4話:想う気持ち
尚はもう一度大きく息を吸い込むと、自分の拳を握りしめたまま絞り出すように話し始めた。
「姉ちゃんが、やばくって」
俺は息を吸い込むと、まぶたを閉じて持ち上げる。
それくらいの時間が欲しかったのもあるし、せっかく話そうとしとる尚の気持ちを無下にしたくなかった。
ほんまは、すぐにでも反応したかったけどな。
「翔太に話してたやつやろ? 寝てへんとかそういう」
俺はできるだけ落ち着いた声音で問う。
尚は一瞬、顔を上げると「翔太から聞いとったんですね」と口にした。
けれど、尚は再び俯く。
「まあ、寝てへんのは相変わらず、なんですけど」
思わずため息が口をついて出る。
俺、真優に寝ろって言うたよな?
ここまで頑固やと、俺の記憶が怪しくなってくる。
「寝てへんけど、今度のコンクール終われば寝ると思うんで、心配やけどそこまで心配してへんっていうか」
あと三日なんで、と尚は付け足す。
心配は心配なんやろうけど、尚は一旦見守ることにしたらしい。
尚はふっと息を吐きだすと「それだけやなくて」と言葉を濁した。
尚は目を伏せると、やるせなさそうに言葉を紡いだ。
「今までも、姉ちゃんのコンクール前、お母さんめちゃくちゃ荒れとったんです。それが今回いつもに増して酷くて」
手が震えている。
尚は男や。
やけどまだ中一――小さい頃から、あのおかんの恐怖に晒されとったら委縮しても不思議やない。
実際、真優が『うちが守らな』って言うとったくらいやから、多分、おかんと恐怖がイコールで繋がってしまっとるんちゃうか。
たとえそれが、自分に向けられたもんやなかったとしても……。
「姉ちゃんがピアノ部屋こもってるときは何もせんけど、ちょっとでも――例えば、部屋に物取りに行くとかそんなくらいの時間でも、怒鳴り散らしとって」
――ほんま、あのおかんくそやな。
俺は人の親に対して思ってはいけないことを思い浮かべる。
そんな状態の家って息苦しいてしゃーないやろな。
「姉ちゃん、基本は無視しとるんですけど。でも、やっぱ無視できへんときはあって」
真優が無視できへんとき、なぁ?
正直なところ、あんま思いつかん。
そんな顔しとったら、尚は肩をすくめて「大体、テニス部絡みです」と続ける。
「自分のことはどんだけ言われても言い返さんけど……。テニス部のこと言われたら腹立つんでしょうね。結構しっかり言い返しとりますよ」
それ聞いて、俺は心臓をぎゅっと握られた感覚を覚えた。
俺ら全国に送り出してから、あいつ一人で闘っとったんやなぁ。
信じとる奴らんこと悪く言われたら、そら腹立つよな。
尚も呆れ口調で話しとるけど、当然やみたいな顔して笑っとる。
やけど、続く言葉発した瞬間、表情が暗くなった。
「姉ちゃんが言い返すもんやから、お母さん余計荒れて」
「ほんで、姉ちゃんどんどん笑わんようになってきて」
そこまで言って尚は首を横に振った。
「……ちゃいますね。笑わんようになったんちゃうくて、笑ってるけど中身なくなってきてるっていうか」
姉がおかしなっていくんを見とることしかできへんつらさが、ひしひしと伝わってくる。
聞いとるこっちも心臓が痛い。
「前に言うたことあるんです。『ピアノやめてもええで』って」
「それで、姉ちゃんがまたちゃんと心から笑えるようになるんやったら、その方が、俺はいい」
尚は「やけど……っ」と歯ぎしりした。
「姉ちゃんはやめへんかった。ピアノは好きや言うて。それから『やめたら、うちだけで済まななる』って」
不意に尚の拳に水滴が落ちた。
涙がぽたりぽたりと、拳の上に次々とこぼれる。
「お父さんは当てにならん。せやったら、姉ちゃんが盾になったるさかい、尚は好きなことしいって……」
思わず、俺は拳をきつく握った。
尚の前で怒鳴ったらあかん、落ち着け。
そう何度も自分に言い聞かせる。
真優のあほ。
自己犠牲にもほどがあるやろ。
真優やって自分一人我慢すればいい状況じゃなくなってることには、もう気付いているとは思う。
やけど……多分――。
「姉ちゃん、頑固やから俺の言葉は聞いてくれん」
「……やから、お願いです」
尚が深々と頭を下げた。
「姉ちゃん、助けてください」
尚のあまりにも真っ直ぐな言葉に、俺はすぐ言葉を返すことができんかった。
手ぇ白くなるほど力入れて、声も震えとって――。
必死なんやな、姉ちゃん助けたいって。
俺は勢いよく、尚の頭に手を乗っけた。
「うわっ」なんて驚きの声も無視して、ぐしゃぐしゃに撫でまわす。
「姉ちゃんのことは俺が守ったる。やから、任しとき!!」
「姉ちゃんが、やばくって」
俺は息を吸い込むと、まぶたを閉じて持ち上げる。
それくらいの時間が欲しかったのもあるし、せっかく話そうとしとる尚の気持ちを無下にしたくなかった。
ほんまは、すぐにでも反応したかったけどな。
「翔太に話してたやつやろ? 寝てへんとかそういう」
俺はできるだけ落ち着いた声音で問う。
尚は一瞬、顔を上げると「翔太から聞いとったんですね」と口にした。
けれど、尚は再び俯く。
「まあ、寝てへんのは相変わらず、なんですけど」
思わずため息が口をついて出る。
俺、真優に寝ろって言うたよな?
ここまで頑固やと、俺の記憶が怪しくなってくる。
「寝てへんけど、今度のコンクール終われば寝ると思うんで、心配やけどそこまで心配してへんっていうか」
あと三日なんで、と尚は付け足す。
心配は心配なんやろうけど、尚は一旦見守ることにしたらしい。
尚はふっと息を吐きだすと「それだけやなくて」と言葉を濁した。
尚は目を伏せると、やるせなさそうに言葉を紡いだ。
「今までも、姉ちゃんのコンクール前、お母さんめちゃくちゃ荒れとったんです。それが今回いつもに増して酷くて」
手が震えている。
尚は男や。
やけどまだ中一――小さい頃から、あのおかんの恐怖に晒されとったら委縮しても不思議やない。
実際、真優が『うちが守らな』って言うとったくらいやから、多分、おかんと恐怖がイコールで繋がってしまっとるんちゃうか。
たとえそれが、自分に向けられたもんやなかったとしても……。
「姉ちゃんがピアノ部屋こもってるときは何もせんけど、ちょっとでも――例えば、部屋に物取りに行くとかそんなくらいの時間でも、怒鳴り散らしとって」
――ほんま、あのおかんくそやな。
俺は人の親に対して思ってはいけないことを思い浮かべる。
そんな状態の家って息苦しいてしゃーないやろな。
「姉ちゃん、基本は無視しとるんですけど。でも、やっぱ無視できへんときはあって」
真優が無視できへんとき、なぁ?
正直なところ、あんま思いつかん。
そんな顔しとったら、尚は肩をすくめて「大体、テニス部絡みです」と続ける。
「自分のことはどんだけ言われても言い返さんけど……。テニス部のこと言われたら腹立つんでしょうね。結構しっかり言い返しとりますよ」
それ聞いて、俺は心臓をぎゅっと握られた感覚を覚えた。
俺ら全国に送り出してから、あいつ一人で闘っとったんやなぁ。
信じとる奴らんこと悪く言われたら、そら腹立つよな。
尚も呆れ口調で話しとるけど、当然やみたいな顔して笑っとる。
やけど、続く言葉発した瞬間、表情が暗くなった。
「姉ちゃんが言い返すもんやから、お母さん余計荒れて」
「ほんで、姉ちゃんどんどん笑わんようになってきて」
そこまで言って尚は首を横に振った。
「……ちゃいますね。笑わんようになったんちゃうくて、笑ってるけど中身なくなってきてるっていうか」
姉がおかしなっていくんを見とることしかできへんつらさが、ひしひしと伝わってくる。
聞いとるこっちも心臓が痛い。
「前に言うたことあるんです。『ピアノやめてもええで』って」
「それで、姉ちゃんがまたちゃんと心から笑えるようになるんやったら、その方が、俺はいい」
尚は「やけど……っ」と歯ぎしりした。
「姉ちゃんはやめへんかった。ピアノは好きや言うて。それから『やめたら、うちだけで済まななる』って」
不意に尚の拳に水滴が落ちた。
涙がぽたりぽたりと、拳の上に次々とこぼれる。
「お父さんは当てにならん。せやったら、姉ちゃんが盾になったるさかい、尚は好きなことしいって……」
思わず、俺は拳をきつく握った。
尚の前で怒鳴ったらあかん、落ち着け。
そう何度も自分に言い聞かせる。
真優のあほ。
自己犠牲にもほどがあるやろ。
真優やって自分一人我慢すればいい状況じゃなくなってることには、もう気付いているとは思う。
やけど……多分――。
「姉ちゃん、頑固やから俺の言葉は聞いてくれん」
「……やから、お願いです」
尚が深々と頭を下げた。
「姉ちゃん、助けてください」
尚のあまりにも真っ直ぐな言葉に、俺はすぐ言葉を返すことができんかった。
手ぇ白くなるほど力入れて、声も震えとって――。
必死なんやな、姉ちゃん助けたいって。
俺は勢いよく、尚の頭に手を乗っけた。
「うわっ」なんて驚きの声も無視して、ぐしゃぐしゃに撫でまわす。
「姉ちゃんのことは俺が守ったる。やから、任しとき!!」