一角短編集
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【隠れた美人】
「総隊長の盆栽、とても素晴らしいですね。」
書道や絵画、生花や盆栽など様々な作品が展示された展覧会。
文武両道を掲げる山本元柳斎重國が毎年、『芸術文化会』と称し各隊の芸術作品が飾られる。
この展覧会で才能が認められ、新たな仕事を見つける者もいた。
芸術文化会で優れた作品と認められた者には賞金が与えられる。
賞金目当てに参加する者も多いが、時間と労力を掛けている者には敵わなかった。
作品の展示以外にも楽器演奏や舞踊、演劇の披露もあった。
「各隊、どのような作品を披露してくれますかね?」
「真に楽しみである。」
***
「今回俺らが取り組む演劇の台本だ。」
二番隊副隊長 大前田稀千代が隊員に配ったのは彼自身が手掛けた脚本。
「砕蜂隊長原案の作品で、主人公は例のごとく四楓院夜一様が務められる。」
砕蜂隊長が夜一を崇拝、心酔している事は隊員が皆認識しているので驚く事はない。
今回もそうだよな、とその場にいる隊員全員が思った。
「演目のタイトルは『狐の嫁入り』…まぁ鶴の恩返しを元に脚色、手を加えたような話だ。」
登場人物は狐、若い男、農民、女に化けた狐。
特に人間の女に化ける狐役は華やかな花嫁衣装を着て、この演目の山場を演じる。
配役は挙手制で順調に決まり、花嫁役が残った。
「主人公はあくまで狐である夜一様。花嫁役は台詞はなく、演技という演技はしなくていい。誰かやりたい奴はいるか?」
稀千代は隊員を見渡すが、女隊員は顔を見合わせて、嫌そうな表情を浮かべる。
「どうした、今回の花形だぞ。何が不服なんだ?」
すると一人の女隊員が稀千代に意見した。
「大前田副隊長、こんな話をご存じですか?”嫁入り前に花嫁衣裳を纏うと結婚できない”と。」
「あぁ?!そんなのただの迷信だろ。」
未婚の女隊員は難色の表情を浮かべ、既婚の女隊員は「今更、花嫁衣裳を着るのは嫌だ」と言った。
「は~…一番重要な役が決まらねぇ。」
話し合いが行き詰まり、稀千代が悩んでいる時、部屋に入ってきた者がいた。
「大前田副隊長、遅くなり申し訳ありません。苗字只今戻りました。」
名前は別件で会議に参加していた為、参加が遅れた。
名前の姿を見た稀千代は満面の笑みを浮かべた。
「苗字!そうか、まだお前がいたな。花嫁衣裳を着るのは抵抗があるか?あくまで着るってだけだ。」
「花嫁衣裳…?着るだけなら別に…何故ですか?」
名前は幾度か婚礼の儀を見かけたことがあった。頭まで覆う純白な美しい衣装。
他の女隊員はいつか花嫁衣装に身を包むのが夢だと聞いたが、名前は自身には全く縁の無い話だと思っていた。
「よし、決まった!」
稀千代は名前の背中をばんと叩き、台本を渡した。
「お前に花嫁役を演じてもらう。なぁに、衣装を着て軽く所作を行うだけだ。」
「……はぁ。」
名前はようやくここで他の女隊員が花嫁役を拒否したのだな、と気が付いた。
正直面倒だが、役者として出演するなら多少なりとも報酬が貰えるやもしれない。
(これも仕事の一つと考えよう。)
気は進まないが、名前は役に徹する覚悟を決めた。
***
散髪して顔を剃り、洗い流して髪を乾かした名前は部屋に飾られている白無垢に見入っていた。
(…これが白無垢。)
財閥の長男である大前田副隊長が用意したものだけあって、細かい刺繍や細工が施してあり、かなり豪華なあしらいである。
興味のない名前も思わず息を吐いてしまうほど綺麗だ。
「では早速、着付けてみましょうか!」
稀千代が手配した女中三人は名前に白無垢を着付け、肩を出した状態で鏡台の前に座らせた。
一人は頭からマッサージを始め、一人は髪を整え、一人は化粧水に浸した脱脂綿を名前の顔に貼り付ける。
全てが初めての経験に名前は固まっていたが、マッサージの効果もあり徐々に緊張の糸はほぐれていった。
「こんな素晴らしい白無垢、中々着る機会はありませんよ。演劇の為とはいえ、羨ましいです。」
色恋話に興味のない名前は、女中の話に耳を傾けながら、結婚すると言うのはそんなに嬉しい事なのかと思った。
どちらにしろ、自分には縁のない話だ。
「では、化粧を施していきますね。」
手際良く白粉を塗られていく。元々白い肌が更に白く色塗られていく様を見て、本当に変わるのだろうかと思った。
目、眉、頬、唇に化粧が塗られ、変貌していく様子を見て名前は驚いた。
(これ、本当に私か?)
鏡に映っている女性が誰だか分からない程に変貌している。
髪も整い、立ち上がって帯と襟、袖を整えるとこの場にいた女中も息を呑んだ。
「なんと美しい…!」
「きっと殿方も惚れ込んでしまいますね。」
女中の言葉より、名前は衣装の重さと身動き辛さにストレスを感じた。
(全然動けない…!)
この衣装でいる間は自由に歩き回ることが出来ないのが歯痒い。
「苗字五席の身の回りの事は全て周りの者が行いますので、なんなりとお申し付けください。」
食事と用を済ませておけと言われたのが理解できた。迂闊に水すら飲めない。
「では疲れぬうちに舞台へ上がりましょう。」
今日は衣装を着た本番さながらの通し練習だ。
女中に手と袖を持ってもらい、ゆっくりと舞台へ上がる。
これまでも練習してきたとは言え、この衣装で今まで通り演技が出来るか心配だった。
「おぉ~!苗字見違えたな!」
舞台演出、脚本を手掛ける稀千代も思わず声を上げた。
同隊の仲間から普段とは違う色めく視線を向けられ、名前はむず痒さを感じた。
夜一の姿がない事に気が付いた隊員が稀千代に駆け寄った。
「あの、主演の夜一様のお姿が見えないのですが…。」
「あぁ、砕蜂隊長によると夜一様はお忙しいとのことで欠席だ。」
「夜一様、本番は大丈夫なんですか?」
「砕蜂隊長が崇拝しているお方だ。きっと巧くやれるだろう。」
「そうですか…。」
少々不安が残るものの、予行練習は始まった。
「よし、本番通りやっていくぞ!」
*
一通り予行練習が済み、舞台上では出演者、裏方が集まった。
「ニ日後の本番、二番隊の集大成披露するぞ!」
『はい!』
通し練習を終えた名前は緊張の糸を緩めた。早くこの重たい衣装を脱ぎたい。
「苗字五席、ちょっといいかな?」
名前は部下たちに取り囲まれた。普段は話す機会がない者たちだ。
「本当に五席ですか?」
「とても綺麗ですね~!」
「五席はこんなに美人さんなんですから、隠さないでもっと自信を持ってください!」
「……あぁ……。」
部下の投げかけに返答できずにいると、いつの間に持ってきたのかカメラが用意されていた。
「当日は写真を撮っている時間ないと思うので、今から撮りましょう!出演者は皆んな集まって~。」
***
「……。」
十一番隊舎。
畳の上で筆を持つ男の姿。
斑目一角は芸術文化会に提出する書道作品を書いていた。
既に五枚書いたが、違う文字を書いてみようと筆を置いた時だった。
弓親が部屋に入ってきた。
「流石一角。どれも達筆だね。」
「チビがいないうちに書いとかねーとな。邪魔されると集中出来ねぇ。で、なんか用か?」
「さっき、面白い話を聞いたんだ。」
「なんだ?」
弓親が言う「面白い」というのは大概一角にとってはどうでもいい話だが、時たま当たりを引いてくる。
「名前ちゃんが芸術文化会の演劇に出るんだって。」
「あいつに演技なんて出来ねぇだろ。表情変わらねぇし。」
一角はいつも無愛想な彼女を思い浮かべた。
名前が演技をする姿など全く想像出来ない。
「僕も話を聞いた時は驚いたよ。でも、本当の話。大前田副隊長が言ってたみたいだから。」
「…で、なんの役を演じるんだ?」
興味がない訳ではないが、わざわざ観に行くまでもな…と思っていた一角は次の弓親の発言で覆された。
「名前ちゃん、花嫁役を演じるんだって。」
「…っ!!花嫁?!マジで言ってんのかよ。」
「昨日本番練習したみたいだけど、白無垢姿だったって。」
そもそも恋愛すら経験したことのない名前が花嫁役とは、よく引き受けたものだ。
相手役は誰なのだろうか?
花嫁という事は抱擁や接吻したりするのではないか?
一角は脳裏に様々な想像を繰り広げた。
女の魅力ゼロの名前に花嫁など演じれるわけがない。
気になる…観たくないと言えば嘘になる。
他の男と交わす所作など観たくない。
しかし、観に行かないという選択肢はない。
「~~~っ…!」
眉間に皺を寄せて葛藤する一角を見て弓親は面白いと思った。予想通りだ。
「で、観に行くんでしょ?」
「…さぁな。」
「僕は観に行くよ。面白そうだから。」
「勝手にしろ。」
一角は墨汁を染み込ませた筆を持ち、半紙に向かう。
その穂先は大きく揺れている。
「動揺しすぎでしょ。」
「るっせぇ!」
一角が書き終えた半紙を見ると、その文字は震えて先程書いた文字とは比べようにならない程下手だ。
「気が散る、出てけ。」
「はいはい。」
弓親の気配が消えると、一角は再度筆を置いた。
(名前の白無垢姿…。)
***
本番当日―――...
舞台の観覧席は例年以上に賑わいを見せていた。
予行練習で見せた名前の白無垢姿が他隊まで話題になっていたからだ。
「副隊長、すごい人ですよ!」
「俺様の手がけた作品だからな、当然だ!」
ガハハと笑う稀千代に合わせて裏方の隊員は苦笑いした。
それを見ていた名前はおかげで緊張せずにいられた。
この演劇の主人公はあくまで、狐姿の四楓院夜一。これは二番隊隊長である砕蜂が提示した『絶対』の設定だ。
(私は主役じゃない。台詞もない。綿帽子で顔もほとんど隠れている。予行練習通り演じるだけでいい。)
*
「すごい観客の数だね。」
埋まった客席を見て弓親は呟いた。
二番隊が予算を奮発して手掛ける演劇は毎年話題に上がるほど人気だった。
「一角、眠そうだね。」
寝ぼけ眼の一角は昨夜熟睡出来なかったようだ。
「私が目をさましてあげるー!」
剣八の膝の上で座っていたやちるが、隣の一角に飲み水をぶっ掛けた。
弓親は持っていた風呂敷で水の飛散を防ぐ。
顔面に掛けられた一角は上半身びしょ濡れ。
一角の額に青筋が浮かぶ。
「てんめぇ…。」
立ち上がり、今にも刀を抜きそうな一角に剣八は低く呟いた。
「一角、俺に向かって刀を抜くとは…覚悟できてるんだろうな?」
剣八の膝の上であっかんべーをするやちるに苛立ちを感じつつ、隊長の霊圧に圧される一角は「すみません」と再び席に座った。
「おかげで目が覚めたんじゃない?」
隣の弓親にほだされ、一角は舌打ちした。
昨夜眠れなかったのは、やはり今日のこの演劇のせいだった。
演劇とはいえ、名前が他の男と肩を並べて歩く姿を想像するだけで、苛立ちを感じた。
考えれば考えるほどイライラして目が冴えてしまい、程なくして朝を迎えた。
「興奮しすぎだから…。頼むから、演劇中に野次飛ばさないでね。恥ずかしいから。」
「んな事するか!」
呆れる弓親に食い掛かる一角。
まるで娘の結婚に反対する父親みたいだ、と弓親はため息を吐く。
「二番隊大前田稀千代脚本『狐の嫁入り』開幕します。」
場内案内が流れ、客席が暗くなる。
「ほら、始まるよ。」
それまで騒がしかった客席の話し声が鎮まる。
幕が上がると同時に拍手が起こる。
☆
ある所に芝刈りを生業とする若い男がいた。
男は心優しく、同じ村に住む老夫婦の手伝いや子供たちの世話役を嫌な顔一つせず、進んで行う。
村中に好かれる好青年だった。
彼もそろそろ一人前の男。そろそろいい嫁を貰って家を建てるべきだ、と人々から言われた。
そんなある日、森で芝刈りをしていると、狐が罠に掛かっている所に遭遇した。
「あぁ、狐か。こんな罠に掛ってしまうなんて不運な。」
鹿や猪を捕える罠であったことから、若い男は狐を逃がしてあげることにした。
男は狐を罠から助けた。
「もう、こんなところに来ちゃだめだ。危ないから山奥へおかえり。」
狐は男の顔を見つめ、山奥に消えた。
それから程なくして、村は大雨に見舞われた。
強風はなく、ひたすら大雨が続くので村の人々は家で大人しくしていた。
ある晩、男の家の扉を叩く者がいた。
「こんな雨の中、誰だろうか?」
男が戸を開けるとそこには若い女の姿があった。しかも彼女は白無垢を着ている。
綿帽子を深くかぶり、口元しか見えない。
「どうされたのですか?こんな雨の日に。」
「……。」
女は何も言なかったが、雨が降り込むのでとりあえず彼女を家にあげた。
不思議な事に、彼女は全く濡れていなかった。
「お腹は空いていませんか?とりあえずお茶をどうぞ。」
「……。」
囲炉裏の火を見つめる女の横に湯呑を置いた。すると女は湯呑を手に取り、お茶を啜った。
そして小さく頷いた。
「もしかして、声が出せないのですか?」
女はしばらくして頷いた。
この雨の中白無垢姿でいるという事は、よほど悲しい出来事があったに違いない。
哀しみで声が出なくなってしまったようだ。
「そうですか…私に出来る事はありませんが、雨が止むまでゆっくりしていってください。」
男はそう言うと藁を編んで縄を作り始めた。
*
(あいつ、本当に名前か?)
綿帽子で顔が見えないため、白無垢の女が名前なのか正直分からない。
ここまで名前が男が接近するような事はなく、一角は安心していた。
しかしまだ序盤。気は抜けない。
☆
そのまま夜は更けた。
白無垢の女に「好きな時に寝てください」と声を掛けると男は就寝した。
「おや、今日も芝刈りかね?精が出るねぇ。」
村人のおばあちゃんがいつもの様に声を掛けてくれた。
「ところで、嫁さんは元気かい?」
「嫁?おいらに嫁なんかおらんよ。」
「なーにとぼけた事言ってんだい。この間結婚したばかりじゃないかい。」
「へ???」
男は全く記憶にないので、おばあさんと別れた後に家に戻ることにした。
「ただいまー。」
戸を開けると、囲炉裏の中心に鍋が火にかけられており、その周り魚が串に刺さって焼かれている。
更にお釜はご飯が炊かれ、大根が吊るして干してある。
「何故食事の用意が出来ているのだ?」
「こんにちは。」
外から声を掛けてきたのは近所の子ども。
家の中から漂ういい香りをかいで「いいなぁ兄ちゃんは。こんな美味しそうなご飯が食べられるなんて。」
「一緒に食べるかい?」
「え、いいの!?やったー!ところでお嫁さんはどこか出かけたの?」
お嫁さん、と言葉を聞いて男は不思議に思った。
さっきもおばあさんから同じ事を言われた。自分に嫁などいないのに。
「さぁ…どうだろうか?」
「ご飯が出来ているから近くにいるはずだよ。迎えに行こうよ。」
「あ…あぁ。」
「僕は他の家を捜してくるから、兄ちゃんは畑を見てきて!」
言うなりに畑へ来たものの、嫁など娶っておらず、そもそも彼女の顔すら知らない。
「一体、何が何だか…。」
男が畑から森に入ると、桜の花びらが舞い落ちてきた。
「桜…?」
男は散る桜の花びらを辿りながら森に入って行った。
「これは綺麗な…。」
導かれるまま歩くと、桜の木が満開に咲いた広場に出た。
今までこんな場所あっただろうか?と思い起こしていると、人の気配を感じた。
「あ…!」
どこかで見た白無垢姿の女。
男は、村人が言っていた自分の嫁が彼女の事だと直感で思った。
しかし、彼女の名前が何なのか、どこで出会い、結婚したのかも分からない。
「あの、貴女は……。」
男は白無垢姿の女に近付く。
すると彼女はいつの間にか今いた場所の反対側に移動した。
男は手を伸ばして彼女に触れようとしたが、それは叶わない。
桜の花びらが散り、とても綺麗だ。
紅を付けた唇が何かを喋った。
声は聞こえなかったが、その口元は確かにこう言っていた。
(ありがとう。)
途端、風が吹き花びらとともに綿帽子が舞い上がった。
その素顔はとても美しい。
彼女は男を見ると、ニコリと微笑んだ。
男はしばらくその美しい顔立ちに見惚れていると、強い風が吹いた。
再び男が目を開けると、白無垢の女は姿を消していた。
そこで男は目を覚ました。
いつもと同じ部屋の風景。編みかけの藁を見て現実に戻ったのだと認識する。
「なんだ…夢だったのか…。」
そう言えば白無垢姿の女はどうしたのだ?と辺りを見渡した。
その姿はすっかりなくなっていた。
もしかして白無垢姿の女を家に招いた所から夢を見ていたのだろうか?
「あれ?これ…。」
彼女が座っていた場所には山菜が置かれていた。男は身に覚えのない山菜を手にして考えた。
扉がかすかに開いている。
男は草履を履いて家を飛び出した。
雨は止み、朝日が村を照らしている。
そして、男は狐がこちらを見ている事に気が付いた。
「あの狐…。」
見覚えのある狐、それは以前罠にかかった狐に間違いないと思った。
狐はしばらく男を見つめると山に帰って行った。
「化かされた…。」
男は山菜を握りながら空を仰いで笑った。
「狐の嫁入りとはこの事か…。」
青空が見えているが、雨がパラパラと降っている。
☆
雨と共に桜の花びらが降り注ぎ、舞台は幕を閉じた。
舞台上が見えなくなってからも会場の拍手はしばらく止まなかった。
「美しい……。」
弓親は呟き、手を叩いた。
剣八とやちるは眠っていたようで拍手の音で目を覚ました。
「終わったのか。」
「あれ?もう終わっちゃったの?むくりん出てきた?」
「ちゃんと出てきましたよ。ね、一角。」
返答がない。弓親は一角の顔を覗き込んだ。
「ちょ…一角?」
一角は瞬きもせずに舞台の上をガン見している。弓親が一角の目の前で掌をヒラヒラと動かしても微動だにしない。
「やちるキーック!」
やちるが一角の頬を蹴ると弓親の方向に倒れ込んだ。
一角は体を起こし、額に青筋を浮かべた。
「何しやがるんだ…。」
「つるりんも寝ちゃったかと思ったー!あはははは!」
「誰が寝るか馬鹿野郎!」
「しっ!」
舞台の幕が再び上がると、劇に出演していた役者が一列に並んで観客に向かって頭を下げた。
観客は拍手を送る。
「名前!」
狐に扮した猫の姿の夜一と若い男役、村人の子供とおじいさんおばあさんの横、袖幕側に白無垢姿の名前が立っていた。
他の役者は笑顔だが、名前は笑顔も見せずに観客を見ている。
「名前ちゃん、疲れた顔してるね。演技でも笑えばいいのに。」
「愛想がねぇ所、アイツらしいわ。」
案の定、他の観客から笑ってと言われ、口元を無理やり引き上げている名前。
彼女の精一杯の営業スマイルを見て一角と弓親は笑った。
「むくりんかわいい~!」
「へぇ…似合ってるじゃねぇか。」
劇中寝ていて見過ごした剣八とやちるは感嘆の声を上げた。
彼女の姿を観る事が出来たので、四人は満足した。
***
『入賞』と書かれたページに自身が書いた書道作品が掲載されている。
一角は「今回ばかりは仕方ねぇ」と思いながらページをめくった。
毎年優秀作品に選ばれている筈だが、思わぬ出来事に筆が乱れた。
その原因である写真を見て一角は息を吐いた。
「……やっぱ、綺麗だな。」
名前の白無垢姿を見ながら一角は呟いた。
普段新聞以外の記事は買わないが、彼女の写真が大きく載っているので、瀞霊廷通信を購入した。
劇中、綿帽子を外した名前の姿を見た一角はあまりの変貌ぶりに驚愕した。
白く塗られた肌は卵の様に滑らかで、化粧が施された目元は人を虜にする眼差し。紅で塗られた唇は思わず口付けしたくなるような膨らみだった。
一瞬だったが、微笑む彼女の表情があまりにも美しく、何度も思い出すほどに見入ってしまった。
それは一角の脳裏に焼き付いて離れない。
(アイツが嫁に行くとこんな感じなんだろうな…。)
誰か他の男に嫁ぐなんて、想像できないし絶対に許しがたい。
(もし…もしアイツが俺の嫁になったとしたら…。)
紋付袴の自分と白無垢の名前。
一角は手で自分の顔を押さえて悶絶した。
不埒な想像が始まる前に一角は頭からそれを追いやった。
ページをめくり、巻末の次号予告を見た。
『次号!白無垢姿の名前さん別撮り写真掲載!乞うご期待!』
(予約するか……。)
悩むことなく購入を心に決めた一角だった。
「一角!ちょっとまずいよ。」
突然部屋に入ってきた弓親。一角は瀞霊廷通信の上に新聞を敷いてそれを隠した。
「!?…なんだよ?」
「演劇を見て一目惚れした男たちが次々に名前ちゃんに交際を申し込んでるらしいよ。」
「はぁ!!?なんだよそれ、本当か???」
今まで目立たなかった彼女があれ程美しくなれば、男たちが騒ぎ立てるのは当然の事なのだろうが…一角は到底見過ごす事は出来なかった。
「うん。町で見かけて声を掛けようと思ったら、見知らぬ隊員が名前ちゃんに付いて回ってた。」
「はぁ?なんでそこで割って入らねぇんだ!」
「嫌だね。割って入って、男に絡まれるのが目に見えてる。めんどくさいもん。一角が行ってこればいいじゃん。」
「ったく…弓親、何処で見かけた?」
「甘味通り。」
「行ってくるわ!!!」
「行ってらっしゃい…。」
走って行ってしまった一角を見送った弓親はやれやれ、と息を吐いた。
(一角も名前ちゃんに惚れてるの、そろそろ自覚してほしいよね…他の男に取られるのが嫌なくらいなんだから。)
弓親は一角が読んでいた新聞をずらして彼が隠した瀞霊廷通信を見て笑った。
「ほんと、名前ちゃんが好きだよね…。」
一角が彼女に対する想いを、弓親はとうの昔に気付いていた。
(名前ちゃんが化粧するとあんなに綺麗になるとは驚きだったけど。)
普段、化粧気のない名前があれほどの美人だと今まで誰も気付かなかった。
(今更彼女に一目惚れしたって、一角が許さないよ。)
名前に付き纏う男たちを蹴散らす一角の姿を思い浮かべ、弓親は苦笑いを浮かべた。
【隠れた美人】...end.
「総隊長の盆栽、とても素晴らしいですね。」
書道や絵画、生花や盆栽など様々な作品が展示された展覧会。
文武両道を掲げる山本元柳斎重國が毎年、『芸術文化会』と称し各隊の芸術作品が飾られる。
この展覧会で才能が認められ、新たな仕事を見つける者もいた。
芸術文化会で優れた作品と認められた者には賞金が与えられる。
賞金目当てに参加する者も多いが、時間と労力を掛けている者には敵わなかった。
作品の展示以外にも楽器演奏や舞踊、演劇の披露もあった。
「各隊、どのような作品を披露してくれますかね?」
「真に楽しみである。」
***
「今回俺らが取り組む演劇の台本だ。」
二番隊副隊長 大前田稀千代が隊員に配ったのは彼自身が手掛けた脚本。
「砕蜂隊長原案の作品で、主人公は例のごとく四楓院夜一様が務められる。」
砕蜂隊長が夜一を崇拝、心酔している事は隊員が皆認識しているので驚く事はない。
今回もそうだよな、とその場にいる隊員全員が思った。
「演目のタイトルは『狐の嫁入り』…まぁ鶴の恩返しを元に脚色、手を加えたような話だ。」
登場人物は狐、若い男、農民、女に化けた狐。
特に人間の女に化ける狐役は華やかな花嫁衣装を着て、この演目の山場を演じる。
配役は挙手制で順調に決まり、花嫁役が残った。
「主人公はあくまで狐である夜一様。花嫁役は台詞はなく、演技という演技はしなくていい。誰かやりたい奴はいるか?」
稀千代は隊員を見渡すが、女隊員は顔を見合わせて、嫌そうな表情を浮かべる。
「どうした、今回の花形だぞ。何が不服なんだ?」
すると一人の女隊員が稀千代に意見した。
「大前田副隊長、こんな話をご存じですか?”嫁入り前に花嫁衣裳を纏うと結婚できない”と。」
「あぁ?!そんなのただの迷信だろ。」
未婚の女隊員は難色の表情を浮かべ、既婚の女隊員は「今更、花嫁衣裳を着るのは嫌だ」と言った。
「は~…一番重要な役が決まらねぇ。」
話し合いが行き詰まり、稀千代が悩んでいる時、部屋に入ってきた者がいた。
「大前田副隊長、遅くなり申し訳ありません。苗字只今戻りました。」
名前は別件で会議に参加していた為、参加が遅れた。
名前の姿を見た稀千代は満面の笑みを浮かべた。
「苗字!そうか、まだお前がいたな。花嫁衣裳を着るのは抵抗があるか?あくまで着るってだけだ。」
「花嫁衣裳…?着るだけなら別に…何故ですか?」
名前は幾度か婚礼の儀を見かけたことがあった。頭まで覆う純白な美しい衣装。
他の女隊員はいつか花嫁衣装に身を包むのが夢だと聞いたが、名前は自身には全く縁の無い話だと思っていた。
「よし、決まった!」
稀千代は名前の背中をばんと叩き、台本を渡した。
「お前に花嫁役を演じてもらう。なぁに、衣装を着て軽く所作を行うだけだ。」
「……はぁ。」
名前はようやくここで他の女隊員が花嫁役を拒否したのだな、と気が付いた。
正直面倒だが、役者として出演するなら多少なりとも報酬が貰えるやもしれない。
(これも仕事の一つと考えよう。)
気は進まないが、名前は役に徹する覚悟を決めた。
***
散髪して顔を剃り、洗い流して髪を乾かした名前は部屋に飾られている白無垢に見入っていた。
(…これが白無垢。)
財閥の長男である大前田副隊長が用意したものだけあって、細かい刺繍や細工が施してあり、かなり豪華なあしらいである。
興味のない名前も思わず息を吐いてしまうほど綺麗だ。
「では早速、着付けてみましょうか!」
稀千代が手配した女中三人は名前に白無垢を着付け、肩を出した状態で鏡台の前に座らせた。
一人は頭からマッサージを始め、一人は髪を整え、一人は化粧水に浸した脱脂綿を名前の顔に貼り付ける。
全てが初めての経験に名前は固まっていたが、マッサージの効果もあり徐々に緊張の糸はほぐれていった。
「こんな素晴らしい白無垢、中々着る機会はありませんよ。演劇の為とはいえ、羨ましいです。」
色恋話に興味のない名前は、女中の話に耳を傾けながら、結婚すると言うのはそんなに嬉しい事なのかと思った。
どちらにしろ、自分には縁のない話だ。
「では、化粧を施していきますね。」
手際良く白粉を塗られていく。元々白い肌が更に白く色塗られていく様を見て、本当に変わるのだろうかと思った。
目、眉、頬、唇に化粧が塗られ、変貌していく様子を見て名前は驚いた。
(これ、本当に私か?)
鏡に映っている女性が誰だか分からない程に変貌している。
髪も整い、立ち上がって帯と襟、袖を整えるとこの場にいた女中も息を呑んだ。
「なんと美しい…!」
「きっと殿方も惚れ込んでしまいますね。」
女中の言葉より、名前は衣装の重さと身動き辛さにストレスを感じた。
(全然動けない…!)
この衣装でいる間は自由に歩き回ることが出来ないのが歯痒い。
「苗字五席の身の回りの事は全て周りの者が行いますので、なんなりとお申し付けください。」
食事と用を済ませておけと言われたのが理解できた。迂闊に水すら飲めない。
「では疲れぬうちに舞台へ上がりましょう。」
今日は衣装を着た本番さながらの通し練習だ。
女中に手と袖を持ってもらい、ゆっくりと舞台へ上がる。
これまでも練習してきたとは言え、この衣装で今まで通り演技が出来るか心配だった。
「おぉ~!苗字見違えたな!」
舞台演出、脚本を手掛ける稀千代も思わず声を上げた。
同隊の仲間から普段とは違う色めく視線を向けられ、名前はむず痒さを感じた。
夜一の姿がない事に気が付いた隊員が稀千代に駆け寄った。
「あの、主演の夜一様のお姿が見えないのですが…。」
「あぁ、砕蜂隊長によると夜一様はお忙しいとのことで欠席だ。」
「夜一様、本番は大丈夫なんですか?」
「砕蜂隊長が崇拝しているお方だ。きっと巧くやれるだろう。」
「そうですか…。」
少々不安が残るものの、予行練習は始まった。
「よし、本番通りやっていくぞ!」
*
一通り予行練習が済み、舞台上では出演者、裏方が集まった。
「ニ日後の本番、二番隊の集大成披露するぞ!」
『はい!』
通し練習を終えた名前は緊張の糸を緩めた。早くこの重たい衣装を脱ぎたい。
「苗字五席、ちょっといいかな?」
名前は部下たちに取り囲まれた。普段は話す機会がない者たちだ。
「本当に五席ですか?」
「とても綺麗ですね~!」
「五席はこんなに美人さんなんですから、隠さないでもっと自信を持ってください!」
「……あぁ……。」
部下の投げかけに返答できずにいると、いつの間に持ってきたのかカメラが用意されていた。
「当日は写真を撮っている時間ないと思うので、今から撮りましょう!出演者は皆んな集まって~。」
***
「……。」
十一番隊舎。
畳の上で筆を持つ男の姿。
斑目一角は芸術文化会に提出する書道作品を書いていた。
既に五枚書いたが、違う文字を書いてみようと筆を置いた時だった。
弓親が部屋に入ってきた。
「流石一角。どれも達筆だね。」
「チビがいないうちに書いとかねーとな。邪魔されると集中出来ねぇ。で、なんか用か?」
「さっき、面白い話を聞いたんだ。」
「なんだ?」
弓親が言う「面白い」というのは大概一角にとってはどうでもいい話だが、時たま当たりを引いてくる。
「名前ちゃんが芸術文化会の演劇に出るんだって。」
「あいつに演技なんて出来ねぇだろ。表情変わらねぇし。」
一角はいつも無愛想な彼女を思い浮かべた。
名前が演技をする姿など全く想像出来ない。
「僕も話を聞いた時は驚いたよ。でも、本当の話。大前田副隊長が言ってたみたいだから。」
「…で、なんの役を演じるんだ?」
興味がない訳ではないが、わざわざ観に行くまでもな…と思っていた一角は次の弓親の発言で覆された。
「名前ちゃん、花嫁役を演じるんだって。」
「…っ!!花嫁?!マジで言ってんのかよ。」
「昨日本番練習したみたいだけど、白無垢姿だったって。」
そもそも恋愛すら経験したことのない名前が花嫁役とは、よく引き受けたものだ。
相手役は誰なのだろうか?
花嫁という事は抱擁や接吻したりするのではないか?
一角は脳裏に様々な想像を繰り広げた。
女の魅力ゼロの名前に花嫁など演じれるわけがない。
気になる…観たくないと言えば嘘になる。
他の男と交わす所作など観たくない。
しかし、観に行かないという選択肢はない。
「~~~っ…!」
眉間に皺を寄せて葛藤する一角を見て弓親は面白いと思った。予想通りだ。
「で、観に行くんでしょ?」
「…さぁな。」
「僕は観に行くよ。面白そうだから。」
「勝手にしろ。」
一角は墨汁を染み込ませた筆を持ち、半紙に向かう。
その穂先は大きく揺れている。
「動揺しすぎでしょ。」
「るっせぇ!」
一角が書き終えた半紙を見ると、その文字は震えて先程書いた文字とは比べようにならない程下手だ。
「気が散る、出てけ。」
「はいはい。」
弓親の気配が消えると、一角は再度筆を置いた。
(名前の白無垢姿…。)
***
本番当日―――...
舞台の観覧席は例年以上に賑わいを見せていた。
予行練習で見せた名前の白無垢姿が他隊まで話題になっていたからだ。
「副隊長、すごい人ですよ!」
「俺様の手がけた作品だからな、当然だ!」
ガハハと笑う稀千代に合わせて裏方の隊員は苦笑いした。
それを見ていた名前はおかげで緊張せずにいられた。
この演劇の主人公はあくまで、狐姿の四楓院夜一。これは二番隊隊長である砕蜂が提示した『絶対』の設定だ。
(私は主役じゃない。台詞もない。綿帽子で顔もほとんど隠れている。予行練習通り演じるだけでいい。)
*
「すごい観客の数だね。」
埋まった客席を見て弓親は呟いた。
二番隊が予算を奮発して手掛ける演劇は毎年話題に上がるほど人気だった。
「一角、眠そうだね。」
寝ぼけ眼の一角は昨夜熟睡出来なかったようだ。
「私が目をさましてあげるー!」
剣八の膝の上で座っていたやちるが、隣の一角に飲み水をぶっ掛けた。
弓親は持っていた風呂敷で水の飛散を防ぐ。
顔面に掛けられた一角は上半身びしょ濡れ。
一角の額に青筋が浮かぶ。
「てんめぇ…。」
立ち上がり、今にも刀を抜きそうな一角に剣八は低く呟いた。
「一角、俺に向かって刀を抜くとは…覚悟できてるんだろうな?」
剣八の膝の上であっかんべーをするやちるに苛立ちを感じつつ、隊長の霊圧に圧される一角は「すみません」と再び席に座った。
「おかげで目が覚めたんじゃない?」
隣の弓親にほだされ、一角は舌打ちした。
昨夜眠れなかったのは、やはり今日のこの演劇のせいだった。
演劇とはいえ、名前が他の男と肩を並べて歩く姿を想像するだけで、苛立ちを感じた。
考えれば考えるほどイライラして目が冴えてしまい、程なくして朝を迎えた。
「興奮しすぎだから…。頼むから、演劇中に野次飛ばさないでね。恥ずかしいから。」
「んな事するか!」
呆れる弓親に食い掛かる一角。
まるで娘の結婚に反対する父親みたいだ、と弓親はため息を吐く。
「二番隊大前田稀千代脚本『狐の嫁入り』開幕します。」
場内案内が流れ、客席が暗くなる。
「ほら、始まるよ。」
それまで騒がしかった客席の話し声が鎮まる。
幕が上がると同時に拍手が起こる。
☆
ある所に芝刈りを生業とする若い男がいた。
男は心優しく、同じ村に住む老夫婦の手伝いや子供たちの世話役を嫌な顔一つせず、進んで行う。
村中に好かれる好青年だった。
彼もそろそろ一人前の男。そろそろいい嫁を貰って家を建てるべきだ、と人々から言われた。
そんなある日、森で芝刈りをしていると、狐が罠に掛かっている所に遭遇した。
「あぁ、狐か。こんな罠に掛ってしまうなんて不運な。」
鹿や猪を捕える罠であったことから、若い男は狐を逃がしてあげることにした。
男は狐を罠から助けた。
「もう、こんなところに来ちゃだめだ。危ないから山奥へおかえり。」
狐は男の顔を見つめ、山奥に消えた。
それから程なくして、村は大雨に見舞われた。
強風はなく、ひたすら大雨が続くので村の人々は家で大人しくしていた。
ある晩、男の家の扉を叩く者がいた。
「こんな雨の中、誰だろうか?」
男が戸を開けるとそこには若い女の姿があった。しかも彼女は白無垢を着ている。
綿帽子を深くかぶり、口元しか見えない。
「どうされたのですか?こんな雨の日に。」
「……。」
女は何も言なかったが、雨が降り込むのでとりあえず彼女を家にあげた。
不思議な事に、彼女は全く濡れていなかった。
「お腹は空いていませんか?とりあえずお茶をどうぞ。」
「……。」
囲炉裏の火を見つめる女の横に湯呑を置いた。すると女は湯呑を手に取り、お茶を啜った。
そして小さく頷いた。
「もしかして、声が出せないのですか?」
女はしばらくして頷いた。
この雨の中白無垢姿でいるという事は、よほど悲しい出来事があったに違いない。
哀しみで声が出なくなってしまったようだ。
「そうですか…私に出来る事はありませんが、雨が止むまでゆっくりしていってください。」
男はそう言うと藁を編んで縄を作り始めた。
*
(あいつ、本当に名前か?)
綿帽子で顔が見えないため、白無垢の女が名前なのか正直分からない。
ここまで名前が男が接近するような事はなく、一角は安心していた。
しかしまだ序盤。気は抜けない。
☆
そのまま夜は更けた。
白無垢の女に「好きな時に寝てください」と声を掛けると男は就寝した。
「おや、今日も芝刈りかね?精が出るねぇ。」
村人のおばあちゃんがいつもの様に声を掛けてくれた。
「ところで、嫁さんは元気かい?」
「嫁?おいらに嫁なんかおらんよ。」
「なーにとぼけた事言ってんだい。この間結婚したばかりじゃないかい。」
「へ???」
男は全く記憶にないので、おばあさんと別れた後に家に戻ることにした。
「ただいまー。」
戸を開けると、囲炉裏の中心に鍋が火にかけられており、その周り魚が串に刺さって焼かれている。
更にお釜はご飯が炊かれ、大根が吊るして干してある。
「何故食事の用意が出来ているのだ?」
「こんにちは。」
外から声を掛けてきたのは近所の子ども。
家の中から漂ういい香りをかいで「いいなぁ兄ちゃんは。こんな美味しそうなご飯が食べられるなんて。」
「一緒に食べるかい?」
「え、いいの!?やったー!ところでお嫁さんはどこか出かけたの?」
お嫁さん、と言葉を聞いて男は不思議に思った。
さっきもおばあさんから同じ事を言われた。自分に嫁などいないのに。
「さぁ…どうだろうか?」
「ご飯が出来ているから近くにいるはずだよ。迎えに行こうよ。」
「あ…あぁ。」
「僕は他の家を捜してくるから、兄ちゃんは畑を見てきて!」
言うなりに畑へ来たものの、嫁など娶っておらず、そもそも彼女の顔すら知らない。
「一体、何が何だか…。」
男が畑から森に入ると、桜の花びらが舞い落ちてきた。
「桜…?」
男は散る桜の花びらを辿りながら森に入って行った。
「これは綺麗な…。」
導かれるまま歩くと、桜の木が満開に咲いた広場に出た。
今までこんな場所あっただろうか?と思い起こしていると、人の気配を感じた。
「あ…!」
どこかで見た白無垢姿の女。
男は、村人が言っていた自分の嫁が彼女の事だと直感で思った。
しかし、彼女の名前が何なのか、どこで出会い、結婚したのかも分からない。
「あの、貴女は……。」
男は白無垢姿の女に近付く。
すると彼女はいつの間にか今いた場所の反対側に移動した。
男は手を伸ばして彼女に触れようとしたが、それは叶わない。
桜の花びらが散り、とても綺麗だ。
紅を付けた唇が何かを喋った。
声は聞こえなかったが、その口元は確かにこう言っていた。
(ありがとう。)
途端、風が吹き花びらとともに綿帽子が舞い上がった。
その素顔はとても美しい。
彼女は男を見ると、ニコリと微笑んだ。
男はしばらくその美しい顔立ちに見惚れていると、強い風が吹いた。
再び男が目を開けると、白無垢の女は姿を消していた。
そこで男は目を覚ました。
いつもと同じ部屋の風景。編みかけの藁を見て現実に戻ったのだと認識する。
「なんだ…夢だったのか…。」
そう言えば白無垢姿の女はどうしたのだ?と辺りを見渡した。
その姿はすっかりなくなっていた。
もしかして白無垢姿の女を家に招いた所から夢を見ていたのだろうか?
「あれ?これ…。」
彼女が座っていた場所には山菜が置かれていた。男は身に覚えのない山菜を手にして考えた。
扉がかすかに開いている。
男は草履を履いて家を飛び出した。
雨は止み、朝日が村を照らしている。
そして、男は狐がこちらを見ている事に気が付いた。
「あの狐…。」
見覚えのある狐、それは以前罠にかかった狐に間違いないと思った。
狐はしばらく男を見つめると山に帰って行った。
「化かされた…。」
男は山菜を握りながら空を仰いで笑った。
「狐の嫁入りとはこの事か…。」
青空が見えているが、雨がパラパラと降っている。
☆
雨と共に桜の花びらが降り注ぎ、舞台は幕を閉じた。
舞台上が見えなくなってからも会場の拍手はしばらく止まなかった。
「美しい……。」
弓親は呟き、手を叩いた。
剣八とやちるは眠っていたようで拍手の音で目を覚ました。
「終わったのか。」
「あれ?もう終わっちゃったの?むくりん出てきた?」
「ちゃんと出てきましたよ。ね、一角。」
返答がない。弓親は一角の顔を覗き込んだ。
「ちょ…一角?」
一角は瞬きもせずに舞台の上をガン見している。弓親が一角の目の前で掌をヒラヒラと動かしても微動だにしない。
「やちるキーック!」
やちるが一角の頬を蹴ると弓親の方向に倒れ込んだ。
一角は体を起こし、額に青筋を浮かべた。
「何しやがるんだ…。」
「つるりんも寝ちゃったかと思ったー!あはははは!」
「誰が寝るか馬鹿野郎!」
「しっ!」
舞台の幕が再び上がると、劇に出演していた役者が一列に並んで観客に向かって頭を下げた。
観客は拍手を送る。
「名前!」
狐に扮した猫の姿の夜一と若い男役、村人の子供とおじいさんおばあさんの横、袖幕側に白無垢姿の名前が立っていた。
他の役者は笑顔だが、名前は笑顔も見せずに観客を見ている。
「名前ちゃん、疲れた顔してるね。演技でも笑えばいいのに。」
「愛想がねぇ所、アイツらしいわ。」
案の定、他の観客から笑ってと言われ、口元を無理やり引き上げている名前。
彼女の精一杯の営業スマイルを見て一角と弓親は笑った。
「むくりんかわいい~!」
「へぇ…似合ってるじゃねぇか。」
劇中寝ていて見過ごした剣八とやちるは感嘆の声を上げた。
彼女の姿を観る事が出来たので、四人は満足した。
***
『入賞』と書かれたページに自身が書いた書道作品が掲載されている。
一角は「今回ばかりは仕方ねぇ」と思いながらページをめくった。
毎年優秀作品に選ばれている筈だが、思わぬ出来事に筆が乱れた。
その原因である写真を見て一角は息を吐いた。
「……やっぱ、綺麗だな。」
名前の白無垢姿を見ながら一角は呟いた。
普段新聞以外の記事は買わないが、彼女の写真が大きく載っているので、瀞霊廷通信を購入した。
劇中、綿帽子を外した名前の姿を見た一角はあまりの変貌ぶりに驚愕した。
白く塗られた肌は卵の様に滑らかで、化粧が施された目元は人を虜にする眼差し。紅で塗られた唇は思わず口付けしたくなるような膨らみだった。
一瞬だったが、微笑む彼女の表情があまりにも美しく、何度も思い出すほどに見入ってしまった。
それは一角の脳裏に焼き付いて離れない。
(アイツが嫁に行くとこんな感じなんだろうな…。)
誰か他の男に嫁ぐなんて、想像できないし絶対に許しがたい。
(もし…もしアイツが俺の嫁になったとしたら…。)
紋付袴の自分と白無垢の名前。
一角は手で自分の顔を押さえて悶絶した。
不埒な想像が始まる前に一角は頭からそれを追いやった。
ページをめくり、巻末の次号予告を見た。
『次号!白無垢姿の名前さん別撮り写真掲載!乞うご期待!』
(予約するか……。)
悩むことなく購入を心に決めた一角だった。
「一角!ちょっとまずいよ。」
突然部屋に入ってきた弓親。一角は瀞霊廷通信の上に新聞を敷いてそれを隠した。
「!?…なんだよ?」
「演劇を見て一目惚れした男たちが次々に名前ちゃんに交際を申し込んでるらしいよ。」
「はぁ!!?なんだよそれ、本当か???」
今まで目立たなかった彼女があれ程美しくなれば、男たちが騒ぎ立てるのは当然の事なのだろうが…一角は到底見過ごす事は出来なかった。
「うん。町で見かけて声を掛けようと思ったら、見知らぬ隊員が名前ちゃんに付いて回ってた。」
「はぁ?なんでそこで割って入らねぇんだ!」
「嫌だね。割って入って、男に絡まれるのが目に見えてる。めんどくさいもん。一角が行ってこればいいじゃん。」
「ったく…弓親、何処で見かけた?」
「甘味通り。」
「行ってくるわ!!!」
「行ってらっしゃい…。」
走って行ってしまった一角を見送った弓親はやれやれ、と息を吐いた。
(一角も名前ちゃんに惚れてるの、そろそろ自覚してほしいよね…他の男に取られるのが嫌なくらいなんだから。)
弓親は一角が読んでいた新聞をずらして彼が隠した瀞霊廷通信を見て笑った。
「ほんと、名前ちゃんが好きだよね…。」
一角が彼女に対する想いを、弓親はとうの昔に気付いていた。
(名前ちゃんが化粧するとあんなに綺麗になるとは驚きだったけど。)
普段、化粧気のない名前があれほどの美人だと今まで誰も気付かなかった。
(今更彼女に一目惚れしたって、一角が許さないよ。)
名前に付き纏う男たちを蹴散らす一角の姿を思い浮かべ、弓親は苦笑いを浮かべた。
【隠れた美人】...end.