月光に毒される
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「われらが新人かいな、儂について来い。」
新人隊士達は十一番隊第三席 射場鉄左衛門に案内された。道場までの通路の両際には隊員たちが並び、新人隊士を眺めている。素行の悪い隊員が新人隊士に向かって小物を投げつけてきた。恋次はそれを腕で防ぎ、名前はサラリと避け、何事も無いようにその場を通り過ぎた。いくら見回しても、男性隊員しかいない。隊員達は珍しく女性隊員が入ったと色めき、名前の姿を見てニヤニヤと笑みを浮かべていた。
「こんな可愛い子ちゃんが更木隊に?はは、泣いて帰っちまうんじゃねぇのか?」
名前に対してコソコソと話す隊員。その内容は極めて幼稚なものもあった。恋次はそれを聞き流しながら思いに耽った。
(先輩達、名前の本当の力を見たら驚くんだろうな…。)
恋次自身も特進学級で飛び級卒業を果たしたが、同級生の仲間達から名前に対する異例の卒業について尋ねられた。通常、霊術院卒業の必修科目である斬魄刀との対話が出来ていないのに、飛び級卒業など出来るはずがない。教官ではないので知る由もないが、きっと例の事件が原因だろう。名前が暴走し、同期の仲間たちに危害が及ぶ前に卒業させたかったとしか思えなかった。
(まぁ、妥当な判断ではあるな。)
あのまま彼女が真央霊術院にいても、居心地が悪い事には違いないだろう。例の事件を時期尚早に片付けたいとする、教官たちの思惑が恋次には見えていた。
(それより、これからの事だ。俺は何が起きても驚かねぇぞ…。)
恋次は十一番隊が、ヤバい隊である事を耳に入れていた。野蛮な輩が集まる戦闘集団…十一番隊。その隊に配属された者は地獄に落とされたかのような心地を味わうとされる…しかし、あくまで噂だ。真央霊術院で習った通り、日常業務は他隊に比べれば大きな差異はないだろう…。しかし他の者達が恐れる程、恋次は十一番隊への入隊に恐怖を抱いてはいなかった。恋次は己の限界を試したかった。霊術院で才能を開花させ、実力は席官以上と認められた以上、護廷十三隊で最強の戦闘集団を謳っている十一番隊の配属が最適だと思った。流魂街で誓った夢を叶えるための一歩に過ぎない。
道場内に踏み込むと、視線は新人隊員に注がれた。緊張が張り詰める中、隊首羽織を着た大柄な男、十一番隊の長は八人の新人隊士を見下ろした。
その途端、道場内は物凄い霊圧に包まれた。
「ぐうぅ……!」
八人いる新人隊士のうち、六人がその場に膝を付いた。剣八の霊圧に当てられ、動けずにいる。
(…これが更木剣八…。)
立ち上がっているのは恋次と名前。ビリビリと肌で感じる霊圧に二人は息が詰まった。かなりの重圧。気を抜くと意識が飛んでもおかしくはない。現に十一番隊の隊員達でさえ彼の霊圧に圧され、顔面蒼白にしている者もいた。
「お前達…少しは愉しませてくれるんだろうな?」
今にも戦闘が始まるのではないかという威圧。まだ挨拶さえしていないのに、どうしてこの様な展開になった?剣八の威嚇に耐えていると、突如髪の明るい女の子が道場の真ん中に出てきた。
「剣ちゃん、まずはあいさつしようよ!なまえも聞いていないのに、あそべないでしょ?」
桃色髪の女の子は剣八に物怖じすることなく発言する。すると剣八はすんなりと彼女の言う事を聞き、霊圧を抑えた。
「はぁっはぁっ…。」
膝を付いた新人隊士は巨大な霊圧から解放され、荒く呼吸を繰り返している。
「更木剣八…隊長だ、見りゃ分かるだろ。」
剣八はジロリと新人隊員を見下ろす。張り詰めた空気の中、恋次はそれを斬り裂くように挨拶した。
「俺は阿散井恋次、犬吊出身です!よろしくお願いします!」
深々と頭を下げた恋次。剣八は「おう。」と一言発した。
次に隊員の視線を集めたのは、剣八に霊圧を当てられても平然としている名前だった。
「苗字名前。出身は苗字。よろしくお願いします。」
「おう。」
剣八は残り六人の新人隊員の挨拶を聞くことなく、口を開いた。
「十一番隊 に来たからには、理屈は通じねぇ。全ては己の強さだけだ。強い奴が上に這い上がる。」
剣八はニヤリと笑い、自身の斬魄刀を放り投げた。
「今から入隊祝いだ。新人隊員 全員で俺を斬ってみろ。」
新人隊員達は驚きの眼差しで剣八を見つめた。他の隊員は笑っている。幾ら隊長とはいえ、斬魄刀を持たない丸腰の相手に刀など振るえない…新人隊員は皆そう思った。
「いや…いくら何でも…。」
突拍子もない発言に戸惑う新人隊士。覚悟はしていたが、驚きが隠せない。剣八は再び霊圧を強め、威嚇した。
「少しでも俺に傷をつける事が出来たら、すぐ席官に昇進させてやる。」
『昇進』…その言葉に恋次は意を決し、斬魄刀を抜いた。
「やるしかねぇか。」
「手加減すんなよ。全員同時に本気で掛かってこい!」
(刀を持たずに全員の相手を…。)
名前は冷静に剣八を見つめた。彼が戦闘狂である事は聞いていた。今の隊長の座も前隊長との決闘で手に入れたのだと、歴史書で習った。更木剣八は全隊長で唯一、斬魄刀の名すら分からず、始解・卍解を持たない…。名前は未だ名の知らない自身の斬魄刀を握りしめた。
(私と同じ…。)
彼の下で闘えば、得られるものがあるやもしれない。恋次の攻撃を易々と避け、素手で彼の刃を受け止めるも無傷な剣八の姿を見て、名前は戦法を考えた。
*
(殺す気でかからんと、傷一つ付けられんぞ。)
射場鉄左衛門は冷静に戦況を見守っていた。毎年行われる光景だが、過去に隊長に傷を付ける事が出来たのは片指で数える程度。今回は前情報を耳に入れていた為、期待値は高かった。それは鉄左衛門の部下である斑目一角からのタレコミ。彼が流魂街で出会った強いおなごが護廷十三隊に入隊する…と。一角は隊長に頼み込み、彼女を十一番隊に配属するよう手引きした。この日を楽しみにしていた当の本人は、数日前から任務に出掛けており、この光景を見る事は出来ない。ふて腐れる一角の顔が目に浮かぶ。
(じゃが、斬魄刀すら洗練されておらんがの…。)
他の隊士は既に斬魄刀を始解しているのにも関わらず、名前は刀すら抜いていない。どうやら称号の習得すら出来ていないようだ。恋次と比べると小柄で色白な名前は一見、大した事無さそうに感じる。しかしあの男が見込む程の者だ…女子だからと侮ってはならない。彼女は臆する事なく更木剣八に立ち向かっている。
(楽しみにしておるぞ。)
*
己を奮い立たせ、剣八に斬りかかる新人隊士。ひ弱な刃はあっさりと剣八に取られ、投げ飛ばされた。苛立ちを見せる剣八は新人隊士全員を見据えた。
「おい、全員で掛かってこいっつったろ。舐めてんのか。」
汗だくになりながら、隊士は剣八を見つめていた。全力で戦っているが、全く微動だにしない剣八に恐怖した。
「いいか、どんなせこい技でもいい。鬼道の一つや二つ使って、束になって掛かって来やがれ。」
こんな無茶な発言を聞くのは初めてだ。しかし、新人隊士達は協力しなければ更木剣八に勝てない事を理解していた。
「俺が縛道で隊長の動きを封じる。その間に、お前達全員で斬りかかってくれ。」
恋次の作戦に、隊員は頷いた。詠唱を唱えている間にも、名前は剣八に攻撃を仕掛ける。
「お前は他の奴らみたいに刀は使わねぇのか?それとも…使えねぇのか?」
「……。」
他の者は斬魄刀を使い、始解まで見せている。隠している爪があるのか、と名前に詰め寄った。素早い名前の動きに剣八は彼女を捕えられずにいたが、恋次の縛道が作動し、剣八の動きが止まった。その瞬間に他の隊員が一斉に剣八に斬りかかった。
『うおおぉぉ!!!』
「へっ。」
剣八を取り囲むように斬撃を入れるが、彼の肌に刃が通ることはなかった。そして剣八は霊圧を高め、縛道ごと打ち破った。
「なっ…嘘だろ?」
恋次は思わず声を漏らした。動きを封じた筈が六人の隊員諸とも、霊圧で吹き飛ばしてしまった。吹き飛ばされた隊員は気を失っている者もおり、戦えるのは恋次と名前だけだった。
「最早考えちゃ駄目な気がする。」
「どうするよ…縛道も効かねぇんだぞ。」
「恋次は人を手に掛けた事、ある?」
「……っ!?」
名前の唐突な問いかけに恋次は息を飲んだ。彼女の目は冷酷に剣八に向けられている。彼女は人を殺した事があるのだろうか?…そして恋次は気付いた。剣八が言う「本気で掛かって来い」と言うのは、「殺す気で掛かって来い」なのだという事を。
「分かったぜ。"殺る気で"って事だな。」
名前は頷いた。恋次は深呼吸して息を吐く。
「行くぜ、咆えろ!蛇尾丸!!」
恋次の叫び声と共に名前は走り出した。伸びた蛇尾丸の刃が剣八に向かって飛び出す。刃が道場の壁や天井を抉り、剣八目がけて向かっていく。
「面白れぇ!」
剣八はそれを腕で防ぎ、その間に名前は剣八の懐に入り短刀を胸目がけて振り下ろす。
「やっと抜いたな。」
剣八はニヤリと笑い、名前の腹に足蹴りを入れた。名前は飛ばされるも、すぐに体勢を整え恋次の加勢に入る。
「ようやく本気になったか。」
呟いた鉄座衛門は笑った。
入隊直後に丸腰の隊長と闘うなんて毎度、正気の沙汰ではない。しかし力が全ての十一番隊で新人隊員の力量を把握するのは、これが一番手っ取り早い。
「射場さん…!笑ってる場合じゃねぇっすよ!道場が壊れますって!!」
戦闘が激しくなるにつれ、道場内にいた隊員は外へ避難する。一人の隊員が叫ぶ。
「隊長!!外に出てください!!この間修理終わったばっかですから!!副隊長からも言って下さいよ、お願いします!」
「しかたないなぁ〜剣ちゃん、外行くよ!」
やちるの声に、剣八は一度戦闘を止め、外に飛び出した。恋次と名前はそれに倣う。
「これで気兼ねなく殺れるってもんだ、死ぬ気で掛かってこい!!」
入隊直後に隊長が言う台詞とは思えないが、二人は更木剣八に向かって刃を振るう。最早それは決闘。更木剣八はそれを望んでいた。
「破道の四、白雷!」
名前は破道を織り交ぜながら、攻撃を繰り返した。白雷を受けた剣八の体は相変わらず傷一つ付かないが、恋次や名前が繰り出す本気の斬撃は必ず防御する…それは攻撃を見極めている証拠だ。
(次こそ防御させずに、本気の斬撃を隊長に叩き込む。)
恋次は名前に合図した。名前は急所目がけて的確に斬撃を入れる。剣八はそれを避けながら名前を捕まえようと腕を伸ばす。
「…っ!!」
「すばしっこいのは褒めてやる。」
名前の腕は剣八に掴まれ、手首を捻じ曲げられる。
「…ぐぅっ!」
簡単に折れてしまいそうな細い腕だ。剣八は名前がどう切り返すか冷静に見下ろしていた。
「破道の一、衝!」
名前は空いた手で剣八の顔面に向けて破道を放った。視界を奪われた剣八に一瞬の隙が生まれる。恋次はこの瞬間を待ち望んでいたのだ。
「行けぇええ!」
恋次は全力で斬撃を放った。剣八は恋次の本気の斬撃をもろに食らった。
『隊長!!!』
現場を見ていた隊員が一斉に声を上げる。砂ぼこりが風で薙ぎ払われ、現状が露わになった。蛇尾丸の刃が剣八の肩口を斬りつけ、出血している。
剣八は蛇尾丸の刃を掴んで恋次に向かって投げ返した。
「はっ…やるじゃねぇか。」
「隊長!!!」
今まで張り詰めていた剣八の霊圧が収まり、救急箱を持った隊員が飛び出して来てすぐさま剣八の手当が始まる。それに伴い恋次と名前も緊張の糸が緩み、息を吐いた。よく見ると体中のあちこちに掠り傷が出来ている。今まで戦闘に夢中で気が付かなかった。
「おつかれさま!」
桃色の髪の少女…副官章を付けている。つまり、十一番隊の副隊長だ。
「とーっても楽しませてもらったよ。ふたりともよくがんばりました!」
「????」
突然終わりを告げた闘いに、恋次と名前は豆鉄砲を喰らった表情で小さな副隊長を見つめる。
「わたしは草鹿やちる!きゅうけいしたら、あんないするからね!」
「は…はい…。」
処置を施された新人隊士達は隊舎に入った。
*
やちるの案内で十一番隊隊舎を一通り周った新人隊士一同。
「みんなは先に道場にもどってて!れんれん、たのんだよ!」
「れんれんって、俺の事っスか…?」
恋次は苦笑しながらやちるに尋ねた。
「そうだよ!むくりんはこっち!」
「…???むくりん…?」
名前は自身の名前と少しも似ない呼び名に、疑問符を浮かべた。
「だってずっとムッとしてるんだもん!むくりんだよ!」
「確かにな。」
恋次含め、他の者達もクスクスと笑っている。
「ちょっと。」
名前は恋次を一睨みした。
「おっと…じゃあ、また後でな。」
恋次と他の隊士達はそそくさと道場に向かって歩いて行った。名前は足の速いやちるの後ろを追いかけた。
「ここがむくりんの部屋ね!」
やちるが案内したのは倉庫や物置になっている部屋の奥。人の手が入っていないようで、少し埃っぽかった。
「女の人が入隊するの久しぶりだから、ちょっと汚れてるけど、この部屋、むくりん使っていいよ!」
「…ありがとうございます。」
一人で使うには十分な八畳の部屋。換気はされていたが、風呂敷が被ったままの家具や道具がそのまま置かれている。整理整頓しなければならなかった。
「わたしも手伝うから、いっしょに片付けよう!」
「は、はい…!」
小さな体とは思えない力で家具を動かすやちるの姿を見て、名前は驚いた。
(子どもだけど、とんでもない力…。)
流石、十一番隊副隊長の肩書きだけある。あどけない表情を見せる少女からは想像できないが、十一番隊の男達を束ねている時点で相当の実力を持っているに違いない。
「むくりん、ボーッとしてないで早く!」
「は、はい!」
***
翌日、十一番隊の朝は早い。日が昇る前から隊舎では隊員達が慌ただしく走り回っていた。
「おい、新人共はさっさと掃除済ませろよ!」
新人隊士が必ず通る関門…雑用。隊舎の掃除は当番制だが、必然的に格下の隊員に押し付けられがちだ。清掃後、筋肉トレーニング、外周の走り込みを終えて朝食の時間になった。上官は別室で最優先で食事を済ませる。その後に年功序列で食事を済ませ、新人隊員は最後に席に着く。
調理は週ごとで当番制になっている。しかし席官に昇格すれば免除になるそうだ。正に実力が全ての隊だ。
「お嬢さん、昨夜はよく眠れたか?」
「はい。」
食事を終えた先輩隊員が名前に話し掛けてきた。茶化しにきているつもりなのだろうが、世間話に興味がない名前は先輩隊員に視線を合わせることなく配膳を受け取る。隊員は無愛想な彼女の応対に「つまらねぇ女だ」と舌打ちして去って行った。その様子を見ていた他の隊員が名前に詰め寄る。
「あんまり調子に乗ると痛い目見るぜ。」
名前はギロリとその隊員を一睨みし、食卓に着いた。朝食を終え、休憩を挟み業務が始まった。
「今日から新人も鍛錬に参加じゃ。早う慣れるようにな。」
*
鉄左衛門の指揮で鍛錬が始まった。
柔軟体操から始まり、二人一組になり組手が行われた。組手が始まると名前と接触しようとする隊員が集まってきた。あわよくば彼女の体に触れようと願う男たちの欲望が滲み出ていた。
「一度、俺と手合わせしようじゃないか。」
「いや、俺が先だぞ。」
「お前は体格差がありすぎる。苗字ちゃんが怪我しちまうだろうが。」
現在名前の他に十一番隊で女性隊員は、副隊長である草鹿やちるしかいない。若い女子に触れられる。そんな隊員達の下心丸出しの小競り合いを無表情で眺めながら、名前は息を吐いた。
「ご安心ください、全員お相手します。」
隊員が喜んだのもつかの間、小柄な名前にいともたやすく投げられる男隊員の姿は無様なものだった。
「次は俺が相手だ!」
力自慢の男たちが名前に組手を挑むが、いともたやすく投げられ、大柄な男には絞め技が決められた。
「ぐあああぁあ観念してくれえええぇ!」
「いだだだだだだ、降参だ!!!」
隊員達の悲鳴が道場内に響き渡る。名前の強さの認識が広まり、隊員達はざわついていた。隊員達は昨日の入隊祝い(剣八との手合わせ)を見ていた筈だが、やはり女というだけで舐められる。名前はそれが気に入らなかった。隊長が言っていた通り、実力で示さなければならない。
「名前、大人気だな~。」
苦笑いを浮かべる恋次に名前はため息を吐いた。
恋次は名前の気苦労を察し「まぁ頑張れよ」と声を掛けた。
*
「皆、行き渡ったか?」
ここからは木刀を持った相打ちの時間。十一番隊の多くの者が得意とする斬術の鍛錬だ。
「ここからが俺たちの本気!」
「体術では敵わなかったが、今度こそ!」
相打ちの鍛錬に意気込む隊員達だったが、先ほど同様、席官でもない隊員はなす術もなく名前に敗れた。
「むくりんつよーい!」
その様子を見ていたやちるが笑顔で拍手を送った。嫌気が差していた名前だったが、無邪気に笑うやちるの笑顔に少しだけ心が和んだ気がした。
「……!!」
殺気を感じ、名前は木刀を握り締めた。突如として木刀を持った男が飛び出し、名前は即座に反応した。かんっ!と乾いた木同士が打ち合う音が響く。
「ったく、相変わらずだな。」
ギリッ…
名前は目の前の男を見て歯を食いしばった。その男はこの瞬間まで顔を合わせたくないと思っていた男…斑目一角。名前は久しぶりに感じた不快感を押し留めた。
『斑目四席!お帰りなさいっス!!!』
隊員たちは一角に挨拶する。
「おう!」と嬉しそうに返事をした一角の視線は名前だけに注がれていた。
「いきなり斬りかかる奴があるかぁ!」
隊員達の輪から出てきた鉄左衛門が叫ぶ。この隊で現在四席に当たる一角が新人隊士である彼女の不意を突くなど、上官のやる事ではない。いくら旧知の仲とは言え、不作法だ。
「俺なりの挨拶代わりっスよ!それに、コイツはそんじょそこらの奴とは違う。」
「言うても、おなごじゃぞ!」
「性別は関係ない。」
鉄左衛門の言葉に返答したのは名前だった。十一番隊に入隊して隊員達のからかいにも動じなかった彼女が、初めて怒りを表している。散々女、女、と扱われ名前はついに怒りを剥き出しにした。この男を目の前にした瞬間、今まで留めていた感情が溢れ出す。
「ここでは実力が全て。そうでしょう、射場三席。」
彼女自身がそう言ってしまえば、鉄座衛門は頷くしかない。通常、女性隊員が十一番隊に配属されるのは酷だと言われている。しかし彼女は十一番隊に配属されるだけの心得が既に備わっている事を実感した。
「……っふ、血気盛んな奴が入隊したもんじゃのぉ。」
好戦的な名前の答えに口元を引き上げる一角。
「良い目じゃねぇか、名前!」
「その名で呼ぶな!!」
「いけいけむくりん!パチンコ玉なんてやっつけちゃえ~!!」
「あぁっ!?副隊長コイツの肩持つんスか!?」
「あったりまえじゃん!」
「斑目四席、ここでの序列と規則を新人隊士に教えてやってください!」
名前の肩を持つやちる、一角を応援する隊員達。その場は二人に視線が注がれた。攻防を繰り広げていると、剣八が道場に入ってきた。
『おはようございます!』
隊員全員が剣八に向かって頭を下げた。今までずっと睨み合っていた一角と名前だったが、木刀を下ろし剣八に頭を下げた。
「あぁん?一角帰ってきてたのか。」
「はい!ただいま戻りやした!」
「てめぇ、報告書書いたんだろうな?」
「今、弓親が書いています!」
「…お前は始末書もあるって聞いたがな。」
「ぎくっ…。」
一角は任務先での戦闘で建物を倒壊させてしまい、始末書を書かなければならなかった。既に隊長の耳に入っていたと知り、一角は血の気が引いた。
「これが終わったらすぐ書くんで…。」
「あぁん?」
剣八の圧に恐怖を覚えた一角はすぐに始末書を書かなければ、ただでは済まないと感じた。
「…すみません、今すぐ片してきます!!!」
一角は木刀を置き、一目散に道場から出て行った。残された名前は、突如去った嵐に呆然としていた。流魂街にいた頃の一角はとにかく横暴で、人の言う事も聞かなかったが、そんな男がへこへこと頭を下げ、上司の言う通りに動く姿がどうしようもなくおかしかった。
「っふ…。」
名前の鼻で笑う姿を見た恋次は驚いた。
(名前の奴、ここに来て初めて笑ったな。)
*
鍛錬が一区切りし、汚れた手を洗っていると名前に声を掛ける者がいた。
「名前ちゃん、入隊おめでとう。」
「ありがとう、ゆみち…綾瀬川五席。」
つい、昔のよしみで上下関係になった事を忘れてしまった。言い直そうとすると弓親は首を横に振った。
「僕の事は今まで通りでいいよ。」
「そう…髪、切ったんだね。似合ってるよ。」
「ありがとう。」
長髪だった髪を切った弓親は以前より体格が良くなり、男らしくなった気がした。
「十一番隊 に来るなんて、名前ちゃんは嫌だったでしょ?」
「……。」
死神として入隊したのだから、どんな結果になっても文句は言えない所。返答に悩み口を閉ざしていると、弓親が笑みを零した。
「でも、名前ちゃんの入隊…誰よりも喜んでたよ、一角は。」
任務から帰還してきて犬一番に名前の元に現れた一角。全く変わっていない厚かましさに反吐が出る。
「あの男だけは、上下関係なんて関係ないから。」
「それでいいと思うよ。」
弓親は理解していた。名前が誰よりも負けたくない相手は一角である事、彼に固執している事を。いつ彼女が一角に斬りかかっても止める様な真似はしない。
「それより、隊長に傷を付けたってほんと?」
「私一人じゃ無理だった。」
「二人掛かりだったとしても、ウチの隊長に傷を負わせるなんて凄い事だからね?」
「強いね…あの人は。」
更木隊長と強さを目の当たりにし、名前は目が覚める思いだった。斬魄刀を使わず素手で隊員を蹴散らす様は、圧巻としか言えなかった。
「ここにいる連中は隊長含めて喧嘩好きの馬鹿ばっかだけど、憎めない性格の奴らばかりさ。騒がしいかもしれないけど、すぐ慣れるよ。」
「そうだといいけど…。」
*
その日の夜、隊長含む席官と平隊員一同は一緒に夕食を囲み、宴が開かれた。十一番隊全員が揃い、酒樽を割ってのどんちゃん騒ぎ。酒を浴びるように呑み交わす様子を名前は引き気味で眺めていた。
「新人共!今夜は無礼講だ、じゃんじゃん呑めよ!!!」
先輩隊員の言われるがまま、渡された枡に並々と酒を注がれる。名前を除く他の新人隊士や恋次は既に顔が真っ赤になる程酔っぱらっていた。
「新人なのに、大したもんだなぁ!お前さんは昇進が早いぞぉ。俺が太鼓判を押してやる!」
「ハハハ、ありがとうございまっス!」
恋次は先輩隊員に囲まれながら、上機嫌で酒を煽った。無礼講、と謳ってあるので多少砕けた感じで喋る事が出来た。
「名前は呑まないのか?」
「下戸ですので。」
「酒が愉しめないなんて、損してるな~。」
「お気遣いありがとうございます。」
社交辞令だけ述べ、黙々と食事を摂る名前。酒臭く騒がしい道場内の居心地はかなり悪い。
「苗字、ここは媚売っといた方がいいぜ?」
「必要ない。」
恋次の忠告をきっぱりと断る名前。
「ほんと、可愛くねぇな」と思った恋次は別の先輩隊員に呼ばれ、その場をあとにした。
(煩すぎる…。)
酒飲み比べをする者達や裸で踊り出す者、大きな笑い声は不愉快以外の何ものでもなかった。一刻も早くこの時間が過ぎ去ればいいと思った。
「名前ちゃん愉しんでる?」
名前に話し掛けて来たのは弓親。案の定、雰囲気に馴染もうとしない名前の様子を伺いに来たのだ。
「羽目外しすぎじゃないの?」
呆れた名前の言葉に弓親も否定しなかった。
「宴はいつもこんな感じだからねぇ…僕は見慣れちゃったよ。」
「はぁ…。」
話を聞けば月に一度や二度は宴が催されるらしい。血の気の多い男たちは酒も大好きだった。
「あぁ?名前まだ酒呑んでねぇじゃねぇか。」
そして現れた厄介者、一角は名前の肩が触れる所に座った。
「触れないで。」
名前は肘で一角を薙ぎ払う。それでも構わず、一角は酒を煽った。
「んっとに、相変わらず全然変わらねぇな、お前は。」
「それは私の科白だ。」
いがみ合う一角と名前。弓親は過去と全く変わらない光景に苦笑するしかなかった。
「斑目四席、彼女とはどういったご関係で?」
近くにいた隊員が疑問に感じていた事を一角に尋ねた。
「あぁ?コイツとは腐れ縁さ。お前ら、あんまちょっかいかけると引っかかれるぜ?見た目以上に凶暴な奴だからな。」
「危害を加えてこようとしなければ、こちらだって何もしない。」
「だってよ、お前ら怒らせんなよ〜。」
一角は隊員に向かってニヤリと笑う。そんな彼の言葉が気に入らず、名前は反論した。
「私を怒らせるのはいつも貴様だ!」
「新人隊士のくせに斑目四席に『貴様』呼ばわりとは無礼な!!十席の名にかけて新人隊員に指導を執行する!」
隊員は今まで我慢してきたモノを吐き出すように声を荒げた。
「やるのか?」
「入隊当初から生意気な態度は正さなければならないと思っていた。」
「今夜は無礼講…私としても実力を示すいい機会だ。」
十一番隊十席の隊員と名前は睨み合い、今にも喧嘩が始まりそうだった。
「ちょっと一角、止めなよ。」
「盛り上がってるからいいんじゃねぇの?」
「呑気だね…。」
一角は面白い、と酒を呑みながら名前と隊員の喧嘩を眺めていた。周囲の隊員もその喧嘩に入ることになり、大騒ぎとなった。
「やっちまえー!!」
「次は俺が相手だぁっ!」
酒と喧嘩の狂乱は隊員達の気が収まるまで夜遅くまで続いた。
*
宴が終わった後、湯浴みを終えた一角は一人縁側に腰かけ、晩酌していた。
(ちっとも変わってねぇなぁ…。)
久々に見た名前は一角の記憶に残っている姿のままだった。
血気盛んな男たちに紛れ、物怖じする事無く立ち向かう様は流魂街の頃と一切変わっていない。変わったとすれば、栄養失調気味で浮き骨立っていた体がマシになった所だろう。
(アイツは、なんで死神になったんだろうな?)
彼女に聞いたところで、素直に話しだすとは到底思えない。名前が護廷十三隊に入隊したという事は、何かしら理由がある筈だ。
(ま、知った所でだがな。)
一角は酒を煽り、雲で見え隠れする月を眺めた。
***
それから騒がしい十一番隊の暑苦しさは一層増した。毎日のように一角の叫び声が隊舎中に響き、時折剣八や鉄座衛門や怒号が聞こえる。更に賑やかになった十一番隊を見て、やちるはとても嬉しく思った。
「恋次、詰めが甘いぞ!」
「はい!!」
恋次は一角の斬撃を受け止め、体勢を整える。実力と飲み込みの速さは新人隊士の中でも飛び抜けていた。恋次の教育は手ごたえがあった。斬魄刀の扱いが巧く、対等に闘える強さだ。他の新人隊士も恋次には及ばないが、それぞれが斬魄刀を使いこなせていた。
……一人を除いて。
※以下、短編三本 スキップする方は次項へ↓
【導く炎】
日の傾いた夕方。
木々は既に真っ黒な影になった。
空は赤く染まり、雲だけが陽の光を反射して光っている。
相手の表情は暗くてよく分からない。
ただ、こちらの様子を伺ってじりじりと迫っている事は確かだ。
汗を滲ませながら、柄を握りしめる。
「へへっ。」
相手がニヤリと口元を引き上げた。
ざりっと草履が地面を蹴る音が聞こえ、力強い斬撃が襲い掛かってくる。
私はそれを避け、体を翻して蹴りを入れる。
相手は私の足を掴み、投げ飛ばした。
「っ…!!」
とてつもない馬鹿力に、木の幹に叩き付けられた。
カンカンカンっと小気味よく、長い柄で肩を叩いて音を立てる男。
この状況を愉しんでいる事には違いない。
鬼道を封じられ、斬魄刀の能力を引き出す為の訓練に私は苦戦した。
「斬魄刀を使わねぇと、力は引き出せねぇぞ。」
この男に言われなくても分かっている。
しかし力で勝てない以上、彼に斬術と体術のみで叶う術がない。
既に彼の攻撃を受け、体中傷だらけだ。
隊舎に戻ったら笑いものにされるに違いない。
「余計な事考えてる暇ねぇぞ。」
飛んできた刃に、私は即座に反応した。
彼の第二の始解。
鞭のようにしなる刃を弾きながら、彼の懐に入る。
喉元目指して刃を突き立てる。
「はっ!」
ゴッ!!っと鈍い音と共に頭に衝撃が伝わる。
頭突きを入れられ、私は男の足下に転がった。
「ったぁ…!」
余りの痛さに涙が滲む。
男は私の喉元に刃を突き付けた。
「…今日はここまでだな。」
「……。」
私は彼の刀を腕で払いのけ、膝を付いて起き上がる。袴に付いた砂埃を払いながら、拳を握りしめる。
昨日と全く変わらない状況に怒りが込み上げて来る。
「腹減ったな~。さーて、晩飯食いに行くぞ。」
さっさと隊舎に戻る男の後ろ姿は、すぐに木の陰に消えた。
彼のすぐ後ろを歩く気になれず、私は暫くその場に留まることにした。
空を見上げると、真っ黒な木のシルエットの隙間から見える橙色の空がとても美しく見える。
しかし真っ黒な影が覆い被さり、とても邪魔に見えた。
「……。」
自身の斬魄刀の力を引き出すためにはひたすら、鍛錬を続けるしかない。
邪魔なものは一体何なのか…?
それが分からない。
この赤い空を見る度に、悩まされる。
いつか黒い影に覆い尽くされてしまうのではないだろうか…?
「おいっ!!何やってんだよ。」
突如として現実に引き戻される。
隊舎に戻った筈の男が、何故か目の前にいる。
「なんで…。」
「そりゃ、こっちの台詞だろうが!さっさと帰んぞ。」
斑目一角…出会った頃から厚かましいと思っていた。
本当に五月蠅くて、目障りで、鬱陶しい。
「なっ…!?は、放して!!」
「嫌だね!掴んどかねーと、お前付いて来ねぇだろうが。」
一角は私の手首を掴んだまま、歩き出す。
「痛い!!」
「るっせぇ!俺に勝ってから言え!!」
痕が残ってしまうのではないかと言う馬鹿力で握られる。
(この男、本当に嫌いだ。)
強引でまるで人の言う事を聞かない。
この男より強ければ、悩んだりなどしない。
いつも冷静な判断が下せるのに、一角を目の前にすると頭に血が昇り、苛立ちを感じる。
全ての元凶はこの男によるもの。
いつか絶対超えてみせる。それまで死ぬことは出来ない。
(今に見てろ…!!)
...end.
【夕刻】
冬に差し掛かろうとする季節。夕陽が沈む時間が早くなり、町はあっという間に夜の闇に飲まれていく。
鍛錬で負傷した名前の様子を見に来た一角。隊舎の片隅にある彼女の部屋の前にいた。
彼女の霊圧が部屋の中にある。動きがないので寝ているようだ。
夕食の時刻になっても食堂に現れないので、様子を見に来たのだ。
「名前、起きてるか?」
部屋の中からは反応がない。
呼びかけは聞こえている筈だ。寝ていたとしても獣並みに神経が発達している彼女の事だから、呼びかけに気付いていない事は無い筈だ。
「入るぞ。」
いつまでも待ってはいられまいと、一角は無断で襖を開けて部屋の中に入った。
中は灯りが一切付いておらず、夕焼けの鈍い灯りが辛うじて部屋の中を照らしている程度。夜を迎えると言うのに、灯りの一つくらい灯せばいいものを。
彼女は寝室で窓の外を見ながら座り込んでいた。
「おい、起きてんなら返事しろ。」
「……。」
名前は一角の呼びかけにも答えず、黙り込んでいた。
(まだいじけてやがんのか。)
名前は一角との鍛錬で腕と足を骨折した。松葉杖を使えば一人で歩けるが、きっと変にプライドの高い彼女は隊舎内でそのような姿を見せたくないのだろう。
鍛錬には全力で打ち込んだが、怪我は付き物なので一角は自身が悪いとは微塵も感じていなかった。
「飯食わねぇと怪我、治んねぇぞ。」
「要らない、食べたくない。出てって。」
辛うじて聞こえてきた声に一角は息を吐いた。声色からしてやはり彼女はいじけている。
「そうかよ。」
一角は手に持っていた風呂敷を机の上に置いた。
「一週間、鍛錬は出なくていい。」
それだけ言って一角は名前の部屋から出て行った。名前は彼の気配が完全に消えたのを確認して、机上に置かれた風呂敷を見つめた。
開けて見なくても分かる、これは食事だ。私の様子を見に来る口実に、わざわざ弁当を持ってくるのが憎い。
誰が口を付けるか、と名前は再び窓の外を見つめた。
怪我をしたのは一角が悪いのではなく、受け身を取り損ねた自分が悪いのだ。
彼をひれ伏す力を手に入れなければ、いつまで経っても屈辱的な気持ちは晴れない。
完全に夜になり、真っ暗になった部屋で名前は布団に横になった。
肌寒さを感じて布団に包まるが、冷たい布団が温まるのはしばらく時間が掛かりそうだ。
冷たい体を震わせながら、名前は仕方なく体を起こして机上の風呂敷を手に取った。
包みをほどくと、竹の葉に包まれた弁当と魔法瓶が入っている。魔法瓶には熱湯が入っていた。
(要らぬ事を…。)
名前は自室に置いてある急須と湯呑み、煎茶を用意して魔法瓶から湯を注いだ。
急須が湯で温まるので、冷えた手を置いた。
少し待ってから湯呑みに茶を注いで口に含んだ。温かい茶が体を温め、息を吐く。
先程までの怒りとやるせなさが少しだけ落ち着く気がした。
腹は減っていない為、救護詰所で処方された薬だけ飲もう。名前は茶を多めに飲み、薬を飲み込んだ。
(何も考えるな。)
再び布団に横になって目を瞑る。今考えても何も実らない。
少し暖かくなった布団の中で、名前はゆっくり眠りについた。
...end.
【背中】
「名前ー!!!」
じとりと汗ばむ夏の鍛錬。
毎日行われていても怪我は付き物で、負傷することなど日常茶飯事だ。
「だから気ぃ抜くなっつっただろ。」
倒れた新米の隊士を屋根の上から見下ろす一角は息を吐いた。新人隊士、苗字名前は撃たれた左のあばらの痛みに耐えながら起き上がった。
「休憩するか?」
「要らない!」
名前は一刻も早く強くなって、目の前の男を倒したいと思っていた。
しかしその威勢が裏目に出て、隙が多すぎる。
自分の命を狙っているとは言え、努力を怠らず懸命に鍛錬に打ち込む彼女の姿を見て、一角は憎めずにいた。
「頭に血が昇りすぎてんだよ。俺は水飲んでくる。お前も頭冷やしとけ。」
一角は隊舎へ戻った。名前は彼の背中を見ながら拳を握りしめた。
***
「にしても、一角疲れないの?」
行きつけの居酒屋。一角、弓親、射場と三人で酒を呑んでいた。
話題はやはり、入隊一年目の新米女隊士の話だ。
「苗字はいつも全力じゃけん。よその女子(おなご)と比べれば、かわいさもへったくれもないが、ワシは嫌いじゃないのぉ。」
イカ焼きのゲソを飲み込んだ一角は猪口の酒を煽った。
「流魂街時代からの付き合いだ。今に始まった事じゃねぇよ。」
まんざらでもなさそうな一角の表情を見て、弓親と射場は苦笑いを浮かべた。
***
雨の日だった。救護隊に運ばれてきた十一番隊の隊員達。流魂街での任務中に下っ端の破面の襲撃に遭い、新人研修中の隊員が何人か負傷した。
「僕がいたにも関わらず、不甲斐なかった。」
引率していた弓親は爪を噛んだ。
一角は任務に参加していなかった為、強い敵との戦いの機会を逃し、舌打ちした。
「おい。」
一角は手当を終えた名前に声を掛けた。腕に包帯を巻いている所を見ると、打撲と擦り傷をしたみたいだ。
「軽症で済んで良かったな。」
名前は一角の顔を見てすぐに背を向けた。わざわざ負傷した姿を見に来たのかと、胸の中に苛立ちが湧いた。
「嫌味を言いに来たの?」
もちろん一角にその気などなかったが、彼女だったらそう捉えてしまうだろう。
「破面を相手できるようになったら、俺をぶちのめしに来い。強くなれよ。」
今まで一角とは顔も向けようとしなかった名前だったが、振り返り一角と正面に向かって言い放った。
「言われなくてもそうする。絶対殺してやる!」
名前はそれだけ言い放つと、踵を返して歩き出した。上下関係とは思えない一角と名前の殺伐とした会話に、救護詰所内の空気は凍り付いた。隊員達は無言で二人を見つめている。
弓親はやれやれ、と首を振った。
「ふぅ…相変わらずだね、名前ちゃんは。」
「はっはっはっ!あいつはあーじゃねぇとな!」
室内に響き渡るほど一角は大声で笑った。他の隊員達は理解できないと、怪訝そうな顔をしている。
しかし一角にとってはそんな事はどうだっていい。俺たちにしか分からない約束なのだ。
(強くなれ、名前!いつでも俺が相手してやる!)
一角は自分の命を狙う後輩の後ろ姿を見て、その成長に期待した。
...end.
新人隊士達は十一番隊第三席 射場鉄左衛門に案内された。道場までの通路の両際には隊員たちが並び、新人隊士を眺めている。素行の悪い隊員が新人隊士に向かって小物を投げつけてきた。恋次はそれを腕で防ぎ、名前はサラリと避け、何事も無いようにその場を通り過ぎた。いくら見回しても、男性隊員しかいない。隊員達は珍しく女性隊員が入ったと色めき、名前の姿を見てニヤニヤと笑みを浮かべていた。
「こんな可愛い子ちゃんが更木隊に?はは、泣いて帰っちまうんじゃねぇのか?」
名前に対してコソコソと話す隊員。その内容は極めて幼稚なものもあった。恋次はそれを聞き流しながら思いに耽った。
(先輩達、名前の本当の力を見たら驚くんだろうな…。)
恋次自身も特進学級で飛び級卒業を果たしたが、同級生の仲間達から名前に対する異例の卒業について尋ねられた。通常、霊術院卒業の必修科目である斬魄刀との対話が出来ていないのに、飛び級卒業など出来るはずがない。教官ではないので知る由もないが、きっと例の事件が原因だろう。名前が暴走し、同期の仲間たちに危害が及ぶ前に卒業させたかったとしか思えなかった。
(まぁ、妥当な判断ではあるな。)
あのまま彼女が真央霊術院にいても、居心地が悪い事には違いないだろう。例の事件を時期尚早に片付けたいとする、教官たちの思惑が恋次には見えていた。
(それより、これからの事だ。俺は何が起きても驚かねぇぞ…。)
恋次は十一番隊が、ヤバい隊である事を耳に入れていた。野蛮な輩が集まる戦闘集団…十一番隊。その隊に配属された者は地獄に落とされたかのような心地を味わうとされる…しかし、あくまで噂だ。真央霊術院で習った通り、日常業務は他隊に比べれば大きな差異はないだろう…。しかし他の者達が恐れる程、恋次は十一番隊への入隊に恐怖を抱いてはいなかった。恋次は己の限界を試したかった。霊術院で才能を開花させ、実力は席官以上と認められた以上、護廷十三隊で最強の戦闘集団を謳っている十一番隊の配属が最適だと思った。流魂街で誓った夢を叶えるための一歩に過ぎない。
道場内に踏み込むと、視線は新人隊員に注がれた。緊張が張り詰める中、隊首羽織を着た大柄な男、十一番隊の長は八人の新人隊士を見下ろした。
その途端、道場内は物凄い霊圧に包まれた。
「ぐうぅ……!」
八人いる新人隊士のうち、六人がその場に膝を付いた。剣八の霊圧に当てられ、動けずにいる。
(…これが更木剣八…。)
立ち上がっているのは恋次と名前。ビリビリと肌で感じる霊圧に二人は息が詰まった。かなりの重圧。気を抜くと意識が飛んでもおかしくはない。現に十一番隊の隊員達でさえ彼の霊圧に圧され、顔面蒼白にしている者もいた。
「お前達…少しは愉しませてくれるんだろうな?」
今にも戦闘が始まるのではないかという威圧。まだ挨拶さえしていないのに、どうしてこの様な展開になった?剣八の威嚇に耐えていると、突如髪の明るい女の子が道場の真ん中に出てきた。
「剣ちゃん、まずはあいさつしようよ!なまえも聞いていないのに、あそべないでしょ?」
桃色髪の女の子は剣八に物怖じすることなく発言する。すると剣八はすんなりと彼女の言う事を聞き、霊圧を抑えた。
「はぁっはぁっ…。」
膝を付いた新人隊士は巨大な霊圧から解放され、荒く呼吸を繰り返している。
「更木剣八…隊長だ、見りゃ分かるだろ。」
剣八はジロリと新人隊員を見下ろす。張り詰めた空気の中、恋次はそれを斬り裂くように挨拶した。
「俺は阿散井恋次、犬吊出身です!よろしくお願いします!」
深々と頭を下げた恋次。剣八は「おう。」と一言発した。
次に隊員の視線を集めたのは、剣八に霊圧を当てられても平然としている名前だった。
「苗字名前。出身は苗字。よろしくお願いします。」
「おう。」
剣八は残り六人の新人隊員の挨拶を聞くことなく、口を開いた。
「
剣八はニヤリと笑い、自身の斬魄刀を放り投げた。
「今から入隊祝いだ。
新人隊員達は驚きの眼差しで剣八を見つめた。他の隊員は笑っている。幾ら隊長とはいえ、斬魄刀を持たない丸腰の相手に刀など振るえない…新人隊員は皆そう思った。
「いや…いくら何でも…。」
突拍子もない発言に戸惑う新人隊士。覚悟はしていたが、驚きが隠せない。剣八は再び霊圧を強め、威嚇した。
「少しでも俺に傷をつける事が出来たら、すぐ席官に昇進させてやる。」
『昇進』…その言葉に恋次は意を決し、斬魄刀を抜いた。
「やるしかねぇか。」
「手加減すんなよ。全員同時に本気で掛かってこい!」
(刀を持たずに全員の相手を…。)
名前は冷静に剣八を見つめた。彼が戦闘狂である事は聞いていた。今の隊長の座も前隊長との決闘で手に入れたのだと、歴史書で習った。更木剣八は全隊長で唯一、斬魄刀の名すら分からず、始解・卍解を持たない…。名前は未だ名の知らない自身の斬魄刀を握りしめた。
(私と同じ…。)
彼の下で闘えば、得られるものがあるやもしれない。恋次の攻撃を易々と避け、素手で彼の刃を受け止めるも無傷な剣八の姿を見て、名前は戦法を考えた。
*
(殺す気でかからんと、傷一つ付けられんぞ。)
射場鉄左衛門は冷静に戦況を見守っていた。毎年行われる光景だが、過去に隊長に傷を付ける事が出来たのは片指で数える程度。今回は前情報を耳に入れていた為、期待値は高かった。それは鉄左衛門の部下である斑目一角からのタレコミ。彼が流魂街で出会った強いおなごが護廷十三隊に入隊する…と。一角は隊長に頼み込み、彼女を十一番隊に配属するよう手引きした。この日を楽しみにしていた当の本人は、数日前から任務に出掛けており、この光景を見る事は出来ない。ふて腐れる一角の顔が目に浮かぶ。
(じゃが、斬魄刀すら洗練されておらんがの…。)
他の隊士は既に斬魄刀を始解しているのにも関わらず、名前は刀すら抜いていない。どうやら称号の習得すら出来ていないようだ。恋次と比べると小柄で色白な名前は一見、大した事無さそうに感じる。しかしあの男が見込む程の者だ…女子だからと侮ってはならない。彼女は臆する事なく更木剣八に立ち向かっている。
(楽しみにしておるぞ。)
*
己を奮い立たせ、剣八に斬りかかる新人隊士。ひ弱な刃はあっさりと剣八に取られ、投げ飛ばされた。苛立ちを見せる剣八は新人隊士全員を見据えた。
「おい、全員で掛かってこいっつったろ。舐めてんのか。」
汗だくになりながら、隊士は剣八を見つめていた。全力で戦っているが、全く微動だにしない剣八に恐怖した。
「いいか、どんなせこい技でもいい。鬼道の一つや二つ使って、束になって掛かって来やがれ。」
こんな無茶な発言を聞くのは初めてだ。しかし、新人隊士達は協力しなければ更木剣八に勝てない事を理解していた。
「俺が縛道で隊長の動きを封じる。その間に、お前達全員で斬りかかってくれ。」
恋次の作戦に、隊員は頷いた。詠唱を唱えている間にも、名前は剣八に攻撃を仕掛ける。
「お前は他の奴らみたいに刀は使わねぇのか?それとも…使えねぇのか?」
「……。」
他の者は斬魄刀を使い、始解まで見せている。隠している爪があるのか、と名前に詰め寄った。素早い名前の動きに剣八は彼女を捕えられずにいたが、恋次の縛道が作動し、剣八の動きが止まった。その瞬間に他の隊員が一斉に剣八に斬りかかった。
『うおおぉぉ!!!』
「へっ。」
剣八を取り囲むように斬撃を入れるが、彼の肌に刃が通ることはなかった。そして剣八は霊圧を高め、縛道ごと打ち破った。
「なっ…嘘だろ?」
恋次は思わず声を漏らした。動きを封じた筈が六人の隊員諸とも、霊圧で吹き飛ばしてしまった。吹き飛ばされた隊員は気を失っている者もおり、戦えるのは恋次と名前だけだった。
「最早考えちゃ駄目な気がする。」
「どうするよ…縛道も効かねぇんだぞ。」
「恋次は人を手に掛けた事、ある?」
「……っ!?」
名前の唐突な問いかけに恋次は息を飲んだ。彼女の目は冷酷に剣八に向けられている。彼女は人を殺した事があるのだろうか?…そして恋次は気付いた。剣八が言う「本気で掛かって来い」と言うのは、「殺す気で掛かって来い」なのだという事を。
「分かったぜ。"殺る気で"って事だな。」
名前は頷いた。恋次は深呼吸して息を吐く。
「行くぜ、咆えろ!蛇尾丸!!」
恋次の叫び声と共に名前は走り出した。伸びた蛇尾丸の刃が剣八に向かって飛び出す。刃が道場の壁や天井を抉り、剣八目がけて向かっていく。
「面白れぇ!」
剣八はそれを腕で防ぎ、その間に名前は剣八の懐に入り短刀を胸目がけて振り下ろす。
「やっと抜いたな。」
剣八はニヤリと笑い、名前の腹に足蹴りを入れた。名前は飛ばされるも、すぐに体勢を整え恋次の加勢に入る。
「ようやく本気になったか。」
呟いた鉄座衛門は笑った。
入隊直後に丸腰の隊長と闘うなんて毎度、正気の沙汰ではない。しかし力が全ての十一番隊で新人隊員の力量を把握するのは、これが一番手っ取り早い。
「射場さん…!笑ってる場合じゃねぇっすよ!道場が壊れますって!!」
戦闘が激しくなるにつれ、道場内にいた隊員は外へ避難する。一人の隊員が叫ぶ。
「隊長!!外に出てください!!この間修理終わったばっかですから!!副隊長からも言って下さいよ、お願いします!」
「しかたないなぁ〜剣ちゃん、外行くよ!」
やちるの声に、剣八は一度戦闘を止め、外に飛び出した。恋次と名前はそれに倣う。
「これで気兼ねなく殺れるってもんだ、死ぬ気で掛かってこい!!」
入隊直後に隊長が言う台詞とは思えないが、二人は更木剣八に向かって刃を振るう。最早それは決闘。更木剣八はそれを望んでいた。
「破道の四、白雷!」
名前は破道を織り交ぜながら、攻撃を繰り返した。白雷を受けた剣八の体は相変わらず傷一つ付かないが、恋次や名前が繰り出す本気の斬撃は必ず防御する…それは攻撃を見極めている証拠だ。
(次こそ防御させずに、本気の斬撃を隊長に叩き込む。)
恋次は名前に合図した。名前は急所目がけて的確に斬撃を入れる。剣八はそれを避けながら名前を捕まえようと腕を伸ばす。
「…っ!!」
「すばしっこいのは褒めてやる。」
名前の腕は剣八に掴まれ、手首を捻じ曲げられる。
「…ぐぅっ!」
簡単に折れてしまいそうな細い腕だ。剣八は名前がどう切り返すか冷静に見下ろしていた。
「破道の一、衝!」
名前は空いた手で剣八の顔面に向けて破道を放った。視界を奪われた剣八に一瞬の隙が生まれる。恋次はこの瞬間を待ち望んでいたのだ。
「行けぇええ!」
恋次は全力で斬撃を放った。剣八は恋次の本気の斬撃をもろに食らった。
『隊長!!!』
現場を見ていた隊員が一斉に声を上げる。砂ぼこりが風で薙ぎ払われ、現状が露わになった。蛇尾丸の刃が剣八の肩口を斬りつけ、出血している。
剣八は蛇尾丸の刃を掴んで恋次に向かって投げ返した。
「はっ…やるじゃねぇか。」
「隊長!!!」
今まで張り詰めていた剣八の霊圧が収まり、救急箱を持った隊員が飛び出して来てすぐさま剣八の手当が始まる。それに伴い恋次と名前も緊張の糸が緩み、息を吐いた。よく見ると体中のあちこちに掠り傷が出来ている。今まで戦闘に夢中で気が付かなかった。
「おつかれさま!」
桃色の髪の少女…副官章を付けている。つまり、十一番隊の副隊長だ。
「とーっても楽しませてもらったよ。ふたりともよくがんばりました!」
「????」
突然終わりを告げた闘いに、恋次と名前は豆鉄砲を喰らった表情で小さな副隊長を見つめる。
「わたしは草鹿やちる!きゅうけいしたら、あんないするからね!」
「は…はい…。」
処置を施された新人隊士達は隊舎に入った。
*
やちるの案内で十一番隊隊舎を一通り周った新人隊士一同。
「みんなは先に道場にもどってて!れんれん、たのんだよ!」
「れんれんって、俺の事っスか…?」
恋次は苦笑しながらやちるに尋ねた。
「そうだよ!むくりんはこっち!」
「…???むくりん…?」
名前は自身の名前と少しも似ない呼び名に、疑問符を浮かべた。
「だってずっとムッとしてるんだもん!むくりんだよ!」
「確かにな。」
恋次含め、他の者達もクスクスと笑っている。
「ちょっと。」
名前は恋次を一睨みした。
「おっと…じゃあ、また後でな。」
恋次と他の隊士達はそそくさと道場に向かって歩いて行った。名前は足の速いやちるの後ろを追いかけた。
「ここがむくりんの部屋ね!」
やちるが案内したのは倉庫や物置になっている部屋の奥。人の手が入っていないようで、少し埃っぽかった。
「女の人が入隊するの久しぶりだから、ちょっと汚れてるけど、この部屋、むくりん使っていいよ!」
「…ありがとうございます。」
一人で使うには十分な八畳の部屋。換気はされていたが、風呂敷が被ったままの家具や道具がそのまま置かれている。整理整頓しなければならなかった。
「わたしも手伝うから、いっしょに片付けよう!」
「は、はい…!」
小さな体とは思えない力で家具を動かすやちるの姿を見て、名前は驚いた。
(子どもだけど、とんでもない力…。)
流石、十一番隊副隊長の肩書きだけある。あどけない表情を見せる少女からは想像できないが、十一番隊の男達を束ねている時点で相当の実力を持っているに違いない。
「むくりん、ボーッとしてないで早く!」
「は、はい!」
***
翌日、十一番隊の朝は早い。日が昇る前から隊舎では隊員達が慌ただしく走り回っていた。
「おい、新人共はさっさと掃除済ませろよ!」
新人隊士が必ず通る関門…雑用。隊舎の掃除は当番制だが、必然的に格下の隊員に押し付けられがちだ。清掃後、筋肉トレーニング、外周の走り込みを終えて朝食の時間になった。上官は別室で最優先で食事を済ませる。その後に年功序列で食事を済ませ、新人隊員は最後に席に着く。
調理は週ごとで当番制になっている。しかし席官に昇格すれば免除になるそうだ。正に実力が全ての隊だ。
「お嬢さん、昨夜はよく眠れたか?」
「はい。」
食事を終えた先輩隊員が名前に話し掛けてきた。茶化しにきているつもりなのだろうが、世間話に興味がない名前は先輩隊員に視線を合わせることなく配膳を受け取る。隊員は無愛想な彼女の応対に「つまらねぇ女だ」と舌打ちして去って行った。その様子を見ていた他の隊員が名前に詰め寄る。
「あんまり調子に乗ると痛い目見るぜ。」
名前はギロリとその隊員を一睨みし、食卓に着いた。朝食を終え、休憩を挟み業務が始まった。
「今日から新人も鍛錬に参加じゃ。早う慣れるようにな。」
*
鉄左衛門の指揮で鍛錬が始まった。
柔軟体操から始まり、二人一組になり組手が行われた。組手が始まると名前と接触しようとする隊員が集まってきた。あわよくば彼女の体に触れようと願う男たちの欲望が滲み出ていた。
「一度、俺と手合わせしようじゃないか。」
「いや、俺が先だぞ。」
「お前は体格差がありすぎる。苗字ちゃんが怪我しちまうだろうが。」
現在名前の他に十一番隊で女性隊員は、副隊長である草鹿やちるしかいない。若い女子に触れられる。そんな隊員達の下心丸出しの小競り合いを無表情で眺めながら、名前は息を吐いた。
「ご安心ください、全員お相手します。」
隊員が喜んだのもつかの間、小柄な名前にいともたやすく投げられる男隊員の姿は無様なものだった。
「次は俺が相手だ!」
力自慢の男たちが名前に組手を挑むが、いともたやすく投げられ、大柄な男には絞め技が決められた。
「ぐあああぁあ観念してくれえええぇ!」
「いだだだだだだ、降参だ!!!」
隊員達の悲鳴が道場内に響き渡る。名前の強さの認識が広まり、隊員達はざわついていた。隊員達は昨日の入隊祝い(剣八との手合わせ)を見ていた筈だが、やはり女というだけで舐められる。名前はそれが気に入らなかった。隊長が言っていた通り、実力で示さなければならない。
「名前、大人気だな~。」
苦笑いを浮かべる恋次に名前はため息を吐いた。
恋次は名前の気苦労を察し「まぁ頑張れよ」と声を掛けた。
*
「皆、行き渡ったか?」
ここからは木刀を持った相打ちの時間。十一番隊の多くの者が得意とする斬術の鍛錬だ。
「ここからが俺たちの本気!」
「体術では敵わなかったが、今度こそ!」
相打ちの鍛錬に意気込む隊員達だったが、先ほど同様、席官でもない隊員はなす術もなく名前に敗れた。
「むくりんつよーい!」
その様子を見ていたやちるが笑顔で拍手を送った。嫌気が差していた名前だったが、無邪気に笑うやちるの笑顔に少しだけ心が和んだ気がした。
「……!!」
殺気を感じ、名前は木刀を握り締めた。突如として木刀を持った男が飛び出し、名前は即座に反応した。かんっ!と乾いた木同士が打ち合う音が響く。
「ったく、相変わらずだな。」
ギリッ…
名前は目の前の男を見て歯を食いしばった。その男はこの瞬間まで顔を合わせたくないと思っていた男…斑目一角。名前は久しぶりに感じた不快感を押し留めた。
『斑目四席!お帰りなさいっス!!!』
隊員たちは一角に挨拶する。
「おう!」と嬉しそうに返事をした一角の視線は名前だけに注がれていた。
「いきなり斬りかかる奴があるかぁ!」
隊員達の輪から出てきた鉄左衛門が叫ぶ。この隊で現在四席に当たる一角が新人隊士である彼女の不意を突くなど、上官のやる事ではない。いくら旧知の仲とは言え、不作法だ。
「俺なりの挨拶代わりっスよ!それに、コイツはそんじょそこらの奴とは違う。」
「言うても、おなごじゃぞ!」
「性別は関係ない。」
鉄左衛門の言葉に返答したのは名前だった。十一番隊に入隊して隊員達のからかいにも動じなかった彼女が、初めて怒りを表している。散々女、女、と扱われ名前はついに怒りを剥き出しにした。この男を目の前にした瞬間、今まで留めていた感情が溢れ出す。
「ここでは実力が全て。そうでしょう、射場三席。」
彼女自身がそう言ってしまえば、鉄座衛門は頷くしかない。通常、女性隊員が十一番隊に配属されるのは酷だと言われている。しかし彼女は十一番隊に配属されるだけの心得が既に備わっている事を実感した。
「……っふ、血気盛んな奴が入隊したもんじゃのぉ。」
好戦的な名前の答えに口元を引き上げる一角。
「良い目じゃねぇか、名前!」
「その名で呼ぶな!!」
「いけいけむくりん!パチンコ玉なんてやっつけちゃえ~!!」
「あぁっ!?副隊長コイツの肩持つんスか!?」
「あったりまえじゃん!」
「斑目四席、ここでの序列と規則を新人隊士に教えてやってください!」
名前の肩を持つやちる、一角を応援する隊員達。その場は二人に視線が注がれた。攻防を繰り広げていると、剣八が道場に入ってきた。
『おはようございます!』
隊員全員が剣八に向かって頭を下げた。今までずっと睨み合っていた一角と名前だったが、木刀を下ろし剣八に頭を下げた。
「あぁん?一角帰ってきてたのか。」
「はい!ただいま戻りやした!」
「てめぇ、報告書書いたんだろうな?」
「今、弓親が書いています!」
「…お前は始末書もあるって聞いたがな。」
「ぎくっ…。」
一角は任務先での戦闘で建物を倒壊させてしまい、始末書を書かなければならなかった。既に隊長の耳に入っていたと知り、一角は血の気が引いた。
「これが終わったらすぐ書くんで…。」
「あぁん?」
剣八の圧に恐怖を覚えた一角はすぐに始末書を書かなければ、ただでは済まないと感じた。
「…すみません、今すぐ片してきます!!!」
一角は木刀を置き、一目散に道場から出て行った。残された名前は、突如去った嵐に呆然としていた。流魂街にいた頃の一角はとにかく横暴で、人の言う事も聞かなかったが、そんな男がへこへこと頭を下げ、上司の言う通りに動く姿がどうしようもなくおかしかった。
「っふ…。」
名前の鼻で笑う姿を見た恋次は驚いた。
(名前の奴、ここに来て初めて笑ったな。)
*
鍛錬が一区切りし、汚れた手を洗っていると名前に声を掛ける者がいた。
「名前ちゃん、入隊おめでとう。」
「ありがとう、ゆみち…綾瀬川五席。」
つい、昔のよしみで上下関係になった事を忘れてしまった。言い直そうとすると弓親は首を横に振った。
「僕の事は今まで通りでいいよ。」
「そう…髪、切ったんだね。似合ってるよ。」
「ありがとう。」
長髪だった髪を切った弓親は以前より体格が良くなり、男らしくなった気がした。
「
「……。」
死神として入隊したのだから、どんな結果になっても文句は言えない所。返答に悩み口を閉ざしていると、弓親が笑みを零した。
「でも、名前ちゃんの入隊…誰よりも喜んでたよ、一角は。」
任務から帰還してきて犬一番に名前の元に現れた一角。全く変わっていない厚かましさに反吐が出る。
「あの男だけは、上下関係なんて関係ないから。」
「それでいいと思うよ。」
弓親は理解していた。名前が誰よりも負けたくない相手は一角である事、彼に固執している事を。いつ彼女が一角に斬りかかっても止める様な真似はしない。
「それより、隊長に傷を付けたってほんと?」
「私一人じゃ無理だった。」
「二人掛かりだったとしても、ウチの隊長に傷を負わせるなんて凄い事だからね?」
「強いね…あの人は。」
更木隊長と強さを目の当たりにし、名前は目が覚める思いだった。斬魄刀を使わず素手で隊員を蹴散らす様は、圧巻としか言えなかった。
「ここにいる連中は隊長含めて喧嘩好きの馬鹿ばっかだけど、憎めない性格の奴らばかりさ。騒がしいかもしれないけど、すぐ慣れるよ。」
「そうだといいけど…。」
*
その日の夜、隊長含む席官と平隊員一同は一緒に夕食を囲み、宴が開かれた。十一番隊全員が揃い、酒樽を割ってのどんちゃん騒ぎ。酒を浴びるように呑み交わす様子を名前は引き気味で眺めていた。
「新人共!今夜は無礼講だ、じゃんじゃん呑めよ!!!」
先輩隊員の言われるがまま、渡された枡に並々と酒を注がれる。名前を除く他の新人隊士や恋次は既に顔が真っ赤になる程酔っぱらっていた。
「新人なのに、大したもんだなぁ!お前さんは昇進が早いぞぉ。俺が太鼓判を押してやる!」
「ハハハ、ありがとうございまっス!」
恋次は先輩隊員に囲まれながら、上機嫌で酒を煽った。無礼講、と謳ってあるので多少砕けた感じで喋る事が出来た。
「名前は呑まないのか?」
「下戸ですので。」
「酒が愉しめないなんて、損してるな~。」
「お気遣いありがとうございます。」
社交辞令だけ述べ、黙々と食事を摂る名前。酒臭く騒がしい道場内の居心地はかなり悪い。
「苗字、ここは媚売っといた方がいいぜ?」
「必要ない。」
恋次の忠告をきっぱりと断る名前。
「ほんと、可愛くねぇな」と思った恋次は別の先輩隊員に呼ばれ、その場をあとにした。
(煩すぎる…。)
酒飲み比べをする者達や裸で踊り出す者、大きな笑い声は不愉快以外の何ものでもなかった。一刻も早くこの時間が過ぎ去ればいいと思った。
「名前ちゃん愉しんでる?」
名前に話し掛けて来たのは弓親。案の定、雰囲気に馴染もうとしない名前の様子を伺いに来たのだ。
「羽目外しすぎじゃないの?」
呆れた名前の言葉に弓親も否定しなかった。
「宴はいつもこんな感じだからねぇ…僕は見慣れちゃったよ。」
「はぁ…。」
話を聞けば月に一度や二度は宴が催されるらしい。血の気の多い男たちは酒も大好きだった。
「あぁ?名前まだ酒呑んでねぇじゃねぇか。」
そして現れた厄介者、一角は名前の肩が触れる所に座った。
「触れないで。」
名前は肘で一角を薙ぎ払う。それでも構わず、一角は酒を煽った。
「んっとに、相変わらず全然変わらねぇな、お前は。」
「それは私の科白だ。」
いがみ合う一角と名前。弓親は過去と全く変わらない光景に苦笑するしかなかった。
「斑目四席、彼女とはどういったご関係で?」
近くにいた隊員が疑問に感じていた事を一角に尋ねた。
「あぁ?コイツとは腐れ縁さ。お前ら、あんまちょっかいかけると引っかかれるぜ?見た目以上に凶暴な奴だからな。」
「危害を加えてこようとしなければ、こちらだって何もしない。」
「だってよ、お前ら怒らせんなよ〜。」
一角は隊員に向かってニヤリと笑う。そんな彼の言葉が気に入らず、名前は反論した。
「私を怒らせるのはいつも貴様だ!」
「新人隊士のくせに斑目四席に『貴様』呼ばわりとは無礼な!!十席の名にかけて新人隊員に指導を執行する!」
隊員は今まで我慢してきたモノを吐き出すように声を荒げた。
「やるのか?」
「入隊当初から生意気な態度は正さなければならないと思っていた。」
「今夜は無礼講…私としても実力を示すいい機会だ。」
十一番隊十席の隊員と名前は睨み合い、今にも喧嘩が始まりそうだった。
「ちょっと一角、止めなよ。」
「盛り上がってるからいいんじゃねぇの?」
「呑気だね…。」
一角は面白い、と酒を呑みながら名前と隊員の喧嘩を眺めていた。周囲の隊員もその喧嘩に入ることになり、大騒ぎとなった。
「やっちまえー!!」
「次は俺が相手だぁっ!」
酒と喧嘩の狂乱は隊員達の気が収まるまで夜遅くまで続いた。
*
宴が終わった後、湯浴みを終えた一角は一人縁側に腰かけ、晩酌していた。
(ちっとも変わってねぇなぁ…。)
久々に見た名前は一角の記憶に残っている姿のままだった。
血気盛んな男たちに紛れ、物怖じする事無く立ち向かう様は流魂街の頃と一切変わっていない。変わったとすれば、栄養失調気味で浮き骨立っていた体がマシになった所だろう。
(アイツは、なんで死神になったんだろうな?)
彼女に聞いたところで、素直に話しだすとは到底思えない。名前が護廷十三隊に入隊したという事は、何かしら理由がある筈だ。
(ま、知った所でだがな。)
一角は酒を煽り、雲で見え隠れする月を眺めた。
***
それから騒がしい十一番隊の暑苦しさは一層増した。毎日のように一角の叫び声が隊舎中に響き、時折剣八や鉄座衛門や怒号が聞こえる。更に賑やかになった十一番隊を見て、やちるはとても嬉しく思った。
「恋次、詰めが甘いぞ!」
「はい!!」
恋次は一角の斬撃を受け止め、体勢を整える。実力と飲み込みの速さは新人隊士の中でも飛び抜けていた。恋次の教育は手ごたえがあった。斬魄刀の扱いが巧く、対等に闘える強さだ。他の新人隊士も恋次には及ばないが、それぞれが斬魄刀を使いこなせていた。
……一人を除いて。
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【導く炎】
日の傾いた夕方。
木々は既に真っ黒な影になった。
空は赤く染まり、雲だけが陽の光を反射して光っている。
相手の表情は暗くてよく分からない。
ただ、こちらの様子を伺ってじりじりと迫っている事は確かだ。
汗を滲ませながら、柄を握りしめる。
「へへっ。」
相手がニヤリと口元を引き上げた。
ざりっと草履が地面を蹴る音が聞こえ、力強い斬撃が襲い掛かってくる。
私はそれを避け、体を翻して蹴りを入れる。
相手は私の足を掴み、投げ飛ばした。
「っ…!!」
とてつもない馬鹿力に、木の幹に叩き付けられた。
カンカンカンっと小気味よく、長い柄で肩を叩いて音を立てる男。
この状況を愉しんでいる事には違いない。
鬼道を封じられ、斬魄刀の能力を引き出す為の訓練に私は苦戦した。
「斬魄刀を使わねぇと、力は引き出せねぇぞ。」
この男に言われなくても分かっている。
しかし力で勝てない以上、彼に斬術と体術のみで叶う術がない。
既に彼の攻撃を受け、体中傷だらけだ。
隊舎に戻ったら笑いものにされるに違いない。
「余計な事考えてる暇ねぇぞ。」
飛んできた刃に、私は即座に反応した。
彼の第二の始解。
鞭のようにしなる刃を弾きながら、彼の懐に入る。
喉元目指して刃を突き立てる。
「はっ!」
ゴッ!!っと鈍い音と共に頭に衝撃が伝わる。
頭突きを入れられ、私は男の足下に転がった。
「ったぁ…!」
余りの痛さに涙が滲む。
男は私の喉元に刃を突き付けた。
「…今日はここまでだな。」
「……。」
私は彼の刀を腕で払いのけ、膝を付いて起き上がる。袴に付いた砂埃を払いながら、拳を握りしめる。
昨日と全く変わらない状況に怒りが込み上げて来る。
「腹減ったな~。さーて、晩飯食いに行くぞ。」
さっさと隊舎に戻る男の後ろ姿は、すぐに木の陰に消えた。
彼のすぐ後ろを歩く気になれず、私は暫くその場に留まることにした。
空を見上げると、真っ黒な木のシルエットの隙間から見える橙色の空がとても美しく見える。
しかし真っ黒な影が覆い被さり、とても邪魔に見えた。
「……。」
自身の斬魄刀の力を引き出すためにはひたすら、鍛錬を続けるしかない。
邪魔なものは一体何なのか…?
それが分からない。
この赤い空を見る度に、悩まされる。
いつか黒い影に覆い尽くされてしまうのではないだろうか…?
「おいっ!!何やってんだよ。」
突如として現実に引き戻される。
隊舎に戻った筈の男が、何故か目の前にいる。
「なんで…。」
「そりゃ、こっちの台詞だろうが!さっさと帰んぞ。」
斑目一角…出会った頃から厚かましいと思っていた。
本当に五月蠅くて、目障りで、鬱陶しい。
「なっ…!?は、放して!!」
「嫌だね!掴んどかねーと、お前付いて来ねぇだろうが。」
一角は私の手首を掴んだまま、歩き出す。
「痛い!!」
「るっせぇ!俺に勝ってから言え!!」
痕が残ってしまうのではないかと言う馬鹿力で握られる。
(この男、本当に嫌いだ。)
強引でまるで人の言う事を聞かない。
この男より強ければ、悩んだりなどしない。
いつも冷静な判断が下せるのに、一角を目の前にすると頭に血が昇り、苛立ちを感じる。
全ての元凶はこの男によるもの。
いつか絶対超えてみせる。それまで死ぬことは出来ない。
(今に見てろ…!!)
...end.
【夕刻】
冬に差し掛かろうとする季節。夕陽が沈む時間が早くなり、町はあっという間に夜の闇に飲まれていく。
鍛錬で負傷した名前の様子を見に来た一角。隊舎の片隅にある彼女の部屋の前にいた。
彼女の霊圧が部屋の中にある。動きがないので寝ているようだ。
夕食の時刻になっても食堂に現れないので、様子を見に来たのだ。
「名前、起きてるか?」
部屋の中からは反応がない。
呼びかけは聞こえている筈だ。寝ていたとしても獣並みに神経が発達している彼女の事だから、呼びかけに気付いていない事は無い筈だ。
「入るぞ。」
いつまでも待ってはいられまいと、一角は無断で襖を開けて部屋の中に入った。
中は灯りが一切付いておらず、夕焼けの鈍い灯りが辛うじて部屋の中を照らしている程度。夜を迎えると言うのに、灯りの一つくらい灯せばいいものを。
彼女は寝室で窓の外を見ながら座り込んでいた。
「おい、起きてんなら返事しろ。」
「……。」
名前は一角の呼びかけにも答えず、黙り込んでいた。
(まだいじけてやがんのか。)
名前は一角との鍛錬で腕と足を骨折した。松葉杖を使えば一人で歩けるが、きっと変にプライドの高い彼女は隊舎内でそのような姿を見せたくないのだろう。
鍛錬には全力で打ち込んだが、怪我は付き物なので一角は自身が悪いとは微塵も感じていなかった。
「飯食わねぇと怪我、治んねぇぞ。」
「要らない、食べたくない。出てって。」
辛うじて聞こえてきた声に一角は息を吐いた。声色からしてやはり彼女はいじけている。
「そうかよ。」
一角は手に持っていた風呂敷を机の上に置いた。
「一週間、鍛錬は出なくていい。」
それだけ言って一角は名前の部屋から出て行った。名前は彼の気配が完全に消えたのを確認して、机上に置かれた風呂敷を見つめた。
開けて見なくても分かる、これは食事だ。私の様子を見に来る口実に、わざわざ弁当を持ってくるのが憎い。
誰が口を付けるか、と名前は再び窓の外を見つめた。
怪我をしたのは一角が悪いのではなく、受け身を取り損ねた自分が悪いのだ。
彼をひれ伏す力を手に入れなければ、いつまで経っても屈辱的な気持ちは晴れない。
完全に夜になり、真っ暗になった部屋で名前は布団に横になった。
肌寒さを感じて布団に包まるが、冷たい布団が温まるのはしばらく時間が掛かりそうだ。
冷たい体を震わせながら、名前は仕方なく体を起こして机上の風呂敷を手に取った。
包みをほどくと、竹の葉に包まれた弁当と魔法瓶が入っている。魔法瓶には熱湯が入っていた。
(要らぬ事を…。)
名前は自室に置いてある急須と湯呑み、煎茶を用意して魔法瓶から湯を注いだ。
急須が湯で温まるので、冷えた手を置いた。
少し待ってから湯呑みに茶を注いで口に含んだ。温かい茶が体を温め、息を吐く。
先程までの怒りとやるせなさが少しだけ落ち着く気がした。
腹は減っていない為、救護詰所で処方された薬だけ飲もう。名前は茶を多めに飲み、薬を飲み込んだ。
(何も考えるな。)
再び布団に横になって目を瞑る。今考えても何も実らない。
少し暖かくなった布団の中で、名前はゆっくり眠りについた。
...end.
【背中】
「名前ー!!!」
じとりと汗ばむ夏の鍛錬。
毎日行われていても怪我は付き物で、負傷することなど日常茶飯事だ。
「だから気ぃ抜くなっつっただろ。」
倒れた新米の隊士を屋根の上から見下ろす一角は息を吐いた。新人隊士、苗字名前は撃たれた左のあばらの痛みに耐えながら起き上がった。
「休憩するか?」
「要らない!」
名前は一刻も早く強くなって、目の前の男を倒したいと思っていた。
しかしその威勢が裏目に出て、隙が多すぎる。
自分の命を狙っているとは言え、努力を怠らず懸命に鍛錬に打ち込む彼女の姿を見て、一角は憎めずにいた。
「頭に血が昇りすぎてんだよ。俺は水飲んでくる。お前も頭冷やしとけ。」
一角は隊舎へ戻った。名前は彼の背中を見ながら拳を握りしめた。
***
「にしても、一角疲れないの?」
行きつけの居酒屋。一角、弓親、射場と三人で酒を呑んでいた。
話題はやはり、入隊一年目の新米女隊士の話だ。
「苗字はいつも全力じゃけん。よその女子(おなご)と比べれば、かわいさもへったくれもないが、ワシは嫌いじゃないのぉ。」
イカ焼きのゲソを飲み込んだ一角は猪口の酒を煽った。
「流魂街時代からの付き合いだ。今に始まった事じゃねぇよ。」
まんざらでもなさそうな一角の表情を見て、弓親と射場は苦笑いを浮かべた。
***
雨の日だった。救護隊に運ばれてきた十一番隊の隊員達。流魂街での任務中に下っ端の破面の襲撃に遭い、新人研修中の隊員が何人か負傷した。
「僕がいたにも関わらず、不甲斐なかった。」
引率していた弓親は爪を噛んだ。
一角は任務に参加していなかった為、強い敵との戦いの機会を逃し、舌打ちした。
「おい。」
一角は手当を終えた名前に声を掛けた。腕に包帯を巻いている所を見ると、打撲と擦り傷をしたみたいだ。
「軽症で済んで良かったな。」
名前は一角の顔を見てすぐに背を向けた。わざわざ負傷した姿を見に来たのかと、胸の中に苛立ちが湧いた。
「嫌味を言いに来たの?」
もちろん一角にその気などなかったが、彼女だったらそう捉えてしまうだろう。
「破面を相手できるようになったら、俺をぶちのめしに来い。強くなれよ。」
今まで一角とは顔も向けようとしなかった名前だったが、振り返り一角と正面に向かって言い放った。
「言われなくてもそうする。絶対殺してやる!」
名前はそれだけ言い放つと、踵を返して歩き出した。上下関係とは思えない一角と名前の殺伐とした会話に、救護詰所内の空気は凍り付いた。隊員達は無言で二人を見つめている。
弓親はやれやれ、と首を振った。
「ふぅ…相変わらずだね、名前ちゃんは。」
「はっはっはっ!あいつはあーじゃねぇとな!」
室内に響き渡るほど一角は大声で笑った。他の隊員達は理解できないと、怪訝そうな顔をしている。
しかし一角にとってはそんな事はどうだっていい。俺たちにしか分からない約束なのだ。
(強くなれ、名前!いつでも俺が相手してやる!)
一角は自分の命を狙う後輩の後ろ姿を見て、その成長に期待した。
...end.