衛誕まとめ
蝉時雨、花の唄
「まもちゃん、お花これでいいかな。」
「ああ、ありがとう。うさ。」
普段あまり見ない黒いワンピースに身を包んだうさぎが用意しておいた控えめに作った花束を抱えて玄関で待つ衛に声をかけた。
衛も今日は黒のスーツに同じ色のネクタイを締めて彼女と向き合った。
衛の部屋に住職を招いての法要を済ませた彼らは寺に向かうために玄関を出る。
マンションの外に出ると、蝉が幾重にも重なって鳴いていて、日差しも強い夏の熱気があっという間に二人を包んだ。
「やっぱり今年も暑いな。うさ、ちゃんとこまめに水分取れよ?」
「大丈夫だよまもちゃん。心配性だなあ。」
ふっと笑うがその次には少しだけ切なそうな表情になって彼女は言葉を続けた。
「まもちゃん。私こそ、今日はありがとう。初めてだよね?こうして呼んでくれたの。」
「そうだな。あの日からもう十七回目の夏が来たから…」
衛が目を細めて入道雲の空を眺めると、そっとうさぎがその腕をきゅっと掴んだ。
その瞳は、私がいるよ?大丈夫。という気持ちが込められていて、衛は小さく胸を震わせながら微笑んだ。
「じゃあ行こうか。」
夏の日差しの中どこかへ消えてしまいそうにも見えた彼の笑顔に頷くうさぎは思った。
無理だと分かっていはいても、あの日、衛が一人ぼっちになってしまったあの日からずっと
ずっとそばで一緒にいられたら良かったのに、と。
寺に続く道の中。二人は会話こそ少なかったが衛は隣に彼女がいてくれるだけでどれだけ気持ちが和らぐのかを改めて感じていた。
あの日から七年目の命日にここに来たときは、心の中は空っぽで、義務だからという意識しかなかったように思う。しかしうさぎと付き合うようになってからは、毎年命日である今日はここに手を合わせに来るようになっていた。十三回目のこの時期は、デッドムーンとの激しい戦いの最中、因果な呪いを敵から受けてしまい法要もままならなかったが。
それ以降は変わらずここを訪れていた。留学中でも夏休みを利用して。
家族というつながりがどれほど大切で尊いものなのかということが以前よりもずっと分かるようになったからかもしれない。両親とできることならば話したい。過去にはそんなことすら思わなかったというのに、人の温もりを、彼女を通して知ってからは余計に両親に会いたくなって。今日という日には必ず訪れるようになったのだ。
うさぎと付き合ってからは毎年彼女がこの日には何かしら企画して祝ってくれたため、大抵朝早くに来て、彼女のことを報告するのが楽しみになっていた。
(ずっと会いに来なくてごめん。実は今日、誕生日を祝いたいって初めて誰かから言われたんだ。何をしてくれるのかな…こんなこと初めてで落ち着かない。けど、父さんや母さんもきっとたくさん祝ってくれてたんだろうな)
(今年は彼女が補習になって今日まで会えてない。プレゼントなんていいから会いたいって。こんな風に思う相手に出会うだなんて自分でも意外だよ)
(今年はバレバレなんだけど彼女がサプライズパーティーを考えてくれているんだ。失敗しないように父さんたちも祈ってて)
(今年は未来の娘も駆けつけてきてくれてこれから三人で遊園地に行ってくるんだ。父さんと母さんジェットコースター絶対苦手だっただろ。それ、俺にしっかり遺伝してるから。今日はどうやってごまかそうか…)
そんな風に彼女と織りなす一つ一つを来るたびに両親に聞かせていた。
水桶を二つ用意すると衛とうさぎは彼の両親の眠る墓前に向かう。
そしてそこに辿り着くと桶を置いた衛は屈んで微笑んだ。
「父さん、母さん。今日は大事な人を連れてきたよ。」
大事な人という言葉にうさぎの頬が赤らむ。
今年うさぎを連れてきたのは衛なりのけじめだった。一足先に誕生日を迎えた彼女は今年で二十歳になった。ひとつ大人になったうさぎを前にして、この先も一生一緒にいたいと一層強く感じた衛は、密かに自分が医学部を卒業したらプロポーズを正式にしようと決めていた。
その前に彼女を両親が眠るこの場所に連れてきたいと思ったし、心のどこかで、彼女と添い遂げる覚悟を両親から後押しして欲しかったからかもしれない。
柄杓を持って水を汲むと、うさぎもそれに倣って墓石に水をかけていく。
「今日もすっごく暑いから、たくさんかけて涼しくなってもらわなきゃね。」
そう言う彼女に返事をする衛は、その自分と両親への優しい彼女の気持ちに包まれて微笑んだ。
一通り掃除を終えると、水を花瓶に入れてうさぎが用意していたピンクやオレンジなどの鮮やかな色をした花々をそこへ手向ける。
「あのね、本当は菊とかの方がいいかなって思ったんだけど、まもちゃんちで見てた写真の中のパパとママならこっちの方が好きかなと思って…」
「ありがとう。うさらしい色で元気が出るよ。俺も嬉しいし、きっと父さんたちも喜んでると思う。」
その言葉に、良かったと笑ううさぎは、衛が取り出したものに気付いてそれ…と声をかける。
「これ、うちの食器棚にずっとあって。多分両親が使ってたものなんだ。あの棚に入ってる食器はほとんどあのころのまま使ってる。」
「そうだったんだね。」
「他にも、両親の服とか多分化粧品とか。そういうものは親戚が処分していたけれど、おそらく父さんが使ってた本棚の本と、母さんの食器棚の食器だけはそのまま残してもらったんだ。」
うさぎは衛の本棚を思い出す。様々なジャンルのものから、今衛が好んで読んでいる小説や医学書、科学雑誌まで。バラエティに富んだその本たちの中には、彼の父親のものもたくさんあったのだ。そう思うと胸が締め付けられた。
「きっと二人が一番大事にしていたものなんだろうって思っていたから。」
「まもちゃん…」
「記憶が無くても、直感っていうのかな。顔も知らない大人たちに次々に片づけられていく家の中を見て、子どもだった俺はそれだけは全力で止めてた。」
うさぎの頭の中に必死に両親の宝物を守る幼い衛の姿が浮かんで、抱き締めたい衝動に駆られ、彼の腕にしがみ付いた。
「…うん…っきっとまもちゃんのパパとママも、よくやった息子!って褒めてくれてるよ…!」
少し涙目になりながらも一生懸命笑顔でそう言ううさぎに救われたように衛はほっと息を吐いた。そして愛おし気に彼女の頭を優しく撫でた。
「今日はこれで水を飲んでもらおうと思って持って来たんだ。」
「そっかぁ…まもちゃん、私がお注ぎしてもいい?」
「もちろん。」
うさぎは掃除用に使った水桶とは別の桶から柄杓で水を汲みモスグリーンとローズピンクの揃いのマグカップに注いだ。
そして線香に火をつけて供えると、二人は手を合わせて目を瞑る。
(初めまして、月野うさぎです。こんなに優しくて立派なお子さんを産んでくれて本当にありがとうございます!あ、まもちゃんのお誕生日、おめでとうございます!!今日もたくさんお祝いしますから見守っててくださいね。)
(父さん母さん、この子がいつも話してた彼女の月野うさぎさんだ。やっと紹介できて良かった。俺、この子と一生一緒にいたいと思ってる。彼女も笑顔で応えてくれるといいけれど…)
木々のざわめきと蝉の声。夏の音に囲まれて二人の呼吸もぴったりと重なっていた。
数秒後。ざあっと風が吹き、墓前の花が揺れる。
衛は僅かな異変にドクンと心臓が一度音を立てて鳴るのを感じる。だがそれは決して嫌なものではない。
線香の匂いに混じってかいだはずはないのにどこか懐かしい香りが鼻を掠めた気がして目を開けた衛は驚き、大きく見開いた。
『やっと連れてきてくれたのね』
『待ちくたびれたぞ、衛』
そこにはいるはずもないその人たちが呆れたようにそう言って、優しく二人を見つめていた。
衛には数年前に目覚めていた降霊術の能力があり、石に還ってしまった四天王もその翡翠を依代にして対話できるようになっていた。そんな彼らも今では衛の力によって肉体を手にして現世で生きている。
しかしそれ以外の霊は特に依代もなかったために呼び寄せることなど今までには無かった。
だが今日持ってきた両親が使っていたマグカップが期せずしてそれとなり、両親のことを強く思い浮かべた衛の心も重なってこうして二人をこの場所へと誘ったのだろう。
「まさか…本当に…」
父さんと母さんなのか…?と、この状況に余りに吃驚した衛は続けて言うことができなかった。
隣にいるうさぎも同様で、衛と両親を交互に何度も見ていた。
男性の方は理知的で物腰が柔らかそうな優しい瞳をしていて、女性の方は衛とどこか似ていてとても美人だった。
見覚えがある。あれは衛と付き合いだした頃。バス事件の時に生と死の狭間の闇で彼を救うために声を掛けてきた二人に違いなかった。
が…
『いやあすっかり大人になったなあ衛!父さんよりもでかいんじゃないか?』
『毎年毎年彼女のこと聞かせてくれるのに全然連れてきてくれないんだもの。まったくもう!ホントにやきもきしたわ!』
「「………」」
どうもあの時と少しイメージが違うようである。
『あの時はどうもありがとう、月野うさぎさん。覚えているかしら?』
うさぎは声も出せずにぶんぶん首を縦に振る。
『衛の誕生日をいつも祝ってくれてありがとう。あの頃より大人っぽくなって綺麗になったね』
さらりとそんなことを言ってのける地場氏に真っ赤になった。
「え、えええっとあの!あの時はありがとうございました!!ふつつつつかものですがよろしくお願いしますっっ!」
日常ではありえない展開にパニックになっていたうさぎはそれだけ言うと体を直角に曲げて頭を下げた。
「うさ…落ち着いて。」
「だ、だって!」
「あの時って…もしかして…?」
「あ、うん!バス事件の時にまもちゃんがどこにいるか教えてくれて、助けてくれたんだよ…!また、お会いできるなんて…!」
衛も落ち着いているわけではないがこの事態を招いたのは自身の能力であることに気付いたため、なんとか現実であると受け止めていた。
そしてあのバス事件の時に本当に彼らが自分を救おうとしてくれたことも改めて分かって鼻の奥がつんと熱くなった。
くすくす嬉しそうに笑う衛の両親は、二人のことを穏やかに見つめる。
『やっぱり驚かせちゃったわね、ごめんね。うさぎちゃん』
『まあ僕たちも突然こうして姿を見せられることになって驚いているんだけどね。でも嬉しいよ。二人に会えて』
「俺も…嬉しい。あの時も…ありがとう。
けどごめん。俺、今も二人の事…」
『思い出せなくったっていいのよ。家族っていうことには、変わりがないんだから』
その笑顔を見てうさぎは目頭が熱くなった。やはりこの女性は衛によく似ている。困ったような、しかし優しい笑みは彼女の恋人のものと重なったから。
「ありがとう…」
涙の混じった衛の声にうさぎはそれを支えるように彼の左手をぎゅっと握った。
「あ…まもちゃん。私ちょっとあっちに行ってようか?家族水入らずでいっぱいお話したいんじゃない?」
「いいんだ、うさ。ここにいて。」
衛はうさぎの手を強く握り返した。
うさぎは衛の言葉と力強さに、一杯になった涙が零れ落ちる。
『私たちもね、そんなに長くはこの姿を保てないの。だから、最後まで一緒にいてちょうだい?』
「…はい…っ」
ぽろぽろ涙を流すうさぎの肩を衛は抱いた。
『衛、本当にいい子に出会ったんだな』
「…ああ。」
『幸せそうで安心したわ』
「ありがとう…。」
両親の記憶はないはずだ。しかし衛は彼らとこうして会話すると、その声のトーンや言葉の端々に懐かしさが込みあげてくる。そしてそんな彼らと自然に話せている自分が嬉しかった。
『そうだわ、これだけは絶対言いたかったの。衛、お誕生日おめでとう』
『おめでとう、衛』
両親はそう言うと、もともと薄かった体がさらに透明になっていった。
「え、ちょっと待ってくれよ父さん、母さん…っ」
いくらなんでも早過ぎる…!衛は初めてもらった両親からの祝いの言葉に礼を言える間も無く顔色を変えて引き留める。しかし時は待ってはくれない。
『衛、うさぎさんを守ってやるんだぞ』
「分かってる。でも俺…」
『大丈夫。あなたならきっとこれからも幸せになれるわ』
両親からの温かな眼差しと、自分が欲しかった彼らからの言葉を貰った気がしてとうとう抑えきれない涙が伝った。
「待ってください!もっとお話を…っ」
うさぎも慌てて声を上げる。
『うさぎちゃん。衛の事、よろしくね』
『それと、綺麗なお花をどうもありがとう』
マグカップは依代にするには弱かったのだろう。四天王のようにもともとのパワーもない普通の人の霊ではこれが限界のようだった。
霞よりも儚い存在になった両親に衛は手を伸ばす。
二人の手がそれを握り、その次の瞬間には光の中に消えていく。
『衛。僕たちの大切にしていたものをちゃんと守ってくれてありがとう』
『いつまでも、あなたのことを見守ってるわ』
「…っ」
握った手には確かに温もりを感じた。
見えなかっただけで、二人は自分のことを今までずっと見守っていてくれていたのだ。あの時も。今までも。ずっと。
その温かさに触れて、衛は実感した。
「ありがとう…父さん、母さん…またな…」
「まもちゃん…っ」
ずっと隣にいたうさぎが衛のことを正面から抱きしめる。
その体を衛も包み込んで腕の中にあるたった一人の宝物を生涯愛し、慈しむことを己自身に誓った。
「うさ。一緒にいてくれて、ありがとな。」
首を横に振るうさぎは嗚咽混じりに答える。
「…かった…っよかったね、まもちゃん…っまもちゃんのパパとママと一緒に…お誕生日のお祝いができて…っ」
「…ああ…」
自分の人生の中で願っても叶わないものだろうと思っていた。けれどこうしてうさぎと一緒に叶えることができて、言葉にならない嬉しさが込み上げる。
うさぎの頭をゆっくりと撫で、頬を包んで親指で涙を拭う。
そして二人は引き合うように唇を重ねてしっかりと抱き合った。
暑さも忘れたかのようにしばらくそうしていた二人はふと見つめ合う。
目元は互いに赤かったが穏やかな空気がそこには流れていた。
「帰ったら、二人でお祝いしようね。」
「うさの用意してくれたケーキとシャンパンで?」
「うん。でもまだ私お酒慣れてなくてすぐ酔っ払っちゃうし…」
「大丈夫。俺が正しい酔い方を教えてやるよ。」
「…えーっと、うん…?」
少しだけ悪い顔をして笑う衛に、いつもの調子に戻ったと安堵すると同時にどこか危険信号も感じ取るうさぎだが、衛となら何をしてもきっと楽しいだろうと考えている彼女にとってそれほど気に留めることもなく頷いた。
「じゃあまた来ますね!」
うさぎは墓石に向かって笑顔でそう言ってぺこりと頭を下げる。
「俺も近いうちまた来るよ。」
衛も微笑んでそう言うと水桶を持ってうさぎとその場を去っていった。
静けさを保つその場所。仲睦まじい一組のカップルの姿が夏の陽炎の中に消えていく。二人が完全に見えなくなった頃、柔らかい風が吹いてうさぎが供えた花を揺らした。
『衛ったらあの性格。いったい誰に似たのかしら』
『それは間違いなく、君だろ』
花が揺れる中、虫の囁きよりも小さな夫婦のそんなやりとりは、嬉しそうな笑い声と共に消えていき、今度こそ現世のものには届かなくなった。
おわり
「まもちゃん、お花これでいいかな。」
「ああ、ありがとう。うさ。」
普段あまり見ない黒いワンピースに身を包んだうさぎが用意しておいた控えめに作った花束を抱えて玄関で待つ衛に声をかけた。
衛も今日は黒のスーツに同じ色のネクタイを締めて彼女と向き合った。
衛の部屋に住職を招いての法要を済ませた彼らは寺に向かうために玄関を出る。
マンションの外に出ると、蝉が幾重にも重なって鳴いていて、日差しも強い夏の熱気があっという間に二人を包んだ。
「やっぱり今年も暑いな。うさ、ちゃんとこまめに水分取れよ?」
「大丈夫だよまもちゃん。心配性だなあ。」
ふっと笑うがその次には少しだけ切なそうな表情になって彼女は言葉を続けた。
「まもちゃん。私こそ、今日はありがとう。初めてだよね?こうして呼んでくれたの。」
「そうだな。あの日からもう十七回目の夏が来たから…」
衛が目を細めて入道雲の空を眺めると、そっとうさぎがその腕をきゅっと掴んだ。
その瞳は、私がいるよ?大丈夫。という気持ちが込められていて、衛は小さく胸を震わせながら微笑んだ。
「じゃあ行こうか。」
夏の日差しの中どこかへ消えてしまいそうにも見えた彼の笑顔に頷くうさぎは思った。
無理だと分かっていはいても、あの日、衛が一人ぼっちになってしまったあの日からずっと
ずっとそばで一緒にいられたら良かったのに、と。
寺に続く道の中。二人は会話こそ少なかったが衛は隣に彼女がいてくれるだけでどれだけ気持ちが和らぐのかを改めて感じていた。
あの日から七年目の命日にここに来たときは、心の中は空っぽで、義務だからという意識しかなかったように思う。しかしうさぎと付き合うようになってからは、毎年命日である今日はここに手を合わせに来るようになっていた。十三回目のこの時期は、デッドムーンとの激しい戦いの最中、因果な呪いを敵から受けてしまい法要もままならなかったが。
それ以降は変わらずここを訪れていた。留学中でも夏休みを利用して。
家族というつながりがどれほど大切で尊いものなのかということが以前よりもずっと分かるようになったからかもしれない。両親とできることならば話したい。過去にはそんなことすら思わなかったというのに、人の温もりを、彼女を通して知ってからは余計に両親に会いたくなって。今日という日には必ず訪れるようになったのだ。
うさぎと付き合ってからは毎年彼女がこの日には何かしら企画して祝ってくれたため、大抵朝早くに来て、彼女のことを報告するのが楽しみになっていた。
(ずっと会いに来なくてごめん。実は今日、誕生日を祝いたいって初めて誰かから言われたんだ。何をしてくれるのかな…こんなこと初めてで落ち着かない。けど、父さんや母さんもきっとたくさん祝ってくれてたんだろうな)
(今年は彼女が補習になって今日まで会えてない。プレゼントなんていいから会いたいって。こんな風に思う相手に出会うだなんて自分でも意外だよ)
(今年はバレバレなんだけど彼女がサプライズパーティーを考えてくれているんだ。失敗しないように父さんたちも祈ってて)
(今年は未来の娘も駆けつけてきてくれてこれから三人で遊園地に行ってくるんだ。父さんと母さんジェットコースター絶対苦手だっただろ。それ、俺にしっかり遺伝してるから。今日はどうやってごまかそうか…)
そんな風に彼女と織りなす一つ一つを来るたびに両親に聞かせていた。
水桶を二つ用意すると衛とうさぎは彼の両親の眠る墓前に向かう。
そしてそこに辿り着くと桶を置いた衛は屈んで微笑んだ。
「父さん、母さん。今日は大事な人を連れてきたよ。」
大事な人という言葉にうさぎの頬が赤らむ。
今年うさぎを連れてきたのは衛なりのけじめだった。一足先に誕生日を迎えた彼女は今年で二十歳になった。ひとつ大人になったうさぎを前にして、この先も一生一緒にいたいと一層強く感じた衛は、密かに自分が医学部を卒業したらプロポーズを正式にしようと決めていた。
その前に彼女を両親が眠るこの場所に連れてきたいと思ったし、心のどこかで、彼女と添い遂げる覚悟を両親から後押しして欲しかったからかもしれない。
柄杓を持って水を汲むと、うさぎもそれに倣って墓石に水をかけていく。
「今日もすっごく暑いから、たくさんかけて涼しくなってもらわなきゃね。」
そう言う彼女に返事をする衛は、その自分と両親への優しい彼女の気持ちに包まれて微笑んだ。
一通り掃除を終えると、水を花瓶に入れてうさぎが用意していたピンクやオレンジなどの鮮やかな色をした花々をそこへ手向ける。
「あのね、本当は菊とかの方がいいかなって思ったんだけど、まもちゃんちで見てた写真の中のパパとママならこっちの方が好きかなと思って…」
「ありがとう。うさらしい色で元気が出るよ。俺も嬉しいし、きっと父さんたちも喜んでると思う。」
その言葉に、良かったと笑ううさぎは、衛が取り出したものに気付いてそれ…と声をかける。
「これ、うちの食器棚にずっとあって。多分両親が使ってたものなんだ。あの棚に入ってる食器はほとんどあのころのまま使ってる。」
「そうだったんだね。」
「他にも、両親の服とか多分化粧品とか。そういうものは親戚が処分していたけれど、おそらく父さんが使ってた本棚の本と、母さんの食器棚の食器だけはそのまま残してもらったんだ。」
うさぎは衛の本棚を思い出す。様々なジャンルのものから、今衛が好んで読んでいる小説や医学書、科学雑誌まで。バラエティに富んだその本たちの中には、彼の父親のものもたくさんあったのだ。そう思うと胸が締め付けられた。
「きっと二人が一番大事にしていたものなんだろうって思っていたから。」
「まもちゃん…」
「記憶が無くても、直感っていうのかな。顔も知らない大人たちに次々に片づけられていく家の中を見て、子どもだった俺はそれだけは全力で止めてた。」
うさぎの頭の中に必死に両親の宝物を守る幼い衛の姿が浮かんで、抱き締めたい衝動に駆られ、彼の腕にしがみ付いた。
「…うん…っきっとまもちゃんのパパとママも、よくやった息子!って褒めてくれてるよ…!」
少し涙目になりながらも一生懸命笑顔でそう言ううさぎに救われたように衛はほっと息を吐いた。そして愛おし気に彼女の頭を優しく撫でた。
「今日はこれで水を飲んでもらおうと思って持って来たんだ。」
「そっかぁ…まもちゃん、私がお注ぎしてもいい?」
「もちろん。」
うさぎは掃除用に使った水桶とは別の桶から柄杓で水を汲みモスグリーンとローズピンクの揃いのマグカップに注いだ。
そして線香に火をつけて供えると、二人は手を合わせて目を瞑る。
(初めまして、月野うさぎです。こんなに優しくて立派なお子さんを産んでくれて本当にありがとうございます!あ、まもちゃんのお誕生日、おめでとうございます!!今日もたくさんお祝いしますから見守っててくださいね。)
(父さん母さん、この子がいつも話してた彼女の月野うさぎさんだ。やっと紹介できて良かった。俺、この子と一生一緒にいたいと思ってる。彼女も笑顔で応えてくれるといいけれど…)
木々のざわめきと蝉の声。夏の音に囲まれて二人の呼吸もぴったりと重なっていた。
数秒後。ざあっと風が吹き、墓前の花が揺れる。
衛は僅かな異変にドクンと心臓が一度音を立てて鳴るのを感じる。だがそれは決して嫌なものではない。
線香の匂いに混じってかいだはずはないのにどこか懐かしい香りが鼻を掠めた気がして目を開けた衛は驚き、大きく見開いた。
『やっと連れてきてくれたのね』
『待ちくたびれたぞ、衛』
そこにはいるはずもないその人たちが呆れたようにそう言って、優しく二人を見つめていた。
衛には数年前に目覚めていた降霊術の能力があり、石に還ってしまった四天王もその翡翠を依代にして対話できるようになっていた。そんな彼らも今では衛の力によって肉体を手にして現世で生きている。
しかしそれ以外の霊は特に依代もなかったために呼び寄せることなど今までには無かった。
だが今日持ってきた両親が使っていたマグカップが期せずしてそれとなり、両親のことを強く思い浮かべた衛の心も重なってこうして二人をこの場所へと誘ったのだろう。
「まさか…本当に…」
父さんと母さんなのか…?と、この状況に余りに吃驚した衛は続けて言うことができなかった。
隣にいるうさぎも同様で、衛と両親を交互に何度も見ていた。
男性の方は理知的で物腰が柔らかそうな優しい瞳をしていて、女性の方は衛とどこか似ていてとても美人だった。
見覚えがある。あれは衛と付き合いだした頃。バス事件の時に生と死の狭間の闇で彼を救うために声を掛けてきた二人に違いなかった。
が…
『いやあすっかり大人になったなあ衛!父さんよりもでかいんじゃないか?』
『毎年毎年彼女のこと聞かせてくれるのに全然連れてきてくれないんだもの。まったくもう!ホントにやきもきしたわ!』
「「………」」
どうもあの時と少しイメージが違うようである。
『あの時はどうもありがとう、月野うさぎさん。覚えているかしら?』
うさぎは声も出せずにぶんぶん首を縦に振る。
『衛の誕生日をいつも祝ってくれてありがとう。あの頃より大人っぽくなって綺麗になったね』
さらりとそんなことを言ってのける地場氏に真っ赤になった。
「え、えええっとあの!あの時はありがとうございました!!ふつつつつかものですがよろしくお願いしますっっ!」
日常ではありえない展開にパニックになっていたうさぎはそれだけ言うと体を直角に曲げて頭を下げた。
「うさ…落ち着いて。」
「だ、だって!」
「あの時って…もしかして…?」
「あ、うん!バス事件の時にまもちゃんがどこにいるか教えてくれて、助けてくれたんだよ…!また、お会いできるなんて…!」
衛も落ち着いているわけではないがこの事態を招いたのは自身の能力であることに気付いたため、なんとか現実であると受け止めていた。
そしてあのバス事件の時に本当に彼らが自分を救おうとしてくれたことも改めて分かって鼻の奥がつんと熱くなった。
くすくす嬉しそうに笑う衛の両親は、二人のことを穏やかに見つめる。
『やっぱり驚かせちゃったわね、ごめんね。うさぎちゃん』
『まあ僕たちも突然こうして姿を見せられることになって驚いているんだけどね。でも嬉しいよ。二人に会えて』
「俺も…嬉しい。あの時も…ありがとう。
けどごめん。俺、今も二人の事…」
『思い出せなくったっていいのよ。家族っていうことには、変わりがないんだから』
その笑顔を見てうさぎは目頭が熱くなった。やはりこの女性は衛によく似ている。困ったような、しかし優しい笑みは彼女の恋人のものと重なったから。
「ありがとう…」
涙の混じった衛の声にうさぎはそれを支えるように彼の左手をぎゅっと握った。
「あ…まもちゃん。私ちょっとあっちに行ってようか?家族水入らずでいっぱいお話したいんじゃない?」
「いいんだ、うさ。ここにいて。」
衛はうさぎの手を強く握り返した。
うさぎは衛の言葉と力強さに、一杯になった涙が零れ落ちる。
『私たちもね、そんなに長くはこの姿を保てないの。だから、最後まで一緒にいてちょうだい?』
「…はい…っ」
ぽろぽろ涙を流すうさぎの肩を衛は抱いた。
『衛、本当にいい子に出会ったんだな』
「…ああ。」
『幸せそうで安心したわ』
「ありがとう…。」
両親の記憶はないはずだ。しかし衛は彼らとこうして会話すると、その声のトーンや言葉の端々に懐かしさが込みあげてくる。そしてそんな彼らと自然に話せている自分が嬉しかった。
『そうだわ、これだけは絶対言いたかったの。衛、お誕生日おめでとう』
『おめでとう、衛』
両親はそう言うと、もともと薄かった体がさらに透明になっていった。
「え、ちょっと待ってくれよ父さん、母さん…っ」
いくらなんでも早過ぎる…!衛は初めてもらった両親からの祝いの言葉に礼を言える間も無く顔色を変えて引き留める。しかし時は待ってはくれない。
『衛、うさぎさんを守ってやるんだぞ』
「分かってる。でも俺…」
『大丈夫。あなたならきっとこれからも幸せになれるわ』
両親からの温かな眼差しと、自分が欲しかった彼らからの言葉を貰った気がしてとうとう抑えきれない涙が伝った。
「待ってください!もっとお話を…っ」
うさぎも慌てて声を上げる。
『うさぎちゃん。衛の事、よろしくね』
『それと、綺麗なお花をどうもありがとう』
マグカップは依代にするには弱かったのだろう。四天王のようにもともとのパワーもない普通の人の霊ではこれが限界のようだった。
霞よりも儚い存在になった両親に衛は手を伸ばす。
二人の手がそれを握り、その次の瞬間には光の中に消えていく。
『衛。僕たちの大切にしていたものをちゃんと守ってくれてありがとう』
『いつまでも、あなたのことを見守ってるわ』
「…っ」
握った手には確かに温もりを感じた。
見えなかっただけで、二人は自分のことを今までずっと見守っていてくれていたのだ。あの時も。今までも。ずっと。
その温かさに触れて、衛は実感した。
「ありがとう…父さん、母さん…またな…」
「まもちゃん…っ」
ずっと隣にいたうさぎが衛のことを正面から抱きしめる。
その体を衛も包み込んで腕の中にあるたった一人の宝物を生涯愛し、慈しむことを己自身に誓った。
「うさ。一緒にいてくれて、ありがとな。」
首を横に振るうさぎは嗚咽混じりに答える。
「…かった…っよかったね、まもちゃん…っまもちゃんのパパとママと一緒に…お誕生日のお祝いができて…っ」
「…ああ…」
自分の人生の中で願っても叶わないものだろうと思っていた。けれどこうしてうさぎと一緒に叶えることができて、言葉にならない嬉しさが込み上げる。
うさぎの頭をゆっくりと撫で、頬を包んで親指で涙を拭う。
そして二人は引き合うように唇を重ねてしっかりと抱き合った。
暑さも忘れたかのようにしばらくそうしていた二人はふと見つめ合う。
目元は互いに赤かったが穏やかな空気がそこには流れていた。
「帰ったら、二人でお祝いしようね。」
「うさの用意してくれたケーキとシャンパンで?」
「うん。でもまだ私お酒慣れてなくてすぐ酔っ払っちゃうし…」
「大丈夫。俺が正しい酔い方を教えてやるよ。」
「…えーっと、うん…?」
少しだけ悪い顔をして笑う衛に、いつもの調子に戻ったと安堵すると同時にどこか危険信号も感じ取るうさぎだが、衛となら何をしてもきっと楽しいだろうと考えている彼女にとってそれほど気に留めることもなく頷いた。
「じゃあまた来ますね!」
うさぎは墓石に向かって笑顔でそう言ってぺこりと頭を下げる。
「俺も近いうちまた来るよ。」
衛も微笑んでそう言うと水桶を持ってうさぎとその場を去っていった。
静けさを保つその場所。仲睦まじい一組のカップルの姿が夏の陽炎の中に消えていく。二人が完全に見えなくなった頃、柔らかい風が吹いてうさぎが供えた花を揺らした。
『衛ったらあの性格。いったい誰に似たのかしら』
『それは間違いなく、君だろ』
花が揺れる中、虫の囁きよりも小さな夫婦のそんなやりとりは、嬉しそうな笑い声と共に消えていき、今度こそ現世のものには届かなくなった。
おわり
