Young

亜久津君と会話を交わすようになった日から、私はただ消費するだけだった日々が楽しくてしょうがなかった。

彼はいつのまにか私の名前を覚え呼ぶようになり、私の交友関係や家庭環境も何となく察したようだった。
そんな数少ない理解者である亜久津君が、コンビニに来なくてひたすら待ち惚けする事も何度かあった。けれど私はそれさえ楽しかった。友人達とイライラしながら暇つぶしの先輩達の迎えを待つのとは大違いで、私は純粋に彼を待ち続けることができた。
来なくてもけして憤怒したりしない。また明日を楽しみに、帰宅したりそのまま遊びに行ったり。私は恋をする難しさと共に楽しさも覚えていった。

原付の盗み方だとか、あの人は怖いから気をつけろだとか。大人になってから何の役にもたたないような悪い事ばかりを教える先輩達よりも、私を心配してくれる亜久津君が好きだった。私がもう少しもう少しと、一緒に居たいが為にこねる駄々にも亜久津君はけして耳を傾けなかった。
まだ帰りたくない、わがまま言わないで帰れ、でも、仕方ねえから送ってやる。
そう言いくるめられ私は首後ろを掴まれた猫のようにおとなしくなり、何度か自宅前まで送ってもらったりもした。
その帰り道に交わす会話は些細な事だった。この前初めて補導された、遅刻したから給食だけ食べて帰った、今日は学校で先生に怒られた。
そんな私のどうでもいい日常を、彼は隣で大した返事もせずに聞いている。先生や親みたいに叱らない、悪い友達や先輩みたいに面白がることもない、亜久津君は肯定も否定もしなかった。ただ話を聞いてくれている、私はそれだけで幸せだった。
送ってもらい自宅に到着した時、部屋にあがる?そう訊いても首を横に降り、指に挟んだ煙草の煙を揺らして去っていく亜久津君を私はいつまでも見ていた。



亜久津君はたまに顔や身体に痣や傷を作ってくる事があって、誰と喧嘩したのか、どこでしたのか、勝ったのか。問いかけても詳しい事は何1つ教えてくれなかった。お前には関係ない、関わんな。その一点張りで何も話は進まない。
その度に私は信用されていないような、侘しい気持ちに襲われたけれど何も言えなかった。きっと彼なりに知られたくない事があるのだろうと、私は気にしないようにしていた。
ある日、いつも通り夜のコンビニで来るかどうか分からない亜久津君を待っていた時。
15分待ち、もう来ないのかと思い帰宅しようとした時。暗闇の住宅街からバイクが走る音が聴こえた。誰か来るのかなと住宅街の方に目を向けると、音の通り一台のバイクがコンビニの駐車場に進入した。ライトが私の方に向いた一瞬眩しくなる、私は思わず目を細めた。
目の前の駐車場に止まったバイクはライトを消し、明るくなった辺りは店内からの光だけとなった。マフラーからは白くなった排気ガスが寒空に溶けていく。バイクの運転手はエンジンを切り、辺りは静寂に包まれた。ヘルメットを脱いだ彼の髪型は少しへたれていて、彼は頭をかきながら私と視線を合わせた。

「亜久津君!」

「お前、まだいたのかよ」

もう帰ろうと思ってたんだけど、そう呟くと彼は小さく笑った。シートに跨ったままの亜久津君に私はゆっくり近づいて、彼が乗ってきたバイクをまじまじと見た。これ誰の?、俺の。自慢もせずに平然と亜久津君は返事をした。

「亜久津君、ちゃんとバイクも免許も持ってるんだ」

「俺をなんだと思ってんだよ」

「盗んだバイクで走り出すのかと思ってた」

うるせえよ、亜久津君は口角を上げて私に笑いかけた。鼻も耳も寒さで赤くなっている彼の笑顔。あぁやっぱり私は亜久津君が好きだと、こんな些細なことで恋心を再認識させられる。

「いつもこの時間に亜久津君来ないじゃん。どうしたの?」

「お前が待ってたら笑ってやろうと思ってわざわざ来てやった」

亜久津君のその言葉を聞いてから、冷たかったはずの顔が熱を持ち赤くなるのが自分でも分かった。ニヤついたのがバレないように顔をそらして目を伏せた。それを見た亜久津君の小さな笑い声が聞こえる。
ちらりと横目でバイクを見る。亜久津君が運転するバイクに乗れたらどれだけ幸せだろうか。まるでベタな少女漫画のような映像を頭に思い浮かべながら、私は赤いままの顔を上げた。

「ねぇ、このバイクに乗りたい」

「無理だな、お前の分のヘルメットがねえ」

「いつも友達と原付ノーヘルで乗ってるから平気だよ」

「馬鹿、危ねえからやめとけ」

バイクを見つめる私の頭に手を置き、亜久津君は髪をぐしゃぐしゃにして頭を撫でた。
突然の事に心臓が跳ねた。さっきまで亜久津君の後ろで、この大きなバイクに乗る事を夢見ていた。けれど頭を撫でられてどうでもよくなってしまった、私は亜久津君に上手く誤魔化されたのだ。
私は今、亜久津君が煙草に火をつけるのを誰よりも近くにいて見つめている。亜久津君が私に「見てんじゃねーよストーカー」、そう言ってライターに火を灯した。私は素直に頷き、静かに笑う彼が咥えた煙草を見ていた。





行きたくもない学校に登校するか、このまま二度寝をするか。暖かい布団の中で私は夢現のまま考える。
携帯を見ると時刻はもう10時を過ぎていて、授業はとっくに始まっている時間だった。携帯には何度か友達から着信があり、同じクラスの彼女に登校するか聞いてから決めようと電話を折り返した。
3回目のコールが鳴る前に彼女との通話は繋がり、いつもとは違う焦り気味の声で彼女は私に話しかけた。泣き声に近い言葉を話す彼女に驚きながら、私は聞き逃さないように必死に携帯を握った。


「先輩が原付を盗み捕まった、それを私達のせいにされた」
電話越しに泣き出す彼女の言葉を要略するとこういう訳だった。
私や彼女達が便利屋として使っていた例の名前も知らないなんとか先輩が、原付を盗み警察に捕まったらしい。その時に「彼女達が主犯です」、そう言い訳をしたようだった。
何とか決めた高校進学が無しになるかもと心配をして泣く彼女とは裏腹に、私は散々先輩達で遊んだバチが当たったのだとどこか他人事のように考えていた。
やってないから大丈夫。泣きやまない彼女にそう何回も声をかけ、落ち着いた後に電話を切った。
結局登校するかどうか決める事が出来なかった私は、布団の中で先生や親に叱られる事を鬱陶しく思いながら目を閉じた。電話が切れて静かになったタイミングを見計らったように、親が私の部屋の扉をノックした。扉越しに学校から呼び出しがあったことを告げられた私は、登校するために嫌々ベッドから起き上がった。



学校に着いた頃にはどの教室も授業の真っ最中だった。上履きを履いてすぐ、私は自分の教室ではなく職員室に向かった。原付なんて盗んでいないのに、先生に呼び出された私は不満を募らせていた。
小さくノックをした扉を開けて職員室に入室すれば、神妙な面持ちをした先生達の中の一人が私の顔を見るなり怒鳴ってきた。
何をやったか分かっているのか、何もしてないです、嘘つくんじゃない。
否定をしても普段の行いが悪いからか、先生達が私の言うことを信じてくれる様子は全く無かった。あぁこんな事なら学校なんて来なければよかったと、私は否定し続けながら心底思った。
高校にも今回の事は連絡しておくから。
先生は反抗ばかりする私に苛立ちながら帰るように促した。今さっき登校したばかりだったけれど、私は立腹したまま職員室を飛び出した。
この件がもし問題視されたら。山吹の高等部には通えなくなって、亜久津君の後輩にはなれなくなって。
授業中だからか静かすぎる廊下を歩きながら、頭に浮かんでくる最悪の事態を私は何度も想像した。なんとかしなければいけない、そんな想いも一緒に抱えながら。




その日の夜はどうしても亜久津君に会いたかった。
どうか神様彼に会わせて下さいと、私は小走りしながらいつもは信仰しない神にお願いをした。21時前の外は寒くて白い息があがる、それももう毎日の事だった。
薄暗い住宅街の中でコンビニの光が見えた、私は小走りをやめてそっと歩いた。
真っ先に外に置かれた灰皿と駐車場を見る。駐車場には停まった数台の車と共に、一台だけエンジンのかかったバイクが停まっていた。マフラーから白い煙があがっているそのバイクの横で、煙草を吸う人物が誰なのかを確認して私は息を整えた。走って乱れた前髪を手櫛で整える、それを彼はちらりと見た。

「亜久津君、今日早いね」

バイクに乗ってきたから?
彼に近寄ってバイクを見る。アクセル部分にかけられたヘルメット、シートに置かれた亜久津君のヘルメット。2つのヘルメットを見て誰かと一緒に乗ってきたのかなと、私は勝手な憶測をした。

「なんかあったのか」

「え、なんで分かったの?」

「いつもの馬鹿面じゃねえ」

「うそ、変わんないと思ったけど」

亜久津君はまだ長さのある煙草を灰皿に捨て、ハンドルにかけていたヘルメットを私に差し出した。

「仕方ねえから話聞いてやる」

早く乗れ、亜久津君はいつもの低い声で私に指図をした。
差し出された白い手にすがるように、私は腕を伸ばしてヘルメットを取った。
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