月光に毒される
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***
(……。)
精神を研ぎ澄まし、目の前に置いた短刀を見つめる名前。近頃は時々声が聞こえるものの、一方的なもので対話という形には至らなかった。新人隊士の中で唯一、斬魄刀の対話すら出来ない事に流石に焦りが生まれてくる。
(私自身の実力はついて来ている筈だ…斬魄刀の対話すら出来ないのは何故?)
真央霊術院に入学し、以前に比べて戦法や技術の実力はついてきた筈だ。
名前はこれまでのことを思い返し、手掛かりになるような事がなかったか考えた。
(命の瀬戸際に聞こえてきたあの声…もしや…?)
以前、真央霊術院の教官から言われた言葉を思い出した。これは妖刀の類だ。制御出来る様にならなければならないと。よくよく過去を思い出してみると、命の危機に瀕した際に聞こえてきた謎の声は斬魄刀だったのではないか?
『苗字さん、あなたの斬魄刀は所謂、妖刀と呼ばれる類の一種です。取り扱いには十分ご注意願います。』
以前、真央霊術院の教官に言われた言葉を思い出す。使う者の体を支配する、斬魄刀なのだと…。斬魄刀は名前を認めていない。
「まだまだ!!!」
その時、同じく鍛錬中である恋次の叫び声が聞こえてきた。彼は強くなる事に貪欲に取り組んでいる。自身も、強くなるために死神になったではないか。
(…必ず、聞き出す。)
*
それからほどなくして恋次は六席の称号を与えられた。新人隊士としては十分な強さ。斬魄刀も使いこなし、異論を唱える者はいなかった。名前も恋次の昇格に納得していた。
「今度の引率は恋次、お前に任せた。」
「ありがとうございます!」
席官ともなれば任務の引率を任される。会議出席や書類整理など仕事もこなさなければならない。恋次はそういった業務は嫌ではないようで、快く引き受けた。鼻歌交じりに隊舎を歩く恋次は絶好調といった様子だ。
一方、名前は業務外は霊術院時代と変わらず図書館に通い詰めていた。書物から得られる知識は多く、生きる上でも糧となった。
*
「名前は真面目じゃのう。」
鉄左衛門は面倒見の良い人で、定期的に名前にも声を掛けてくれた。極端なあの男と違い、冷静で客観的な判断を下す鉄左衛門は上官として尊敬していた。
「隊長がいねぇからって、十一番隊が前線に配備されないのは納得いかねぇ…!」
別件で更木隊長の不在時、いつも前線に駆り出される十一番隊が側方の護衛で配備された。更木隊長がいなくても、自分達が最強だと信じて疑わない隊員達は不服を漏らす。
「隊長がいなくても戦えるって事、見せ付けてやろうじゃねぇか!」
一角の表明で隊員達のボルテージが上がる。力で示すのが何よりも早い、十一番隊ならではの考え方だ。
「アホか、側方の護衛をすっぽかすつもりか。」
「射場さん!俺ら、舐められて黙ってられるんですか!?」
皆の士気が高まる中、最後まで冷静だったのは射場鉄左衛門だった。
鉄左衛門は一角の頭に拳を落とした。
ゴッっっっ!!!
「いってぇえええ!!!」
「じゃかしい!われら何も分かっちょらん。与えられた役割すら守り通せん、そんなんで筋が通るかいな!」
(確かに射場三席の言う通りだ。)
現在の十一番隊の手綱を握っているのは、実はこの人なのではないかと思う。更木隊長が不在の時は鉄左衛門がその場を取り仕切る事が多かった。
(それにしても…。)
鉄左衛門から拳骨をくらい、不貞腐れる一角の表情を見て名前は笑いを堪えるのに苦労した。
***
名前は毎日の鍛錬は欠かさず、実直に任務をこなした。怪我をする日もあったが、毎日の日課を怠る事はしなかった。そして、その日は突然訪れる事となる。
「半年ぶりだな。怪我は良くなったか?」
「無論だ。」
一角は名前を目の前に目をぎらつかせていた。半年前、一角と鍛錬した際に名前は負傷した。四番隊に通い、傷は完璧に癒えている。
(今度こそ、あの男を倒す。)
一角を見据えたまま、ゆっくり呼吸を繰り返した。相手は憎き斑目一角。上下関係など知った事ではない。それは一角もよく理解していた。
「二人共…本気じゃねぇか。」
恋次はただならぬ気配を感じ取り、呟いた。他の新人隊士との鍛錬にはなかった緊張感がその場に流れる。十一番隊に所属する多くの隊員がその場を見守っていた。
「行くぜ。」
一角の言葉を合図に二人の闘いが始まった。息の吐く間もない攻防が繰り広げられ、隊員達は瞬きする間も無く固唾を呑んで見守った。一角は合図する事無く刀剣解放して攻撃する。名前も瞬歩を使い攻撃をかわし、一角に蹴りを入れる。始めは静かに見守っていた隊員達だが、一人が声を上げるとその場にいた皆が歓声を飛ばした。
(かなり腕が上がってるな。)
一角は名前の動きを見ながら考えていた。無駄な動きが無くなり、的確に急所を狙ってくる。こちらの攻撃も読めるようになったと見えて、簡単に避けられる。流魂街で名前と刃を交えた時は彼女の未熟さが露呈していたが、死神になり霊圧の使い方も巧くなっていた。
「面白れぇ!」
一方、名前も冷静に考えていた。今の所、一角の攻撃に付いていけている。攻撃の読みも悪くない。速さで言えば名前の方が長けているが、長年の経験から得たと思われる彼の勘の鋭さが名前を悩ませた。本気の闘い。ここまできたら鬼道も使うべきだ。名前は一角に数回の蹴りを入れ、その間に詠唱を読み上げた。
「破道の一、衝 !」
名前の指先から放たれた鬼道は一角に直撃した。
「へっ!」
一角は衝撃波で吹き飛ばされるも、すぐに立ち上がり首を鳴らした。周りで見ていた隊員達は一斉に野次を飛ばした。
「鬼道を使うなー!」
「鬼道を使う奴は、腰抜けだ!」
「正々堂々、正面から戦えー!」
十一番隊では鬼道を使えない?確かに、十一番隊に入隊してから鬼道の鍛錬だけが無かったが…使ってはいけないのは初耳だ。入隊直後の更木隊長との手合わせではそのような事は言わなかったじゃないか。しかし、一角は本気で掛かって来い、と言った。今使える力を全て使うのが全力だ。野次に苦虫を潰した表情を浮かべる名前だったが、一角はそれを制した。
「お前ら、邪魔するんじゃねぇ!使えよ、鬼道。それがお前の全力だろうが。」
「……。」
一角は周りの野次を気にすることなく嗤った。そうでなくては…水を差された思いだったが、これで闘いに集中できそうだ。名前は目を瞑り、大きく深呼吸した。
*
「——————……っ!」
名前は周囲を見渡す。気が付くと何もない空間にポツンと名前はいた。それは見覚えのある景色だった。名前が何度も待ち望んだ瞬間が来たのだ。
「居るんでしょ…姿を見せて。」
名前は呼びかけるように言った。するとそれ程間を空けず、嗤い声が響いた。
『ようやく、ここに来れるようになったか』
姿は視えないが、声は直ぐ近くから聞こえてくる。
『お前はまたあの男に敗れるのか?』
「あの頃より、私は強くなった!負けない、勝つまで私は何度でも立ち上がる。」
『あれ程死にたがっていた奴が嗤(わら)わせる…私すら操れないと言うのに』
疑問に思っていた。瀕死の状態で生き延びられたのは、決して名前の生命力だけではない。命を繋ぎ留めていたのは名前の中にいる者の存在。時に名前の体をも操る。それが出来るのは私その者しかいない。
「貴様に有無を言わせない程、私は強くなる。それまで死にはしない!」
長いような、短いような絶妙な間だった。声は試してやろう、と言わんばかりに嗤った。
『ふっ…見ててやろう だが覚えておけ…お前は、私の操り人形だ』
名前の足元から無数の糸が湧き、渦巻く。声の主はついにその名を呟いた。
『私は皎我蜘蛛 。』
*
再び瞼を開くと、斑目一角が目の前にいた。一瞬気後れした名前だったが、状況を理解し、腰にある短刀の柄を握り締めた。今までとは違う感覚に、心臓が心拍を速める。
(これがあの名前…。)
初めて自ら名乗る時の事を思い出し、名前は躊躇した。名など無くても生きていけると信じていたが、目の前の男に勝手に名付けられ、
他に名前など思い浮かばないものだから、その名を使わざるおえなかった。自身の名を名乗る瞬間は今もたじろぐ。しかし、名前は意を決し、刀を抜いた。
「皎我蜘蛛!!!」
「……ッ!?」
名前が叫んだ瞬間、短刀は形を変えた。他の者達が持つ斬魄刀同様の長さに変化し、名前は一角に向かって突撃した。一角はその変化に驚きながらも、冷静に攻撃を受け止めた。どんな能力だ?と警戒しつつ様子を見る。
「へぇ、いつの間にか斬魄刀と対話出来てたんだな。」
名前は一角の言葉に返答せず、攻撃を続けた。短刀の近距離戦に慣れていた為、刀のピッチの違いに躊躇する。
「そんなんじゃ、俺は倒せねぇぞ!」
一角は手を緩める事なく、名前に攻撃した。ようやく、彼女の斬魄刀が目覚めようとしている。一角は極限まで彼女を追い詰めた。
(咬我蜘蛛…!)
力では勝てない。名前は距離を置き、柄を握りしめた。足元から糸が巻き上がるイメージが脳裏に湧く。蜘蛛は、糸を操る。
(これが私の力…。)
『あやつを、捕食せよ』
咬我蜘蛛はそう言った。名前はゆっくり息を吐き、呟いた。
「捕食せよ、咬我蜘蛛。」
斬魄刀が刀剣解放され、鍔 より先が無数の糸状になり一角に向かって解き放たれた。一角は纏わりつこうとする糸を避けると、死魄装の裾や袴が裂けた。
(斬れる糸か…!)
糸は一角目掛けて襲いかかってくる。鬼灯丸では全てを塞ぐ事が出来ず、糸は一角に絡みついた。
「…厄介な斬魄刀だな。」
一角の腕に絡んだ糸は彼の肌に食い込み、出血を起こしている。一本一本の糸が刃になっているようだ。しかし、強度はそれ程強くない。
「ふんぬっ!!!」
一角は筋肉を隆起させ、糸を破った。名前は再び咬我蜘蛛の糸で一角の足を縛った。
「弱ぇ…!」
すぐさま糸を掻き切るが、名前の蹴りが頭上から炸裂し、一角は地面に叩きつけられた。
「斑目四席…!!」
他の隊員達の不安そうな声掛けを打ち破るかのように一角は立ち上がった。砂埃にまみれた一角は笑っていた。
「へへっ…やるじゃねぇか、名前!!」
こんな事で倒れるような男じゃない。もっともっと、攻撃しなければ!私が持っている全ての力をこの男に叩き込む。
「俺も本気で行くぜ…!!」
*
二人の戦いは陽が落ち、辺りが暗くなった所で終わった。底なしの一角の体力と、名前の途切れることの無い集中力は平行線を辿った。
この続きは翌日以降に持ち越される。既に「朝イチから始めるぞ」と意気込む一角に嫌気が差した所だ。
「ようやっと始解を習得したか苗字!おめでとさん。」
隊舎に戻ると名前は隊員達から祝福の言葉を貰った。それが「嬉しい」と素直に思えたのは名前が成長したからなのかもしれない。体に付いた汚れを洗い流し、夕食を終える所までは興奮冷めやらぬ名前だったが、床に付く頃には意識を手放すように眠りについた。
*
「むくりん、起きて!」
「はっ…!」
名前はやちるの声により目を覚ました。窓の外はすっかり日が昇っており、朝練が始まっている時間だった。
「嘘っ!?寝坊?!」
寝過ごしてしまったと名前は飛び起きたが、やちるによって遮られた。
「ううん、あわてなくていいよ。」
「ですがっ!!」
「いいの!」
朝練をすっぽかすなど先輩が黙っていない、何よりあの男にどやされるのは分かりきっており、居ても立っても居られなくなる。
「つるりんも寝坊してるから気にしないで。」
「そう…ですか。」
安堵と共に名前の心を見透かされているようで少し羞恥した。
「聞いたよ、むくりん始解できるようになったんだよね!」
「遅ればせながら、習得いたしました。」
「それでね、剣ちゃんと相談したんだけど、今日からむくりんは七席に昇進ね!」
「ええっ!!?いきなりですか???」
「うんっ!」
もしかしたらこれは夢の延長線上なのではないかと思ったが、やちるに頬をつねられ、これは現実だと認識させられた。
「さ、朝ごはん食べに行こ!」
「お待ちください、先に着替えを…。」
急いで死覇装に着替え、やちるに手を引かれるまま食堂へ向かうが食堂の前を通り過ぎた。
「あの、どちらへ…?」
「だから、ごはん食べに行くんだって。」
訳も分からずやちるについて行くと、すぐに理解した。
「むくりん連れてきたよー!」
「苗字が寝坊とは珍しいのぉ。」
「そりゃ、昨日あんだけ一角さんとやり合えば仕方ないっスよね。」
ここは席官以上が専用で使っている食堂。先に六席に上がった恋次もここで食事を摂っている。既に鉄左衛門、弓親、恋次は朝食を食べている。隊長と一角の姿は見当たらない。
「隊長はいつもの如くまだ寝てて、一角は昨日呑みすぎて寝坊してるから安心して。」
「そうじゃ、いつまでも突っ立っておらずと席に着かんかい。」
「ほらほら!」
やちるに手を引かれ、恋次の隣に座る。既に配膳されており、ご飯と味噌汁からは湯気が立ち上っていた。
「いただきます…。」
昨日まで他の隊員達と食事していたせいで、未だに現実味を帯びない。
「あの…私ここで食べていいんですか?」
「七席になったんや、当然じゃろ。」
「はぁ…。」
自分だけが置いてけぼりになった気分だ。しかし、口を揃えて皆に言われると昇進した事実が徐々に身に染みてきた気がした。
*
「おはようございま〜す。」
そう言って入ってきたのは一角だった。
「呑みすぎじゃ。」
「すいやせん。」
弓親の言葉の通り、二日酔いで気分の悪そうな表情を浮かべていた。
「おはよ、一角。昨日はいつ寝たのさ。」
「あぁ?…憶えてねぇわ。」
昨日の戦闘後に夜更けまで晩酌…この男は底なしの体力なのではないかと名前は思った。
「ちゃんと、名前もいるじゃねぇか。」
「むくりんは私が起こしに行ったんだからね!」
「あー?席官になった初日から寝坊か?しっかりしろよ。」
「毎日寝坊してる君には言われたくないでょ。」
すかさず弓親が突っ込み、一角に反論せず済んだ。鉄座衛門はため息を吐くように名前に言った。
「この通りじゃ、今日は大目に見るが、上官がこんなだと部下に示しがつかん。苗字はしっかりするんやぞ。」
「心得ます。」
***
【無礼講】
名前が七席に昇進し、祝いの宴が開かれた。
日頃から週末になるとどんちゃん騒ぎが起きてていたが、今宵は名前の祝宴という事もあり、呑みの席が苦手な名前は欠席出来ずにいた。
「むくりん、おめでとう!」
やちるはオレンジジュースの入った湯呑みを名前の湯呑みと合わせた。
「ありがとうございます。」
隊員達は調子の良い台詞でその場を盛り上げる。酒が回った男たちの宴会はいつも明るい。
褌一丁でバカ騒ぎする隊員を尻目に、名前は黙々と食事を摂った。
「わざわざ宴会など開かなくていい」と申し出た名前の要望は聞き入れてもらえなかったが、宴が始まると「皆んな、ただ呑みたいだけ」なのだと名前は理解した。
隙を見て退席出来ないだろうか?と思案していると、恋次が声を掛けてきた。
「名前も呑めよ。」
恋次が名前に酒の入った升を差し出す。
名前は酒を呑んだ事はないが、酒に酔った男たちのにおいが嫌いで、それ故苦手意識が生まれていた。
「要らない。」
名前は間髪入れずに答えたが、恋次は引き下がらなかった。
「主役が呑まないでどうすんだよ。ちょびっとぐらい舐めてみろよ。下戸でも少しずつ呑んでけば慣れてくるぜ?」
「酒を呑む利益を感じられない。」
酔えば気分が良くなるそうだが、名前にとってそれは麻薬と同じだと思った。呑めば思考や判断鈍り、体調不良を起こす。
現に酔っぱらい醜態を晒している隊員達を見て「あぁはなりたくない」と思っている所だった。
「そうか?俺は楽しいと思うけどな~!」
恋次は笑うが、名前は素っ裸になって踊っている隊員を冷ややかな目で見た。
「これのどこが?気持ち悪い。」
「ツレねぇなぁ。」
冷めた姿勢を貫く名前を見て、恋次は自身の酔いが冷める前に彼女から離れた。
「シュウマイ出来上がりましたよ~!」
隊員の掛け声と共に湯気の立ち昇る蒸籠 が運ばれてきた。
一角は隊員から蒸籠を受け取ると名前の横にどかりと座った。
「呑まねぇってんなら、これでも食えよ。祝いの時だけに振舞われる特製シュウマイだぜ。」
一角は蒸籠の蓋を取り、名前にシュウマイを見せた。
シュウマイはつやつやふっくらとしており、美味しそうな匂いを引き連れた湯気が名前の鼻孔をくすぐった。
酒は苦手だったが、シュウマイなら名前でも抵抗なく食べられそうだ。
「…これなら、頂こう。」
自分の為に作られた、とまで言われると断るのも失礼だ。名前は小皿にシュウマイをとり、醤油を垂らした。
ふうふうと息を吹きかけてゆっくり口に運んだ。
シュウマイが名前の口の中に入ると、周りにいた隊員達はニマニマと笑みを浮かべた。
すると名前の表情が固まった。
「っ…!!」
口を押え、涙目になりながら名前は一角を睨みつけた。
「辛っ…!!」
肉の旨味を感じたのは最初だけで、噛むたびに舌と鼻にツーンと辛味が駆け抜ける。
特製シュウマイの中には大量の辛子が仕込まれていた。
これほど大勢の前で吐き出すことも出来ずに葛藤していると、恋次がジョッキを持って走ってきた。
「名前、水ならあるぜ!ほら。」
恋次からジョッキを受け取った名前は何も考えずそれを一気飲みした。
ジョッキの中の液体は冷たくて透明だったが、辛子で鼻が利かなかった名前はそれを水だと思い込んでいた。
(これ…水じゃない…っ!)
飲んだハナから喉元から熱を帯びてくる。
それが水ではないと気が付いたのはジョッキの中の液体が半分より下回った時だった。
「名前が呑んだぞー!」
「おおおおおぉぉ!!!」
一角の掛け声と共に隊員達は大盛り上がり。
主役が酒を呑まずして祝宴とは呼べない。呑んでどんちゃん騒ぎするのが十一番隊流だった。
「……。」
盛り上がる隊員達をよそに主役である名前はと言うと、沈黙を貫いていた。
「おい、大丈夫か?」
寡黙のままの#NAME2##が気になり、恋次は彼女の肩に手を置いた。
ヒュンっ!パリンっ!!
名前は小皿を放り投げ、恋次の手を払った。
たちまち室内は静まり返り、室内にいた者全員が名前を見つめる。
名前はゆっくりと立ち上がり、大きく息を吸った。
目は恐ろしく据わり、一点を見つめる。
「名前、たちまち(とりあえず)落ち着けぃ。皆、われ(お前)を祝うちゃろう思うてした事じゃ。」
鉄座衛門は高まっていく名前の霊圧を感じ取り、冷静になるよう諭した。
しかし、鉄左衛門の声は名前に届いていなかった。
ゆらりと踏み出したと思えば目の前にいた隊員に飛び掛かっていた。
そこからは最早、嵐と言っても過言ではなかった。
「酔っ払っちょる!」
目の焦点が合わず、暴れまわる名前。
上官である一角や鉄左衛門が抑えるも名前は止まらず、弓親と恋次が縛道を発動させても打ち破り、ついには隊長に斬りかかっていた。
「ほぉ、苗字…いい度胸じゃねぇか…!」
剣八はニヤリと笑い、斬魄刀を持って立ち上がった。
「隊長ーーー!!!名前を止めてやってくだせぇ!!!」
二メートルの巨体と小柄な女では決着はすぐだろうと思われていたが、二人は対等に張り合っていた。
二人は外で闘っており、他の隊員達はそれを見ながら酒を呑んでいた。
「今後は苗字に酒を呑ませる時は気ぃつけるんじゃぞ。」
「そりゃぁもう、絶対一気飲みはさせないっスよ。」
「ねぇ、これいつまで続くの?」
「名前の酔いが醒めるまでじゃねぇの?」
「剣ちゃん、むくりん!いけいけー!!!」
*
名前を祝う祝宴模様は十一番隊の歴史に残り、隊員達の間で語り継がれる事となった。
二人の闘いは夜が更けるまで続き、翌日、騒ぎを聞いた総隊長に呼び出されたそうな。
...end.
***
数日後。
「恋次、苗字!ちょいとええか?」
通常の鍛錬を終えた所に鉄左衛門が二人に声を掛けた。
「お前さんも来んかい。」
「僕は結構です。」
鉄左衛門は弓親にも声を掛けるが、彼は明らかに嫌そうな表情を浮かべた。
「可愛い部下に手ほどきするんが上官の務めじゃ、来んかい。
鉄左衛門の言葉を聞き、弓親は仕方なく付き合う事にした。鉄左衛門が三人を連れてきたのは木々に囲まれた訓練場。三人を前に鉄左衛門は口を開いた。
「死神の戦術四つ覚えちょるか。」
「はい!斬拳走鬼、斬術、白打、歩法、鬼道です。」
元気に恋次が答え、鉄左衛門は「うむ」と頷いた。
「儂らが強うなるにはバランスよく全てを鍛えにゃならん。一つだけ磨いても、他が劣ったらそこから攻め込まれる。」
弓親を除く恋次と名前は頷いた。
「じゃが、更木隊は血の気の多い馬鹿が多くての、バランスなんか考えておらん。力だけでのし上がろうと躍起になっておる。実際、ウチの中で鬼道を使える者が何人おると思う?」
恋次は名前と顔を見合わせ、恐る恐る答えた。
「…もしかして、俺らだけっスか?」
鉄左衛門は頷いた。
「更木隊は暗黙の了解で鬼道を使う事を禁止しておる。儂はそれを弊害としか思わん。おぬしらは儂が認める鬼道の使い手じゃ。使える技は鍛錬しておくに限る。そこで、儂が直々に鬼道の手ほどきするけぇ。」
「ご指導、お願いします!!」
恋次が直角に近い最敬礼をし、続いて名前も「お願いします」と敬礼した。一方弓親はと言うと、「僕は鉄さんに付き合ってるだけですから」と言わんばかりに腕を組む。しかし鉄左衛門は気にする事なく続けた。
「先ずは試しに恋次、あの岩に向かって赤火砲を打ってみぃ。」
「はいっ!破道の三十一、赤火砲!」
恋次が放った鬼道の火は荒々しいものだったが、威力があり岩は砕け散った。
「次に苗字!」
「破道の三十一、赤火砲!」
名前が放った赤火砲は火球こそ小さいものの、正確に岩に当てる事が出来たが恋次ほどの威力は出なかった。
「じゃ、弓親お手本を見せてみぃ。」
弓親は軽くため息を吐いて赤火砲を放った。
「破道の三十一、赤火砲。」
弓親の赤火砲は二人より発動速度と球速が速く、名前と同じような火球の大きさにも関わらず恋次以上に大きく岩を破壊した。
「すごい…!」
息を飲む恋次と名前に鉄左衛門はニマリと笑った。
「嫌々と言う割には、しかと鍛錬しちょるけ。」
「これぐらい普通ですから。」
「嫌味っぽいのぉ、後輩に良い後ろ姿見せんかい。」
「いいんです、僕のは見なくても。」
ここまで頑固な弓親を初めて見た。そこまでして鬼道を使いたくないとは、正直驚きだった。
「…とまぁ、見て分かったと思うが鬼道の精度が違うけん。二人にはここまでレベルを上げて貰うぞ。」
「よろしくお願いします!」
こうして鉄左衛門の鬼道講習が定期的に開かれる事となった。
***
「名前七席!いざ尋常に勝負!!」
名前は格下の席官から勝負を挑まれていた。力が全ての十一番隊では強い者が上にのし上がる。故に部下に敗北すれば、その位置を譲らなければならない。名前が七席に就任した事により昇進を目論んでいた隊員達から一斉に勝負を挑まれていた。
「昇進してからモテモテじゃねぇか。」
一角は名前をからかうように笑った。礼儀をわきまえている他員達は非番の日に勝負を挑んでくることはなかったが、それ以外の日は毎日のように決闘を挑んで来る。いつになったら収まるのだろうかとうんざりしながら名前は勤務に当たっていた。
「これのどこがモテてるって?」
ただでさえ気が立っている名前にとって、一角の嫌味は挑発にしか聞こえなかった。
「あん?ガン飛ばして、やる気か?」
口をへの字に曲げ名前は一角を睨む。一角は口元を引き上げ、斬魄刀の鞘に手を伸ばした。その瞬間、名前は一角に斬りかかった。
ドカンっ!!!
大きな物音を聞き、近くにいた隊員達が顔を覗き込んだ。始まった喧嘩に鉄左衛門は息を吐いた。
「気が立っちょるのぉ。」
やれやれと腕を組み、二人の喧嘩を眺める。
「壊す 前に外でやれ!」
鉄左衛門は自分たちしか見えていない二人に聞こえるように声を荒げて忠告した。声が届いたと見えて、二人は草履も履かずに軒先から外へ出て行った。
「顔合わしゃあ喧嘩ばっかしちょる。」
「二人共子どもですからねぇ。」
そう言ったのは通りかかった弓親だった。
「出会った頃からこんなですから、寧ろ仲が良いのかもしれませんね。」
「ほうじゃのぉ。」
*
(今日もあの男せいで無駄な時間を過ごした。)
一角と名前の喧嘩は日が傾くまで続いた。書類整理が残っていた事を思い出し、名前は慌てて執務室に戻ってきた。勤務時間は過ぎており、再び沸々と怒りが込み上げてきた。ふてくされて執務室に入ってきた名前の顔を見て、隊首席に座っていた剣八は声を掛けた。
「そんだけ喧嘩しても元気が有り余ってりゃ、言う事ねぇな。」
「滅相もございません。」
毎日隊員達の相手をしているにも関わらず、一角とも対等に喧嘩している所を見ると体力に問題はなさそうだ。
「分かってると思うが、十一番隊 の奴らならいいが、他所に手を出すなよ。」
一角の安い挑発に乗せられているようでは他隊でもやらかしかねない。特に席官になれば他隊の隊員とも交流が増える。剣八は隊長として部下に忠告した。隊員達は血の盛んな者が多く、度々他隊から苦情が来ていた。
平隊員なら適当に聞き流せばいいが、席官だと説教が長引くので後から面倒な事になる。叱責されると思っていた名前は思いもよらぬ隊長の言葉に目を丸くした。しかしすぐに我に返り、剣八に向かって頭を下げた。
「承知しました。」
【雨宿り】
夏のある日、突如として雷が鳴り響き、激しい雨が降り始めた。
大きな雨粒はあっという間に地面の物、全てを濡らした。
それは任務中の一角と名前も例外ではなかった。
「うわっ…すげぇ雨!」
生暖かい雨が二人を濡らす。
先が白く見えなくなる程の雨量。
互いの声も聞こえにくい。
「一旦雨宿りするぞ!」
一角は後ろの名前を振り返った。
「ついて来い」と合図を送り、雨が降りしきる中を走った。
一瞬、一面が真っ白になったかと思った瞬間、地面が揺れるほどの衝撃が走った。
近くで雷が落ちたようだ。
(雷に当たって死ぬ前にいい場所を見つけねぇと…。)
流魂街という事もあり、人里離れた場所で簡単に雨宿りできそうな場所が見つからない。
木の下は雷が落ちる危険がある。
(あれは…よし、見つけた!)
一角は岩肌に見つけた穴倉に入った。
名前も一角の後に続く。
「土砂降りとは、ツイてねぇな〜。」
夏は突然の雨に見舞われやすい。
特に山の方は天気が急変する事が珍しくなかった。
二人が息を吐く間もなく、再び近くで雷が落ちた。
「こりゃしばらく動けねぇな。」
長引く雨ではないが、雷雲が遠ざかるまで外には出ない方が良いだろう。
一角は死覇装と肌着の袖から腕を抜き、上半身、半裸になった。
腰にまとわりつく布を絞ると水が滴り落ちた。
「濡れて気持ちわりぃだろ?お前も脱いだらどうだ?風邪ひくぞ。」
「冬じゃないから大丈夫。」
風邪を引く事よりも一角の前でサラシ姿になるのが嫌だった名前は、濡れた死覇装のまま外の様子を伺っていた。
汗が滲み出るほどの暑さだ。
濡れたままでも風邪は引かないだろう。
「そうかよ。」
一角は穴倉の奥に焚火をした痕を見つけた。
度々人がここで火を焚いているようだ。
親切に枯れた木の枝が置いてあった。
「火、点けるか。」
一角が木の枝を集め、名前の鬼道で火を点ける。
一角は焚き火から少し離れた所で濡れた死覇装を広げて吊るし、乾かした。
上半身半裸で肌着を腰に巻いたまま、一角は腰を下ろした。
水筒の水を飲み、息を吐く。
夏の気温と雨のせいでかなり湿度が高い。
じっとしていても汗が滲んでくる。不快指数は最高だ。
焚き火のせいで更に気温は上がったが、もう暫くしたら不快なジメジメは緩和されるだろう。
それまでの我慢だ。
「死神の生活は慣れてきたか?」
入隊してからまだ数年しか経っていない名前。
流魂街で暮らしていた頃より、規則も多く過ごし辛さがあるだろう。
一角は部下である彼女が今の生活に不自由がないか、気になった。
「毎日騒がしい所以外は慣れた。」
「ははっ、十一番隊が静かな日なんて、葬式の日ぐらいしかないぜ。」
喧嘩っ早い男たちの集団ゆえ、しばしば乱闘騒ぎが起きる十一番隊。
しかし主に騒いでいるのは副隊長を追いかけ回すこの男なのだが、と名前は横目で一角を見た。
この男の暑苦しさは群を抜いている。
今も焚き火の横で腕立て伏せを始めた。
(暑苦しい…。)
肌に纏わりつく汗がベタベタして気持ちが悪い。
それはこの男と共にいるから、気になるのかもしれない。
夏の雨の下、雨宿りする名前は一角のむさ苦しさにうんざりしながら、早く雨が止む事を祈った。
...end.
(……。)
精神を研ぎ澄まし、目の前に置いた短刀を見つめる名前。近頃は時々声が聞こえるものの、一方的なもので対話という形には至らなかった。新人隊士の中で唯一、斬魄刀の対話すら出来ない事に流石に焦りが生まれてくる。
(私自身の実力はついて来ている筈だ…斬魄刀の対話すら出来ないのは何故?)
真央霊術院に入学し、以前に比べて戦法や技術の実力はついてきた筈だ。
名前はこれまでのことを思い返し、手掛かりになるような事がなかったか考えた。
(命の瀬戸際に聞こえてきたあの声…もしや…?)
以前、真央霊術院の教官から言われた言葉を思い出した。これは妖刀の類だ。制御出来る様にならなければならないと。よくよく過去を思い出してみると、命の危機に瀕した際に聞こえてきた謎の声は斬魄刀だったのではないか?
『苗字さん、あなたの斬魄刀は所謂、妖刀と呼ばれる類の一種です。取り扱いには十分ご注意願います。』
以前、真央霊術院の教官に言われた言葉を思い出す。使う者の体を支配する、斬魄刀なのだと…。斬魄刀は名前を認めていない。
「まだまだ!!!」
その時、同じく鍛錬中である恋次の叫び声が聞こえてきた。彼は強くなる事に貪欲に取り組んでいる。自身も、強くなるために死神になったではないか。
(…必ず、聞き出す。)
*
それからほどなくして恋次は六席の称号を与えられた。新人隊士としては十分な強さ。斬魄刀も使いこなし、異論を唱える者はいなかった。名前も恋次の昇格に納得していた。
「今度の引率は恋次、お前に任せた。」
「ありがとうございます!」
席官ともなれば任務の引率を任される。会議出席や書類整理など仕事もこなさなければならない。恋次はそういった業務は嫌ではないようで、快く引き受けた。鼻歌交じりに隊舎を歩く恋次は絶好調といった様子だ。
一方、名前は業務外は霊術院時代と変わらず図書館に通い詰めていた。書物から得られる知識は多く、生きる上でも糧となった。
*
「名前は真面目じゃのう。」
鉄左衛門は面倒見の良い人で、定期的に名前にも声を掛けてくれた。極端なあの男と違い、冷静で客観的な判断を下す鉄左衛門は上官として尊敬していた。
「隊長がいねぇからって、十一番隊が前線に配備されないのは納得いかねぇ…!」
別件で更木隊長の不在時、いつも前線に駆り出される十一番隊が側方の護衛で配備された。更木隊長がいなくても、自分達が最強だと信じて疑わない隊員達は不服を漏らす。
「隊長がいなくても戦えるって事、見せ付けてやろうじゃねぇか!」
一角の表明で隊員達のボルテージが上がる。力で示すのが何よりも早い、十一番隊ならではの考え方だ。
「アホか、側方の護衛をすっぽかすつもりか。」
「射場さん!俺ら、舐められて黙ってられるんですか!?」
皆の士気が高まる中、最後まで冷静だったのは射場鉄左衛門だった。
鉄左衛門は一角の頭に拳を落とした。
ゴッっっっ!!!
「いってぇえええ!!!」
「じゃかしい!われら何も分かっちょらん。与えられた役割すら守り通せん、そんなんで筋が通るかいな!」
(確かに射場三席の言う通りだ。)
現在の十一番隊の手綱を握っているのは、実はこの人なのではないかと思う。更木隊長が不在の時は鉄左衛門がその場を取り仕切る事が多かった。
(それにしても…。)
鉄左衛門から拳骨をくらい、不貞腐れる一角の表情を見て名前は笑いを堪えるのに苦労した。
***
名前は毎日の鍛錬は欠かさず、実直に任務をこなした。怪我をする日もあったが、毎日の日課を怠る事はしなかった。そして、その日は突然訪れる事となる。
「半年ぶりだな。怪我は良くなったか?」
「無論だ。」
一角は名前を目の前に目をぎらつかせていた。半年前、一角と鍛錬した際に名前は負傷した。四番隊に通い、傷は完璧に癒えている。
(今度こそ、あの男を倒す。)
一角を見据えたまま、ゆっくり呼吸を繰り返した。相手は憎き斑目一角。上下関係など知った事ではない。それは一角もよく理解していた。
「二人共…本気じゃねぇか。」
恋次はただならぬ気配を感じ取り、呟いた。他の新人隊士との鍛錬にはなかった緊張感がその場に流れる。十一番隊に所属する多くの隊員がその場を見守っていた。
「行くぜ。」
一角の言葉を合図に二人の闘いが始まった。息の吐く間もない攻防が繰り広げられ、隊員達は瞬きする間も無く固唾を呑んで見守った。一角は合図する事無く刀剣解放して攻撃する。名前も瞬歩を使い攻撃をかわし、一角に蹴りを入れる。始めは静かに見守っていた隊員達だが、一人が声を上げるとその場にいた皆が歓声を飛ばした。
(かなり腕が上がってるな。)
一角は名前の動きを見ながら考えていた。無駄な動きが無くなり、的確に急所を狙ってくる。こちらの攻撃も読めるようになったと見えて、簡単に避けられる。流魂街で名前と刃を交えた時は彼女の未熟さが露呈していたが、死神になり霊圧の使い方も巧くなっていた。
「面白れぇ!」
一方、名前も冷静に考えていた。今の所、一角の攻撃に付いていけている。攻撃の読みも悪くない。速さで言えば名前の方が長けているが、長年の経験から得たと思われる彼の勘の鋭さが名前を悩ませた。本気の闘い。ここまできたら鬼道も使うべきだ。名前は一角に数回の蹴りを入れ、その間に詠唱を読み上げた。
「破道の一、
名前の指先から放たれた鬼道は一角に直撃した。
「へっ!」
一角は衝撃波で吹き飛ばされるも、すぐに立ち上がり首を鳴らした。周りで見ていた隊員達は一斉に野次を飛ばした。
「鬼道を使うなー!」
「鬼道を使う奴は、腰抜けだ!」
「正々堂々、正面から戦えー!」
十一番隊では鬼道を使えない?確かに、十一番隊に入隊してから鬼道の鍛錬だけが無かったが…使ってはいけないのは初耳だ。入隊直後の更木隊長との手合わせではそのような事は言わなかったじゃないか。しかし、一角は本気で掛かって来い、と言った。今使える力を全て使うのが全力だ。野次に苦虫を潰した表情を浮かべる名前だったが、一角はそれを制した。
「お前ら、邪魔するんじゃねぇ!使えよ、鬼道。それがお前の全力だろうが。」
「……。」
一角は周りの野次を気にすることなく嗤った。そうでなくては…水を差された思いだったが、これで闘いに集中できそうだ。名前は目を瞑り、大きく深呼吸した。
*
「——————……っ!」
名前は周囲を見渡す。気が付くと何もない空間にポツンと名前はいた。それは見覚えのある景色だった。名前が何度も待ち望んだ瞬間が来たのだ。
「居るんでしょ…姿を見せて。」
名前は呼びかけるように言った。するとそれ程間を空けず、嗤い声が響いた。
『ようやく、ここに来れるようになったか』
姿は視えないが、声は直ぐ近くから聞こえてくる。
『お前はまたあの男に敗れるのか?』
「あの頃より、私は強くなった!負けない、勝つまで私は何度でも立ち上がる。」
『あれ程死にたがっていた奴が嗤(わら)わせる…私すら操れないと言うのに』
疑問に思っていた。瀕死の状態で生き延びられたのは、決して名前の生命力だけではない。命を繋ぎ留めていたのは名前の中にいる者の存在。時に名前の体をも操る。それが出来るのは私その者しかいない。
「貴様に有無を言わせない程、私は強くなる。それまで死にはしない!」
長いような、短いような絶妙な間だった。声は試してやろう、と言わんばかりに嗤った。
『ふっ…見ててやろう だが覚えておけ…お前は、私の操り人形だ』
名前の足元から無数の糸が湧き、渦巻く。声の主はついにその名を呟いた。
『私は
*
再び瞼を開くと、斑目一角が目の前にいた。一瞬気後れした名前だったが、状況を理解し、腰にある短刀の柄を握り締めた。今までとは違う感覚に、心臓が心拍を速める。
(これがあの名前…。)
初めて自ら名乗る時の事を思い出し、名前は躊躇した。名など無くても生きていけると信じていたが、目の前の男に勝手に名付けられ、
他に名前など思い浮かばないものだから、その名を使わざるおえなかった。自身の名を名乗る瞬間は今もたじろぐ。しかし、名前は意を決し、刀を抜いた。
「皎我蜘蛛!!!」
「……ッ!?」
名前が叫んだ瞬間、短刀は形を変えた。他の者達が持つ斬魄刀同様の長さに変化し、名前は一角に向かって突撃した。一角はその変化に驚きながらも、冷静に攻撃を受け止めた。どんな能力だ?と警戒しつつ様子を見る。
「へぇ、いつの間にか斬魄刀と対話出来てたんだな。」
名前は一角の言葉に返答せず、攻撃を続けた。短刀の近距離戦に慣れていた為、刀のピッチの違いに躊躇する。
「そんなんじゃ、俺は倒せねぇぞ!」
一角は手を緩める事なく、名前に攻撃した。ようやく、彼女の斬魄刀が目覚めようとしている。一角は極限まで彼女を追い詰めた。
(咬我蜘蛛…!)
力では勝てない。名前は距離を置き、柄を握りしめた。足元から糸が巻き上がるイメージが脳裏に湧く。蜘蛛は、糸を操る。
(これが私の力…。)
『あやつを、捕食せよ』
咬我蜘蛛はそう言った。名前はゆっくり息を吐き、呟いた。
「捕食せよ、咬我蜘蛛。」
斬魄刀が刀剣解放され、
(斬れる糸か…!)
糸は一角目掛けて襲いかかってくる。鬼灯丸では全てを塞ぐ事が出来ず、糸は一角に絡みついた。
「…厄介な斬魄刀だな。」
一角の腕に絡んだ糸は彼の肌に食い込み、出血を起こしている。一本一本の糸が刃になっているようだ。しかし、強度はそれ程強くない。
「ふんぬっ!!!」
一角は筋肉を隆起させ、糸を破った。名前は再び咬我蜘蛛の糸で一角の足を縛った。
「弱ぇ…!」
すぐさま糸を掻き切るが、名前の蹴りが頭上から炸裂し、一角は地面に叩きつけられた。
「斑目四席…!!」
他の隊員達の不安そうな声掛けを打ち破るかのように一角は立ち上がった。砂埃にまみれた一角は笑っていた。
「へへっ…やるじゃねぇか、名前!!」
こんな事で倒れるような男じゃない。もっともっと、攻撃しなければ!私が持っている全ての力をこの男に叩き込む。
「俺も本気で行くぜ…!!」
*
二人の戦いは陽が落ち、辺りが暗くなった所で終わった。底なしの一角の体力と、名前の途切れることの無い集中力は平行線を辿った。
この続きは翌日以降に持ち越される。既に「朝イチから始めるぞ」と意気込む一角に嫌気が差した所だ。
「ようやっと始解を習得したか苗字!おめでとさん。」
隊舎に戻ると名前は隊員達から祝福の言葉を貰った。それが「嬉しい」と素直に思えたのは名前が成長したからなのかもしれない。体に付いた汚れを洗い流し、夕食を終える所までは興奮冷めやらぬ名前だったが、床に付く頃には意識を手放すように眠りについた。
*
「むくりん、起きて!」
「はっ…!」
名前はやちるの声により目を覚ました。窓の外はすっかり日が昇っており、朝練が始まっている時間だった。
「嘘っ!?寝坊?!」
寝過ごしてしまったと名前は飛び起きたが、やちるによって遮られた。
「ううん、あわてなくていいよ。」
「ですがっ!!」
「いいの!」
朝練をすっぽかすなど先輩が黙っていない、何よりあの男にどやされるのは分かりきっており、居ても立っても居られなくなる。
「つるりんも寝坊してるから気にしないで。」
「そう…ですか。」
安堵と共に名前の心を見透かされているようで少し羞恥した。
「聞いたよ、むくりん始解できるようになったんだよね!」
「遅ればせながら、習得いたしました。」
「それでね、剣ちゃんと相談したんだけど、今日からむくりんは七席に昇進ね!」
「ええっ!!?いきなりですか???」
「うんっ!」
もしかしたらこれは夢の延長線上なのではないかと思ったが、やちるに頬をつねられ、これは現実だと認識させられた。
「さ、朝ごはん食べに行こ!」
「お待ちください、先に着替えを…。」
急いで死覇装に着替え、やちるに手を引かれるまま食堂へ向かうが食堂の前を通り過ぎた。
「あの、どちらへ…?」
「だから、ごはん食べに行くんだって。」
訳も分からずやちるについて行くと、すぐに理解した。
「むくりん連れてきたよー!」
「苗字が寝坊とは珍しいのぉ。」
「そりゃ、昨日あんだけ一角さんとやり合えば仕方ないっスよね。」
ここは席官以上が専用で使っている食堂。先に六席に上がった恋次もここで食事を摂っている。既に鉄左衛門、弓親、恋次は朝食を食べている。隊長と一角の姿は見当たらない。
「隊長はいつもの如くまだ寝てて、一角は昨日呑みすぎて寝坊してるから安心して。」
「そうじゃ、いつまでも突っ立っておらずと席に着かんかい。」
「ほらほら!」
やちるに手を引かれ、恋次の隣に座る。既に配膳されており、ご飯と味噌汁からは湯気が立ち上っていた。
「いただきます…。」
昨日まで他の隊員達と食事していたせいで、未だに現実味を帯びない。
「あの…私ここで食べていいんですか?」
「七席になったんや、当然じゃろ。」
「はぁ…。」
自分だけが置いてけぼりになった気分だ。しかし、口を揃えて皆に言われると昇進した事実が徐々に身に染みてきた気がした。
*
「おはようございま〜す。」
そう言って入ってきたのは一角だった。
「呑みすぎじゃ。」
「すいやせん。」
弓親の言葉の通り、二日酔いで気分の悪そうな表情を浮かべていた。
「おはよ、一角。昨日はいつ寝たのさ。」
「あぁ?…憶えてねぇわ。」
昨日の戦闘後に夜更けまで晩酌…この男は底なしの体力なのではないかと名前は思った。
「ちゃんと、名前もいるじゃねぇか。」
「むくりんは私が起こしに行ったんだからね!」
「あー?席官になった初日から寝坊か?しっかりしろよ。」
「毎日寝坊してる君には言われたくないでょ。」
すかさず弓親が突っ込み、一角に反論せず済んだ。鉄座衛門はため息を吐くように名前に言った。
「この通りじゃ、今日は大目に見るが、上官がこんなだと部下に示しがつかん。苗字はしっかりするんやぞ。」
「心得ます。」
***
【無礼講】
名前が七席に昇進し、祝いの宴が開かれた。
日頃から週末になるとどんちゃん騒ぎが起きてていたが、今宵は名前の祝宴という事もあり、呑みの席が苦手な名前は欠席出来ずにいた。
「むくりん、おめでとう!」
やちるはオレンジジュースの入った湯呑みを名前の湯呑みと合わせた。
「ありがとうございます。」
隊員達は調子の良い台詞でその場を盛り上げる。酒が回った男たちの宴会はいつも明るい。
褌一丁でバカ騒ぎする隊員を尻目に、名前は黙々と食事を摂った。
「わざわざ宴会など開かなくていい」と申し出た名前の要望は聞き入れてもらえなかったが、宴が始まると「皆んな、ただ呑みたいだけ」なのだと名前は理解した。
隙を見て退席出来ないだろうか?と思案していると、恋次が声を掛けてきた。
「名前も呑めよ。」
恋次が名前に酒の入った升を差し出す。
名前は酒を呑んだ事はないが、酒に酔った男たちのにおいが嫌いで、それ故苦手意識が生まれていた。
「要らない。」
名前は間髪入れずに答えたが、恋次は引き下がらなかった。
「主役が呑まないでどうすんだよ。ちょびっとぐらい舐めてみろよ。下戸でも少しずつ呑んでけば慣れてくるぜ?」
「酒を呑む利益を感じられない。」
酔えば気分が良くなるそうだが、名前にとってそれは麻薬と同じだと思った。呑めば思考や判断鈍り、体調不良を起こす。
現に酔っぱらい醜態を晒している隊員達を見て「あぁはなりたくない」と思っている所だった。
「そうか?俺は楽しいと思うけどな~!」
恋次は笑うが、名前は素っ裸になって踊っている隊員を冷ややかな目で見た。
「これのどこが?気持ち悪い。」
「ツレねぇなぁ。」
冷めた姿勢を貫く名前を見て、恋次は自身の酔いが冷める前に彼女から離れた。
「シュウマイ出来上がりましたよ~!」
隊員の掛け声と共に湯気の立ち昇る
一角は隊員から蒸籠を受け取ると名前の横にどかりと座った。
「呑まねぇってんなら、これでも食えよ。祝いの時だけに振舞われる特製シュウマイだぜ。」
一角は蒸籠の蓋を取り、名前にシュウマイを見せた。
シュウマイはつやつやふっくらとしており、美味しそうな匂いを引き連れた湯気が名前の鼻孔をくすぐった。
酒は苦手だったが、シュウマイなら名前でも抵抗なく食べられそうだ。
「…これなら、頂こう。」
自分の為に作られた、とまで言われると断るのも失礼だ。名前は小皿にシュウマイをとり、醤油を垂らした。
ふうふうと息を吹きかけてゆっくり口に運んだ。
シュウマイが名前の口の中に入ると、周りにいた隊員達はニマニマと笑みを浮かべた。
すると名前の表情が固まった。
「っ…!!」
口を押え、涙目になりながら名前は一角を睨みつけた。
「辛っ…!!」
肉の旨味を感じたのは最初だけで、噛むたびに舌と鼻にツーンと辛味が駆け抜ける。
特製シュウマイの中には大量の辛子が仕込まれていた。
これほど大勢の前で吐き出すことも出来ずに葛藤していると、恋次がジョッキを持って走ってきた。
「名前、水ならあるぜ!ほら。」
恋次からジョッキを受け取った名前は何も考えずそれを一気飲みした。
ジョッキの中の液体は冷たくて透明だったが、辛子で鼻が利かなかった名前はそれを水だと思い込んでいた。
(これ…水じゃない…っ!)
飲んだハナから喉元から熱を帯びてくる。
それが水ではないと気が付いたのはジョッキの中の液体が半分より下回った時だった。
「名前が呑んだぞー!」
「おおおおおぉぉ!!!」
一角の掛け声と共に隊員達は大盛り上がり。
主役が酒を呑まずして祝宴とは呼べない。呑んでどんちゃん騒ぎするのが十一番隊流だった。
「……。」
盛り上がる隊員達をよそに主役である名前はと言うと、沈黙を貫いていた。
「おい、大丈夫か?」
寡黙のままの#NAME2##が気になり、恋次は彼女の肩に手を置いた。
ヒュンっ!パリンっ!!
名前は小皿を放り投げ、恋次の手を払った。
たちまち室内は静まり返り、室内にいた者全員が名前を見つめる。
名前はゆっくりと立ち上がり、大きく息を吸った。
目は恐ろしく据わり、一点を見つめる。
「名前、たちまち(とりあえず)落ち着けぃ。皆、われ(お前)を祝うちゃろう思うてした事じゃ。」
鉄座衛門は高まっていく名前の霊圧を感じ取り、冷静になるよう諭した。
しかし、鉄左衛門の声は名前に届いていなかった。
ゆらりと踏み出したと思えば目の前にいた隊員に飛び掛かっていた。
そこからは最早、嵐と言っても過言ではなかった。
「酔っ払っちょる!」
目の焦点が合わず、暴れまわる名前。
上官である一角や鉄左衛門が抑えるも名前は止まらず、弓親と恋次が縛道を発動させても打ち破り、ついには隊長に斬りかかっていた。
「ほぉ、苗字…いい度胸じゃねぇか…!」
剣八はニヤリと笑い、斬魄刀を持って立ち上がった。
「隊長ーーー!!!名前を止めてやってくだせぇ!!!」
二メートルの巨体と小柄な女では決着はすぐだろうと思われていたが、二人は対等に張り合っていた。
二人は外で闘っており、他の隊員達はそれを見ながら酒を呑んでいた。
「今後は苗字に酒を呑ませる時は気ぃつけるんじゃぞ。」
「そりゃぁもう、絶対一気飲みはさせないっスよ。」
「ねぇ、これいつまで続くの?」
「名前の酔いが醒めるまでじゃねぇの?」
「剣ちゃん、むくりん!いけいけー!!!」
*
名前を祝う祝宴模様は十一番隊の歴史に残り、隊員達の間で語り継がれる事となった。
二人の闘いは夜が更けるまで続き、翌日、騒ぎを聞いた総隊長に呼び出されたそうな。
...end.
***
数日後。
「恋次、苗字!ちょいとええか?」
通常の鍛錬を終えた所に鉄左衛門が二人に声を掛けた。
「お前さんも来んかい。」
「僕は結構です。」
鉄左衛門は弓親にも声を掛けるが、彼は明らかに嫌そうな表情を浮かべた。
「可愛い部下に手ほどきするんが上官の務めじゃ、来んかい。
鉄左衛門の言葉を聞き、弓親は仕方なく付き合う事にした。鉄左衛門が三人を連れてきたのは木々に囲まれた訓練場。三人を前に鉄左衛門は口を開いた。
「死神の戦術四つ覚えちょるか。」
「はい!斬拳走鬼、斬術、白打、歩法、鬼道です。」
元気に恋次が答え、鉄左衛門は「うむ」と頷いた。
「儂らが強うなるにはバランスよく全てを鍛えにゃならん。一つだけ磨いても、他が劣ったらそこから攻め込まれる。」
弓親を除く恋次と名前は頷いた。
「じゃが、更木隊は血の気の多い馬鹿が多くての、バランスなんか考えておらん。力だけでのし上がろうと躍起になっておる。実際、ウチの中で鬼道を使える者が何人おると思う?」
恋次は名前と顔を見合わせ、恐る恐る答えた。
「…もしかして、俺らだけっスか?」
鉄左衛門は頷いた。
「更木隊は暗黙の了解で鬼道を使う事を禁止しておる。儂はそれを弊害としか思わん。おぬしらは儂が認める鬼道の使い手じゃ。使える技は鍛錬しておくに限る。そこで、儂が直々に鬼道の手ほどきするけぇ。」
「ご指導、お願いします!!」
恋次が直角に近い最敬礼をし、続いて名前も「お願いします」と敬礼した。一方弓親はと言うと、「僕は鉄さんに付き合ってるだけですから」と言わんばかりに腕を組む。しかし鉄左衛門は気にする事なく続けた。
「先ずは試しに恋次、あの岩に向かって赤火砲を打ってみぃ。」
「はいっ!破道の三十一、赤火砲!」
恋次が放った鬼道の火は荒々しいものだったが、威力があり岩は砕け散った。
「次に苗字!」
「破道の三十一、赤火砲!」
名前が放った赤火砲は火球こそ小さいものの、正確に岩に当てる事が出来たが恋次ほどの威力は出なかった。
「じゃ、弓親お手本を見せてみぃ。」
弓親は軽くため息を吐いて赤火砲を放った。
「破道の三十一、赤火砲。」
弓親の赤火砲は二人より発動速度と球速が速く、名前と同じような火球の大きさにも関わらず恋次以上に大きく岩を破壊した。
「すごい…!」
息を飲む恋次と名前に鉄左衛門はニマリと笑った。
「嫌々と言う割には、しかと鍛錬しちょるけ。」
「これぐらい普通ですから。」
「嫌味っぽいのぉ、後輩に良い後ろ姿見せんかい。」
「いいんです、僕のは見なくても。」
ここまで頑固な弓親を初めて見た。そこまでして鬼道を使いたくないとは、正直驚きだった。
「…とまぁ、見て分かったと思うが鬼道の精度が違うけん。二人にはここまでレベルを上げて貰うぞ。」
「よろしくお願いします!」
こうして鉄左衛門の鬼道講習が定期的に開かれる事となった。
***
「名前七席!いざ尋常に勝負!!」
名前は格下の席官から勝負を挑まれていた。力が全ての十一番隊では強い者が上にのし上がる。故に部下に敗北すれば、その位置を譲らなければならない。名前が七席に就任した事により昇進を目論んでいた隊員達から一斉に勝負を挑まれていた。
「昇進してからモテモテじゃねぇか。」
一角は名前をからかうように笑った。礼儀をわきまえている他員達は非番の日に勝負を挑んでくることはなかったが、それ以外の日は毎日のように決闘を挑んで来る。いつになったら収まるのだろうかとうんざりしながら名前は勤務に当たっていた。
「これのどこがモテてるって?」
ただでさえ気が立っている名前にとって、一角の嫌味は挑発にしか聞こえなかった。
「あん?ガン飛ばして、やる気か?」
口をへの字に曲げ名前は一角を睨む。一角は口元を引き上げ、斬魄刀の鞘に手を伸ばした。その瞬間、名前は一角に斬りかかった。
ドカンっ!!!
大きな物音を聞き、近くにいた隊員達が顔を覗き込んだ。始まった喧嘩に鉄左衛門は息を吐いた。
「気が立っちょるのぉ。」
やれやれと腕を組み、二人の喧嘩を眺める。
「
鉄左衛門は自分たちしか見えていない二人に聞こえるように声を荒げて忠告した。声が届いたと見えて、二人は草履も履かずに軒先から外へ出て行った。
「顔合わしゃあ喧嘩ばっかしちょる。」
「二人共子どもですからねぇ。」
そう言ったのは通りかかった弓親だった。
「出会った頃からこんなですから、寧ろ仲が良いのかもしれませんね。」
「ほうじゃのぉ。」
*
(今日もあの男せいで無駄な時間を過ごした。)
一角と名前の喧嘩は日が傾くまで続いた。書類整理が残っていた事を思い出し、名前は慌てて執務室に戻ってきた。勤務時間は過ぎており、再び沸々と怒りが込み上げてきた。ふてくされて執務室に入ってきた名前の顔を見て、隊首席に座っていた剣八は声を掛けた。
「そんだけ喧嘩しても元気が有り余ってりゃ、言う事ねぇな。」
「滅相もございません。」
毎日隊員達の相手をしているにも関わらず、一角とも対等に喧嘩している所を見ると体力に問題はなさそうだ。
「分かってると思うが、
一角の安い挑発に乗せられているようでは他隊でもやらかしかねない。特に席官になれば他隊の隊員とも交流が増える。剣八は隊長として部下に忠告した。隊員達は血の盛んな者が多く、度々他隊から苦情が来ていた。
平隊員なら適当に聞き流せばいいが、席官だと説教が長引くので後から面倒な事になる。叱責されると思っていた名前は思いもよらぬ隊長の言葉に目を丸くした。しかしすぐに我に返り、剣八に向かって頭を下げた。
「承知しました。」
【雨宿り】
夏のある日、突如として雷が鳴り響き、激しい雨が降り始めた。
大きな雨粒はあっという間に地面の物、全てを濡らした。
それは任務中の一角と名前も例外ではなかった。
「うわっ…すげぇ雨!」
生暖かい雨が二人を濡らす。
先が白く見えなくなる程の雨量。
互いの声も聞こえにくい。
「一旦雨宿りするぞ!」
一角は後ろの名前を振り返った。
「ついて来い」と合図を送り、雨が降りしきる中を走った。
一瞬、一面が真っ白になったかと思った瞬間、地面が揺れるほどの衝撃が走った。
近くで雷が落ちたようだ。
(雷に当たって死ぬ前にいい場所を見つけねぇと…。)
流魂街という事もあり、人里離れた場所で簡単に雨宿りできそうな場所が見つからない。
木の下は雷が落ちる危険がある。
(あれは…よし、見つけた!)
一角は岩肌に見つけた穴倉に入った。
名前も一角の後に続く。
「土砂降りとは、ツイてねぇな〜。」
夏は突然の雨に見舞われやすい。
特に山の方は天気が急変する事が珍しくなかった。
二人が息を吐く間もなく、再び近くで雷が落ちた。
「こりゃしばらく動けねぇな。」
長引く雨ではないが、雷雲が遠ざかるまで外には出ない方が良いだろう。
一角は死覇装と肌着の袖から腕を抜き、上半身、半裸になった。
腰にまとわりつく布を絞ると水が滴り落ちた。
「濡れて気持ちわりぃだろ?お前も脱いだらどうだ?風邪ひくぞ。」
「冬じゃないから大丈夫。」
風邪を引く事よりも一角の前でサラシ姿になるのが嫌だった名前は、濡れた死覇装のまま外の様子を伺っていた。
汗が滲み出るほどの暑さだ。
濡れたままでも風邪は引かないだろう。
「そうかよ。」
一角は穴倉の奥に焚火をした痕を見つけた。
度々人がここで火を焚いているようだ。
親切に枯れた木の枝が置いてあった。
「火、点けるか。」
一角が木の枝を集め、名前の鬼道で火を点ける。
一角は焚き火から少し離れた所で濡れた死覇装を広げて吊るし、乾かした。
上半身半裸で肌着を腰に巻いたまま、一角は腰を下ろした。
水筒の水を飲み、息を吐く。
夏の気温と雨のせいでかなり湿度が高い。
じっとしていても汗が滲んでくる。不快指数は最高だ。
焚き火のせいで更に気温は上がったが、もう暫くしたら不快なジメジメは緩和されるだろう。
それまでの我慢だ。
「死神の生活は慣れてきたか?」
入隊してからまだ数年しか経っていない名前。
流魂街で暮らしていた頃より、規則も多く過ごし辛さがあるだろう。
一角は部下である彼女が今の生活に不自由がないか、気になった。
「毎日騒がしい所以外は慣れた。」
「ははっ、十一番隊が静かな日なんて、葬式の日ぐらいしかないぜ。」
喧嘩っ早い男たちの集団ゆえ、しばしば乱闘騒ぎが起きる十一番隊。
しかし主に騒いでいるのは副隊長を追いかけ回すこの男なのだが、と名前は横目で一角を見た。
この男の暑苦しさは群を抜いている。
今も焚き火の横で腕立て伏せを始めた。
(暑苦しい…。)
肌に纏わりつく汗がベタベタして気持ちが悪い。
それはこの男と共にいるから、気になるのかもしれない。
夏の雨の下、雨宿りする名前は一角のむさ苦しさにうんざりしながら、早く雨が止む事を祈った。
...end.