そこそこ長いの


 グランはどこか落ち着かない様子で助手席に座っていた。
 シェロカルテからの紹介で初めて乗ったその乗り物は、空を行く騎空艇とは全く違うものだった。強いて言うならば走艇に近い気もするが、そこまでのスピード感はない。実際、今も窓からの景色を適度に認識することができている。
 曰くこれから馬車に代わっていくもので、「車」という乗り物なのだそうだ。試しに乗ってみないかとの提案を受け、今に至っている。

 シェロカルテから用意された車は黒色の塗装の光沢が艶やかで、ボックスタイプという形の物なのだと言う。その名の通り箱形のそれは、(ドラフについては現在も設計中らしいが)成人男性でも6人はゆったりと乗れる広さだ。
 座席も外観と同じ黒の皮張りで、新品独特の匂いがする。これはグランも防具などで経験のあることだった。
 しかし車内にいるのはグランともう一人、ハンドルを握っているジークフリートだ。


「成る程、これは素晴らしい発明だな。乗る人数の問題はこれから開発が進めば解決されるだろう」
「それにしてもジークフリートさん、運転が様になってますね」
「いや、これまでの乗り物と比べ、驚くほどに簡単だからな。グランでも全く問題ないはずだが……」
 グランは常々、ジークフリートという人間に出来ないことなどないのではないか?という印象を抱いているが、これに関しては謙遜の言葉も出てこなかった。ましてや走艇の運転も経験しているグランにとっては簡単すぎるようにも思えたのだが、故に運転者には年齢制限を設けているのだと言う。

「団長さんすみません~! ご覧の通りとっても簡単に動かせてしまうので、悪用や事故の可能性も考慮して、運転許可証の発行は十八才以上という運用を考えているようなんです~」



「はぁ~僕も動かしてみたかったなぁ!」
「だが、こればかりは仕方がないだろう。試作段階なら尚更な」
 宥めるようにジークフリートの大きな手のひらがグランの頭を撫でる。けれど右手はハンドルを握り運転を続け、視線も正面を向いたままだ。
 グランはその横顔をじっと見つめていた。

(かっこいいなぁ……)

 その感想は大人の男性への単純な憧れでもあり、そして恋人の新たな表情へのときめき、いわゆる胸キュンという現象だった──そう、実はこの試乗は、普段騎空団の依頼でなかなかそういった時間を設けられない二人にとってのデートも兼ねていたのだ。
 特に鎧を脱いだ普段着のジークフリートの姿は貴重なもので、黒いTシャツから覗く鍛え上げられた腕を横目にするのもグランにとっては目の毒だった。
 身の丈ほどある大きな剣を振るうその腕が、自分を抱き締めるときの感触をグランはもう知っている。そして隣からふわりと漂う香水とジークフリート自身のにおい。それから座席のレザーのにおいが混ざり合った車という密室の中にあって、グランはまるでジークフリートの腕の中にいるような錯覚すら覚えていたのだが。
「……そんなに見られると、照れるな」
 已然として顔を見られることはないジークフリートの言葉に、グランはハッと我に返った。  
「えっ? あっ僕……そんなに見てました?」
「ああ、体に穴が開くかと思ったぞ」
 くつくつと楽しげに笑うジークフリートに対し、グランの体は小さく縮んでいく。自覚がなかったことを指摘され、恥ずかしさで死んでしまいそうだと思った。
「ごめんなさい……」
「いや……謝るのは俺の方なんだ」
「えっ?」
 窓の外を見ると、辺りはすっかり日が落ちていた。それにも気付かないほどにジークフリートの顔ばかり見ていたのかと思うと、グランの羞恥心はさらに増していく。
 そんなグランの様子を余所に、ジークフリートは辺りを見回す。人気がない場所であることを確認すると、森の手前にある拓けた場所で車を止めた。
「ジークフリートさん? ここは?」
「……宿まで待つつもりだったんだがな、俺も自分が思っているより堪え性がないらしい」
 ジークフリートはシートベルトを外し、長身を屈めてグランに覆い被さった。
 そして助手席のシートレバーに手を掛けると、リクライニングに合わせてグランをそっと押し倒す。
「ジー、ク、フリート、さん……」
「お前にあんな熱視線を向けられては運転どころではなかったぞ」
 狭い車内で、吐息が触れるような距離で囁かれ、グランはぞくりと背中が粟立つのを感じた。暗くてよく顔は見えていないが、こうされたことも、自分を見つめる視線の意味も察した。
 グランは瞳を閉じた。顔が近付いてくるのがわかる。いよいよ唇と唇が触れる、大好きなジークフリートさんの香りが──

(……あれ?)

 違うと、気付いた時にはもう遅かったのかもしれない。
 目を開き、そこにあった姿にグランは絶句する。

「ベリ……アル……?」
「クク……やっと気付いたか? 特異点」

 ジークフリートさんの顔は暗くてよく見えなかったのに──ニタリと妖しく微笑む堕天司の顔は、恐ろしいほどにはっきりと認識できてしまった。


「なん、で、お前が……ここに……そうじゃない! ジークフリートさんは!? どこにやった!?」
「おいおいオレの前で違う男の話をするのはよしてくれよ。折角久しぶりに会いに来てやったんだから、もっと楽しいことをシようぜ? な?」
 グランはベリアルから逃れようと必死に抵抗するが、体を密着されて手首をシートに押さえ付けられた状態で、ベリアルの体はびくとも動かない。
「大体いつから隣にいたのがあの男だと思ってたんだ? 最初からオレだったかもしれないんだぜ?」
「なっ……」
「クッ……ハハハハハ! いい顔だな特異点……その顔見てるだけで達しそうだ!……だが思わぬ収穫があったからなァ、焦らしプレイとイこうじゃないか」
 グランは未だ状況が飲み込めないまま、呆然とベリアルの言葉を耳にし続けた。聞きたくないのに、それも許されない。そしてベリアルは、呼吸すら忘れたかのように絶望の表情を浮かべるグランの頬を慈しむように撫でた。
「ソドミーを知っていたなら早く言ってくれよ。自慰も知りませんみたいな顔してるくせにあの男に股開いてたんだなァ……クハハハっ! しかも運転している間早く抱かれてぺニスが欲しくて欲しくて仕方ないって顔でオレのこと見てたもんなぁ? ククッやっぱ最高だよお前! ……いや、グラン!!」
「違っ……!」
「違わないだろ? 遅かれ早かれそうなることを最初から期待してたくせにさぁ……そうやって純情ぶるのもプレイなのか? だったら大した策士だなァ……」
「違う違う違う!! そんなことよりいい加減離れろ!! お前を倒してジークフリートさんを探す……ッ」
「おいおいそんな冷たいこと言うなって。オレ上手いぜ? オレのこれで天国に連れてってやるから……なぁ?」
 ベリアルはグランの手を自らの股間に導いた。既に主張を始めているそこへの刺激に甘い息を漏らすベリアルとは対照的に、グランは嫌悪感を顕にする。
「ッ……最悪だ……」
「言うねぇ。けど、もう暫くすれば最高になるんだからさァ……オレの目を見ろ、特異点」
 ベリアルはグランの顎を固定し、鼻と鼻が触れるほどの距離でグランの目を見つめ──魅了の術を施した。
「やっ……ぁ、あ……」
「ま、これだけ動揺していれば特異点と言えども造作もないな。さて……」
 グランの目からは光が消え、もう抵抗する気配もない。それどころかベリアルが半開きの小さな口に舌を差し込むと、それに応えるようにくちゅりと絡めてくる。
「成る程、仕込まれてるのが逆にそそるなァ……ックハハ!」
 もうグランの耳に、ベリアルの高笑いも届いていなかった。
 絶望に魅入られ、何もわからないままベリアルがもたらす快楽だけを体が拾っていく。

「いい夢見せてやるよ……特異点」

 何が夢で何が現実なのかわからないまま、グランは一瞬だけ、焦がれて止まないあの大きな背中を見た気がした。
 そしてそれが夢かどうかもわからないまま、グランは堕天司の腕の中で啼いた。


 



 
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