3話:同じ空の下
ダブルス1の試合はもはや、ダブルスと呼べんかった。
千歳と手塚の意地がぶつかり合うシングルス――。
ラリーの音が響くたび、空気が震える。
互いの一撃が、まるで自我そのものをぶつけ合うみたいやった。
財前も乾も、ただその空気に飲まれて動けんまま。
「ゲームセットウォンバイ……青春学園(東京)手塚・乾ペア6-1」
審判によってコールされた結果を持って、俺たち四天宝寺中学は準決勝敗退が決まった。
戦った選手も控えの選手も一列に並んで挨拶をする。
俺はそっとポケットの中の真優のネックレスに触れた。
ほんまは思いっきり握ってしまいたい。
やけど、このネックレスにとって初の黒星になるんちゃうかと思ったら、触れることしかできんかった。
『絶対に勝たせてくれる』って、言うててんけどな。
心の内でそっと謝る。
そぞろに解散を始める中、白石がレギュラーに集合を掛けた。
自陣のベンチにレギュラーが集まったことを確認すると「みんな、お疲れさん」と続けた。
「負けてしもたけど、ええ試合ができたと思う。これから、きっとこの悔しさバネに俺らはまた強くなれる」
絵に描いたみたいな言葉やなっちゅーのが正直な感想。
ほんまは白石やって叫び出したいくらい、悔しいはずやのに。
部長って立場はつらいな。
そんなことを、ぼんやり考えていたら「あー……それでや」と、白石にしては珍しい歯切れの悪い声が響いた。
手にはスマホが握られとる。
「大事な仕事が残ってる」
白石が口を開いた瞬間、ベンチに沈黙が落ちた。
誰もが考えとったけど、口にしたくなかった言葉。
「……真優に、報告せなあかん」
その声に、俺らは意気消沈した。
避けられへん現実が、目の前に突き付けられる。
□ + ◇ + □
白石のスマホをベンチに置いて、ビデオ通話をかける。
ワンコール、ツーコール――スリーコール目の途中で「もしもし、白石くん? どないしたん?」という真優の声が聞こえてきた。
やけど、真優の画面は暗いまま。
思わず見合わせれば、白石がふはっと吹き出して「真優、ビデオ通話や」と告げた。
瞬間、真優は「え? ええっ!?」と声を上げ、わたわたし始めた。
――あいつ、耳で電話出とったな。
真優側の画面がぐらんぐらん揺れて天井やピアノが映り込む。
「うち、ビデオ通話始めてやねんけど」
困惑した様子で、スマホを操作すること数十秒。
ようやく画面が落ち着いて、真優が映し出された。
「や、みんなおる!」
久しぶりに全員の顔を見て、安心したんやろな。
真優の淡い水色の瞳がふわりと緩められる。
それから、視線を動かして――銀で止まった。
「銀さん、怪我しはったん?」
「試合でパワー勝負挑まれてな。骨折や」
「こ、骨折て……っ」
慌てふためく真優に銀は「もう病院いってきたさかい、大丈夫や」と穏やかに言った。
それでも真優は心配そうに眉根を寄せている。
そんな、真優の様子を伺いつつ、白石は俺たちを見た。
俺たちは、白石の口から伝えてくれと、各々小さく頷く。
「真優、あんな」
白石の声が強張っている。
真優は、ゆるりと銀から視線を白石に移し「うん」と続きをうながした。
白石は、小さく息を吐き出すと端的に告げる。
「準決勝敗退や」
「え……」
「応援してもろてたんに、こんな報告になって堪忍な」
報告と謝罪が夏の風に乗る。ユニホームが風に揺れた。
「やけどな」と、白石が続ける。
「全員ええ試合したで……ってぇ!?」
真優の目からぽろりと涙がこぼれ落ちた。
途端に、俺たちが慌てふためく。
「真優! 泣きな、泣きな!」
「せや、真優はんは泣かんでええ」
「俺らちゃんと強かったしな! 練習の成果出せたで!」
「そうよー! ちゃんと傷跡は残したでぇ」
「収穫もあったけん、真優は泣かんとよ!」
「真優さんが泣くことありませんって!」
各々、早口で告げるも、画面の中の真優はポロポロ涙をこぼすばかり。
あまりに泣くものだから、俺たちは何も言えなくなってしまう。
そんな中、不意に「ちゃうねん」と声が聞こえてきた。
「泣こうと思ってたわけやなくて」
「ただ、頑張っとったの知っとるから」
真優は乱雑に目元をこする。
白石が咄嗟に「ああ、そんなこすったら腫れるって!」と声を上げとって、おかんみたいになっとるけど……。
「や、ほんまに泣くつもりなくて……」
「そんなん、絶対みんなの方が悔しいに決まってるやん」
真優の言葉に全員が息を飲んだんが分かった。
ここにおる、誰もが悔しさ吞み込んで普通を装っとる。
だから、真優の言葉に心臓の奥の方をぎゅっと握られた気がした。
真優はぐっと目元に力を入れると続ける。
「やのに、みんなが泣かへんから!」
「やから、うちが代わりに泣くんやん」
真優は唇を噛んで、それでも堪え切れんかったみたいに涙をこぼした。
けれど、もう誰も泣くなとは言えなくなっていて。
――ほんま、どこまでも優しいやっちゃな。
画面越しに、真優が小さくしゃくりあげる声が聞こえてくる。
俺はふっと目を細めると「おおきにな」と口にした。
「俺らん代わりに泣いてくれておおきにな、真優」
俺たちは、どうあがいても男や。
多分、みんな心のどこかで『男が人前で泣くもんやない』と思っとる。
やから、こうやって真優が思い切り泣いてくれることで、多少は胸が晴れるっちゅー話。
「ほんま、みんなあほ。あほやわ」
「悔しかったらちゃんと泣いたらええのに……」
真優の口から、文句の皮を被った慰めが溢れ出る。
その言葉に、俺たちは思わず見合わせて笑った。
白石は「そういうわけでな」と、ぐずぐずと鼻をすする真優に言い聞かせるように言った。
「今年の俺らの結果は、去年と一緒。全国ベスト4や」
「……うん。よお頑張ったな、みんな」
真優の声音には、俺たちが全国で勝ち上がると信じて疑わない色が乗っとった。
信じていた分、裏切られたような衝撃と悔しさが、涙となって表れたんやと思う。
マネージャーになってたった四ヶ月。
確かに短い期間やけど、それでも。
心の底からの信頼と愛情を向けてくれていたんやと、今になって分かった。
信じて、信じて、信じて――。
送り出してくれた真優に応えられんかったんが、悔しい。
真優は鼻をすすると、改めて涙を拭って口を開いた。
「みんなの、テニスの代わりになるかは分からんけど」
真優の赤く晴れた瞳が全員を見た。
「今度はうちが、みんなを一番のピアニストがおる部の部員にするな」
目を見開いた。
驚いて他の奴を見ればみんな揃いも揃って同じ顔しとる。
――テニスの雪辱戦をピアノで、か。
俺の口角がゆるりと上がった。
「それ、最高や!」
思わず上げた大声に、やいのやいの騒がしくなる。
次は真優の番やで。いっちょ気張りや!
夏の夕刻が近付く中、俺たちの笑い声が敗戦のテニスコートに広がった。
悔しさは消えへんけど、もう次を見据えた笑いや。
立ち止まることも、時間も、もうどこにもあらへん。
千歳と手塚の意地がぶつかり合うシングルス――。
ラリーの音が響くたび、空気が震える。
互いの一撃が、まるで自我そのものをぶつけ合うみたいやった。
財前も乾も、ただその空気に飲まれて動けんまま。
「ゲームセットウォンバイ……青春学園(東京)手塚・乾ペア6-1」
審判によってコールされた結果を持って、俺たち四天宝寺中学は準決勝敗退が決まった。
戦った選手も控えの選手も一列に並んで挨拶をする。
俺はそっとポケットの中の真優のネックレスに触れた。
ほんまは思いっきり握ってしまいたい。
やけど、このネックレスにとって初の黒星になるんちゃうかと思ったら、触れることしかできんかった。
『絶対に勝たせてくれる』って、言うててんけどな。
心の内でそっと謝る。
そぞろに解散を始める中、白石がレギュラーに集合を掛けた。
自陣のベンチにレギュラーが集まったことを確認すると「みんな、お疲れさん」と続けた。
「負けてしもたけど、ええ試合ができたと思う。これから、きっとこの悔しさバネに俺らはまた強くなれる」
絵に描いたみたいな言葉やなっちゅーのが正直な感想。
ほんまは白石やって叫び出したいくらい、悔しいはずやのに。
部長って立場はつらいな。
そんなことを、ぼんやり考えていたら「あー……それでや」と、白石にしては珍しい歯切れの悪い声が響いた。
手にはスマホが握られとる。
「大事な仕事が残ってる」
白石が口を開いた瞬間、ベンチに沈黙が落ちた。
誰もが考えとったけど、口にしたくなかった言葉。
「……真優に、報告せなあかん」
その声に、俺らは意気消沈した。
避けられへん現実が、目の前に突き付けられる。
□ + ◇ + □
白石のスマホをベンチに置いて、ビデオ通話をかける。
ワンコール、ツーコール――スリーコール目の途中で「もしもし、白石くん? どないしたん?」という真優の声が聞こえてきた。
やけど、真優の画面は暗いまま。
思わず見合わせれば、白石がふはっと吹き出して「真優、ビデオ通話や」と告げた。
瞬間、真優は「え? ええっ!?」と声を上げ、わたわたし始めた。
――あいつ、耳で電話出とったな。
真優側の画面がぐらんぐらん揺れて天井やピアノが映り込む。
「うち、ビデオ通話始めてやねんけど」
困惑した様子で、スマホを操作すること数十秒。
ようやく画面が落ち着いて、真優が映し出された。
「や、みんなおる!」
久しぶりに全員の顔を見て、安心したんやろな。
真優の淡い水色の瞳がふわりと緩められる。
それから、視線を動かして――銀で止まった。
「銀さん、怪我しはったん?」
「試合でパワー勝負挑まれてな。骨折や」
「こ、骨折て……っ」
慌てふためく真優に銀は「もう病院いってきたさかい、大丈夫や」と穏やかに言った。
それでも真優は心配そうに眉根を寄せている。
そんな、真優の様子を伺いつつ、白石は俺たちを見た。
俺たちは、白石の口から伝えてくれと、各々小さく頷く。
「真優、あんな」
白石の声が強張っている。
真優は、ゆるりと銀から視線を白石に移し「うん」と続きをうながした。
白石は、小さく息を吐き出すと端的に告げる。
「準決勝敗退や」
「え……」
「応援してもろてたんに、こんな報告になって堪忍な」
報告と謝罪が夏の風に乗る。ユニホームが風に揺れた。
「やけどな」と、白石が続ける。
「全員ええ試合したで……ってぇ!?」
真優の目からぽろりと涙がこぼれ落ちた。
途端に、俺たちが慌てふためく。
「真優! 泣きな、泣きな!」
「せや、真優はんは泣かんでええ」
「俺らちゃんと強かったしな! 練習の成果出せたで!」
「そうよー! ちゃんと傷跡は残したでぇ」
「収穫もあったけん、真優は泣かんとよ!」
「真優さんが泣くことありませんって!」
各々、早口で告げるも、画面の中の真優はポロポロ涙をこぼすばかり。
あまりに泣くものだから、俺たちは何も言えなくなってしまう。
そんな中、不意に「ちゃうねん」と声が聞こえてきた。
「泣こうと思ってたわけやなくて」
「ただ、頑張っとったの知っとるから」
真優は乱雑に目元をこする。
白石が咄嗟に「ああ、そんなこすったら腫れるって!」と声を上げとって、おかんみたいになっとるけど……。
「や、ほんまに泣くつもりなくて……」
「そんなん、絶対みんなの方が悔しいに決まってるやん」
真優の言葉に全員が息を飲んだんが分かった。
ここにおる、誰もが悔しさ吞み込んで普通を装っとる。
だから、真優の言葉に心臓の奥の方をぎゅっと握られた気がした。
真優はぐっと目元に力を入れると続ける。
「やのに、みんなが泣かへんから!」
「やから、うちが代わりに泣くんやん」
真優は唇を噛んで、それでも堪え切れんかったみたいに涙をこぼした。
けれど、もう誰も泣くなとは言えなくなっていて。
――ほんま、どこまでも優しいやっちゃな。
画面越しに、真優が小さくしゃくりあげる声が聞こえてくる。
俺はふっと目を細めると「おおきにな」と口にした。
「俺らん代わりに泣いてくれておおきにな、真優」
俺たちは、どうあがいても男や。
多分、みんな心のどこかで『男が人前で泣くもんやない』と思っとる。
やから、こうやって真優が思い切り泣いてくれることで、多少は胸が晴れるっちゅー話。
「ほんま、みんなあほ。あほやわ」
「悔しかったらちゃんと泣いたらええのに……」
真優の口から、文句の皮を被った慰めが溢れ出る。
その言葉に、俺たちは思わず見合わせて笑った。
白石は「そういうわけでな」と、ぐずぐずと鼻をすする真優に言い聞かせるように言った。
「今年の俺らの結果は、去年と一緒。全国ベスト4や」
「……うん。よお頑張ったな、みんな」
真優の声音には、俺たちが全国で勝ち上がると信じて疑わない色が乗っとった。
信じていた分、裏切られたような衝撃と悔しさが、涙となって表れたんやと思う。
マネージャーになってたった四ヶ月。
確かに短い期間やけど、それでも。
心の底からの信頼と愛情を向けてくれていたんやと、今になって分かった。
信じて、信じて、信じて――。
送り出してくれた真優に応えられんかったんが、悔しい。
真優は鼻をすすると、改めて涙を拭って口を開いた。
「みんなの、テニスの代わりになるかは分からんけど」
真優の赤く晴れた瞳が全員を見た。
「今度はうちが、みんなを一番のピアニストがおる部の部員にするな」
目を見開いた。
驚いて他の奴を見ればみんな揃いも揃って同じ顔しとる。
――テニスの雪辱戦をピアノで、か。
俺の口角がゆるりと上がった。
「それ、最高や!」
思わず上げた大声に、やいのやいの騒がしくなる。
次は真優の番やで。いっちょ気張りや!
夏の夕刻が近付く中、俺たちの笑い声が敗戦のテニスコートに広がった。
悔しさは消えへんけど、もう次を見据えた笑いや。
立ち止まることも、時間も、もうどこにもあらへん。