12話:five minutes.

警察署を後にした瞬間、夜風が頬を撫でた。
心臓の音だけが、まだ日常に戻られへん。

そんな中、おかんが「お腹空いたやろ?」と俺たちを振り返った。

連れて行かれたんはラーメン屋。
急激な安堵感でどっと腹が減って仕方なかったからありがたい。

遠慮する真優を「ええから、ええから!」と引きずって入った店のラーメンは旨かった。

真優は「うち、こんな時間にラーメン食べるん初めてや」とか言うとったけど、髪を耳にかけてラーメンすすった顔見て安心した。
めっちゃ旨そうに食うやん。

ラーメン屋出たあと、おかんは「帰ってお父さんに話しとくさかい、あんた真優ちゃん送って行き」と、先に帰って行った。
ついて来んのかい! なんて心ん中で突っ込んだけど、俺んこと信頼してくれとるんやと思うことにする。

おかんのうしろ姿を見送って、ふっと隣の真優に視線を向けると、俺は決定事項として告げた。

「絶対に家ん前まで送るからな」

真優の目が見開かれる。それからバツが悪そうに、俺から視線を逸らした。
「……お母さん、多分ブチギレとるで」
小さな声で紡がれた言葉に「それがどないしてん」と俺は続ける。

「あんな、ほんまになんかあったらどうすんねん⁉」
「家ん前まで送らんで、もし真優になんかあったら……」
「俺、自分のこと許されへんわ‼」

そう捲し立てたら、真優はしぶしぶと言った様子で「分かった」と返してきた。

――真優が無事でいてくれる方がずっと大事や。

自宅の玄関前で、真優はふーっと息を吐き出す。

真優んこと、何回か送ったことはある。
やけど、ほんまの家の前まで来るんは初めてやな、なんて考えとったら、真優の視線が俺に向けられた。

「ほんまに誇張とか抜きで、やばいで」
「そんなん知るか。……ちゅーか、真優のおかんがやばいんは身をもって知っとる」

言い切れば、真優は薄く笑って「……そやな」と、鍵穴に鍵を入れた。

瞬間、玄関ドアが勢いよく開かれた。

真優のおかんの目は血走っとって、苛立ちあらわに息巻いている。
反射的に真優が半歩後ずさった。

「ついに警察のお世話になるような娘になったのね」

冷たい声やった。
なんの感情ものっていないような、氷点下より冷たい声。

「寄ってくる男に愛想でも振りまいたんじゃないの?」

すぐ傍で、真優が息を呑んだ音が聞こえた。

「そんなだから狙われるんだわ」

真優のおかんは汚いものでも見るように真優を上から下まで見て、ふっと蔑むように笑った。

「恥さらし」

真優の唇がきゅっと結ばれる。

「猫なで声で媚び売って……。いったい誰に似たんだか」

聞くに堪えない罵詈雑言に、真優は言い返さない。
言い返したら余計酷くなる。
分かっているからこそ、ただ、ただ耐えとる。

「ねぇ、あなた本当に私の娘なの?」

わざとらしい嘆息が吐き出される。

「穢らわしい」

そう言い放つ口元には笑みさえ浮かんでいた。

「本当、反吐が出るわ」

穢らわしい?
どこが――こいつ、ほんまに真優の母親か?

そう思ったときには俺の口から「は?」という低い声が漏れ出ていた。

「……ちょお待ちや。今、なんて言うた?」

自分の口から出たとは思えない、怒りを含んだ低い声。
ハッと真優が俺を振り返った瞬間、真優のおかんの血走った目が俺を刺した。

「あんたは関係ないんだから黙ってなさい!」
「関係なくあらへん!!」

気が付けば俺は怒鳴り返していた。


「いい加減にせえや!!」
「怖い思いした娘に掛ける言葉がそれか!?」
「真優は何も悪ないやろ!!」


今にも身を乗り出しそうな俺を、真優が必死になって抱き止める。

「ちょっ⁉ 待って、謙也くん!」

――なんで止めんねん!?
お前、今何言われるか分かっとるんか!?

とはいえ、真優が止める理由やって分からんわけやない。

下手しい、また俺が打たれるとか思って、必死なんやろ?
やけど、もうそういうレベルの話やないで!?

「穢らわしい? 反吐が出る? それはあんたやろ!?」
「なんですって!?」

その声を聞いた瞬間、胸の奥がカッと熱くなった。
ほんっま終わってんな、こいつ。

「あんたがやっとんのは支配や!」
「真優はあんたの物やあらへん!」
「ええ加減気付けよ!!」

言い切った瞬間、空気が凍ったのが分かった。
怒りに肩で息をする俺を真優のおかんは憎々しげに見て、踵を返して家の中へ戻って行った。

扉が閉まると共にドンッと玄関が震えた。
静まり返る空気の中、真優は俺の胸に頭を寄せて息を吐き出す。

「……ようあんな啖呵切ったな」

ぽつりとこぼされた一言が、夜闇に溶けて飲み込まれていく。
俺を必死に押さえとった真優の手は震えとって。
でも、ほんの少し救われたような表情を浮かべて。
俺は長い息を吐き出すと、静かに告げた。

「……すまん。止まらんかった」
「ううん、うちの代わりに怒ってくれてありがとう」

少しすっきりした。そう付け足す真優に俺は今できる精一杯のほほ笑みを向けて、そっと抱き締めた。

俺が抱き締めたからって、真優の恐怖とかそんなんが紛れるとは思ってへん。
でも、真優のこと大切に想っとる奴がおるって知ってほしかったし、守りたいって気持ちも伝えたかった。

「真優は、一人やないからな」

背中を撫でて真優を覗き込めば、泣き出しそうな瞳が夜風に揺れていた。

「……ほんま、謙也くんは優しいなぁ」

震える声で紡がれる言葉に胸が抉られる。

どんだけ怖い思いしたんやろ。
どんだけ必死やったんやろ。
どんだけ――真優が傷付けられなあかんのやろ。

俺はもう一度だけ真優をきつく抱き締めると、彼女を解放した。

「……ほな、もう遅いから。家ん中入り」

――この家が、真優を守ってくれるとは思えんけど。
でも、外におるよりは安全で。

「うん。謙也くんも気を付けて帰ってな」

真優が家に入ったのを確認してから俺は歩き出す。
街灯の下、俺の足音だけが響く。

真優の震える肩が、泣きそうな顔が頭にこびりついて離れんかった。
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