月光に毒される
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
***
「早う起き上がれ、まだやれるじゃろうが!」
十一番隊隊舎の外にある鍛錬場で声を張り上げるのは、十一番隊で三席の射場鉄左衛門。十一番隊に配属されて間もない新人隊士、斑目一角に鍛錬を施していた。やたらと威勢のいい男で、他の隊員より抜きんでて戦闘が好きだった。流魂街時代に現在の更木剣八に惚れ込み、後を追って死神になったそうだが、実力はまだまだ伴っていない。現にこうして鬼道技に全く太刀打ち出来ていない。
「っは…んなもん痛くも痒くもねぇっ…!」
「口の利き方から教えにゃあいけんな。」
瓦礫の中で立ち上がろうとする一角に向けて鉄左衛門は赤石砲を打った。
一角は素早くそれを避け、始解した斬魄刀で鉄左衛門に斬りかかった。
「遅い!!」
瞬歩で彼の背後を取り、蹴り飛ばす。一角は再び地面に叩き付けられた。
「って~~~!!」
「まだまだじゃのぉ…。」
一角は剣八同様、鬼道が全く使えない。剣八を志しているようだが、実力の差は歴然だ。
「鉄さん、俺は諦めが悪いもんでねぇ。」
「じゃかしい!」
射場と一角の戦闘を横で見ているのは、同じく一角と同時期に十一番隊に配属された綾瀬川弓親。念願の更木隊に配属が決まった時の、一角の喜ぶ表情が忘れられない。始めは抵抗があるものなのかと思っていたが、いざ死神になってしまうとすんなりと業務や規律になじむことが出来た。
仕事さえこなせば、他の規則は案外緩いものだ。
(僕は満足しているよ。)
実力次第でいくらでも欲しい物が手に入る。力も金も…毎日飽きのこない生活。命を落としたとしても、闘いの中で死ねるなら誇りに思える。十一番隊は正しく自分たちの為にある隊だ。毎日のように傷だらけになっている一角だが、その表情は喜びに満ちていた。
***
時間の流れは速く、あっという間に数年が経った。名前は久枝と共に畑や鶏の世話をしたり山菜、薬草の知識を深めていった。時に鹿や猪を仕留め、調理して久枝に振舞った。肉を使った料理は主にあの二人の男に教わったのだが、役に立っているので覚えて良かったと思った。
「猪鍋、ほんとに美味しい。」
久枝も#NAME2##の肉料理が美味しいと喜んだ。食べきれない肉は乾燥させ、干し肉や佃煮にして保存食を作った。死神との取引に持っていくと「これは売れる」と文吉は高値で買ってくれた。
*
秋は深まり、冬支度が始まる。木の葉は青から鮮やかな黄、赤に染まり、枯れ始めていた。そんな時、秋の味覚を採集していると名前と久枝は熊と遭遇した。熊は二人から目を離さず、攻撃の機会を伺っていた。名前は食事として捕獲するか思案していた。
「熊肉はクセが強いが、食べられない事はない。」
「確かに、熊の血肉は薬になるけど…実際食べた事なんてないわよ。」
「冬眠する前だから、脂が乗ってる。」
「…アンタ、相当飢えていたんだね。」
「……。」
そう言っている間にも襲い掛かってくる熊。名前は熊の顎を蹴り上げた。熊は一瞬怯んだが、名前に襲い掛かる。名前は顔面と喉元に拳を叩きこんだ。熊は仰向けに倒れ込み、気絶した。
「殺してはいない。気絶してるだけだ。」
「そう言えば前、文吉さんが熊肉食べたいって言ってなかったっけ?」
「あぁ…確かそんな事言っていたな。」
「私も熊の血肉で薬は作った事はないから、やってみたいかも。」
「…分かった。」
名前は熊が目覚めない内に処理を始めた。
*
「まさか、本当に熊肉を振舞って頂けるとは思ってもいませんでしたよ。」
久枝の住む家に招かれた文吉と左之助は、縁側に腰かけ、干された熊の皮を見た。
約束通り、名前は文吉と左之助に熊肉を振舞った。
「鮮度が良いから臭みがないかと思ってたけど、やっぱ獣臭がするわね。」
外に作った石かまどで、久枝は鍋をかき混ぜながら味見した。
「血の臭いと獣臭さは別。酒と食材でだいぶ匂いは消えてる筈だけど。」
串に刺した肉を焼く名前は完全に火が通った事を確認した。
「出来ました。どうぞ、お召し上がりください。」
味噌仕立ての鍋と山椒と塩で味を付けた串焼き。四人は鍋を囲みながら食事を始めた。
「おぉ…これが熊肉…成程成程。」
「あら、案外美味しいじゃない。言われなきゃ熊肉だなんて分からないわよ。」
文吉と久枝は箸を止めることなく食べ進めていく。名前は無言で食べる左之助を横目で見ながら自身も箸を進めた。食事を終え、久枝は文吉と左之助を見送る。
「今度の取引には佃煮を作っておきますね。」
「鮮度が良いので、値が付きますよ。薬も作るのでしょう?私はそちらの方が楽しみですが。」
「うまくいくか分かりませんよ。」
久枝は苦笑いしながら文吉に返答した。
「ご馳走様でした。では、また。」
どうやら二人には満足してもらえたようだ。口に合うだろうかと少し緊張していた名前だったが、肩の荷が下りたような気がした。文吉と左之助を見送ると久枝は口を開いた。
「さ、冬もすぐ目の前に来てることだし、早く支度をしないとね!」
***
名前は集めてきた枝を手頃な大きさに切り揃えていた。この辺りは雪が降り積もる為、秋の内に薪を準備しなければならない。久枝は追加の木を切り倒しに山に入って行った。今日は風が冷たい。獣から取った毛皮の上着を羽織りながら名前は作業を進めた。
日が傾き、敷地が陰に入った。太陽のぬくもりが消え、段々と寒くなる。
久枝の帰りはまだだろうかと思いながら、名前は作業を続けた。風が強く吹き、揺れる木々の音が妙に騒がしいと思った。
(妙な気配だ…。)
奇妙な気配が気に掛かり、名前は薪を割る手を止めた。その音は徐々にこの家に近付いている気がした。
(嫌な予感がする。)
下の方から何とも言えないただならぬ気配を感じる。霊圧は感じない。本能的に感じる嫌な予感だ。名前は森の先をジッと見つめる。そして嫌な気配の現況が目に入った。下った先の森の木が次々になぎ倒され、こちらに進んで来るではないか。木々が高く、まだ姿は見えない。名前は短刀を抜き、身構えた。
ドン、ドン、ドッシーン!!!
ズドドドドドド...
尋常じゃない速さだ。何者かが木をなぎ倒している事は間違いない。名前は鳥肌を立たせ、全身を強張らせた。今までどんな動物の気配も感じ取ることが出来たが、目の前にいる筈の者の霊圧が全く感じ取れないのだ。霊圧が分からない以上、相手が強いのか弱いのか、大きいのか小さいのかも検討が付かない。しかし家の敷地に入れば、その姿を確認することが出来るだろう。名前は目を離さず、その光景を見つめた。敷地直前まで気がなぎ倒され、音が止んだ。急に止まった進撃に名前の緊張が高まる。
ゴオオオッ!!!
突如、敷地内の畑や道具が吹き飛ばされ、粉々になった。風の様な透明な何かが此処にある物全てをなぎ倒し、破壊していく。そして名前も得体の知れない何かに吹き飛ばされた。
「ぐっ!!」
土手に吹き飛ばされ、草木や道具が名前に向かって飛んでくる。名前は物をどかしながら周囲の状況を確認する。やはり何も見えない。竜巻のような風が吹いたり、本来飛ぶはずのない方向に物が飛んでいく。見えない何かがそこにいるようだ。名前は瞬歩を使い、敵の位置を探る。敵は名前に打撃を加え、吹き飛ばした。
(今、何かに殴られた…。)
姿は見えないが、何かが名前の体に打撃を入れた。硬い皮だった。虚の可能性が高い。今まで姿の見えない虚など遭遇したことがない。強い虚なのかもしれない。この状況が劣勢であることに間違いない。どうにかして敵の位置を知り、こちらからの攻撃を与えなければ喰われてしまう。
「っぐ…あああぁ!」
名前は何かに捕まれ、空中に体が浮いた。とんでもない力で握り潰される。メキメキと骨が折れていく。抵抗しようにも、なす術がない。
(このままでは…まずいっ!!!一体どうしたら…。)
一切攻撃が出来ず、正体さえ分からない。名前は朦朧とする意識の中で死期を感じ取った。もう死ぬのだ。死とはこうも容易く訪れるものなのだと、身に染みて感じた。
(久枝…戻って来るな。)
家や畑は壊滅状態。この状況だと森の中にいても気づくだろう。しかし名前でさえ全く歯に立たない相手だ。久枝が来た所で、手を打つ事無く敗れる姿が容易に目に浮かぶ。彼女だけでも助かってほしい。
「ぐああああっ!!!」
いよいよもって体が限界を迎える。骨が軋み、内臓の潰される感覚。もう終わりだ。
「—————!!!」
その時、名前目がけて閃光が放たれた。
バンッ!!!
閃光は握り潰す者の何かに当たり、名前は地面に転がり落ちる。
「っはぁ…!」
名前は痛む体に鞭を打ち、その場から距離を取った。
(誰かが攻撃した…誰だ?)
名前が霊圧を感知する前に、その者は森から姿を現した。
(左之助…!?)
名前を助けたのは、いつも文吉と共にいる左之助だった。彼はいつも着ている作務衣姿ではなく、死覇装を着用し、手には斬魄刀を握っていた。
「やはりここに逃げ込んできたか。」
左之助が持つ瓶から、赤い液体のようなものが飛び散る。その液体が掛かった場所から、目に見えなかった敵の姿が露わになった。
(虚……!)
左之助は隙を作ることなく、斬魄刀を解放させた。左之助の周囲にたちまち炎が巻き上がる。名前が見ていると左之助は虚を縛り付ける術を発動し、あっという間に敵を倒してしまった。左之助が斬魄刀をしまうと炎が消え、辺りは暗くなった。
「……。」
名前は呆然と左之助を見つめていると、彼が静かに口を開いた。
「流魂街を荒らし回っていた虚だ。この近辺で目撃情報があったので、こちらに逃げたのではないかと思って来たら…的中したな。」
以前から左之助は、気配から只物ではないと思っていたが、やはり強かった。今まで見てきた強者が使わないような術を使っていた。戦術は違うので何とも言えないが、もしかしたら憎きあの男よりも強いのではないだろうか?
「っつ……げほっげっほ…!」
緊張の糸が緩み、名前は自身が負傷している事を思い出した。
自身が分かるだけで腕の骨、肋骨が骨折した。他にも内臓や数か所の打撲、裂傷…痛みから立ち上がることが出来ない。
「名前っ、大丈夫!?」
しばらくして森の方から聞こえてきた声に二人は顔を上げた。久枝が走ってくる。
「森の奥からでも聞こえてきたよ。名前、怪我してるじゃないか!虚かい?」
左之助は頷いた。久枝は名前の体に触れ、怪我の具合を確かめた。
「骨が折れてる…。息は出来るかい?」
「あぁ…。」
左之助は何やら機械のような物を使い、誰かと会話している。死神の本部と通話しているようだ。通話が終わり、久枝は左之助に声を掛けた。
「左之助さん、運ぶの手伝ってくれる?」
久枝は持ってきた担架を名前の下に敷いた。久枝と左之助は担架を持って名前を家に運んだ。虚によって破壊された屋内は滅茶苦茶になっていた。それでも久枝は冷静に名前の治療の準備を始めた。
畑や家は破壊され、元に戻すまでには時間が掛かりそうだ。それでも今必要な道具だけは引っ張り出し、名前の治療と人数分の食事を用意した。完全に日が落ち、真っ暗な屋内。壁や天井が破損している為、家としての機能を果たさず、どんどん寒くなってくる。
「救護隊を要請した。」
「瀞霊廷から来るんでしょ?なら、急いだとしてもここに着くのは明日ね。」
「そうだな。」
名前の傷は即死する怪我ではなかったが、手当てをしなければ手遅れになってもおかしくない。
「まぁ、任せてよ。こんな私でも回道は使えるんだから!」
久枝は着物の袖を縛り、ウィンクした。名前は自身を治療する久枝を見ながら考えた。
(虚相手に全く歯が立たなかった…。)
名前は悔しさに歯を食いしばった。
*
名前の応急処置が済んだ事を見届けた左之助は立ち上がった。
「私は瀞霊廷に戻る。救護隊に治療と家屋の修繕を援助するように頼んだ。用事はその者達に頼むといいだろう。」
「分かった。左之助さん、ありがとう。」
名前は去ろうとする左之助を呼び止めた。
「私には…何が足りない?」
しばらく考えていた左之助だったが、やがて名前に向き直り言い放った。
「力は洗練されておらず、能力が発揮されていない。今みたいに鬼道の術に嵌ってしまったら一撃だ。」
「……。」
言い返す事が出来ない。正に左之助の言う通りだ。今まで強くなったと過信していただけに、名前のショックは大きい。命を救われたから悔しいのではない。自分の命すら守ることも出来ない、弱い自分に腹が立つ。
(このままでいいのか?弱いままで…。)
強くなりたいと思った。今以上に強くなるためには、どうしたらいいのか…。名前は拳を強く握り、歯を食いしばって床を叩いた。
*
翌日、応援の死神達が到着し、家屋の修繕が始まった。名前の傷は久枝の回道により概ねは回復していたため、死神から治療を受ける事はなかった。
***
ひと月後…。
「もう問題なく動けるね。」
久枝は鍛錬する名前を見て笑った。以前と同様に動けるまでに回復した名前。鍛錬する名前の表情は真剣そのもの。
「……。」
敗北したあの日から名前の思考は大きく変わった。虚に全く太刀打ちできなかった事に大きな無力感を感じていた。今までにない絶望感を感じ、名前は恐怖した。このままではいけない。それは誰に言われるまでもなく名前自身が一番よく理解していた。今までと同じ鍛錬で今以上に強くなることは出来ない。これまで以上に強くなるためにはどうしたらいいのか。
「久枝さん…教えてほしい事がある。左之助が使っていた力、久枝さんが使っていた力について教えてほしい。」
名前は左之助や久枝が使ていた謎の力について知りたかった。物理攻撃しかできない名前にとって、摩訶不思議な力。使いこなせるようになれば更に強くなれるだろう。
「興味があるのかい?」
「あぁ。」
「話が長くなるから、お茶を淹れようか。」
久枝は死神の力…鬼道について話し始めた。名前は久枝の話を興味深く聞いていた。
(名前はきっと…死神になるだろうね。)
以前から久枝は名前はいずれ死神になるのだろう、と薄々感じていた。この話を尋ねてきたことでその推察はより濃厚なものになった。彼女の口からその言葉を聞くまでは黙って見守ろう。久枝は名前を見ながら思った。
***
それから一年が経った。
壊れた家は概ね修繕できたが、元通りとはいかない。作物を作りながら、二人で修繕に当たった。その合間を縫って名前は鍛錬に励んでいた。久枝から教えられた鬼道の練習を毎日繰り返した。泳ぎとは違い、鬼道はすんなり使いこなせる物ではない。小さな霊圧の塊を作り出せるようになるまで、かなりの時間を要した。鬼道を使えるようになれば空中にも浮く事が出来るらしい。久枝は数個の鬼道の技は繰り出せても、空中に浮く事は出来ない。鬼道によって繰り出せる技はとても多いと言う。これが使いこなせるようになれば、今まで以上に強くなれると名前は確信した。
*
「名前、この薬草をすり鉢で粉にしてくれるかい?」
「分かった。」
久枝は専ら薬を作ることが好きだった。何やら分厚い専門書を読みながら、山で採ってきた薬草を乾燥して粉し、調合している。
「名前は興味あるかい?」
「薬?難しそうだな…。」
幾つもの薬草を分量通りに調合している久枝の姿を見て、名前はとても自分には出来ない作業だと思った。
「まぁね~私、鬼道は余り使えないけど、薬については先生と呼ばれてもいいくらい、博識なんだからね!」
文吉が高値で久枝の薬を買っている所を見ているので、上等な物だという事は理解していた。しかし今の名前に薬学の知識を頭の中に叩き込む余力はない。
「もし薬について知りたかったら、気兼ねなく言ってよね!」
「…あぁ。」
***
「死神になる。」
ついに名前から打ち明けられた告白に久枝は頷いた。
「あぁ、私は止めないよ。」
いつか来ると思っていた事だ。久枝は至って冷静に答えた。
「世話になった。もう今までの様に手伝いは出来ない…申し訳ない。」
「そんな事、全然気にしないさ。前みたいに一人でのんびりやってくよ。」
久枝の返答に名前はクスリと笑みを零した。死神になる方法は先日の取引時に、文吉と左之助の二人に聞いた。先ずは試験を受けて合格し、真央霊術院に入学して基礎を学ぶ。実践で力を付け、課題を収め、単位を取ることによって真央霊術院を卒業し、初めて死神になることが出来る。
「応援してる!時には此処に顔を出すんだよ。」
「必ず…!」
名前と久枝は抱擁を交わした。
(応援してるよ…名前!)
久枝は名前の死神になった姿を思い浮かべた。彼女といつかまた会える日まで。名前は山を下山した。
***
自然豊かな場所を離れ、人が集う町に出るのは息が詰まった。やはり私は自然が好きなのだと実感する。野宿しながら、何日もかけて瀞霊廷付近まで歩いた。
「よぉ姉ちゃん。荷物を持って旅行かい?」
(またか…。)
例にもよってチンピラや人攫いに遭遇するも、名前は冷静に対処した。いちいち相手にするのも面倒なので、名前は瞬歩で撒いた。
瀞霊廷に近付くにつれて町は整備され、治安が保たれているように見える。人通りが多くなると「この環境にも慣れなければ…」と名前は思った。真央霊術院の入学試験に臨む為には、護廷十三隊の基本となる事柄を把握していなければならない。それにまつわる内容が書された本を手に入れ、勉強する必要があるのだが、先ずはその期間寝泊まりする宿を見つけなければならない。中心街は細かく住む場所が割り当てられており、空き家は見られないように感じた。
(野宿して毎日通うか…。)
最悪そうしようと考えながら、町中を歩いていると名前に話し掛けて来る人物がいた。
「お、アンタ、久しい顔だな。」
名前に声を掛けたのは以前、治療で世話になった組合の頭領。名前は…。
「大丸だ。アンタは死神にはならなかったなんだな。」
「その節は世話になった。」
偶然と言うべきか。大丸組合は金さえ払えば何でも頼める便利屋だ。
宿の一つや二つ、持っているに違いない。
「頼みがある。」
大丸と名前は組合が金貸しとして使っている店舗に入った。名前の話を聞く大丸は葉巻を吸いながら息を吐いた。嗅ぎ慣れぬ煙草の匂いに名前は眉間に皺を寄せた。
「ほぉ…死神になりたいってか。アンタなら特待生として、直ぐに入れるだろうな。」
「問題は筆記試験…私が知らないような内容ばかりで…勉強しなければ試験に臨めない。寝泊まりする宿だけでいい、対価は払う。貸しては貰えないだろうか?」
「あぁ、いいとも。」
大丸は名前の依頼を承諾した。
「代金はいい、その代わりと言っちゃなんだ…こちらもお前さんに頼みたい事がある。」
大丸が意味深に口元を引き上げる。警戒する名前を見て大丸は笑った。
「はっはっは。なぁに、ただ用心棒を頼みたいだけだ。」
「本当にそれだけか?」
他にも何か企んでいそうな大丸を見据える名前だが「今の所はな」と呟いた。
「お前さんが使う部屋に案内するよう使用人に頼んでおくから、このまま待っていてくれ。」
「礼を言う。」
「依頼の件はのちに。それまで自由にしててくれ。」
*
案内された部屋に荷物を置き、整理を終えた名前は町に出た。書店に向かって歩いていると、様々な町民や店にすれ違った。生活道具を売る商店、食堂、酒屋、劇場に散髪屋など閑散した村には無かった店が所狭しと並んでいる。霊圧を探るとそれなりに力ある者も多く住んでいる為か、食べ物も売られており飢えに困ることはないと思った。
書店を見つけた名前は陳列されている本の見出しに目を通していく。
「いらっしゃい。何をお探しで?」
店主と思わしき中年の男が名前に声を掛けた。
「真央霊術院の入試対策書を探している。」
「おぉ、アンタ死神になるんだな!ちょいと待ってな。」
店主は気前よく店の中の棚から何冊もの参考書を持ってきた。
「これが売れ筋一番人気。これより詳しく載っているのが…。」
「一番人気を頂こう。幾らだ?」
「即決ですかい。」
一番売れているという事は大方それで間違いない。支払いを済ませた名前は宿まで戻った。
*
購入した参考書を読んでいると大丸が名前に声を掛けた。大丸が頼む依頼は穏便なものではない事は分かっている。今回も流血沙汰になるだろう。
「今夜、金貸しの取り立てに行く。お前さんはいざという時の用心棒だ、頼んだぞ。」
予感は的中。サラリと説明する大丸だが、わざわざ用心棒を連れて行く時点で、一般人の取り立てではないと感じた。名前は出発の用意をする大丸組合の組合員と顔を合わせた。
「頭領から聞いとる。動きがあったら戦闘開始だ。よろしく頼むよ。」
「あぁ。」
大丸への絶対の信頼があるからなのか、組合員は得体の知れない名前を疑う事なく話しかけてきた。大丸という男、胡散臭さはあるがこれほど多くの人脈があると言う事は、ただの金持ちではなく、もしや相当な手練れなのかもしれない。
(敵には回したくない存在だ。)
*
繁華街から少し外れた家屋が並ぶ通り。人通りは殆どなく、うっすらとしている。立ち並ぶ家はうっすらと灯りが灯り、人が住んでいる事は伺える。組合員はその中の一つの家の扉を開け放ち、勢いよく中に踏み入った。
「今までのツケ、今夜こそ返してもらうで。用意出来てるだろうな?」
部屋の中心で頭の頭頂部が禿げ上がった男が胡坐をかいていた。その周りに若い男たちが佇んでいる。禿男がニヤリと笑うと同時に若い男たちが取り立てに来た組合員に襲い掛かってきた。名前は組合員の間に入り、若い男達の攻撃を受け止め首とみぞおちに打撃を入れた。崩れ落ちる男を乗り越え、奥から次から次へと男たちが出て来る。巨漢の男は大刀を持ち、名前に襲い掛かった。名前は逃げた禿男を追いかける組合員の姿を見てから外に出た。
(相手は二十…対して強くないが面倒だな。)
順調に敵を倒していた名前だったが、突如体が動かなくなった。
何者かに拘束されているかのような…虚にやられた時の感じと似ている。
「……なっ!!!」
(この感じ、この間の…どうにか、振りほどかなければ…!!)
別の男が名前目がけて刀を振り下ろす。全力でもがいていると拘束が解け、振り下ろされる太刀から逃れられた。ちっ、と誰かが舌打ちする音が聞こえた。家の中から小柄な男が名前を見ている。
(あの男の鬼道の技か。)
やはり鬼道技は厄介だ。
名前は誰よりも先に小柄な男に向かって走った。
(あの時の虚に比べれば力は弱い…!)
他の男達の攻撃をかわしながら名前は小刀を振り下ろした。
*
無事滞納者を捕獲し、手下ども黙らせた名前は大丸を待っていた。
「見事だった。死神を志しているだけの実力はあるなぁ。」
「……。」
相変わらず人使いの荒い男だ。仕事が終わったのならさっさと宿に帰らせてくれと思っていると、大丸は笑いながら言った。
「流石、一角が見込んだおなごだ。」
大丸の口から出てきた名前を聞き、名前は目を見開いた。
「あの男、そんな戯言を言っていたのか。」
胸の中に苛立ちが湧いた。
「おいおい、そんな恨めしそうな顔しなさんな。お前さん、一角の活躍を知らないのか?」
「あの男の事は興味がない。私は己の強さの為、死神になる。」
「はっはっは、やっぱりお前さん達は似た者同士だな。」
「は?」
「あの男と私が似ている…?」
名前が苛立ちを露わにしていると、大丸は葉巻を吸いだした。
「お前さん、ウチ(大丸組合)で働かないか?」
思いもがけない提案だ。流石の名前もこれには動揺を隠せなかった。
「前、一角にも同じことを聞いた…断られたがな。お前さんは死神になる事の本当の意味を知っているか?」
「…本当の意味?」
「ふっ…先に教えてやるさ。どいつもこいつも死神になる事に夢見がちだが、甘く見ちゃいけねぇ。うまい話には必ず裏がある。一度死神になったら、二度と流魂街で自由な暮らしは出来ねぇ。中に入っちまえば死ぬか、一生奴らの言いなりだ…それでも死神になるかだ。」
大丸の話は嘘ではないだろう。
「ま、すぐに返事は求めないさ。考えておいてくれ。」
名前は部屋を出て自室に戻った。死神になれば、再び久枝と暮らすことは叶わぬという事だ。久枝はきっと知っていた筈だ。だが…それでも……。
(私は強くなりたいーーー。)
*
翌日、名前は大丸の言葉を思い出しながら、流魂街の町を歩いていた。生きる意味を掴みかけたが…強さを求めれば流魂街に戻ることは出来ない。大丸組合に入れば鍛錬を続けながら、流魂街でも十分に暮らしていけるだろう。以前間近で見た、左之助や海燕という死神の圧倒的な力に圧倒された。あの男がそうだったように、自身も力を求めて瀞霊廷を目指している。
(あの男と似ていると言ったのはこの事か…。)
その時、名前とすれ違う青年がいた。彼は名前の顔を見て表情を一変させた。
「アンタは……父上の恨み、覚悟!!!」
青年は懐から包丁を取り出し、名前に向かって走って来た。名前はそれを軽々とかわし、青年の右肩を取り、背中を押し付けて地面に押し倒した。
「人違いじゃないのか?」
「ちがう、僕は見たんだ!父上が、お前に殺された所を!!!その頃お前は殺人鬼で指名手配されていて、何十人もの命を奪った!父上はお前を捕まえるために向かったんだ!」
名前は遠い記憶を呼び起こしていた。それはまだ世間を知らず、無差別に人を殺していた時の事。どうやら、私はこの青年の父親を殺してしまったようだ。顔すら覚えていない人物に、何と答えればいいか分からなくなった。
「覚えていないのか…!父上…なんて無念を…。」
やがて青年は涙を拭い取り、名前を睨んだ。
「僕が父の恨み、晴らしてやる!!!」
青年は拘束を振り切り、名前に襲い掛かった。青年の攻撃は強烈な殺意で乱れている。攻撃は手を取るように読める。彼は戦い方を知らないようだ。
「クソっ!クソおおぉっ!」
攻撃が掠る事も出来ず、青年は怒りと同時に涙を流す。しばらく彼の攻撃に付き合っていた名前だったが、隙を狙って青年を気絶させた。
卒倒した青年が持っていた包丁を彼の懐にしまい、名前はその場を後にした。
『どうなっても恨みを買う事には違いないからね。でも、なるべくなら戦意喪失までに抑えた方がいいよ。今後の事を考えるとね。』
以前弓親に言われた言葉だ。その意味がようやく理解出来た気がする。下手に殺し損ねるとその者に一生恨まれ、仕返しが来るやもしれない。だから殺した方がいいと思った。しかし、弓親が言っていた通り、殺しても殺さなくても結局は同じ、誰かに恨まれるのだ。だったら殺さない方がいいのだろうか?名前はまだ分からない。
(私は、一生この青年に恨まれながら生きていくんだな…。)
名前は青年の顔を記憶してその場を後にした。
***
月日は流れ入試試験を終えた名前は無事、特待生として真央霊術院に入学が決まった。
「まずは、おめでとさん。」
「…ありがとう。」
照れくさそうな顔を浮かべた名前を見て大丸は気前よく笑った。
「返事は遅くなったが…あなた方の力にはなれない。」
「そう言うだろうと思ったぜ。」
「すまない。」
この日まで名前は熟考した。流魂街での生活は自由気ままなものだ。しかし、ある日突然訪れる死の恐怖、なにより強くなれる機会を逃し、努力せずに死ぬ事が心のしこりとなって離れない。死神について学べば学ぶほど、興味深い事を多く知った。名前は「死神になる」と言う選択肢しか出なかった。
「今まで世話になった。」
「達者でな。」
死神になれば、今まで感じたことのない恐怖、苦痛が待ち受けているだろう。血を見るのは流魂街も瀞霊廷でもきっと同じだ。名前は覚悟を決めていた。
進むしかない。白い建物がそびえ立つ、未知の世界へーーー...
.
「早う起き上がれ、まだやれるじゃろうが!」
十一番隊隊舎の外にある鍛錬場で声を張り上げるのは、十一番隊で三席の射場鉄左衛門。十一番隊に配属されて間もない新人隊士、斑目一角に鍛錬を施していた。やたらと威勢のいい男で、他の隊員より抜きんでて戦闘が好きだった。流魂街時代に現在の更木剣八に惚れ込み、後を追って死神になったそうだが、実力はまだまだ伴っていない。現にこうして鬼道技に全く太刀打ち出来ていない。
「っは…んなもん痛くも痒くもねぇっ…!」
「口の利き方から教えにゃあいけんな。」
瓦礫の中で立ち上がろうとする一角に向けて鉄左衛門は赤石砲を打った。
一角は素早くそれを避け、始解した斬魄刀で鉄左衛門に斬りかかった。
「遅い!!」
瞬歩で彼の背後を取り、蹴り飛ばす。一角は再び地面に叩き付けられた。
「って~~~!!」
「まだまだじゃのぉ…。」
一角は剣八同様、鬼道が全く使えない。剣八を志しているようだが、実力の差は歴然だ。
「鉄さん、俺は諦めが悪いもんでねぇ。」
「じゃかしい!」
射場と一角の戦闘を横で見ているのは、同じく一角と同時期に十一番隊に配属された綾瀬川弓親。念願の更木隊に配属が決まった時の、一角の喜ぶ表情が忘れられない。始めは抵抗があるものなのかと思っていたが、いざ死神になってしまうとすんなりと業務や規律になじむことが出来た。
仕事さえこなせば、他の規則は案外緩いものだ。
(僕は満足しているよ。)
実力次第でいくらでも欲しい物が手に入る。力も金も…毎日飽きのこない生活。命を落としたとしても、闘いの中で死ねるなら誇りに思える。十一番隊は正しく自分たちの為にある隊だ。毎日のように傷だらけになっている一角だが、その表情は喜びに満ちていた。
***
時間の流れは速く、あっという間に数年が経った。名前は久枝と共に畑や鶏の世話をしたり山菜、薬草の知識を深めていった。時に鹿や猪を仕留め、調理して久枝に振舞った。肉を使った料理は主にあの二人の男に教わったのだが、役に立っているので覚えて良かったと思った。
「猪鍋、ほんとに美味しい。」
久枝も#NAME2##の肉料理が美味しいと喜んだ。食べきれない肉は乾燥させ、干し肉や佃煮にして保存食を作った。死神との取引に持っていくと「これは売れる」と文吉は高値で買ってくれた。
*
秋は深まり、冬支度が始まる。木の葉は青から鮮やかな黄、赤に染まり、枯れ始めていた。そんな時、秋の味覚を採集していると名前と久枝は熊と遭遇した。熊は二人から目を離さず、攻撃の機会を伺っていた。名前は食事として捕獲するか思案していた。
「熊肉はクセが強いが、食べられない事はない。」
「確かに、熊の血肉は薬になるけど…実際食べた事なんてないわよ。」
「冬眠する前だから、脂が乗ってる。」
「…アンタ、相当飢えていたんだね。」
「……。」
そう言っている間にも襲い掛かってくる熊。名前は熊の顎を蹴り上げた。熊は一瞬怯んだが、名前に襲い掛かる。名前は顔面と喉元に拳を叩きこんだ。熊は仰向けに倒れ込み、気絶した。
「殺してはいない。気絶してるだけだ。」
「そう言えば前、文吉さんが熊肉食べたいって言ってなかったっけ?」
「あぁ…確かそんな事言っていたな。」
「私も熊の血肉で薬は作った事はないから、やってみたいかも。」
「…分かった。」
名前は熊が目覚めない内に処理を始めた。
*
「まさか、本当に熊肉を振舞って頂けるとは思ってもいませんでしたよ。」
久枝の住む家に招かれた文吉と左之助は、縁側に腰かけ、干された熊の皮を見た。
約束通り、名前は文吉と左之助に熊肉を振舞った。
「鮮度が良いから臭みがないかと思ってたけど、やっぱ獣臭がするわね。」
外に作った石かまどで、久枝は鍋をかき混ぜながら味見した。
「血の臭いと獣臭さは別。酒と食材でだいぶ匂いは消えてる筈だけど。」
串に刺した肉を焼く名前は完全に火が通った事を確認した。
「出来ました。どうぞ、お召し上がりください。」
味噌仕立ての鍋と山椒と塩で味を付けた串焼き。四人は鍋を囲みながら食事を始めた。
「おぉ…これが熊肉…成程成程。」
「あら、案外美味しいじゃない。言われなきゃ熊肉だなんて分からないわよ。」
文吉と久枝は箸を止めることなく食べ進めていく。名前は無言で食べる左之助を横目で見ながら自身も箸を進めた。食事を終え、久枝は文吉と左之助を見送る。
「今度の取引には佃煮を作っておきますね。」
「鮮度が良いので、値が付きますよ。薬も作るのでしょう?私はそちらの方が楽しみですが。」
「うまくいくか分かりませんよ。」
久枝は苦笑いしながら文吉に返答した。
「ご馳走様でした。では、また。」
どうやら二人には満足してもらえたようだ。口に合うだろうかと少し緊張していた名前だったが、肩の荷が下りたような気がした。文吉と左之助を見送ると久枝は口を開いた。
「さ、冬もすぐ目の前に来てることだし、早く支度をしないとね!」
***
名前は集めてきた枝を手頃な大きさに切り揃えていた。この辺りは雪が降り積もる為、秋の内に薪を準備しなければならない。久枝は追加の木を切り倒しに山に入って行った。今日は風が冷たい。獣から取った毛皮の上着を羽織りながら名前は作業を進めた。
日が傾き、敷地が陰に入った。太陽のぬくもりが消え、段々と寒くなる。
久枝の帰りはまだだろうかと思いながら、名前は作業を続けた。風が強く吹き、揺れる木々の音が妙に騒がしいと思った。
(妙な気配だ…。)
奇妙な気配が気に掛かり、名前は薪を割る手を止めた。その音は徐々にこの家に近付いている気がした。
(嫌な予感がする。)
下の方から何とも言えないただならぬ気配を感じる。霊圧は感じない。本能的に感じる嫌な予感だ。名前は森の先をジッと見つめる。そして嫌な気配の現況が目に入った。下った先の森の木が次々になぎ倒され、こちらに進んで来るではないか。木々が高く、まだ姿は見えない。名前は短刀を抜き、身構えた。
ドン、ドン、ドッシーン!!!
ズドドドドドド...
尋常じゃない速さだ。何者かが木をなぎ倒している事は間違いない。名前は鳥肌を立たせ、全身を強張らせた。今までどんな動物の気配も感じ取ることが出来たが、目の前にいる筈の者の霊圧が全く感じ取れないのだ。霊圧が分からない以上、相手が強いのか弱いのか、大きいのか小さいのかも検討が付かない。しかし家の敷地に入れば、その姿を確認することが出来るだろう。名前は目を離さず、その光景を見つめた。敷地直前まで気がなぎ倒され、音が止んだ。急に止まった進撃に名前の緊張が高まる。
ゴオオオッ!!!
突如、敷地内の畑や道具が吹き飛ばされ、粉々になった。風の様な透明な何かが此処にある物全てをなぎ倒し、破壊していく。そして名前も得体の知れない何かに吹き飛ばされた。
「ぐっ!!」
土手に吹き飛ばされ、草木や道具が名前に向かって飛んでくる。名前は物をどかしながら周囲の状況を確認する。やはり何も見えない。竜巻のような風が吹いたり、本来飛ぶはずのない方向に物が飛んでいく。見えない何かがそこにいるようだ。名前は瞬歩を使い、敵の位置を探る。敵は名前に打撃を加え、吹き飛ばした。
(今、何かに殴られた…。)
姿は見えないが、何かが名前の体に打撃を入れた。硬い皮だった。虚の可能性が高い。今まで姿の見えない虚など遭遇したことがない。強い虚なのかもしれない。この状況が劣勢であることに間違いない。どうにかして敵の位置を知り、こちらからの攻撃を与えなければ喰われてしまう。
「っぐ…あああぁ!」
名前は何かに捕まれ、空中に体が浮いた。とんでもない力で握り潰される。メキメキと骨が折れていく。抵抗しようにも、なす術がない。
(このままでは…まずいっ!!!一体どうしたら…。)
一切攻撃が出来ず、正体さえ分からない。名前は朦朧とする意識の中で死期を感じ取った。もう死ぬのだ。死とはこうも容易く訪れるものなのだと、身に染みて感じた。
(久枝…戻って来るな。)
家や畑は壊滅状態。この状況だと森の中にいても気づくだろう。しかし名前でさえ全く歯に立たない相手だ。久枝が来た所で、手を打つ事無く敗れる姿が容易に目に浮かぶ。彼女だけでも助かってほしい。
「ぐああああっ!!!」
いよいよもって体が限界を迎える。骨が軋み、内臓の潰される感覚。もう終わりだ。
「—————!!!」
その時、名前目がけて閃光が放たれた。
バンッ!!!
閃光は握り潰す者の何かに当たり、名前は地面に転がり落ちる。
「っはぁ…!」
名前は痛む体に鞭を打ち、その場から距離を取った。
(誰かが攻撃した…誰だ?)
名前が霊圧を感知する前に、その者は森から姿を現した。
(左之助…!?)
名前を助けたのは、いつも文吉と共にいる左之助だった。彼はいつも着ている作務衣姿ではなく、死覇装を着用し、手には斬魄刀を握っていた。
「やはりここに逃げ込んできたか。」
左之助が持つ瓶から、赤い液体のようなものが飛び散る。その液体が掛かった場所から、目に見えなかった敵の姿が露わになった。
(虚……!)
左之助は隙を作ることなく、斬魄刀を解放させた。左之助の周囲にたちまち炎が巻き上がる。名前が見ていると左之助は虚を縛り付ける術を発動し、あっという間に敵を倒してしまった。左之助が斬魄刀をしまうと炎が消え、辺りは暗くなった。
「……。」
名前は呆然と左之助を見つめていると、彼が静かに口を開いた。
「流魂街を荒らし回っていた虚だ。この近辺で目撃情報があったので、こちらに逃げたのではないかと思って来たら…的中したな。」
以前から左之助は、気配から只物ではないと思っていたが、やはり強かった。今まで見てきた強者が使わないような術を使っていた。戦術は違うので何とも言えないが、もしかしたら憎きあの男よりも強いのではないだろうか?
「っつ……げほっげっほ…!」
緊張の糸が緩み、名前は自身が負傷している事を思い出した。
自身が分かるだけで腕の骨、肋骨が骨折した。他にも内臓や数か所の打撲、裂傷…痛みから立ち上がることが出来ない。
「名前っ、大丈夫!?」
しばらくして森の方から聞こえてきた声に二人は顔を上げた。久枝が走ってくる。
「森の奥からでも聞こえてきたよ。名前、怪我してるじゃないか!虚かい?」
左之助は頷いた。久枝は名前の体に触れ、怪我の具合を確かめた。
「骨が折れてる…。息は出来るかい?」
「あぁ…。」
左之助は何やら機械のような物を使い、誰かと会話している。死神の本部と通話しているようだ。通話が終わり、久枝は左之助に声を掛けた。
「左之助さん、運ぶの手伝ってくれる?」
久枝は持ってきた担架を名前の下に敷いた。久枝と左之助は担架を持って名前を家に運んだ。虚によって破壊された屋内は滅茶苦茶になっていた。それでも久枝は冷静に名前の治療の準備を始めた。
畑や家は破壊され、元に戻すまでには時間が掛かりそうだ。それでも今必要な道具だけは引っ張り出し、名前の治療と人数分の食事を用意した。完全に日が落ち、真っ暗な屋内。壁や天井が破損している為、家としての機能を果たさず、どんどん寒くなってくる。
「救護隊を要請した。」
「瀞霊廷から来るんでしょ?なら、急いだとしてもここに着くのは明日ね。」
「そうだな。」
名前の傷は即死する怪我ではなかったが、手当てをしなければ手遅れになってもおかしくない。
「まぁ、任せてよ。こんな私でも回道は使えるんだから!」
久枝は着物の袖を縛り、ウィンクした。名前は自身を治療する久枝を見ながら考えた。
(虚相手に全く歯が立たなかった…。)
名前は悔しさに歯を食いしばった。
*
名前の応急処置が済んだ事を見届けた左之助は立ち上がった。
「私は瀞霊廷に戻る。救護隊に治療と家屋の修繕を援助するように頼んだ。用事はその者達に頼むといいだろう。」
「分かった。左之助さん、ありがとう。」
名前は去ろうとする左之助を呼び止めた。
「私には…何が足りない?」
しばらく考えていた左之助だったが、やがて名前に向き直り言い放った。
「力は洗練されておらず、能力が発揮されていない。今みたいに鬼道の術に嵌ってしまったら一撃だ。」
「……。」
言い返す事が出来ない。正に左之助の言う通りだ。今まで強くなったと過信していただけに、名前のショックは大きい。命を救われたから悔しいのではない。自分の命すら守ることも出来ない、弱い自分に腹が立つ。
(このままでいいのか?弱いままで…。)
強くなりたいと思った。今以上に強くなるためには、どうしたらいいのか…。名前は拳を強く握り、歯を食いしばって床を叩いた。
*
翌日、応援の死神達が到着し、家屋の修繕が始まった。名前の傷は久枝の回道により概ねは回復していたため、死神から治療を受ける事はなかった。
***
ひと月後…。
「もう問題なく動けるね。」
久枝は鍛錬する名前を見て笑った。以前と同様に動けるまでに回復した名前。鍛錬する名前の表情は真剣そのもの。
「……。」
敗北したあの日から名前の思考は大きく変わった。虚に全く太刀打ちできなかった事に大きな無力感を感じていた。今までにない絶望感を感じ、名前は恐怖した。このままではいけない。それは誰に言われるまでもなく名前自身が一番よく理解していた。今までと同じ鍛錬で今以上に強くなることは出来ない。これまで以上に強くなるためにはどうしたらいいのか。
「久枝さん…教えてほしい事がある。左之助が使っていた力、久枝さんが使っていた力について教えてほしい。」
名前は左之助や久枝が使ていた謎の力について知りたかった。物理攻撃しかできない名前にとって、摩訶不思議な力。使いこなせるようになれば更に強くなれるだろう。
「興味があるのかい?」
「あぁ。」
「話が長くなるから、お茶を淹れようか。」
久枝は死神の力…鬼道について話し始めた。名前は久枝の話を興味深く聞いていた。
(名前はきっと…死神になるだろうね。)
以前から久枝は名前はいずれ死神になるのだろう、と薄々感じていた。この話を尋ねてきたことでその推察はより濃厚なものになった。彼女の口からその言葉を聞くまでは黙って見守ろう。久枝は名前を見ながら思った。
***
それから一年が経った。
壊れた家は概ね修繕できたが、元通りとはいかない。作物を作りながら、二人で修繕に当たった。その合間を縫って名前は鍛錬に励んでいた。久枝から教えられた鬼道の練習を毎日繰り返した。泳ぎとは違い、鬼道はすんなり使いこなせる物ではない。小さな霊圧の塊を作り出せるようになるまで、かなりの時間を要した。鬼道を使えるようになれば空中にも浮く事が出来るらしい。久枝は数個の鬼道の技は繰り出せても、空中に浮く事は出来ない。鬼道によって繰り出せる技はとても多いと言う。これが使いこなせるようになれば、今まで以上に強くなれると名前は確信した。
*
「名前、この薬草をすり鉢で粉にしてくれるかい?」
「分かった。」
久枝は専ら薬を作ることが好きだった。何やら分厚い専門書を読みながら、山で採ってきた薬草を乾燥して粉し、調合している。
「名前は興味あるかい?」
「薬?難しそうだな…。」
幾つもの薬草を分量通りに調合している久枝の姿を見て、名前はとても自分には出来ない作業だと思った。
「まぁね~私、鬼道は余り使えないけど、薬については先生と呼ばれてもいいくらい、博識なんだからね!」
文吉が高値で久枝の薬を買っている所を見ているので、上等な物だという事は理解していた。しかし今の名前に薬学の知識を頭の中に叩き込む余力はない。
「もし薬について知りたかったら、気兼ねなく言ってよね!」
「…あぁ。」
***
「死神になる。」
ついに名前から打ち明けられた告白に久枝は頷いた。
「あぁ、私は止めないよ。」
いつか来ると思っていた事だ。久枝は至って冷静に答えた。
「世話になった。もう今までの様に手伝いは出来ない…申し訳ない。」
「そんな事、全然気にしないさ。前みたいに一人でのんびりやってくよ。」
久枝の返答に名前はクスリと笑みを零した。死神になる方法は先日の取引時に、文吉と左之助の二人に聞いた。先ずは試験を受けて合格し、真央霊術院に入学して基礎を学ぶ。実践で力を付け、課題を収め、単位を取ることによって真央霊術院を卒業し、初めて死神になることが出来る。
「応援してる!時には此処に顔を出すんだよ。」
「必ず…!」
名前と久枝は抱擁を交わした。
(応援してるよ…名前!)
久枝は名前の死神になった姿を思い浮かべた。彼女といつかまた会える日まで。名前は山を下山した。
***
自然豊かな場所を離れ、人が集う町に出るのは息が詰まった。やはり私は自然が好きなのだと実感する。野宿しながら、何日もかけて瀞霊廷付近まで歩いた。
「よぉ姉ちゃん。荷物を持って旅行かい?」
(またか…。)
例にもよってチンピラや人攫いに遭遇するも、名前は冷静に対処した。いちいち相手にするのも面倒なので、名前は瞬歩で撒いた。
瀞霊廷に近付くにつれて町は整備され、治安が保たれているように見える。人通りが多くなると「この環境にも慣れなければ…」と名前は思った。真央霊術院の入学試験に臨む為には、護廷十三隊の基本となる事柄を把握していなければならない。それにまつわる内容が書された本を手に入れ、勉強する必要があるのだが、先ずはその期間寝泊まりする宿を見つけなければならない。中心街は細かく住む場所が割り当てられており、空き家は見られないように感じた。
(野宿して毎日通うか…。)
最悪そうしようと考えながら、町中を歩いていると名前に話し掛けて来る人物がいた。
「お、アンタ、久しい顔だな。」
名前に声を掛けたのは以前、治療で世話になった組合の頭領。名前は…。
「大丸だ。アンタは死神にはならなかったなんだな。」
「その節は世話になった。」
偶然と言うべきか。大丸組合は金さえ払えば何でも頼める便利屋だ。
宿の一つや二つ、持っているに違いない。
「頼みがある。」
大丸と名前は組合が金貸しとして使っている店舗に入った。名前の話を聞く大丸は葉巻を吸いながら息を吐いた。嗅ぎ慣れぬ煙草の匂いに名前は眉間に皺を寄せた。
「ほぉ…死神になりたいってか。アンタなら特待生として、直ぐに入れるだろうな。」
「問題は筆記試験…私が知らないような内容ばかりで…勉強しなければ試験に臨めない。寝泊まりする宿だけでいい、対価は払う。貸しては貰えないだろうか?」
「あぁ、いいとも。」
大丸は名前の依頼を承諾した。
「代金はいい、その代わりと言っちゃなんだ…こちらもお前さんに頼みたい事がある。」
大丸が意味深に口元を引き上げる。警戒する名前を見て大丸は笑った。
「はっはっは。なぁに、ただ用心棒を頼みたいだけだ。」
「本当にそれだけか?」
他にも何か企んでいそうな大丸を見据える名前だが「今の所はな」と呟いた。
「お前さんが使う部屋に案内するよう使用人に頼んでおくから、このまま待っていてくれ。」
「礼を言う。」
「依頼の件はのちに。それまで自由にしててくれ。」
*
案内された部屋に荷物を置き、整理を終えた名前は町に出た。書店に向かって歩いていると、様々な町民や店にすれ違った。生活道具を売る商店、食堂、酒屋、劇場に散髪屋など閑散した村には無かった店が所狭しと並んでいる。霊圧を探るとそれなりに力ある者も多く住んでいる為か、食べ物も売られており飢えに困ることはないと思った。
書店を見つけた名前は陳列されている本の見出しに目を通していく。
「いらっしゃい。何をお探しで?」
店主と思わしき中年の男が名前に声を掛けた。
「真央霊術院の入試対策書を探している。」
「おぉ、アンタ死神になるんだな!ちょいと待ってな。」
店主は気前よく店の中の棚から何冊もの参考書を持ってきた。
「これが売れ筋一番人気。これより詳しく載っているのが…。」
「一番人気を頂こう。幾らだ?」
「即決ですかい。」
一番売れているという事は大方それで間違いない。支払いを済ませた名前は宿まで戻った。
*
購入した参考書を読んでいると大丸が名前に声を掛けた。大丸が頼む依頼は穏便なものではない事は分かっている。今回も流血沙汰になるだろう。
「今夜、金貸しの取り立てに行く。お前さんはいざという時の用心棒だ、頼んだぞ。」
予感は的中。サラリと説明する大丸だが、わざわざ用心棒を連れて行く時点で、一般人の取り立てではないと感じた。名前は出発の用意をする大丸組合の組合員と顔を合わせた。
「頭領から聞いとる。動きがあったら戦闘開始だ。よろしく頼むよ。」
「あぁ。」
大丸への絶対の信頼があるからなのか、組合員は得体の知れない名前を疑う事なく話しかけてきた。大丸という男、胡散臭さはあるがこれほど多くの人脈があると言う事は、ただの金持ちではなく、もしや相当な手練れなのかもしれない。
(敵には回したくない存在だ。)
*
繁華街から少し外れた家屋が並ぶ通り。人通りは殆どなく、うっすらとしている。立ち並ぶ家はうっすらと灯りが灯り、人が住んでいる事は伺える。組合員はその中の一つの家の扉を開け放ち、勢いよく中に踏み入った。
「今までのツケ、今夜こそ返してもらうで。用意出来てるだろうな?」
部屋の中心で頭の頭頂部が禿げ上がった男が胡坐をかいていた。その周りに若い男たちが佇んでいる。禿男がニヤリと笑うと同時に若い男たちが取り立てに来た組合員に襲い掛かってきた。名前は組合員の間に入り、若い男達の攻撃を受け止め首とみぞおちに打撃を入れた。崩れ落ちる男を乗り越え、奥から次から次へと男たちが出て来る。巨漢の男は大刀を持ち、名前に襲い掛かった。名前は逃げた禿男を追いかける組合員の姿を見てから外に出た。
(相手は二十…対して強くないが面倒だな。)
順調に敵を倒していた名前だったが、突如体が動かなくなった。
何者かに拘束されているかのような…虚にやられた時の感じと似ている。
「……なっ!!!」
(この感じ、この間の…どうにか、振りほどかなければ…!!)
別の男が名前目がけて刀を振り下ろす。全力でもがいていると拘束が解け、振り下ろされる太刀から逃れられた。ちっ、と誰かが舌打ちする音が聞こえた。家の中から小柄な男が名前を見ている。
(あの男の鬼道の技か。)
やはり鬼道技は厄介だ。
名前は誰よりも先に小柄な男に向かって走った。
(あの時の虚に比べれば力は弱い…!)
他の男達の攻撃をかわしながら名前は小刀を振り下ろした。
*
無事滞納者を捕獲し、手下ども黙らせた名前は大丸を待っていた。
「見事だった。死神を志しているだけの実力はあるなぁ。」
「……。」
相変わらず人使いの荒い男だ。仕事が終わったのならさっさと宿に帰らせてくれと思っていると、大丸は笑いながら言った。
「流石、一角が見込んだおなごだ。」
大丸の口から出てきた名前を聞き、名前は目を見開いた。
「あの男、そんな戯言を言っていたのか。」
胸の中に苛立ちが湧いた。
「おいおい、そんな恨めしそうな顔しなさんな。お前さん、一角の活躍を知らないのか?」
「あの男の事は興味がない。私は己の強さの為、死神になる。」
「はっはっは、やっぱりお前さん達は似た者同士だな。」
「は?」
「あの男と私が似ている…?」
名前が苛立ちを露わにしていると、大丸は葉巻を吸いだした。
「お前さん、ウチ(大丸組合)で働かないか?」
思いもがけない提案だ。流石の名前もこれには動揺を隠せなかった。
「前、一角にも同じことを聞いた…断られたがな。お前さんは死神になる事の本当の意味を知っているか?」
「…本当の意味?」
「ふっ…先に教えてやるさ。どいつもこいつも死神になる事に夢見がちだが、甘く見ちゃいけねぇ。うまい話には必ず裏がある。一度死神になったら、二度と流魂街で自由な暮らしは出来ねぇ。中に入っちまえば死ぬか、一生奴らの言いなりだ…それでも死神になるかだ。」
大丸の話は嘘ではないだろう。
「ま、すぐに返事は求めないさ。考えておいてくれ。」
名前は部屋を出て自室に戻った。死神になれば、再び久枝と暮らすことは叶わぬという事だ。久枝はきっと知っていた筈だ。だが…それでも……。
(私は強くなりたいーーー。)
*
翌日、名前は大丸の言葉を思い出しながら、流魂街の町を歩いていた。生きる意味を掴みかけたが…強さを求めれば流魂街に戻ることは出来ない。大丸組合に入れば鍛錬を続けながら、流魂街でも十分に暮らしていけるだろう。以前間近で見た、左之助や海燕という死神の圧倒的な力に圧倒された。あの男がそうだったように、自身も力を求めて瀞霊廷を目指している。
(あの男と似ていると言ったのはこの事か…。)
その時、名前とすれ違う青年がいた。彼は名前の顔を見て表情を一変させた。
「アンタは……父上の恨み、覚悟!!!」
青年は懐から包丁を取り出し、名前に向かって走って来た。名前はそれを軽々とかわし、青年の右肩を取り、背中を押し付けて地面に押し倒した。
「人違いじゃないのか?」
「ちがう、僕は見たんだ!父上が、お前に殺された所を!!!その頃お前は殺人鬼で指名手配されていて、何十人もの命を奪った!父上はお前を捕まえるために向かったんだ!」
名前は遠い記憶を呼び起こしていた。それはまだ世間を知らず、無差別に人を殺していた時の事。どうやら、私はこの青年の父親を殺してしまったようだ。顔すら覚えていない人物に、何と答えればいいか分からなくなった。
「覚えていないのか…!父上…なんて無念を…。」
やがて青年は涙を拭い取り、名前を睨んだ。
「僕が父の恨み、晴らしてやる!!!」
青年は拘束を振り切り、名前に襲い掛かった。青年の攻撃は強烈な殺意で乱れている。攻撃は手を取るように読める。彼は戦い方を知らないようだ。
「クソっ!クソおおぉっ!」
攻撃が掠る事も出来ず、青年は怒りと同時に涙を流す。しばらく彼の攻撃に付き合っていた名前だったが、隙を狙って青年を気絶させた。
卒倒した青年が持っていた包丁を彼の懐にしまい、名前はその場を後にした。
『どうなっても恨みを買う事には違いないからね。でも、なるべくなら戦意喪失までに抑えた方がいいよ。今後の事を考えるとね。』
以前弓親に言われた言葉だ。その意味がようやく理解出来た気がする。下手に殺し損ねるとその者に一生恨まれ、仕返しが来るやもしれない。だから殺した方がいいと思った。しかし、弓親が言っていた通り、殺しても殺さなくても結局は同じ、誰かに恨まれるのだ。だったら殺さない方がいいのだろうか?名前はまだ分からない。
(私は、一生この青年に恨まれながら生きていくんだな…。)
名前は青年の顔を記憶してその場を後にした。
***
月日は流れ入試試験を終えた名前は無事、特待生として真央霊術院に入学が決まった。
「まずは、おめでとさん。」
「…ありがとう。」
照れくさそうな顔を浮かべた名前を見て大丸は気前よく笑った。
「返事は遅くなったが…あなた方の力にはなれない。」
「そう言うだろうと思ったぜ。」
「すまない。」
この日まで名前は熟考した。流魂街での生活は自由気ままなものだ。しかし、ある日突然訪れる死の恐怖、なにより強くなれる機会を逃し、努力せずに死ぬ事が心のしこりとなって離れない。死神について学べば学ぶほど、興味深い事を多く知った。名前は「死神になる」と言う選択肢しか出なかった。
「今まで世話になった。」
「達者でな。」
死神になれば、今まで感じたことのない恐怖、苦痛が待ち受けているだろう。血を見るのは流魂街も瀞霊廷でもきっと同じだ。名前は覚悟を決めていた。
進むしかない。白い建物がそびえ立つ、未知の世界へーーー...
.