3話:同じ空の下

――数刻前、準決勝ベンチにて。

「オサムちゃん、ちょおええやろか」

俺は顧問のオサムちゃんの元を訪れていた。
オサムちゃんは「おお、謙也か。どないしてん試合前に」と片手を上げる。

俺は軽く息を吐き出すと、オサムちゃんの前に立ち「今日の試合のオーダーのことなんやけど」と切り出した。

「青学、ダブルス1手塚と乾なんやろ?」
「今んところな。なんや、怖気づいたんか?」
「そんなんとちゃうわ!」

思わず声を張り上げる。
けど、そのあとに続く言葉を発するのには勇気が必要で。

――俺かて強い奴とやりたいっちゅー話や。
負ける気やってないしな。せやけど……っ!

俺は一瞬自分の足元に視線を落とし、それから真っ直ぐにオサムちゃんを見た。

「俺の代わりに千歳出すことできへんか」

オサムちゃんは頬杖をつくと「あいつは退部届出したで」と試すような視線を向ける。
「……捨てとったやろ」
千歳の退部届、と俺が付け足せばオサムちゃんはカラカラ笑って「なんや見とったんかい」と続けた。

「せやな。それはその通り! 千歳の退部届は捨てたし、処理もしてへん」
「なら!」
「やけど、それが千歳をダブルス1に選出する理由にはならへんで」

俺はぐっと息を飲む。
そんなん、分かってる。
でも、引くわけにはいかんかった。

「去年の準決勝。俺が負けて決勝に進めんかったやろ」
「あんとき、俺めちゃくちゃ悔しかってん」
「せやけど、それ以上に悔しかったんはハラテツ先輩や」

ハラテツ先輩は俺の一個上の先輩。
実力もあった。

ほんまは、俺やのうて自分がシングルス3の試合に出ることもできたのに。
あの試合、ハラテツ先輩は俺にシングルス3を譲った。
理由は――。

「ハラテツ先輩は、少しでも勝つ可能性が高い俺に賭けてくれた! 結果、負けてしもたけど。それでも……っ」

――四天宝寺が勝つ可能性にハラテツ先輩は賭けたんや。

拳を握った。
手のひらに真優のネックレス握って、少しでも勇気もらえるように、強く、強く握って。

「やから、俺は――」
「勝つ可能性が高い千歳を試合に出したい!」

それから勢いよく頭を下げた。
「お願いします!!」
オサムちゃんがにやりと笑った。
それから「……だそうやで、白石部長」と声を上げた。

慌てて頭を上げてオサムちゃんの視線を追えば、その先には複雑な顔した白石がおって。

「白石……」
「聞いとった。全部、最初からな」

白石は俺の隣に並び立つと、じいっと俺を見た。
「ええんか、ほんまに」
俺は表情を緩めると「ええよ、ほんまに」と続ける。

「俺は千歳の言う無我の境地っちゅーんは分からへん。やけど、手塚もそれを使うなら……」
「その方が、うちの勝率が上がるって?」
「おん」

首肯すれば、白石が苦々しげに首を振った。
多分、白石も悩んでる。

『部長としての責任』と『親友としての情』

内心ぐちゃぐちゃやと思う。

てか、顔に出てんねんよ。
分かりやす。

白石はしばらく眉間に皺を寄せたかと思えば、絞り出すようにして言った。

「それなら財前下げてお前が残るんでもっ!」

俺は白石の肩に手をのせ「それはあかん」と続けた。

「財前は来年うちを引っ張らなあかん」
「やから、今年場数を踏ませなあかん」

白石が「せやけど……っ!」と、まだ食い下がるもんやから、俺は思わず笑ってしもた。

「なに弱気になってんねん」
「勝って準決勝突破すればええだけっちゅー話や!」

そう言えば、白石は噛みしめてた唇を解くように拳を開き、伏せていたまぶたを持ち上げた。

――ようやく決心ついたな、白石部長。

それから、白石はオサムちゃんと見合わせて頷いた。

「したら、ダブルス1の最終オーダーは――」

□ + ◇ + □

――現在時刻。

電光掲示板に表示された自分の名前に目を白黒させる千歳の元に歩み寄る。

「千歳ぇーっ! はよ来ーい!! 出番やでぇーっ!!」

オサムちゃんの怒号が飛んだ。

なんや、ノリノリやないか。

俺はオサムちゃんの薄情さに思わず笑ってしまう。
目見開いて「俺は、退部届けば……」と詰まる千歳をオサムちゃんは続けて笑い飛ばした。

「……んなモン、貰ってへんでぇ?」

俺は千歳のすぐそばにもたれかかると、自分を落ち着けるように一つ息を吐いて口を開いた。

「強い奴がコートに立つのが当たり前っちゅーもんや」

不意に千歳と目が合うた。

「やりたいんやろ? 手塚国光と!」
そう告げれば、千歳の視線が、すでにコートに出てきている手塚に向けられて。
「お膳立て、しておいたで」
その言葉と同時に、俺は千歳の背中をとんっと押した。

「……っ! 謙也、俺は」
「勝ったもん勝ちや! お前が勝てば俺はまた試合に出られる」

俺はそう言うと千歳の目の前に拳を突き出した。

「やから――勝ちや、千歳」

千歳は一瞬目を伏せた。
ぐっと唇を結んで、拳を握り直す。ようやく上げた顔には、真っ直ぐで揺らぎのない闘志が宿っとった。

「任せるばい。謙也」

拳と拳がぶつかり、千歳はコートに向かっていく。

――どいつもこいつも。ほんまに世話の焼ける。

俺は空を見上げ、ゆっくりと息を吸い込んだ。
夏の匂いが鼻孔をかすめて抜けていく。
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