月光に毒される
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***
それから季節は梅雨に入った。雨が多くなり、三人は空き家で過ごしていた。旅人が時折使う以外人の手が入らないようで、家の中は蜘蛛の巣が張り、砂埃が被っていた。初日は家の中を掃除し、住みよいように片付けた。
ジメジメした日が続く。朝と夜は肌寒い日もあったが、毛布を被らなくても寝ることは出来た。そもそも毛布などこの家には置いていないが。
空き家にあるのは自炊に必要な道具とボロボロになった本。棚に数冊置かれていた。弓親から言葉を教わった名前は、破れかかっている黄ばんだ本を読んでいた。
「ある所に侍がいた。その侍は町で一番の腕の持ち主で…。」
言葉を覚えたての子供が声を出して本を読むように、名前も同じように無意識に朗読していた。一角と弓親は気にしなかったが、本の内容が時折過激な事があり…。
「女の着物がはだけ、侍は息を飲んだ。そちの思うがままで…。」
「それ、官能小説じゃん。」
弓親の突っ込みと同時に一角は名前が読む本を取り上げた。
「名前が読むにはまだはえーよ。」
「は?どういう事、説明して。」
本を取り上げられた名前は不機嫌な顔で一角を睨んだ。
近頃、名前は自身が知らない事柄があると、すぐに一角か弓親に説明を求めた。説明しろと言われてもどう説明すればいいのか?
名前は体こそ子どもではなかったが、知識は子どもレベル。大人の情事の話など説明する気も起きない。
「俺たちが説明しなくとも、大人になればそのうち分かる。今のお前には理解出来ねぇよ。そもそも、恋って言って何か分かるのか?」
「恋?……結婚の事?」
「ん~ちょっと意味が違うな。恋の後に結婚するが…恋せずに結婚する事もあるしなぁ…。」
「それはどういう事?分かるように説明して。」
彼女に分かるように説明するにはどうしたらいいか考えを巡らせていた一角だったが、面倒になった。
「まだお前には理解できねぇよ。そんなに知りたかったら、ここには無い本を読んで勉強するんだな。町に行けば山ほど本がある。」
「……。」
つまり、順を追って学べという事なのだろうか?名前は納得がいかなかったが、深追いする事は止めた。
「官能小説はよけといたから、この中で読んで。」
弓親は本棚の本をざっと仕分けした。
名前はしばらくムッとしていたが、やがて違う本を読みだした。
***
「飯を作るのも鍛錬だ。俺たちは食わずには生きられねぇ。名前、夕食は任せたぜ。」
この世界で力ある者は腹が減る。食事は必須だ。一角は材料を並べ、名前に調理の説明をした。数日前から雨で外出できない日に調理方法を名前に教えていた。肉や魚を焼くことは何度も見ているし、火加減を見る事はやらせているので安心していたが、怖いのは味付けだ。味付けを名前に任せるのは今回が初めて。
「いいか?味見しながら調味料入れろよ。そんで混ぜてからまた味見するんだぜ。」
「…やってみる。」
何度も作って見せているので、失敗はないと思うが…。半分期待、半分不安を感じながら一角は炊事場を名前に任せた。今日は晴れているので、山で山菜が採れそうだ。彼女がどういう料理を作るのか楽しみだった。
(毒でも盛らなきゃいいが…。)
一角を殺すと公言していたからには安心できなかったが、試してみたいと思った。一角は刀の手入れや鍛錬をしながら名前の様子を見ていた。案の定、彼女は山の中へ入って食材を調達しに行ったようだ。
「…僕は今日食べないからね。」
「好きにしな。」
「あの子が作った料理なんて恐ろしくて食べられないよ。」
共に旅を始めてから三年が経とうとしていた。一角はすっかり名前を仲間だと認め、普通に接しているが、弓親は警戒の糸を緩めない。
「毒で死にたくないからね。」
「あいつはくだらないやり方で、俺らをどうこうしようとは思ってないと思うぜ?」
「そんな事分からないじゃないか。僕は一角の巻き添え食らうのは嫌だからね。」
「へいへい。」
弓親は勝手に言わせておけばいい。一角の見立てでは、彼女は根が素直な奴だと見抜いていた。短気だがそれは経験不足から来るものであり、知識や経験が増えていけば自然と直る。一角が指摘した事もなんだかんだ言って愚直にこなしている所から、彼女は憎めない性格をしている。
(まぁ、いずれこの旅で分かるさ。)
時が流れ、環境が変われば人の心も変わる。筋を通して自我をしっかり保てていられるのは鍛錬された者しかいない。一角はそれを散々目の当たりにしてきた。名前は変わってしまう人材なのか、あるいは鍛錬された者なのか。一角はこの目で確かめたかった。
一刻後、名前は竹かごに山菜や根っこを採って戻ってきた。何かの根っこは水で洗い、すりつぶして団子を作っている。やがて外まで香ってきたにおいに二人は顔を見合わせた。
「何これ…薬でも作ってるの?」
「…中々やべぇにおいだな。」
食べ物としては嗅いだことのない薬草の匂いに二人は冷や汗が流れた。
「絶対食べたくない。」
「食わなきゃいいだろうが。」
「ちゃんと味見するよう言ったよね?」
「あぁ、勿論。最初にアイツ自身に食わせるから大丈夫だ。」
「一角、本当に食べるの?」
「あぁ。」
弓親は理解できない、と首を振った。確かに内心緊張するが、今の状況が面白いと思ったのは事実。一角がそう思うのは、名前が一人で考え、真剣に取り組んでいる姿だ。一角と弓親に比べたら不器用で作ったものも不格好だが、一角は決して嫌ではなかった。
*
「へぇ…においは気になるが、うまそうだな。」
名前が作ったのはいつも食べている魚の干物と山菜を味噌で和えた物。そして異臭を放つ汁物。魚と山菜は以前一角と弓親が作ったものを真似た物だから味は想像がつく。問題はこの汁物だ。醤油の汁に山菜の葉が浮かび、茶色の団子は木の根っこで作ったようだ。怪しいキノコは入れていないようなので取り敢えず安堵した。毒キノコは痺れや痙攣、幻覚を見せる物があるので簡単には口に出来ない。
「まずは名前、食ってみろよ。」
名前から先に食べるよう促すと、彼女はためらう事なく鍋に入っている汁物を汁椀に注ぎ、食べ始めた。団子を齧り、汁をすすると彼女は「美味しい」と呟いた。
「他のは?」
名前は山菜の和え物を食べ、頷く。そして焼いた魚の干物をかじり、「問題ない」と呟いた。
「よーし、俺も食うか。」
一角は心を決め、まずは山菜から口にした。
「お、旨い。弓親いけるぞ。」
味付けは少し薄めだが、山菜の香りがよく美味しいと思った。続いて魚もかじるとこれもいい塩梅だ。
「味付け上手いな、名前。」
「……。」
うまい、と言われた名前はまんざらでもなさそうな表情を浮かべながら、食事を続けた。さて、一角は例の汁を椀に注いだ。薬草の香りがプンプンしている。食欲が減退するようなにおいだが、一角は心を決めて汁に口を付けた。
「…っぶふぉ!」
「一角!?」
吹き出す一角に弓親は驚いた。本当に毒が盛られていたのではないかと焦る。
「…げっほ…変なとこ入った。」
「なんだ…。」
心配して損した、とばかりに弓親はシラケた表情をする。一角は更に汁を飲み、団子をかじった。モグモグと食材を噛む一角の表情は厳しい。やがて湯呑の水を飲んだ一角は口を開いた。
「不味いが、食べられなくはない。」
「どこが不味いの?」
名前は一角の評価に納得いかなそうに目を細めた。一角は団子を箸で持ち上げた。
「これ何で出来てる?」
「それは木の根っこ。私が昔から食べている物だ。あと蕾の付いた木の枝も入っている。」
「原因は木の枝でしょ。食べるなんて聞いた事ない。」
すかさず弓親が突っ込んだ。
「私は美味しいと思って食べている。」
そういや、名前は草木と肉が主食だったと言っていた。草は分かるが木の根や枝も食べていたようだ。
「これが苦くてえぐい。この団子が汁のにおいから味まで不味くしている。」
「慣れれば不味いとは感じない。醤油で味付けたら、今までで一番美味しく感じた。」
「…慣れてるからこれが旨いと感じるんだな。」
普通の人が食べたら舌を刺すえぐみで、食べた者は必ず「不味い」と言うだろう。彼女の舌が壊れている訳ではなく、慣れなのだと一角は思った。
味は不味いが、一応醤油で味が付けてある為、食べられなくはない。
木の香りさえ気にしなくなればの話だが。
「不味いなら食べなくていい。私が食べる。」
「いや、俺は食うぜ。腹は壊さねぇだろ。」
「一角、正気?」
弓親は止めるが一角は汁を全て飲み干し、二杯目を注ぐ。
「弓親お前は一口も食わねぇのか?」
弓親は昼に自分で握ったおむすびを食べているが、それだけでは腹は膨れないだろう。
「…干物と青菜だけ頂くよ。」
「仕方ない」と息を吐く弓親だが、和え物を口にすると「悪くはない」と黙々と食べ始めた。
名前はそんな二人の様子を見て、今まで感じたことのない感覚を覚えた。
***
雨が降りそうな重い雲空の日。
三人は新たな強者を求めて旅を再開していた。天気を見ながらの移動で思うように進むことが出来ないが、同じ場所で滞在していられるほど一角の気は長くない。魚や小動物を狩りながら旅を続けた。ふと、弓親が歩く足を止めた。
「どうした?」
弓親の様子に気が付いた一角は周囲に目を向けた。背中が粟立つ不快感。これはもしかして…。
「近いよ。」
「っは、丁度いい。暇つぶしになるぜ。」
一角は気配の虚の姿を思い浮かべ、ニヤリと口元を上げた。そんな中、名前は過去に感じた恐怖を感じた。
「怖ぇのか?」
「いや…遭遇するのは初めてだ。」
「お、ならいい経験になるんじゃねーか?」
「一角は簡単に言うけど、下手すると死ぬよ?舐めてかからない方がいい。」
弓親が忠告する。
「怖ぇなら指咥えて見てな。」
一角は走り出した。弓親と名前も後を追う。虚に近くになるほど、負の気配が濃くなる。実際に姿を見たことがない名前は、見えてきた虚を見て息を飲んだ。人や動物とは大きく異なった異形の生物。骨の形をした大きな顔が三人を見ている。名前は目の前に佇む虚から目を離せずにいた。
「三匹の獲物がノコノコと。俺に喰われに来たのか?」
「喋る虚か。ちっとは強ぇんだろうな?」
「たわけ、お前たちなど一瞬だ。」
「それはどうかな?」
つんざく雄たけびと共に虚は虚閃を放った。三人はそれを避け、一角は刀を振り下ろした。
「なんだ?お前斬魄刀を持ってるのか…。面白い…。」
虚は鎌で一角の斬撃を受け止め、もう片方の鎌で斬りかかる。一角は素早く反応し、その攻撃を避ける。
「相変わらず醜い姿だね。」
そう言う弓親に向かって、虚は鎌型の腕を振り下ろした。一角はその間に入り、虚の斬撃を弾き返す。地面に着地する虚に向かって間髪入れずに名前は走り出していた。
「おい、名前!!」
一角の制止も聞かずに名前は短刀で虚の脚を斬り落とす。確かに人の皮より、はるかに硬い。しかし、刃が立たない訳ではない。これで体勢が崩れ、斬り刻める筈だ。
「ぬるいわ!」
名前は続けて斬りかかろうとするが、虚は高速再生で脚を復元し、名前に向かって襲い掛かってきた。鎌の腕で名前を切り裂こうとするが、名前は瞬歩を使い距離を取った。すかさず一角が名前に声を掛ける。
「見たろ?虚は急所以外斬っても無駄だ。あぁやってすぐ再生しちまうからな。」
名前は虚の体をくまなく見回す。急所、とはどこの事だろう。心臓?喉元?穴の開いた箇所だろうか?
「まぁ見てろよ。行くぜ!」
一角は虚の攻撃をかわしながら隙を狙っていく。
「俺が簡単にやられると思うな。」
虚は一角の攻撃を受け止め、反撃を繰り返す。
「雑魚ではない…という事は…。」
名前の横で弓親が呟いた。顎に手を当て、虚を見つめる。
「あの虚は此処で一体何をしていたのだろう?」
今三人が虚と対峙した場所は民家のない林。虚は霊圧を喰らう為、人のいる場所に現れる。此処にいたという事は何か企んでいるやもしれない。
「ちっ…!」
隙を突かれた一角は虚によって地面に叩きつけられた。鎌が振り下ろされるが、即座に反応した一角は虚の脇をすり抜け反対の腕を斬り落とす。
「腕を落としても無駄だ。」
「遅えっ!!!」
虚は再生を試みるが、その前に一角は虚の仮面に斬撃を入れた。
「こんな所で…ぐわああああぁあ…!!!」
虚は奇声を発しながら消滅していく。一角は首を慣らし、叩きつけられた箇所を怪我していないか確認した。
「よし、無傷だ。」
「擦り傷出来てるよ。」
「こんなの怪我の内に数えねぇよ。」
一角と弓親の会話の横で、消滅する虚を見つめる名前。虚の割れた仮面の下を見た名前は驚愕した。
「人の…顔…っ。」
名前が人と認識した瞬間、虚は消滅した。得体のしれない怪物はかつては自分たちと同じ姿をしていた者。名前は動揺を隠せなかった。
「虚は人の成り果てだ。」
「何故、虚になったの?」
「…さぁな。」
説明が面倒だった一角は刀を鞘に戻した。そのうち知る機会があるだろう。
「にしても妙だよ、こんな何にもない所に虚がいるなんて。」
「そういや、だいぶ行ったこの先に村があったんじゃねぇか?」
一角が指差す方向は小さいが村があったはずだ。
「そこを襲う予定だったとか。」
「何かありそう…その村、行ってみる?」
「虚が目を付けていた村か…面白そうだな。」
知能の高い虚が目を付けていた怪しい村。まだ何かありそうだ。
「仲間でもいたりしてな。」
「虚が群れるのは聞いた事ないけど、下っ端を操ってたりするかもね。」
*
荷物を持った三人は村へ向かって歩き出した。歩いて半日はかかる場所。日が傾き夜になって村に到着すると不穏な気配がした。
「…臭うね。」
「あぁ、確実にいるな。」
村は人が住んでいるはずだが、妙に静まり返っていた。
「村人一人いない…。」
家を覗くと生活感は残ったままなので、最近まで住人が住んでいたようだ。しかしどの家も真っ暗だ。
「コソコソしてねぇで出てきやがれ。」
「一角…。」
弓親が声を掛けると先の方に人影が一つ。黒い袴を履いている。それには見覚えがあった。
「死神…。」
三人が近づいても死神はピクリとも動かない。
「化けの皮を取ったらどうだ?お前虚だろ。」
しかし三人はこの者が死神だとは思っていなかった。先ほど退治した虚と同じ気を放っている。
「死神をおびき寄せるつもりだったが…まぁいい。お前たちも餌だ!」
雄たけびと共に死神は虚の姿へと変貌した。途端、三人を囲むように多数の虚が出現した。
「面白れぇ!!!行くぞ弓親、名前!」
「あぁ、こんなに沢山…気持ち悪い…。」
「……。」
今まで弓親が戦闘する姿を名前は見たことがない。虚に太刀打ち出来るのだろうか?弓親は上手く虚をかわしながら、同士討ちを誘う。
二体の攻撃が同士討ちしている隙に弓親は二体の仮面を蹴って割った。
弓親は大丈夫だと思った名前は目の前の敵に斬りかかった。
(急所は仮面…。)
先程の虚と違い、獣のように咆哮を上げ一直線に名前に襲い掛かる。瞬歩で走れば虚に捕まることはなかった。攻撃を躱しつつ、的確に仮面を砕いていく。
「おらぁ!この中ではお前が一番強そうだな!」
一角は先程死神に化けていた虚に向かって叫んだ。格下の虚の相手をする一角を眺めている。
「連絡役を倒したのはお前だな。」
「やっぱ、お前らつるんでたんだな!」
連絡役、と言うのは昼間に一角が倒した虚の事であろう。やはり繋がっていたか。虚の親玉は他の虚と比べて小柄だが、強さが計り知れない。そこらの虚より格段に強い事が分かった。
「ふん、わざわざ罠に入ってくるとは。馬鹿な者たちよ。」
「あぁ?舐めてかかると痛い目見るぜ!」
「ふっ…お前たちの相手なら私ひとりで十分。」
次々と湧き出てくる雑魚虚を片付ける三人だったが、親玉虚はその様子を見て現段階だと三人が優勢だと見抜いた。
「死神ほどではないが、いい餌になりそうだ。」
親玉虚は体に付いた煙突の先から無色の煙を吐き出した。
(動けなくなって食われるがいい。)
異変にいち早く気付いたのは弓親だった。
「体が痺れてきた…。その虚の能力か!?」
弓地の異変に気付いた一角は虚の攻撃を避けながら彼の元へ駆け寄る。
「おい、どうした?」
「さっきからおかしい。手足に痺れを感じないかい?」
弓親の指摘で一角は手足の感覚を確かめるが、確かに普段より動きが鈍くなってきている気がした。
「痺れ毒か?さっさとアイツを倒さねぇと。」
一角は虚をなぎ倒して親玉虚に近づこうとするが、弓親が制止した。
「待って、アイツの能力だとしたら尚更近づかない方がいい。毒の濃度が濃いなら、奴の周辺に入った瞬間に動けなくなる。」
「ちぇっ…どうするよ。」
「時間を掛ければ僕たちが動けなくなる。奴の毒が蔓延していない場所に逃げるか、どうにかして奴の動きを止めてその間にとどめを刺すしかないよ。」
「俺に逃げるなんて選択はねぇ。」
「僕はこいつらに喰われるくらいなら生き恥じ背負っても逃げるよ…本当にヤバくなったらね。」
「そうかよ。」
弓親の戦う意志を確認した一角は愉しむ戦いから、生き残る戦いに切り替えた。
「アイツは大丈夫か?」
アイツ、と呼ばれた名前は瞬歩を使いながら虚を倒していた。虚の毒のせいか、時折隙を突かれて虚の攻撃を食らいそうになっている。どちらにしろ、早く決着を付けないとヤバそうだ。一角はいい方法がないか、考えを巡らせながら虚を斬っていく。
「毒が効き始めてきましたね。」
親玉の虚はニヤニヤと三人の様子を見ていた。この村にいた者たちは連絡役と私が食らった。討伐に来た死神も何人か食べたな。力を付ける為には、更に魂魄を食らう必要がある。死神だろうが同胞だろうが関係ない。
村の騒ぎを聞きつけた死神をまとめて食らうつもりだったが、その前にネズミが三匹迷い込んだ。さぁ、お前たちも俺の餌食だ。じきに彼らは動けなくなる。その辺の魂魄より濃度が濃そうだ。こいつらが倒れたら雑魚共を下がらせて、ゆっくり食事をするとしよう。
(…腕が重くなってきたな。)
一角は切れ味の悪くなったのは刀のせいではなく、自身の腕だと理解していた。先程まで難なく倒せていた虚が、どんどん強くなっていくようだ。こんな雑魚、一発なのに。いい案が思いつかずに時間を浪費している。弓親も重くなる体に鞭を打ちながら戦っている。
「クソ…埒が明かねぇ!」
ついに弓親が地面に片足を付いた。
「まだやれんだろ、立ち上がれよ。」
「……。」
弓親は肩で息をしながら、虚を睨みつけている。まだ目は死んでいない。
しかしどうする?弓親を庇いながら戦うのはかなりしんどい。
「やべぇっ!」
二体の虚の攻撃が同時に二人に襲い掛かった。斬撃を受け止めたはずの虚の腕が地面に落ちる。見上げると名前が虚の腕と仮面を割っていた。
「お前、毒が効いてねぇのか?」
先程まで動きが鈍くなっていた名前はいつもと変わらない速さで虚を斬っていた。
「私にも分からないが…毒に耐性があるみたいだ。」
何故彼女に毒が効きにくいかは分からない。しかし今はそれを考えている余地はない。一角は見えてきた勝機に、口元をニヤリと引き上げた。
「おい、名前。いいか?」
新たに出てきた虚を斬りながら、一角は名前に合図した。
「あいつを止めろ。一瞬で良い。」
「分かった。」
流石にこの状況で物分かりは良い。名前は親玉虚に向かって走った。
「なっ…私の毒が効かないだと!?だが、所詮は女…。」
虚はうろたえることなく、名前の刀を受け止め力で跳ね返した。
しかし彼女の攻撃は止まない。
「クソ…すばしっこい奴め!」
名前は虚の腕を斬り落とそうとするが、雑魚の虚より皮が硬く斬る事が出来ない。その間に飛んできた一撃が名前に当たった。吹き飛ばされた名前は木に当たって落ちる。虚はすかさず彼女に追撃するが、名前もすぐに立ち上がって防御する。虚は虚閃を放った。雑魚の虚を巻き込むが関係ない。弓親は親玉の虚に石を投げた。気を取られた親玉虚は名前の攻撃をまともに食らった。仮面を巻き込む豪快な蹴りに虚は一瞬たじろいだ。その瞬間を一角は見逃さなかった。
「うおおおぉっ!」
しびれる体を無理やり奮い立たせ、よろけた虚に飛び込む。全力を込めて虚を叩き斬る。
「ぐおおぉおおお!」
親玉の虚の仮面が割れようとした時、別の虚が一角を襲った。一角は吹き飛ばされ、虚が放った虚閃が彼を焼き尽くそうとしたその時だった。
「縛道の三十九 円閘扇(えんこうせん)!」
突如盾が現れ、虚の放った虚閃は弾かれた。声の主は虚が動く隙を与えずに攻撃を仕掛ける。
「水天逆巻け、捩花(ねじばな)!」
突如水が湧き出て虚を飲み込む。雑魚はあっという間に巻き上げられて消滅した。致命傷を負い、再生しようとしていた親玉の虚も水に巻き上げられた。そして術者の打撃攻撃で虚の仮面は砕け散った。
静けさを取り戻した村。
三人は一瞬にして虚を討伐した男を見つめていた。その男は黒い袴姿で斬魄刀を持っている、死神だ。
「仇は打ったぜ。」
死神は一言呟いて刀を鞘にしまうと、三人を見てニヤッと笑った。
「死神でもないのに、よく持ちこたえたな!」
一角は痛む首をさすりながら立ち上がった。
「ようやく死神様の登場ってか。」
「あぁん?命を救ってやったのに、生意気な口利くんだな。」
「誰も助けてくれとは頼んでねぇ。」
今にも喧嘩を売りそうな一角に、弓親が割って入った。
「でも一角、現に僕たちは助かったんだ。礼ぐらい言わないと。」
「…わーってるよ…助かった、礼を言う。」
ここにいた全ての虚を一人で倒してしまった。
突然現れた『死神』という男を見た名前はその圧倒的強さに驚いた。今まで見た事のないような技を使い、虚を蹴散らした。一角よりも強い。死神とは一体何者なのだろうか?
「驚いた顔して、死神を見るのは初めてか?」
死神の男に問われた名前は咄嗟に短刀を身構えた。正体の分からない者への反射的な反応だ。
「俺ってそんなに悪い奴に見えるかよ?なぁ、お二人さん。」
「コイツにはそう見えてるんだろ。」
「そう言う事だね。」
死神は一角と弓親に同意を求めるが、二人は冷たくあしらった。
「はは…死神も嫌われたもんだなぁ。
俺は護廷十三隊、十三番隊の志波海燕だ。」
「俺は斑目一角。こいつは弓親、名前。」
「たった三人で虚と戦えるとは大したもんだ。あの虚に殺された仲間もいるんだ。こちらこそ恩に着る。」
礼儀正しく頭を下げた海燕に、一角は腕を組んで息を吐いた。
「礼を言われるような事はしてねぇ。」
「それでも命を顧みずに戦ってくれたんだ。
礼とは言わねぇが、怪我の手当と飯…食ってけよな。」
弓親は一角に目で合図した。三人とも大怪我ではないものの、打撲や出血をしていた。
「お言葉に甘えさせていただきます。」
*
海燕の仲間の死神と合流すると三人は治療を受けた。夜という事もあり、三人は死神と共に野宿する事になった。死神が準備した食事を摂りながら、海燕は三人に話し掛けた。
「お前たちは普段、何をしてるんだ?」
「わざわざ話すような事はしてないっすよ。」
「そうか。」
まともに質問を取り合わない一角に、海燕は嫌な顔一つ浮かべない。しかし斬魄刀を持つ一角を見て、実力者だと海燕は見抜いていた。
「あれだけ闘えるんだったら、死神になればいいじゃないか。お前さんたちなら絶対なれるぜ。」
「決まりに縛られるのが嫌なんでね。死神様の力にはなれない。」
「そうか?規則はあるが、今よりももっと強くなれる。悪くないと思うがな。」
「……。」
一角は黙って雑炊を飲み込む。弓親と名前も同様に無言で食事を食べた。
*
翌日。
「じゃあ、達者でな!」
海燕は三人に手を上げて仲間の元へ歩み始めた。だんまりを決め込んでいた一角だったが、後ろから海燕を呼び止めた。一角は彼に近づき、一つだけ尋ねた。
「更木剣八…あの人は今…?」
「あぁ、彼は隊長になったよ。刀一本で隊長になるなんて、すごいよな。」
「…!?」
驚く一角を見た海燕はピンときたようだ。それだけ言うと振り返る事なく帰路に着いた。
「一角、何を話したの?」
弓親に問われたが、一角は「大したことじゃねぇよ」と詮索を逃れた。
(あの人は強くなるために死神になった…俺は…。)
*
虚と戦ってからと言うもの、一角は口数が少なくなった。今まで通り鍛錬は欠かしていないが、一人で瞑想に耽っている時間が長くなった。それは虚に負けたことが原因なのか、死神に助けられた事が理由なのかは分からない。弓親と名前は不要な詮索はしなかった。
*
「死神って何者?」
弓親と名前は川で釣りをしていた。一角の姿が無い時を見計らい、名前は弓親に疑問を尋ねた。
「一角がいないし丁度いい。説明してあげるよ。」
弓親は川の流れを見ながら口を開いた。
「僕たちは今、流魂街にいる。流魂街の中心に瀞霊廷って言って死神たちが住んでいる街がある。そこは食べ物も住む場所もあって、虚も現れない安全な場所…と表向きでは言われている。」
「表向き?」
この間現れた志波海燕と言う男は虚を討伐し、名前は一見善良な者に見えた。
「僕たちが住む尸魂界とは違う世界があって、その名を現世と言う。死神は何故か、現世の住人を流魂街に連れて来る。」
「尸魂界…現世?」
「これは現世から来た者達から聞いた話だから、確かな話。」
「知らなかった……。」
初めて聞いた概念に動揺する名前。以前の記憶がなく、一人でいたのだから知らなくて当然だろう。
「何故死神がそんな事をしているのか、僕たちは知らない。死神は知っているようだけど。あと、時々流魂街の人が消える。噂では死神が何か噛んでいるらしいけど、真相は分からない。もしかしたら死神は虚よりもタチが悪いかもね。」
「ふぅん……。」
名前が垂らしているウキが揺らめき、沈んだ。獲物が糸を引っ張った所で素早く竿を上げる。すると黒い斑模様に赤い線が入った魚が釣り上がった。
「ニジマスだね。いい大きさだ。」
水に浸してある竹かごにニジマスを入れ、名前は再び餌を付けて竿を投げ入れた。すると弓親の竿も揺れ始めた。
「群れがいるみたいだね。ふっ…!」
弓親が竿を上げると活きの良い鮎が釣れた。
「たまたま、ニジマスが鮎をおびき寄せてくれたみたいだね。」
「鮎…?」
「これ、すっごく美味しいんだよ。」
「私も釣りたい。」
「難しいけど、頑張って。」
すっかり魚が好物になった名前は、鮎を捕獲したい一心で釣りに臨んだ。
(この子は死神に思い入れはないみたいだからいいけど…問題は……。)
弓親はこの場にいない一角を思い浮かべた。
(多分きっと…いや、必ず……。)
強さを求める者が行く先は分かっている。
大きな入道雲が見える。夏が近付いていた。
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それから季節は梅雨に入った。雨が多くなり、三人は空き家で過ごしていた。旅人が時折使う以外人の手が入らないようで、家の中は蜘蛛の巣が張り、砂埃が被っていた。初日は家の中を掃除し、住みよいように片付けた。
ジメジメした日が続く。朝と夜は肌寒い日もあったが、毛布を被らなくても寝ることは出来た。そもそも毛布などこの家には置いていないが。
空き家にあるのは自炊に必要な道具とボロボロになった本。棚に数冊置かれていた。弓親から言葉を教わった名前は、破れかかっている黄ばんだ本を読んでいた。
「ある所に侍がいた。その侍は町で一番の腕の持ち主で…。」
言葉を覚えたての子供が声を出して本を読むように、名前も同じように無意識に朗読していた。一角と弓親は気にしなかったが、本の内容が時折過激な事があり…。
「女の着物がはだけ、侍は息を飲んだ。そちの思うがままで…。」
「それ、官能小説じゃん。」
弓親の突っ込みと同時に一角は名前が読む本を取り上げた。
「名前が読むにはまだはえーよ。」
「は?どういう事、説明して。」
本を取り上げられた名前は不機嫌な顔で一角を睨んだ。
近頃、名前は自身が知らない事柄があると、すぐに一角か弓親に説明を求めた。説明しろと言われてもどう説明すればいいのか?
名前は体こそ子どもではなかったが、知識は子どもレベル。大人の情事の話など説明する気も起きない。
「俺たちが説明しなくとも、大人になればそのうち分かる。今のお前には理解出来ねぇよ。そもそも、恋って言って何か分かるのか?」
「恋?……結婚の事?」
「ん~ちょっと意味が違うな。恋の後に結婚するが…恋せずに結婚する事もあるしなぁ…。」
「それはどういう事?分かるように説明して。」
彼女に分かるように説明するにはどうしたらいいか考えを巡らせていた一角だったが、面倒になった。
「まだお前には理解できねぇよ。そんなに知りたかったら、ここには無い本を読んで勉強するんだな。町に行けば山ほど本がある。」
「……。」
つまり、順を追って学べという事なのだろうか?名前は納得がいかなかったが、深追いする事は止めた。
「官能小説はよけといたから、この中で読んで。」
弓親は本棚の本をざっと仕分けした。
名前はしばらくムッとしていたが、やがて違う本を読みだした。
***
「飯を作るのも鍛錬だ。俺たちは食わずには生きられねぇ。名前、夕食は任せたぜ。」
この世界で力ある者は腹が減る。食事は必須だ。一角は材料を並べ、名前に調理の説明をした。数日前から雨で外出できない日に調理方法を名前に教えていた。肉や魚を焼くことは何度も見ているし、火加減を見る事はやらせているので安心していたが、怖いのは味付けだ。味付けを名前に任せるのは今回が初めて。
「いいか?味見しながら調味料入れろよ。そんで混ぜてからまた味見するんだぜ。」
「…やってみる。」
何度も作って見せているので、失敗はないと思うが…。半分期待、半分不安を感じながら一角は炊事場を名前に任せた。今日は晴れているので、山で山菜が採れそうだ。彼女がどういう料理を作るのか楽しみだった。
(毒でも盛らなきゃいいが…。)
一角を殺すと公言していたからには安心できなかったが、試してみたいと思った。一角は刀の手入れや鍛錬をしながら名前の様子を見ていた。案の定、彼女は山の中へ入って食材を調達しに行ったようだ。
「…僕は今日食べないからね。」
「好きにしな。」
「あの子が作った料理なんて恐ろしくて食べられないよ。」
共に旅を始めてから三年が経とうとしていた。一角はすっかり名前を仲間だと認め、普通に接しているが、弓親は警戒の糸を緩めない。
「毒で死にたくないからね。」
「あいつはくだらないやり方で、俺らをどうこうしようとは思ってないと思うぜ?」
「そんな事分からないじゃないか。僕は一角の巻き添え食らうのは嫌だからね。」
「へいへい。」
弓親は勝手に言わせておけばいい。一角の見立てでは、彼女は根が素直な奴だと見抜いていた。短気だがそれは経験不足から来るものであり、知識や経験が増えていけば自然と直る。一角が指摘した事もなんだかんだ言って愚直にこなしている所から、彼女は憎めない性格をしている。
(まぁ、いずれこの旅で分かるさ。)
時が流れ、環境が変われば人の心も変わる。筋を通して自我をしっかり保てていられるのは鍛錬された者しかいない。一角はそれを散々目の当たりにしてきた。名前は変わってしまう人材なのか、あるいは鍛錬された者なのか。一角はこの目で確かめたかった。
一刻後、名前は竹かごに山菜や根っこを採って戻ってきた。何かの根っこは水で洗い、すりつぶして団子を作っている。やがて外まで香ってきたにおいに二人は顔を見合わせた。
「何これ…薬でも作ってるの?」
「…中々やべぇにおいだな。」
食べ物としては嗅いだことのない薬草の匂いに二人は冷や汗が流れた。
「絶対食べたくない。」
「食わなきゃいいだろうが。」
「ちゃんと味見するよう言ったよね?」
「あぁ、勿論。最初にアイツ自身に食わせるから大丈夫だ。」
「一角、本当に食べるの?」
「あぁ。」
弓親は理解できない、と首を振った。確かに内心緊張するが、今の状況が面白いと思ったのは事実。一角がそう思うのは、名前が一人で考え、真剣に取り組んでいる姿だ。一角と弓親に比べたら不器用で作ったものも不格好だが、一角は決して嫌ではなかった。
*
「へぇ…においは気になるが、うまそうだな。」
名前が作ったのはいつも食べている魚の干物と山菜を味噌で和えた物。そして異臭を放つ汁物。魚と山菜は以前一角と弓親が作ったものを真似た物だから味は想像がつく。問題はこの汁物だ。醤油の汁に山菜の葉が浮かび、茶色の団子は木の根っこで作ったようだ。怪しいキノコは入れていないようなので取り敢えず安堵した。毒キノコは痺れや痙攣、幻覚を見せる物があるので簡単には口に出来ない。
「まずは名前、食ってみろよ。」
名前から先に食べるよう促すと、彼女はためらう事なく鍋に入っている汁物を汁椀に注ぎ、食べ始めた。団子を齧り、汁をすすると彼女は「美味しい」と呟いた。
「他のは?」
名前は山菜の和え物を食べ、頷く。そして焼いた魚の干物をかじり、「問題ない」と呟いた。
「よーし、俺も食うか。」
一角は心を決め、まずは山菜から口にした。
「お、旨い。弓親いけるぞ。」
味付けは少し薄めだが、山菜の香りがよく美味しいと思った。続いて魚もかじるとこれもいい塩梅だ。
「味付け上手いな、名前。」
「……。」
うまい、と言われた名前はまんざらでもなさそうな表情を浮かべながら、食事を続けた。さて、一角は例の汁を椀に注いだ。薬草の香りがプンプンしている。食欲が減退するようなにおいだが、一角は心を決めて汁に口を付けた。
「…っぶふぉ!」
「一角!?」
吹き出す一角に弓親は驚いた。本当に毒が盛られていたのではないかと焦る。
「…げっほ…変なとこ入った。」
「なんだ…。」
心配して損した、とばかりに弓親はシラケた表情をする。一角は更に汁を飲み、団子をかじった。モグモグと食材を噛む一角の表情は厳しい。やがて湯呑の水を飲んだ一角は口を開いた。
「不味いが、食べられなくはない。」
「どこが不味いの?」
名前は一角の評価に納得いかなそうに目を細めた。一角は団子を箸で持ち上げた。
「これ何で出来てる?」
「それは木の根っこ。私が昔から食べている物だ。あと蕾の付いた木の枝も入っている。」
「原因は木の枝でしょ。食べるなんて聞いた事ない。」
すかさず弓親が突っ込んだ。
「私は美味しいと思って食べている。」
そういや、名前は草木と肉が主食だったと言っていた。草は分かるが木の根や枝も食べていたようだ。
「これが苦くてえぐい。この団子が汁のにおいから味まで不味くしている。」
「慣れれば不味いとは感じない。醤油で味付けたら、今までで一番美味しく感じた。」
「…慣れてるからこれが旨いと感じるんだな。」
普通の人が食べたら舌を刺すえぐみで、食べた者は必ず「不味い」と言うだろう。彼女の舌が壊れている訳ではなく、慣れなのだと一角は思った。
味は不味いが、一応醤油で味が付けてある為、食べられなくはない。
木の香りさえ気にしなくなればの話だが。
「不味いなら食べなくていい。私が食べる。」
「いや、俺は食うぜ。腹は壊さねぇだろ。」
「一角、正気?」
弓親は止めるが一角は汁を全て飲み干し、二杯目を注ぐ。
「弓親お前は一口も食わねぇのか?」
弓親は昼に自分で握ったおむすびを食べているが、それだけでは腹は膨れないだろう。
「…干物と青菜だけ頂くよ。」
「仕方ない」と息を吐く弓親だが、和え物を口にすると「悪くはない」と黙々と食べ始めた。
名前はそんな二人の様子を見て、今まで感じたことのない感覚を覚えた。
***
雨が降りそうな重い雲空の日。
三人は新たな強者を求めて旅を再開していた。天気を見ながらの移動で思うように進むことが出来ないが、同じ場所で滞在していられるほど一角の気は長くない。魚や小動物を狩りながら旅を続けた。ふと、弓親が歩く足を止めた。
「どうした?」
弓親の様子に気が付いた一角は周囲に目を向けた。背中が粟立つ不快感。これはもしかして…。
「近いよ。」
「っは、丁度いい。暇つぶしになるぜ。」
一角は気配の虚の姿を思い浮かべ、ニヤリと口元を上げた。そんな中、名前は過去に感じた恐怖を感じた。
「怖ぇのか?」
「いや…遭遇するのは初めてだ。」
「お、ならいい経験になるんじゃねーか?」
「一角は簡単に言うけど、下手すると死ぬよ?舐めてかからない方がいい。」
弓親が忠告する。
「怖ぇなら指咥えて見てな。」
一角は走り出した。弓親と名前も後を追う。虚に近くになるほど、負の気配が濃くなる。実際に姿を見たことがない名前は、見えてきた虚を見て息を飲んだ。人や動物とは大きく異なった異形の生物。骨の形をした大きな顔が三人を見ている。名前は目の前に佇む虚から目を離せずにいた。
「三匹の獲物がノコノコと。俺に喰われに来たのか?」
「喋る虚か。ちっとは強ぇんだろうな?」
「たわけ、お前たちなど一瞬だ。」
「それはどうかな?」
つんざく雄たけびと共に虚は虚閃を放った。三人はそれを避け、一角は刀を振り下ろした。
「なんだ?お前斬魄刀を持ってるのか…。面白い…。」
虚は鎌で一角の斬撃を受け止め、もう片方の鎌で斬りかかる。一角は素早く反応し、その攻撃を避ける。
「相変わらず醜い姿だね。」
そう言う弓親に向かって、虚は鎌型の腕を振り下ろした。一角はその間に入り、虚の斬撃を弾き返す。地面に着地する虚に向かって間髪入れずに名前は走り出していた。
「おい、名前!!」
一角の制止も聞かずに名前は短刀で虚の脚を斬り落とす。確かに人の皮より、はるかに硬い。しかし、刃が立たない訳ではない。これで体勢が崩れ、斬り刻める筈だ。
「ぬるいわ!」
名前は続けて斬りかかろうとするが、虚は高速再生で脚を復元し、名前に向かって襲い掛かってきた。鎌の腕で名前を切り裂こうとするが、名前は瞬歩を使い距離を取った。すかさず一角が名前に声を掛ける。
「見たろ?虚は急所以外斬っても無駄だ。あぁやってすぐ再生しちまうからな。」
名前は虚の体をくまなく見回す。急所、とはどこの事だろう。心臓?喉元?穴の開いた箇所だろうか?
「まぁ見てろよ。行くぜ!」
一角は虚の攻撃をかわしながら隙を狙っていく。
「俺が簡単にやられると思うな。」
虚は一角の攻撃を受け止め、反撃を繰り返す。
「雑魚ではない…という事は…。」
名前の横で弓親が呟いた。顎に手を当て、虚を見つめる。
「あの虚は此処で一体何をしていたのだろう?」
今三人が虚と対峙した場所は民家のない林。虚は霊圧を喰らう為、人のいる場所に現れる。此処にいたという事は何か企んでいるやもしれない。
「ちっ…!」
隙を突かれた一角は虚によって地面に叩きつけられた。鎌が振り下ろされるが、即座に反応した一角は虚の脇をすり抜け反対の腕を斬り落とす。
「腕を落としても無駄だ。」
「遅えっ!!!」
虚は再生を試みるが、その前に一角は虚の仮面に斬撃を入れた。
「こんな所で…ぐわああああぁあ…!!!」
虚は奇声を発しながら消滅していく。一角は首を慣らし、叩きつけられた箇所を怪我していないか確認した。
「よし、無傷だ。」
「擦り傷出来てるよ。」
「こんなの怪我の内に数えねぇよ。」
一角と弓親の会話の横で、消滅する虚を見つめる名前。虚の割れた仮面の下を見た名前は驚愕した。
「人の…顔…っ。」
名前が人と認識した瞬間、虚は消滅した。得体のしれない怪物はかつては自分たちと同じ姿をしていた者。名前は動揺を隠せなかった。
「虚は人の成り果てだ。」
「何故、虚になったの?」
「…さぁな。」
説明が面倒だった一角は刀を鞘に戻した。そのうち知る機会があるだろう。
「にしても妙だよ、こんな何にもない所に虚がいるなんて。」
「そういや、だいぶ行ったこの先に村があったんじゃねぇか?」
一角が指差す方向は小さいが村があったはずだ。
「そこを襲う予定だったとか。」
「何かありそう…その村、行ってみる?」
「虚が目を付けていた村か…面白そうだな。」
知能の高い虚が目を付けていた怪しい村。まだ何かありそうだ。
「仲間でもいたりしてな。」
「虚が群れるのは聞いた事ないけど、下っ端を操ってたりするかもね。」
*
荷物を持った三人は村へ向かって歩き出した。歩いて半日はかかる場所。日が傾き夜になって村に到着すると不穏な気配がした。
「…臭うね。」
「あぁ、確実にいるな。」
村は人が住んでいるはずだが、妙に静まり返っていた。
「村人一人いない…。」
家を覗くと生活感は残ったままなので、最近まで住人が住んでいたようだ。しかしどの家も真っ暗だ。
「コソコソしてねぇで出てきやがれ。」
「一角…。」
弓親が声を掛けると先の方に人影が一つ。黒い袴を履いている。それには見覚えがあった。
「死神…。」
三人が近づいても死神はピクリとも動かない。
「化けの皮を取ったらどうだ?お前虚だろ。」
しかし三人はこの者が死神だとは思っていなかった。先ほど退治した虚と同じ気を放っている。
「死神をおびき寄せるつもりだったが…まぁいい。お前たちも餌だ!」
雄たけびと共に死神は虚の姿へと変貌した。途端、三人を囲むように多数の虚が出現した。
「面白れぇ!!!行くぞ弓親、名前!」
「あぁ、こんなに沢山…気持ち悪い…。」
「……。」
今まで弓親が戦闘する姿を名前は見たことがない。虚に太刀打ち出来るのだろうか?弓親は上手く虚をかわしながら、同士討ちを誘う。
二体の攻撃が同士討ちしている隙に弓親は二体の仮面を蹴って割った。
弓親は大丈夫だと思った名前は目の前の敵に斬りかかった。
(急所は仮面…。)
先程の虚と違い、獣のように咆哮を上げ一直線に名前に襲い掛かる。瞬歩で走れば虚に捕まることはなかった。攻撃を躱しつつ、的確に仮面を砕いていく。
「おらぁ!この中ではお前が一番強そうだな!」
一角は先程死神に化けていた虚に向かって叫んだ。格下の虚の相手をする一角を眺めている。
「連絡役を倒したのはお前だな。」
「やっぱ、お前らつるんでたんだな!」
連絡役、と言うのは昼間に一角が倒した虚の事であろう。やはり繋がっていたか。虚の親玉は他の虚と比べて小柄だが、強さが計り知れない。そこらの虚より格段に強い事が分かった。
「ふん、わざわざ罠に入ってくるとは。馬鹿な者たちよ。」
「あぁ?舐めてかかると痛い目見るぜ!」
「ふっ…お前たちの相手なら私ひとりで十分。」
次々と湧き出てくる雑魚虚を片付ける三人だったが、親玉虚はその様子を見て現段階だと三人が優勢だと見抜いた。
「死神ほどではないが、いい餌になりそうだ。」
親玉虚は体に付いた煙突の先から無色の煙を吐き出した。
(動けなくなって食われるがいい。)
異変にいち早く気付いたのは弓親だった。
「体が痺れてきた…。その虚の能力か!?」
弓地の異変に気付いた一角は虚の攻撃を避けながら彼の元へ駆け寄る。
「おい、どうした?」
「さっきからおかしい。手足に痺れを感じないかい?」
弓親の指摘で一角は手足の感覚を確かめるが、確かに普段より動きが鈍くなってきている気がした。
「痺れ毒か?さっさとアイツを倒さねぇと。」
一角は虚をなぎ倒して親玉虚に近づこうとするが、弓親が制止した。
「待って、アイツの能力だとしたら尚更近づかない方がいい。毒の濃度が濃いなら、奴の周辺に入った瞬間に動けなくなる。」
「ちぇっ…どうするよ。」
「時間を掛ければ僕たちが動けなくなる。奴の毒が蔓延していない場所に逃げるか、どうにかして奴の動きを止めてその間にとどめを刺すしかないよ。」
「俺に逃げるなんて選択はねぇ。」
「僕はこいつらに喰われるくらいなら生き恥じ背負っても逃げるよ…本当にヤバくなったらね。」
「そうかよ。」
弓親の戦う意志を確認した一角は愉しむ戦いから、生き残る戦いに切り替えた。
「アイツは大丈夫か?」
アイツ、と呼ばれた名前は瞬歩を使いながら虚を倒していた。虚の毒のせいか、時折隙を突かれて虚の攻撃を食らいそうになっている。どちらにしろ、早く決着を付けないとヤバそうだ。一角はいい方法がないか、考えを巡らせながら虚を斬っていく。
「毒が効き始めてきましたね。」
親玉の虚はニヤニヤと三人の様子を見ていた。この村にいた者たちは連絡役と私が食らった。討伐に来た死神も何人か食べたな。力を付ける為には、更に魂魄を食らう必要がある。死神だろうが同胞だろうが関係ない。
村の騒ぎを聞きつけた死神をまとめて食らうつもりだったが、その前にネズミが三匹迷い込んだ。さぁ、お前たちも俺の餌食だ。じきに彼らは動けなくなる。その辺の魂魄より濃度が濃そうだ。こいつらが倒れたら雑魚共を下がらせて、ゆっくり食事をするとしよう。
(…腕が重くなってきたな。)
一角は切れ味の悪くなったのは刀のせいではなく、自身の腕だと理解していた。先程まで難なく倒せていた虚が、どんどん強くなっていくようだ。こんな雑魚、一発なのに。いい案が思いつかずに時間を浪費している。弓親も重くなる体に鞭を打ちながら戦っている。
「クソ…埒が明かねぇ!」
ついに弓親が地面に片足を付いた。
「まだやれんだろ、立ち上がれよ。」
「……。」
弓親は肩で息をしながら、虚を睨みつけている。まだ目は死んでいない。
しかしどうする?弓親を庇いながら戦うのはかなりしんどい。
「やべぇっ!」
二体の虚の攻撃が同時に二人に襲い掛かった。斬撃を受け止めたはずの虚の腕が地面に落ちる。見上げると名前が虚の腕と仮面を割っていた。
「お前、毒が効いてねぇのか?」
先程まで動きが鈍くなっていた名前はいつもと変わらない速さで虚を斬っていた。
「私にも分からないが…毒に耐性があるみたいだ。」
何故彼女に毒が効きにくいかは分からない。しかし今はそれを考えている余地はない。一角は見えてきた勝機に、口元をニヤリと引き上げた。
「おい、名前。いいか?」
新たに出てきた虚を斬りながら、一角は名前に合図した。
「あいつを止めろ。一瞬で良い。」
「分かった。」
流石にこの状況で物分かりは良い。名前は親玉虚に向かって走った。
「なっ…私の毒が効かないだと!?だが、所詮は女…。」
虚はうろたえることなく、名前の刀を受け止め力で跳ね返した。
しかし彼女の攻撃は止まない。
「クソ…すばしっこい奴め!」
名前は虚の腕を斬り落とそうとするが、雑魚の虚より皮が硬く斬る事が出来ない。その間に飛んできた一撃が名前に当たった。吹き飛ばされた名前は木に当たって落ちる。虚はすかさず彼女に追撃するが、名前もすぐに立ち上がって防御する。虚は虚閃を放った。雑魚の虚を巻き込むが関係ない。弓親は親玉の虚に石を投げた。気を取られた親玉虚は名前の攻撃をまともに食らった。仮面を巻き込む豪快な蹴りに虚は一瞬たじろいだ。その瞬間を一角は見逃さなかった。
「うおおおぉっ!」
しびれる体を無理やり奮い立たせ、よろけた虚に飛び込む。全力を込めて虚を叩き斬る。
「ぐおおぉおおお!」
親玉の虚の仮面が割れようとした時、別の虚が一角を襲った。一角は吹き飛ばされ、虚が放った虚閃が彼を焼き尽くそうとしたその時だった。
「縛道の三十九 円閘扇(えんこうせん)!」
突如盾が現れ、虚の放った虚閃は弾かれた。声の主は虚が動く隙を与えずに攻撃を仕掛ける。
「水天逆巻け、捩花(ねじばな)!」
突如水が湧き出て虚を飲み込む。雑魚はあっという間に巻き上げられて消滅した。致命傷を負い、再生しようとしていた親玉の虚も水に巻き上げられた。そして術者の打撃攻撃で虚の仮面は砕け散った。
静けさを取り戻した村。
三人は一瞬にして虚を討伐した男を見つめていた。その男は黒い袴姿で斬魄刀を持っている、死神だ。
「仇は打ったぜ。」
死神は一言呟いて刀を鞘にしまうと、三人を見てニヤッと笑った。
「死神でもないのに、よく持ちこたえたな!」
一角は痛む首をさすりながら立ち上がった。
「ようやく死神様の登場ってか。」
「あぁん?命を救ってやったのに、生意気な口利くんだな。」
「誰も助けてくれとは頼んでねぇ。」
今にも喧嘩を売りそうな一角に、弓親が割って入った。
「でも一角、現に僕たちは助かったんだ。礼ぐらい言わないと。」
「…わーってるよ…助かった、礼を言う。」
ここにいた全ての虚を一人で倒してしまった。
突然現れた『死神』という男を見た名前はその圧倒的強さに驚いた。今まで見た事のないような技を使い、虚を蹴散らした。一角よりも強い。死神とは一体何者なのだろうか?
「驚いた顔して、死神を見るのは初めてか?」
死神の男に問われた名前は咄嗟に短刀を身構えた。正体の分からない者への反射的な反応だ。
「俺ってそんなに悪い奴に見えるかよ?なぁ、お二人さん。」
「コイツにはそう見えてるんだろ。」
「そう言う事だね。」
死神は一角と弓親に同意を求めるが、二人は冷たくあしらった。
「はは…死神も嫌われたもんだなぁ。
俺は護廷十三隊、十三番隊の志波海燕だ。」
「俺は斑目一角。こいつは弓親、名前。」
「たった三人で虚と戦えるとは大したもんだ。あの虚に殺された仲間もいるんだ。こちらこそ恩に着る。」
礼儀正しく頭を下げた海燕に、一角は腕を組んで息を吐いた。
「礼を言われるような事はしてねぇ。」
「それでも命を顧みずに戦ってくれたんだ。
礼とは言わねぇが、怪我の手当と飯…食ってけよな。」
弓親は一角に目で合図した。三人とも大怪我ではないものの、打撲や出血をしていた。
「お言葉に甘えさせていただきます。」
*
海燕の仲間の死神と合流すると三人は治療を受けた。夜という事もあり、三人は死神と共に野宿する事になった。死神が準備した食事を摂りながら、海燕は三人に話し掛けた。
「お前たちは普段、何をしてるんだ?」
「わざわざ話すような事はしてないっすよ。」
「そうか。」
まともに質問を取り合わない一角に、海燕は嫌な顔一つ浮かべない。しかし斬魄刀を持つ一角を見て、実力者だと海燕は見抜いていた。
「あれだけ闘えるんだったら、死神になればいいじゃないか。お前さんたちなら絶対なれるぜ。」
「決まりに縛られるのが嫌なんでね。死神様の力にはなれない。」
「そうか?規則はあるが、今よりももっと強くなれる。悪くないと思うがな。」
「……。」
一角は黙って雑炊を飲み込む。弓親と名前も同様に無言で食事を食べた。
*
翌日。
「じゃあ、達者でな!」
海燕は三人に手を上げて仲間の元へ歩み始めた。だんまりを決め込んでいた一角だったが、後ろから海燕を呼び止めた。一角は彼に近づき、一つだけ尋ねた。
「更木剣八…あの人は今…?」
「あぁ、彼は隊長になったよ。刀一本で隊長になるなんて、すごいよな。」
「…!?」
驚く一角を見た海燕はピンときたようだ。それだけ言うと振り返る事なく帰路に着いた。
「一角、何を話したの?」
弓親に問われたが、一角は「大したことじゃねぇよ」と詮索を逃れた。
(あの人は強くなるために死神になった…俺は…。)
*
虚と戦ってからと言うもの、一角は口数が少なくなった。今まで通り鍛錬は欠かしていないが、一人で瞑想に耽っている時間が長くなった。それは虚に負けたことが原因なのか、死神に助けられた事が理由なのかは分からない。弓親と名前は不要な詮索はしなかった。
*
「死神って何者?」
弓親と名前は川で釣りをしていた。一角の姿が無い時を見計らい、名前は弓親に疑問を尋ねた。
「一角がいないし丁度いい。説明してあげるよ。」
弓親は川の流れを見ながら口を開いた。
「僕たちは今、流魂街にいる。流魂街の中心に瀞霊廷って言って死神たちが住んでいる街がある。そこは食べ物も住む場所もあって、虚も現れない安全な場所…と表向きでは言われている。」
「表向き?」
この間現れた志波海燕と言う男は虚を討伐し、名前は一見善良な者に見えた。
「僕たちが住む尸魂界とは違う世界があって、その名を現世と言う。死神は何故か、現世の住人を流魂街に連れて来る。」
「尸魂界…現世?」
「これは現世から来た者達から聞いた話だから、確かな話。」
「知らなかった……。」
初めて聞いた概念に動揺する名前。以前の記憶がなく、一人でいたのだから知らなくて当然だろう。
「何故死神がそんな事をしているのか、僕たちは知らない。死神は知っているようだけど。あと、時々流魂街の人が消える。噂では死神が何か噛んでいるらしいけど、真相は分からない。もしかしたら死神は虚よりもタチが悪いかもね。」
「ふぅん……。」
名前が垂らしているウキが揺らめき、沈んだ。獲物が糸を引っ張った所で素早く竿を上げる。すると黒い斑模様に赤い線が入った魚が釣り上がった。
「ニジマスだね。いい大きさだ。」
水に浸してある竹かごにニジマスを入れ、名前は再び餌を付けて竿を投げ入れた。すると弓親の竿も揺れ始めた。
「群れがいるみたいだね。ふっ…!」
弓親が竿を上げると活きの良い鮎が釣れた。
「たまたま、ニジマスが鮎をおびき寄せてくれたみたいだね。」
「鮎…?」
「これ、すっごく美味しいんだよ。」
「私も釣りたい。」
「難しいけど、頑張って。」
すっかり魚が好物になった名前は、鮎を捕獲したい一心で釣りに臨んだ。
(この子は死神に思い入れはないみたいだからいいけど…問題は……。)
弓親はこの場にいない一角を思い浮かべた。
(多分きっと…いや、必ず……。)
強さを求める者が行く先は分かっている。
大きな入道雲が見える。夏が近付いていた。
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