春の海で、わたしたちは(エンセレ、まもうさ)
『キレイ…!』
空高く月の世界に住む俺の想い人は隣で今、感嘆の声を上げ、目の前に広がる光景を興奮気味に食い入るように見つめていた。
夜の海。月と星の光以外は受けないはずの水面。だがそれは波が寄せて返すたびにその形を共に変えて、まるで海自体が発光するかのように青白く美しく輝いていた。
『昼間にはなかなか連れて来る事ができないから…ごめん、その代わりに夜にも光る海を君に見せたかったんだ。』
俺達の関係は他者に知られてはならない。だから海と砂浜しかないこんな開放的な場所で明るい昼間からは会うのはどうしても憚られた。
けれど、前に月から見える地球の青である海を見たいと彼女が言っていた。その願いをどうしても叶えてあげたかった。
普段は夜の海はただ黒いだけだが、この時期なら淡く光るこの光景を見せてあげられると思ったから。
『ごめん、なんて言わないで!すっごく嬉しいっ!!とってもキレイ…!!ねえエンディミオン、あの青い光はなあに?』
『夜光虫だよ。海に住む本当に小さな生物が波の衝撃でああやって光るんだ。』
『夜光虫…前にあなたが見せてくれたホタルと同じような生き物が海にも住んでいるって事?』
『うん…そうだね。気に入ってくれた?』
『ええ!いつも素敵なものを教えてくれてありがとうエンディミオン!』
その笑顔が見たくて。
純粋に喜んでくれる君に少しだけ罪悪感。
綺麗なものを見せるのも、面白い本の中の物語を聞かせてあげるのも、花言葉を教えたり、音楽を聴かせてあげるのも。
みんなみんな君の笑顔をただ、見たかったから。
君の一番輝くその表情を自分がさせてあげられているということがすごく嬉しくて。
何かを教えるのが目的じゃなくてその笑顔を独占したかっただけなんだと言ったら、君はどう思うのだろう――――
ガラスのような繊細な靴をはしゃぎながら脱ぐと、セレニティはドレスの裾を上げてまだ春先の冷たい海に足を浸した。
『きゃっ冷たいっ』
そう言いながらもとても嬉しそうに俺を見る。
海の蛍の光、そして大きな月の白い光。それを背に浴びて微笑む恋人はとても綺麗なのに、そのまま空と海に愛されて消えてしまうのではないかという苦しいくらいの焦燥感に襲われる。
幸せだ。心の底から幸せだ。
そう思った次の瞬間にすぐにどうしようもない不安、苦しさが波のように押し寄せて。
幸せであればあるほどにそれは大きく濃く胸の中に広がっていく。
『セレニティ…』
俺は靴も脱がずに彼女に近付き、そのままきつく抱き締めた。
消えないで
どうか
どうか
俺からまだ彼女を奪わないで下さい
『エンディミオン…!あなたの足が濡れてしまうわ』
『いいんだ…今は…こうしていたい…』
ドレスから手を離した彼女は何も言わずに俺の体に腕を回す。白く、透明な素材の裾は揺れる水面に広がって、夜光虫の淡い青と一緒に緩やかに踊っていた。
『セレニティ―――あいしてる』
重ねた口づけの唇から伝わる体温は春の夜の海の肌寒い空気の中、一番熱くて。
頬に伝うそれは波が運ぶ海の飛沫か、それとも二人が堪えるせり上がるものだったのか。
答えを導き出す前に俺達は瞳を閉じた。