10話:The Inherited Oath.
西日が差す帰り道を、肩を並べて歩く。
自宅まで送ると申し出た謙也くんに、私は「今日はこのあとレッスンやさかい、駅でええねん」と笑った。
謙也くんは「わざわざ倒れた日に行かなあかんの?」って、心配しとったけど、忙しい先生の手を煩わせるわけにもいかへん。
「そういうもんやの」
それでも心配そうな表情を浮かべる謙也くんに私はやれやれと、息を吐くと口を開く。
「……二回も拾ってくれた謙也くんに、このネックレスの話、したげるな」
半分は私とネックレスの繋がりを知ってもらいたかったから。
やって、さすがに気になるやろ?
うちがネックレスに固執しとる理由。
それから――もう半分は話を逸らしたかったから。
謙也くん『今日くらいレッスン休めや』って、お顔に書いてあんねんもん。
そんな顔されたら、こっちも困る。
やから、ほんまやったら誰にも話すつもりのなかったネックレスの話をしようと思った。
謙也くん、なにかとネックレスに縁のある人やさかいな。
そんな思いもちょっとだけ。
少しの沈黙のあと、謙也くんは「ネックレスの話?」と私の言葉を繰り返した。
私は話に乗ってくれたことに安堵すると「そう。ネックレスの話」と語り始めた。
「このネックレスな、おばあちゃんの形見やねんよ」
□ + ◇ + □
昨年の冬、おばあちゃんが入院した。
たまたま受けた健康診断で膵臓に大きな影が見つかって、東京の大学病院に即入院が決まった。
とはいえ、年齢も年齢だから……と、おばあちゃんは緩和治療を望んで。
私からすれば、治療を受けて、原因を取り除いて、いつまでも元気にいてほしいところやけど、そう簡単な話やないらしくて。
治療も体力を使うし、副作用もきつい。
なんなら、病死か寿命か。
どっちが早いかも、いまいち分からへん――そんな状態やって、おばあちゃんは笑っとった。
当時、私は京都で暮らしとったから、そんなに頻繁におばあちゃんの元に行くことはできひんで。
やけど、東京でのレッスンとかコンサートの合間を縫って会いに行っては、私の方が元気をもらっとった。
ほんまにおばあちゃんが大好きやった。
あたたかくて、穏やかで。
人の痛みに寄り添える優しい人。
そんな人の娘がお母さんやとは――。
正直、今でも信じられへん。
三月、私は数年に一度開催されるコンクールの準備に追われとった。
国内で実施された一次選考を通過し、数日後海外大会へ望む。
正直、体力はギリギリ。
集中力やって毎日、毎日限界まで使っとるから、練習を終えて帰宅する頃には何の気力もなかった。
やのに、家に帰ればお母さんの機嫌を確認する作業が待っとって。
機嫌がいい日はまだええけど、悪い日なんて最悪。
帰宅から数時間は罵詈雑言に耐えんといけんかった。
このときの私には心休まる時間なんて、一日中どこを探してもなかったと思う。
私は日本を発つ前に、おばあちゃんの元を訪れた。
このコンクールで入賞すれば、三月末に東京で行われる新人演奏会に出演できる。
「うち、絶対に出るから! 見に来てな」
ただ、それだけを伝えるために。
結果は、一位入賞。
もっとも輝かしい成績を残して、私は日本に帰国した。
これで、きっと少しは安心してもらえる――そう、意気揚々と帰国して、告げられたのはお母さんの冷たい一言。
「あの人なら、もう死んだわよ」
世界の音が、全て消えた気がした。
時計の秒針の音だけが、自棄にうるさくて。
耳鳴りがして、世界から色が抜けていく。
『おばあちゃんが死んだ』
その事実だけが頭の中で何度も反響していた。
お母さんの言葉を理解するのに、それ相応の時間が必要で。
意味が分からないのに、私の心臓は氷漬けになったように冷たくて、生きた心地がせんで……。
お母さんは「コンクールの最中にそんな報せはできないでしょう?」なんて。
もっともそうな言い訳を連ねとったけど、多分それは違って。
ただ、私を絶望させたかったんやないかと思う。
ピアノ以外必要ないでしょう?
そんな言葉が見え透いていたから。
おばあちゃんは、私がコンクールで闘っている間に他界してしまった。
その報せは一切届かんで、知ったのは葬儀も何もかもが終わったあと。
大好きなおばあちゃんが亡くなった事実に、心が追い付かへん。
この家で、唯一守ってくれる存在だったおばあちゃんの最期に立ち会えもせんかった。
私は茫然自失になりながら、おばあちゃんが生前お世話になっていた病院に向かった。
なんでって……ここの看護師さん達には、おばあちゃんも私も、本当に良くしてもらったから。
だから、せめて――。
「祖母がお世話になりました」
「無事にコンクールでも一位入賞しました」
そう伝えたかった。
……ううん、伝えたかったんとちゃうな。
おばあちゃんならそうすると思ったから、そうしただけ。
そして、その行動は間違っていなかった。
幽鬼のように病院を訪れたら、おばあちゃんを担当していた看護師さんが「真優ちゃん!?」と、驚いた様子ですぐに声を掛けてくれた。
「どうしたの? 文恵さんは」
困惑の表情を浮かべた看護師さんに、私は「聞きました」と答えると、頭を下げる。
「今日は、おばあちゃんがお世話になったことの、お礼言いに来たんです。うち、コンクールで日本におらんかったさかいに」
そう告げれば、看護師さんは「ちょっと待ってて!」と言って、慌ててナースステーションに駆け込んでいった。
しばらくすると、看護師さんは一つの封筒を手に戻ってきた。
「これ文恵さんから」
「おばあちゃん?」
「そう。真優ちゃんに渡して欲しいって」
受け取れば、封筒の中には一粒のダイヤモンドが美しいネックレス。
「お母さんに渡したら、きっと真優ちゃんの手元には渡らないからって」
つんっと鼻の奥が痛んだ。
「……っ」
「自分で渡せばって言ったんだけどね。『この先長くないからどうなるか分からないし』って、預けててくれたの」
私はなんと言っていいか分からず、震える声で「そ、うでしたか。それは……」と、目を伏せた。
「真優ちゃんなら、文恵さんが居なくても必ず挨拶には来るだろうからって頼まれてね」
看護師さんは私の肩をぽんっと叩く。
優しい笑顔で、私を真っ直ぐ見て――。
「そしたら、本当に来てくれた」
私は場所も人目もはばからず、崩れ落ちて泣いた。
この齢になって、声を上げて泣くなんて思わんかった。
胸の奥が痛くて、あたたかくて複雑な感情が涙となって溢れ出す。
看護師さんは、泣き崩れる私と同じ高さになって「会えてよかった」と言ってくれた。
その人の目もうっすら赤くて、おばあちゃんはたくさんの人に愛されていたのだと、改めて理解した。
□ + ◇ + □
気付けば夕日が街を金色に染めていて――。
私は手のひらに乗せたネックレスを見つめた。
小さな光が、夕日の中で淡く瞬く。
ほんま、たくさんの人に愛された人やったなぁ、なんて。
そんなことが脳裏によぎって、小さな笑みをこぼした。
「――っていうのが、ネックレスの話」
今でもおばあちゃんを思い出して、悲しくなるときがないと言ったら、嘘になるけれど。
でも、それ以上におばあちゃんと過ごしたあたたかで優しい時間を思い出すことの方が、圧倒的に多い。
そんな思いに相反して、私は隣で聞いていた謙也くんがどんな顔をしているか、見られへん。
こんな話聞かされて、さぞ困っているはず。
やけど、なぜか知ってほしいと思ったのも事実で。
それが甘えだと言われてしまったら、その通りだけれど。
私はゆっくり息を吐き出し、目を伏せた。
「この子な、うちとおばあちゃんの大事な繋がりなんよ」
「……たった一つだけの」
慈しむようにネックレスを手のひらで転がす。
他に――おばあちゃんが生きとった証はもう何一つ残ってへんから。
「絶対手放したない」
それから、困ったように私は一人ごちる。
「やから、お母さんは気に食わんのやろうね。ほんま、困った人」
瞬間――私は謙也くんの腕の中にいた。
いつの間にか、やない。
気付いたときにはもう、そうなっとった。
自宅まで送ると申し出た謙也くんに、私は「今日はこのあとレッスンやさかい、駅でええねん」と笑った。
謙也くんは「わざわざ倒れた日に行かなあかんの?」って、心配しとったけど、忙しい先生の手を煩わせるわけにもいかへん。
「そういうもんやの」
それでも心配そうな表情を浮かべる謙也くんに私はやれやれと、息を吐くと口を開く。
「……二回も拾ってくれた謙也くんに、このネックレスの話、したげるな」
半分は私とネックレスの繋がりを知ってもらいたかったから。
やって、さすがに気になるやろ?
うちがネックレスに固執しとる理由。
それから――もう半分は話を逸らしたかったから。
謙也くん『今日くらいレッスン休めや』って、お顔に書いてあんねんもん。
そんな顔されたら、こっちも困る。
やから、ほんまやったら誰にも話すつもりのなかったネックレスの話をしようと思った。
謙也くん、なにかとネックレスに縁のある人やさかいな。
そんな思いもちょっとだけ。
少しの沈黙のあと、謙也くんは「ネックレスの話?」と私の言葉を繰り返した。
私は話に乗ってくれたことに安堵すると「そう。ネックレスの話」と語り始めた。
「このネックレスな、おばあちゃんの形見やねんよ」
□ + ◇ + □
昨年の冬、おばあちゃんが入院した。
たまたま受けた健康診断で膵臓に大きな影が見つかって、東京の大学病院に即入院が決まった。
とはいえ、年齢も年齢だから……と、おばあちゃんは緩和治療を望んで。
私からすれば、治療を受けて、原因を取り除いて、いつまでも元気にいてほしいところやけど、そう簡単な話やないらしくて。
治療も体力を使うし、副作用もきつい。
なんなら、病死か寿命か。
どっちが早いかも、いまいち分からへん――そんな状態やって、おばあちゃんは笑っとった。
当時、私は京都で暮らしとったから、そんなに頻繁におばあちゃんの元に行くことはできひんで。
やけど、東京でのレッスンとかコンサートの合間を縫って会いに行っては、私の方が元気をもらっとった。
ほんまにおばあちゃんが大好きやった。
あたたかくて、穏やかで。
人の痛みに寄り添える優しい人。
そんな人の娘がお母さんやとは――。
正直、今でも信じられへん。
三月、私は数年に一度開催されるコンクールの準備に追われとった。
国内で実施された一次選考を通過し、数日後海外大会へ望む。
正直、体力はギリギリ。
集中力やって毎日、毎日限界まで使っとるから、練習を終えて帰宅する頃には何の気力もなかった。
やのに、家に帰ればお母さんの機嫌を確認する作業が待っとって。
機嫌がいい日はまだええけど、悪い日なんて最悪。
帰宅から数時間は罵詈雑言に耐えんといけんかった。
このときの私には心休まる時間なんて、一日中どこを探してもなかったと思う。
私は日本を発つ前に、おばあちゃんの元を訪れた。
このコンクールで入賞すれば、三月末に東京で行われる新人演奏会に出演できる。
「うち、絶対に出るから! 見に来てな」
ただ、それだけを伝えるために。
結果は、一位入賞。
もっとも輝かしい成績を残して、私は日本に帰国した。
これで、きっと少しは安心してもらえる――そう、意気揚々と帰国して、告げられたのはお母さんの冷たい一言。
「あの人なら、もう死んだわよ」
世界の音が、全て消えた気がした。
時計の秒針の音だけが、自棄にうるさくて。
耳鳴りがして、世界から色が抜けていく。
『おばあちゃんが死んだ』
その事実だけが頭の中で何度も反響していた。
お母さんの言葉を理解するのに、それ相応の時間が必要で。
意味が分からないのに、私の心臓は氷漬けになったように冷たくて、生きた心地がせんで……。
お母さんは「コンクールの最中にそんな報せはできないでしょう?」なんて。
もっともそうな言い訳を連ねとったけど、多分それは違って。
ただ、私を絶望させたかったんやないかと思う。
ピアノ以外必要ないでしょう?
そんな言葉が見え透いていたから。
おばあちゃんは、私がコンクールで闘っている間に他界してしまった。
その報せは一切届かんで、知ったのは葬儀も何もかもが終わったあと。
大好きなおばあちゃんが亡くなった事実に、心が追い付かへん。
この家で、唯一守ってくれる存在だったおばあちゃんの最期に立ち会えもせんかった。
私は茫然自失になりながら、おばあちゃんが生前お世話になっていた病院に向かった。
なんでって……ここの看護師さん達には、おばあちゃんも私も、本当に良くしてもらったから。
だから、せめて――。
「祖母がお世話になりました」
「無事にコンクールでも一位入賞しました」
そう伝えたかった。
……ううん、伝えたかったんとちゃうな。
おばあちゃんならそうすると思ったから、そうしただけ。
そして、その行動は間違っていなかった。
幽鬼のように病院を訪れたら、おばあちゃんを担当していた看護師さんが「真優ちゃん!?」と、驚いた様子ですぐに声を掛けてくれた。
「どうしたの? 文恵さんは」
困惑の表情を浮かべた看護師さんに、私は「聞きました」と答えると、頭を下げる。
「今日は、おばあちゃんがお世話になったことの、お礼言いに来たんです。うち、コンクールで日本におらんかったさかいに」
そう告げれば、看護師さんは「ちょっと待ってて!」と言って、慌ててナースステーションに駆け込んでいった。
しばらくすると、看護師さんは一つの封筒を手に戻ってきた。
「これ文恵さんから」
「おばあちゃん?」
「そう。真優ちゃんに渡して欲しいって」
受け取れば、封筒の中には一粒のダイヤモンドが美しいネックレス。
「お母さんに渡したら、きっと真優ちゃんの手元には渡らないからって」
つんっと鼻の奥が痛んだ。
「……っ」
「自分で渡せばって言ったんだけどね。『この先長くないからどうなるか分からないし』って、預けててくれたの」
私はなんと言っていいか分からず、震える声で「そ、うでしたか。それは……」と、目を伏せた。
「真優ちゃんなら、文恵さんが居なくても必ず挨拶には来るだろうからって頼まれてね」
看護師さんは私の肩をぽんっと叩く。
優しい笑顔で、私を真っ直ぐ見て――。
「そしたら、本当に来てくれた」
私は場所も人目もはばからず、崩れ落ちて泣いた。
この齢になって、声を上げて泣くなんて思わんかった。
胸の奥が痛くて、あたたかくて複雑な感情が涙となって溢れ出す。
看護師さんは、泣き崩れる私と同じ高さになって「会えてよかった」と言ってくれた。
その人の目もうっすら赤くて、おばあちゃんはたくさんの人に愛されていたのだと、改めて理解した。
□ + ◇ + □
気付けば夕日が街を金色に染めていて――。
私は手のひらに乗せたネックレスを見つめた。
小さな光が、夕日の中で淡く瞬く。
ほんま、たくさんの人に愛された人やったなぁ、なんて。
そんなことが脳裏によぎって、小さな笑みをこぼした。
「――っていうのが、ネックレスの話」
今でもおばあちゃんを思い出して、悲しくなるときがないと言ったら、嘘になるけれど。
でも、それ以上におばあちゃんと過ごしたあたたかで優しい時間を思い出すことの方が、圧倒的に多い。
そんな思いに相反して、私は隣で聞いていた謙也くんがどんな顔をしているか、見られへん。
こんな話聞かされて、さぞ困っているはず。
やけど、なぜか知ってほしいと思ったのも事実で。
それが甘えだと言われてしまったら、その通りだけれど。
私はゆっくり息を吐き出し、目を伏せた。
「この子な、うちとおばあちゃんの大事な繋がりなんよ」
「……たった一つだけの」
慈しむようにネックレスを手のひらで転がす。
他に――おばあちゃんが生きとった証はもう何一つ残ってへんから。
「絶対手放したない」
それから、困ったように私は一人ごちる。
「やから、お母さんは気に食わんのやろうね。ほんま、困った人」
瞬間――私は謙也くんの腕の中にいた。
いつの間にか、やない。
気付いたときにはもう、そうなっとった。