そこそこ長いの


「んんー! 今日もたくさん遊んだな……!」
 腕を上げ、大きく背伸びをするのと同時に、グランは感嘆の声を上げた。それからぐっと体に力を入れて一気に力を抜く。その瞬間の脱力感がたまらなく心地いいのだ。


 朝からルリア達と思いきりアウギュステのビーチを堪能したグランは、砂浜をひとりで歩いていた。
 ルリア達は着替えに手間がかかるからと、一足先にシェロカルテの用意してくれた宿に戻ってしまっていたのだ。特に今年はロゼッタに何かを感化されたようで、彼女の考える「女の子らしさ」とやらをとても心掛けているようだった。そんなことしなくても……とグランは思っているのだが、ルリア本人が楽しんでいるのだからそれに越したことはない。また今年もそんなルリアと、そして団員達と楽しい思い出が作れているという実感を噛み締めていた。


 時刻は少しずつ日が落ちてくる頃、まだ夕焼けとまでは言わないが、真上にあった太陽は随分海に近付いてきている。それでも尚、サンバイザーが意味を為しているのかわからないほどの日差しがグランの濡れた肌に照り付けていた。ヘルエスからもらった日焼け止めを塗ってはいるが、海に入ればやはり多少は落ちてしまう。遊んでいる間は夢中で気付かなかったが、海水でベタつく肌にこの日差しはなかなか酷だった。
(早く帰ろう、シャワー浴びたい)
 グランがそんなことを考え始めたその時だった。



「おーい! 団長!」
 正面から声を掛けてくる人影がこちらに近付いてくる──それは普段の鎧姿ではなく、彼もまたビーチ仕様のラフな装いに身を包んだランスロットだった。
「ランスロット! いつアウギュステに?」
「ああ、ついさっきだ。フェードラッヘの書類仕事を片っ端から片付けて飛んできた」
 俺だって折角のアウギュステでのバカンスを楽しみたいんだ、と付け加えてニッと笑ったランスロットに、グランも思わず釣られて笑った。あまりにも整った顔立ちと精悍な立ち振舞いとは裏腹に、案外子供っぽいところがある。実はその方が本来のランスロットだと知る人物はそう多くはないだろう。
「あんたはもう宿に戻るのか?」
「うん。ルリア達が先に戻ってるから僕ひとりになっちゃったし」
「そうか……」
 確かに時間も時間だ。これからひと遊び終えたグランのことを独り占めするには少々準備不足だと、ランスロットはこの騎空団の面々の顔をいくつか思い浮かべた──今日は仕方がない、まだ明日から時間もある。今こうして二人きりで砂浜を歩けているのだからよしとしよう。そんなランスロットの下心をグランは知る由もなく、落ち着かない様子で自分の腕を触っていた。
「どうしたんだ? さっきからずっとそうしているが……虫にでも刺されたのか?」
「いや、虫じゃないんだけど……海に入ってたから体がベタベタしてるなと思ったらなんだか落ち着かなくて……」
 ああ、とランスロットはその心情を察した。同じような経験はある。例えば紙で指を切ってしまった時、その違和感が小さな傷口を見た瞬間一気に大きくなる。気にしたら負けなどという言葉もあるが、気にし始めるともう止まらない。
「そうなんだ。だから早く冷たいシャワー浴びたくて仕方なくってさ」
「成る程……」
 ふむ、とランスロットは自分の顎に指を掛ける。よくある考え事をしているときのポーズだ。そして自分の両手をまじまじと見つめると、何度も握っては開いてを何度か繰り返していた。
「ランスロット、どうかした?」
「……よし。いけそうだ。団長、俺にいい案がある」
「案?」
 聞き返された通り、別に案でも何でもない。たまたま自分が水の力を得意としていて、やはりグランとビーチでのアウトドアを早く楽しみたかった。なのにもう帰るのはもったいない。それだけのことだ。

 ランスロットは掌に魔力を集中させる。さっきのイメージをそのまま、戦闘の時のように凍らせぬよう、冷気のコントロールには細心の注意を払った。そして礫になる前に、一気にグランに向けて放出する。
「うわっ!? 冷たっ!! 急に何っ、ひっ、やだっ、やめっ!」
「よしっ!」
 水に姿を変えたランスロットの魔力がグランの体を濡らしていく。よしじゃないよ!と抗議の声は聞こえるがお構いなしだ。

 ランスロットは本音を言えば、例えば波打ち際で海の水を掛け合うような、そんなことがしたかったのだろうと、どこか冷静に自分のことを見ていた。これまで海とあまり縁がなかったが故の心情の変化というだけなのかもしれない。しかし、好いている相手といかにもなことをしてみたい、という願望が二十七にもなってまだ自分の中にあったのか……と思うと気恥ずかしかったが、腑に落ちてしまったのも事実だった。
「どうだ? さっぱりしないか?」
「いや、確かに冷たくて気持ちいいけどちょっと、もう! っははは……!」
 グランは咄嗟に腕でガードの姿勢を取ったが、そんなものは意味を成さなかった。ならばこちらも、と対抗するプランが頭を過ったが、暫くデンキンナギの討伐に明け暮れていたため今の自分には水の魔力を使う術がない。完全に防戦一方だ。
「ねえランスロット! それもっと普通にシャワーみたいにできない?」
「ああ、鍛練すればおそらく可能だが……折角の休暇なんだ。この方が楽しいだろう?」
 ランスロットの瞳がギラつく。こうなるともう止められない。かつてイタズラ好きとしても名を馳せた神童の輝きは霞むことなく、ガードの緩んだグランの顔面へと狙い通りに水流がヒットした。
「ぶふっ!?」
「どうだ? これはシルヴァ殿の奥義を参考にしてみたんだが」
「んっ……鼻に水入った……やりすぎだよもう」
 グランはスンと鼻を啜りながら忙しなく顔を拭う。
 もう属性なんてどうでもいい。仕返しのひとつでもしてやらないと気が済まない──ところだったが、わざわざ自国の仕事を終わらせてここまで来てくれたことを思うと強く出られないのが、グランという少年の性分だ。
 この時期、フェードラッヘで騎士団長としての仕事があるとは元々聞いていた手前、誘わない方がよかったのかもしれないという懸念も少しだけ抱いていたのだ。それは全くの杞憂だったようだが、こんなにも楽しそうなランスロットを見ていると、まぁいいかという気分になってくる。
 そしてどういうわけかそれと同時にむずむずと込み上げてくる何かがあった。これは、あれだ。
「……へ、は……ハクションっ!……あ」
 くしゃみだった。
 おそらく鼻を啜りすぎたのと、冷水を浴び続けて体が冷えたのだろう。そういえばと辺りを見回せば、ほとんど日も暮れて空と海は綺麗なオレンジ色だ。心なしか外気も肌寒い気がする。
「っ……すまない! やりすぎてしまったな」
 我に返ったランスロットは両腕で自らの体を抱くグランに駆け寄る。そして謝罪と心配を込めて肩に伸ばした手がどういうわけか空を切った。グランの体が突然後退したのだ。

「そうだやりすぎだ、ランスロット。そしてお前達、いつまで遊んでいる」
「お前……パーシヴァル」
 グランを挟んで目の前に立っていたのは、あまりにもよく知る人物だった。バカンス仕様の軽装に身を包んではいるが、ランスロットを怪訝そうに見つめる眉間の皺は普段と変わらない表情だ。
 パーシヴァルはグランを背後から引き寄せ……いや、抱き寄せているような体勢だった。その腕の中で突然の来訪者とその距離感からグランはキョロキョロと首を動かし、背後の頭ひとつ分高い位置に問いかける。
「パーシヴァル、どうしてここに」
「お前がなかなか帰ってこないとルリア達が心配していたからな。様子を見に来てみればこの有り様だ。ランスロット、貴様どういうつもりだ?」
 かつて同じ釜の飯を食い、そして紆余曲折の末今もそうしている自分に対して貴様はないだろう。加えてこの剣幕だ。本当にわかりやすい。
「さっきフェードラッヘから着いたばかりなんだ。そうしたらちょうど団長に会えたものでな、早速休暇を堪能させてもらっていたところだ」
「ほう? それで団長は鼻を啜るほど凍えていると?」
 明らかに棘を含んだパーシヴァルの物言いにランスロットのこめかみがぴくりと動く。
 グランは二人の間に挟まれてとにかく戸惑っていた。よくわからないが、とても穏やかではないことは理解できる。
 ランスロットが羽目を外すほどに騎空団に合流するのを楽しみにしてくれていたらしいことと、パーシヴァルが自分を心配して様子を見に来てくれたこと。何故この二つの出来事が重なってこうなっているのか。
 それは他でもないこの少年の存在故なのだが、少年はそんなことを知る由もない。しかしこの場の空気はなんとか変えねばならないと、グランが慌てて口を開いた。
「パーシヴァル! ほんとに大丈夫だからさ。僕も水の装備してたらやり返してたから」

「っはは! 流石団長だな、やはりそうこないと」
「お前達……! 揃いも揃って全く……」
 パーシヴァルは大きく溜め息を吐いた。どうにもこの二人は自分とは違う感性で意気投合するところがあるとは思っていたが、いざ目の前で見せつけられると実に面白くない。そしてこの光景を面白くないと感じる心境の理由にも心当たりがあるものだから尚更だ。
 だからこうして体に魔力を巡らせているのも、見せつけてくれたランスロットへの意趣返しなのだ。

(……あれ? あったかい?)
 グランはすぐにその変化に気付いた。パーシヴァルに触れている部分の温度が明らかに違うのだ。
「こちらを向け」
「んっ……」
 言われるがまま体を反転させると、頬を大きな両手で包まれた。熱くはない、心地のいい温かさだった。普段は容赦なく目の前の敵を焼き尽くすそれが、自分に対してこんな風に向けられている。そう思うとなんだかとても気恥ずかしい気もしたが、グランはパーシヴァルのそんな優しさこそ彼らしいと思っている。
「……何をニヤついている」
「ニヤついてないよ。ありがとう、パーシヴァル。もう大丈夫」
 そう言ってパーシヴァルから離れたグランを見て、ランスロットはホッと肩を撫で下ろした。同期と想い人がいい雰囲気になっている現場など、これ以上見せつけられては堪ったものではない。
 しかし、グランの行動を見るに自分にも可能性があることは明らかだ──ただしそれは相手も同じ条件のようだったが。

 そのまま宿屋へ向かって歩き始めた少年の背中に、赤と青の騎士は目を細める。
 夏の太陽よりも熱いその視線に少年はまだ気付かない。彼の心を焦がす日が果たして来るのか──それはまだ先の話かもしれないし、案外そうでないのかもしれない。




「残念だったな」
「……何のことだ?」
「さぁな」
「フン……」
「相手は強敵だからなぁ。お前は下がっていてもいいぞ?」
「ほざけ。その言葉、そのままお前に返す」

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