初めての◯◯

『初めてのキス』(ジェダレイ)


都内の私立の男子高に通う瑛二は、学校が終わると通学に利用するバスに乗る。
学校の最寄駅から三駅目にあるTA女学院前が近づくにつれて、ソワソワと辺りの景色を眺めていた。

バスが停車するとTA女学院の女生徒達が何人か乗ってきて、その中に艶やかな長い黒髪の美少女、レイの姿もあった。瑛二は待ち人の登場に自然と顔を綻ばせてその席を立つと、目の前に来た彼女に座るように促した。
「ありがとう。」
「いや、お帰りレイ。今日は少し疲れてそうだけど、大丈夫か?」
ただいまとここで返すのは何だか違う気がして、レイは少し笑って頷く。しかし帰りのバスに乗るたびに瑛二にそう言われるのは嫌いではなかった。
「文化祭の準備が始まるからね。今年も占いをするのだけど装飾や小道具も凝るみたいだから何かと考えないといけない事もあって。」
「そっか。お疲れ様。レイの占いハウスか……。俺も行きたいな。」
「あら、来たらいいんじゃないの?寧ろ来ないなんて選択肢があるのかしら?」
切長の瞳で大層美しく微笑まれて瑛二はぐっと心臓を掴まれて苦笑するしかなかった。そんな彼の事を楽しげに見つめて年相応に笑うレイ。

そんな二人は遠巻きの三人の女生徒達にチラチラと見られて注目されている。彼女達はレイとは別のクラスだが『火野レイ』は学院では有名人だったので当然知っている。
しかし文化祭の買い出しにいつもは利用しないバスに乗った為、レイが恋人と二人でいる様子を見るのは初めてだったのだ。
「火野さんとご一緒の方はどなた?」「外国の方かしら」「席を譲っていらしたもの。紳士ねー!」「美男美女で絵になりますわ」「あんなに可愛らしく笑われる火野さんを見るのは初めてですわ。素敵!」

女生徒達の話の内容は聞こえなかったが視線を感じた瑛二はそちらを向く。小さな悲鳴をあげて彼女達は慌てて顔を逸らす。そして瑛二はレイに何かを尋ね、それを聞いた彼はもう一度こちらをレイと見つめると二人一緒に笑顔で手を振った。
きゃああっ
美の暴力に耐えられない女生徒達は今度こそしっかりと黄色い悲鳴を上げた。

「え、どうしたんだろう。彼女達もしかしてレイのファン??」
「どうかしら、それだけじゃない気もするけど。」
レイの少し咎める様な視線にまるで分からないと言った表情で受け止める瑛二。レイは小さく溜息をついた。
「転生後のあなたは女とあれば手当たり次第拐ったりする自己中男じゃなくて良かったわ。」
仙台坂経由の二人にとっては曰く付きのこの路線で、在りし日の洗脳された冷たい瞳を持つ翡翠の名前の男を思い浮かべながら呟いた。え?何て?と聞き返す瑛二に何でもないと答えて口を結ぶ。

いつの間にかあの三人は目当ての駅に着きふらふらと降りていたようだった。
レイと瑛二は何となくその後は会話もないまま火川神社まで揺られていった。


「あなたも降りなくていいのに。」
瑛二はいつも送るからとレイの自宅前のこの火川神社で降車する。しかしレイから今までそんな風に言われなかった彼は少しだけ傷付いた顔をした。
「レイ、俺は少しでもレイと一緒にいたい。」
「どうして?」
「どうしてって、付き合ってるし、す、好きだから!」
レイは顔を上げると、自分しか見ていないグレーがかった碧い瞳を注がれていた。
「確かにあなたに想いを告げて頂いてからこの二週間、私もそのつもりでお付き合いしていましたわ。でも」
(不安なの。あなたは私のどこがいいのか分からない。あの可愛らしい子達の方が好みだったりしないのかしら。)
そんな気持ちを言葉には載せられない彼女だったが、何故かほんの少しだけ伝わったらしい。気が付けば瑛二にすっぽりと抱きしめられていた。

「レイ、俺はレイのそういう弱い所も可愛いって思うし、強く困難に立ち向かう姿も好きだし、うさぎたちと笑い合うレイのことも大好きだよ。」
臆面もなく優しく紡がれる言葉は、どこか身構えてしまう事の多い彼女の心を柔らかくしていく。
「ごめんなさい。」
自分の八つ当たりの様な態度をポツリと謝ると瑛二はにっこりと笑った。それにつられるように微笑めば彼は確認するかの様に何度も頷いた。
「レイのその顔、一番好き。」
いつになく意地悪な笑みを向ける瑛二に心音を速くしつつも、ぺしっと胸を叩いた。
「もう、ばかね。」
ねえレイ。改まった声が彼女を捕らえる。
「キスしていい、かな?」
「いちいち断らなくたって。私達お付き合いしているんでしょう?」
照れ隠しに見せる、少しだけ挑む様な表情と声音がものすごく可愛くて、瑛二はその日初めて恋人の唇の甘さを味わった。
二人は神社の石畳みの階段の下で互いの熱を何度も何度も確かめ合う。
瑛二がレイの彼への想いをその中で知るには充分だった。

買い出しから帰ってくるレイの祖父が居合わせるまであと十数秒。


おわり
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