上司部下まもうさ、モブ、賢人

馴れ初め編

 今日は鬼主任とご飯。最近頑張ってるから奢ってくれるらしい。いっつも怖いのに、誘ってきた時の顔はちょっと頼りなさげに眉を下ろしてて。ちょっと意外…ってじっと見ちゃった。そしたら見過ぎだろバカと言われた。酷くない?けど、私も話したいことがあったから二つ返事でOKしたの。「何だ悩み事か?相談くらいなら乗ってやるぞ」なんて、ニブチンなこと言ってた。

「好きなんですケド。主任が」
 素敵なレストランで美味しいシャンパンで乾杯。前菜のスモークサーモンが絶品で。あっという間にお皿を綺麗にした私は初めて見る緩い笑みを浮かべた上司に言った。そう、告白ってやつ。
 そしたらグラスを持って口に運んでた主任は数秒止まったあと。カタンとそれをテーブルに置いて、「え?!」と言った。こんな風に余裕のない声を聞いたのも初めてで。なんだか私は楽しくなってしまう。
「話あるって言ったじゃないですか」
「あ、ああ」
「今のが、それです」
「いや、いやいや待て待て」
「何でですか」
「落ち着け月野。もう酔ったか」
「全然酔ってません」
「相手間違えてるだろ」
「地場主任がすきです」
「は?俺だぞ?お前から好かれる要素なんてないだろ」
「は?なんて言い方ヒドイです」
「そうだよ、俺はお前のこと散々仕事でしごいて酷いことばかり言ってたじゃないか」
「でも好きになっちゃったので」
「なんで」
「知らないわよっ! ただ、まぁ、色々ちっちゃなことがちょっとずつ? 積み重なっていって。気付いたら、そーなってたんです」
「そうか……」
 そう言った主任は、私の事を眩しそうに見つめた。
「えっと…お返事とかもらえたら、嬉しいんですが」
「付き合おう」
「へ?」
「つまり俺には断る理由がない」
「なんで」
「こんないい店にただの部下を食事に誘ったりしない。とーぜん下心もある」
「なにそれ! つまりあたしとエッチしたいって事?!」
「ばっ……落ち着け。月野のことはずっと、いいなって思ってた」
「そ、そーなんですか」
「ああ。だから正直浮かれてる」
「地場主任が? 浮かれる??」
「お前な、俺を何だと思ってる。意中の相手に告白されて、嬉しくない奴があるか」
「それは、あの…確かに。私も、その、嬉しい…です」
「うん」
 そのやり取りの直後、パスタが来て会話が止まってしまった。
 それなのに何だろう。私を包む空気がとても暖かく感じて。ふと彼に視線をやれば、まるで世界で一等大切なものを映しているような眼差しで私のことを見ていた。なにそれ、ずるい。これじゃあ、自惚れてしまう。すごく、都合よく考えちゃうよ。

「今日は、この後時間あるか?」
 無言を打ち消すその言葉は、私の心臓をバカみたいに跳ねさせた。
「あの……」
 なんて言ったらいいのか分からなくて顔を赤くしてばかりいる私の手をテーブルの上で取った上司は、さっきから続く職場では決して見せない表情で言った。
「月野……」
 その声と力を込めた右手に恋人として初めて接してくる彼の事をバクバクした心臓で見た。彼も言葉が続かなくて、緊張してる? それが嬉しくて。
 そのまま主任の手を取ると、手の甲にちゅっとキスをした。
「ちょ、なに」
 かーっと顔を赤くして珍しすぎる表情をされて。はっとなる。私、ひょっとしてものすごく恥ずかしい事しちゃった?!
「ご、ごめんなさい!」
「たく、月野にはかなわねぇな」
 百戦錬磨の仕事人間にそんなこと言われて。思わず笑っちゃった。
「で、月野。笑ってるけど、返事は?」
「えーと、はい。時間、あります」
 そうかと答えた彼はぐっと顔を近づけて小声で言った。

「あとでいっぱい仕返ししてやるからな、覚えとけよ」

※※※

 お店を出た後、流れるように手を恋人繋ぎされて、真っ赤になって見上げたらさっきの大胆な行動はなんだったんだ?って苦笑される。
 だって、するのとされるのは違うもん。
 …違うよね?
 そんな事思って黙ってたら、タクシーがいつの間にか停まってエスコートされてた。こういうスマートなところ、悔しいけれどかっこいい。

 タクシーの中で何か喋った気がしたけど、あんまり憶えてない。主任から紡がれる優しい低音が心地よくて。繋がれた体温もドキドキするのに嘘みたいに安心させるから、彼の肩に頭を預けてしまった。
 ぴくりと動いた体からふわっと香る匂いは、お日様みたいに柔らかい。あんなに怖かった上司がこんな優しさを隠し持ってたなんて、なんだかくすぐったかった。
 本当にずるいなぁって思うのに…胸の中が温かなもので満たされてしまう。こういう距離で彼を感じられるのは今この瞬間は世界で私だけ。それが…すごく嬉しいの。
「月野」
 すぐそばで囁かれてふと見上げれば。
 職場で見慣れていた厳しさを全てどこかに置いてきたみたいな顔をした彼が視界一杯に広がる。
 私は目を閉じて、唇に注がれる熱を震える心で受け止めた。

 おわり
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