嫉妬シリーズ(前サイトからの移行作品集)

『ずっと…』(まもうさ 悲恋 死ネタ注意)



最愛の彼が隣にいなくなって3年目の冬がきた―――――




「うさぎお待たせ。」

空気がシンと冷たくなって吐く息も白くなった冬の頃。

待ち合わせ場所に仕事帰りに急いでやってきた彼は3ヶ月前から付き合い始めた人。

私の肩を抱いて「寒いのに遅れてごめんな」と優しく声をかけてくれる。

3年前の彼とは背が同じくらいでどことなく笑顔も似てた。

告白されたときの不器用に微笑む顔を見てそう思ったのだ。

そうやってあの人と比べたり同じところをつい探してしまうのは悪い癖だと分かっているけれど、気付いたら考えてしまっているのだからどうしようもない。

夜の街を並んで歩く彼に微笑み返して心の中で小さく謝った。







私は今年で26になった。

昔描いていた夢は、大好きな青い瞳の彼と結婚することだった。でももう私の横に彼はいない。

私が18の時、彼は再び留学でアメリカに行きそのままハーバード大学で博士課程を取るために五年間向こうに留まった。

私は彼の夢を応援していたし邪魔だけはしたくなかったから反対しなかった。


彼はきっと帰ってきて、その後はずっと一緒にいられるって信じていたから。




でも彼は帰らなかった。








「雪降りそうだな。早く行こう。」

隣を歩く彼は私の体を引いて足を速める。

「大丈夫だよ。私、雪好きだし。」

「うさぎを風邪引かせるわけにはいかないだろ。ほら、あの店まで急ぐぞ。」

優しいその言葉に胸の奥がギュッと痛んだ。

「ありがとう。」

それでも私は笑えるのだ。これが大人になってしまったということなのかと思うと、何だか少し悲しくなった。



こんな私が本当に心から幸せに包まれることはもうきっとないだろう。



私の心の中には今も、あの日の雪が降り続けている―――――

※※※



入ったお店はお洒落なイタリアンレストランで、抑えた照明になんとなくほっとする。

自分の表情をあんまりはっきりと見られたくなかったから。


年を重ねて少しはごまかせるようになっているけれど、思っていることがすぐに顔に出てしまう昔からの性分が、いつ飛び出してしまうのか分からなかったから。


料理を注文してふと窓の外を見たらやっぱり雪が降り出していた。






雪の中にあの日の私が見える。





しんしん…しんしん

雪が降り続く。



頬を伝う涙が雪と一緒に氷のように冷たかったあの日の私。




3年前。アメリカのマサチューセッツ州に私はいた。なぜなら彼から突然の別れの電話をその2日前にもらったから。

『もううさとは付き合えない。』

『離れているうちに心が変わってしまったんだ。最低だと思っていいよ。』

『もう恋人がいる。同じ大学のカナダからの留学生だ。』

『酷い奴だと思って忘れてくれ。』

『さようなら。』

頭の整理が付かないうちに一気に捲くし立てられて電話は切れた。

泣く暇も無かった。

信じられない言葉の数々にただ呆然とそこに立ち尽くすことしか出来なかったのだ。



これは嘘だ。何か理由があるに違いない。

たとえ、たとえそれが本当だとしても彼の顔を見て彼の声を直接聞くまでは信じない。



そう思った私は、すぐに航空券を買って海を渡り彼が住んでいるアパートに連絡もせずに訪れた。


誰にも話さずに一人で。




このアパートは今までにも何度か来た事がある。だから道にも迷わずにすぐに着いたのだけれど、心はぐちゃぐちゃに迷ったままだった。



意を決して呼び鈴を押すと、少し経ってから聞きたくてしょうがなかった彼の声が英語で返って来る。

震える胸で「私…」と小さく言うと無言でインターホンが切れてその数秒後にドアが開いた。

でも彼はびっくりするほど冷たい目で私を見て

「何しに来たんだ。」

そう一言。

現実を目の当たりにしたせいか、あまりのショックで言葉も出ないで目を伏せれば高いヒールの靴が視界に映った。

奥から女性が英語で話す声が聞こえてきて私は動けないまま顔だけそちらに向ける。きっと自分の顔は真っ青だったに違いない。


「電話で話しただろ。今の彼女だ。」

低い声で、でも真っ直ぐに私を見ながら言う彼の表情は嘘を付いているようには思えない。

少なくとも、そのときの私にはそう見えた。

彼女は玄関まで来るとかつて優しかった私の恋人に話しかける。彼もその言葉に英語で答えていて、途端に私は一人暗い闇のような中に落ちていくような感覚に囚われていた。

完全な疎外感。私と彼の間にこれほどまでの距離を感じたことは今までに一度も無かった。たとえどんなに住む場所が離れていたとしても。

「もうお前には何もしてやれない。帰ってくれないか。」

そんな言葉が私に掛けられた最後の言葉だった。

何も答えられないままでいるとドアが閉められていく。

完全に閉じられようとした時。私は彼に出ない声を振り絞って叫んだ。

「戻ってきてなんて、もうそんなことは言わないよ。でもこれだけは聞いて欲しいの。
私は…まもちゃんを好きになれて良かった。今まで幸せな気持ちをたくさんくれてありがとう。

どうか…二人で…幸せになって。さようなら…。」

そう言って大好きな彼に精一杯の笑みを向ける。頬には涙が伝ってた。

これが最後だから、どうしても彼に言いたかった。

どんなに彼を好きだったか。


どんなに彼を愛していたのか。

胸がつぶれてひしゃげそうで壊れてしまうんじゃないかと思ったけれど、それだけは伝えたかったんだ。


ドアを挟んで正面に立つ彼は一瞬瞳が光った気がしたけれど、すぐにまた冷たい目に戻って戸を閉めた。

だから彼の切なそうな表情は、私の希望が見せた幻だったんだと思い直す。


「まもちゃん…愛してる…」


私はもう閉じられてしまったドアの向こうの彼に聞こえないくらいの小さな声でそう言うと、冬の街へと一人戻っていった。

※※※



「うさぎ、このあとさ…時間あるかな?」

大体の食事も終わり、目の前の彼は頼んだ赤ワインを一口飲んでから目元を少し赤くしてそう言った。

「え?特に用事は無いけど…明日は仕事も休みだし。」

「家、来ないか?その…もちろんうさぎが嫌じゃなければだけど。」

ここまで言われて分からないほど私も子供じゃなくなった。


3年前に最愛の恋人を失ってから何人かとお付き合いしたことがあったけれど、結局何も無いまますぐに別れてしまっていた。

それはもちろんあの人のことが忘れられないからで。

だけど、今正面にいる真剣な顔をした彼は私のことを本当に大事にしてくれていて、愛されているんだということもすごく伝わってくる。

触れられるのも嫌ではない。重ねるだけのキスも拒んだりはしなかった。

それは、あの人を失ってから初めてそう思える人だった。



この人だったら大丈夫なのかもしれない。

忘れることが…できるかもしれない。



本当の幸せにはなれなくても、充分今の私の心を満たしてくれるかもしれない。

私はそれでいい。彼を幸せにできるのなら。



甘えても…いいだろうか。


ねえ、いいかな。…まもちゃん。




心の中で、答えてくれるはずもないあの人に問いかける。

こうして繰り返し無意識に問いかけてしまうことも、彼の腕に抱かれることで、いつか無くなるかもしれない。


きっと…無くなる。



「じゃあ…お邪魔します。」

俯いて返事をすれば、彼は嬉しそうに微笑んで私の手を握った。

その笑顔はやっぱり彼自身しか持ち得ないもので。

その手は、泣きたくなるほど温かかった。









雪の降る夜はどうしてこんなに静かなんだろう。

彼の手が私に触れて、彼の唇が熱く重なる。

まだエアコンが効かない部屋は寒くて。窓の外はとても静か。

でもベッドの上で彼に愛される場所は確かに熱くて、冷え切った心も溶かして欲しくて…私はその背中に腕を回した。

だけど逃げようもない私の中の真実が、すぐに襲ってくるのだった。



それは目の前の彼が私の頬に触れてその瞳を真っ直ぐに注いだときに起こった。

「うさぎ…好きだ。」

『うさ、愛してる』

え―――?

彼が囁いた言葉と、あの人の言葉が重なって聞こえて。急に力を失った私は回していた腕をぽとりとシーツに落とした。

「うさぎ…!?」

シーツが冷たくなっていく。それが自分の涙のせいだと気付いたのは、彼が心配して私の頬を撫でてくれたときだった。

「ごめんなさい。」

「いいよ。やっぱり忘れられないんだね…。」

彼は体を起き上がらせてベッドの淵に腰掛けると、寂しそうな笑顔を向けてそう言った。

「どうして…」

目を見開いて問う。

そんなこと、自分は一言も言っていなかった。

「うさぎに忘れられない彼がいることぐらい、いつも君を見てたら分かるよ。でも俺はそれでも良かったから。うさぎが…好きだから。
代わりでも良かったんだ。それでいつか忘れてくれるならって思ってた。」

とっくに…気付かれていた。


とっくに…傷つけていたんだ。

「ごめん…なさ…」

起き上がって謝ると、彼に抱き締められる。

「謝らなくていいよ。俺だってずるいんだ。うさぎが俺に甘えようとしているのを分かってて、その気持ちを利用して…抱こうとしたんだから。」



どうして…?


どうして私は、こんなに良い人を好きになれないんだろう。

幸せにできないんだろう。



何度も何度も首を横に振って、ごめんを繰り返して泣き続けた。










まもちゃん。



やっぱり私はどうしてもあなたを忘れることなんてできないよ。




まもちゃん




どうしよう




私、あなたのことしか愛せない。


※※※


3年振りに訪れたあの人の住む国は、あの日と同じようにとても寒かった。

でも時間はまだ昼間で、雪は降っていない。



また冷たく追い返されるのだろう。それは分かっているけれど、一目でいいからあの人が夢を叶えて医師として働いている姿を見たかった。

どんな風に言われてもいい。

ただ会いたかった。



もう一度だけ、自分の変わらない気持ちを伝えたかった。

振ってしまった、最後まで優しくしてくれた彼のためにも。

彼が背中を押してくれなければ、私は今ここにいなかったのだから。




あの人が目指していたはずの有名な病院になんとか辿り着いて、ここに来る前にどうにか覚えた心臓外科の英単語を探す。

心臓外科はあの人の希望していたところだったから。


そしてその数分後。目的の場所がある廊下を歩くと、一度しか見たことがないけれど百回見るよりも忘れることができない女の人がナースの格好に身を包んで歩いてきた。


まもちゃんの彼女だ。


私は金縛りにあったように動けないでいた。


彼女は私に気付いて、思い出したかのような表情で真っ直ぐに近寄ってくる。


「あなた、マモルの恋人よね?彼の見舞いに来たのね。」


驚いた。


彼女が流暢な日本語で話し掛けてきたこともだけど、私が今まさに思っていたことを言われたからだ。

そして見舞いとは…どういうことなのだろう。

もしかして日本語を間違えているのか。


「あの、言っている意味が分からないんですけど。恋人はあなたの方ですよね?」

混乱した頭でそう問えば彼女は少し怒った顔をして溜め息を付いた。

「その答えはノーよ。」

「え?」

「いいから。彼の病室に案内するわ。」

外国の人は皆こうなのか。とにかく押しが強い感じに圧倒されるまま、訳も分からず彼女に腕を引かれていった。




「ここよ。」

心の準備が整わないうちに彼女は扉をノックして開けた。

『Mamoru Chiba』

病室のドアの横の名前を見て全身が粟立った。

え…?な、に…?
どういうこと…?

だってまもちゃんはお医者様になっているはずで

元気で

この人ときっと幸せに暮らしているのだと



思っていたのに――――?



恐る恐る中を覗いていると、彼女はその横を通り過ぎてベッドに向かう。

「マモル、面会よ。」

彼女が呼び掛ける。

返事が無く、私も思い切って前に出た。

その光景は、いっぺんに現実を私に叩き付ける。


彼は、沢山の管が繋がれていて眠っていた。その顔はとても白くて、一体彼に何が起こっているのか理解ができずに言葉を失った。

「もうこの状態になって一年になるわ。」

「まもちゃんは…どうしてこんな…」

「率直に言うわ。彼は、現在の医学では治らない病気に掛かってしまったの。それが分かったのは3年前よ。」

「え…?」

言っている意味がすぐには分からなかった私はそれだけ言うと、目の前が暗くなっていくのを感じていた。

「残念だけど余命はあと1ヵ月…もっと短いかもしれない。」

余命?

1ヵ月?

どういうこと?

まもちゃんは

まもちゃんは

まもちゃんは―――!!




「うさ…?」




足が震えて声も出ない私は、その言葉に弾かれるように近寄った。

「まもちゃん!!」

「どうしたんだ?また泣きそうな顔をして。」

優しく微笑んでそう言う彼に大粒の涙が溢れ出す。

「マモル、また後で来るわね。」

「ああ。」



彼女が出て行った後、まもちゃんは3年前には見せてくれなかった優しい瞳で私を見つめていた。

「まもちゃん…ごめん…ごめんね…っ」

何も知らなかった。まもちゃんが一人で苦しんでいたこと。

そんな彼を一人にしてしまっていたこと。


ベッドの淵に顔を埋めて泣くことしかできない。

そんな私の頭にふわりと手を置いていつもみたいにくしゃくしゃ撫でる彼に更に涙が溢れる。



「どうしてうさが謝るんだ。悪いのは俺だ。
自分が死ぬことが分かってて、お前を守ってやることが出来ないって分かっているのに一緒にいることなんて出来ないって思った。
そうやってうさを悲しませることしか出来ないのに側にいて欲しいって俺の我が儘に付き合わせる訳にはいかないだろ。

だからあんな嘘まで付いて…お前を遠ざけた。

ごめんな。傷付けて。

できれば死ぬまで言わないでおこうと思ったんだけど、もう彼女から俺のこと聞いてたみたいだし。

だから、死ぬ前に懺悔させてくれ。」

「まもちゃん…!」

「うさ、本当にごめん。あんな酷いこと言ったのに、それなのに俺にまた会いに来てくれて…ありがとう。」

まもちゃんは泣いていた。私の手を震える手で握りながら。

「まもちゃん!!」

私は彼に抱き付いた。何度も名前を呼びながら。

「私、忘れようと思ったの…!でも…っどうしても無理で…私…まもちゃんしか…まもちゃんしか愛せなかったよ…!!」

「…うん」

切なそうな声で言う彼の手の力が弱まっていく。

「まもちゃん…?」

「俺も…うさだけだ。愛してるよ…」

「うん…!ずっと…一緒だよ…?」

「ああ…ずっと一緒だ…」

すうっと力が無くなって瞳は閉じられる。

「まもちゃん…?まもちゃん!!」




やっと会えたのに




やっとあなたの本当の気持ちに触れることができたのに




愛する人はとても綺麗な顔をして眠ってしまった




冬のよく晴れた空の下。

私の大好きな彼は遠いところに永遠に旅立って行った。



私は…天使になってしまった彼に、最後の口付けを落とした。

※※※



「マモルの遺品よ。」

全てが終わったあと、空港でナースの彼女が帰国する私に箱を差し出して言った。

「ありがとうございます…」

「飛行機の中でもいいから見てあげて。あなたへの気持ちがたくさん詰まっているはずだから。」

「私への…?」

「彼ね、あなたが3年前に来たあの日、泣いてたわ。でも彼が涙を見せたのはそれが最後だった。
私は彼が好きだったからどんなことがあっても支えたかったけど、3年間彼を本当に支えていたのはあなただったわ。」

「私は…何も…」

もう流れないと思っていた涙が頬を伝う。

「そんなことない。そんなことないのよ…いいから中を見てね。」

彼女も一筋の涙を流してそう言った。

私は何も言えなくて、ただ頷いて頭を下げるとその場を去った。








飛行機が無事に離陸して、私は未だに放心状態のまま箱を開ける。

「これ…」

中には私達が付き合っていた頃に送り続けた手紙と、見慣れない手紙がその数に負けないくらい入っていた。



それは消印のないまもちゃんから私へのエアメールだった。


『うさへ
あんなことを言って傷付けることしかできなかった俺が、お前に手紙を書くなんて許されないって分かっているけれど送らずに書くだけならいいよな?』


まもちゃん…。



その手紙にはまもちゃんがどんな風に過ごしてきたか、何を思っていたのか…たくさんたくさん記されていた。


『うさへ

もう恋人はできたか?俺はお前には幸せになって欲しい。だからお前を幸せにしてくれる奴が現れてくれたらって思ってる。
だけど、夢を見るんだ。夢の中のうさは昔と同じように隣にいて笑ってる。
闘病生活は想像以上の辛さだけど、思い出の中にある大好きな笑顔や、書いてる表情がすぐに思い浮かぶような君からのたくさんの手紙。
それがあるからおれは何とか生きていられるんだ。

うさ。ありがとう。』


どの手紙にもどの手紙にも、彼からの愛が溢れていた。


「まもちゃん…」


『幸せになれ。うさ。
俺はいつまでもお前の幸せだけを祈ってる。
俺はお前と出会えて…好きになって幸せだった。
今までありがとう。
愛してるよ。』






それが最後の手紙だった。


私はその手紙全てを嗚咽を漏らしながら抱き締める。これを書いたその人のことを抱き締めるように。



まもちゃん




まもちゃん





ありがとう






私あなたを一生忘れない






あなただけが私の恋人だよ。





見ててね。私、頑張って生きるから。




ちゃんと…幸せになるから。







まもちゃん







愛してる




おわり(初出2013年)
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