レグルスの鼓動

「ありがとうございました。またのご来店お待ちしております」
 
 店員が笑顔で俺たちを送り出す。
 さっき、俺が術を解かずにそのまま店を出ようとしたらうさぎちゃんに叱られた。カードで支払いもしたし、別に殺したわけでもないのに何をそんなに必死になるんだ?

「ほんとえんどーさんて変な人」
「変? どの辺りが」
「全部よ、全部」
「ひどいなあ。俺はいつでも真剣だよ」
「そーゆーところがね…っ」
 
 ぷりぷり怒る姿は可愛いのに、俺の事を否定してばかりの唇を塞ぐ。
 ゆっくり、舌も絡め取って奥にまで甘い毒を注ぎ込むように。
 そうすると、君だってちゃんと応えてくれているのに。無自覚、かな? 俺が変だと言うのなら、うさぎちゃんは天然な小悪魔だね。しかもかなり強力な。
 これは衛に戻ってからもきっと二人揃って苦労するだろうな。
 まあ、そう易々とは戻ってなんかやらないけどね。

「ふぁ、…も、だから、道のど真ん中でこーゆーことは…」
「ん?」
「も、いい。言っても無駄だもん」
「ふふ、俺のこと分かってきたね」
「うそ。ぜんっぜん分かんない!」
「俺はうさぎちゃんのこと、なーんでも分かってるよ」
 何言ってるんだか…と真っ赤な顔して独り言をこぼす彼女は、改めて自分の姿を見下ろしてもじもじしだした。
 何かな? 誘ってる?
「えっと…遠藤さん? これ、本当に買ってもらっちゃって大丈夫だったのかな」
「ああそんなこと。気にしないでいいんだよ。けど、受け取らないって言うのなら、幻の銀水晶を渡してもらおうかな」
「な……に言って」

 そうだ。元はと言えば幻の銀水晶を奪うためにこの子に近付いた。それなのに、必要以上に肌を触れ合わせて距離を近づけてみたり、こんな風にただのデートをしてみたり。
 銀水晶よりも、君自身が欲しい。そう思ってしまったんだ。
 けれど、これは俺の感情なのか、衛の強い思いなのか。

 正直言って俺自身、何をどうするのかが正解なのか分からない。
 その答えはきっとシンプルなのに、君を目の前にすると途端に複雑なものへと形を変える。

 それにさ

 君は、結局最後には衛を選ぶんだろ?

 だったら俺との思い出を身につけてもらう事で、一つくらい残してくれたっていいじゃないか。

「好きだよ、うさぎちゃん」

 抱き寄せて、耳元で囁けば、彼女の体が硬直するのが分かった。額に口付けてから聞く。


「そんなに、嫌?」

「…じゃ、ない」

「え?」

「嫌じゃないから、困ってるんでしょ」

 胸の奥が熱く揺り動かされる。
 体温? 熱? 血が通っている人間の、命が流れる音。

 自分には未だ慣れない、生きているという実感。

 うさぎちゃんは、俺に気づかなくて良い事を気づかせてくれるんだね。
 
 瞳を揺らして切なく見てくるそれは、俺のことだけを映す初めて見る女の顔で。俺がそういう顔をさせているのだと分かったら、体の奥底から甘い嵐が巻き起こってくる。
 知りたくなかったよ、こんな感情。

 そんなもの…今の俺にはきっと不必要なもののはずだから。

 それなのに失いたくないという心が、俺のことを勝手に動かして彼女の唇を再び塞いだ。
 
 
 ふと、背後から闇の女のどす黒い怒りの気配を感じる。ずっとコンタクトを拒み続けたがそれももう限界まできたらしい。仕方がない。
 『俺』という存在を創り出したのは彼女なのだから。

 この戯れは、きっとあと少しで終わる。


 けれど胸の奥で動き始めたこの鼓動を、俺はきっと最期まで忘れることはないのだろう。


おわり
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