白夜(まもうさちび)

第四話 『明ける陽 昇る月』

 ずっと、あなたが私にとって『誰』なのか考えていた。でも、それよりも大事なことがあるって気付いたから。

 記憶がどんどん戻ってきて、体も治ってきたのに、彼のことと、ピンク頭の女の子のことだけが思い出せなくて。それでもこの数日で芽生えたものがあるの。
 彼はどんな時でも優しかった。フワリと包み込んでくれるような眼差しで私を見つめ、側にいてくれるだけで安心して。
 いっそのこと、その腕が私のことを思い切り抱きしめてくれたらいいのに。
 そんな風に思うようになった。
 頭を撫でられるだけでドキドキして。彼の低くて落ち着いた声が話しかけてくれるだけで自分の心がどんどん満たされて、そのうち零れてしまうんじゃないかと…思うようになった。
 彼は私とは『知り合い』だというだけで詳しくは話してくれなかったけれど、それは私の事を尊重してくれているからだと分かっていたから自分から敢えて聞こうとはしなかった。
 思い出したい。自分で思い出したい。
 そう決めていたから。

 でも、思い出す前に芽生えてしまったこの気持ちをどうしたらいいのか分からなくなった。
 本当にただの『知り合い』というだけなら彼にとって迷惑になってしまう。
『友達』?それとも…『恋人』?
 ううん。そんなこと、関係ない。
 今の私の気持ちを聞いて欲しい。それだけでいいの。
 たとえ迷惑なだけに思われたとしても、知って欲しい。
 断られてもいい。
 ただの『知り合い』に戻ってもいい。
 それで私の気持ちが消えたりする訳ではないから。

「私…」
 意を決して話しかけると、彼は静かにただ探るような目で私を見つめて次の言葉を待っていた。
「衛さんが…好きです」
 カーテンを揺らして夕暮れの心地よい風が部屋に運ばれて私たちの前髪を撫ぜる。
 瞳と瞳が逸らされる事もなく合わさって。彼は瞬きもせずに私のことを見ていた。
 ああ。やっぱり。
 彼にとっては困る言葉だったんだ。
 本当にただの知り合いで…優しくしてくれていただけだったんだ。
 掛けがえのない存在って思ったのも…私だけだったんだ。
 覚悟していたけれど、やっぱり泣きそうになって俯く。
「ごめんなさい。ほんと、言いたかっただけなんです。付き合ってほしいとか…そういうんじゃないから…」
「うさぎちゃん…」
「だから、気にしないでください! 今まで通り、ただの知り合いで全然いいから…」
 泣き笑いのような笑顔を向けると、「うさこ…!!」彼はもう一度私を呼んで突然気配が近くなる。



お日様の匂いがした。



 強く強く抱き締められて、夢にまで見た彼の腕の中にすっぽりと包み込まれていた。
 安心して、懐かしい…お日様の匂い。
 肩口に埋められた彼の顔。
 不意にその肩に小さな雫を感じて、彼の体が少しだけ震えているのが回された腕から伝わった。

「ただの知り合いになんか戻りたくない。」
 彼が小さな声でそう言って、腕の力を少し緩めて私の事を赤くなった目でもう一度見る。
 今、私のこと、何て呼んだ?
 『うさぎちゃん』じゃなくて…
「うさこ…俺もお前が好きだ。今も昔も…これからもずっと…!」
「衛さん…!」
 そう。『うさこ』って…
 私は彼にずっとそう呼んで欲しかったんだ。
 足りなかったあの時の違和感が今分かった。
 涙が零れる。やっと聞けた。彼の本当の気持ち。
 私に対する想い…。
 そして再び強い抱擁の中に私はいた。
「私も…衛さんにずっと、こうされたかったの…。でも、いいの? 今までのこと、思い出せないのに…側にいていいの?」
「記憶が戻らなくてもいい。俺がお前の側にいたいんだ。ありがとう…もう一度俺を選んでくれて…」
「衛さん、大好き…」
 気持ちが一つになったことが嬉しくて、私は何度も自分の想いを伝える。
 彼の手が私の額、頬、耳を優しく撫でていく。
 私の形を一つ一つ確認していくように。
 私も彼の髪をゆっくりと撫で、首に手を回す。
 そして彼のその手が唇を伝い、顎で止まる。
「愛してる。もう…離さない」
 真剣な彼の表情に吸い込まれるように見つめれば、蒼い瞳が揺らめく。
 そして、静かに唇が重なった。

 その瞬間、私の心に白くて優しい光が注がれて、最後の闇を溶かしていった。
 この感じ。覚えてる。何度も、何度も重ねた…大好きなあなたとの…

 瞳を開ければ愛しいあなた。
 唇は今度は頬に落とされて、優しく髪を撫でられる。
 思い出した。
 
 大好きな

 大好きな

「まもちゃん…」
 私がそう呼びかければ、彼は目を大きく見開いて、泣きそうな顔をして見つめ返していた。

「まもちゃん…私…」
 両頬に涙が伝って私を見るまもちゃんは幸せそうに微笑んだ。そして再び私を優しく包み込んだ。
「お帰り…うさこ」
 その言葉に私は何も言えなくなって、嗚咽を零しながら彼の胸に顔を埋める。
 私が落ち着くまでしばらく背中を撫でてくれていた彼がポケットから何かを取り出してあんまり見たことの無い表情で差し出してきた。
 真剣で、でもどこか恥ずかしそうで。でも私に向けた瞳はどこまでも優しくて。
「これ…」
 受け取った四角い小さな箱を開けると、手触りのいいソレは入っているものが何であるかがすぐに分かるもので。
「開けてみて」
 開けるとシルバーのリングに三連の銀水晶のような輝きの石が入った指輪がそこにあった。
「今日で付き合って三年。そして、もう一度付き合い始めた日だ」
 指輪を私の薬指に嵌めながら優しく言う彼。
 ぽろぽろ流れる涙は止まることを知らないみたい。私は頬に温かな雫を感じながら彼の言葉を追う。
「プレゼント。気に入ってもらえた? これを買ったとき、ちびうさも一緒に選んだんだよ。どれがうさこが一番喜ぶかってちびうさも一生懸命選んでた。
その帰りをレイちゃんに見られたんだろうな。
でもこの指輪は渡すまで黙っておきたくて…。それで言えなくて。それがお前を不安にさせてしまった。…ごめんな」
「まもちゃん…まもちゃん!!」
 私は再び彼の胸に飛びつく。
「いいの…もういいの。ありがとう…嬉しい…すごくすっごく嬉しいよ。私も、ごめんなさい。あんなこと…」
「いいんだ。分かってるよ」
 頭を撫でてくれる手、聞き慣れた心音がとても心地良い。
 そうして彼はとても嬉しそうに笑って、もう一度口付けた。

「お邪魔します!遅くなっちゃった…!」
 そんな時、ノックの音がしたあと小さな彼女が部屋に入ってくる。
「ちびうさ…!」
「え!…え!?うさぎ…今、あたしのことちびうさって…!」
 そしてちびうさはまもちゃんのことを見る。彼が優しく頷くのを見て笑顔になった。
 そして一輪の花を私に差し出す。
「うさぎ…ありがとう」
 真っ赤なバラは彼と私をかつて結びつけた象徴的な花で、泣きながら笑う彼女は私たちの大切な少女。
 私は花ごと彼女を抱き締めた。
「ちびうさ…無事でよかった…ごめんね…!ありがとう」
「うさぎぃ…ごめんね…っありがとぉ…っ!」
 同じような言葉を繰り返す私たちを、まもちゃんは嬉しそうに目を細めて見つめていた。

 外はいつの間にか日は落ちて、暖かな満月が私たちを優しく見守っていた。

 もう一度、私たちの明日が始まる。







おわり



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