覚めない夢はないけれど(クンヴィ)

知らなかった
あなたは、こんなにも

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「クンツァイト…っ離して」
「……」
 その願いを叶えてやることもできず、寧ろその力を込めて彼女の体を抱きしめる。
「どうしても嫌なら、蹴り飛ばしてでも振り解けばいい」
 君ならそれくらい、できるだろう?
 いつも手合わせで感じていた彼女の身体能力を考えればおそらく造作のないことだ。
 けれどそんな正論は今必要ない。言いたくないし、聞きたくもない。

 行かないで欲しい。そばに、いて欲しい。
 
 なぜ、ヴィーナスを前にするとこんなにも幼な子のように駄々を捏ねるような気持ちが膨らむのだろうか。
 これが『恋』だとか『愛』だと言うなら、俺だけではもう手に負えない。
 目の前の女をとにかく繋ぎ止めておくことしかできないだなんて。なんて、身勝手で幼稚なのだろう。
 
「他の男の話なんてするな」
「……え?」
 なんてことだ。心底、心外だ。
 けれど産まれて初めて感じる『嫉妬』に胸の中が苦いもので支配されているのは事実だった。しかもよりにもよってあのネフライトに。まったく、笑い話にもならん。

 心の中がこれ以上ないほど混乱している俺をよそに、腕の中で顔を上げるヴィーナスと目が合った。部屋の薄明かりを映した覚束ない瞳は潤んで今にもこぼれ落ちそうで…頬は紅潮していて、その唇は何か言いたげに小さく震えている。

「でも、だって、あなただってその贈り物…「君にだ!!」

 言うつもりもなかったモノ
 言うべきではなかったモノ

 贈るつもりも、なかったモノ

 それなのに、彼女の可憐で儚い表情を見てしまったら…止めることなどできなくなってしまった。

「君に……渡せるはずもないと頭では分かっていた。だが、気付けばヴィーナスのことを思い浮かべて……手に取っていた」
「クンツァイト……」
 少しの沈黙。それが、俺にはとても長く感じる。しかしふっと空気が緩み彼女から笑い声が聞こえてはっとなった。
「なぜ笑う」
「だって、えぇー? こんなに、たくさん??」
 肩掛けの鞄には確かに、溢れるほどの品々が入っていて。それを指さしてとにかく嬉しそうにクスクス笑うヴィーナスが目に映った。それが今まで見た中で一番彼女の素直な笑顔なのだと気づけば、抑え込んでいた感情が激流のように全身を駆け巡っていった。

 ああ、もう、無理だ。
 神よ、なぜ私たちを引き合わせたのですか。

 市場で見つけた瞬間はこの奇跡がただ嬉しかった。

 けれど今は、苦しくて。狂おしいほど、彼女への想いが巻き上がって。もう自分では抑えることなど出来ないところまできてしまった。

「ヴィーナス」
 囁きに近い声で呼ぶや否や、決して開いてはいけない扉を……気付けば、ただひたすらに彼女への熱情でこじ開けていた。
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