覚めない夢はないけれど(クンヴィ)

感じたことのない気持ち
気付きたくなかった
けれどもう、止まらない

ーーーーー

 彼に連れられて来た場所は、すぐそこの角にある赤い屋根の建物のてっぺんだった。建物の横にある螺旋階段を上り切ると屋根しかないと思っていたその場所はポーチになっていて、市場はもちろん、その先の海まで見渡せた。
「きれい……」
「ああ。この時間が一番美しく見える。俺もずっと忙しくしていたから、こうしてここで見るのは本当に久しぶりだ」
「王子の側近も大変ね」
「月の姫の護衛ほどではないぞ」
「ちょっと! 私の大事なプリンセスを侮辱する気?」
「とんでもない。だが実際、あのお転婆姫様…いや失礼、好奇心旺盛なお姫様に対してヴィーナスは良くやっているよ。プリンセスも安心して君に甘えているんじゃないか?」
「ま、まあね。うちのプリンセスはほんっとうに銀河一可愛いお姫様ですから」
 ふっと柔らかく笑う彼は、悔しいくらいに……私の胸の中を恋の音でいっぱいにしてくる。
 
 陽が沈む頃合いに見える景色は街の色も海の煌めきも昼間とは全然違う。キラキラと柔らかく優しく光っていた。
 結局振り解けなかった彼の左手を思わずきゅっと握りしめる。いつも剣を持つ彼の手が市場では私の頭を撫でた。そして私の手を取って、今は離さないとでも言うように強く握り返してくる。
 こんなこと、やっぱり嘘みたい。
 ダメなのに。それなのにどうしてもこのままがいいって思う自分もいて。
 目の前に広がる美しい景色が彼が見せたかったとっておきの場所なのかと思ったら、嬉しくて……どうしようもなく嬉しくて。波打つ心臓も今更自力で抑えることもできないでいた。
 ああ、私やっぱり負けちゃったんだ。情けない。プリンセス、彼にはどうしても……心が制御できませんでした。申し訳ございません。

「ぜんぶ……夢だったら良かったのになぁ……」
 思わずこぼれた言葉。それに何を思ったのか分からないけれどクンツァイトの手がぱっと離れる。
 私の心は言いようもない苦しさで痛むけれど、それ以上に頭の中では必死に納得しようとしていた。
 そうよね、これは現実なんだもの。それが一番いいわ。だって私たちは例え守護戦士と四天王の服に身を包んでいなくても、相容れない、交わってはいけない存在なの。
 私の口元には歪な笑みが浮かんでいた。

「それ、大事な人にあげるの?」
「え?」
 会った時から気づいていた。彼が持つ品々。そんな中でも一際目を引く美しいレースのショール。
 彼は素敵な人だもの。きっと、四天王以外のクンツァイトのことを私よりもたくさんたくさん知ってる人がいるんだ。
 そんなの当たり前のことなのに。どうして今まで考えもしなかったんだろう。バカね、私。
「その女性はきっと幸せだわ」
「ヴィーナ「私はね、プリンセスに頼まれたオルゴールを買ったの。この小さな箱から音楽が奏でられるなんて、地球にもまあまあ素敵なものがあるじゃない。この場所はネフライトに聞いたのよ。ここだったらプリンセスのお気に召すものが見つかるはずだって。彼、力だけが取り柄なのかと思ってたら案外物知りよね。本当に助かっちゃった」
 笑顔を向けると、見たこともないような苦しげな表情をしてふいと夕陽に視線を移してしまった。
「……そうか」
「何よ、怒ってる?」
「別に」
 明らかに声のトーンが低くなる彼と、気まずい空気と共に流れる沈黙。こんな時にどうするべきかなんて分かるわけもない私は、ズキズキする心をなんとかしたくて声をあげる。
「クンツァイト! 私、月に戻るわ」
「え?」
 陽が落ちて、辺りは途端に薄暗くなる。
 私の瞳が潤んでることは、どうか気づかないで。
「夕陽、ほんと綺麗だった。……ありがとう」
 明るい声をどうにか捻り出して、さっきまで見えていた太陽の位置を指さして笑う。そして何か言いたげな彼の視線から逃れるように立ち去ろうとした。
 
 けれど、できなかった。
 どうして?
 温かくて、苦しい。
 私は、感じたこともないその感触に包まれていて……

「行くな」

 クンツァイトの声が耳元でポツリ。震える心にそっと小さく落ちて来た。
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