5話:Two Pianos, One Voice.

ほどなくして、リハーサルが始まった。

舞台中央に互い違いに設置された二台のピアノ。
そのうち、真優が弾く方のピアノは屋根が完全に取り外されとって。

初めて見るピアノの並びに感動する。
それと同時にピアノの屋根って取り外し可能なんや……とか、しょーもないことを考えとった。

そんな中、真優がピアノに腰掛け一音鳴らした。
ポーン、と澄んだ音色がホールに響き渡る。
真優はその響きを確かめるように、ホール全体を眺めると、首をぐるりと回した。

多分、このたった一音でホールの響き方とかそういうもん、頭に入れたんやと思う。

小さな呼吸音のあと、真優はスケールやパッセージなどの基礎練習を始め――しばらく時間が経ってから、水瀬が舞台上に現れた。

そして、真優と反対のピアノに腰掛けると「じゃあ、始めましょうか」と告げる。
瞬間、真優が目を丸くした。

「いきなりでええんですか? 音出しとか」
うち待ちますよ。そう告げる真優に水瀬は首を横に振る。

「僕、そういうのなくていけるタイプやから」
「……はあ、そらええですね」
「やろ?」

なんとなく、小馬鹿にしたような物言いに、俺の方が苛立ってくる。

――なんやねん、あいつ。
いちいち鼻につく言い方しよって。

ただ、真優が何も言っていない以上、奏者でもない俺がとやかく言う事でもない。
俺はぐっと苛立ちを飲み込んで、舞台の上で繰り広げられるリハーサルにじっと聴き入った。

今回の演奏会は『水瀬蓮×小鳥遊真優 若き天才ピアニストが贈る二台ピアノの宴』と銘打たれている。
やから、最初から最後までこの二人で演奏会を回しきる。

リハーサルでは互いに気になる曲を部分的に合わせ、確認し――駆け足で次の曲、次の曲へと進めていく。

天才と言われるだけあって、真優はもちろんのこと水瀬も上手いっちゃ上手い。

やけど――俺は眉間に皺を寄せ舞台上の二人を凝視する。
聴いとる限りプリモの水瀬の演奏を、セコンドの真優が受け止めて、支えているように感じる。

……まあ、実際のところは分からんのやけど。

ただ、事実として真優から水瀬に対する要望っちゅーのはほとんどなくて、水瀬が一方的に依頼をしていた。

「もっと響かせて」
「小鳥遊さん、遠慮してるやろ」
「そこのセコンドもうちょいほしいんやけど」

真優がこんな指摘されるなんて珍しな?

ふと、そんなことを思う。
それに――と俺は真優の表情を窺った。

最初こそ笑顔で対応しとったのに、時間が経つにつれ、能面のようになってきとって。
せやけど「分かりました」と返すときだけは、どうにか笑顔を張り付けとる状況。
結局リハーサルは終始水瀬のペースで進んで、真優は淡々と要望に応えとった。

一般的に考えれば、プリモが主旋律を担うケースが多いやろから、セコンドはそれに応えるのが普通なんかもしれへんけど。
それにしたって……。
どうしても拭いきれない違和感が胸を覆う。

リハーサルが終わり、真優は水瀬に軽く頭を下げると、小さく息を吐き出してそそくさと舞台を後にした。

――なんとなく、機嫌悪いっぽい。

真優の背中に視線を送っているとふっと「小鳥遊さん、すごいですよね」と水瀬が俺に話し掛けてきた。
俺は真優から視線を外し、そちらを振り向く。
水瀬は真優に視線を向けたまま続ける。

「美しくしいうえに、実力も申し分ない」

その『美しい』は何にかかっとるんやろな。
俺は冷めた目で、この人を見ながら「まあ、そうですね」と同意した。

「誰よりも努力しとるからやと思いますけど」

あんたがアップ無しでリハーサルに臨んだこと、真優の矜持に反しとるで。
なんて言葉が喉の手前まで出かかる。
それをどうにか飲み込んで、当たり障りのない言葉を返した。

水瀬は俺の様子に全く気が付かないまま、のんびりした口調で首を傾げた。

「二台ピアノは今まで聞いたことは?」
「……お恥ずかしながら、彼女と付き合うまでクラシックの世界には疎くて」

全くのゼロってわけやないんやけど、人に語れるほどの経験はない。
まして、ピアニスト相手にそんなんできるわけもなくて。

どうやったって覆せるもんやないから、仕方なしに正直に告げれば、水瀬は「そうでしたか」と笑んだ。
それから、勝ち誇ったような表情で言葉を続ける。

「それなら少しだけうんちくを」
「うんちく、ですか」
「ええ。クラシックに疎いキミにも分かるように」

――あ? これ喧嘩売られてる?
真優の相方やなかったら買ってるで?

「ピアノはね、頭もセンスも必要」
「僕は物心ついた頃から『言葉』を覚える前に『ピアノ』を覚えたって言われとる」
「そんな世界やから、どんなに練習してもセンスがない奴はてんでダメ」

随分と自分に自信がおありで。
挨拶の時点で苦手やって思うてしもたから、どうしても斜に構えて見てまう。

「秀でたピアニスト二人が共に音楽を奏でる」
「けど、二台のピアノ、どっちもが好き勝手な主張したら崩れると思わん?」

水瀬の目が細められた。

そんなんいちいち言わんでも。
さっきのリハで真優あんたに合わせとったやん。
さすがに、聴いとっただけで分かるわ。

わざわざ何が言いたいんか分からんで俺は眉をひそめた。
それを理解していないと取ったのか、水瀬はふっと小さく笑って続ける。

「二台ピアノってのは旋律を担う方に主導権がある」

水瀬が言い切った瞬間、ホールの空調の音が聞こえるくらい辺りが静まり返った気がした。

いや、それ本気で言うとる?
主導権に価値があるって……。
『二台ピアノ』言うくらいなんやから、二人で協力して曲作るもんやろ?

「オケで考えてみ? 指揮者の指示が絶対やろ。指揮系統が乱れたら曲の世界観が壊れるからな」

得意げに語る水瀬に思わず顔をしかめた。

確かに、真優は水瀬の指示に従っとった。
やけど、真優ずっと複雑そうな顔しとったで。

そんな不満が顔に出ていたんやと思う。
水瀬はふふっと口元に手を添えると「これは失礼」と続けた。

「クラシックに疎いキミに言っても理解できへんよな」

――この喧嘩、買ってもええやろか。

じわじわと沸き立つ苛立ちを、拳を強く握ることでどうにか納めつつ、俺は小さく息を吐き出す。
水瀬は相変わらず意地の悪い笑みを張り付けたまま、うしろ手に組んだ。

「ところで、彼氏さんは何か楽器を?」
「……趣味でドラムを少しだけ」
「ああ、そう。趣味ですか」

水瀬が愉快そうに笑った。

ここまではっきり分かる嘲笑って、なかなかないと思うんやけど。
なんちゅーか、腹立ちすぎて怒りとかそんなんすっこ抜けて、呆れてきた。

「てっきり彼女の恋人やから、何かで活躍してるもんやと思とったわ」

そう口にされ、心臓一突きにされたみたいな痛みが走る。

正直、真優と付き合い始めたとき、俺自身考えたことがある。
真優、プロのピアニストやのに音楽軽くしかかじってへん俺なんかが付き合うててええんやろか、って。

そんなん、もちろん真優には言うたことないし、これから先やって言うつもりもない。
やけど、秘かにコンプレックスに感じとったことを指摘されて、頭が真っ白になった。

「いや、正直キミが羨ましいわ」
水瀬が肩をすくめる。

「そんなんでも付き合えるやなんて」

――そんなんでも、か……。

俺が言葉に詰まったん分かったんやろな。
水瀬は満足げにほほ笑むと、踵を返しながら歌うように告げた。

「この本番が終わったら――僕、小鳥遊さんのこと本気で口説くつもりやから。覚悟しとってな」

拳を握った手のひらに爪が食い込んどる。
真優と並び立てるような同世代のピアニストにそんな宣戦布告をされて。
俺はどうするんが正解やったんやろ。
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