6話:家族
西日が低くなって宵の明星が顔を出す。
部室で「謝りに行く」と言ったものの、謙也くんは最初「大丈夫やって! そんなんええって!」と慌てていた。
やけど、それやったら私の気が済まへんと察してくれたみたいで、こうして私は謙也くんと連れ立って歩いている。
二人きりの帰り道、なんて別の意味で緊張するんやろけど、事情が事情だけにそんな空気は一ミリもなくて。
私は少しだけ前を歩く謙也くんのうしろを、腕を組んで歩く。
時折、謙也くんは「歩くん速ない?」と気遣って振り返ってくれる。
「大丈夫。速ないよ」
そう答える私の頭の中は、正直このあとの謝罪でいっぱいやった。
謙也くんの親御さんってどんな方なんやろ。
……大事な息子傷付けられて、そら怒らはるよなぁ。
そんなことを考えて、気が重くなる。
もっとも、お母さんが手を上げなければよかっただけの話なんやけど。
それに――。
私はちらりと謙也くんを見やった。
こうやって、誰かの家に謝りに行くんは初めてやない。
前の学校でも――もっと小さいときにも……。
初めて謝りに行ったのは、小学校に入ってすぐの頃。
お母さんがその子の前で、私を怒鳴り散らして――その子、怖なってもうて外出れんくなってしもて。
ただ、謝るしかできなくて。
でも、私を見たら怖がるからって『もう来んといてくれ』って釘刺された。
あのときも、きつかったけど……。
今日は、自分以外が傷付けられたから、余計に苦しい。
また『もう関わらんといてくれ』って言われるんやろな。
ズキっと胸が痛くなって、そっと手を添えた。
ほんま、貧乏くじ。
不意に謙也くんの足が止まる。
なんやろ? と思って顔を上げたら、振り返った謙也くんと目が合うた。
「ここ、俺ん家」
――いや、お家おっきいな……。
庭付きの一軒家。
よくある一軒家の二倍くらいの大きさ。
ついでに言うなら庭には一面芝が張り巡らされていて、綺麗に整えられている。
そう言えば、お父さんお医者さんやとか言ってたっけ?
唖然としつつ、私は門扉を開けた謙也くんのあとに続く。
謙也くんが玄関を開けて「ただいまぁ」と言うと、リビングの方から「おかえりー」という声が聞こえてきた。
多分、謙也くんのお母さん。
途端に緊張で顔が強張る。
そんな私を見て、謙也くんは小声で「大丈夫か?」と覗き込んでくる。
私は薄いながらも笑みを張り付け、頷いた。
きっと、大丈夫じゃないのは見抜かれているけれど、謙也くんは言葉を飲み込むと声を上げた。
「おかん! ちょおこっち来てくれんー?」
「えー? 今忙しいんに」
少しだけ、面倒くさそうな声と共に、こちらに向かってくる足音が聞こえてくる。
リビングの扉が開いた。
「もー、なんなん? お母さんもさっき帰ってきたばっかで忙しい……っ!?」
謙也くんのお母さんが私たちを視界に入れた途端、足が止まった。
目が見開かれている。
そら、ほっぺ真っ赤に腫らした息子が立っとったら、そんな反応になるよなぁ。
「あ、あの――っ!」
思い切って声を上げた瞬間、謙也くんのお母さんはリビングに戻っていった。
「お父さん!! 謙也が――謙也が女の子連れてきた!!」
思いもよらない言葉に、一瞬で頭の中が真っ白になった。
「……え?」
隣からは謙也くんの長いため息が隣から聞こえる。
彼は額を押さえるとぼそりと呟いた。
「こうなるから嫌やってん……」
そうこうしているうちに、リビングから慌てた様子の足音が二人分、聞こえてくる。
「や、あんたっ! こんな可愛ええ女の子連れてきて!」
謙也くんのお母さんが謙也くんの背中を思い切り叩く。
「いった」
確かにバシンッて、結構ええ音したな。
「お前」
謙也くんのお父さんの視線が私に向けられ、それから謙也くんに戻った。
「やるやんけ」
想定外の反応に、私は先ほどまで考えていた謝罪の言葉の一切が頭から消し飛んでしまった。
なに、この状況?
それから、あれよあれよという間に、私は忍足家のリビングに腰掛けていた。
「すまんな。うちのおかんとおとん、キャラ濃くて」
謙也くんがたじたじになって、私の耳元に囁く。
私は思わず小さく笑って「楽しそうな家族やなぁ」と告げた。
「それで? 謙也、この子は?」
謙也くんのお母さんが人数分のお茶を入れてくれて、四人で向き合って座る。
謙也くんは、ちらりと私を見るとすぐに視線をお父さんとお母さんに戻した。
「小鳥遊真優さん言うて、クラスと部活が同じ子」
「ほんで?」
お母さんの目がにやりと細められた。
「付き合うとんの?」
途端に謙也くんが椅子から立ち上がって、真っ赤になって答えた。
「つ、つつつつ付き合うてないわ!」
そんな謙也くんを見つつ、彼のお父さんがお茶をすすって一言。
「やけど、この子お前好みやろ?」
瞬間、謙也くんが固まった。
どうやったって、照れて真っ赤になったのが隠せへんくらい赤くなっとる。
なんなら、頬の赤みさえ紛れてしまうくらい赤くて……もはや暑そう。
思わず見上げれば、音を立てて目が合って――勢いよく逸らされた。
「うっさい! 黙れおとん」
「なんでやねん、事実やろ」
「ほんま、ええ加減にせぇよ!」
「自分には正直になった方がええで?」
「いや、もう……。ほんま勘弁してください」
謙也くんは顔を両手で覆うとしゅるしゅると小さくなって、椅子に座り直す。
私より大きいはずの謙也くんが小さく見える、なんて呆気に取られとったら、不意に「それで?」と謙也くんのお母さんが続けた。
「どういうことなんやろか?」
穏やかな声音に乗った怒気に、空気がピりついた。
謙也くんのお母さんに真っ直ぐに射抜かれる。
口元は笑とるけど、目の奥が冷たい。
「あ……」
喉がカラカラに乾いて、声が張り付いた。
謙也くん家に入る前に覚悟しとったやん。
息子、傷付けられて怒らんわけないんよ。
思わずテーブルの下で拳を握る。
同時に、謙也くんが「おかん!」と諫めるけれど。
私は謙也くんを一瞥すると「ええんよ」と口を開いた。
「やけど……っ」
「ちゃんと、自分言うさかいに」
心配そうな視線を向ける謙也くんにそう告げると、私は小さく息を吐き出して、謙也くんのご両親に向き直った。
「急にお邪魔してしまって、すみません」
努めて冷静に話そうとするものの、膝の上で私の手は震えている。
そんな様子に気が付いたのか、謙也くんのご両親は一瞬見合わせ、神妙な面持ちになって私を見た。
「今日、私の母が謙也くんのことを叩いてしまって」
「謙也くんに怪我をさせてしまいました。すみません」
私は頭を下げる。
深く息を吸い込んでいるはずなのに、肺が満たされる感覚がない。
ゆっくりと吐き出した息が揺らいで消えた。
「母が叩こうとしたのは私で――」
「でも、謙也くんが庇ってくれて。それで、その……」
情けない。
なんで、こんなことせなあかんのやろ。
怪我をさせてしまった手前、謝るのはそうなんやけど。
そもそも、怪我をさせるような行動、普通に生きとったら取らへんやん。
テーブルの下で手を握る。
私は椅子から立ち上がると、改めて深々と頭を下げた。
「本当にすみませんでした」
沈黙が流れる。
ふとごはんの炊ける香りがして『あったかいお家なんや』と、自分の意思に反して心臓がつねりあげられた。
恐る恐る頭を上げれば、驚いたように目を見開くご両親と、謙也くんの視線が刺さる。
謙也くんのお父さんが「まあ、座り」と私を促す。
私は頭を一つ下げると、再び椅子に腰掛けた。
謙也くんのお母さんの視線が謙也くんに向けられた。
「あんた、叩かれたんってそこ?」
そう言って、お母さんは謙也くんの左頬を指さす。謙也くんは「おん」と短く答えた。
それから、謙也くんのお母さんは私に視線を向けた。
私は思わず、目を伏せる。
「うちの子は男の子やから、そんなに気にせんといてな」
優しい声だった。
予想外の言葉に心の緊張がゆるゆるとほぐれていく。
謙也くんのお母さんの言葉に同調するように、お父さんが声を上げる。
「キミがやったんやないんやろ?」
「……はい」
「せやったら、キミのせいやないで」
思わず視線を上げれば、穏やかにほほ笑んでいる謙也くんの両親の姿があった。
それから謙也くんを見ればニッと笑って言った。
「だから言ったやろ?『大丈夫や』って」
低く笑う謙也くんの声が胸の奥の張りつめた糸を切った。
視界が否応なしに滲み始める。
――泣きそう。
喉の奥が熱くなって、息を吸うたび鼻の奥がつんと痛む。
「よかったらうちでごはん食べてき、真優ちゃん」
お母さんの声は、冬の日に差し込む夕陽のように柔らかかった。
「えっ、いや、それは……っ」
「ええやん」
謙也くんが笑う。
「真優のおかん、まだ落ち着いてへんかもしれへんやろ」
今、私、どんな顔をしてるんやろ。
笑っとるのに、目の奥がじんわり熱い。
どうして、この人たちはこんなにも――あたたかいんやろう。
部室で「謝りに行く」と言ったものの、謙也くんは最初「大丈夫やって! そんなんええって!」と慌てていた。
やけど、それやったら私の気が済まへんと察してくれたみたいで、こうして私は謙也くんと連れ立って歩いている。
二人きりの帰り道、なんて別の意味で緊張するんやろけど、事情が事情だけにそんな空気は一ミリもなくて。
私は少しだけ前を歩く謙也くんのうしろを、腕を組んで歩く。
時折、謙也くんは「歩くん速ない?」と気遣って振り返ってくれる。
「大丈夫。速ないよ」
そう答える私の頭の中は、正直このあとの謝罪でいっぱいやった。
謙也くんの親御さんってどんな方なんやろ。
……大事な息子傷付けられて、そら怒らはるよなぁ。
そんなことを考えて、気が重くなる。
もっとも、お母さんが手を上げなければよかっただけの話なんやけど。
それに――。
私はちらりと謙也くんを見やった。
こうやって、誰かの家に謝りに行くんは初めてやない。
前の学校でも――もっと小さいときにも……。
初めて謝りに行ったのは、小学校に入ってすぐの頃。
お母さんがその子の前で、私を怒鳴り散らして――その子、怖なってもうて外出れんくなってしもて。
ただ、謝るしかできなくて。
でも、私を見たら怖がるからって『もう来んといてくれ』って釘刺された。
あのときも、きつかったけど……。
今日は、自分以外が傷付けられたから、余計に苦しい。
また『もう関わらんといてくれ』って言われるんやろな。
ズキっと胸が痛くなって、そっと手を添えた。
ほんま、貧乏くじ。
不意に謙也くんの足が止まる。
なんやろ? と思って顔を上げたら、振り返った謙也くんと目が合うた。
「ここ、俺ん家」
――いや、お家おっきいな……。
庭付きの一軒家。
よくある一軒家の二倍くらいの大きさ。
ついでに言うなら庭には一面芝が張り巡らされていて、綺麗に整えられている。
そう言えば、お父さんお医者さんやとか言ってたっけ?
唖然としつつ、私は門扉を開けた謙也くんのあとに続く。
謙也くんが玄関を開けて「ただいまぁ」と言うと、リビングの方から「おかえりー」という声が聞こえてきた。
多分、謙也くんのお母さん。
途端に緊張で顔が強張る。
そんな私を見て、謙也くんは小声で「大丈夫か?」と覗き込んでくる。
私は薄いながらも笑みを張り付け、頷いた。
きっと、大丈夫じゃないのは見抜かれているけれど、謙也くんは言葉を飲み込むと声を上げた。
「おかん! ちょおこっち来てくれんー?」
「えー? 今忙しいんに」
少しだけ、面倒くさそうな声と共に、こちらに向かってくる足音が聞こえてくる。
リビングの扉が開いた。
「もー、なんなん? お母さんもさっき帰ってきたばっかで忙しい……っ!?」
謙也くんのお母さんが私たちを視界に入れた途端、足が止まった。
目が見開かれている。
そら、ほっぺ真っ赤に腫らした息子が立っとったら、そんな反応になるよなぁ。
「あ、あの――っ!」
思い切って声を上げた瞬間、謙也くんのお母さんはリビングに戻っていった。
「お父さん!! 謙也が――謙也が女の子連れてきた!!」
思いもよらない言葉に、一瞬で頭の中が真っ白になった。
「……え?」
隣からは謙也くんの長いため息が隣から聞こえる。
彼は額を押さえるとぼそりと呟いた。
「こうなるから嫌やってん……」
そうこうしているうちに、リビングから慌てた様子の足音が二人分、聞こえてくる。
「や、あんたっ! こんな可愛ええ女の子連れてきて!」
謙也くんのお母さんが謙也くんの背中を思い切り叩く。
「いった」
確かにバシンッて、結構ええ音したな。
「お前」
謙也くんのお父さんの視線が私に向けられ、それから謙也くんに戻った。
「やるやんけ」
想定外の反応に、私は先ほどまで考えていた謝罪の言葉の一切が頭から消し飛んでしまった。
なに、この状況?
それから、あれよあれよという間に、私は忍足家のリビングに腰掛けていた。
「すまんな。うちのおかんとおとん、キャラ濃くて」
謙也くんがたじたじになって、私の耳元に囁く。
私は思わず小さく笑って「楽しそうな家族やなぁ」と告げた。
「それで? 謙也、この子は?」
謙也くんのお母さんが人数分のお茶を入れてくれて、四人で向き合って座る。
謙也くんは、ちらりと私を見るとすぐに視線をお父さんとお母さんに戻した。
「小鳥遊真優さん言うて、クラスと部活が同じ子」
「ほんで?」
お母さんの目がにやりと細められた。
「付き合うとんの?」
途端に謙也くんが椅子から立ち上がって、真っ赤になって答えた。
「つ、つつつつ付き合うてないわ!」
そんな謙也くんを見つつ、彼のお父さんがお茶をすすって一言。
「やけど、この子お前好みやろ?」
瞬間、謙也くんが固まった。
どうやったって、照れて真っ赤になったのが隠せへんくらい赤くなっとる。
なんなら、頬の赤みさえ紛れてしまうくらい赤くて……もはや暑そう。
思わず見上げれば、音を立てて目が合って――勢いよく逸らされた。
「うっさい! 黙れおとん」
「なんでやねん、事実やろ」
「ほんま、ええ加減にせぇよ!」
「自分には正直になった方がええで?」
「いや、もう……。ほんま勘弁してください」
謙也くんは顔を両手で覆うとしゅるしゅると小さくなって、椅子に座り直す。
私より大きいはずの謙也くんが小さく見える、なんて呆気に取られとったら、不意に「それで?」と謙也くんのお母さんが続けた。
「どういうことなんやろか?」
穏やかな声音に乗った怒気に、空気がピりついた。
謙也くんのお母さんに真っ直ぐに射抜かれる。
口元は笑とるけど、目の奥が冷たい。
「あ……」
喉がカラカラに乾いて、声が張り付いた。
謙也くん家に入る前に覚悟しとったやん。
息子、傷付けられて怒らんわけないんよ。
思わずテーブルの下で拳を握る。
同時に、謙也くんが「おかん!」と諫めるけれど。
私は謙也くんを一瞥すると「ええんよ」と口を開いた。
「やけど……っ」
「ちゃんと、自分言うさかいに」
心配そうな視線を向ける謙也くんにそう告げると、私は小さく息を吐き出して、謙也くんのご両親に向き直った。
「急にお邪魔してしまって、すみません」
努めて冷静に話そうとするものの、膝の上で私の手は震えている。
そんな様子に気が付いたのか、謙也くんのご両親は一瞬見合わせ、神妙な面持ちになって私を見た。
「今日、私の母が謙也くんのことを叩いてしまって」
「謙也くんに怪我をさせてしまいました。すみません」
私は頭を下げる。
深く息を吸い込んでいるはずなのに、肺が満たされる感覚がない。
ゆっくりと吐き出した息が揺らいで消えた。
「母が叩こうとしたのは私で――」
「でも、謙也くんが庇ってくれて。それで、その……」
情けない。
なんで、こんなことせなあかんのやろ。
怪我をさせてしまった手前、謝るのはそうなんやけど。
そもそも、怪我をさせるような行動、普通に生きとったら取らへんやん。
テーブルの下で手を握る。
私は椅子から立ち上がると、改めて深々と頭を下げた。
「本当にすみませんでした」
沈黙が流れる。
ふとごはんの炊ける香りがして『あったかいお家なんや』と、自分の意思に反して心臓がつねりあげられた。
恐る恐る頭を上げれば、驚いたように目を見開くご両親と、謙也くんの視線が刺さる。
謙也くんのお父さんが「まあ、座り」と私を促す。
私は頭を一つ下げると、再び椅子に腰掛けた。
謙也くんのお母さんの視線が謙也くんに向けられた。
「あんた、叩かれたんってそこ?」
そう言って、お母さんは謙也くんの左頬を指さす。謙也くんは「おん」と短く答えた。
それから、謙也くんのお母さんは私に視線を向けた。
私は思わず、目を伏せる。
「うちの子は男の子やから、そんなに気にせんといてな」
優しい声だった。
予想外の言葉に心の緊張がゆるゆるとほぐれていく。
謙也くんのお母さんの言葉に同調するように、お父さんが声を上げる。
「キミがやったんやないんやろ?」
「……はい」
「せやったら、キミのせいやないで」
思わず視線を上げれば、穏やかにほほ笑んでいる謙也くんの両親の姿があった。
それから謙也くんを見ればニッと笑って言った。
「だから言ったやろ?『大丈夫や』って」
低く笑う謙也くんの声が胸の奥の張りつめた糸を切った。
視界が否応なしに滲み始める。
――泣きそう。
喉の奥が熱くなって、息を吸うたび鼻の奥がつんと痛む。
「よかったらうちでごはん食べてき、真優ちゃん」
お母さんの声は、冬の日に差し込む夕陽のように柔らかかった。
「えっ、いや、それは……っ」
「ええやん」
謙也くんが笑う。
「真優のおかん、まだ落ち着いてへんかもしれへんやろ」
今、私、どんな顔をしてるんやろ。
笑っとるのに、目の奥がじんわり熱い。
どうして、この人たちはこんなにも――あたたかいんやろう。