8話:苛立ちの正体
頭、冷やさなあかん。
そう思った俺は、外の水道で顔を洗う。
みぞおちの辺りが重くて、気持ち悪い。
やけど、冷たい水が頭に上った血を冷やして、幾分か冷静さを取り戻す。
なんやねん、腹立つ。
別に白石がええ奴なんも分かってる。
やのに……。
俺は大きなため息を吐くと、蛇口をひねって水を止めた。
勢い任せて顔洗ったけど、タオル忘れたな、なんて。
そんなことをぼんやり考えていると、不意に横からタオルがさし出される。
驚いて、そちらを向けば真優が「使うやろ?」と小首を傾げていた。
「……おおきに」
礼を返すものの、声は不機嫌そのもの。
真優は一瞬面食らったような顔をしたかと思えば、すぐにふくれっ面になって「なんやの、それ」と続けた。
「せっかくタオル持ってきたったのに!」
「せやから、ちゃんと『おおきに』言うたやん」
「めっちゃ不機嫌そうな声でな?」
真優はそこまで言うと、腕を組みふいっと視線を逸らす。
――まあ、今のは俺が悪い。
悪いとは思うけどっ!
真優の組まれた腕を見て、先ほどの光景がよみがえってしもた。
俺はぎりっと歯ぎしりをする。
それから、そっぽを向く真優の腕をつかんで、ぐっと自分に引き寄せる。
途端に真優が驚いて目を丸くした。
「え?」
小さく漏れた彼女の声に、やってしもた、なんて心臓に氷水流し込まれて。
真優の手首つかんどる自分の手が、わずかに揺れた。
それでも、止まれなくて。
「……こうやって、誰にでも触らせるん?」
自分の意に反して、口から言葉がこぼれ出る。
「……は?」
開いた口が塞がらんっちゅーのは、このことなんやろな。
全くわけ分からんみたいな表情を向けられて、俺は苦し紛れに口を開いた。
「クラスでも、白石とばっか喋りよるし」
「え?」
「俺のことは避けとるくせに」
「ちょっ」
困惑する真優をさらに自分に引き寄せる。
くんっと近くなった視界で、絶対目逸らさせへんって見つめて――ぽつりと言葉がこぼれ落ちた。
「真優は――白石のこと好きなん?」
言うた瞬間、胸の奥がぎゅっと痛む。
もし、それで「そうや」言われてしもたら、俺どないすんねんよ。
沈黙が風に乗る中、ぽつりと真優が口を開いた。
「……いや、何言うてはんの?」
返ってきた返事につかんでいた手の力がわずかに抜ける。
「なんでそうなるんよ」
「やって、さっきも触られて嫌な顔してへんかったやん」
「白石くん、部長やもん。うち、新米マネージャーやから、分からんこといっぱいあるよって」
真優はそこまで言うと、眉間に皺を寄せて首を傾げる。
「それに、触られたって……何?」
「や、さっき自分こけそうになって」
「支えてくれただけやん」
真優は思い返すように宙を見上げたあと、小さく息を吐き出して俺を覗き込む。
なんや、真優の圧が強い。
「それ言うなら、こないだ階段から落ちたとき謙也くんが支えてくれたやん。アレは?」
「アレは! ああせな真優ケガする思て!」
俺は憤慨するように声を上げた。
「そやな。ケガするし、下手しい死んどった」
真優は言い聞かせるように、俺の目を真っ直ぐ見る。
「やから、謙也くんがおってくれてよかった! って、思ててんけど」
気が抜けたのと同時に、完全に手の力が抜けた。
真優はするりと俺の手から抜け出すと、むっと頬を膨らませ後ろ手に組んだ。
「なに?『触れた! よっしゃー』とかでも、思てたん?」
予想も全くしとらんかったことを口にされ、途端に顔が熱くなる。
――そんな下心一ミリもないわっ!!
「はあああ!? そ、そんなん思てへんわ!!」
「……どうだか」
真優はわざとらしく肩をすくめる。
ため息と同時に、ずいっと手を伸ばして思いっきりデコピンしてきた。
「痛っ!」
あまりの痛さに、俺は思わず額を押さえる。
――なんや、めっちゃ痛いっ!
は? なんでや?
呻く俺に真優は人差し指を立てて凄む。
「ピアニストの指筋なめんなや」
怒ってるんか分からんけど。
その姿が、どうしても小動物の威嚇にしか見えなくて、無意識に口角が上がってしまう。
ただ、今笑い声を上げたら、多分めっちゃキレられるのも分かっとる。
「なにニヤけてんの?」
「いや、なんも……」
俺は口元を手で隠しつつ返す。
華奢な身体で俺を叱り飛ばす真優に、心の中のもやもやはいつの間にか随分と小さくなっとった。
真優はしばらく怒ったように眉間に皺を寄せとったけど、ややもすれば「あかんわ」と気の抜けた声で、眉間をぐにぐに押さえ始める。
「怒り慣れてへんから、怖い顔すんのしんどい」
それから、真優はちらりと俺を見ると困ったような表情を浮かべる。
「やから、謙也くんももう怒らんでよ」
なんや、まだ怒ってはる? そう続ける真優に俺の胸のもやもやはすっかり晴れていた。
――なんや、俺の勘違いやったんか。
ふっと肩の力が抜けて、自分があほらし過ぎて笑てまう。
夏の風が赤くなった頬の熱をそっと奪っていく。
――俺、白石に嫉妬しとったんやな。
そう理解した瞬間、急におかしくなってきて、俺はふはっと吹き出した。
「なんや……ははっ!」
「そうか、せやな。自分新米マネージャーやもんな」
堪えきれず肩を震わせる。
「馬鹿にしとる?」
真優が怪訝な表情を浮かべ、口を尖らせるもんやから、俺は慌てて「してへん、してへん!」と否定する。
一息つき真優を真っ直ぐ見ると、俺は頭を掻いて続けた。
「ただ、俺が勘違いしとっただけや」
真優は「勘違いって……」と唸る。
「分からん。何のことやの」
「なっ!? いや、それは。な、なんでもないっちゅー話や!」
早口でそう告げれば、真優が一歩俺に近付いて、本音を探ろうと覗き込んでくる。
「ほんまに! ほんまになんでもないから!」
俺は必死になって真優から半歩離れた。
俺の必死さが伝わったのか、真優は長い息を吐き出すと「しゃーなしやで?」と身を引き、そのまま背を向けた。
「ほら、早よ部活戻ろ」
「せやな」
俺は、ふっと口元に笑みを浮かべると「真優」と呼び止める。
「んー?」
「タオル、おおきにな」
そう言えば、真優はこちらを振り返って、柔らかくほほ笑んだ。
「どういたしまして」
爽やかな風が背中を押す。
俺は一瞬、空を見上げると足を一歩踏み出した。
そう思った俺は、外の水道で顔を洗う。
みぞおちの辺りが重くて、気持ち悪い。
やけど、冷たい水が頭に上った血を冷やして、幾分か冷静さを取り戻す。
なんやねん、腹立つ。
別に白石がええ奴なんも分かってる。
やのに……。
俺は大きなため息を吐くと、蛇口をひねって水を止めた。
勢い任せて顔洗ったけど、タオル忘れたな、なんて。
そんなことをぼんやり考えていると、不意に横からタオルがさし出される。
驚いて、そちらを向けば真優が「使うやろ?」と小首を傾げていた。
「……おおきに」
礼を返すものの、声は不機嫌そのもの。
真優は一瞬面食らったような顔をしたかと思えば、すぐにふくれっ面になって「なんやの、それ」と続けた。
「せっかくタオル持ってきたったのに!」
「せやから、ちゃんと『おおきに』言うたやん」
「めっちゃ不機嫌そうな声でな?」
真優はそこまで言うと、腕を組みふいっと視線を逸らす。
――まあ、今のは俺が悪い。
悪いとは思うけどっ!
真優の組まれた腕を見て、先ほどの光景がよみがえってしもた。
俺はぎりっと歯ぎしりをする。
それから、そっぽを向く真優の腕をつかんで、ぐっと自分に引き寄せる。
途端に真優が驚いて目を丸くした。
「え?」
小さく漏れた彼女の声に、やってしもた、なんて心臓に氷水流し込まれて。
真優の手首つかんどる自分の手が、わずかに揺れた。
それでも、止まれなくて。
「……こうやって、誰にでも触らせるん?」
自分の意に反して、口から言葉がこぼれ出る。
「……は?」
開いた口が塞がらんっちゅーのは、このことなんやろな。
全くわけ分からんみたいな表情を向けられて、俺は苦し紛れに口を開いた。
「クラスでも、白石とばっか喋りよるし」
「え?」
「俺のことは避けとるくせに」
「ちょっ」
困惑する真優をさらに自分に引き寄せる。
くんっと近くなった視界で、絶対目逸らさせへんって見つめて――ぽつりと言葉がこぼれ落ちた。
「真優は――白石のこと好きなん?」
言うた瞬間、胸の奥がぎゅっと痛む。
もし、それで「そうや」言われてしもたら、俺どないすんねんよ。
沈黙が風に乗る中、ぽつりと真優が口を開いた。
「……いや、何言うてはんの?」
返ってきた返事につかんでいた手の力がわずかに抜ける。
「なんでそうなるんよ」
「やって、さっきも触られて嫌な顔してへんかったやん」
「白石くん、部長やもん。うち、新米マネージャーやから、分からんこといっぱいあるよって」
真優はそこまで言うと、眉間に皺を寄せて首を傾げる。
「それに、触られたって……何?」
「や、さっき自分こけそうになって」
「支えてくれただけやん」
真優は思い返すように宙を見上げたあと、小さく息を吐き出して俺を覗き込む。
なんや、真優の圧が強い。
「それ言うなら、こないだ階段から落ちたとき謙也くんが支えてくれたやん。アレは?」
「アレは! ああせな真優ケガする思て!」
俺は憤慨するように声を上げた。
「そやな。ケガするし、下手しい死んどった」
真優は言い聞かせるように、俺の目を真っ直ぐ見る。
「やから、謙也くんがおってくれてよかった! って、思ててんけど」
気が抜けたのと同時に、完全に手の力が抜けた。
真優はするりと俺の手から抜け出すと、むっと頬を膨らませ後ろ手に組んだ。
「なに?『触れた! よっしゃー』とかでも、思てたん?」
予想も全くしとらんかったことを口にされ、途端に顔が熱くなる。
――そんな下心一ミリもないわっ!!
「はあああ!? そ、そんなん思てへんわ!!」
「……どうだか」
真優はわざとらしく肩をすくめる。
ため息と同時に、ずいっと手を伸ばして思いっきりデコピンしてきた。
「痛っ!」
あまりの痛さに、俺は思わず額を押さえる。
――なんや、めっちゃ痛いっ!
は? なんでや?
呻く俺に真優は人差し指を立てて凄む。
「ピアニストの指筋なめんなや」
怒ってるんか分からんけど。
その姿が、どうしても小動物の威嚇にしか見えなくて、無意識に口角が上がってしまう。
ただ、今笑い声を上げたら、多分めっちゃキレられるのも分かっとる。
「なにニヤけてんの?」
「いや、なんも……」
俺は口元を手で隠しつつ返す。
華奢な身体で俺を叱り飛ばす真優に、心の中のもやもやはいつの間にか随分と小さくなっとった。
真優はしばらく怒ったように眉間に皺を寄せとったけど、ややもすれば「あかんわ」と気の抜けた声で、眉間をぐにぐに押さえ始める。
「怒り慣れてへんから、怖い顔すんのしんどい」
それから、真優はちらりと俺を見ると困ったような表情を浮かべる。
「やから、謙也くんももう怒らんでよ」
なんや、まだ怒ってはる? そう続ける真優に俺の胸のもやもやはすっかり晴れていた。
――なんや、俺の勘違いやったんか。
ふっと肩の力が抜けて、自分があほらし過ぎて笑てまう。
夏の風が赤くなった頬の熱をそっと奪っていく。
――俺、白石に嫉妬しとったんやな。
そう理解した瞬間、急におかしくなってきて、俺はふはっと吹き出した。
「なんや……ははっ!」
「そうか、せやな。自分新米マネージャーやもんな」
堪えきれず肩を震わせる。
「馬鹿にしとる?」
真優が怪訝な表情を浮かべ、口を尖らせるもんやから、俺は慌てて「してへん、してへん!」と否定する。
一息つき真優を真っ直ぐ見ると、俺は頭を掻いて続けた。
「ただ、俺が勘違いしとっただけや」
真優は「勘違いって……」と唸る。
「分からん。何のことやの」
「なっ!? いや、それは。な、なんでもないっちゅー話や!」
早口でそう告げれば、真優が一歩俺に近付いて、本音を探ろうと覗き込んでくる。
「ほんまに! ほんまになんでもないから!」
俺は必死になって真優から半歩離れた。
俺の必死さが伝わったのか、真優は長い息を吐き出すと「しゃーなしやで?」と身を引き、そのまま背を向けた。
「ほら、早よ部活戻ろ」
「せやな」
俺は、ふっと口元に笑みを浮かべると「真優」と呼び止める。
「んー?」
「タオル、おおきにな」
そう言えば、真優はこちらを振り返って、柔らかくほほ笑んだ。
「どういたしまして」
爽やかな風が背中を押す。
俺は一瞬、空を見上げると足を一歩踏み出した。