初めての◯◯

『初めての温泉卓球』(クン美奈)


美奈子は賢人と一泊温泉旅行に出掛けていた。
短大を晴れて卒業し、恋人との念願の初旅行である。もちろん美奈子は大張り切りで準備して、うさぎ達にもお土産の約束もしっかり結んで笑顔でこの日を迎えた。白い美猫は流石に空気を読んで渋々顔で留守番である。

行きの特急で隣に座る賢人の横顔をちらりと見た。

(はー相変わらずこの顔めっちゃ好き。)

「お前が好きなのは顔だけか?」
「うん超スキ♡って、え?あたし声に出てた?!」
「……。」
窓の向こうに視線を向けてしまった賢人は無言を貫いた。美奈子に目をキラキラさせて見つめられて落ち着かなかったので適当に言っただけだったのだが。まさか本当にそんなことを思っていたとは。賢人は細く長いため息を付いた。
それでもこの男も美奈子の顔は相当好き、というか好みのド真ん中だった為余計に何も言えないのだった。
「えーちょっと賢人拗ねないでよ!ほら、チー鱈食べる?あ、柿Pのが良かった?」
「なんだその親父チョイスは。」
女子が旅のお供に持ってくるには若干渋いチョイスに脱力して思わず彼女の方に顔を戻すと、予想外にこちらを不安そうに見ていてはたとなる。そこで無言で柿の種を指差すと今度はえへへっと楽しそうに笑って渡してきた。
そんな無邪気な笑顔に賢人の心はワントーン明るくなる。
結局、何をしていても可愛いと思ってしまう自分の気持ちが少々癪で、ごまかす様に柿の種を手のひらいっぱいに出して勢いよく口に入れたのだが。
「っぐっっ」
盛大にむせた。
「え?あー!ごめん!!激辛味って書いてあるわこれ!!買う時気付かなかったっ」
美奈子が慌てて自分のお茶を手渡す。
そしてそれをごくごく飲んで深く息を吐き出す賢人に堪え切れなくなって吹き出した。
「くそ、笑うな。」
「あははっごめんごめん!」
全く誠意の感じられない謝罪にむっとした賢人は呼吸が落ち着いたところでその口を塞ぐ。目を閉じない二人には、その瞬間だけ周りの喧騒が一切聞こえなくなった。

「夜、覚えておけ。」
唇を離して言った言葉に真っ赤になってぷるぷる震える美奈子に漸く溜飲が下がった賢人は彼女の手を握ると、再び車窓に視線を戻した。


そして夕方。
「はいアウト!次はあたしのサーブよ!」
ピンポン球が弾ける音、スリッパが床を鳴らすキュキュッという音が鳴り響く温泉宿の一角にある卓球場。
どうしてこうなった……?という賢人の心を他所に白熱した卓球勝負が繰り広げられていた。

宿に着いて部屋に案内され、仲居さんが立ち去ると美奈子から緊張した様子が伝わって来るが、賢人が話し掛けようとした瞬間に「温泉入りましょ!」と切り出してきたため甘くなりそうな雰囲気が消え去った。
なのでとりあえずその旅館の自慢の絶景が楽しめる露天風呂のある大浴場へとそれぞれ薄紅色と藍色の暖簾を潜って堪能する。

その後旅館が用意してくれた浴衣に袖を通した二人は部屋に戻る途中、『卓球あります』の看板が目に入った。
「やるわよ!!」
テンション高めに美奈子が賢人を誘う。彼女からの勝負事の誘いは基本断らない。
「三回勝負だぞ。」
「えー?!最低でも五回でしょ!」
「……仕方ないな。いいだろう。15点制で五回だ。」
美奈子が張り切ってラケットを素振りする様子に賢人の頬は自然と緩む。
運動や勝負事が大好きなのは大昔から変わらんな。と、前世で剣の手合わせや腕相撲、馬術に至るまで何でも勝負を挑んできた金星の戦士の姿を思い出して笑う。そしてそのどれもがかつての自分にとって何にも代え難い楽しい時間だった。


そして今は五戦目。四回戦で2対2の引き分けで、この五戦目もポイントが14-13で一歩も譲らない接戦だった。
「いくわよ!」
「来い。」
チェーンの技を放つかのような闘気漲る美奈子のサーブしたピンポン球は鋭く入り、それを「カァーーーッ」と声に出し気合いを入れて爆速で打ち返す賢人。しかしそれを難なくとらえてさらにギリギリのラインを攻める美奈子。目にも止まらぬ神速ピンポンラリーである。
風を切る音まで聞こえて来るような、素人とは思えない卓越した二人の動きにざわつくギャラリー。
しかしここで思わぬ、と言うよりもお約束な事態が起きる。
暑い!と羽織を脱いだ美奈子の胸元に賢人は固まった。浴衣の着方が少々甘かったらしく、おまけに楽だからと下着を付けていなかった為に大胆にVカットにその谷間がのぞいていたのである。
「おい美奈「いけえっ!」
それに気付かない美奈子は再びサーブを入れて来る。咄嗟に返すがその球は高く放物線を描きネットをギリギリ越えたところに落ちた。すると事もあろうか勝負に熱中している美奈子は卓球台に胸を乗せるくらいギリギリに上半身をぐいっと乗り出して打ち返してくる。
「っ!!」
賢人は見るべき場所を完全に誤った。
床を弾くピンポン球の音。球をとらえることができずに最後の点を相手に渡す事になってしまったのである。

「やったー!!勝ち!!」
Vサインをして眩し過ぎる笑顔とキラキラ光る胸元を晒して勝利を喜ぶ美奈子に駆け寄る賢人は、落ちていた羽織を急いで掛けた。
「肌蹴てる」
ぽそっと美奈子にしか聞こえない声で指摘され、暑いってば!と声を上げていた彼女は慌てて前を合わせた。「すけべ!」「不可抗力だ」
そんな小さな言い争いをしつつも、周りにいたギャラリー(特に男達)に鋭い視線を送ると美奈子の手を取って歩き始める。

「汗かいたな。」
「そ、そうね!もう一回温泉入る?」
「いいな。その代わり、今度は部屋についてる露天風呂にしないか?」
「えっ!!」

夜はまだこれからだ。




おわり






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