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セーラーコスモスについて個人的に感じたこと
2023/06/21 13:23※大きなネタバレはしませんが、試写会後編の内容でコスモスが出てくるところなどを思い出して書いています。それ自体がすでにネタバレだとも思うので、自衛してください。
試写会の発表、そして作中でのコスモスを拝見して。
私はある思いが去来しました。
『ああ、うさぎちゃんとコスモスは別の人間なんだ』
今まで、コスモスについては原作漫画の中での情報しかなく、未来のセーラームーンの究極の姿であること。ちびちびとは同一人物であること。気の遠くなるような未来から、セーラーカオスとの戦いを全て放り投げて逃げてきた臆病者(コスモス談)であり、無敵の力の源が何であったかも忘れてしまうほどの孤独を背負った戦士であること。
でした。
ここからは私の解釈です。
彼女がうさぎちゃんだった過去。しかしその命は一旦閉じ、そこから何回目かの転生後の姿なのではないのかと。そうでなければ、連載中5年間見守ってきたセーラームーンという物語のうさぎちゃんと地続きの未来の姿とするにはあまりにも辛く、険しいものになってしまう。
セーラーコスモスとは、戦う意味も無敵の力も、何もかもを失ってしまって孤独に戦い続けなければならなかったセーラームーンの何巡目かの…なり得たかもしれない一つの可能性。
けれどそれはあのうさぎちゃんとは決してイコールではないのだと。
そう思ったのです。
戦いはなくならない。それが銀河の意思ならば。
けれど生まれてくる星々もなくならない。それは銀河に数多ある生命の意思でもある。
それらを全て包み、希望を捨てずに輝くことができるのならばどんな可能性だって生まれるし、何度でもやり直せる。
そんな確かな思いをコルドロンを前にして互いに抱いた瞬間。あの時代に生きるエターナルセーラームーンと、どこかの時代、世界に生きるセーラーコスモスが初めてリンクした瞬間だったのだなと。
北川さんの演技を聴いて、
全てを諦め、逃げてきて、孤独を背負って。その期間が長過ぎて疲れ果ててしまった声。そんな風に感じました。もちろん、声優さんが本業ではないので、低めの声で淡々と話すその声は静かなナレーションのようにも聴こえます。
けれど、うさぎちゃんと話している時はたどたどしいのに感情の揺れを僅かに感じ取れて、ああ、コスモスはものすごく久しぶりに、本来の姿で誰かとお話ししているんだなぁなんて。思えたのです。演技のぎこちなさが、コスモスの久しぶりの人との対話シーンがベストマッチ!と言うほどではないけれど……ちょうど良かったのかもしれないと思いました。
それにしても対話…ちびちびとしてではなく、本来の姿で。
それって本当にいつぶりなのだろう…なんて、コスモスのたどってきた人生を考えるだけで泣けてしまいます。(これは余談)
さて。ちびちびはなぜ三石さんが演じてらっしゃったのか。
これは物語を離れた制作あれこれで憶測するのは烏滸がましいので、上記のうさぎが必ずしも=コスモスではないという観点から話します。
どこから分岐したのか。それは五部のコルドロンの戦いからでしょう。
何度も後悔したからここにきた。と言っていますし。
つまり生まれ落ちた日から15(16?)歳までは今のうさぎちゃんの声帯であることは間違い無くて、コスモスがあの小さな姿になった時には遠い昔のその声になっていても不思議ではないのかな、と。
=ではなくても、一つの可能性の未来の姿であるコスモスの起源とするものは、やはりうさぎちゃんなので。
これらが私の受け止めたコスモスでした。
狂ってばかりの私ですが、まもうさ以外もしっかり胸に刻んでいます。
劇場を出た後は、セーラームーンをずっと好きでいて本当に良かったなという気持ちでした。
五部は内容が本当に難しくて、でもだからこそ、大好きなシリーズです。
見届けられて良かった。これに尽きます。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
試写会の発表、そして作中でのコスモスを拝見して。
私はある思いが去来しました。
『ああ、うさぎちゃんとコスモスは別の人間なんだ』
今まで、コスモスについては原作漫画の中での情報しかなく、未来のセーラームーンの究極の姿であること。ちびちびとは同一人物であること。気の遠くなるような未来から、セーラーカオスとの戦いを全て放り投げて逃げてきた臆病者(コスモス談)であり、無敵の力の源が何であったかも忘れてしまうほどの孤独を背負った戦士であること。
でした。
ここからは私の解釈です。
彼女がうさぎちゃんだった過去。しかしその命は一旦閉じ、そこから何回目かの転生後の姿なのではないのかと。そうでなければ、連載中5年間見守ってきたセーラームーンという物語のうさぎちゃんと地続きの未来の姿とするにはあまりにも辛く、険しいものになってしまう。
セーラーコスモスとは、戦う意味も無敵の力も、何もかもを失ってしまって孤独に戦い続けなければならなかったセーラームーンの何巡目かの…なり得たかもしれない一つの可能性。
けれどそれはあのうさぎちゃんとは決してイコールではないのだと。
そう思ったのです。
戦いはなくならない。それが銀河の意思ならば。
けれど生まれてくる星々もなくならない。それは銀河に数多ある生命の意思でもある。
それらを全て包み、希望を捨てずに輝くことができるのならばどんな可能性だって生まれるし、何度でもやり直せる。
そんな確かな思いをコルドロンを前にして互いに抱いた瞬間。あの時代に生きるエターナルセーラームーンと、どこかの時代、世界に生きるセーラーコスモスが初めてリンクした瞬間だったのだなと。
北川さんの演技を聴いて、
全てを諦め、逃げてきて、孤独を背負って。その期間が長過ぎて疲れ果ててしまった声。そんな風に感じました。もちろん、声優さんが本業ではないので、低めの声で淡々と話すその声は静かなナレーションのようにも聴こえます。
けれど、うさぎちゃんと話している時はたどたどしいのに感情の揺れを僅かに感じ取れて、ああ、コスモスはものすごく久しぶりに、本来の姿で誰かとお話ししているんだなぁなんて。思えたのです。演技のぎこちなさが、コスモスの久しぶりの人との対話シーンがベストマッチ!と言うほどではないけれど……ちょうど良かったのかもしれないと思いました。
それにしても対話…ちびちびとしてではなく、本来の姿で。
それって本当にいつぶりなのだろう…なんて、コスモスのたどってきた人生を考えるだけで泣けてしまいます。(これは余談)
さて。ちびちびはなぜ三石さんが演じてらっしゃったのか。
これは物語を離れた制作あれこれで憶測するのは烏滸がましいので、上記のうさぎが必ずしも=コスモスではないという観点から話します。
どこから分岐したのか。それは五部のコルドロンの戦いからでしょう。
何度も後悔したからここにきた。と言っていますし。
つまり生まれ落ちた日から15(16?)歳までは今のうさぎちゃんの声帯であることは間違い無くて、コスモスがあの小さな姿になった時には遠い昔のその声になっていても不思議ではないのかな、と。
=ではなくても、一つの可能性の未来の姿であるコスモスの起源とするものは、やはりうさぎちゃんなので。
これらが私の受け止めたコスモスでした。
狂ってばかりの私ですが、まもうさ以外もしっかり胸に刻んでいます。
劇場を出た後は、セーラームーンをずっと好きでいて本当に良かったなという気持ちでした。
五部は内容が本当に難しくて、でもだからこそ、大好きなシリーズです。
見届けられて良かった。これに尽きます。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
コメント
- アャフィス (非ログイン)2023/06/22 20:23
みっこさんの解釈が、すごくしっくりきて、私自身も受け入れることができました❗
思えば、過度な期待をしていたのも事実ですし、最初は戸惑いましたが、みっこさんのお考えで、スッキリしました♥️♥️
そして私もセーラームーンという作品が大好きです✨
5部はストーリーもすごい難しいので、、いろいろな意見はあるかもしれませんね😄
私自身もみっこさんに救われました⭐
ありがとうございます😊
いよいよ来週ですね(。♡‿♡。)
服装にめちゃくちゃ悩んでます(笑)[ 返信する ] - Moss2023/06/22 08:25
みっこさんありがとうございます涙
私もこの解釈がすごーくしっくりきてて。
そうであってほしいという単なる願望でもあるのですが、必ずしもコスモス=うさぎちゃんではなくて≒くらいの存在であってほしいと思うのです。
うさぎちゃんの遠い遠い未来が孤独に戦うコスモスであると断言する終わりってなんだか悲しいし、未来は自分たちの力で変えられるって信じたいのです。
これまでも運命に押しつぶされる事なく自分の力で望む道を歩んできたうさぎちゃんに多くの事を学んできたと思うから。
こんなところで語ってしまいすみません。
みんなが大好きなセーラームーンを、ずっとずっと大好きでいられますように❤[ 返信する ] このコメントは削除されました。