13話:小話 静寂を破る者

監獄みたいな家に帰ってそそくさと夕食を食べる。
それから、できるだけ静かにシャワーを浴びて、何事も起こってくれるなと願いながら自室にこもる。

週に何日かは学校のあと塾行ったりで、帰り遅くなることもあるけど、これが俺の日常。

姉ちゃんみたいに遅くまで習い事しとるわけやないし(まあ、姉ちゃんの場合は習い事っちゅーより、仕事って言うた方が正しいんやろな)、基本的には夜の十時には家におる。

俺は自室で腕を組み、壁に掛かった時計を睨みつけとった。すっかり日付跨いどる。


やのに、姉ちゃんが帰って来おへん。


いつもなら遅くとも十時半には帰ってくるのに。
さすがに心配になって『どこおんの?』『何時に帰ってくるん?』ってメッセージも送ったけど、既読すらつかん。

ええ加減、心配と我慢の限界やって、俺はポケットにスマホ突っ込んで立ち上がった。

お母さん、キレるかもしれんけど。
さすがに探しに行かなまずいやろ。

……ちゅーか、こんな状況やのにお母さんが静かなん意味分からんのよな。
姉ちゃんのことなんやと思ってんねん。

そう部屋の扉に手を掛けた瞬間やった。

「なんですって!?」

家中に響き渡る金切声に、心臓刺されたみたいな緊張が走る。
途端に、手汗が噴き出て呼吸も荒くなった。

中一にもなって情けない。
やけど、物心ついたときから繰り返し植え付けられた恐怖心が一気に顔を出す。

俺に直接向けられとるわけやないのに、この様とか……。

そんな思いを飲み込んで自室の扉を開け、そろりそろりと階段を降りる。

玄関にお母さんの怒りに震える背中が見える。
その視線の先に、引きつった顔した姉ちゃんがおって。

あ、帰って来たんやってほんのちょっとの安堵感と、何してん? っちゅー疑問が脳内を駆け巡る。

次に飛び込んできたんは、お母さんでも姉ちゃんでもない人の怒鳴り声。

「あんたがやっとんのは支配や!」
「真優はあんたの物やあらへん!」
「ええ加減気付けよ‼」

瞬間、空気が凍りついたんが分かった。
玄関から結構離れとる俺んとこの空気まで薄なった気がして、喉がひゅって音を立てる。

お母さんが肩で息をして、勢いよくドアを閉めた。
バタンッとものすごい音が鳴って、家全体がお母さんの怒りに呼応するみたいに揺れる。

俺は目を見開いて、その場に固まることしかできひんで。

お母さんは血走った目で俺を捕らえると、怒りを無理矢理飲み込んだような声音で「さっさと寝なさい」と言った。

……こんな狼狽えたお母さん見るん初めてや。

お母さんは、そのまま俺がここにおらんようにふるまって、寝室に消えて行く。
寝室の扉が閉まって、少ししてから姉ちゃんが家ん中に入ってきた。

姉ちゃんは無言のまま玄関突っ立っとった。
けど、しばらくしたら目から光消えて、その場にずるずるしゃがみ込んで。

俺はいても立ってもいれんで「姉ちゃん!」と駆け寄る。
そうすれば、ふっと姉ちゃんの顔が上がって。

「……ああ、尚。まだ起きとったん?」

なんて、姉ちゃんはいつもの声音で言うてくる。
俺は歯ぎしりしつつ、目線合わせるようにしてしゃがみこんだ。

「帰って来んの遅すぎやわ、あほ」
「ごめんて」
「メッセージも送ったんに、返事どころか既読もつかんし」

そう苦々しく告げれば、姉ちゃんはへにゃりと笑って「そやったん」と立ち上がった。

「いろいろあってな。スマホ見とる暇なかってんよ」
「そうかもしれんけど……っ!」
「ほな、もう寝えや。遅いし」
「姉ちゃんっ!」
「お母さんが大人しいうちに、お風呂入ってまうわ」

嚙み合わん会話に苛立ちが募る。
やのに、姉ちゃんは靴適当に脱いで、そのまま洗面所に消えていった。

その背中に言葉に出来へん違和感が這いずり回る。

姉ちゃんは強い。
この家の異常な恐怖に委縮しとる俺を、できるだけ普通に過ごさせようとしてくれとる。

でもな、姉ちゃん。
俺ももう小さな子どもやないんやで?
姉ちゃんが俺を守りたいって思うてくれとるんと同じくらい、俺かて姉ちゃんどうにかしたりたいって思うてるんやで。

無意識にため息がこぼれる。
やるせなさに姉ちゃんが脱ぎ散らかした靴を揃えてたら、洗面所の方から思い切り嘔吐く音がして。

喉の奥が苦くなって、俺は口を真一文字に結んだ。

ややもすれば、シャワーの音が響いて。
俺は意気消沈しながら自室へ戻った。

勢い付けてベッドに倒れ込む。
午前様やっちゅーのに目は冴えてしもて。
俺の思考は別のとこに飛ぶ。

さっき、キレとったん翔太の兄ちゃんやったな……。

翔太――忍足翔太は四天宝寺に入って初めてできた友達や。
あほ程明るくて調子乗りやのに、周り見る力は異常に強くて。入学早々孤立しそうになっとった俺に声掛けてきた。

そんな翔太が、前に学校で『あれ、兄ちゃん』と指さしとった人。
確か、謙也くんやっけ?

そんとき、姉ちゃんも近くにおって、ああ同じクラスなんやって思ったんよな。

翔太の家、何度かお邪魔させてもろたことはあるけど。

翔太ん家、ほんまあったかいんよな。
翔太のお母さんもお父さんも優しくて、穏やかで。
……うちとは正反対や。

多分、謙也くんもええ兄ちゃんなんやろな。
そんなこと考えて、ふっと笑ってしまった。

姉ちゃんも隅に置かれへんな。

同時に、呆れにも似た感動が胸を覆った。

――にしても、謙也くん。
お母さんにあんな啖呵切れるん、すげぇわ。

そんなこと思いながら、目を閉じる。

小さい頃から、お母さんの狂気とお父さんの無関心から俺を遠ざけてくれとる姉ちゃん。

なんで、そんな強いんやろ。
ほんま意味分からん。

反対に俺は、今でも意気地なしで姉ちゃん守ることなんてできてへんで。
――あの人やったら、この状況どうにかできるんやろか。

その日、一晩。

姉ちゃんの部屋の電気が消えることはなかった。
俺もうつらうつらはしたけど寝られへんかった。

それでも、カーテンの隙間から朝日が差し込んで。
小鳥のさえずりが、新たな一日の始まりを告げた。
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