今はまだ曖昧な


(亜久津も夢主も成人済み設定)


冬特有の、あの人恋しさは何なのだろう。たいして好きでもない人と付き合うのは何故なのかと、周りの友人を見て不思議に思っていたけれど今ならその気持ちも少しだけ分かる気もする。
なにもこんな雪がちらつくような寒い季節じゃなくても。こんな日に私は、一人になってしまった。


「今までありがとう。お互い幸せになろうね」
真っ黒だったスマホの画面に、軽快な電子音と共に彼氏からのメッセージが表示された。この文字を見るからに、最近の不穏な話し合いの結果が彼の中で出たのだろう。彼氏だった男はたった今「元彼」となり、私は彼氏持ちでもないただの「女」となった。
元彼となった男のメッセージを既読してすぐ、電話帳を開いた私は一番上に登録された人物に電話をかけた。3コール目が鳴り終わった後、「何だ」と冷たい言葉を口にした仁に今空いてる?そう訊いた。





「だから言ったろ。ああいう男はお前には向いてねえって」

「会って第一声がそれ?」

「ざまあみろ」

そっちの方が最悪!どこか楽しげに鼻で笑う仁に、私はため息をついた。耳と鼻を赤くした仁が居酒屋のドアを開き、入り口近くの席に座っていた私を確認した。暖房が効いた暖かいお店の中に外の冷気が入り込んで、その寒さに思わず腕を組んで身を屈める。
いらっしゃいませ、やる気に満ち溢れた挨拶をしてくれた店長らしき店員を仁はちらりと見て、そのまま私と対面になるよう座った。
上着を脱ぐ仁の髪を見ると毛先に水滴が付いていた。雪降り始めたんだ、仁の髪と同系色の水滴を見て、私は帰りの電車が止まらないかどうかの心配をしている。
仁は脱いだ上着を隣の空席の椅子に掛けて座り一言。

「やっぱりふられたのか」

肘を机につき彼は笑いながら私に問いかけた。いいタイミングでおしぼりとお通しのキャベツを持ってきた店員に、私は仁の分のビールと自分の好きなお酒を頼んだ。

「ふられてないよ、私がふったの」

私が意地を張って言った言葉に、注文を取った店員さんが去り際に少し笑った気がした。

「原因は」

「価値観が合わないって言ってた」

「お前、性格ガキだからな」

「あ、それ彼氏も言ってた」

机の端に置かれた安っぽいおしぼりを二枚取り、一枚は仁に渡した。音も立てずに静かに破けたそれは、まるで破局したばかりの傷ついた私の心を表すようでなんだか惨めになった。

「もう彼氏じゃねえだろ」

仁が再度笑いながら呟いた言葉に、やだ聞きたくないやめて。手のひらでわざとらしく耳を塞いで、私は小さくため息をついた。




お待たせしました!これまた私とは正反対の、元気な笑顔の店員がお酒を運んできてくれた。
ありがとうございます…、私は店員の笑顔に負けながら小さくお礼を述べた。

「いつまでも落ち込んでんじゃねえ」

少しずつ耳と鼻の赤みが緩和されていった仁は、眉間にしわを寄せながらビールの入ったジョッキを持ち私の方に腕を伸ばした。私は再度ため息をつきながら自分のグラスを手に取り、カチン。ガラス同士がぶつかる音を仁と奏でた。

振り返ってみれば、付き合っていた彼は顔の整った男だった。それでいて優しく、友達が多く、性格も明るく、女の子にモテる。典型的な良い男だった。そんな彼と私が付き合うと仁に報告した時、仁はいい顔をしなかった。
本当に付き合うのか、そうだよ付き合うからね。
仁がふーん、と表面上だけ納得したような素振りの、空返事をしていたのを私はやけに鮮明に覚えている。
だから付き合っている最中に彼と喧嘩しただの、彼が他の女の子と連絡をとっているだの、そういう類の相談を仁にしてもいつも最後には「お前にあいつは無理」。仁は軽く茶化すように私に言いつづけた。
それが今、仁の言う通りの結果となってしまった私は。悔しくもあり、苦しくもあり、わりと落ち込んでもいる。

「上手くいくと思ったのになぁ」

暗い気持ちとは裏腹に、テーブルの上に並んだお酒とご飯は素晴らしいものだった。このお店の唐揚げがまた美味しいのだ、本来なら仁ではなくて元彼と来店していただろう。そう空想にふけりため息をつきながらも、食べ物をしっかり頬張る私を見て仁は呆れていた。

「お前にあいつは無理」

「なんでいっつもそう言うの」

「まず見た目からして釣り合ってねえ」

「………確かにイケメンだったけどさ」

「それにあいつ、最初から他に女いるだろ」

仁の言葉の返答につまり、何も言えなくなった私は黙って仁を見つめた。
ほらな、そんな不満げな様子で水滴のついたジョッキの中のビールを、仁は殆ど一気に飲み干した。私はまた落ち込みながら机の端にあるベルを押して店員を呼び、仁が飲みきったジョッキを渡して店員に再度ビールと適当な食べ物を注文した。たしか仁はこれが好きだったはず、そう思い出しながら。
そういう所は気がきくのにな。褒めたのか貶したのか分からない、目の前に座る仁を私はわざと軽く睨んだ。

「そういう意地悪な事ばっかり言うから、仁は彼女ができないんだよ」

「前に知らねえ女に告白された時に、嫉妬してた奴はどこの誰だよ」

「嫉妬なんかしてないし」

「お前の事だなんて一言も言ってねえ」

もーうるさいな!怒りながらも顔が火照った気がする、だって耳まで熱い。
お前、本当に飽きねえ。小さく笑った仁に再度照れた私は、視線をそらしてビールが運ばれてくるのを待った。




テーブルの上で空になったグラスとお皿を店員さんが片付けて「ごゆっくりどうぞ」、そう言われてから20分は経った。スマホの画面の時計を見ると24時前で、そろそろお店をでないと終電がなくなる、そんな時間だった。
目の前に座る仁はわりと沢山のお酒を飲んだというのに、ここに来た時とテンションも見た目も何一つ変わらなかった。まだまだ余裕そうなのがまたむかつく、私はわりと酔っているのに。

「もう帰るぞ」

仁が椅子に掛けた上着に腕を通し始め、私は腑抜けた相槌を打ち鞄と上着、それから伝票を持ち先に席を立った。
店員のいるレジに伝票を差し出すと背後から仁がやってきて、彼は五千円札をレジ前の受け皿にそっと置いた。驚いて振り返ると相変わらず愛想の無い整った顔の仁が、早く会計しろと言葉ではなく視線で私を急かした。

「いいよ私が誘ったんだから」

「うるせえ黙って受け取れ」

「悪いからいいよ」

「お前がフラれた記念にやる」

「ならムカつくけど記念に有り難く頂きます」

レジに立つ店員はこんなやりとり日常茶飯事なのだろう、対した反応もせずに笑顔で会計を待ち続けた。すみませんお待たせしました。一言謝り、足りない分の会計をして私達は店を後にした。




「あー、さむーい」

ピリピリと肌をつつくような寒さに暖まった体が冷え始めた。店を出てすぐ、急いでポケットに手を入れると隣で歩く仁に肘が当たった。
彼は当然の様に何も言わず、私も特に謝りもしなかった。ご馳走様でした、私が頭を下げてお礼を言うと別に。仁はいつも通りの無愛想な返事をして白い息を吐いた。
雪はちらほらと降ったりやんだりを繰り返し、傘を持っていない私達は水っぽい雪を頭や肩に乗せて歩いた。ちらりと横目で仁を見ると、立ち並ぶお店のライトが仁の髪に落ちた雪を照らしてキラキラと輝かせていた。
私の視線に気がついた仁がなんだよと、眉間にしわを寄せるのを見て私は返事もせずに前に視線を戻した。

「次、仁がふられたら私が奢ってあげるね」

「次なんてねえよ。誰かと違ってふる方だからな」

一言多い奴。呟き下を向いて歩くと頭の上から仁の低い笑い声が聞こえた。あぁ仁の隣で歩いていた頃は毎日こうだったと、過去に少しだけ浸りながら雪が積もらない道を歩いた。

「なんでクリスマス前にふるかなぁ」

「やっぱりお前がふられたのか」

「あ、いや、今の嘘」

「すぐバレる嘘つくんじゃねえ」

さっきも認めて会計しただろ。
咄嗟にごまかした私の言葉にすぐにつっこみをいれた仁は、再度私の方を見てまたすぐにそっぽを向いた。今度は私がなんだよと、仁の顔を見たけれど目線は合わない。

「だからあいつにお前は勿体ないって忠告してやっただろ」

「そんな言い方してないじゃん」

「変わんねえよ」

全然違うよ。
仁の言葉の本当の意味を理解したところで、元彼にふられた事実は変わらないのだ。中途半端に傷つけられたこの心が癒えるのは、長い時間が経つか新しい恋をした時かどちらかだろう。
けれど、いくら人恋しくても、誰かからアプローチを受けても。別れて直ぐに違う男の人と付き合うのは何かに負けた気がして嫌だし、ましてや前に付き合っていた恋人と寄りを戻すなんて。
そんなもやもやとした気持ちを抱えながら、今私は仁の隣を歩いている。

「誰かいい人紹介してよ」

仁の言葉をごまかそうと、つまらない冗談を口にした。隣の仁は怪訝な顔をして、白い息と共に呟いた。

「元彼に紹介してもらおうとすんな」

そうだよね。あははと声を出して笑えば、付き合っていた頃と同じような時間が流れていた。どこかにご飯を食べに行って、楽しく喋って、仁がつっこんで、私が笑って。
確かにこうやって過ごしていたのを、友達同士になってやっと懐かしく思えている。

「どこかに真剣に好きになってくれる人いないかな」

「お前を真剣に好きになる男なんか俺以外いねえよ」

「じゃあ何であの時別れようって言ったの」

これに対して返事をしなかった仁に、私は顔を上げて小さく睨んだ。背景として見えた空からは雪が降っていた。
眉間に皺を寄せながらセットされた髪を手でかき、舌打ちをした後に呟いた「めんどくせえ女」。そんな仁の言葉を私は無視をした。

「次は俺にしろ」

ひどく真剣に、甘い熱のこもった仁の言葉にうーん、と曖昧などっちつかずの返事を私は口にした。
ごまかすな。仁の笑い声にもまた適当な返答をして、スマホに表示された時間を気にした。終電まであと20分。駅まではあと5分。
ポケットの奥にしまい込んだ冷たい手を出して、恋人だった仁と手を繋ぐ勇気もお酒の勢いもなく私は。
仁の「家まで送る」の言葉に、ほんの少しだけ後ろ髪を引かれながら再度曖昧な返事をした。
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