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りつあん

仕事を終えた瀬名泉は休憩室で一息ついてから帰ろうと考え、休憩室の扉を開ける。
休憩室の時計を確認すると時間は夜九時を回ったところだった。
ほとんどの医者はもう帰っている時間だ。
仕事も終わらしてるし、ソファーを独り占めしてゆっくりしても誰も文句は言わないよねぇ。
そんなことを考えて、休憩室にあるソファーへと視線を向ける。
「先客がいる……って、くまくんじゃん」
ソファーに横になり寝息をたてている黒髪の青年。朔間凛月は夜だというのに珍しく眠っている。
瀬名泉とは同じ年齢だ。高校の時からの仲である。ただ、朔間凛月は一年留年しているため、瀬名泉の方が一年先輩になる。
「ちょっとくまくん。今日は当直でしょ。寝てていいの~?」
瀬名泉はオペ着のままの凛月の肩を叩く。凛月は煩わしそうに薄目を開ける。
「なんだ、セッちゃんか。俺は今、幸せな睡眠を満喫してんの。邪魔しないでよね~」
「はぁ? くまくんまだ仕事中でしょ。寝てたらダメにきまってんでしょ~」
背を向けた凛月の背に向かって言うと、凛月は片手を上げてひらひらと振る。
「俺はさっきまで手術に入ってたの。俺を起こしたいならあんずを連れてきてよねぇ。あんずに膝枕してもらって撫でてもらったら元気でて起きるかもねぇ……」
白衣のポケットに入れていたスマホが振動する。それを取り出し画面を見る。メールが来ていた。
「……」
「だいたいセッちゃんは俺に厳しすぎ。もうちょっとあんずみたいに優しくしてよ」
「俺は十分優しいでしょ。これ以上優しくしてとかちょ~うざい」
メールに返事を打ち込みながら凛月が横になっているソファーの前の椅子に座る。足を組み、こちらに顔を向けようともしない凛月にため息をつく。
「ところで、くまくん。携帯は? 病院のじゃなくて自分の方」
「ん…ん~? ああ、充電切れてそのま、ま……ぐぅ……」
「ちょっとぉ、人が聞いてることぐらいちゃんと答えてよねぇ。……ふうん」
スマホをポケットにしまい、凛月の肩を揺らす。
「ちょっとくまくん。飲み物買って来て。ほら起きた起きた」
「ええ……やだよ。セッちゃんが行けばいいでしょ……」
「俺、くまくんの先輩でしょ。先輩の言うことは聞くものって知らないの? あ、駐車場の近くの自販機に行ってよね。飲み物は任せるから」
「セッちゃん強引すぎ……。人使い荒い鬼……わがまま……」
「俺が笑っている間に行ってきた方がいいよぉ。くまくん。そろそろ怒るから」
「はぁ。仕方ないなぁ」
「よろしく言っといてねぇ」
「は?」
よくわからない言葉の意味を聞く前に目の前の扉がバタンと閉まった。

「うぅ~~さむっ。セッちゃんほんと人使い荒いんだから……」
薄いオペ着が外の冷気を遮ってくれるわけもなく、凛月は震えながら自分の腕をさする。
「……セッちゃんが一番飲まなさそうなやつにしてやろう」
自販機の前でどれを買おうか悩んでいると、その頬に暖かいものが当てられる。
「うわっ」
「凛月くん。こんばんは」
「んっ、え? あんず??」
ホットの缶コーヒーを持ったあんずがそこにいた。鼻も頬も赤く染まり、寒そうではあるがそこには嬉しそうな笑顔がある。
「なんであんずがここに? 一人できたの?」
「うん。凛月くん今日当直でしょ。メールしても返事がなかったから、瀬名先輩に凛月くんがどうしてるか教えてもらったの。そしたらここで待っててってメールがきたから」
「なるほどねぇ。なーんかおかしいと思ったらそういうこと」
「それでね、差し入れを持ってきたよ」
はいどうぞと渡される紙袋。その中にはお弁当らしきものと水筒が入っているのがわかる。
「水筒はお味噌汁入ってるよ。まだ冷めてないと思うけど冷たかったら温めてのんで──」
「あんず~~っ!」
持ってきたものを説明するあんずの声を遮り、ぎゅっと抱き締める。
「ん、あんずですよ」
凛月の背に手を回すあんず。ぽんぽんと子供をあやすように背中を叩く。
「あんずあったかいねぇ。ぽかぽかだ」
「カイロばっちり貼ってるから。凛月くんもいる?」
「あんずがいるから大丈夫。このまま病院に持ち帰ってもいいかなぁ」
「それは」
「ダメに決まってるでしょ~。くまくん」
「げっ。セッちゃんじゃん。なぁに、俺とあんずのイチャイチャを見に来たの? 物好きだねぇ」
寒さに険しくなっていた表情がさらに険しくなる。
「そんなわけないでしょ。むしろその逆。邪魔しに来たの。くまくん、また呼び出し。仕事中ぐらいちゃんと携帯持っていってよねぇ。俺がでるはめになったじゃん」
「セッちゃん……空気読んでよ」
「そんなこと俺に言わないでくれる? いいでしょ、あんずに会えたんだから。元気でたでしょ~」
「ええ~~まだ足りない」
「凛月くん」
今度はあんずがぎゅっと抱きついてくる。
「これで元気だして頑張ってきて」
見上げてくるあんずの笑顔のかわいさに、凛月は顔を覆い、小さな声で「頑張る」と頷くことしかできない。
「あんず、もう遅いからタクシーで帰ってよね。絶対、約束だからね」
「俺、もう帰るしついでに送ってあげるよ。それの方がくまくんも安心でしょ」
「…………セッちゃん」
「なに? お礼なら今度ご飯おごってよね」
「あんずに手出したら許さないから」
「人の彼女に手を出すわけないでしょ! ちょ~うざいっ!」
あんずに手を振り、凛月は疲れなんて感じさせない笑顔で手術室へと向かった。
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