9話:The Warmth Between Us.
ホット缶で暖を取りながら、ぼんやり景色を眺めていると、おもむろに謙也くんが口を開いた。
「最近さぁ」
私ははて? と謙也くんを覗き込む。
彼はプルタブを開けると、一口コーヒーを飲んで続ける。
「ハヤブサが毛布の中から出て来おへんねん」
なんの話かと思えば、謙也くんのペットのイグアナの話か、と肩の力が抜けた。
「あったかいとこの生き物やさかいな」
確かイグアナって熱帯の生き物やろ? そら日本の冬は寒いやろなぁ。
なんてことを考えていたら、不意に謙也くんがスマホの画面を見せてくる。
画面の中でハヤブサが赤い毛布に包まって日当たりのいい場所であくびをしとった。
「可愛ええやろ」
「まあ、安心しとるんやな、とは思う」
正直なところ、私はこのハヤブサをライバル視している。
もちろん、謙也くんのペットやから可愛がりはするんやけど。
なんや溺愛されとって、ちょこっと腹立つ存在やったりもするわけで。
時折、私はハヤブサを抱き上げて、顔に思い切り息吹きかけながらちょっかい掛けとる。
『お前はええなぁ。ずぅっと謙也くんと一緒におれて』
なんて。謙也くんは知らんやろけど……。
やって、羨ましいやん?
こっちは受験やなんやであんまり会われへんのに、この子は毎日可愛がってもらえとるんやもん。
あ、そう言えばこないだうちの大事な譜面の端っこ、噛み千切られたん思い出した。
しかも、食べ物やないって分かった途端ペッて吐き出しよったんよなぁ。
そんなこと思い出してむくれれば、隣から小さな笑い声が降ってきた。
「……なんやおもろいことでもあった?」
私はじっとりと目を細めて謙也くんを見る。
謙也くんはにやける口元を手で隠しながら「いや」と否定すると続けた。
「可愛らしいな、思うただけ」
「それ、うちの話? それともハヤブサ?」
「どっちも」
「ハヤブサと同列かぁ」
やっぱ気に食わん。
ペットに嫉妬する私も充分子どもっぽいけど、それを分かってて言うてくる謙也くんも結構いけずやと思う。
謙也くんはスマホをポケットにしまうと「クラスん奴にも言われたわ」と笑った。
「『小鳥遊とイグアナどっちが大事なん?』って」
「うわっ。なんちゅー話しとんのよ……」
「なー、『私と仕事どっちが大事なの!?』みたいな」
「やっすいメロドラマみたいやな」
「分かるわ」
私の言葉に同意しつつ、謙也くんは淡々と言葉を重ねる。
「どっちも大事やっちゅー話。ベクトルちゃうやん」
「そこは『真優のが大事』って言うとこやない?」
「別軸やけど、どっちも大事なんは変わらんの」
「ふぅん」
そらまあ、別軸やろうけど。
納得したないなぁ……なんて、独占欲丸出しのことを考える自分自身に呆れてしまう。
――うち、ほんまに謙也くんのこと好きやねんなぁ。
そんなことを考えていると、ふっと真剣な声音で謙也くんが私を覗き込んできた。
「やから、真優には自分のこと大事にしてほしいんよ」
思いがけない言葉に、私は数回瞬く。
話の流れが読まれへん。
やけど、謙也くんの目は真剣そのもので。
思わず固まる私に、謙也くんは続ける。
「真優、最近ちゃんと寝とる?」
「え? なんで?」
ほんま、呆れるくらい素っ頓狂な声が出た。
確かに、睡眠不足で倒れたことはあった。
やけど、だいぶ前の話やん。
「梅田来るとき寝とったし。真優、前科あるからな」
謙也くんからしたら、前科持ちなんやろけど。
いや、でも。あのときは仕方なかったやん?
絶対一位獲らなあかんかったし、時間もあんまなかったし、そうせざるを得ないっていうか……。
ただ、さすがにまた倒れるのは自分でも勘弁。
夏のコンクールのときは、日常生活ですらしんどかったしな。
「……あのときよりは寝とるよ」
「あのときよりは、なぁ?」
謙也くん訝しげな視線に私は「ほんまよ!」と憤慨した。
「ちゃんと二時までには寝てるし!」
「はあ!? 二時!? おまっ……もうちょい早よ寝ぇや!」
途端に飛んでくる、謙也くんの呆れた大声にむきになって返す。
「謙也くんやって最近は一時くらいまで起きてるやん!」
「勉強しとんねん! で、朝は遅刻せん程度にぎりぎりまで寝とる!」
「一時間しか違わんやん!」
謙也くんの盛大なため息が返ってくる。
それから、何かに気が付いたようにピクリと手が反応して、ぼそりと呟くようにジト目を向けられる。
「ってか、二時であのときより寝てるって……。夏ぶっ倒れたとき何時に寝とったん?」
やってもた。
二時に寝とる今の方が、あのときより元気そうにしてるんやもんな。
そら気付くわな。
……気付かんでほしかったけど。
私はすすすっと謙也くんから視線を逸らす。
拳一個分、謙也くんから離れて、咳払い。
あのときは、四時とかやったけど。
ほんで朝練にも行っとったけど……っ!
こそっと謙也くんを盗み見れば、相変わらずジト目が向けられとって、私は慌ててそっぽを向いた。
正直に言える雰囲気やないな、これは。
いや、ほんまあのとき切羽詰まっとったんよ。
今まで生きてきた中で一番難しいコンクールやった。
なんて、頭の中で必死に言い訳を考えるけれど、謙也くんの心配やって分からんわけやない。
もし、逆の立場やったら心配で仕方ないと思うし。
悶々と思考を巡らせていれば、離れていた距離をぐっと一気に詰められて、心臓が跳ねた。
「なあ?」
至近距離で怪訝そうな瞳と目が合って、私は言葉に詰まりつつも「ま、まあ、ええやないの!」と、どうにか言葉を紡いだ。
「今は朝練もないしな! ちゃんと寝とるよ」
謙也くんの澄んだ瞳が私の目を覗き込んでくる。
この目、ものすごい綺麗やけどちょお苦手なんよ。
綺麗すぎて濁りとかなくって。
――ほんま真っ直ぐに愛されて生きてきたんやなぁって。
自分と比較してまうっていうか、ええなぁって。
私はそんな想いも、息も全部飲み込むと「し、したらさ!」と声を上げた。
「受験終わったら、一日中寝て過ごすデートしよ!」
我ながら苦肉の策すぎる提案に、恥ずかしくなってくる。
こんなんで、誤魔化せるかは分からんけど……と、そっと謙也くん覗き込めば、目丸くして瞬いている。
それから、わずかに頬を染めてふはっと吹き出した。
「絶対やで?」
穏やかに細められた瞳に、胸があたたかくなる。
謙也くんから無条件に注がれる愛情に溺れてしまいそう。
なんて、自惚れすぎやろか。
私は謙也くんの前に小指を差し出す。
「ほな、約束しよ」
「約束、な?」
絡められた小指にドキリとしてしまう。
嘘のない真っ直ぐな想いが、触れた指先を伝わって――。
ほんの小さな未来の約束やのに、少しだけ泣きそうになった。
そのとき、空気を遮るように運転再開のアナウンスが流れて。
『まもなく運転を再開いたします。お急ぎのところ~……』
その瞬間、日常がまた動き出す音がした。
謙也くんの視線がふっと、目の前の線路に向けられる。
「やっと動いたな」
「なー。ちょお楽しかったのに」
私はぬるくなった紅茶を一気に飲み切って、自販機の横に備え付けられたごみ箱に空き缶をひょいっと捨てる。
「寒いのに?」
謙也くんもそれに倣うように、残りのコーヒーを飲み切ってゴミ箱に捨てた。
「寒いけど、謙也くん隣におるし。それに――」
隣に並び立った謙也くんに私は穏やかな笑みを向けた。
「ちょっとだけデートの時間延長できたしな」
悪戯っ子のように笑えば、途端に謙也くんの目が丸くなって――すぐ照れくさそうに口がへの字に曲がる。
マフラー上げて口元と赤くなった頬隠しながら返ってきた言葉は「……あっそ」という一言だけやった。
ホームに入ってきた電車の風圧に髪を押さえ――手を繋いで乗り込む。
満員電車状態の車内で寄り添って手すりを持った。
私はそういえば、と借りっぱなしになっている謙也くんの手袋を見つめて小さな笑みを落とした。
あたたかさがまだ残っている。
革越しに感じるぬくもりが、どこか安心して。
けど、その温度が少しずつ指先から抜けていくのが惜しくて。
私はそっと手袋を外して自分の手の中で握りしめた。
「こういう時間が一番好きかもしれへんなぁ」
小さな声ぽつりと呟いた声は、ドアの開閉音でかき消されてしまった。
きっと、すぐ近くにおる謙也くんにも聞こえてへん。
私は動き出した電車の車窓に流れる夜景に、手をそっと合わせる。
この先も、このあたたかで幸せな時間が続くようにと祈って――。
「最近さぁ」
私ははて? と謙也くんを覗き込む。
彼はプルタブを開けると、一口コーヒーを飲んで続ける。
「ハヤブサが毛布の中から出て来おへんねん」
なんの話かと思えば、謙也くんのペットのイグアナの話か、と肩の力が抜けた。
「あったかいとこの生き物やさかいな」
確かイグアナって熱帯の生き物やろ? そら日本の冬は寒いやろなぁ。
なんてことを考えていたら、不意に謙也くんがスマホの画面を見せてくる。
画面の中でハヤブサが赤い毛布に包まって日当たりのいい場所であくびをしとった。
「可愛ええやろ」
「まあ、安心しとるんやな、とは思う」
正直なところ、私はこのハヤブサをライバル視している。
もちろん、謙也くんのペットやから可愛がりはするんやけど。
なんや溺愛されとって、ちょこっと腹立つ存在やったりもするわけで。
時折、私はハヤブサを抱き上げて、顔に思い切り息吹きかけながらちょっかい掛けとる。
『お前はええなぁ。ずぅっと謙也くんと一緒におれて』
なんて。謙也くんは知らんやろけど……。
やって、羨ましいやん?
こっちは受験やなんやであんまり会われへんのに、この子は毎日可愛がってもらえとるんやもん。
あ、そう言えばこないだうちの大事な譜面の端っこ、噛み千切られたん思い出した。
しかも、食べ物やないって分かった途端ペッて吐き出しよったんよなぁ。
そんなこと思い出してむくれれば、隣から小さな笑い声が降ってきた。
「……なんやおもろいことでもあった?」
私はじっとりと目を細めて謙也くんを見る。
謙也くんはにやける口元を手で隠しながら「いや」と否定すると続けた。
「可愛らしいな、思うただけ」
「それ、うちの話? それともハヤブサ?」
「どっちも」
「ハヤブサと同列かぁ」
やっぱ気に食わん。
ペットに嫉妬する私も充分子どもっぽいけど、それを分かってて言うてくる謙也くんも結構いけずやと思う。
謙也くんはスマホをポケットにしまうと「クラスん奴にも言われたわ」と笑った。
「『小鳥遊とイグアナどっちが大事なん?』って」
「うわっ。なんちゅー話しとんのよ……」
「なー、『私と仕事どっちが大事なの!?』みたいな」
「やっすいメロドラマみたいやな」
「分かるわ」
私の言葉に同意しつつ、謙也くんは淡々と言葉を重ねる。
「どっちも大事やっちゅー話。ベクトルちゃうやん」
「そこは『真優のが大事』って言うとこやない?」
「別軸やけど、どっちも大事なんは変わらんの」
「ふぅん」
そらまあ、別軸やろうけど。
納得したないなぁ……なんて、独占欲丸出しのことを考える自分自身に呆れてしまう。
――うち、ほんまに謙也くんのこと好きやねんなぁ。
そんなことを考えていると、ふっと真剣な声音で謙也くんが私を覗き込んできた。
「やから、真優には自分のこと大事にしてほしいんよ」
思いがけない言葉に、私は数回瞬く。
話の流れが読まれへん。
やけど、謙也くんの目は真剣そのもので。
思わず固まる私に、謙也くんは続ける。
「真優、最近ちゃんと寝とる?」
「え? なんで?」
ほんま、呆れるくらい素っ頓狂な声が出た。
確かに、睡眠不足で倒れたことはあった。
やけど、だいぶ前の話やん。
「梅田来るとき寝とったし。真優、前科あるからな」
謙也くんからしたら、前科持ちなんやろけど。
いや、でも。あのときは仕方なかったやん?
絶対一位獲らなあかんかったし、時間もあんまなかったし、そうせざるを得ないっていうか……。
ただ、さすがにまた倒れるのは自分でも勘弁。
夏のコンクールのときは、日常生活ですらしんどかったしな。
「……あのときよりは寝とるよ」
「あのときよりは、なぁ?」
謙也くん訝しげな視線に私は「ほんまよ!」と憤慨した。
「ちゃんと二時までには寝てるし!」
「はあ!? 二時!? おまっ……もうちょい早よ寝ぇや!」
途端に飛んでくる、謙也くんの呆れた大声にむきになって返す。
「謙也くんやって最近は一時くらいまで起きてるやん!」
「勉強しとんねん! で、朝は遅刻せん程度にぎりぎりまで寝とる!」
「一時間しか違わんやん!」
謙也くんの盛大なため息が返ってくる。
それから、何かに気が付いたようにピクリと手が反応して、ぼそりと呟くようにジト目を向けられる。
「ってか、二時であのときより寝てるって……。夏ぶっ倒れたとき何時に寝とったん?」
やってもた。
二時に寝とる今の方が、あのときより元気そうにしてるんやもんな。
そら気付くわな。
……気付かんでほしかったけど。
私はすすすっと謙也くんから視線を逸らす。
拳一個分、謙也くんから離れて、咳払い。
あのときは、四時とかやったけど。
ほんで朝練にも行っとったけど……っ!
こそっと謙也くんを盗み見れば、相変わらずジト目が向けられとって、私は慌ててそっぽを向いた。
正直に言える雰囲気やないな、これは。
いや、ほんまあのとき切羽詰まっとったんよ。
今まで生きてきた中で一番難しいコンクールやった。
なんて、頭の中で必死に言い訳を考えるけれど、謙也くんの心配やって分からんわけやない。
もし、逆の立場やったら心配で仕方ないと思うし。
悶々と思考を巡らせていれば、離れていた距離をぐっと一気に詰められて、心臓が跳ねた。
「なあ?」
至近距離で怪訝そうな瞳と目が合って、私は言葉に詰まりつつも「ま、まあ、ええやないの!」と、どうにか言葉を紡いだ。
「今は朝練もないしな! ちゃんと寝とるよ」
謙也くんの澄んだ瞳が私の目を覗き込んでくる。
この目、ものすごい綺麗やけどちょお苦手なんよ。
綺麗すぎて濁りとかなくって。
――ほんま真っ直ぐに愛されて生きてきたんやなぁって。
自分と比較してまうっていうか、ええなぁって。
私はそんな想いも、息も全部飲み込むと「し、したらさ!」と声を上げた。
「受験終わったら、一日中寝て過ごすデートしよ!」
我ながら苦肉の策すぎる提案に、恥ずかしくなってくる。
こんなんで、誤魔化せるかは分からんけど……と、そっと謙也くん覗き込めば、目丸くして瞬いている。
それから、わずかに頬を染めてふはっと吹き出した。
「絶対やで?」
穏やかに細められた瞳に、胸があたたかくなる。
謙也くんから無条件に注がれる愛情に溺れてしまいそう。
なんて、自惚れすぎやろか。
私は謙也くんの前に小指を差し出す。
「ほな、約束しよ」
「約束、な?」
絡められた小指にドキリとしてしまう。
嘘のない真っ直ぐな想いが、触れた指先を伝わって――。
ほんの小さな未来の約束やのに、少しだけ泣きそうになった。
そのとき、空気を遮るように運転再開のアナウンスが流れて。
『まもなく運転を再開いたします。お急ぎのところ~……』
その瞬間、日常がまた動き出す音がした。
謙也くんの視線がふっと、目の前の線路に向けられる。
「やっと動いたな」
「なー。ちょお楽しかったのに」
私はぬるくなった紅茶を一気に飲み切って、自販機の横に備え付けられたごみ箱に空き缶をひょいっと捨てる。
「寒いのに?」
謙也くんもそれに倣うように、残りのコーヒーを飲み切ってゴミ箱に捨てた。
「寒いけど、謙也くん隣におるし。それに――」
隣に並び立った謙也くんに私は穏やかな笑みを向けた。
「ちょっとだけデートの時間延長できたしな」
悪戯っ子のように笑えば、途端に謙也くんの目が丸くなって――すぐ照れくさそうに口がへの字に曲がる。
マフラー上げて口元と赤くなった頬隠しながら返ってきた言葉は「……あっそ」という一言だけやった。
ホームに入ってきた電車の風圧に髪を押さえ――手を繋いで乗り込む。
満員電車状態の車内で寄り添って手すりを持った。
私はそういえば、と借りっぱなしになっている謙也くんの手袋を見つめて小さな笑みを落とした。
あたたかさがまだ残っている。
革越しに感じるぬくもりが、どこか安心して。
けど、その温度が少しずつ指先から抜けていくのが惜しくて。
私はそっと手袋を外して自分の手の中で握りしめた。
「こういう時間が一番好きかもしれへんなぁ」
小さな声ぽつりと呟いた声は、ドアの開閉音でかき消されてしまった。
きっと、すぐ近くにおる謙也くんにも聞こえてへん。
私は動き出した電車の車窓に流れる夜景に、手をそっと合わせる。
この先も、このあたたかで幸せな時間が続くようにと祈って――。