★恋に浸る

(亜久津も夢主も荒れています、中1設定)


もう春を迎えたというのに、四月の深夜はいまだ寒かった。
午前一時の道路は人も車も音もない。昼間の姿とは違う無音の道を、私は一人で行く先も無くただ歩いている。いつも車でごった返している大通りとも言えない道路は、信号機が静かに赤く点滅しているだけだった。
一人だし、暇だし、お金無いし、行く当てないし。私は傷だらけの携帯と中身なんてほとんど入っていない財布を持ち、いつもはあまり出向かない道を歩くことにした。
歌い声が聞こえないカラオケだとか、あまりお客さんが入っていなさそうな居酒屋とか。平日だからかお客さんは少ないけれど、いくつかのお店が佇んでいた。さっきの何もない道路よりはよっぽど栄えていて、人がぽつぽつと歩いているここは無音の世界ではなかった。
少し向こうの雑居ビルの方に、煙草の火か何かの光が見えた。そのビルまで進み歩いて何気なくちらりと横見すれば、私と同世代のどこかで見たことのある男の子がビルの階段に座っていた。
誰だっけあいつ、どっかで見た事あるんだけど。私はいつのまにかチラ見どころかずっと彼の方を見ていて、視線に気づいた彼とついに目が合った。それを不快に思ったのか同世代の男の子は眉間にしわを寄せ、面白くなさそうに声をかけてきた。

「なんだよ」

見てんじゃねえよと彼は付け足して私を睨んだ。まだ子供に近い年齢なはずの、彼の眼力に一瞬だけ怖気づいた。けれど別に睨まれても怖くないよと私も睨み返し、彼に話しかけた。

「私達どっかで会ったことある?」

「ねえよ。誰だよお前」

私が無愛想に名前を告げても、彼は顔色一つ変えずに眉間に皺を寄せ知らないと呟いた。絶対にどこかで見たことある、その自信があった私は彼の顔をまだ見ている。
こんな深夜に一人で出歩いている同世代の女だからか、やはり私を変に思ったのだろう。彼は立ち上がりこの場を去ろうとした。その立ちあがった姿を見て私は彼が誰だったか、明確に思いだした。

「分かった、山吹中の一年でしょ?」

この前の入学式で見た。入学した沢山の新入生の中で一人だけ、銀髪で妙に浮いていた彼だ。私と違うクラスの列に並んでいて、背の高い彼は他の子より頭一つ分身長が飛び出ていたのが印象的だった。
みんながぶかぶかの新品の制服を着る中、一人だけ妙に丈があった制服を着ていたのを見た。背が高くて目立つのに、祝辞なんて聞かずに気だるそうに立っていた姿を確かに見たのを覚えている。

「だったらなんだよ」

「私も山吹に入学したもん、仲間じゃん」

「仲間じゃねえよ」

じゃあ知り合いで。そう言って笑った私に対して彼は黙っていた。
なんか言うことないの、不機嫌なのか元からこういう顔なのか。分からないまま率直に尋ねるとお前なんか知らねえよ。そう否定的な言葉を呟いたものの、彼はここを去ろうとしなかった。ほんの少しでも私と会話をする気になったのだろうか、まるで本心が見えない彼を私は面白く思った。

「明日学校なのに、こんな夜中に出歩いてていいの?」

「お前も学校だろ」

出歩いてもいいのかよ。彼は吸い終わった煙草を地面に捨てて、靴で踏み潰して火を消した。靴を退かせば黒くなったコンクリートと、潰れた吸い殻が見えた。
吸い慣れた様に見えたその動作は、未成年にとっては良いと言えない行為だった。けれど私にはキラキラと輝いて見えたその行為は、けして悪とは言い切れないものだった。

「煙草って美味しいの?」

「別に」

「一本ちょうだい」

吸ってみたい、そう呟き彼の横に立った私は好奇心に包まれていた。悪い事と分かっていながらも体験してみたい。本当に美味しいのか、どんな味なのか知りたい。その好奇心に勝てなかった。
彼は何も言わずにポケットからパッケージごと取り出し私に渡した。恐る恐る中にあった数本の中から一本取り出して、口に咥えた。それだけでなんだか悪い事をしたような気分になり、私は年相応に少しだけ高揚した。
彼が差し出してくれたライターのボタンをカチリと押し込み、煙草の先端に火をつけた。だがそう簡単に火は着かず、煙は立たなかった。

「息吸え」

そんな事も知らねえのかよ。薄く笑う彼になんだよむかつくと思いつつ、言われた通りに息を吸った。一瞬で煙草の先端が赤くなって光が灯り、煙が空へと上がっていった。そして加減が分からずにわりと多くの息を吸い込んだ私は、案の定煙にむせて咥えていた煙草を指で挟み口から離した。
それを見た隣に立つ煙草をくれた男は、だせえと呟いて小さく声をあげ笑った。

「何これ不味い!もう二度と吸わない!」

「どうせまた吸いたいって言い出すだろ」

この人笑えるんだ、そう思いながらも私は感じた事のない不快な口内の味を、今すぐになんとかしたいと悩んでいる。二口目を吸うかどうか悩み、先端の火を見つめていると彼は小さく呟いた。

「火消して、それ捨てろ」

遠くで赤いランプが光る車が見えた。恐らくパトカーだと彼は思い、私に教えてくれたのだろう。
私はまだ長い煙草を地面に落とし、先程の彼の動作を真似をして靴の裏で踏みつけた。靴を退かせば短い吸い殻と長い吸い殻、それから黒くなったコンクリート。
彼が長さの違う吸い殻二つを靴で蹴って、私達とは遠い場所に飛ばした。私は手に持っていた煙草とライターを、雑居ビルの隙間にバレないように投げ捨てた。
彼の勘はばっちり当たっていて、白と黒の二色で塗られた車が私達の近くで停車した。
私は特に焦ることも無かった、ちらりと横を見れば彼も平然としている。
補導されるねと私が笑えば、彼も地面を向き小さく笑った。車内から二人警官が出てきて、私達は「君達何歳?」の問いに素直に答えた。



彼の名前は「亜久津仁」と言うらしい。本人から聞いたのではなく、警官から渡された紙に彼が書いた名前を盗み見た。
煙草の匂いが私達の服に染み付いていたけれど、捨てた煙草は当然のごとく持ち物検査で見つからずにいた。警官も面倒だったのかあっさりと追求を辞め、私達の罪名はめでたく深夜徘徊だけになった。
警官からしっかりと説教を受けた亜久津と私は元より反省する気は更々なく、早く家に帰りたいと暇を持て余したくらいだった。
通っている中学の名前を聞かれて、山吹ではない家の近くにある市立中学校の名前を出した。多分ばれないだろう、そう思った私に乗っかり亜久津も同じ中学だと話を合わせていた。
嘘ばっか言ってる、そう思って笑いそうになったけれど我慢ができて良かった。どうせ一度目の補導で学校に電話が行く事はない、そんな謎の自信が私にはあった。

親の名前と電話番号が書かれた欄を見た警官のおじさんは、困った顔で私に話しかけた。

「君の親御さん電話に出ないんだけど」

「夕方から家にいなかったんで、多分両親二人ともどっかに行ってるんだと思います」

気怠く適当な返事をした私に対して、警官は更に困った顔をして弱ったな、と独り言を呟いた。
娘が補導されたのに、迎えにすら来ない親を持つ私の方が困ってるよ。私は行き場のない苛立ちを今、目の前の警官に向けている。
横の椅子に嫌々座っている亜久津も、私と同じく親の迎えを待っている。どうやら彼の親とは通話が繋がり、今警察署に向かって来ているようだった。


そのうちに亜久津の母だと名乗る凄く若い美人が部屋に入ってきて、ふてぶてしく椅子に座る亜久津を見るなり警官に頭を下げて謝罪していた。私はそれを少し羨ましく思い、何も言わずにただじっと見ていた。
警官が亜久津の母親に説教をしている間、彼女はずっと頭を下げ続けていた。自分の子供がやった事を懸命に謝罪していて、こんないい親なのに亜久津は何でグレてんだよと私は不思議に思った。
本人の亜久津は母親を見るわけでもなく、ただ不機嫌そうに椅子に座っている。それを見た私は、恐らく彼はそんな優しい母親に対して、鬱陶しいと憤りを感じているのだと何となく横目で察した。


警官の長い話が終わり、亜久津達は帰宅許可が出た。
再度警官に謝りお礼を言う亜久津の母親に、未だに不機嫌そうに椅子から立ち上がる亜久津、そしてどうしようも出来ず座り続ける私。

「君は親御さんと連絡を取れないと、どうしようもない」

引受人がいないと帰せない。別の警官が私にそう告げた。親が迎えに来ない限り、私はここで誰かの迎えを待つしかない。兄弟もいないし親戚も遠いし、親が私を迎えに来る希望は少なかった。
頭を下げ終わった亜久津の母親が、ちらりと私を見て警官にこう言った。

「この子、友人の子なので私が家まで送り届けます」

再度頭を下げた彼女は、親族じゃないと駄目だと渋る警官からなんとか許可を貰っていた。その間私は何も言えず、亜久津もただ立ち尽くしていた。話を終えた亜久津の母親は行こうと笑顔で私に声をかけ、驚きながらも私は彼女の指示に素直に従い警察署を後にした。




「仁が女の子と一緒にいるの初めて見た」

息子がこんな夜中に補導されたというのに、彼女は笑顔だった。一歩先を一人で歩く亜久津の後ろを私達は歩き、深夜の音も車も人も何もない、私の家付近に向かっている。幸いにも私の家は亜久津の住む家と同じ方向だったらしく、言葉に甘えて送ってもらう事にした。

「今さっき、初めて喋ったんです」

彼女の言葉の返事に詰まり焦る私は、文法があっているかどうかも分からないまま返答をした。
そうなんだ、と変わらず笑う彼女はとても綺麗だった。私の母親も、こんな優しい人だったらと亜久津を羨ましく思った。

「あの、亜久津のお母さん。引受人になってくれてありがとうございました」

「気にしないで。でもこんな夜中に出歩いたらだめ。男の子もだけど、女の子はもっと危ないから」

あとお母さんじゃなくて「優紀ちゃん」って呼んで。そう付け足した彼女に、私は叱られていたはずなのについ笑ってしまった。
親が迎えに来ない事に対して彼女は何も聞かず、私の家に着くまで雑談をしてくれた。山吹に入学した事、そこで見た亜久津が外にいたから会話をしていたら補導された事、優紀ちゃんが引受人になってくれて凄く嬉しかった事、親と上手くいっていない事。
私は自分の親には絶対に言わない本心を、亜久津の母親にぶつけた。彼女は仁は全然喋ってくれないから娘が出来たようで嬉しいと呟き、私との会話を喜んでいるようだった。

「私が何を言っても、仁は聞いてくれないから」

寂しそうに笑う彼女は何だか可哀想で、こんないい親なのにと先を歩く亜久津の後ろ姿を私は静かに見つめていた。


私の家に着いた。駐車場に車は無い、窓から見える部屋は暗いまま。
もう夜が明けそうなのに親は未だに不在だという事を、私は玄関の扉を開ける前に理解してしまった。それに苛立ち、悲しくなった私は早く家に入ってしまおうと優紀ちゃんにお礼を言った。

「もうこんな夜に出歩いちゃだめよ」

彼女は頭ごなしに叱るのではなく、優しくなだめるように私を叱った。優紀ちゃんの後ろに立っている亜久津は、イライラした様子でそれを見ていた。
やっぱり亜久津は自分の母親のこういう優しい所が嫌いなのだろうと、苛立つ彼の姿を見て私は確信した。
うちの親と交換すればいいのに。放任主義だし、関わってこないし、叱りもしないから。
今度学校で会ったら話そうと、私は胸に話題を残し帰宅した。



次の日の朝、当然のごとく盛大に寝坊した私は特に急ぐ事もなく昼前に登校した。まだ入学して間もないのに、遅刻続きでいいのかと自分で自分を心配している。
学校に着くと丁度休み時間だった。授業中じゃなくてよかったと安堵した、先生に叱られたくなかったから。教室に向かう為に廊下を歩いていると、数時間前に会ったばかりの亜久津が前から歩いてきた。
彼は私に気がつき、目が一瞬合ったけれどそのまま通り過ぎようとした。すかさず私は亜久津の腕を掴み止まらせて、彼に話しかけた。

「優紀ちゃんにありがとうって、また言っといて」

「知らねぇよ、お前が言えよ」

「昨日散々言ったし。亜久津の家知らないから言いに行けない」

彼を掴んだ腕を離し、廊下の真ん中で会話をする私達。同級生達は邪魔だという雰囲気を醸し出し、私達を避け廊下を歩いていく。鞄を持ったままの私を見た亜久津は、いま登校したのかよと小さく呟いた。

「そう、だって寝坊したもん」

「ざまあねえな。親帰ってきてねぇのかよ」

「いたけど起こしてくれなかった。放任主義だもんうちの親」

私の親も優紀ちゃんみたいな人だったらよかった。私のこの言葉を亜久津は鼻で笑い、廊下の窓から外を見た。
ほら、やっぱり亜久津は優紀ちゃんのあの優しさが気にくわないんだ。私の感は当たっていたと、口には出さないけれど心の中で小さく笑った。

「そういえば煙草ごめん。まだ数本あったのに捨てちゃった」

「別に」

「また今度吸わせてね、次は吸ったら美味しいかも」

お前悪い奴だな、亜久津はそう言って小さく笑った。
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