月光に毒される(短編集)
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【鬼さんこちら】
十一番隊 応接室―――...
「むくりんこれ、おいしー!」
草鹿やちるとむくりん(いつも寡黙でムッとしているため)と呼ばれた女、二番隊の苗字名前は今尸魂界で流行っているドーナツを食べていた。
「お口に合ったようで、なによりです。」
やちるは甘いものであれば何でも食べるので、手土産選びはまずまず失敗しない。
「お?名前がいるなんて珍しいじゃねーか。」
名前に声を掛けたのは斑目一角。彼女の顔を見て一角は口元を引き上げた。
「今日は非番か?」
「えぇ。」
一角は久しく会う彼女を見て高揚した。名前は一角が手を掛けて育てた後輩だからだ。
それと、一角は彼女に好意を寄せていた。なので名前の霊圧を感知して急いで駆け付けたとは言えず…。
いつもクールな彼女は先輩である一角に対してもそっけない。それは出会った頃から変わらない、彼女の性格。
感情表現の少ない名前だが、真摯に鍛錬に励む姿や情のある行動、口には出さないが負けず嫌いで努力を怠らない姿勢が好きだった。
「じゃ、俺の鍛錬に付き合ってくれねーか?」
「やだー!むくりんはわたしとあそぶんだもーん!」
「昨日散々、副隊長の我がままに付き合ったじゃないっすか!」
「うるさいパチンコ玉!」
「あんだと?このチビ!!!」
いつもの様にやちると一角の喧嘩が始まった。そんな見慣れた光景を横目に名前はゆっくりとお茶をすすった。
「ちょっと、なんの騒ぎ?」
騒動を聞きつけてやってきたのは弓親。名前の横で取っ組み合いになっている二人を見てため息を吐いた。
「名前ちゃん久しぶりだね。今、どういう状況?おおよそ想像はできるけど…。」
「見ての通り。弓親も食べる?浪漫亭で買ってきたの。」
「これって、開店すぐ売り切れるドーナツじゃないか!ありがたく頂くよ。」
ドーナツを食べる弓親と名前を横目にやちると一角の喧嘩は激しさを増す一方。
「そろそろ仲裁に入った方がいいんじゃない?壁に穴が開く前に。」
弓親の言葉に、名前はゆっくりと立ち上がった。
「二人共、私にいい案があります。」
「???」
掴み合う二人を見下ろしながら名前は口を開いた。
「鬼事(鬼ごっこ)をしましょう。一角が鬼で一刻(二時間)後までに私たちが逃げ切れば、そうね……一角に甘味でも奢ってもらいましょうか。」
「俺が勝ったら?」
「一角が勝ったら…気の済むまで鍛錬に付き合うわ。」
一角はニヤリと笑った。
「上等じゃねーか。」
「わーい!ぜったいにおやつおごってもらうんだから~!!!」
やちると一角はやる気満々だ。名前が弓親に視線を送ると「うまく二人をまとめたね」と笑った。
「よ~し、十数えたら捕まえに行くぜ!覚悟しろよ~!」
「むくりん、つかまっちゃダメだよ~!」
「勿論です。」
一角が数を数え始めるとやちると名前はそれぞれ違う方角へ走って出て行った。
「他隊に迷惑かけないようにね。」
「わーってるよ。」
弓親の忠告に一角は軽く返事をした。二人とも足が速いので一筋縄ではいかない。
「行ってくる。」
「行ってらっしゃ~い。」
ま、あの三人が忠告を聞く訳ないけどね、と弓親はドーナツを頬張った。
「ん~おいし。」
*
一角は二人の霊圧を探った。二人は別々の場所を移動している。やちるの方が近くにいるみたいだ。
(先ずはチビの方から捕まえに行くか。)
やちるの行動パターンは読めている。いつも彼女が向かう先は、隣の十番隊と決まっている。
門をくぐって近くの隊士にやちるが来なかったか尋ねる。
「草鹿副隊長は執務室に向かいましたよ。」
「ありがとさん。」
勘が当たった。おおよそ日番谷隊長に菓子を貰いに来たのだろう。あの小さい体でよく食べられるものだ。
「失礼しまーす。」
「あぁ。」
扉を開けると日番谷冬獅郎が椅子に座って書類を片付けていた。
「草鹿なら松本とどっか行ったぞ。」
あからさまに不機嫌な日番谷に、一角は冷や汗を流した。松本はやちるに誘われ、仕事を放りだしたに違いない。
「そうっスか…見つけたら戻るように伝えておきます。」
「頼んだぞ。」
視線は合わなかったが、眉間にしわを寄せる日番谷の圧を感じた一角はそそくさと十番隊から出た。
「早速、弓親の忠告無視してんじゃねーか。」
乱菊を入れて三人を捕まえなければならなくなり、一角はため息を吐いた。「松本はカウントしねーぞ」と思っていると一角の姿を見つけた恋次が手を振っている。
「一角さん、乱菊さんから聞きましたよ。鬼ごっこしてるんスか?」
「あぁ?あいつペラペラと喋りやがって。」
「俺も入れてほしいっス!」
めんどくさい事になった。恋次が話し掛けてくる時点で、嫌な予感はしていたのだ。これ以上人数が増えると面倒な事になる。
「めんどくせーな…ん?いや、待てよ。」
一角は少し思いとどまった。恋次に鬼を頼めばいいのではないかと。乱菊が逃げる側に参戦したのなら、鬼だって増やせばいいのだ。
「よし分かった。恋次、お前は俺と鬼をやってくれ。松本を捕まえたら十番隊に戻ように伝えろよ、日番谷隊長の伝言だってな。」
「了解っす!」
一角と恋次は二手に分かれて捜索に出た。
*
「名前~!」
中央図書館付近にいた名前は声を掛けてきた人物の方を向いた。
「松本副隊長、ご無沙汰しております。」
名前は片膝を付き、頭を下げた。
「堅苦しいって~。それより、やちるから聞いたわ、私も仲間に入れてもらっちゃった!いいでしょ?」
「はい、構いませんよ。」
「一角の奴、恋次を仲間に入れて私たちを捜してるのよ。せこいわよね~!」
「二人から逃げ切れば問題ありません。」
「自信満々なのね。」
普通の女子なら松本に共感して愚痴を吐露する所だが、名前はその様な事は一切言わない。
「今、自分の実力を試しているんです。なので負けられません。」
真面目でしっかりしてて、一角が手を掛けるのも分かるわ…と松本は微笑ましく思った。
「名前、一角が近づいて来てるわ。逃げるわよ。」
「はい。」
*
一角は三人の姿を見つけるどころか、接近する事も出来ず苛立っていた。霊圧は押し殺しているものの、完壁には消せない。
松本と名前は一角の微弱な霊圧を感知してすぐに逃げてしまう。
「何やら面白そうな事をしているな!」
一角に声を掛けたのは瀞霊廷にいる事が珍しい四楓院夜一と二番隊隊長の砕蜂だった。
誰かに鬼事の話を聞いたようだ。そうでなければ一角に話し掛けてくる事はまずない。
「あー…えっとご無沙汰しております。」
前触れなく声を掛けられたため、一角は内心驚きを隠せなかった。あまりの速さで、近づいてきたことすら気付かなかったのだ。慌てて頭を下げる。
「苗字相手に鬼事か?」
夜一の横にいた砕蜂がふふ、と笑った。砕蜂は苗字の上司になる。今の彼女の実力を間近に見ている一人だ。
「圧倒的に不利じゃないか。私たち程ではないが、苗字は速いぞ。」
「知ってますよ。」
名前は歩法が巧い。それを見抜いた砕蜂が彼女を二番隊に引き抜いたのだが、名前を間近で見てきた一角が一番よく知っていた。
「あいつをどう捕まえるかは今考えてるっての...」と思っていると、夜一が一角に向かって何かを投げた。
一角が受け取った物、それは黒い装束。
「霊圧遮断機能のある装束だ。貸してやろう。これでおぬしも苗字と勝負できる。」
正しく今役に立つ代物だ。一角は深く頭を下げた。
「ありがとうございます!」
「頑張れよ!」
二人は音もなく姿を消した。一角は早速借りた装束を身に付けた。
「待ってろよ、名前!」
*
「松本さん!」
「修兵、何か用?」
乱菊は暇潰しに店を見て回っていた所、檜佐木修兵に声を掛けられた。
「こないだ瀞霊廷通信の取材で美味しい店を見つけたんで、乱菊さんと呑みに行きたいと思って!」
「へぇ~なんてお店なの?」
「グロリアっていう現世の国にある料理の店なんです。そこで食べた肉がすごく美味くて、酒が進むこと間違いなし!」
「私も聞いたことない店ね…。気になるかも~!」
修兵は念願の乱菊とのデートを確約でき、気持ちが上昇していた。
乱菊に喜んでもらえる事間違いなしのお洒落で品のある店なので、もしかしたら、もしかするかもしれないと修兵はガッツポーズをとった。
「じゃあ予約取っておくんで都合のいい日にち教えてください!」
「ん~分かった!そうだ、吉良も誘おうかしら!肉を食べて精つけてもらわなきゃね。あとお肉料理が好きって言ったら誰がいたかしら…。美味しい店なら、みんなに広めたいもんね!」
乱菊の提案に嫌とも言えず、修兵は肩を落とした。
念願の二人きりデートの野望が崩れ去り、項垂れた。
「隙ありまくりだな、松本!」
乱菊は突然の声に反応が遅れた。誰かの手が乱菊の肩を掴んでいる。
「一角!あんた…それ、ずるいじゃないの~!」
乱菊は装束を着た一角の姿を見て、しまったわ…とこめかみに手を当てた。そして修兵に詰め寄る。
「修兵のせいで捕まったじゃないの!」
「え、なんの事っすか?!」
「アンタなんか知らない!」
訳も分からず乱菊を怒らせてしまい、修兵は肩を落とした。
「おい松本、日番谷隊長が戻れってよ。サボってねーでさっさと仕事しろよな。」
「えーつまんないわよ~!」
「お前副隊長だろーが。」
やちると全く同じ台詞だ。しかし借りた装束のおかげで、一角は簡単に松本を捕まえる事ができた。あとはウチの副隊長と名前。
これなら時間内に二人を捕まえられそうだと思った。
*
「むくりーん!」
木の上で様子を見ていた名前とやちるが合流した。
名前はやちるの姿を見て微笑んだ。時間は半刻が過ぎた所。乱菊が捕まったので、そろそろ一角と恋次が本気で捕まえにやって来る頃だ。
「副隊長、楽しいんでいらっしゃいますか?」
「うん、とーってもたのしいよ!もっともっとつるりんとむくりんとあそびたいな♪」
「私もです…。」
名前は十一番隊の気の抜けた、自由気ままな雰囲気が好きだ。それはやちるの存在が大きく影響している事は間違いない。
二番隊に異動した今も、十一番隊は名前にとって家族のようなものだった。初めて仲間意識を覚えた大事な場所なのだ。
「お二人さん見ーつけた。」
恋次の声が下から聞こえてきた。
副隊長だけあって霊圧の抑制が上手い。やちると名前は木から木へ飛び移り、建物の屋根の上を走り出した。
「にっげろー!」
やちるの笑い声と共に名前は走り出した。恋次は瞬歩を使い、二人を追いかける。名前の方が速く姿が見えなくなったので、とりあえずやちるを追う事にした。
「草鹿副隊長~金平糖食べませんか?」
「たべた~い!」
金平糖が大好物のやちるを、餌で釣ろうとしている。せこいやり方だと思った恋次だったが、一角の頼みなので仕方ない。
誘惑でやちるに近付けたものの、一筋縄にはいかない。背丈が小さく小回りが良く効くので、中々捕まえられない。
「おーにさーんこちら、てーのなーるほーうへ♪あははは!」
(もうすぐだ。)
自由自在に飛び回るやちるに翻弄されながら、恋次は罠を仕掛けた地点まで彼女を誘導する。
「あー!あれは…!」
ついにやちるの目に映ったのは、色とりどりの金平糖。漆塗りの腕に一杯入った金平糖にやちるは目を輝かせた。
「いただきまーす!」
罠にかかった!と恋次は好きを逃さずにやちるの背中に触れた。
「草鹿副隊長つーかまーえた!」
「へへっ!ごめんねむくりんー!」
やちるは笑顔で金平糖を頬張った。
*
恋次の追跡から逃れた名前は木々の生い茂る場所に来ていた。障害物が多く姿を隠しやすいからだ。
名前はまだ一角の姿を見かけていない。慎重になっているのだろうか、霊圧を探るものの全く分からない。
一角はどこへ行ったのだろう?と思っていると、誰もいないはずの林に足音が聞こえた。
(誰か来た…。)
間違いなく人の足音だ。しかし霊圧が全く感じられない。集中しても気配が分からないのだ。そんな事は普通あり得ない。
「見つけたぜ。」
隙を狙って飛び込んできたのは黒い装束を着た男。名前はギリギリの所でかわして、拘束を免れた。
「さすが、隠密機動に所属してるだけあるな。」
「…誰から借りたの?技術開発局?」
装束姿の一角を見た名前は冷静に分析したが、どうやら違うようだ。一角は名前に向かって走り出した。
「さぁな、残るはお前だけだ。俺の鍛錬に付き合ってもらうぜ!」
瞬歩を使って距離を取ろうとするが、一角も意地になって名前を追いかける。
名前は敵の動きをある程度読む事ができるが、霊圧が感知できない今、どこから攻撃を仕掛けてくるか分からず苦戦した。
(一角は殺気を消す事に長けている。一瞬の音を聞き逃すと捕まる。)
動く時に空気を切る風が揺れ、音が聞こえる。名前はそれを読み取って反応していた。霊圧と殺気が感じられない今、一瞬の油断が命取りだ。先手を打とう。
名前は瞬歩で移動できる最短の速さで移動し、敵の目を翻弄してから移動できる最大限の距離まで伸ばした。木々を挟んで一角の目を誤魔化す。
巻いたか…と名前が安堵した瞬間、恋次の声が聞こえた。
「俺もいるっスよ~!」
恋次が合流した今、名前は不利になった。三人の中で足が速い名前はここで負けてはいられない。
「名前悪く思うなよ。吼えろ蛇尾丸!」
恋次は斬魄刀を始解した。伸びた刃が木々の枝を切り裂く。
「ちっ!」
終了時刻が近くなれば斬魄刀を使ってくると予測していた名前は的確に攻撃を避けた。恋次の攻撃は遅いのでまず回避できる。
それより面倒なのは、霊圧を探知する事のできない一角だ。攻撃の予測が難しく油断できない。
「名前!よそ見してる暇ねーぞ!」
(恋次の攻撃で一角の足音が聞こえない…まずい。)
名前は目を瞑り、視界を閉ざした。
蛇尾丸の刃より速く風の切れる音が聞こえた。一角だ。
名前は上空に飛び上がり、瞬歩で一角の攻撃をかわした。迫り来る蛇尾丸の刃を刀の鞘で塞いだ一角はやれやれと息を吐いた。
「やるな。だが俺たちも意地だ。頼むぞ恋次!」
「任せてください!」
蛇尾丸が木々を切り裂く激しい音と、一角の執拗な攻撃に名前もついに斬魄刀を取り出した。
一角は名前が刀剣解放する前に捕らえたかった。名前の斬魄刀と俺たち二人の相性は悪い。
一角は飛んできた無数の針を弾き返した。恋次の方を見ると蛇尾丸に名前の斬魄刀の糸が巻き付き、身動きが取れない状態だ。
「鬼さんこちら手の鳴る方へ。」
煽る名前の微笑みに、一角はゾクリと背中が粟立った。お前がその気なら、こっちも本気だ。
「延びろ、鬼灯丸!」
三節棍の槍を持った一角は名前に突っ込んだ。針を避けながら糸に絡まないよう、斬りながら間を詰めていく。
彼女が始解すると、張り巡らされた糸の中で俺たちは隠れる事は出来ない。しかしそれと同時に、糸の中にいる彼女も隠れる事は出来ないのだ。
「恋次、援護しろ!」
「分かりました!破道の三十一、赤石砲!」
「分かってると思うけど、縛道は無しにしてよね。」
動きを封じる縛道は鬼事では禁忌とされ暗黙の了解だ。しかし、今のニ人ならやりかねないと思った名前は牽制した。
「ったりめーだ。」
一角に向かって来る糸を恋次が破道で妨害する。針と糸を斬りながら名前に向かって突き進む。
一角と恋次、ニ人に針の雨が降り注ぐ。恋次はそれを回避するが、一角は数本刺さるものの、止まる事なく突き進んだ。
「破道の三十三 蒼火墜!」
名前は破道を至近距離で撃った。一角は吹き飛んだが彼女自身の糸も蹴散らした為、隙が生まれた。
「今だ!」と名前の背後に恋次が回り込んだ。瞬歩で恋次から離れると、三節棍の刃が名前目掛けて飛んできた。咄嗟の攻撃に避けきれず、持ち手部分の二節目が直撃し、一節目の刃が左腕を斬り裂いた。
「……っ!!?」
バランスを失った名前は地面に叩きつけられると思い身構えたが、衝撃がくる事はなかった。
「へっ、ようやく捕まえたぜ。」
名前の体はしっかりと一角に支えられていた。一角はニヤニヤと彼女を見下ろしている。
悔しさが表情に出ない様に名前は目を瞑って、息を吐いた。
「私もまだまだね…。」
「はっ、何言ってんだ。装束 が無かったらお前の完全勝利だったぜ。」
斬魄刀を解除し、二人は笑った。
黒い装束は焼けてボロボロ。一角は夜一にどう説明しようか考えていた。
「それより、早く放して。」
抱きすくめられている名前は一角の腕から抜け出そうとするが、拘束が解除される事はない。むしろ密着が強くなる。
「怪我してんだろ。薬塗ってやるからじっとしてろ。」
「子ども扱いしないで!…そもそも、一角が勝ったから、今から鍛錬するんじゃないの?」
「あー?もう十分だろ。」
「何それ!?」
地面に降りた二人は鬼灯丸の柄に入っている薬を出血部分に塗った。一角が他人の傷口に薬を塗り付けている様子は普段ではあり得ない。丁寧に包帯まで巻いていく。
今度は名前が一角の傷口に薬を塗り始めた。
「じゃあ、今から呑みに行こうぜ」
「は?約束と違うけど!」
「俺が勝ったんだからいいだろ。」
「そもそも一人じゃ勝てなかったでしょ。」
「るっせーな!」
「っ…馬鹿!!!」
「ってーな!本気で殴らなくていいだろうが!」
その様子を見ていた恋次は「邪魔者は退散退散」と呟いてその場を離れた。
*
弓親は戻ってきたやちるに声を掛けた。
「あれ…副隊長、二人は?」
「あそんでるよ。」
やちるはニコニコしながら金平糖を口に入れた。
***
「役に立ったようだな!」
「ありがとうございました。」
後日、夜一に借りた装束がボロボロになってしまった事を伝えると、「気にするな!」と一角を咎める事はなかった。
「おぬしが、買い取るという形で承諾しよう。」
だろうな、こうなる事を予測していた為、一角はある程度手持ちを用意してきた。
この装束のおかげで彼女と実りのある時間が過ごせた。それを思えば安いものだ。
「いくらっスか?」
明細を受け取った一角は目を疑った。
「高っけぇ!!!」
【鬼さんこちら】…end.
十一番隊 応接室―――...
「むくりんこれ、おいしー!」
草鹿やちるとむくりん(いつも寡黙でムッとしているため)と呼ばれた女、二番隊の苗字名前は今尸魂界で流行っているドーナツを食べていた。
「お口に合ったようで、なによりです。」
やちるは甘いものであれば何でも食べるので、手土産選びはまずまず失敗しない。
「お?名前がいるなんて珍しいじゃねーか。」
名前に声を掛けたのは斑目一角。彼女の顔を見て一角は口元を引き上げた。
「今日は非番か?」
「えぇ。」
一角は久しく会う彼女を見て高揚した。名前は一角が手を掛けて育てた後輩だからだ。
それと、一角は彼女に好意を寄せていた。なので名前の霊圧を感知して急いで駆け付けたとは言えず…。
いつもクールな彼女は先輩である一角に対してもそっけない。それは出会った頃から変わらない、彼女の性格。
感情表現の少ない名前だが、真摯に鍛錬に励む姿や情のある行動、口には出さないが負けず嫌いで努力を怠らない姿勢が好きだった。
「じゃ、俺の鍛錬に付き合ってくれねーか?」
「やだー!むくりんはわたしとあそぶんだもーん!」
「昨日散々、副隊長の我がままに付き合ったじゃないっすか!」
「うるさいパチンコ玉!」
「あんだと?このチビ!!!」
いつもの様にやちると一角の喧嘩が始まった。そんな見慣れた光景を横目に名前はゆっくりとお茶をすすった。
「ちょっと、なんの騒ぎ?」
騒動を聞きつけてやってきたのは弓親。名前の横で取っ組み合いになっている二人を見てため息を吐いた。
「名前ちゃん久しぶりだね。今、どういう状況?おおよそ想像はできるけど…。」
「見ての通り。弓親も食べる?浪漫亭で買ってきたの。」
「これって、開店すぐ売り切れるドーナツじゃないか!ありがたく頂くよ。」
ドーナツを食べる弓親と名前を横目にやちると一角の喧嘩は激しさを増す一方。
「そろそろ仲裁に入った方がいいんじゃない?壁に穴が開く前に。」
弓親の言葉に、名前はゆっくりと立ち上がった。
「二人共、私にいい案があります。」
「???」
掴み合う二人を見下ろしながら名前は口を開いた。
「鬼事(鬼ごっこ)をしましょう。一角が鬼で一刻(二時間)後までに私たちが逃げ切れば、そうね……一角に甘味でも奢ってもらいましょうか。」
「俺が勝ったら?」
「一角が勝ったら…気の済むまで鍛錬に付き合うわ。」
一角はニヤリと笑った。
「上等じゃねーか。」
「わーい!ぜったいにおやつおごってもらうんだから~!!!」
やちると一角はやる気満々だ。名前が弓親に視線を送ると「うまく二人をまとめたね」と笑った。
「よ~し、十数えたら捕まえに行くぜ!覚悟しろよ~!」
「むくりん、つかまっちゃダメだよ~!」
「勿論です。」
一角が数を数え始めるとやちると名前はそれぞれ違う方角へ走って出て行った。
「他隊に迷惑かけないようにね。」
「わーってるよ。」
弓親の忠告に一角は軽く返事をした。二人とも足が速いので一筋縄ではいかない。
「行ってくる。」
「行ってらっしゃ~い。」
ま、あの三人が忠告を聞く訳ないけどね、と弓親はドーナツを頬張った。
「ん~おいし。」
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一角は二人の霊圧を探った。二人は別々の場所を移動している。やちるの方が近くにいるみたいだ。
(先ずはチビの方から捕まえに行くか。)
やちるの行動パターンは読めている。いつも彼女が向かう先は、隣の十番隊と決まっている。
門をくぐって近くの隊士にやちるが来なかったか尋ねる。
「草鹿副隊長は執務室に向かいましたよ。」
「ありがとさん。」
勘が当たった。おおよそ日番谷隊長に菓子を貰いに来たのだろう。あの小さい体でよく食べられるものだ。
「失礼しまーす。」
「あぁ。」
扉を開けると日番谷冬獅郎が椅子に座って書類を片付けていた。
「草鹿なら松本とどっか行ったぞ。」
あからさまに不機嫌な日番谷に、一角は冷や汗を流した。松本はやちるに誘われ、仕事を放りだしたに違いない。
「そうっスか…見つけたら戻るように伝えておきます。」
「頼んだぞ。」
視線は合わなかったが、眉間にしわを寄せる日番谷の圧を感じた一角はそそくさと十番隊から出た。
「早速、弓親の忠告無視してんじゃねーか。」
乱菊を入れて三人を捕まえなければならなくなり、一角はため息を吐いた。「松本はカウントしねーぞ」と思っていると一角の姿を見つけた恋次が手を振っている。
「一角さん、乱菊さんから聞きましたよ。鬼ごっこしてるんスか?」
「あぁ?あいつペラペラと喋りやがって。」
「俺も入れてほしいっス!」
めんどくさい事になった。恋次が話し掛けてくる時点で、嫌な予感はしていたのだ。これ以上人数が増えると面倒な事になる。
「めんどくせーな…ん?いや、待てよ。」
一角は少し思いとどまった。恋次に鬼を頼めばいいのではないかと。乱菊が逃げる側に参戦したのなら、鬼だって増やせばいいのだ。
「よし分かった。恋次、お前は俺と鬼をやってくれ。松本を捕まえたら十番隊に戻ように伝えろよ、日番谷隊長の伝言だってな。」
「了解っす!」
一角と恋次は二手に分かれて捜索に出た。
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「名前~!」
中央図書館付近にいた名前は声を掛けてきた人物の方を向いた。
「松本副隊長、ご無沙汰しております。」
名前は片膝を付き、頭を下げた。
「堅苦しいって~。それより、やちるから聞いたわ、私も仲間に入れてもらっちゃった!いいでしょ?」
「はい、構いませんよ。」
「一角の奴、恋次を仲間に入れて私たちを捜してるのよ。せこいわよね~!」
「二人から逃げ切れば問題ありません。」
「自信満々なのね。」
普通の女子なら松本に共感して愚痴を吐露する所だが、名前はその様な事は一切言わない。
「今、自分の実力を試しているんです。なので負けられません。」
真面目でしっかりしてて、一角が手を掛けるのも分かるわ…と松本は微笑ましく思った。
「名前、一角が近づいて来てるわ。逃げるわよ。」
「はい。」
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一角は三人の姿を見つけるどころか、接近する事も出来ず苛立っていた。霊圧は押し殺しているものの、完壁には消せない。
松本と名前は一角の微弱な霊圧を感知してすぐに逃げてしまう。
「何やら面白そうな事をしているな!」
一角に声を掛けたのは瀞霊廷にいる事が珍しい四楓院夜一と二番隊隊長の砕蜂だった。
誰かに鬼事の話を聞いたようだ。そうでなければ一角に話し掛けてくる事はまずない。
「あー…えっとご無沙汰しております。」
前触れなく声を掛けられたため、一角は内心驚きを隠せなかった。あまりの速さで、近づいてきたことすら気付かなかったのだ。慌てて頭を下げる。
「苗字相手に鬼事か?」
夜一の横にいた砕蜂がふふ、と笑った。砕蜂は苗字の上司になる。今の彼女の実力を間近に見ている一人だ。
「圧倒的に不利じゃないか。私たち程ではないが、苗字は速いぞ。」
「知ってますよ。」
名前は歩法が巧い。それを見抜いた砕蜂が彼女を二番隊に引き抜いたのだが、名前を間近で見てきた一角が一番よく知っていた。
「あいつをどう捕まえるかは今考えてるっての...」と思っていると、夜一が一角に向かって何かを投げた。
一角が受け取った物、それは黒い装束。
「霊圧遮断機能のある装束だ。貸してやろう。これでおぬしも苗字と勝負できる。」
正しく今役に立つ代物だ。一角は深く頭を下げた。
「ありがとうございます!」
「頑張れよ!」
二人は音もなく姿を消した。一角は早速借りた装束を身に付けた。
「待ってろよ、名前!」
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「松本さん!」
「修兵、何か用?」
乱菊は暇潰しに店を見て回っていた所、檜佐木修兵に声を掛けられた。
「こないだ瀞霊廷通信の取材で美味しい店を見つけたんで、乱菊さんと呑みに行きたいと思って!」
「へぇ~なんてお店なの?」
「グロリアっていう現世の国にある料理の店なんです。そこで食べた肉がすごく美味くて、酒が進むこと間違いなし!」
「私も聞いたことない店ね…。気になるかも~!」
修兵は念願の乱菊とのデートを確約でき、気持ちが上昇していた。
乱菊に喜んでもらえる事間違いなしのお洒落で品のある店なので、もしかしたら、もしかするかもしれないと修兵はガッツポーズをとった。
「じゃあ予約取っておくんで都合のいい日にち教えてください!」
「ん~分かった!そうだ、吉良も誘おうかしら!肉を食べて精つけてもらわなきゃね。あとお肉料理が好きって言ったら誰がいたかしら…。美味しい店なら、みんなに広めたいもんね!」
乱菊の提案に嫌とも言えず、修兵は肩を落とした。
念願の二人きりデートの野望が崩れ去り、項垂れた。
「隙ありまくりだな、松本!」
乱菊は突然の声に反応が遅れた。誰かの手が乱菊の肩を掴んでいる。
「一角!あんた…それ、ずるいじゃないの~!」
乱菊は装束を着た一角の姿を見て、しまったわ…とこめかみに手を当てた。そして修兵に詰め寄る。
「修兵のせいで捕まったじゃないの!」
「え、なんの事っすか?!」
「アンタなんか知らない!」
訳も分からず乱菊を怒らせてしまい、修兵は肩を落とした。
「おい松本、日番谷隊長が戻れってよ。サボってねーでさっさと仕事しろよな。」
「えーつまんないわよ~!」
「お前副隊長だろーが。」
やちると全く同じ台詞だ。しかし借りた装束のおかげで、一角は簡単に松本を捕まえる事ができた。あとはウチの副隊長と名前。
これなら時間内に二人を捕まえられそうだと思った。
*
「むくりーん!」
木の上で様子を見ていた名前とやちるが合流した。
名前はやちるの姿を見て微笑んだ。時間は半刻が過ぎた所。乱菊が捕まったので、そろそろ一角と恋次が本気で捕まえにやって来る頃だ。
「副隊長、楽しいんでいらっしゃいますか?」
「うん、とーってもたのしいよ!もっともっとつるりんとむくりんとあそびたいな♪」
「私もです…。」
名前は十一番隊の気の抜けた、自由気ままな雰囲気が好きだ。それはやちるの存在が大きく影響している事は間違いない。
二番隊に異動した今も、十一番隊は名前にとって家族のようなものだった。初めて仲間意識を覚えた大事な場所なのだ。
「お二人さん見ーつけた。」
恋次の声が下から聞こえてきた。
副隊長だけあって霊圧の抑制が上手い。やちると名前は木から木へ飛び移り、建物の屋根の上を走り出した。
「にっげろー!」
やちるの笑い声と共に名前は走り出した。恋次は瞬歩を使い、二人を追いかける。名前の方が速く姿が見えなくなったので、とりあえずやちるを追う事にした。
「草鹿副隊長~金平糖食べませんか?」
「たべた~い!」
金平糖が大好物のやちるを、餌で釣ろうとしている。せこいやり方だと思った恋次だったが、一角の頼みなので仕方ない。
誘惑でやちるに近付けたものの、一筋縄にはいかない。背丈が小さく小回りが良く効くので、中々捕まえられない。
「おーにさーんこちら、てーのなーるほーうへ♪あははは!」
(もうすぐだ。)
自由自在に飛び回るやちるに翻弄されながら、恋次は罠を仕掛けた地点まで彼女を誘導する。
「あー!あれは…!」
ついにやちるの目に映ったのは、色とりどりの金平糖。漆塗りの腕に一杯入った金平糖にやちるは目を輝かせた。
「いただきまーす!」
罠にかかった!と恋次は好きを逃さずにやちるの背中に触れた。
「草鹿副隊長つーかまーえた!」
「へへっ!ごめんねむくりんー!」
やちるは笑顔で金平糖を頬張った。
*
恋次の追跡から逃れた名前は木々の生い茂る場所に来ていた。障害物が多く姿を隠しやすいからだ。
名前はまだ一角の姿を見かけていない。慎重になっているのだろうか、霊圧を探るものの全く分からない。
一角はどこへ行ったのだろう?と思っていると、誰もいないはずの林に足音が聞こえた。
(誰か来た…。)
間違いなく人の足音だ。しかし霊圧が全く感じられない。集中しても気配が分からないのだ。そんな事は普通あり得ない。
「見つけたぜ。」
隙を狙って飛び込んできたのは黒い装束を着た男。名前はギリギリの所でかわして、拘束を免れた。
「さすが、隠密機動に所属してるだけあるな。」
「…誰から借りたの?技術開発局?」
装束姿の一角を見た名前は冷静に分析したが、どうやら違うようだ。一角は名前に向かって走り出した。
「さぁな、残るはお前だけだ。俺の鍛錬に付き合ってもらうぜ!」
瞬歩を使って距離を取ろうとするが、一角も意地になって名前を追いかける。
名前は敵の動きをある程度読む事ができるが、霊圧が感知できない今、どこから攻撃を仕掛けてくるか分からず苦戦した。
(一角は殺気を消す事に長けている。一瞬の音を聞き逃すと捕まる。)
動く時に空気を切る風が揺れ、音が聞こえる。名前はそれを読み取って反応していた。霊圧と殺気が感じられない今、一瞬の油断が命取りだ。先手を打とう。
名前は瞬歩で移動できる最短の速さで移動し、敵の目を翻弄してから移動できる最大限の距離まで伸ばした。木々を挟んで一角の目を誤魔化す。
巻いたか…と名前が安堵した瞬間、恋次の声が聞こえた。
「俺もいるっスよ~!」
恋次が合流した今、名前は不利になった。三人の中で足が速い名前はここで負けてはいられない。
「名前悪く思うなよ。吼えろ蛇尾丸!」
恋次は斬魄刀を始解した。伸びた刃が木々の枝を切り裂く。
「ちっ!」
終了時刻が近くなれば斬魄刀を使ってくると予測していた名前は的確に攻撃を避けた。恋次の攻撃は遅いのでまず回避できる。
それより面倒なのは、霊圧を探知する事のできない一角だ。攻撃の予測が難しく油断できない。
「名前!よそ見してる暇ねーぞ!」
(恋次の攻撃で一角の足音が聞こえない…まずい。)
名前は目を瞑り、視界を閉ざした。
蛇尾丸の刃より速く風の切れる音が聞こえた。一角だ。
名前は上空に飛び上がり、瞬歩で一角の攻撃をかわした。迫り来る蛇尾丸の刃を刀の鞘で塞いだ一角はやれやれと息を吐いた。
「やるな。だが俺たちも意地だ。頼むぞ恋次!」
「任せてください!」
蛇尾丸が木々を切り裂く激しい音と、一角の執拗な攻撃に名前もついに斬魄刀を取り出した。
一角は名前が刀剣解放する前に捕らえたかった。名前の斬魄刀と俺たち二人の相性は悪い。
一角は飛んできた無数の針を弾き返した。恋次の方を見ると蛇尾丸に名前の斬魄刀の糸が巻き付き、身動きが取れない状態だ。
「鬼さんこちら手の鳴る方へ。」
煽る名前の微笑みに、一角はゾクリと背中が粟立った。お前がその気なら、こっちも本気だ。
「延びろ、鬼灯丸!」
三節棍の槍を持った一角は名前に突っ込んだ。針を避けながら糸に絡まないよう、斬りながら間を詰めていく。
彼女が始解すると、張り巡らされた糸の中で俺たちは隠れる事は出来ない。しかしそれと同時に、糸の中にいる彼女も隠れる事は出来ないのだ。
「恋次、援護しろ!」
「分かりました!破道の三十一、赤石砲!」
「分かってると思うけど、縛道は無しにしてよね。」
動きを封じる縛道は鬼事では禁忌とされ暗黙の了解だ。しかし、今のニ人ならやりかねないと思った名前は牽制した。
「ったりめーだ。」
一角に向かって来る糸を恋次が破道で妨害する。針と糸を斬りながら名前に向かって突き進む。
一角と恋次、ニ人に針の雨が降り注ぐ。恋次はそれを回避するが、一角は数本刺さるものの、止まる事なく突き進んだ。
「破道の三十三 蒼火墜!」
名前は破道を至近距離で撃った。一角は吹き飛んだが彼女自身の糸も蹴散らした為、隙が生まれた。
「今だ!」と名前の背後に恋次が回り込んだ。瞬歩で恋次から離れると、三節棍の刃が名前目掛けて飛んできた。咄嗟の攻撃に避けきれず、持ち手部分の二節目が直撃し、一節目の刃が左腕を斬り裂いた。
「……っ!!?」
バランスを失った名前は地面に叩きつけられると思い身構えたが、衝撃がくる事はなかった。
「へっ、ようやく捕まえたぜ。」
名前の体はしっかりと一角に支えられていた。一角はニヤニヤと彼女を見下ろしている。
悔しさが表情に出ない様に名前は目を瞑って、息を吐いた。
「私もまだまだね…。」
「はっ、何言ってんだ。
斬魄刀を解除し、二人は笑った。
黒い装束は焼けてボロボロ。一角は夜一にどう説明しようか考えていた。
「それより、早く放して。」
抱きすくめられている名前は一角の腕から抜け出そうとするが、拘束が解除される事はない。むしろ密着が強くなる。
「怪我してんだろ。薬塗ってやるからじっとしてろ。」
「子ども扱いしないで!…そもそも、一角が勝ったから、今から鍛錬するんじゃないの?」
「あー?もう十分だろ。」
「何それ!?」
地面に降りた二人は鬼灯丸の柄に入っている薬を出血部分に塗った。一角が他人の傷口に薬を塗り付けている様子は普段ではあり得ない。丁寧に包帯まで巻いていく。
今度は名前が一角の傷口に薬を塗り始めた。
「じゃあ、今から呑みに行こうぜ」
「は?約束と違うけど!」
「俺が勝ったんだからいいだろ。」
「そもそも一人じゃ勝てなかったでしょ。」
「るっせーな!」
「っ…馬鹿!!!」
「ってーな!本気で殴らなくていいだろうが!」
その様子を見ていた恋次は「邪魔者は退散退散」と呟いてその場を離れた。
*
弓親は戻ってきたやちるに声を掛けた。
「あれ…副隊長、二人は?」
「あそんでるよ。」
やちるはニコニコしながら金平糖を口に入れた。
***
「役に立ったようだな!」
「ありがとうございました。」
後日、夜一に借りた装束がボロボロになってしまった事を伝えると、「気にするな!」と一角を咎める事はなかった。
「おぬしが、買い取るという形で承諾しよう。」
だろうな、こうなる事を予測していた為、一角はある程度手持ちを用意してきた。
この装束のおかげで彼女と実りのある時間が過ごせた。それを思えば安いものだ。
「いくらっスか?」
明細を受け取った一角は目を疑った。
「高っけぇ!!!」
【鬼さんこちら】…end.