ドクターパロ
初日から遅くまでかかってしまった。衛は時計を見やるとこの先に一抹の不安を抱えながらも席を離れて資料を戻しに向かった。
中庭のある渡り廊下に差し掛かった時。いつもよりも明るい事に気づき、今夜は満月だったかと思い当たる。
しかしふとその中心に月の光に照らされた女性の姿をとらえて息を呑んだ。
その姿はどこか神聖で、まるで月に祈っているかのように両手を胸の前で組み、目を閉じている。
幻覚を見るほど疲れているのだろうか。浮世を離れた美しさを放つその女性は夢…幻?
そんなことを考えながら、見えない力に引き寄せられるかのように衛は中庭へと進んでいく。
かさりと植え込みのツツジの葉に衣擦れの音が、静寂に終止符を打つ。
その瞬間彼女の瞳は開き、驚いた様子で衛の方を向いた。目が合ったことで、そこにははっきりとした意思が窺われて現世の者であることを知る。
二つのシニヨンから月の光のように美しい銀の髪。青い瞳に長い睫毛。桜色の頬。夜であるはずなのにぼんやりと光るようにその姿は浮き上がって見える。
「君は…?」
ごくっと息を呑んでから問う。入院患者だろうか。それならばこの時間の夜風はどう考えても体に障る。
しかし衛が更に距離を詰めようとすると、頬を紅く染めた彼女は弾かれたようにその場から駆け出していってしまった。
「君…!待ってくれ…っ!」
夜の病棟で出せる限りの声で呼び止めるが、振り向きもせずに彼女は行ってしまった。
「なんだったんだ…?一体。」
あっという間にいなくなってしまった彼女。狐につままれた心持ちの衛は惚けたようにそう言うが、心臓の音が自分でも分かるくらい早鐘を打っていた。まるで、初めて動き出したかのように。