1話:隣のおる理由

他の部員がいなくなった部室で謙也と俺はベンチに並んで座った。
謙也はふーっと長い息を吐き出した後「あんな」と自身の手元に視線を落としたまま話し始めた。

「今日、付きまとい被害の話あったやろ?」
「ああ、あったな。それがどないしてん?」

正直、この時点では俺はなんで急にその話を蒸し返すのかが分かってへんかった。
ただ、あとから考えれば、この時点で気が付くべきやったんやと思う。


「あれな――真優の話や」


俺の手が意識とは別のところでビクリと反応した。

「……は?」

間抜けな声が部室に響く。
脳が置いてけぼりになって、理解を拒む。

やのに、謙也は淡々と「昨日の夜――」とか話し続けようとするから、俺は思わず「ちょっ」と上ずった声で、立ち上がった。

「ちょお待ち、謙也」
「あの話が真優のこと……?」
「てか、昨日? は?」
「いや、そもそもなんで謙也が知ってんねん!?」

矢継ぎ早に質問すれば、謙也は目を丸くして少しだけ笑った。

「ちゃんと説明するから。一旦座りや」

謙也にそう諭された俺は深呼吸を一つすると、再び謙也の隣に腰掛ける。
俺が座り直したん見届けてから、謙也は「昨日の夜な」と話し始めた。

「レッスン帰りに、そいつについて来られたらしいて」

謙也の手が落ち着きなく動いている。

「ほんで、最寄り駅でいきなり手ぇ掴まれて」
「振り払ったら鞄からな変なもん出てきてな」
「変なもん?」
「写真とロープ。あと……スタンガン、とか」
「……は?」

思わず口を吐いて声が出た。
スタンガンにロープて……聞くだけで背筋が凍る。

俺は額に手ぇついて、ため息を吐き出す。

真優に感じとった違和感の正体が大体分かった。
あいつ、今『いつも通り』装っとかな、おかしなりそうなんや。

恐怖やら自尊心の欠如やら。

休めるんなら、学校なんて休んだ方が良かったんかもしれへんやけど……。
あのおかんおったら気ぃ休まらんよな。

真優からすれば、家で過ごしとくより学校来てしもた方が気ぃ楽で。
やけど、また好奇の目に晒されるんはきつくて。

やから、この話出たとき真優、強張ったんやな。
自分の名前出されたら敵わんって。

こんな目にあっとったら、そら一睡もできんわな。

そこまで思い至って、俺はもう一度深いため息を吐いた。
ただ、もう一つの点だけはこの話だけやと繋がらんで、俺は額に手を当てながら謙也に尋ねる。

「謙也は何で知ってるん?」

謙也は一瞬、驚いたように目を見開いたかと思えば、すぐに目を伏せ複雑な表情を浮かべ口を開いた。

「たまたま、居合わせてもうて」

歯切れの悪い返答やとは思った。
やけど、当事者不在の場で、根掘り葉掘り聞き出すんもおかしな話やしな、と清濁併せ呑む。

今朝、謙也がギリギリやったんも、昨日遅うまで真優に付き合っとったからなんやろ。
朝から謙也がいつも以上に真優を気に掛けとったんも、これが原因で。

確かに、こんなんがあったって知っとったら――まして、その場に居合わせてしもたんなら、気が気やないわな。

「真優はあんま知られたくないみたいやし」
「やけど、夏休みの間、長い時間過ごす部活の場で、部長が知らんのもな、思て」

今日の真優の様子を思い出す。

必死に、隠そうとしてたんやろうな。
いつも通り笑って、いつも通りしゃべって。
全部『いつも通り』を取り繕って。

そう思うと友人ながら胸が痛い。

謙也の考えも分からんではない。
真優の考えを尊重したい気持ちと、それでも部活んときになんかあったら、って不安になる気持ちも。

ぐちゃぐちゃやったんやろな。
せやから、謙也はひとまず部長の俺に話すこと決めたんやろ。
俺はベンチから立ち上がると腰に手を当て、ゆっくりと息を吐き出した。

「分かった。真優には聞かんようにする。ほんで、気に掛けるくらいはしとくわ」
「おおきにな」

謙也も立ち上がって、連れ立って部室のドアを開けた。
瞬間、心臓が飛びあがった。
部室のドアの真横――真優がもたれて立っとった。

「しゃべりやなぁ」

温度のない声に俺の喉がぐっと鳴った。
――いや、俺より謙也の顔色の方が悪いな。

真優の冷ややかな視線が俺らを捕らえ、仕方なさそうに伏せられる。

「……まあ、ええけど」

真優はそれだけ言うと、改めて俺たちに向き直る。

「『部長と謙也さんが部室でなんや話し込んどるんです』言われて、呼びに来てみればこれやねんもん」

真優の視線はじいっと謙也に注がれとって、謙也は居心地悪そうにしとる。

「す、すまん……っ、やけど!」

弁明しようとする謙也を真優は「まあまあ」と収めると、仕方なさそうに笑った。

「大々的に噂になるんは勘弁やけど、テニス部内で周知するんはええよ。……みんなになんか危害及んでも嫌やし」

真優はそう言うと、ずいっと謙也に詰め寄って、頬を膨らませる。
「やけど、相談くらいしてほしかったわ」

そう告げる真優の目はほんのり赤い。

もしかしたら、誰もおらんとこで少しだけ泣いてきたんかもしれん。
部活でいつも通り装えるように。

「……すまん」
「ええよ。怒ってへん」

しおらしく謝罪する謙也に、真優はため息を吐いた。
それから、真優はふっと俺の方を向いて肩をすくめる。

「な? 部活中に何かあったとき、対応できんと困るやろ? 白石部長?」

そう言われてしまっては頷くほかなくて。
俺はいつの間にか入っていた肩の力を抜くと「せやな」と同意した。

真優は柔らかにほほ笑むと、背を向け歩き出す。
「一旦、みんな集合させる?」
真優の底抜けな強さに俺は安堵の息を吐く。

「せやな。一応部内にだけは共有させて」
「しゃーなしやで」
「はいはい。……ところで、今朝、謙也の顔浮腫んでたんと、この話って関係ある?」
「あー、あれちゃう? 真夜中のラーメン」
「睡眠不足に塩分過多。そらバケモンみたいな顔なるわ」
「誰がバケモンや!!」
「いや、けど……今朝の謙也くんさすがに酷かったで?」
「真優まで!?」

俺たちの笑い声が響く。

ほんま、めちゃくちゃ怖い思いしたんやろうに。
強い子やで、真優は。
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