月光に毒される
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***
「一命はとりとめたけど、まだ油断できないからね。」
「…おう。」
女の治療を終えた女中は襖を開けて部屋から出て行った。
ここは流魂街でも一部だけが知っている、何でも屋みたいなところだ。大きな屋敷の建物で、金さえ払えば食べ物も女も買える。裏では死神をも取り仕切っているとさえ噂されていた。この周辺で大きな治療ができるのは『大丸組合』だけだった。
一角は意識のない女を見つめ、暫くして部屋を出た。
「一角。」
廊下にいた弓親は不服そうな表情で一角に詰め寄った。
「大丸さん、僕たちをこき使わせるつもりだよ。」
大丸はここを取り仕切っている筆頭だ。二人の実力を知り、一目置いていた。
「まぁ、あいつが目覚めるまでは俺たちも居座らせてくれるんだ。素直に飲むしかねぇな。」
治療費とは別に食事と寝床を提供してもらっているので、用心棒や用事を頼まれるに違いないと見当はついていた。
二人が話していると、正に当の本人が現れた。
「がっはっはっは!ちょうどお前さんたちが来てくれて助かったよ。」
「大丸さん、世話になります。」
一角が頭を下げると、大丸は「ちょうどこの近辺で手配されていた女を運び込んで来るとは思わなかったぞ!」と大笑いした。
「ウチの連中は無事だったが他所のチンピラは何人かやられちまって、ここに依頼が来てたのさ。…まぁ、お前さんも相当手こずったみたいだけどな。」
一角の傷痕を見て、大丸は戦いの激しさを読み取っていた。
「取り敢えず、ウチの仕事を手伝ってくれれば何日いても構わんよ。明日からよろしく頼むぞ!」
「こちらこそ、お願いします!」
大丸の姿が見えなくなると、一角は弓親に向き直った。
「しばらく俺の用に付き合わせるが、頼むぜ。」
「……まぁ、ここならゆっくりお風呂も入れるし、居心地は悪くないから付き合うよ。」
「すまねぇな。」
弓親はやれやれと息を吐くが、まんざらでもない表情を浮かべていた。
***
(寒い。)
暗く、ぼんやりとした視界の中。体を動かそうとしても鉛のように重く、思うようにいかない。まるで意識だけがそこにあるような。ここはどこなのか、何をしていたのかもよく分からない。
暫くしてまた目を開けても、視界は暗いまま。とてつもなく寒い。自分は何者だろうか。今まで何をしていたのか。全く思い出せない。寒い。凍りついてしまいそうだ。だが、不思議と息は苦しくない。体だけが冷え切っている。暖をとりたい。
女は再び吸い込まれるように意識を手放した。
***
「まずいね。体温が下がってきてる。」
女中は女の体に触れ、目を細めた。
霊圧が極端に小さくなっている所を見ると、確かにギリギリかもしれない。
「今日が山かもしれない。」
一角は黙ってその様子を見つめていた。
「一晩、診ててくれるかい?」
「そのつもりっす。」
「熱が出てきたらこれを飲ませて。水と手ぬぐいはここに置いておくから。」
「ありがとうございます。」
女中がいなくなると、一角は女の手に触れた。確かに生きているとは思えないほど指先が冷たくなっていた。顔も青白く、今にも生き絶えそうだ。
「……。」
一角は壁にもたれかかりながら座った。
何も出来ることはない。こいつ自身、生きる兆しがあれば引っ張り上げる。それだけだ。
あれだけの戦いができた女だ。ここでくたばる訳がない。一角は確信していた。
***
冷たい体に何かが触れた。それは女の体にまとわりつき、うごめいている。
(白い鱗...。)
暗いながら見えたそれは白く、爬虫類の肌のように滑らかだ。声を出さずに眺めていると、それは意志を持つように動いた。
『このまま死にゆくのか?』
女はその声が白くうごめく者という事は理解できたが、正体は気にも留めなかった。ただ、この者の問いに「それでもいい。」と心で思った。
『ふっ……だが、そう易々と死なれては困る。』
声の主は女の意志を読み取ることが出来るようだ。女は目を閉じた。
(早く逝かせてくれ。)
寒さは感じるが、不思議と体の痛みはない。なら、このまま静かに眠らせてほしい。しかし、声の主は笑った。
『だが、お前の願いは簡単に叶わぬようだ。足掻いてみるがよい。』
声が聞こえなくなると、女の体にまとわりついていたものも消えた。
すると今まで感じていた寒さがなくなり、心地よいぬくもりに包まれる感覚を得た。
(温かい……。)
それはまるで、日向ぼっこしているような温かさだ。今までに経験したことのないような幸福感を感じ、女は自然と笑みを零した。
死の淵にいるのに、生きている心地を感じるのは何故だろう?
そうしていると指先、足先から熱を持ちはじめ、今度は焼けるような暑さに女は苛まれた。
(……熱いっ!体が焼ける!!)
*
眠ってしまったようだ。一角は大きくあくびをして体を起こした。
眠っている女を見ると、先程とは明らかに様子が違った。額に汗をかき、肌は紅潮している。
「やべっ。」
一角は女の額と首筋に手を当てた。明らかに自分の体温より高い女に、一角は急いで掛布を剥ぎ取った。先ほど女医に言われた通り、薬と湯呑を用意し女に飲ませた。濡らした手拭いで女の体を拭き、熱すぎる女の体温を下げた。
「熱が出てこりゃ、もう大丈夫だろ。」
女を寝かしつけた一角は、安堵して水を飲んだ。
(もうちょいだな。)
***
「魚、獲ってきましたよ。」
弓親は籠を水場に置いた。以前川に仕掛けた罠にかかっていた魚を運んできたのだ。
組合の女将が籠の中の魚を見ると、ぱぁっと顔を輝かせた。
「立派なアマゴじゃないかい!ウナギも入ってるし、今晩はご馳走だね!ありがとさん!」
仕事を終えた弓親は、一角の元へと向かった。
「一角~。」
木や竹、藁が置かれた資材置き場の中にある木材の加工場に一角はいた。
彼はその器用さを買われ、竹で籠を作っていた。
「魚獲ってきたから食べようよ。」
「もうそんな時間か…そういや腹減ったな。」
一角は完成した籠を並べ、首を鳴らした。
本来なら食事が不要な流魂街の住人だが、この組合で働く者の多くは霊力を持っており、食事が必要だった。霊力を使う者ほど早く腹が減り、それ以外の者は食事の頻度も少なかった。
この組合は朝夕と食事を出すが、昼は各自で済ませるようになっている。
弓親は先程、女中に渡さなかったアマゴが入った籠を一角に渡した。
「アマゴかー食いたかったんだよな~。」
炭を作る焼き場には人がいなかった為、ここでアマゴを焼くことにした。塩をまぶしたアマゴを竹串に刺す一角の横で弓親は炭に火を付けた。
「で、彼女の容態はどうなの?」
「順調だぜ。」
あれから二日が経ち、そろそろ意識が戻る頃だ。女中が面倒を見ているものの、ほとんど目を離してもいいほど回復していた。
体はいいものの、気掛かりなのは彼女の心だ。
「意識が戻ったら、絶対暴れるよ。」
「きっとそうなるだろうな。ま、何とかするさ。」
助けた所で感謝はされないと分かっているのに、何故助けるのだろう?
弓親は理解できない思いで数日過ごしたが、きっと一角自身も分かっていないのだろう。ただ、彼の"名前"に対する執着は かつて一角を破った『あの人』の影響だろう。
串に刺したアマゴを火の回りに付き立て、焼けるまでじっと見つめる二人。しばらくしてアマゴの脂がじゅうぅと音を出し始めた。火の当たる向きを変えながらアマゴを見つめる。
「あーうまそ。」
アマゴの香ばしい香りに、二人は喉を鳴らした。皮が褐色に変わり、ヒレが焦げてきた頃合いを見てアマゴを二人は食べ始めた。
「やっぱウメェな~。」
「これも食べて。」
弓親は笹の葉に包んだおむすびを広げた。
「お前が握ったのか?」
「まさか、もらったのさ。」
先程弓親が炊事場に顔を覗かせた際、若い女中からこっそり受け取ったのだ。
「へぇ、お前案外モテるんだな~。」
「僕の美しさに魅了されるなんて、健気な子だよね。」
満更でもない表情を浮かべる弓親に、一角は「そーですかい。」とおむすびを齧った。
***
人の気配。足音と物を置く音が聞こえる。霊圧を探ると、周囲に大勢の人がいる。遠くない場所から人の話し声が聞こえる。ゆっくりと目を開けると、和室の天井。
(長い夢の延長線上にいるのか?)
女が周囲を見渡すとはっきりと見える物と周囲の音、肌に触れる布の感触、人の霊圧で夢から覚めたのだと認識した。
「目が覚めたようだね。」
声に目を向けると、見知らぬ中年の女の顔。
「ほら、とりあえず水飲んで。」
体を起こされるが、上半身の痛みに顔を歪めた。
「まだ完全に傷口が閉じてないからね。ゆっくり動きな。」
湯呑を受け取るが、体の至る所が痛みで悲鳴を上げる。何故今に至るのか容易に思い出せた。
(あの男…余計な真似を…。)
脳裏に浮かんだ坊主の男の顔を思い出し、胸に広がる苛立ちを感じた。
(何故、殺さなかった?何故、助けた?)
奴隷にでもするつもりなのだろうか?いずれにしろ、何か目的があって自分を利用するために生かしたのだと女は思った。
「あんたがあの子らをどう思ってるかは知らないけれど、素直でいい子たちだよ。」
女中は女の心情を読んだのか、呟いた。
「粥を持ってくるから、待っててちょうだい。」
しばらくすると、男の足音とともに襖が開いた。
「よー調子はどうだ?」
(聞きたくもない、この耳障りな声は紛れもなく…。)
盆を持って入ってきたのは、女を倒した張本人だった。この男は一体何を考えているのか、全く理解できなかった。
「腹減ったろ?これ食って早く怪我治せよ。」
土鍋が乗った盆を卓上に置き、一角は女に向き直った。
「おーおー今にも飛び掛かってきそうな顔で睨むなよ。一応、命の恩人なんだぜ?」
「頼んでいない。」
突き刺すような殺気を放つ女に、一角は冷静に応対する。彼女の反応は予測済みだった。
「とりあえず食え。腹減って死にそうだろ?」
「要らない。」
腹が減っていないはずがない。あれだけ霊力を使っているのだ。食事で霊力を回復しなければ傷も治らない。
「なんでもいいから食え。」
「……。」
そっぽを向いて口を利かない女に痺れを切らした一角は息を吐き、そして大きく息を吸った。
「いいから食えっつってんだ!飯が冷めちまうだろうが!死にたきゃいつでも俺が殺してやる、さっさと食えっ!!」
部屋中、というより屋敷中に響いた怒声に周囲は静まり返った。中で働く女中は勿論、外で働く男も一角の怒声を聞いた者は動きを止めた。
一角の迫力に圧された女は、彼の要求を呑むしかなかった。粥の入った汁椀を受け取り、女はそれを見つめた。湯気が立つ、どろっとした液体。初めて見る得体の知れない物に、女は戸惑いを隠せなかった。
「初めて食うのか?」
粥を見つめ、中々口を付けない女の姿を見て一角は呟いた。
「焼いたアマゴのほぐし身が入ってんだ。旨いに決まってんだろ。」
「…あまご?」
「アマゴ食ったことねーのか?清流にいる川魚だぜ?」
「かわざかな??」
「お前、魚食ったことねーの?」
「私は草木と肉しか食べたことがない。」
一角は息を呑んだ。彼女は人里離れた場所で暮らしていたのか、動物と同じ物を食べて生きてきた。想像を絶する暮らしだと一角は思った。
「それは粥って言ってな、米を煮たものなんだぜ。アマゴは俺と弓親が罠を仕掛けて獲った。出汁が出て旨いぞ。」
一角の説明を聞いた女は、粥の匂いをかいだ。初めて嗅いだ香ばしい香りに引き寄せられ、女は汁椀に口を付けた。
「……っ!?」
口に含んだ粥をゆっくりと味わい、飲み込む。一角は女が今まで見せたことのない表情に変わる瞬間を見た。
先ほどとは打って変わり、勢いよく粥を食べていく。汁椀を傾けて粥を食べる女はまるで子供の様だった。
「匙、使った方が食いやすいぞ。」
一角は木匙を女に見せた。女はそれを見て首を傾げる。そうか、食器を使ったことがないのか。一角は女に基本的な人の暮らしの事から教えなければいけないのだなと悟った。
「こう使うんだぜ。」
一角は粥を掬い口に運ぶ仕草を見せた。匙を渡し、女の食べる姿を眺める。無我夢中で粥を流し込む姿を見ると、気に入ってくれたようだ。
(そうだな……。)
今後はどうするか、一角は思考を巡らせた。
***
名の無き女の傷は順調に良くなり、通常の生活に支障がないまでに回復した。
相変わらず女は一角には口を利かなかったが、大丸組合の規則通りに生活した。言いつけられた組合の仕事を文句ひとつ言わずにこなしている。
女は薪割りをしていた。
「元気にやってんじゃねえか。」
自身の仕事を終えた一角は回復した女に話しかけた。女は一角の顔も見ずに黙々と作業を続ける。無視するだろうと分かりきっていた一角は、懐にしまっていた短刀を取り出した。戦いの際に女が使っていた刀だ。
今まで一角の言葉に一切反応しなかった女は、手を止め一角に顔を向けた。
「大事なもんだろ、返すぜ。」
一角は短刀を女に差し出した。女はじっと一角の目を見つめ、彼に歩み寄る。刀を受け取った女は瞬歩を使い、一角と距離を取った。一角は女の殺気を感じ、腹に力を込めた。
「殺る気か?言っとくが、今のお前じゃ俺には勝てねーぞ。」
一角の言葉に一切動じず、睨みつける女。躊躇ない殺気が一角を突き刺す。
パンッパンッ
突如、張り詰めた空気を割くように乾いた破裂音が鳴った。弓親が手の平を打つ。
「二人ともお取込み中のところ悪いんだけど、大丸さんが呼んでるよ。」
*
三人は大丸が待つ和室に通された。大丸は話し始めた。
「がっはっは!お前さんたちを呼んだのは、ある仕事を頼みたくてね。」
大丸の後ろに控えていた使用人が大丸に紙を渡した。大丸はその紙を畳に広げる。どこかの敷地の見取り図だ。
「今晩、この屋敷に潜り込んで斬魄刀を取り返して来てほしい。これは元々、依頼人の大事な代物なんだ。」
「どんな刀なんだ?」
「外は黒い漆で金の装飾が施してある。一目瞭然さ。普通の斬魄刀とは全然違う。」
大丸は黙ったままの女にも目を向けた。
「お前さんにも協力してもらうぞ。傷はだいぶ癒えただろう?」
女は怪訝そうに眉間にしわを寄せた。
「それに、こいつらはあんたを治療をするのにだいぶ金を使ったんだぜ?ちっとは働かないとな。」
一角たちが勝手にやった事だ、と言うだろうと思った三人だったが、女は「分かった。」とだけ呟いた。
大丸は早速説明を始めた。
*
指定された場所に来た大丸組合の精鋭七人。依頼された斬魄刀を取り戻すため、屋敷に乗り込む。血気盛んな一角たちが選ばれたと言うことは、流血沙汰は避けられない。それは承知済みだ。標的の屋敷は灯籠が灯され、門は人々がいて賑やかだ。着飾った女たちが男たちと屋敷に入っていく。
「何をしているんだ?」
見た事のないような煌びやかな着物を着た女達を見て、名の無き女は見当も付かずにいた。沢山の装飾品を付けて、歩きにくくないのだろうか?
「あれは女を買ってるのさ。楽しいことをするために。」
女の疑問に一角が答えた。
「楽しいこと?」
「お前が知るにはまだ早えーよ。」
「意味が分からない。」
箸の使い方さえ知らない女が知るには早すぎると思った一角は言葉を濁した。
「行くぞ。」
看守の目が届かない屋敷の塀を登り、一角たちは屋敷に忍び込んだ。
七人は斬魄刀捜索のために、二手に分かれることにした。
「一角、さっさと片付けて帰ろうよ。」
「そーだな。俺もコソコソするのは柄じゃねーからな。さっさと依頼を済ませるぞ。」
綺麗に整えられた庭木に佇む建物からは賑やかな宴の音が聞こえてくる。唄と楽器、笑い声が屋敷中に響いていた。
「一角、見取り図ではこれが宝物庫。ここにありそうじゃない?」
弓親が指差す建物は頑丈な造りで、侵入するのは難しそうだ。入口の門には見張りがニ人いて鍵が必要だ。
「どうする?さっさと二人絞めちゃう?」
「騒ぎにする前に、おおおよそ斬魄刀の在り処だけでも把握しとかねーとな。暴れんのはそっからだ。」
「誰か来たよ。」
弓親の合図で壁に耳を当てる。男二人の会話が聞こえてきた。
「今日の遊女はべっぴんだなぁ。頭(かしら)もすっかり上機嫌だから自慢の宝物を披露するだろうな。」
三人は男たちの会話からして、きっと目的の斬魄刀があるに違いないと確信した。
気付かれぬように息を潜めながら男二人の後をつける。
その時、別の建物から騒がしい音が聞こえてきた。
「侵入者か?」
「行くぞ。」
後をつけていた男二人が、騒ぎのする方向へ走って行った。
「何かあったみたいだね。」
弓親の言葉通り、怒声と人々の足音が聞こえてくる。
「不届き者だー!!!」
「あっちの奴ら見つかったんじゃない?」
「依頼品が手に入ったか確認しねぇとな!」
屋敷の連中に見つからぬよう、三人は建物内を移動した。
すると一角は隠れていた仲間の一人を見つけ、声を掛けた。
「何やってんだよ、依頼品は手に入ったのか?」
「あぁ。仲間の一人が持って逃走してる。あんたたち、援護を頼んでもいいか?」
「よっしゃ、これで気兼ねなく暴れられるぜ!」
一角はにやりと口元を引き上げ、二人に合図した。
「行くぞ!」
依頼品を持った仲間を守るように、他の仲間が屋敷の連中と戦っていた。流魂街でふらついてるような野郎とは違い、腰に刀を差しており、手ごたえのありそうな戦いが出来そうだ。
一角は大乱闘の輪を蹴散らすように暴れまわった。
「おりゃあぁ!戦いたい奴は俺が相手してやる!」
「まだ仲間が潜んでいたのか!殺せぇえええ!」
屋敷の男たちが総出で大丸組合員に襲い掛かってくる。弓親と名の無き女の姿を見て人質に取ろうと考えた男どもが二人を囲んだ。
「…殺せばいいの?」
女は隣の弓親に尋ねた。
「どうなっても恨みを買う事には違いないからね。でも、なるべくなら戦意喪失までに抑えた方がいいよ。今後の事を考えるとね。」
女は弓親が意図する意味を全ては理解していなかったが、取りあえず倒せと理解し、敵に向かって行った。
「ガリガリに瘦せているが、顔は悪くない。俺たちと楽しい事しようぜ!」
襲い掛かってきた男は、女めがけて突進してきた。女は瞬歩を使い、男の頭上から打撃した。男は顔から地面に叩きつけられた。
「このクソ女 ぁ!」
その様子を見ていた他の男が間髪入れずに女に刀を振り下ろした。女はそれをかわし、男のみぞおちに強烈な一発を打ち込んだ。崩れ落ちる男を一瞥し、周囲を見渡した。一角は大勢の男を相手に斬魄刀を振り回しながら暴れている。女は余裕な表情を浮かべている一角がまるで、戦いを楽しんでいるかのように思えた。
(強さは歴然…か…。)
この屋敷の男たちは今まで戦ってきた者の中でも強い方に入る。しかし女が見た所、一角は力を半分も出していない。自身との戦いは、一体何割の力を出していたのだろう?
弓親は一角と名の無き女の戦いを横目で見ながら、敵の動きを観察していた。屋敷の方では遊女たちが震えながらこちらを見ている。もうこの屋敷で戦える者はいなさそうだ。
「もう十分だ。そろそろ引き上げるよ。」
仲間が合図を出している。三人は塀を上り合流した。
「よし、これで任務完了だな!さっさと大丸さんの屋敷に戻るか。」
「けっ、意外とあっけなかったなぁ。」
一角は物足りなさそうにぼやいた。苦笑いする仲間たちは先程までの緊張がほぐれ、大丸組合への帰路についた。
*
大丸は大きな声で笑いながら、戻ってきた七人を出迎えた。
「ん?なんだ、浮かない表情じゃないか。」
「もっと楽しい任務かと思ってたんスけど…。」
戦好きの一角の言わんとすることを悟った大丸は微笑を浮かべた。
「物足りなかったか。あそこは以前、手練れを置いていたはずだったが、留守だったかもしれんなぁ。」
今回の事で大丸組合が逆襲されるかもしれないと思った弓親だったが、あの規模の力なら心配する必要はないと思った。
「何はともあれ、依頼品も無事回収出来たことだ。ご苦労だったな。さっさと汗を流して床に着くがいい。」
「あざーっす!」
*
「あーいいお湯だった♪」
入浴を終えた弓親は、部屋で刀の手入れをする一角に問いかけた。
「一角も入ってきたら?今なら空(す)いてるよ。」
湯浴みを促す弓親の言葉に、一角は返答しない。研いだ刃先を確認して鞘に収めた。
「決めた。俺らの旅にあいつも加える。」
水を飲んでいた弓親はむせ返った。
「げっほ…!?ちょっと待って!!」
一角の突然の打診に弓親は混乱した。負傷した彼女の介抱を始めた時点で何か企んでいる…とは思ったが、その予感が見事的中するとは弓親自身思ってもみなかった。
「本気で言ってるの!?」
「ったりめーだろ。」
さも当然だと発言する一角に、弓親はやれやれと首を振った。今まで一角の面倒事に付き合ってきた弓親だったが、今回は度を超えている気がした。
「あいつ、何も知らなすぎんだよ。」
「ちょっと冷静になって考えたら?あの子を連れて、僕らに何の得があるの?そもそも、あの子が素直に僕らの言う事聞くとは思わないよ?」
弓親が危惧する事を一角は重々承知していた。そして彼女と共に行動するのは一筋縄ではいかない事も。
「んなこたぁ分かってる。俺たちだっていつまでも此処(大丸組合)にいる訳にはいかねーし、それにあいつがいればちったぁ退屈しのぎになるだろ?」
一角は一度言い出したら、他の者の意見に耳など傾けない。だが、発した言葉の責任は必ず取る男だ。
彼なりに考えがあるのだろう。今まで様々な壁にぶち当たってきたが、一角の考えが間違っていた事は少なかった。
弓親はしばらく考えた後、息を吐いた。
「分かった。付き合うよ。だけど、どうなっても僕は知らないからね。」
「ありがとよ。」
***
「大丸さん。」
「ん、なんだ?」
翌日、一角は大丸の元を訪れた。
「また強い奴を捜しに出ようと思ってます。」
「そうか、お前さんは相変わらず血気盛んな男だなぁ。」
大丸は一角の性分を理解していた。
「すんません。」
「ところで、例の女子(おなご)はどうするんだ?」
「あいつも連れて行きます。」
気難しい女子(おなご)だが、一角なら巧く扱えるだろうと大丸は思った。
「和解できたのか?」
「いや、無理やりにでも連れて行きますよ。そうした方が互いに良い刺激になりますから。」
「はっはっは、お前さんらしい考え方だな。」
*
「話がある。」
一角と弓親は名の無き女に向き合った。
「もうすぐ俺たちはこの大丸組合から出ていく。単刀直入に言うぜ。お前、俺たちと一緒に来ねぇか?」
女は顔色を変えて一角を睨みつけた。
「…っ!?ふざけるな!何故お前達と一緒に…!」
女の反応は予想通りだ。一角と弓親はたじろがない。
「どーせ、また一人になるんなら、俺たちと色んな景色見た方が楽しいと思うぜ?」
「………。」
女は無言のまま踵を返し、 部屋に戻ってしまった。
「ま、言うこと聞かない子どもだと思えば可愛いもんだぜ、な?」
「物好きだね。」
やれやれ、と弓親は首を振って部屋に戻った。
仮に共に旅をすると言っても、相手は一角を殺したいほど恨んでいる。彼女は自分の命を狙っているに違いない。しかし一角はそれをも見込んで彼女と旅に出ようとしていた。世間知らずどころか常識知らずの彼女を放っておくには勿体ない。彼女は打てば響く。一角は確信していた。
そしてそれ以上に、一角はずっと気がかりに思っている事があった。
"私に名など無い!"
(名前が無いってどんな気持ちなんだろうなぁ?)
一角は戦いにおいて礼儀としている事があった。それは戦う前に必ず相手の名を聞く事。一角が初めて敗れた相手から教わった大事な事だった。
一角は生まれてから当たり前のようにその名で呼ばれ、その名を名乗って生きてきた。女の気持ちを考えた所で分かる筈もなかったが、一角自身にとっては多少気掛かりだった。
(決めた。お前の名は…。)
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「一命はとりとめたけど、まだ油断できないからね。」
「…おう。」
女の治療を終えた女中は襖を開けて部屋から出て行った。
ここは流魂街でも一部だけが知っている、何でも屋みたいなところだ。大きな屋敷の建物で、金さえ払えば食べ物も女も買える。裏では死神をも取り仕切っているとさえ噂されていた。この周辺で大きな治療ができるのは『大丸組合』だけだった。
一角は意識のない女を見つめ、暫くして部屋を出た。
「一角。」
廊下にいた弓親は不服そうな表情で一角に詰め寄った。
「大丸さん、僕たちをこき使わせるつもりだよ。」
大丸はここを取り仕切っている筆頭だ。二人の実力を知り、一目置いていた。
「まぁ、あいつが目覚めるまでは俺たちも居座らせてくれるんだ。素直に飲むしかねぇな。」
治療費とは別に食事と寝床を提供してもらっているので、用心棒や用事を頼まれるに違いないと見当はついていた。
二人が話していると、正に当の本人が現れた。
「がっはっはっは!ちょうどお前さんたちが来てくれて助かったよ。」
「大丸さん、世話になります。」
一角が頭を下げると、大丸は「ちょうどこの近辺で手配されていた女を運び込んで来るとは思わなかったぞ!」と大笑いした。
「ウチの連中は無事だったが他所のチンピラは何人かやられちまって、ここに依頼が来てたのさ。…まぁ、お前さんも相当手こずったみたいだけどな。」
一角の傷痕を見て、大丸は戦いの激しさを読み取っていた。
「取り敢えず、ウチの仕事を手伝ってくれれば何日いても構わんよ。明日からよろしく頼むぞ!」
「こちらこそ、お願いします!」
大丸の姿が見えなくなると、一角は弓親に向き直った。
「しばらく俺の用に付き合わせるが、頼むぜ。」
「……まぁ、ここならゆっくりお風呂も入れるし、居心地は悪くないから付き合うよ。」
「すまねぇな。」
弓親はやれやれと息を吐くが、まんざらでもない表情を浮かべていた。
***
(寒い。)
暗く、ぼんやりとした視界の中。体を動かそうとしても鉛のように重く、思うようにいかない。まるで意識だけがそこにあるような。ここはどこなのか、何をしていたのかもよく分からない。
暫くしてまた目を開けても、視界は暗いまま。とてつもなく寒い。自分は何者だろうか。今まで何をしていたのか。全く思い出せない。寒い。凍りついてしまいそうだ。だが、不思議と息は苦しくない。体だけが冷え切っている。暖をとりたい。
女は再び吸い込まれるように意識を手放した。
***
「まずいね。体温が下がってきてる。」
女中は女の体に触れ、目を細めた。
霊圧が極端に小さくなっている所を見ると、確かにギリギリかもしれない。
「今日が山かもしれない。」
一角は黙ってその様子を見つめていた。
「一晩、診ててくれるかい?」
「そのつもりっす。」
「熱が出てきたらこれを飲ませて。水と手ぬぐいはここに置いておくから。」
「ありがとうございます。」
女中がいなくなると、一角は女の手に触れた。確かに生きているとは思えないほど指先が冷たくなっていた。顔も青白く、今にも生き絶えそうだ。
「……。」
一角は壁にもたれかかりながら座った。
何も出来ることはない。こいつ自身、生きる兆しがあれば引っ張り上げる。それだけだ。
あれだけの戦いができた女だ。ここでくたばる訳がない。一角は確信していた。
***
冷たい体に何かが触れた。それは女の体にまとわりつき、うごめいている。
(白い鱗...。)
暗いながら見えたそれは白く、爬虫類の肌のように滑らかだ。声を出さずに眺めていると、それは意志を持つように動いた。
『このまま死にゆくのか?』
女はその声が白くうごめく者という事は理解できたが、正体は気にも留めなかった。ただ、この者の問いに「それでもいい。」と心で思った。
『ふっ……だが、そう易々と死なれては困る。』
声の主は女の意志を読み取ることが出来るようだ。女は目を閉じた。
(早く逝かせてくれ。)
寒さは感じるが、不思議と体の痛みはない。なら、このまま静かに眠らせてほしい。しかし、声の主は笑った。
『だが、お前の願いは簡単に叶わぬようだ。足掻いてみるがよい。』
声が聞こえなくなると、女の体にまとわりついていたものも消えた。
すると今まで感じていた寒さがなくなり、心地よいぬくもりに包まれる感覚を得た。
(温かい……。)
それはまるで、日向ぼっこしているような温かさだ。今までに経験したことのないような幸福感を感じ、女は自然と笑みを零した。
死の淵にいるのに、生きている心地を感じるのは何故だろう?
そうしていると指先、足先から熱を持ちはじめ、今度は焼けるような暑さに女は苛まれた。
(……熱いっ!体が焼ける!!)
*
眠ってしまったようだ。一角は大きくあくびをして体を起こした。
眠っている女を見ると、先程とは明らかに様子が違った。額に汗をかき、肌は紅潮している。
「やべっ。」
一角は女の額と首筋に手を当てた。明らかに自分の体温より高い女に、一角は急いで掛布を剥ぎ取った。先ほど女医に言われた通り、薬と湯呑を用意し女に飲ませた。濡らした手拭いで女の体を拭き、熱すぎる女の体温を下げた。
「熱が出てこりゃ、もう大丈夫だろ。」
女を寝かしつけた一角は、安堵して水を飲んだ。
(もうちょいだな。)
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「魚、獲ってきましたよ。」
弓親は籠を水場に置いた。以前川に仕掛けた罠にかかっていた魚を運んできたのだ。
組合の女将が籠の中の魚を見ると、ぱぁっと顔を輝かせた。
「立派なアマゴじゃないかい!ウナギも入ってるし、今晩はご馳走だね!ありがとさん!」
仕事を終えた弓親は、一角の元へと向かった。
「一角~。」
木や竹、藁が置かれた資材置き場の中にある木材の加工場に一角はいた。
彼はその器用さを買われ、竹で籠を作っていた。
「魚獲ってきたから食べようよ。」
「もうそんな時間か…そういや腹減ったな。」
一角は完成した籠を並べ、首を鳴らした。
本来なら食事が不要な流魂街の住人だが、この組合で働く者の多くは霊力を持っており、食事が必要だった。霊力を使う者ほど早く腹が減り、それ以外の者は食事の頻度も少なかった。
この組合は朝夕と食事を出すが、昼は各自で済ませるようになっている。
弓親は先程、女中に渡さなかったアマゴが入った籠を一角に渡した。
「アマゴかー食いたかったんだよな~。」
炭を作る焼き場には人がいなかった為、ここでアマゴを焼くことにした。塩をまぶしたアマゴを竹串に刺す一角の横で弓親は炭に火を付けた。
「で、彼女の容態はどうなの?」
「順調だぜ。」
あれから二日が経ち、そろそろ意識が戻る頃だ。女中が面倒を見ているものの、ほとんど目を離してもいいほど回復していた。
体はいいものの、気掛かりなのは彼女の心だ。
「意識が戻ったら、絶対暴れるよ。」
「きっとそうなるだろうな。ま、何とかするさ。」
助けた所で感謝はされないと分かっているのに、何故助けるのだろう?
弓親は理解できない思いで数日過ごしたが、きっと一角自身も分かっていないのだろう。ただ、彼の"名前"に対する執着は かつて一角を破った『あの人』の影響だろう。
串に刺したアマゴを火の回りに付き立て、焼けるまでじっと見つめる二人。しばらくしてアマゴの脂がじゅうぅと音を出し始めた。火の当たる向きを変えながらアマゴを見つめる。
「あーうまそ。」
アマゴの香ばしい香りに、二人は喉を鳴らした。皮が褐色に変わり、ヒレが焦げてきた頃合いを見てアマゴを二人は食べ始めた。
「やっぱウメェな~。」
「これも食べて。」
弓親は笹の葉に包んだおむすびを広げた。
「お前が握ったのか?」
「まさか、もらったのさ。」
先程弓親が炊事場に顔を覗かせた際、若い女中からこっそり受け取ったのだ。
「へぇ、お前案外モテるんだな~。」
「僕の美しさに魅了されるなんて、健気な子だよね。」
満更でもない表情を浮かべる弓親に、一角は「そーですかい。」とおむすびを齧った。
***
人の気配。足音と物を置く音が聞こえる。霊圧を探ると、周囲に大勢の人がいる。遠くない場所から人の話し声が聞こえる。ゆっくりと目を開けると、和室の天井。
(長い夢の延長線上にいるのか?)
女が周囲を見渡すとはっきりと見える物と周囲の音、肌に触れる布の感触、人の霊圧で夢から覚めたのだと認識した。
「目が覚めたようだね。」
声に目を向けると、見知らぬ中年の女の顔。
「ほら、とりあえず水飲んで。」
体を起こされるが、上半身の痛みに顔を歪めた。
「まだ完全に傷口が閉じてないからね。ゆっくり動きな。」
湯呑を受け取るが、体の至る所が痛みで悲鳴を上げる。何故今に至るのか容易に思い出せた。
(あの男…余計な真似を…。)
脳裏に浮かんだ坊主の男の顔を思い出し、胸に広がる苛立ちを感じた。
(何故、殺さなかった?何故、助けた?)
奴隷にでもするつもりなのだろうか?いずれにしろ、何か目的があって自分を利用するために生かしたのだと女は思った。
「あんたがあの子らをどう思ってるかは知らないけれど、素直でいい子たちだよ。」
女中は女の心情を読んだのか、呟いた。
「粥を持ってくるから、待っててちょうだい。」
しばらくすると、男の足音とともに襖が開いた。
「よー調子はどうだ?」
(聞きたくもない、この耳障りな声は紛れもなく…。)
盆を持って入ってきたのは、女を倒した張本人だった。この男は一体何を考えているのか、全く理解できなかった。
「腹減ったろ?これ食って早く怪我治せよ。」
土鍋が乗った盆を卓上に置き、一角は女に向き直った。
「おーおー今にも飛び掛かってきそうな顔で睨むなよ。一応、命の恩人なんだぜ?」
「頼んでいない。」
突き刺すような殺気を放つ女に、一角は冷静に応対する。彼女の反応は予測済みだった。
「とりあえず食え。腹減って死にそうだろ?」
「要らない。」
腹が減っていないはずがない。あれだけ霊力を使っているのだ。食事で霊力を回復しなければ傷も治らない。
「なんでもいいから食え。」
「……。」
そっぽを向いて口を利かない女に痺れを切らした一角は息を吐き、そして大きく息を吸った。
「いいから食えっつってんだ!飯が冷めちまうだろうが!死にたきゃいつでも俺が殺してやる、さっさと食えっ!!」
部屋中、というより屋敷中に響いた怒声に周囲は静まり返った。中で働く女中は勿論、外で働く男も一角の怒声を聞いた者は動きを止めた。
一角の迫力に圧された女は、彼の要求を呑むしかなかった。粥の入った汁椀を受け取り、女はそれを見つめた。湯気が立つ、どろっとした液体。初めて見る得体の知れない物に、女は戸惑いを隠せなかった。
「初めて食うのか?」
粥を見つめ、中々口を付けない女の姿を見て一角は呟いた。
「焼いたアマゴのほぐし身が入ってんだ。旨いに決まってんだろ。」
「…あまご?」
「アマゴ食ったことねーのか?清流にいる川魚だぜ?」
「かわざかな??」
「お前、魚食ったことねーの?」
「私は草木と肉しか食べたことがない。」
一角は息を呑んだ。彼女は人里離れた場所で暮らしていたのか、動物と同じ物を食べて生きてきた。想像を絶する暮らしだと一角は思った。
「それは粥って言ってな、米を煮たものなんだぜ。アマゴは俺と弓親が罠を仕掛けて獲った。出汁が出て旨いぞ。」
一角の説明を聞いた女は、粥の匂いをかいだ。初めて嗅いだ香ばしい香りに引き寄せられ、女は汁椀に口を付けた。
「……っ!?」
口に含んだ粥をゆっくりと味わい、飲み込む。一角は女が今まで見せたことのない表情に変わる瞬間を見た。
先ほどとは打って変わり、勢いよく粥を食べていく。汁椀を傾けて粥を食べる女はまるで子供の様だった。
「匙、使った方が食いやすいぞ。」
一角は木匙を女に見せた。女はそれを見て首を傾げる。そうか、食器を使ったことがないのか。一角は女に基本的な人の暮らしの事から教えなければいけないのだなと悟った。
「こう使うんだぜ。」
一角は粥を掬い口に運ぶ仕草を見せた。匙を渡し、女の食べる姿を眺める。無我夢中で粥を流し込む姿を見ると、気に入ってくれたようだ。
(そうだな……。)
今後はどうするか、一角は思考を巡らせた。
***
名の無き女の傷は順調に良くなり、通常の生活に支障がないまでに回復した。
相変わらず女は一角には口を利かなかったが、大丸組合の規則通りに生活した。言いつけられた組合の仕事を文句ひとつ言わずにこなしている。
女は薪割りをしていた。
「元気にやってんじゃねえか。」
自身の仕事を終えた一角は回復した女に話しかけた。女は一角の顔も見ずに黙々と作業を続ける。無視するだろうと分かりきっていた一角は、懐にしまっていた短刀を取り出した。戦いの際に女が使っていた刀だ。
今まで一角の言葉に一切反応しなかった女は、手を止め一角に顔を向けた。
「大事なもんだろ、返すぜ。」
一角は短刀を女に差し出した。女はじっと一角の目を見つめ、彼に歩み寄る。刀を受け取った女は瞬歩を使い、一角と距離を取った。一角は女の殺気を感じ、腹に力を込めた。
「殺る気か?言っとくが、今のお前じゃ俺には勝てねーぞ。」
一角の言葉に一切動じず、睨みつける女。躊躇ない殺気が一角を突き刺す。
パンッパンッ
突如、張り詰めた空気を割くように乾いた破裂音が鳴った。弓親が手の平を打つ。
「二人ともお取込み中のところ悪いんだけど、大丸さんが呼んでるよ。」
*
三人は大丸が待つ和室に通された。大丸は話し始めた。
「がっはっは!お前さんたちを呼んだのは、ある仕事を頼みたくてね。」
大丸の後ろに控えていた使用人が大丸に紙を渡した。大丸はその紙を畳に広げる。どこかの敷地の見取り図だ。
「今晩、この屋敷に潜り込んで斬魄刀を取り返して来てほしい。これは元々、依頼人の大事な代物なんだ。」
「どんな刀なんだ?」
「外は黒い漆で金の装飾が施してある。一目瞭然さ。普通の斬魄刀とは全然違う。」
大丸は黙ったままの女にも目を向けた。
「お前さんにも協力してもらうぞ。傷はだいぶ癒えただろう?」
女は怪訝そうに眉間にしわを寄せた。
「それに、こいつらはあんたを治療をするのにだいぶ金を使ったんだぜ?ちっとは働かないとな。」
一角たちが勝手にやった事だ、と言うだろうと思った三人だったが、女は「分かった。」とだけ呟いた。
大丸は早速説明を始めた。
*
指定された場所に来た大丸組合の精鋭七人。依頼された斬魄刀を取り戻すため、屋敷に乗り込む。血気盛んな一角たちが選ばれたと言うことは、流血沙汰は避けられない。それは承知済みだ。標的の屋敷は灯籠が灯され、門は人々がいて賑やかだ。着飾った女たちが男たちと屋敷に入っていく。
「何をしているんだ?」
見た事のないような煌びやかな着物を着た女達を見て、名の無き女は見当も付かずにいた。沢山の装飾品を付けて、歩きにくくないのだろうか?
「あれは女を買ってるのさ。楽しいことをするために。」
女の疑問に一角が答えた。
「楽しいこと?」
「お前が知るにはまだ早えーよ。」
「意味が分からない。」
箸の使い方さえ知らない女が知るには早すぎると思った一角は言葉を濁した。
「行くぞ。」
看守の目が届かない屋敷の塀を登り、一角たちは屋敷に忍び込んだ。
七人は斬魄刀捜索のために、二手に分かれることにした。
「一角、さっさと片付けて帰ろうよ。」
「そーだな。俺もコソコソするのは柄じゃねーからな。さっさと依頼を済ませるぞ。」
綺麗に整えられた庭木に佇む建物からは賑やかな宴の音が聞こえてくる。唄と楽器、笑い声が屋敷中に響いていた。
「一角、見取り図ではこれが宝物庫。ここにありそうじゃない?」
弓親が指差す建物は頑丈な造りで、侵入するのは難しそうだ。入口の門には見張りがニ人いて鍵が必要だ。
「どうする?さっさと二人絞めちゃう?」
「騒ぎにする前に、おおおよそ斬魄刀の在り処だけでも把握しとかねーとな。暴れんのはそっからだ。」
「誰か来たよ。」
弓親の合図で壁に耳を当てる。男二人の会話が聞こえてきた。
「今日の遊女はべっぴんだなぁ。頭(かしら)もすっかり上機嫌だから自慢の宝物を披露するだろうな。」
三人は男たちの会話からして、きっと目的の斬魄刀があるに違いないと確信した。
気付かれぬように息を潜めながら男二人の後をつける。
その時、別の建物から騒がしい音が聞こえてきた。
「侵入者か?」
「行くぞ。」
後をつけていた男二人が、騒ぎのする方向へ走って行った。
「何かあったみたいだね。」
弓親の言葉通り、怒声と人々の足音が聞こえてくる。
「不届き者だー!!!」
「あっちの奴ら見つかったんじゃない?」
「依頼品が手に入ったか確認しねぇとな!」
屋敷の連中に見つからぬよう、三人は建物内を移動した。
すると一角は隠れていた仲間の一人を見つけ、声を掛けた。
「何やってんだよ、依頼品は手に入ったのか?」
「あぁ。仲間の一人が持って逃走してる。あんたたち、援護を頼んでもいいか?」
「よっしゃ、これで気兼ねなく暴れられるぜ!」
一角はにやりと口元を引き上げ、二人に合図した。
「行くぞ!」
依頼品を持った仲間を守るように、他の仲間が屋敷の連中と戦っていた。流魂街でふらついてるような野郎とは違い、腰に刀を差しており、手ごたえのありそうな戦いが出来そうだ。
一角は大乱闘の輪を蹴散らすように暴れまわった。
「おりゃあぁ!戦いたい奴は俺が相手してやる!」
「まだ仲間が潜んでいたのか!殺せぇえええ!」
屋敷の男たちが総出で大丸組合員に襲い掛かってくる。弓親と名の無き女の姿を見て人質に取ろうと考えた男どもが二人を囲んだ。
「…殺せばいいの?」
女は隣の弓親に尋ねた。
「どうなっても恨みを買う事には違いないからね。でも、なるべくなら戦意喪失までに抑えた方がいいよ。今後の事を考えるとね。」
女は弓親が意図する意味を全ては理解していなかったが、取りあえず倒せと理解し、敵に向かって行った。
「ガリガリに瘦せているが、顔は悪くない。俺たちと楽しい事しようぜ!」
襲い掛かってきた男は、女めがけて突進してきた。女は瞬歩を使い、男の頭上から打撃した。男は顔から地面に叩きつけられた。
「このクソ
その様子を見ていた他の男が間髪入れずに女に刀を振り下ろした。女はそれをかわし、男のみぞおちに強烈な一発を打ち込んだ。崩れ落ちる男を一瞥し、周囲を見渡した。一角は大勢の男を相手に斬魄刀を振り回しながら暴れている。女は余裕な表情を浮かべている一角がまるで、戦いを楽しんでいるかのように思えた。
(強さは歴然…か…。)
この屋敷の男たちは今まで戦ってきた者の中でも強い方に入る。しかし女が見た所、一角は力を半分も出していない。自身との戦いは、一体何割の力を出していたのだろう?
弓親は一角と名の無き女の戦いを横目で見ながら、敵の動きを観察していた。屋敷の方では遊女たちが震えながらこちらを見ている。もうこの屋敷で戦える者はいなさそうだ。
「もう十分だ。そろそろ引き上げるよ。」
仲間が合図を出している。三人は塀を上り合流した。
「よし、これで任務完了だな!さっさと大丸さんの屋敷に戻るか。」
「けっ、意外とあっけなかったなぁ。」
一角は物足りなさそうにぼやいた。苦笑いする仲間たちは先程までの緊張がほぐれ、大丸組合への帰路についた。
*
大丸は大きな声で笑いながら、戻ってきた七人を出迎えた。
「ん?なんだ、浮かない表情じゃないか。」
「もっと楽しい任務かと思ってたんスけど…。」
戦好きの一角の言わんとすることを悟った大丸は微笑を浮かべた。
「物足りなかったか。あそこは以前、手練れを置いていたはずだったが、留守だったかもしれんなぁ。」
今回の事で大丸組合が逆襲されるかもしれないと思った弓親だったが、あの規模の力なら心配する必要はないと思った。
「何はともあれ、依頼品も無事回収出来たことだ。ご苦労だったな。さっさと汗を流して床に着くがいい。」
「あざーっす!」
*
「あーいいお湯だった♪」
入浴を終えた弓親は、部屋で刀の手入れをする一角に問いかけた。
「一角も入ってきたら?今なら空(す)いてるよ。」
湯浴みを促す弓親の言葉に、一角は返答しない。研いだ刃先を確認して鞘に収めた。
「決めた。俺らの旅にあいつも加える。」
水を飲んでいた弓親はむせ返った。
「げっほ…!?ちょっと待って!!」
一角の突然の打診に弓親は混乱した。負傷した彼女の介抱を始めた時点で何か企んでいる…とは思ったが、その予感が見事的中するとは弓親自身思ってもみなかった。
「本気で言ってるの!?」
「ったりめーだろ。」
さも当然だと発言する一角に、弓親はやれやれと首を振った。今まで一角の面倒事に付き合ってきた弓親だったが、今回は度を超えている気がした。
「あいつ、何も知らなすぎんだよ。」
「ちょっと冷静になって考えたら?あの子を連れて、僕らに何の得があるの?そもそも、あの子が素直に僕らの言う事聞くとは思わないよ?」
弓親が危惧する事を一角は重々承知していた。そして彼女と共に行動するのは一筋縄ではいかない事も。
「んなこたぁ分かってる。俺たちだっていつまでも此処(大丸組合)にいる訳にはいかねーし、それにあいつがいればちったぁ退屈しのぎになるだろ?」
一角は一度言い出したら、他の者の意見に耳など傾けない。だが、発した言葉の責任は必ず取る男だ。
彼なりに考えがあるのだろう。今まで様々な壁にぶち当たってきたが、一角の考えが間違っていた事は少なかった。
弓親はしばらく考えた後、息を吐いた。
「分かった。付き合うよ。だけど、どうなっても僕は知らないからね。」
「ありがとよ。」
***
「大丸さん。」
「ん、なんだ?」
翌日、一角は大丸の元を訪れた。
「また強い奴を捜しに出ようと思ってます。」
「そうか、お前さんは相変わらず血気盛んな男だなぁ。」
大丸は一角の性分を理解していた。
「すんません。」
「ところで、例の女子(おなご)はどうするんだ?」
「あいつも連れて行きます。」
気難しい女子(おなご)だが、一角なら巧く扱えるだろうと大丸は思った。
「和解できたのか?」
「いや、無理やりにでも連れて行きますよ。そうした方が互いに良い刺激になりますから。」
「はっはっは、お前さんらしい考え方だな。」
*
「話がある。」
一角と弓親は名の無き女に向き合った。
「もうすぐ俺たちはこの大丸組合から出ていく。単刀直入に言うぜ。お前、俺たちと一緒に来ねぇか?」
女は顔色を変えて一角を睨みつけた。
「…っ!?ふざけるな!何故お前達と一緒に…!」
女の反応は予想通りだ。一角と弓親はたじろがない。
「どーせ、また一人になるんなら、俺たちと色んな景色見た方が楽しいと思うぜ?」
「………。」
女は無言のまま踵を返し、 部屋に戻ってしまった。
「ま、言うこと聞かない子どもだと思えば可愛いもんだぜ、な?」
「物好きだね。」
やれやれ、と弓親は首を振って部屋に戻った。
仮に共に旅をすると言っても、相手は一角を殺したいほど恨んでいる。彼女は自分の命を狙っているに違いない。しかし一角はそれをも見込んで彼女と旅に出ようとしていた。世間知らずどころか常識知らずの彼女を放っておくには勿体ない。彼女は打てば響く。一角は確信していた。
そしてそれ以上に、一角はずっと気がかりに思っている事があった。
"私に名など無い!"
(名前が無いってどんな気持ちなんだろうなぁ?)
一角は戦いにおいて礼儀としている事があった。それは戦う前に必ず相手の名を聞く事。一角が初めて敗れた相手から教わった大事な事だった。
一角は生まれてから当たり前のようにその名で呼ばれ、その名を名乗って生きてきた。女の気持ちを考えた所で分かる筈もなかったが、一角自身にとっては多少気掛かりだった。
(決めた。お前の名は…。)
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