2
―2―
前世の戦いが始まる前の最後の記憶は、こんな細かな雨が降る寒い日だった。
「最近地球で何か、変わったことはありませんでしたか?」
マーキュリーがいつにも増して真剣な表情で、訪れた私のテラスの部屋の前で聞いてきた。
ごまかしても無駄。というオーラが全身から漂っている。
彼女の表情は普通の少女としてではではなく、誇り高い月のプリンセスの守護神としてのそれだった。
隙のない凛とした姿に私は僅かに眉間にシワを作ると目を伏せて、小さく息を吐く。
そして何も言わずにピアノに向かった。
「ゾイサイト!質問に答えて!」
声を上げる彼女を受け流して鍵盤に指を滑らせる。
何か、はあった。
地球の住人は、月の住人についてあること無いことを騒ぎ立て混乱の一途を辿っていた。
マスターでは押さえ切れないほどの反乱軍もできるくらいに魔導師ベリルの力も拡大していたのだ。
これらはもう説明しなくても聡明で察しのいい彼女は気付いているはず。
私にはきっと確認したかったのだろう。
そうではないことを僅かな希望の中で信じて。
「マーキュリーが思っている通りよ。分かったら、もう私の所に個人的に訪ねるなんてバカな真似はしないことね。」
吐き捨てるように掛けた言葉は本音とはどこまでも遠いもの。
演奏をやめることなく目も合わさない私のことを、じっと見つめる彼女の熱い静かな眼差し。
全身でそれを感じていても、もう彼女のことを正面から見ることはできなかった。
本当はいつものようにもっと穏やかな気持ちでこの曲を聴いて欲しかった。
戦士と四天王ではなく、マーキュリーとゾイサイトとして最後の日くらい会話したかった。
でも彼女がそうさせてくれないのと同様に、運命の歯車はもう廻り初めてしまっていたのだ。
カタッと何かを置く音が聞こえた後、視界の隅に背を向ける彼女が見えた。
もしかしたら震えていたかもしれない。
「さようなら―――ゾイサイト。」
けれど最後まで毅然とそう言って、マーキュリーはここに通いに来て初めて、曲が終わる前に立ち去っていく。
私は演奏をやめない。
せめて彼女が月へと往くまで音に乗せて見送りたかった。
それくらいしか、自分にできることは残されていなかったから。
彼女の気配が雨に紛れて煙のように消えていく。
そして彼女の存在が完全に消えた時。自分の指もピタリと静止する。
どれくらいの時間が経っただろう。全ての感覚も消えていくような体をどうにか動かして重々しく立ち上がる。
緩慢な動きで彼女の置いていったそれを手に取り、ゆっくりと包みを紐解いた。
「…―――っ」
月から見た地球が深い愛情と慈しみに溢れたタッチで描かれる一枚の絵。
そこには彼女の最後の想いが映し出されていた。
もう見えない銀糸の向こうの彼女の名を、抱える絵の色褪せない想いと共に呟く。
彼女が去った後、空からの恩恵は全てを掻き消す様に強くなる。
頬を濡らしたのは雨なのか零れたモノだったのか、その時の私にはもう、分からなかった。