「一角、そっちは頼んだぞ!」
「隊長、任せてくだせぇ!」
剣八とやちるは穿界門を潜った。
*
拘流のモヤが断界内を漂っている。
薄暗い一本道をひたすら走っていると、行く先には光が見える。
そしてよく目を凝らすと、先の道端に誰かが倒れている。
「隊長、いました!!!」
弓親は瞬歩で倒れている人物に駆け寄る。
馴染みの霊圧。顔を見ると、名前に違いなかった。
意識は失っているが、怪我はしていないようで弓親は一先ず安堵した。
ドドドドドドドドド…!!!
その間にも拘突は恐ろしい速さで四人に迫っていた。
「汽車みたい!まぶしいー!」
やちるははしゃいでいる。剣八も同じく口元を引き上げ、目を輝かせている。
「拘突は斬った事がねぇ…面白れえ!!!」
拘突に触れると外界との時間軸が百年ずらされ、肉体が付いて行けずにその者は死ぬ。
「隊長、拘突に触っちゃ駄目ですよ!!!」
「わーってる!」
剣八は斬魄刀を握り、一太刀振るった。
斬撃は何事もなかったかのように飲み込まれていく。
「いいじゃねぇか。」
弓親は倒れている彼女の体を抱き上げ、もと来た道を走り出した。
「隊長、名前を連れて戻ります!」
「ゆみちー落とさないでね~!」
「副隊長も転ばないように気を付けて下さいね!」
やちるを先導に名前を背負った弓親が後を追う。
(良かった…もうこの手、絶対離さないから。)
弓親は背負った名前の手を強く握り、心に強く誓った。
剣八は眼帯を取り、目の前まで迫って来ている拘突に向かって立ちはだかった。
斬魄刀の柄を両手で握り、大きく息をした。
「うおおおおおおおっ!!!」
霊圧を高め、思い切り放った斬撃は拘突を直撃した。
大きな斬撃の後が付いたが、すぐに回復できるようでみるみるうちに治っていく。
「ちっ、バケモンかよ。」
本当は最後まで決着を付けたかったが、拘突は断界内では必要な存在。
斬って無くなってしまえば、山爺の説教だけでは済まされないだろう。
拘突が回復で動けない内に見切りを付けて戻る事にした。
*
穿界門を潜り抜け、再び瀞霊廷に戻ってきた三人は多くの死神達に迎えられた。
弓親たちの体感で言えば、数十分の出来事が、外の世界では数時間経っていたようだ。
一番先に出てきたやちるの三刻後(六時間)に剣八が出てきている。
「隊長が戻って来たぞー!」
「剣ちゃんおそいー!」
「お怪我はありませんか?」
駆け寄ってきた十一番隊隊員は涙を流しながら剣八を迎えた。
「なんで夕方になってんだ?」
「断界内は時間の流れが狂ってるんですよ!隊長に何かあったらって思ったら俺たちもう…。」
泣く隊員の頭をしばき、剣八の前に現れたのは一角だった。
「隊長がくたばるワケねぇだろうが!隊長…おかえりなさい。」
「おう。拘突の奴、斬っても馬鹿みてぇな速さで回復しやがってよ。」
「拘突に斬撃入れたんスか!?ぎゃははは、流石、俺らの隊長だ!」
盛り上がる隊員達をよそに、剣八は弓親の姿を探した。
「弓親はどこに行きやがった?」
「あぁ、アイツは救護詰所っス…しばらくは帰って来ないと思います。」
*
四番隊救護詰所———。
「名前さんの体は異常が見られないようです。意識が戻ったら呼んで頂けますか?」
「分かりました。」
瀞霊廷に戻ってきた弓親は、名前を四番隊の治療班に引き渡した。
処置が終わり、個室に入った名前のベッドの脇に置いた椅子に座り、弓親は彼女を見つめていた。
昨夜は暗くてまじまじと見られなかったが、彼女は瘦せこけて見える。真っ青な顔色は生気が感じられなかった。
(名前が変わってしまったのは、紛れもなく隠密機動に配属されてからだ…。)
明るく天真爛漫な面影は何処へ消えてしまったのか。変わり果てた名前の姿に弓親は胸を痛めた。
「……っ!?」
ぴくり、と名前の指が動いた。
弓親は重ねていた彼女の手を握った。
「……っ。」
呼吸器を取り付けられている名前は息苦しそうに目を開けた。
「名前、分かる?」
名前はぼやけた視界を正すように何度も瞬きを繰り返し、今まで何をしていたのか思い出そうと試みた。
名前は長い夢を見ていたようだった。
真っ暗な場所で何かを探していて、気が付いたら眩しい光に目が眩んで、そこから何も覚えていない。
「名前、目が覚めたんだね。僕が誰だか分かるかい?」
名前は自身の名を呼ぶ人物をゆっくりと眺めた。
「弓親…これは夢…?」
「夢じゃないよ、名前。キミは危うく死ぬところだったんだよ。」
名前は一瞬考え、目を瞑った。
弓親は彼女の手を握り、意識朦朧としている名前に現実であることを伝えようとした。
「夢じゃない…夢じゃ…!?」
名前は突如目を見開き、弓親の手を払いのけた。
そして呼吸器を乱雑に取り外し、体を震わせた。
「私に触れないで…!汚れた私が、弓親に会う資格なんてない!!」
「名前!?落ち着いて。どうしたの!?」
呼吸器が取り外されモニターにエラーが表示され警告音が鳴り響く。異変を察知した隊員が数人、個室に駆け付けた。
「どうかされましたか!?」
「目を覚ました途端、パニックになってしまって!名前!!」
「いやあああっ!!」
暴れる名前の様子を見てただ事ではないと判断し、救護隊の隊員は弓親に退室してもらうよう促した。
「綾瀬川さん、一度退室願います。後は私たちに任せてください。」
「分かりました…お願いします。」
個室から出た弓親は胸のざわつきを覚えながら、一度外の空気を吸いに救護詰所を出た。
*
外は陽が落ち、すっかり暗くなっていた。
「お、弓親!彼女の様子はどうだった?」
救護詰所の門の外では一角が弓親を待っていた。
弓親の硬い表情を見て「まだ予断を許さないって感じか?」と尋ねた。
「いや…意識は戻ったんだ。だけど…。」
「『だけど』なんだよ?」
まだバクバクと早く心臓が脈を打っている。弓親は冷や汗が止まらなかった。
顔色の悪い相方の肩を一角はバン、と叩いた。
「取り敢えず、飯食いに行こうぜ。お前今日、何にも食ってねぇだろ?」
「今は食べたくないから…。」
「いいから、行くぞ!」
「ちょっと…!放せよ…!!!」
弓親の言葉を無視し、一角は腕を引っ張って近場の居酒屋に入った。
腹が減っては冷静でいられる訳がない。先ずは腹ごしらえだ。
一角が勝手に注文した料理を食べさせられた弓親だったが、腹が膨れると自然と荒れた心も静まりを取り戻した。
店を出た一角は弓親の方を振り返った。
「彼女んとこ戻るのか?」
「あぁ…今日は話が出来ないかもしれない。でも、彼女の顔を一度だけ見たら、僕も帰るから。」
「そうかよ、じゃあな。」
一角は手をひらひらと軽く振り、言葉の代わりにエールを送っておいた。
(一角、感謝するよ。)
彼の気遣いに感謝しつつ、弓親は再び救護詰所に戻った。
*
隊員に声を掛け、弓親は名前の様子を尋ねた。
「名前さんは酷く取り乱していて…ですが、綾瀬川さんの姿が見え無くなると直ぐに落ち着いたんです。」
「どういう事ですか…?」
隊員は深くは語らず、首を振った。
「今の苗字さんの精神状態はとても不安定です。時間が…必要なんです。」
「……っ!?」
今まで考えた事もなかったが、彼女がこうなったのは自分のせいなのだろうか?
隊員は頭を下げ、弓親の前から立ち去った。
一体どうしたらいいのか?
今は彼女の心をかき乱すような事をしない方がいいのは分かっていたが、キチンと話がしたかった。
結局、弓親は個室の前に来ていた。
扉はない為、中の様子は伺える。
彼女の顔が一瞬でも見えたら帰ろう、そう思って部屋を見ていると…。
「名前、やめろ…!!」
弓親は斬魄刀で自身の首を掻き切ろうとしている名前の右手首を掴んだ。
「弓親…!?離して!!」
「名前!こんな事して、僕が許すと思っているのかい!?」
斬魄刀は所有者の命の次に大事な物だからこそ側に置いていたようだが、不安定な彼女にその配慮は間違っていた。
「離してっ…!お願い、もう楽にさせて…。こんな姿…弓親に見られたくなかったの…!」
名前は斬魄刀を落とし、泣き崩れた。
「名前、教えて。どうして僕を避けるの?僕に顔向けできない理由があるの?」
「私は暗殺部隊。何人も人を殺してしまった。私の手は汚れてる。もう、綺麗にならないの…!弓親に会う資格なんてないの…!」
弓親は大きく深呼吸し、名前の手をぎゅっと握った。
「名前は汚れてなんかいない。キミが隠密機動に配属された時から、そうなる事は覚悟していたさ…。」
名前は涙を零しながら弓親を見つめた。
弓親は優しい表情で、これまでの経緯を説明してくれた。
名前に指示して一角を暗殺しようとした隊員は、秘密裏に個人からの暗殺を引き受けていた。多額の金銭を対価に、依頼された暗殺を指示していたようだ。
今回の件で事件が明るみになり、大規模な調査が行われる。
更に名前を嵌めた隊員の悪事は続く。
隠密機動に配属されて会う事が難しくなり、文通をしていた名前と弓親の手紙や贈り物を上の隊員が横領していたと言うのだ。
これには弓親も怒りを通り越し、呆れていた。
弓親の話を聞き終え、名前は安堵に包まれていた。
名前は弓親に愛想を尽かされたと思い込んでいたが、それは誤解だったようだ。
弓親の話を聞き終えた名前は「ごめんなさい…!」と涙を流しながら謝罪した。
「名前が謝る必要ないだろ…謝らなきゃいけないのは、僕の方だ…キミの気持ちに気付かず、こんなになるまで追い詰めてしまった。」
「弓親…本当に、私は汚れてない…?また、弓親の隣にいていいの…?」
「当たり前だろ。」
「ほんとに…?」
「あぁ。」
名前は再び涙を流した。
弓親はハンカチを取り出し、名前の頬に流れた涙を優しくふき取った。
「弓親…私、何だか眠くなってきちゃった。」
「あぁ、ゆっくりお眠り。また名前が元気になったら、迎えに行く。」
「ほんと…?嬉しい。」
名前をベッドに寝かせ、掛け布団を掛けた。
手を握り、名前が眠りにつくのを見届け、弓親は椅子から立ち上がった。
先程落ちた彼女の斬魄刀を拾い上げ、救護詰所の隊員に斬魄刀を手渡した。
すると、隊員は名前と弓親のやり取りを見ていたようで謝罪した。
「すみません、斬魄刀を傍に置いたのは迂闊でした。本当に申し訳ありません。」
弓親が止めなければ、危うく自害してしまう所だった。
それほど精神的に追い詰められていたと、誰もが思っていなかったので仕方ない所はある。
しかし、救護詰所は常に心身共に安心である場所であって欲しい。
深々と頭を下げる隊員に弓親は「後は頼みますね」と声を掛けて建物を後にした。
***
数週間後——————。
裏金で暗殺を請け負っていた隊員二名は懲戒免職処分が言い渡され、余罪を追及されていた。
全ての罪が明らかになれば、最終的な処分が下されるであろう。
何人もの命が失われているようで、処刑は免れないだろう…。
弓親は雑誌を閉じ、救護詰所を訪れた。
今日は名前の退院日だった。
治療は慎重に行われ、精神的に不安定だった名前も自分に自信が付いてくる程に回復した。
名前は隠密機動への復帰はせず、七番隊へ異動する事になった。
信頼している射場さんの下という事もあり、不安はなかった。
「荷物はこれで全部のはず!」
名前は荷物をまとめて、退院準備を進めていた。
「忘れ物はないかい?」
「弓親!」
部屋を訪れた弓親の姿を見て、名前はぱぁっと目を輝かせた。
「約束通り迎えに来たよ。」
名前は嬉しさと照れ臭さを感じつつ「ありがとう」と笑った。
「荷物、持つよ。」
「大丈夫、自分で持てるから!」
優しい弓親の気遣いがむず痒く、名前は顔を赤らめた。
「良かった…僕の知ってる名前だ。」
療養中、名前は精神面でのケアを重点的に行った。
治療の甲斐あり、昔と同じまでに笑う事も出来るようになった。
「心配ばかり掛けちゃってごめんね…私、もう大丈夫だから!」
名前は荷物を持ち、救護詰所の隊員に挨拶をした。
「名前、快気祝いに何処か行こう。何処がいい?」
名前はしばらく考えて、窓の外を眺めた。
季節は桜が咲き始める頃だった。
「桜を見に行きたいな。」
「いいね。そう言って、花見団子が食べたいんだろう?」
「え、なんで分かったの!?」
「昔っからそうだったじゃないか。名前は花より団子だったよね。」
「子ども扱いしないでよね!これでも私、花を愛でる事を覚えたんだから。」
「ふふ…。」
あの頃と変わらない、無邪気な笑顔。
僕が傍に居る限り、曇らせないよ。
例え、汚れてしまっても
僕はその手を放さない。
【汚れた手を取るのは】...end.