みじかいの

「あー……疲れた」
 それは普段なかなか聞くことのない少年の弱音だった。否、もっと簡単で雑然としたものだ。愚痴と表現した方が正しいのかもしれない。
 繰り返すようでもあるのだが、若くしてこの騎空団の団長を務めるこの少年が、人前でこのような姿を晒すことはまずあり得ない。それを自分に見せてくれている事実は、ランスロットにとって何物にも代えがたい優越感だった。
 どうしても背伸びをする場面を強いられる立場だから、ガス抜きをしたくもなるだろう。祖国の騎士団に於いて団長を務めるランスロットにも思うところはある。だからこそ、気の置けない相手として自分が選ばれていると思うと、心が浮き足立つものだ。
「ほら」
 ランスロットが両手を広げ、視線で促す。するとグランは雪崩れ込むようにして、その腕の中に身を預けた。

 セツブン、という行事は、グランサイファーにユエルやジンといった異国の文化に詳しい者がやってきてから毎年始めたことだ。曰く、一種の悪霊払いのようなもので、季節の変わり目には邪気が生じるという言い伝えらしい。この邪気を鬼と見立て、鬼は外、福は内という掛け声と共に豆を撒き、歳の数ほど豆を食べる。これを厄除けとするのだと言う。
 神事としては細かく場所や風土による違いがあるようだが、家庭では大人が鬼を、豆を撒く役割は子供が務めるのが一般的らしい。
 とすればグランが撒く側でも何らおかしくはないのだが、まさに鬼の意味を持つジョブ、オーガの存在が仇となった。今はもう普段の空色のパーカーに着替えているのだが、よって年少組を相手に鬼役を務めあげた後、今に至っている。

「団長をするのも大変だな」
「ランスロットだって団長じゃないか」
「ここでは俺は団長ではないからなぁ」
 甘えさせてもらってるよ、と付け加えると、グランは何を言うでもなくぐりぐりと頭を擦り付けてきた。おそらく「ずるい」とでも言いたかったのだろう。かわいいものだと思う。
 形のいい後頭部に手を添え撫でてやると、その動きがぴたりと止まった。

「……みんな楽しんでくれたかな」
 それは不意に漏れたグランの本心だった。
 
 この艇に乗ることを選んだ者が、グランに対してそんなことを思っているはずはない──ランスロットはいつだってそう言い切る準備はできている。ただ今回に限らず、グランはいつも心のどこかにそういった漠然とした不安を抱えているのだろう。それを少しだけ自分に見せてくれるのなら、自分も適切に返したい。

「みんなの表情を見ていれば一目瞭然だ」
 ランスロットは努めて優しく語りかけると、少しだけ抱き締める腕の力を強くした。
「……そっか。そうだといいな」
 グランもまた、自分を包み込む広い背中に手を回す。大好きな人の匂いに包まれると安心することを知ったのは、ランスロットとそういう関係になってからだ。

 きっと誰もが肯定してくれる。
 だけどそれならこの人がいいと思うようになった。
 甘えているというか、わがままになってきている気もする。

 グランは一度、その自分の変化についてランスロットに訊ねたことがある。すると彼はその美しい顔で「嬉しい」と答えてくれた。まだ足りないとも言っていた。グランが徐々にランスロットに弱い面を見せられるようになったのはそれからのことだった。
 こうして少しずつ、遠慮のようなものが減っていったとグランも自覚している。そしてグランもまた、ランスロットにとってそんな存在でありたいと思っている。何せ一回りも歳が違うのだ。自分に受け止められるかはわからないけれど、何かできることがあればと常に思っている。
 けれどそれは、その、そういうことはまた少し話が違うんだけどなぁ、と、グランは先程まではなかった違和感に気付いてしまった。


「……あの、あたっ、てる、んですけど」
「はは……悪い。あんたがあんまりかわいいから、正直生殺し状態だったんだ」
 その整った美しい顔でそんなことを言わないでほしい。さらにぐり、と布越しに割れ目に押し付けられ、グランの体がびくりと小さく跳ねた。
「あと今日の夕食の……エホウマキ、だったか? この小さい口でいっぱい頬張ってただろう?」
 ランスロットはグランの顎に手をかけ、指先で柔らかな唇をノックする。思わず口を開いたが最後、口内に指が侵入してきた。
「ん、んぅ、ンー!!」
「一日の終わりに俺のことも喜ばせてほしいんだが……駄目か?」
 言っていることとやっていることが滅茶苦茶だ。口の中を蹂躙されている息苦しさと、悲しいかなこんなことをされて感じるようになってしまったふわふわの思考回路では怒ることもままならない。
 しかも捨てられた子犬のような顔で見つめてくるのだから、この顔に弱いグランは結局首を縦に振ったのだった。



(オーガのままやってもらえばよか……っ!? 悪かった! 歯を立てないでくれ!)


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