月光に毒される
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***
「……。」
名前は瞬歩を使い斬魄刀を持った隊員の懐に入り込み、みぞおちに拳を叩き込んで絞め技に持ち込む。隊員は顔を真っ赤にして悲鳴を上げた。
「いででででで!降参、降参ですー!!!」
「じゃあ、次。」
これで十四人目。名前は隊員を解放し、一息ついて次の隊員に向き直った。
「九席、譲原研冶 !咬み千切れ、暴荒鮫 !!」
譲原研一は開始早々刀剣解放し、勢いのまま突っ込んだ。魚雷のように大きく変形した斬魄刀は地面を大きく削り、砂煙を舞い上がらせた。名前は高く飛び上がったが、譲原はこの瞬間を狙っていた、とばかりに笑った。斬魄刀は角度を変え、名前に襲い掛かった。
「捕食せよ、皎我蜘蛛。」
名前は刀剣解放し、暴荒鮫を糸で絡めて動きを封じるが、暴れる暴荒鮫の動きを全て押さえることは出来ずに次々と糸は切れて振り払われていく。しかしそれを黙って見ている名前ではなかった。拳で直接譲原を攻撃した。
「苗字七席…流石ですが、俺は体術も得意なんですよ!」
譲原は体の柔軟さを活かし、名前の打撃を受け止めて裾を掴み、上空に名前を投げた。糸を振り払い、名前に襲い掛かる暴荒鮫。巨大な刀身はいとも容易く名前を吹き飛ばした。暴荒鮫はそれでもしつこく名前を追いかけ回す。瞬歩で高速移動していた名前は再び譲原目がけて突進した。
「何度攻撃しても同じですよ!」
譲原は攻撃に備えて身構えるが、名前は目の前で姿を消した。
そして体に巻き付く糸に気付く頃には自身に迫って来る暴荒鮫の餌食になっていた。
ドオオォォン!!!!!
地面は大きくえぐれ、砂埃が舞う。自身の斬魄刀の攻撃をまともに受け、暴荒鮫は元の刀身に戻った。苗字は呻く譲原に言葉を掛けた。
「大丈夫か?」
「苗字七席、流石っス…。」
譲原よりも若く、小柄で筋力も彼女の方が劣っている。他の席官達はその事実が納得できず、名前に決闘を挑むがことごとく返り討ちに遭っていた。しかしその理由を譲原は今回理解した。彼女がこれまで培ってきた経験値や努力の賜物であったが、何よりも勝負の分け目は瞬歩を使った圧倒的速さにあった。今、十一番隊で彼女ほど足の速い者はいない。這いつくばるように起き上がる譲原に手を差し伸べた名前。譲原はそんな彼女の態度に驚くものの、自身より実力が上だという事を認識し、頭を下げた。
「怪我は?」
「かすり傷だけです。」
「そうか。」
名前は隊舎に戻ろうと踵を返すが、譲原に呼び止められた。
「苗字七席!お願いがあります!!」
「……。」
名前は訝しげな表情で譲原の方を振り返った。
「今日から、姐 さんと呼ばせて下さい!!」
「……。」
二人の会話を聞いていた隊員達は「アイツ、マジかよ」とザワついた。薄ら笑いが聞こえてくる中、譲原の表情は真剣だった。
「…好きにしてくれ。」
名前は「変わり者だな」と思いながら隊舎に戻った。
*
三か月も過ぎると名前に決闘を挑む者もいなくなった。ようやく隊員達に実力を認めて貰えたという事。それまで名前に反発していた隊員達は名前に対しての態度を改めた。
「明日は会議じゃ。苗字、共に出席してくれんか?」
「はい。」
会議は席官でも上の者が招集される事が多く、名前はこれが初めての会議だった。鉄左衛門と共に十一番隊代表として会議に出席する為、自身が表立つ事はないと思い、多少名前は安心していた。
「名前ちゃん。明日、会議に出るんでしょ?」
「うん。」
弓親尋ねられ、名前は頷いた。彼は名前の顔をじーっと見つめている。
「私の顔に何か付いてる?」
「うーん、名前ちゃん。多少は化粧した方がいいんじゃないの?」
「どういう事?」
弓親は何かとよく気が付く。流魂街時代、伸ばしっぱなしの名前の髪の手入れの仕方を教えてくれた。身だしなみに無頓着な名前は弓親の言葉の意味が理解出来ないでいた。
「席官なのに、すっぴんで会議に出るなんてどうなの?って事。」
「化粧って絶対しなきゃいけないの?」
披露宴に出るワケでもないのに必要なのだろうか?名前には甚だ疑問だった。
「会議って顔を見合わせてするもんでしょ?じっくり見られるよ~。特に名前ちゃんは十一番隊では数少ない女性隊員なんだから。」
「別に私は気にしないけど…。」
まごつく名前に弓親は語気を強めて微笑んだ。
「十一番隊の体面の為に化粧して。上官命令ね。」
「……。」
よく見ると弓親のこめかみには血管が浮かんでいる。弓親の圧に圧され、名前は彼に促されるままメイクレッスンが始まったのだった。
*
翌日。
「苗字、見違えたのぉ。」
弓親の(鬼)指導により綺麗になった名前は恥ずかし気に顔を背けた。整えられた眉毛と瞼には筆が入り、淡い色の口紅が引かれた。
「見合いにでも行く気か?」
鼻で笑う一角に名前は即座に「違う!」と反論した。
「弓親にやられたの!私はすっぴんでいいって言った!」
「ははっ、化粧しても色気の"い"の字もねぇけどな。」
「今の言葉、もう一度言ってみて。」
一角は名前をイジらないと気が済まないのか、彼女の機嫌を損ねるような事を必ず発言する。例の如く、一触即発で喧嘩が始まりそうになり、鉄左衛門は二人を牽制した。
「やめんか!苗字、出発するぞ。」
フンっと大袈裟に顔を逸らし、名前は鉄左衛門の後ろを追った。
*
「今回の議題はなんでしょうか?」
議会に出席するよう言われたものの、議題内容を聞かされていなかった名前は鉄左衛門に尋ねた。
「おお、そう言えば苗字には説明しちょらんかったのぉ。毎年恒例の愛読書週間の事じゃ。苗字は読書が好きじゃけぇ、選ばせてもろうた。」
毎年瀞霊廷では秋になると愛読書週間と名を打って読書を促している。
「そう言う事でしたか。」
非番の日には中央図書館に通う程、名前は読書が好きだった。主に読んでいるのは参考書や実用書で、戦法戦略や日常生活の知識は本から学んでいた。
(皆が本を読むとは到底思えないけど…。)
「ここじゃの。」
会議室に入ると鉄左衛門は先にいた隊員に声を掛けた。
「ウチの七席、苗字じゃ。おなごじゃが強うて真面目でのぉ。」
「苗字名前です。宜しくお願い致します。」
「四番隊第三席、伊江村八十千和 だ。よろしく。」
四番隊、と聞き名前は意外だと思った。普段、四番隊とは縁のない十一番隊だったが、鉄左衛門は八十千和と親しげな感じがした。
「苗字、八十千和は男性死神協会の副会長でのぉ、この男も真面目でええ奴じゃ。」
「以後お見知りおきを。」
「はい、よろしくお願いします。」
挨拶が終わり名前は指定された席に着いた。始まるまで時間があった為、鉄左衛門は他隊に挨拶に行くといい、席を離れた。手持ち無沙汰な名前は先に着いたまま、静かにその時を待った。
「ほら…あの子が十一番隊の…。」
クスクスと小さく笑い声が聞こえた気がしたが、名前は気にしないようにした。これが弓親の言っていた事なのだろうか?名前は机上に置かれた書類に目を通して気にしないようにした。議長である伊勢七緒の呼びかけで会議は始まった。
「定刻になりましたので会議を始めさせて頂きます。」
(彼女はいないのか…。)
十三隊全てが着席し、全員の顔が見える。しかし名前が捜している人物は出席していなかった。任茉莉奈 …霊術院時代名前に図書館を案内してくれた同期だ。読書が好きな彼女はこの会議に参加しているのではないかと一瞬思ったが、その姿は見当たらない。
(そう言えば、彼女はどこの隊に配属されたんだ?)
進学してからクラスが変わり、彼女と会う機会なく卒業した。彼女は元気にやっているだろうか?
「ではまず各隊、挨拶をお願い致します。」
*
「今回は苗字に任せた。」
会議が終わると鉄左衛門は名前の肩を叩き、そう言った。
「なぁに、そう堅苦しゅう考えんでええ。ウチは毎年ポスター貼っとくだけじゃ。頼んだでぇ。」
言われた通り、名前は読書期間のポスターを隊舎の壁に貼った。愛読書週間と言われ隊員達が読書をするとはこれっぽっちも思わない。このポスターも小競り合いや故意によって数日経たないうちに剥がれてしまうのだろう…と名前は思った。全てのポスターを貼り終わり、これで仕事は終わり。…しかしこれだけでいいのだろうか?普段読書をしない者がわざわざ図書館へ行って本を借りるとは到底思えない。
(そう言えば、ここには書庫室があった筈…。)
書庫室は全ての隊に併設されていた。そこでは過去の出来事や様々な資料などが保管されている。名前は書庫室を利用すれば読書に興味を持つ者が出てくるのではないだろうかと考えた。鉄左衛門はポスターを貼るだけでいいと言ったが、読書好きな名前自身、他の隊員達にも読書の楽しさを知ってほしいと少なからず思った。中央図書館で事足りていた為、名前も今まで十一番隊の書庫室に入るのは初めてだ。どんな本が置いてあるのか、どちらかと言うとそっちの方に興味が湧いた。
(一体、何年書庫室の扉を開けていないの…?)
書庫室の扉を開け、埃っぽい室内を進む。棚は手前ほど乱雑に本や書類が置かれていたが、奥の方は比較的綺麗に整列していた。先ずは換気がしたい。名前は窓を開け、雨戸を開放した。明るい光と共に新鮮な空気が室内に入る。ふと名前が自身の手を見ると埃が付き黒くなっている事に気が付いた。そして足裏を見て真っ黒になった足袋に気付く。
「先ずは掃除が先ね……。」
十一番隊にとって毎年のようにある愛読書期間は、名ばかりの物だったに違いない。真っ黒になった雑巾を洗うたびにそう思った。壁から床を雑巾掛けし、はたきで蜘蛛の巣を払う。本棚にも埃が被っている為、本を取り出して拭いていかなければならない。綺麗になるまで一体何日掛かるのだろう?しかし一度手を出してしまった以上、地道に片付けていかなければならない。名前は業務の合間を縫ってやっていくしかないと思った。
「すごい事になってるね。」
車庫室に顔を出したのは弓親だった。名前は手を止めて弓親の元に歩み寄った。
「書庫室があるなんて知らなかったから、見てみたらこの有り様。委員会のメンバーになったから仕事は全うしないと。」
「名前ちゃんは真面目だね。鉄さんは?」
「私に一任してくれたわ。」
(鉄さん、名前ちゃんに丸投げしたな…。)
弓親は全てを悟りやれやれ、と肩をすくめた。今まで放置していた隊員達にも非がある。それを全て名前が一人で背負う必要はない。
「一人でこの量を掃除するのは大変だから、僕も手伝うよ。他の隊員達にも手伝うように声を掛けてくるから、ちょっと待ってて。」
「本当?ありがとう…!」
隊員達の手によって日が傾く頃に書庫室内の埃は目に見えなくなっていた。外で埃を払った本を一冊ずつ手に取り、内容を確認する。ざっと見るだけで百年から数百年前の本ばかりで、今にはそぐわない古い内容の物が多い。
「この本はもう改訂版が出ているから、古い本は処分してこうか。」
「そうね。ここに置いといても仕方ないしね。」
要らない本を置いているくらいなら、隊員達が手に取る新しい本を置いた方がいい。
「定時も過ぎてるし、本の整理は明日にしよう。」
「弓親、ありがとう。すごく助かった。私一人じゃここまで片付けられなかったから…。」
「いいんだよ、気にしないで。それに女の子一人に全て任せっきりなんて、僕の美学に反するしね。」
「そうだ、今から呑みに行かない?お礼がしたいの。」
「お礼なんていいから。」
「私に奢らせて。いつものお礼。弓親には色んな事を教えてもらってるから…ね、お願い。」
「そこまで言うんだったら…分かったよ。じゃあ、名前ちゃんに甘えさせて頂こうかな。」
「うん!」
*
仕事の合間を縫って名前は、本の選別に取り掛かった。読む気が失せるようにびっしりと字が書き連ねてある本、精神論、思想が載っている隊員が読まない様な物は処分した。小説は読む者がいるかもしれないので残した。そして、名前はある一冊の本に目が留まる。
(草花図鑑…。)
文庫本サイズの手に取りやすい本で、使い込まれた形跡が残っている。
パラパラとページを開くとイラストと手書きのメモが書き記してあった。
(この草、薬草になるんだ…。)
薬草、と言って思い出すのは流魂街の山奥で生活を共にした久枝の事だった。他にも馴染みのある植物を見つけ、名前は寝室に持ち込む程熱心に読み込んでいた。
(これ程書き込まれている物なら、何処かに名前が記されていないだろうか?)
就寝前、布団で横になりながら本を読んでいた名前は最後の項を開いた。予測は見事に当たり、その名を見て名前は驚いた。
(卯ノ花…隊長!?)
*
名前の働きにより、十一番隊の書庫室は毎日数人の隊員が出入りするようになった。流行りの小説や鍛錬や実践演習に関する本を置いたのが功を奏したようだ。
「流石じゃ、苗字に任せて良かったけん。」
「いえ、一人ではここまで出来ませんでしたから…。」
「謙遜しなさんな、今後はお前さんに仕事を任せられるのぉ!」
嬉しそうに笑う鉄左衛門は続けた。
「実際、ワシが十一番隊におって今が一番バランスが取れちょると思うとる。護廷十三隊最強と胸を張って言えるぐらいのぉ!」
更木隊長、草鹿隊長、射場三席、一角、弓親、恋次、そして名前…。斬拳走鬼全てが揃っている。実際、名前が席官になってからと言うもの、十一番隊が任務に駆り出される頻度が増えていた。鉄左衛門はそれを誇りに思っていた。
「これが、いつまで続くかじゃ…。」
「それは…どういう意味ですか?」
名前の問いかけをかき消すように「さぁ、夕飯の時間じゃ!」と鉄左衛門は歩き出した。
「……。」
***
後日、名前は草花図鑑を持って四番隊を訪れた。
「卯ノ花隊長を呼んできますので少々お待ちください。」
応接間に案内された名前は淹れて貰った茶を啜りながら、静かに待った。
「待たせましたね。苗字さん。」
半刻程経ち、卯ノ花が現れると名前は立ち上がり挨拶をした。
「お忙しいところ時間を割いて頂き、ありがとうございます。」
「どうぞ、腰かけて下さい。」
「失礼致します。」
名前の向かいに座った卯ノ花はニコリと微笑んだ。
「あれからお変わりないですか?」
あれから…と言うのは名前が修院生時代に遡る。例の事件で重症を負った名前は四番隊に運び込まれた。瀕死状態の名前を治療したのは卯ノ花隊長だった。
「はい…その節では大変お世話になりました。」
「元気そうで何よりです。十一番隊で七席に昇進したと聞きました。とても素晴らしい事ですよ。」
他隊の情報まで網羅している卯ノ花隊長に名前は驚いた。長く護廷十三隊に在籍している方だけあり、風格が違うと感じた。
「存じて頂き、ありがとうございます。あの、今日は卯ノ花隊長にこれをお渡しする為に伺いました。」
「……!」
「十一番隊の書庫室から出てきました。」
「懐かしいですね…。」
卯ノ花隊長は本を受け取った本をパラパラ開いた。今とは違う昔の筆跡を見て懐かしい記憶が思い起こされる。
「失礼ながら拝見させていただきました。私の知らない情報も載っていて、とても参考になりました。沢山の書き込みがされている所、この本を大切にされていたことが伺えます。」
パタン
本を閉じた卯ノ花は名前に向き直った。
「これは苗字さんに差し上げます。」
「…よろしいのですか?」
「えぇ。私にはもう必要のない物ですから。それに、今は貴方が持っていた方がこの本は役に立ちそうですよ。」
卯ノ花はニッコリと微笑み、本を名前に手渡した。名前は立ち上がり、深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。」
四番隊の門を出てから名前は疑問に思った。
(何故、卯ノ花隊長の本が十一番隊の書庫室にあったのだろう…?)
***
数ヶ月後ーーー...
十一番隊の執務室には十席までの席官が集められていた。鉄左衛門を中心に他の者たちは好きな位置で話を聞いていた。
「どういう事っスか!?鉄さん!!」
室内に一角の声が響き渡る。
「どうもこうも、儂は七番隊に異動になった。ただそれだけじゃ。」
七番隊から鉄左衛門に異動の話が舞い込んできた。鉄左衛門の働きっぷりを見て声が掛かった形だ。その場にいる者たち皆が黙っている中、一角は一人怒りに体を震わせてた。と言うもの、彼は取り分け鉄左衛門に懐いていたからだ。
「納得いかねぇ!一生、十一番隊員だって言ってたのは嘘だったのかよ!!」
「じゃかしい!儂が決めた事にガタガタ口挟む気か!?」
最早二人だけの会話となっているが、他の者たちはその様子を静観している。
「あぁ、挟むさ!俺たちに付いて来いって言ってどのツラ下げるつもりなんだよ。」
「…お前とは話おうても通じんわな。表出んかい。」
「上等っスよ。」
鉄左衛門と一角が外に出ると弓親は深くため息を吐いた。恋次は顔の前で両手を合わせ、一点を見つめている。何かを考え、思い詰めた表情だ。名前は窓の外の二人の戦いを眺めていた。射場三席が七番隊に異動となると、毎月行われていた鬼道の講習も無くなるということだ。あの講習のおかげで名前は鬼道の技術が少なからず向上した。その他にも死神としての規則や振る舞いなど沢山のことを学び、鉄左衛門には感謝する事ばかりだった。そんな中、隊長である剣八は欠伸をしながら執務室を出て行った。その様子を見て名前は思った。
(隊長は了承しているんだな…。)
隊長は決して無関心と言うわけではない。ただ、本人が決めた事に口を出さないだけだ。剣八と鉄左衛門、先に二人で話をした筈だ。その時の話を聞いた訳ではないが、きっと隊長の事だから「好きにしろ」と言っただろう。
「一角が納得するまで、いつまで掛かるかな…。」
「どうだろうね…。」
今まで鉄左衛門は事務作業や隊員達の指導など、沢山の役回りを一人でこなしていた。昼間、隊長が起きて来るまで彼が十一番隊を仕切っていた。
「お前の力はこんなもんかい!!みっともないのぉ、それでも漢か!!」
外では鉄左衛門が今まで以上に声を張り上げている。異動を決めた理由を鉄座衛門が話す事も、一角以外の者達が聞き出す事もない。ただ、あの射場三席が決めた事なら、何か大きな理由があったに違いないだろう。
二人の戦いは夜まで続いた。どちらとも血と汗に濡れ、全身砂埃を被り自身の思いの丈をぶつけ合った。酒を浴びるように呑みながら戦い、最後は二人共泣いているようにも思えた。
*
その後、鉄左衛門は後輩に引き継ぎを終え、一ヶ月後には隊員達に見送られながら十一番隊の門を後にした。一角は未だに納得出来ず、仏頂面のまま腕を組んでいた。
***
鉄左衛門が異動してから数か月後。
十一番隊は今の所大きなトラブルも起きることなく回っていた。鉄左衛門がこなしていた仕事は一角と弓親がメインで行い、恋次、名前も協力し分担してこなしていた。
「射場さん、副隊長になってから功績も残して大活躍だそうだよ。」
会議で聞いてきた話をする弓親に、一角はフンっと鼻で笑った。
「副隊長の肩書きに目が眩んで、更木隊を抜けた腰抜けの話なんざ興味ねーよ。」
一角はそれ以上の話は聞きたくないと、執務室の部屋を出て行った。
「一角さん、まだ怒ってるんスね。昇進したい気持ち、俺は分かりますけど…。」
恋次は鉄左衛門の気持ちを理解していた。自身も昇進する野望を持っているからだ。
「キミは他の隊から誘いが来たら行くつもりかい?」
弓親の鋭い質問に恋次は冷や汗を流した。
「いや…俺は更木隊長のもとで力を付けて、もっともっと強くなるっスよ…今は。」
「"今"は?」
詰め寄ってくる弓親に、恋次は「厠行ってきまーす!」と立ち上がり、慌てて執務室を飛び出して行った。
「名前ちゃんどう思う?恋次、他隊の誘いに乗りそうで怪しいよね。」
「私は気にしないわ。射場さんや恋次がどうしようと、彼らの勝手よ。」
「名前ちゃんまで…。」
弓親はため息を吐いた。十一番隊は喧嘩好きで血の気の多い野郎の集まり。その中でとりわけ一角と弓親は更木隊長を敬っている。彼らの中で何があったかは知らない。しかし、他所の隊に異動しただけで裏切り者だとは大げさだと名前は思った。
【喧嘩する程】
ダンっ!!バシッ!!ダダンッ...!!
十一番隊柔剣道場からは激しい相打ちの音が響いていた。
「次々と掛かってこい!」
道場の中心で上半身半裸の男、斑目一角は隊員全員を相手に木刀を振り回していた。
隊員が束になって掛かっても、膝を付くことすらない一角に、隊員たちは疲弊していた。
「おい、名前!!いつになったら掛かって来るんだ!?」
名前は正座姿で無表情のまま一角の打ち合いを眺めている。
道場の壁のあちこちは穴が空き、応急処置でベニヤ板が貼られている。これは全て一角と名前が空けた穴だ。
毎回、毎回、道場内のどこかしらに穴が空くため、いっその事外で取り組んだ方がいいのだが、生憎雨が続いており、それができない。
修繕費用は無論、二人の給料から差し引かれている。
既にひと月分の給料全て修繕費に充てられており、現時点で来月分の給料も差し引かれる事になっている。
「怖気づいてんのか?はっ、情けねぇなぁ。」
気が立っているせいもあるのか、名前は一角の安い挑発で木刀を握って立ち上がった。
「調子に乗るな。」
「ようやくやる気になったのかよ。」
「あの…斑目三席、苗字七席…修繕費がかさむので抑え気味に…。」
隊員の忠告に一角は「うるせぇっ!」と一喝した。
今までは射場鉄座右衛門が牽制や仲裁を行っていたが、七番隊に異動してから一角を止められる者は隊長しかいない。
「俺はいつでも本気だ。手加減なんてしねぇ。名前!お前もそうだろうが。」
「ふんっ。」
無論だ、と言わんばかりに名前は一角に飛び掛かった。即座に攻撃を受け止め、距離を取って移動した名前に向かって木刀を振りかざすが、彼女が避けたため壊れていた壁が更に崩れる。
その隙を狙って名前は一角に攻撃を仕掛けるが、それを受け止めた一角と激しい相打ちになった。
二人が稽古を始めたと同時にあれよあれよという間に新しく穴が空く。騒々しい物音に隊員たちは道場を飛び出す者もいた。
「二人共!そろそろヤバいっすよ!」
隊員達の声は二人には全く届いていない。
道場に向かってくる大きな足音にも二人は気付かなかった。
扉がピシャンッ!と開き、道場内に怒声が響いた。
「てめぇら、いい加減にしやがれ!!!!」
隊員達は青ざめた顔でこの隊の長、更木剣八に頭を下げた。しかし二人の攻防は収まらない。
こめかみに青筋を浮かべた剣八は斬魄刀を握りしめ、大きく振りかざした。
ドッカーン!!!!!
*
勤務時間後、一角と名前は執務室に来ていた。
道場は剣八の粛清により全壊。責任は一角と名前二人に取らされた。
「っち…お前のせいだからな。」
「どの口が言うか。」
再来月の給料の全てを道場の修繕に当てられた二人。流石に三ヶ月給与無しは痛い。
二人は苛立ちながら始末書を書く。
「俺は先に帰んからな。」
「ふんっ…。」
先に書き終えた一角は部屋を出て行った。
すれ違いに入ってきたのは更木隊長だった。
「隊長…お疲れ様です。」
「おう。」
「お茶、お淹れしましょうか。」
「あぁ。」
手早く茶の準備をしていると、剣八がじっと自分の顔を見ている事に気が付いた。
「?…あの、私の顔に何か付いていますか?」
すると剣八は名前が耳を疑うような発言をした。
「喧嘩するほど…お前ら、仲が良いんだな。」
「……っっっ!!!??隊長、冗談はご勘弁下さい!!」
一体何をどうしたら仲がいいという判断になるのだろうか?
名前は全力で否定した。
「言われたくなかったら、二人一緒になって壁に穴空けんじゃねぇ。」
「…はい。」
こんなに歪みあっているのに、仲良く見えるとはどう言う事だろう?
(最悪だ…。)
名前は打ちひしがれながら、湯呑みに茶を注いだ。
...end.
「……。」
名前は瞬歩を使い斬魄刀を持った隊員の懐に入り込み、みぞおちに拳を叩き込んで絞め技に持ち込む。隊員は顔を真っ赤にして悲鳴を上げた。
「いででででで!降参、降参ですー!!!」
「じゃあ、次。」
これで十四人目。名前は隊員を解放し、一息ついて次の隊員に向き直った。
「九席、
譲原研一は開始早々刀剣解放し、勢いのまま突っ込んだ。魚雷のように大きく変形した斬魄刀は地面を大きく削り、砂煙を舞い上がらせた。名前は高く飛び上がったが、譲原はこの瞬間を狙っていた、とばかりに笑った。斬魄刀は角度を変え、名前に襲い掛かった。
「捕食せよ、皎我蜘蛛。」
名前は刀剣解放し、暴荒鮫を糸で絡めて動きを封じるが、暴れる暴荒鮫の動きを全て押さえることは出来ずに次々と糸は切れて振り払われていく。しかしそれを黙って見ている名前ではなかった。拳で直接譲原を攻撃した。
「苗字七席…流石ですが、俺は体術も得意なんですよ!」
譲原は体の柔軟さを活かし、名前の打撃を受け止めて裾を掴み、上空に名前を投げた。糸を振り払い、名前に襲い掛かる暴荒鮫。巨大な刀身はいとも容易く名前を吹き飛ばした。暴荒鮫はそれでもしつこく名前を追いかけ回す。瞬歩で高速移動していた名前は再び譲原目がけて突進した。
「何度攻撃しても同じですよ!」
譲原は攻撃に備えて身構えるが、名前は目の前で姿を消した。
そして体に巻き付く糸に気付く頃には自身に迫って来る暴荒鮫の餌食になっていた。
ドオオォォン!!!!!
地面は大きくえぐれ、砂埃が舞う。自身の斬魄刀の攻撃をまともに受け、暴荒鮫は元の刀身に戻った。苗字は呻く譲原に言葉を掛けた。
「大丈夫か?」
「苗字七席、流石っス…。」
譲原よりも若く、小柄で筋力も彼女の方が劣っている。他の席官達はその事実が納得できず、名前に決闘を挑むがことごとく返り討ちに遭っていた。しかしその理由を譲原は今回理解した。彼女がこれまで培ってきた経験値や努力の賜物であったが、何よりも勝負の分け目は瞬歩を使った圧倒的速さにあった。今、十一番隊で彼女ほど足の速い者はいない。這いつくばるように起き上がる譲原に手を差し伸べた名前。譲原はそんな彼女の態度に驚くものの、自身より実力が上だという事を認識し、頭を下げた。
「怪我は?」
「かすり傷だけです。」
「そうか。」
名前は隊舎に戻ろうと踵を返すが、譲原に呼び止められた。
「苗字七席!お願いがあります!!」
「……。」
名前は訝しげな表情で譲原の方を振り返った。
「今日から、
「……。」
二人の会話を聞いていた隊員達は「アイツ、マジかよ」とザワついた。薄ら笑いが聞こえてくる中、譲原の表情は真剣だった。
「…好きにしてくれ。」
名前は「変わり者だな」と思いながら隊舎に戻った。
*
三か月も過ぎると名前に決闘を挑む者もいなくなった。ようやく隊員達に実力を認めて貰えたという事。それまで名前に反発していた隊員達は名前に対しての態度を改めた。
「明日は会議じゃ。苗字、共に出席してくれんか?」
「はい。」
会議は席官でも上の者が招集される事が多く、名前はこれが初めての会議だった。鉄左衛門と共に十一番隊代表として会議に出席する為、自身が表立つ事はないと思い、多少名前は安心していた。
「名前ちゃん。明日、会議に出るんでしょ?」
「うん。」
弓親尋ねられ、名前は頷いた。彼は名前の顔をじーっと見つめている。
「私の顔に何か付いてる?」
「うーん、名前ちゃん。多少は化粧した方がいいんじゃないの?」
「どういう事?」
弓親は何かとよく気が付く。流魂街時代、伸ばしっぱなしの名前の髪の手入れの仕方を教えてくれた。身だしなみに無頓着な名前は弓親の言葉の意味が理解出来ないでいた。
「席官なのに、すっぴんで会議に出るなんてどうなの?って事。」
「化粧って絶対しなきゃいけないの?」
披露宴に出るワケでもないのに必要なのだろうか?名前には甚だ疑問だった。
「会議って顔を見合わせてするもんでしょ?じっくり見られるよ~。特に名前ちゃんは十一番隊では数少ない女性隊員なんだから。」
「別に私は気にしないけど…。」
まごつく名前に弓親は語気を強めて微笑んだ。
「十一番隊の体面の為に化粧して。上官命令ね。」
「……。」
よく見ると弓親のこめかみには血管が浮かんでいる。弓親の圧に圧され、名前は彼に促されるままメイクレッスンが始まったのだった。
*
翌日。
「苗字、見違えたのぉ。」
弓親の(鬼)指導により綺麗になった名前は恥ずかし気に顔を背けた。整えられた眉毛と瞼には筆が入り、淡い色の口紅が引かれた。
「見合いにでも行く気か?」
鼻で笑う一角に名前は即座に「違う!」と反論した。
「弓親にやられたの!私はすっぴんでいいって言った!」
「ははっ、化粧しても色気の"い"の字もねぇけどな。」
「今の言葉、もう一度言ってみて。」
一角は名前をイジらないと気が済まないのか、彼女の機嫌を損ねるような事を必ず発言する。例の如く、一触即発で喧嘩が始まりそうになり、鉄左衛門は二人を牽制した。
「やめんか!苗字、出発するぞ。」
フンっと大袈裟に顔を逸らし、名前は鉄左衛門の後ろを追った。
*
「今回の議題はなんでしょうか?」
議会に出席するよう言われたものの、議題内容を聞かされていなかった名前は鉄左衛門に尋ねた。
「おお、そう言えば苗字には説明しちょらんかったのぉ。毎年恒例の愛読書週間の事じゃ。苗字は読書が好きじゃけぇ、選ばせてもろうた。」
毎年瀞霊廷では秋になると愛読書週間と名を打って読書を促している。
「そう言う事でしたか。」
非番の日には中央図書館に通う程、名前は読書が好きだった。主に読んでいるのは参考書や実用書で、戦法戦略や日常生活の知識は本から学んでいた。
(皆が本を読むとは到底思えないけど…。)
「ここじゃの。」
会議室に入ると鉄左衛門は先にいた隊員に声を掛けた。
「ウチの七席、苗字じゃ。おなごじゃが強うて真面目でのぉ。」
「苗字名前です。宜しくお願い致します。」
「四番隊第三席、
四番隊、と聞き名前は意外だと思った。普段、四番隊とは縁のない十一番隊だったが、鉄左衛門は八十千和と親しげな感じがした。
「苗字、八十千和は男性死神協会の副会長でのぉ、この男も真面目でええ奴じゃ。」
「以後お見知りおきを。」
「はい、よろしくお願いします。」
挨拶が終わり名前は指定された席に着いた。始まるまで時間があった為、鉄左衛門は他隊に挨拶に行くといい、席を離れた。手持ち無沙汰な名前は先に着いたまま、静かにその時を待った。
「ほら…あの子が十一番隊の…。」
クスクスと小さく笑い声が聞こえた気がしたが、名前は気にしないようにした。これが弓親の言っていた事なのだろうか?名前は机上に置かれた書類に目を通して気にしないようにした。議長である伊勢七緒の呼びかけで会議は始まった。
「定刻になりましたので会議を始めさせて頂きます。」
(彼女はいないのか…。)
十三隊全てが着席し、全員の顔が見える。しかし名前が捜している人物は出席していなかった。
(そう言えば、彼女はどこの隊に配属されたんだ?)
進学してからクラスが変わり、彼女と会う機会なく卒業した。彼女は元気にやっているだろうか?
「ではまず各隊、挨拶をお願い致します。」
*
「今回は苗字に任せた。」
会議が終わると鉄左衛門は名前の肩を叩き、そう言った。
「なぁに、そう堅苦しゅう考えんでええ。ウチは毎年ポスター貼っとくだけじゃ。頼んだでぇ。」
言われた通り、名前は読書期間のポスターを隊舎の壁に貼った。愛読書週間と言われ隊員達が読書をするとはこれっぽっちも思わない。このポスターも小競り合いや故意によって数日経たないうちに剥がれてしまうのだろう…と名前は思った。全てのポスターを貼り終わり、これで仕事は終わり。…しかしこれだけでいいのだろうか?普段読書をしない者がわざわざ図書館へ行って本を借りるとは到底思えない。
(そう言えば、ここには書庫室があった筈…。)
書庫室は全ての隊に併設されていた。そこでは過去の出来事や様々な資料などが保管されている。名前は書庫室を利用すれば読書に興味を持つ者が出てくるのではないだろうかと考えた。鉄左衛門はポスターを貼るだけでいいと言ったが、読書好きな名前自身、他の隊員達にも読書の楽しさを知ってほしいと少なからず思った。中央図書館で事足りていた為、名前も今まで十一番隊の書庫室に入るのは初めてだ。どんな本が置いてあるのか、どちらかと言うとそっちの方に興味が湧いた。
(一体、何年書庫室の扉を開けていないの…?)
書庫室の扉を開け、埃っぽい室内を進む。棚は手前ほど乱雑に本や書類が置かれていたが、奥の方は比較的綺麗に整列していた。先ずは換気がしたい。名前は窓を開け、雨戸を開放した。明るい光と共に新鮮な空気が室内に入る。ふと名前が自身の手を見ると埃が付き黒くなっている事に気が付いた。そして足裏を見て真っ黒になった足袋に気付く。
「先ずは掃除が先ね……。」
十一番隊にとって毎年のようにある愛読書期間は、名ばかりの物だったに違いない。真っ黒になった雑巾を洗うたびにそう思った。壁から床を雑巾掛けし、はたきで蜘蛛の巣を払う。本棚にも埃が被っている為、本を取り出して拭いていかなければならない。綺麗になるまで一体何日掛かるのだろう?しかし一度手を出してしまった以上、地道に片付けていかなければならない。名前は業務の合間を縫ってやっていくしかないと思った。
「すごい事になってるね。」
車庫室に顔を出したのは弓親だった。名前は手を止めて弓親の元に歩み寄った。
「書庫室があるなんて知らなかったから、見てみたらこの有り様。委員会のメンバーになったから仕事は全うしないと。」
「名前ちゃんは真面目だね。鉄さんは?」
「私に一任してくれたわ。」
(鉄さん、名前ちゃんに丸投げしたな…。)
弓親は全てを悟りやれやれ、と肩をすくめた。今まで放置していた隊員達にも非がある。それを全て名前が一人で背負う必要はない。
「一人でこの量を掃除するのは大変だから、僕も手伝うよ。他の隊員達にも手伝うように声を掛けてくるから、ちょっと待ってて。」
「本当?ありがとう…!」
隊員達の手によって日が傾く頃に書庫室内の埃は目に見えなくなっていた。外で埃を払った本を一冊ずつ手に取り、内容を確認する。ざっと見るだけで百年から数百年前の本ばかりで、今にはそぐわない古い内容の物が多い。
「この本はもう改訂版が出ているから、古い本は処分してこうか。」
「そうね。ここに置いといても仕方ないしね。」
要らない本を置いているくらいなら、隊員達が手に取る新しい本を置いた方がいい。
「定時も過ぎてるし、本の整理は明日にしよう。」
「弓親、ありがとう。すごく助かった。私一人じゃここまで片付けられなかったから…。」
「いいんだよ、気にしないで。それに女の子一人に全て任せっきりなんて、僕の美学に反するしね。」
「そうだ、今から呑みに行かない?お礼がしたいの。」
「お礼なんていいから。」
「私に奢らせて。いつものお礼。弓親には色んな事を教えてもらってるから…ね、お願い。」
「そこまで言うんだったら…分かったよ。じゃあ、名前ちゃんに甘えさせて頂こうかな。」
「うん!」
*
仕事の合間を縫って名前は、本の選別に取り掛かった。読む気が失せるようにびっしりと字が書き連ねてある本、精神論、思想が載っている隊員が読まない様な物は処分した。小説は読む者がいるかもしれないので残した。そして、名前はある一冊の本に目が留まる。
(草花図鑑…。)
文庫本サイズの手に取りやすい本で、使い込まれた形跡が残っている。
パラパラとページを開くとイラストと手書きのメモが書き記してあった。
(この草、薬草になるんだ…。)
薬草、と言って思い出すのは流魂街の山奥で生活を共にした久枝の事だった。他にも馴染みのある植物を見つけ、名前は寝室に持ち込む程熱心に読み込んでいた。
(これ程書き込まれている物なら、何処かに名前が記されていないだろうか?)
就寝前、布団で横になりながら本を読んでいた名前は最後の項を開いた。予測は見事に当たり、その名を見て名前は驚いた。
(卯ノ花…隊長!?)
*
名前の働きにより、十一番隊の書庫室は毎日数人の隊員が出入りするようになった。流行りの小説や鍛錬や実践演習に関する本を置いたのが功を奏したようだ。
「流石じゃ、苗字に任せて良かったけん。」
「いえ、一人ではここまで出来ませんでしたから…。」
「謙遜しなさんな、今後はお前さんに仕事を任せられるのぉ!」
嬉しそうに笑う鉄左衛門は続けた。
「実際、ワシが十一番隊におって今が一番バランスが取れちょると思うとる。護廷十三隊最強と胸を張って言えるぐらいのぉ!」
更木隊長、草鹿隊長、射場三席、一角、弓親、恋次、そして名前…。斬拳走鬼全てが揃っている。実際、名前が席官になってからと言うもの、十一番隊が任務に駆り出される頻度が増えていた。鉄左衛門はそれを誇りに思っていた。
「これが、いつまで続くかじゃ…。」
「それは…どういう意味ですか?」
名前の問いかけをかき消すように「さぁ、夕飯の時間じゃ!」と鉄左衛門は歩き出した。
「……。」
***
後日、名前は草花図鑑を持って四番隊を訪れた。
「卯ノ花隊長を呼んできますので少々お待ちください。」
応接間に案内された名前は淹れて貰った茶を啜りながら、静かに待った。
「待たせましたね。苗字さん。」
半刻程経ち、卯ノ花が現れると名前は立ち上がり挨拶をした。
「お忙しいところ時間を割いて頂き、ありがとうございます。」
「どうぞ、腰かけて下さい。」
「失礼致します。」
名前の向かいに座った卯ノ花はニコリと微笑んだ。
「あれからお変わりないですか?」
あれから…と言うのは名前が修院生時代に遡る。例の事件で重症を負った名前は四番隊に運び込まれた。瀕死状態の名前を治療したのは卯ノ花隊長だった。
「はい…その節では大変お世話になりました。」
「元気そうで何よりです。十一番隊で七席に昇進したと聞きました。とても素晴らしい事ですよ。」
他隊の情報まで網羅している卯ノ花隊長に名前は驚いた。長く護廷十三隊に在籍している方だけあり、風格が違うと感じた。
「存じて頂き、ありがとうございます。あの、今日は卯ノ花隊長にこれをお渡しする為に伺いました。」
「……!」
「十一番隊の書庫室から出てきました。」
「懐かしいですね…。」
卯ノ花隊長は本を受け取った本をパラパラ開いた。今とは違う昔の筆跡を見て懐かしい記憶が思い起こされる。
「失礼ながら拝見させていただきました。私の知らない情報も載っていて、とても参考になりました。沢山の書き込みがされている所、この本を大切にされていたことが伺えます。」
パタン
本を閉じた卯ノ花は名前に向き直った。
「これは苗字さんに差し上げます。」
「…よろしいのですか?」
「えぇ。私にはもう必要のない物ですから。それに、今は貴方が持っていた方がこの本は役に立ちそうですよ。」
卯ノ花はニッコリと微笑み、本を名前に手渡した。名前は立ち上がり、深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。」
四番隊の門を出てから名前は疑問に思った。
(何故、卯ノ花隊長の本が十一番隊の書庫室にあったのだろう…?)
***
数ヶ月後ーーー...
十一番隊の執務室には十席までの席官が集められていた。鉄左衛門を中心に他の者たちは好きな位置で話を聞いていた。
「どういう事っスか!?鉄さん!!」
室内に一角の声が響き渡る。
「どうもこうも、儂は七番隊に異動になった。ただそれだけじゃ。」
七番隊から鉄左衛門に異動の話が舞い込んできた。鉄左衛門の働きっぷりを見て声が掛かった形だ。その場にいる者たち皆が黙っている中、一角は一人怒りに体を震わせてた。と言うもの、彼は取り分け鉄左衛門に懐いていたからだ。
「納得いかねぇ!一生、十一番隊員だって言ってたのは嘘だったのかよ!!」
「じゃかしい!儂が決めた事にガタガタ口挟む気か!?」
最早二人だけの会話となっているが、他の者たちはその様子を静観している。
「あぁ、挟むさ!俺たちに付いて来いって言ってどのツラ下げるつもりなんだよ。」
「…お前とは話おうても通じんわな。表出んかい。」
「上等っスよ。」
鉄左衛門と一角が外に出ると弓親は深くため息を吐いた。恋次は顔の前で両手を合わせ、一点を見つめている。何かを考え、思い詰めた表情だ。名前は窓の外の二人の戦いを眺めていた。射場三席が七番隊に異動となると、毎月行われていた鬼道の講習も無くなるということだ。あの講習のおかげで名前は鬼道の技術が少なからず向上した。その他にも死神としての規則や振る舞いなど沢山のことを学び、鉄左衛門には感謝する事ばかりだった。そんな中、隊長である剣八は欠伸をしながら執務室を出て行った。その様子を見て名前は思った。
(隊長は了承しているんだな…。)
隊長は決して無関心と言うわけではない。ただ、本人が決めた事に口を出さないだけだ。剣八と鉄左衛門、先に二人で話をした筈だ。その時の話を聞いた訳ではないが、きっと隊長の事だから「好きにしろ」と言っただろう。
「一角が納得するまで、いつまで掛かるかな…。」
「どうだろうね…。」
今まで鉄左衛門は事務作業や隊員達の指導など、沢山の役回りを一人でこなしていた。昼間、隊長が起きて来るまで彼が十一番隊を仕切っていた。
「お前の力はこんなもんかい!!みっともないのぉ、それでも漢か!!」
外では鉄左衛門が今まで以上に声を張り上げている。異動を決めた理由を鉄座衛門が話す事も、一角以外の者達が聞き出す事もない。ただ、あの射場三席が決めた事なら、何か大きな理由があったに違いないだろう。
二人の戦いは夜まで続いた。どちらとも血と汗に濡れ、全身砂埃を被り自身の思いの丈をぶつけ合った。酒を浴びるように呑みながら戦い、最後は二人共泣いているようにも思えた。
*
その後、鉄左衛門は後輩に引き継ぎを終え、一ヶ月後には隊員達に見送られながら十一番隊の門を後にした。一角は未だに納得出来ず、仏頂面のまま腕を組んでいた。
***
鉄左衛門が異動してから数か月後。
十一番隊は今の所大きなトラブルも起きることなく回っていた。鉄左衛門がこなしていた仕事は一角と弓親がメインで行い、恋次、名前も協力し分担してこなしていた。
「射場さん、副隊長になってから功績も残して大活躍だそうだよ。」
会議で聞いてきた話をする弓親に、一角はフンっと鼻で笑った。
「副隊長の肩書きに目が眩んで、更木隊を抜けた腰抜けの話なんざ興味ねーよ。」
一角はそれ以上の話は聞きたくないと、執務室の部屋を出て行った。
「一角さん、まだ怒ってるんスね。昇進したい気持ち、俺は分かりますけど…。」
恋次は鉄左衛門の気持ちを理解していた。自身も昇進する野望を持っているからだ。
「キミは他の隊から誘いが来たら行くつもりかい?」
弓親の鋭い質問に恋次は冷や汗を流した。
「いや…俺は更木隊長のもとで力を付けて、もっともっと強くなるっスよ…今は。」
「"今"は?」
詰め寄ってくる弓親に、恋次は「厠行ってきまーす!」と立ち上がり、慌てて執務室を飛び出して行った。
「名前ちゃんどう思う?恋次、他隊の誘いに乗りそうで怪しいよね。」
「私は気にしないわ。射場さんや恋次がどうしようと、彼らの勝手よ。」
「名前ちゃんまで…。」
弓親はため息を吐いた。十一番隊は喧嘩好きで血の気の多い野郎の集まり。その中でとりわけ一角と弓親は更木隊長を敬っている。彼らの中で何があったかは知らない。しかし、他所の隊に異動しただけで裏切り者だとは大げさだと名前は思った。
【喧嘩する程】
ダンっ!!バシッ!!ダダンッ...!!
十一番隊柔剣道場からは激しい相打ちの音が響いていた。
「次々と掛かってこい!」
道場の中心で上半身半裸の男、斑目一角は隊員全員を相手に木刀を振り回していた。
隊員が束になって掛かっても、膝を付くことすらない一角に、隊員たちは疲弊していた。
「おい、名前!!いつになったら掛かって来るんだ!?」
名前は正座姿で無表情のまま一角の打ち合いを眺めている。
道場の壁のあちこちは穴が空き、応急処置でベニヤ板が貼られている。これは全て一角と名前が空けた穴だ。
毎回、毎回、道場内のどこかしらに穴が空くため、いっその事外で取り組んだ方がいいのだが、生憎雨が続いており、それができない。
修繕費用は無論、二人の給料から差し引かれている。
既にひと月分の給料全て修繕費に充てられており、現時点で来月分の給料も差し引かれる事になっている。
「怖気づいてんのか?はっ、情けねぇなぁ。」
気が立っているせいもあるのか、名前は一角の安い挑発で木刀を握って立ち上がった。
「調子に乗るな。」
「ようやくやる気になったのかよ。」
「あの…斑目三席、苗字七席…修繕費がかさむので抑え気味に…。」
隊員の忠告に一角は「うるせぇっ!」と一喝した。
今までは射場鉄座右衛門が牽制や仲裁を行っていたが、七番隊に異動してから一角を止められる者は隊長しかいない。
「俺はいつでも本気だ。手加減なんてしねぇ。名前!お前もそうだろうが。」
「ふんっ。」
無論だ、と言わんばかりに名前は一角に飛び掛かった。即座に攻撃を受け止め、距離を取って移動した名前に向かって木刀を振りかざすが、彼女が避けたため壊れていた壁が更に崩れる。
その隙を狙って名前は一角に攻撃を仕掛けるが、それを受け止めた一角と激しい相打ちになった。
二人が稽古を始めたと同時にあれよあれよという間に新しく穴が空く。騒々しい物音に隊員たちは道場を飛び出す者もいた。
「二人共!そろそろヤバいっすよ!」
隊員達の声は二人には全く届いていない。
道場に向かってくる大きな足音にも二人は気付かなかった。
扉がピシャンッ!と開き、道場内に怒声が響いた。
「てめぇら、いい加減にしやがれ!!!!」
隊員達は青ざめた顔でこの隊の長、更木剣八に頭を下げた。しかし二人の攻防は収まらない。
こめかみに青筋を浮かべた剣八は斬魄刀を握りしめ、大きく振りかざした。
ドッカーン!!!!!
*
勤務時間後、一角と名前は執務室に来ていた。
道場は剣八の粛清により全壊。責任は一角と名前二人に取らされた。
「っち…お前のせいだからな。」
「どの口が言うか。」
再来月の給料の全てを道場の修繕に当てられた二人。流石に三ヶ月給与無しは痛い。
二人は苛立ちながら始末書を書く。
「俺は先に帰んからな。」
「ふんっ…。」
先に書き終えた一角は部屋を出て行った。
すれ違いに入ってきたのは更木隊長だった。
「隊長…お疲れ様です。」
「おう。」
「お茶、お淹れしましょうか。」
「あぁ。」
手早く茶の準備をしていると、剣八がじっと自分の顔を見ている事に気が付いた。
「?…あの、私の顔に何か付いていますか?」
すると剣八は名前が耳を疑うような発言をした。
「喧嘩するほど…お前ら、仲が良いんだな。」
「……っっっ!!!??隊長、冗談はご勘弁下さい!!」
一体何をどうしたら仲がいいという判断になるのだろうか?
名前は全力で否定した。
「言われたくなかったら、二人一緒になって壁に穴空けんじゃねぇ。」
「…はい。」
こんなに歪みあっているのに、仲良く見えるとはどう言う事だろう?
(最悪だ…。)
名前は打ちひしがれながら、湯呑みに茶を注いだ。
...end.