boys & girls(年齢逆転パロ)
3.
「あ!私やるよ!」
コーヒーを用意しようとしていたら、洗面所で手を洗っていた彼女がスリッパの音をパタパタさせながら近寄ってきて言った。
「いいよ。うさぎさんはお客さんなんだから。」
「でも、彼女でしょう?私がやりたいの♪あ!衛くんもちゃんと豆から挽いて淹れるんだね。うちと一緒だ。」
「うさぎさんの家も?」
「うん!パパがこだわり派でね。私もよく淹れてあげたりするから。」
そう言って、カップはこれでいい?と食器棚から出す彼女を見て思う。
意外だ。普段おっちょこちょいが目立つ彼女が慣れた感じにキッチンで立ち振る舞っている。
すごく…意外だ。
でも、なんかいいよな。こういうの。
うさぎさんに任せることにした俺は、コーヒーを挽いている彼女を後ろから見つめていた。
しばらくそうしていると、耳からうなじ辺りまで目に見えるほど赤くなる彼女にはっとする。と同時に振り返ったその張本人にじとっと睨まれた。
「衛くん…見すぎっ気になっちゃうじゃん。」
「あ…ごめん。」
「いいんだけど…」
「…」
「……」
目線をさ迷わせる俺たち。そんな中沈黙を切ったのはやはり彼女だった。
「あ!もしかしてちゃんとできるか心配してる?大丈夫!私これでも高校入ってからはドジ踏むの減ってきたんだから。コーヒーくらい淹れられるよ!?」
「うん。いやでも…折角うさぎさんが家に来たのに離れるのはもったいないかなと思って。」
「…っ!!」
………ん?俺何口走ってんだ…!?
つい思ったままを話してしまった。朱を走らせる彼女に一歩遅れて、俺も負けず劣らず真っ赤になる。
「も、もう!いいから、ガリレオさんの本とか読んでなよーっ」
「…うん。」
どんと肩を押されて言われれば、俺もちょっと頭を冷やさなくてはという思いから背を向けてキッチンから出て行った。
※※※
どうしよう。衛くんが家に誘ってくれたとき、嬉しくてすぐに行くって返事してしまって来たけれど。
おうちの人がいるって思っていたし、こんなに二人だけの空間を意識することなんて無いって思っていたから。正直今。どんな顔をして、どんな風に彼と過ごせばいいのか分からない。
コーヒーを淹れた私はソファーで本を読んでいる彼の横顔に見惚れてトレイを持って佇んだまま動けなくなってしまっていた。
衛くんは三つも年下で、中学生で。背だってそんなに変わらない。でも、手を繋げば私よりも彼のほうが大きくて骨ばっていて。私を見つめる優しい瞳は確かに私への想いが込められていて…吸い込まれてしまいそうなくらいの抗えない力があって。
そんな一つ一つに男の人を感じてしまう自分がいる。
不意に本から目線をこっちに向けた彼とばちりと目が合って。私は慌ててコーヒーとスイーツを載せたトレイをローテーブルに置いた。その勢いでちょっとだけコーヒーが零れてしまった。
「あっごめん!やっぱりドジだよね私って。ふきん借りてもいいかなっ!」
「大丈夫だよ零れたのはトレイにだけだし。それよりうさぎさんは平気?火傷とかしてないか?」
そう言った彼に両手を取られて心臓の音がびっくりするほど早くなる。
変だ…私。これだけなのに顔が熱いよ…っ
俯いて黙っている私の頬に衛くんの手が触れる。
床に膝立ちのままだった私とソファーに腰掛けている衛くん。彼を見るといつもとは違って見上げる形になった。何も言えない。衛くんも…何も言わない。でも、目も逸らせない。
彼の少しだけ潤んだように見える瞳の中に真っ赤な顔をした私が映ってる。
「うさぎさん…」
衛くんの躊躇いがちなその声と、近付くお互いの顔。ドキドキに耐えられない私は目を瞑ると、唇に温かな感触がして…すぐにふっと離れた。
「衛…くん?」
「……そんな顔して見るなよ…」
ぱっと目も逸らされてしまって呟かれたその言葉。ごめんと思わず謝ると。
「いや、いーけど。ほら、うさぎさん腹減ってるんだろ?」
そう言ってシュークリームとプリンを差し出してくる彼の顔は少し赤い。
「あ。うん!もーぺっこぺこ!ありがと!」
私も、なんだか自分じゃなくなっちゃうようなおかしな空気を変えたくて張り切ってそう返すとそれを受け取った。きっと私の顔もまだまだ赤い。
「うん。」
そう言ってくしゃっと頭を撫でられてドキンと胸が鳴る。
あれ?何だかいつもよりも衛くんから触れてくるのが多い気がする。何だかやられっぱなしな気がする。嫌じゃないけどドキドキが鳴り止まなくて困るよ…。
やっぱり彼の家だから?
二人……きりだから……?
シュークリームを持ちながらドキドキしっぱなしで上目で彼をじーっと見つめていた私。その視線に気付いて先にチョコプリンを食べていた衛くんは目元を赤くした後あ、と小さく声を上げる。
「うさぎさん、シュークリーム潰れてるけど。」
「え。わっやだーー!!」
いつの間にか力が入って持っていたからか潰れてクリームが飛び出しちゃってる。やだもう恥ずかしいっ!大人女子の威厳がーー!
仕方が無いし勿体無いしで、手に付いたクリームをペロッと舐め取っていると…視線。ちらっとその視線の先を見上げれば。
「やっぱりタオル持ってくるからっ!!」
と衛くんは何故だか真っ赤な顔で突然大声でそう言って勢い良く立ち上がった。
「…?ありがとう…?」
私はよく分からないままにそう言ってキッチンに消える彼を呆けて見届けた。
※※※
うさぎさん、自覚無さすぎ。自分がどんな顔してるのかとか分かって無さすぎだろ。
いつもと違って彼女を見下ろす形になって、真っ赤な顔、潤んだ目で見上げられて堪らなくなってキスしてしまった。でも。正直色々限界ですぐに唇を離したら、何だかすごく物足りなさそうな顔で見られて。
そんな顔をされたら止められなくなる。本当に…無理だから。そんな色っぽい顔とかきつ過ぎる!!
だから。必死に話題を食べ物にすり替えて難を逃れようと思ったのに。
あんな風にクリーム舐めるとか……たくっ!なんなんだよ!あー…もう!しかも制服の緩い襟元からは谷間見えてるし!!これは一体何の我慢大会なんだよ!!
もっと二人の時間をゆったり過ごしたいと思っていた俺の計画は、もろくも崩れ、別のどうしようもない欲求に支配されつつあった。
果たして俺は、うさぎさんのところに戻るまでに冷静な理性を呼び戻すことなんて…できるのだろうか。
「はい、タオル。」
「あ!ありがと!」
俺はうさぎさんの顔を見れずにそのまま水で絞ったタオルを渡すと、視線を合わせないままソファーに座った。呼びかけられても返事が出来ない。
すると一人分だった重みのソファーがもう一人の重さで弾んで。すぐ隣にうさぎさんが腰掛けて俺の顔を覗き込もうとしていた。目が合う。すると彼女はにっこりと微笑んだ。
「やっぱりこの位置が落ち着くな♪」
そう言って肩にこてんと頭を置いたうさぎさんはえへへっと照れくさそうに笑う。
もう限界。もう…無理だ。
「うさぎさん…っ!」
「えっ!?きゃっ」
どさっとそのままソファーに倒れ込むと、彼女は突然のことに真っ赤な顔をして俺のことを見上げてくる。
「うさぎさん…俺…」
「まもるく…っ」
理性の糸がプツリと切れていた俺は目の前の桜色の唇に誘われるようにキスをし、角度を変えながら何度もその甘い香りを味わった。
「ど…したの…?衛くん変、だよ…っ?」
うさぎさんの言葉はもう耳には全く入ってこなくて、ただその開いた口に本能のままに食らい付いてしまった。
「いた…っ」
「!ごめん」
勢いが付き過ぎて歯が当たってしまって。己の行動に恥ずかしくなって顔を上げる。
「あの、あのね、衛くん。こーゆーのはまだちょっと、ね」
「うん……ごめん」
「あ、誤解しないで!いやとかそういうんじゃないの。でもね、まだ私、こうしてるだけで幸せだから」
きゅうっと抱きつかれて囁く声は可愛すぎて、もう本当に色々無理だったけど、彼女のことを無理にどうにかしようだなんて気持ちはなかったから。俺はひと呼吸置いてから「うん」とどうにか返事した。
ソファーから起き上がった俺たちの間に少しだけ気まずい空気が流れたけれど、それを振り払うかのようにうさぎさんが声を上げた。
「ねえ衛くん」
「え?」
「あれ、天体望遠鏡だよね?」
今までのやり取りを必死で頭の中から振り払おうとしていた俺と違って、もう何事もなかったかのようなその言葉に少しむっとしたけれど、その微笑みはやっぱり天使みたいに可愛かったから苦笑するしかなくて。小さく頷いてから彼女の頭を撫でるとうさぎさんはくすぐったそうに笑う。
「夜に一緒に見る?ベランダでもいいし、このマンションの屋上もいつも開放されてるから。」
「うん!嬉しい。でも…」
「今日じゃなくてもいいよ。なんかその、色々しちゃったしさ。うさぎさんキャパ超えてそうだもん。また、日を改めて。」
俺のほうが超えてるけど、それは黙っとく。
顔を赤らめてうーと唸る恋人が可愛くて、そっと頬を撫でる。
「ごめん。今日は帰ったほうがいいよな。うさぎさんの家族も心配するだろうし。」
家族。その言葉にうさぎさんははっとして、俺も黙る。
今なら言えるだろうか。俺をこうして受け止めてくれた彼女に。今なら俺も余計な邪念は入れずに過去を話せるだろうか。
俺は彼女の肩を強く抱いて、深呼吸すると蓋をしていた思いをぽつりぽつりと語り始めた。
「その天体望遠鏡、俺の両親が最後にくれた…誕生日プレゼントなんだ。」
「最後…?」
そして俺は両親と六歳の誕生日に一緒に出掛けた帰りに事故に遭った事。両親が死に、俺だけが生き残った事。でもそれ以前の記憶を全て失ってしまった事。けれど家に帰ってきて葬儀や全てが親戚により片付けられた後、不在届けを経て何日か遅れてこの天体望遠鏡が届いた事。メッセージには両親の言葉が綴られていた事。
それらをゆっくりと、話した。
「『これからいっしょにいっぱいほしをみようね。きっとまもるのだいすきなせかいのえらいひとたちもほしになってそらでかがやいているから、そのひとたちをみつけよう。パパと、ママときょうそうだよ』って。」
彼女を抱いている肩が濡れていくのが分かった。その体が震えていることも。こんなことを話されて、重い彼氏だと思われただろうか。
でも。うさぎさん、最後まで聞いて欲しいんだ。
俺は更に思いを彼女に語っていった。
そのメッセージを読んでから、俺はまるで両親を探すかのように毎夜星を天体望遠鏡で眺めていた。コーヒーメーカーも、戸棚に残された豆を見て。きっと両親もこれを挽いて飲んでいたのだろうと思ったら、まだコーヒーの味も分からないのに毎日それを挽いてみた。濃くて飲めない日も、それでもその香りが酷く懐かしくて。毎日毎日。両親の幻影を追うように。
ずっと、独りだと思っていた。たった独り、取り残された…日々。
「けど、ある夜夢を見たんだ。」
「ゆめ…?」
肩を抱き寄せれば、涙を流し続ける彼女も俺の手をぎゅっと握ってきた。
「まるでどこかのお姫様みたいな女の人が、言うんだ。あなたは独りじゃない。いつか必ず巡り会えるからって。夢なんだけど、夢に思えないほど彼女の存在はリアルで…俺の中のただ一つの本当の記憶のように感じた。」
「衛くん…」
「笑わないで欲しいんだけど、そのお姫様が…うさぎさんにそっくりだったんだって最近気付いた。でも、例えそうじゃなくてもうさぎさんは俺を孤独から救ってくれた本当に…本当に大切な人なんだ。」
彼女の手を握り返して真っ直ぐに見つめる。すると彼女は泣いている顔を更に崩して抱きついてきた。
「…わない…っ」
「え…?」
「笑わないよ…っ!だって…私も同じ夢を見たの…っ」
「同じ…夢?」
「そう。夢の中でね、王子様みたいな男の人が…いつか絶対巡り会える。きっと探してみせるからって…言うの。今気付いた…。あのひと…あなたにそっくりだったって…っ」
「うさぎ…さん…」
彼女が俺の頬を包み込む。そして泣きながら、とても綺麗に微笑んだ。
「きっとわたしたち、運命の恋人だったのよ。」
「…っ」
俺は泣いた顔を見られたくなくて彼女をただ強く抱き締める。
「もう、独りじゃ、ないね。」
「うん。」
―セレニティ―
心の中のもう一人の自分がそう言った気がした。
「私を…見つけてくれて…ありがとう」
―エンディミオン―
そして、彼女の中のもう一人の彼女の声も聞こえた気がした。
「…ああ…っ」
そうして俺達はただ抱き合って、温かな涙を流して、それが乾くまでキスを何度も交わし合った。彼女の温もりが酷く懐かしく感じたことも、彼女とのキスもまるでどこかでしたかのような既視感も、それらはきっと太古の昔のもう一人の自分達の記憶だったのだと。
それでもお互い、ただ一人の恋人に巡り会えた奇跡に言葉に出来ない喜びに包まれて、
何度も、何度も。
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「あ!私やるよ!」
コーヒーを用意しようとしていたら、洗面所で手を洗っていた彼女がスリッパの音をパタパタさせながら近寄ってきて言った。
「いいよ。うさぎさんはお客さんなんだから。」
「でも、彼女でしょう?私がやりたいの♪あ!衛くんもちゃんと豆から挽いて淹れるんだね。うちと一緒だ。」
「うさぎさんの家も?」
「うん!パパがこだわり派でね。私もよく淹れてあげたりするから。」
そう言って、カップはこれでいい?と食器棚から出す彼女を見て思う。
意外だ。普段おっちょこちょいが目立つ彼女が慣れた感じにキッチンで立ち振る舞っている。
すごく…意外だ。
でも、なんかいいよな。こういうの。
うさぎさんに任せることにした俺は、コーヒーを挽いている彼女を後ろから見つめていた。
しばらくそうしていると、耳からうなじ辺りまで目に見えるほど赤くなる彼女にはっとする。と同時に振り返ったその張本人にじとっと睨まれた。
「衛くん…見すぎっ気になっちゃうじゃん。」
「あ…ごめん。」
「いいんだけど…」
「…」
「……」
目線をさ迷わせる俺たち。そんな中沈黙を切ったのはやはり彼女だった。
「あ!もしかしてちゃんとできるか心配してる?大丈夫!私これでも高校入ってからはドジ踏むの減ってきたんだから。コーヒーくらい淹れられるよ!?」
「うん。いやでも…折角うさぎさんが家に来たのに離れるのはもったいないかなと思って。」
「…っ!!」
………ん?俺何口走ってんだ…!?
つい思ったままを話してしまった。朱を走らせる彼女に一歩遅れて、俺も負けず劣らず真っ赤になる。
「も、もう!いいから、ガリレオさんの本とか読んでなよーっ」
「…うん。」
どんと肩を押されて言われれば、俺もちょっと頭を冷やさなくてはという思いから背を向けてキッチンから出て行った。
※※※
どうしよう。衛くんが家に誘ってくれたとき、嬉しくてすぐに行くって返事してしまって来たけれど。
おうちの人がいるって思っていたし、こんなに二人だけの空間を意識することなんて無いって思っていたから。正直今。どんな顔をして、どんな風に彼と過ごせばいいのか分からない。
コーヒーを淹れた私はソファーで本を読んでいる彼の横顔に見惚れてトレイを持って佇んだまま動けなくなってしまっていた。
衛くんは三つも年下で、中学生で。背だってそんなに変わらない。でも、手を繋げば私よりも彼のほうが大きくて骨ばっていて。私を見つめる優しい瞳は確かに私への想いが込められていて…吸い込まれてしまいそうなくらいの抗えない力があって。
そんな一つ一つに男の人を感じてしまう自分がいる。
不意に本から目線をこっちに向けた彼とばちりと目が合って。私は慌ててコーヒーとスイーツを載せたトレイをローテーブルに置いた。その勢いでちょっとだけコーヒーが零れてしまった。
「あっごめん!やっぱりドジだよね私って。ふきん借りてもいいかなっ!」
「大丈夫だよ零れたのはトレイにだけだし。それよりうさぎさんは平気?火傷とかしてないか?」
そう言った彼に両手を取られて心臓の音がびっくりするほど早くなる。
変だ…私。これだけなのに顔が熱いよ…っ
俯いて黙っている私の頬に衛くんの手が触れる。
床に膝立ちのままだった私とソファーに腰掛けている衛くん。彼を見るといつもとは違って見上げる形になった。何も言えない。衛くんも…何も言わない。でも、目も逸らせない。
彼の少しだけ潤んだように見える瞳の中に真っ赤な顔をした私が映ってる。
「うさぎさん…」
衛くんの躊躇いがちなその声と、近付くお互いの顔。ドキドキに耐えられない私は目を瞑ると、唇に温かな感触がして…すぐにふっと離れた。
「衛…くん?」
「……そんな顔して見るなよ…」
ぱっと目も逸らされてしまって呟かれたその言葉。ごめんと思わず謝ると。
「いや、いーけど。ほら、うさぎさん腹減ってるんだろ?」
そう言ってシュークリームとプリンを差し出してくる彼の顔は少し赤い。
「あ。うん!もーぺっこぺこ!ありがと!」
私も、なんだか自分じゃなくなっちゃうようなおかしな空気を変えたくて張り切ってそう返すとそれを受け取った。きっと私の顔もまだまだ赤い。
「うん。」
そう言ってくしゃっと頭を撫でられてドキンと胸が鳴る。
あれ?何だかいつもよりも衛くんから触れてくるのが多い気がする。何だかやられっぱなしな気がする。嫌じゃないけどドキドキが鳴り止まなくて困るよ…。
やっぱり彼の家だから?
二人……きりだから……?
シュークリームを持ちながらドキドキしっぱなしで上目で彼をじーっと見つめていた私。その視線に気付いて先にチョコプリンを食べていた衛くんは目元を赤くした後あ、と小さく声を上げる。
「うさぎさん、シュークリーム潰れてるけど。」
「え。わっやだーー!!」
いつの間にか力が入って持っていたからか潰れてクリームが飛び出しちゃってる。やだもう恥ずかしいっ!大人女子の威厳がーー!
仕方が無いし勿体無いしで、手に付いたクリームをペロッと舐め取っていると…視線。ちらっとその視線の先を見上げれば。
「やっぱりタオル持ってくるからっ!!」
と衛くんは何故だか真っ赤な顔で突然大声でそう言って勢い良く立ち上がった。
「…?ありがとう…?」
私はよく分からないままにそう言ってキッチンに消える彼を呆けて見届けた。
※※※
うさぎさん、自覚無さすぎ。自分がどんな顔してるのかとか分かって無さすぎだろ。
いつもと違って彼女を見下ろす形になって、真っ赤な顔、潤んだ目で見上げられて堪らなくなってキスしてしまった。でも。正直色々限界ですぐに唇を離したら、何だかすごく物足りなさそうな顔で見られて。
そんな顔をされたら止められなくなる。本当に…無理だから。そんな色っぽい顔とかきつ過ぎる!!
だから。必死に話題を食べ物にすり替えて難を逃れようと思ったのに。
あんな風にクリーム舐めるとか……たくっ!なんなんだよ!あー…もう!しかも制服の緩い襟元からは谷間見えてるし!!これは一体何の我慢大会なんだよ!!
もっと二人の時間をゆったり過ごしたいと思っていた俺の計画は、もろくも崩れ、別のどうしようもない欲求に支配されつつあった。
果たして俺は、うさぎさんのところに戻るまでに冷静な理性を呼び戻すことなんて…できるのだろうか。
「はい、タオル。」
「あ!ありがと!」
俺はうさぎさんの顔を見れずにそのまま水で絞ったタオルを渡すと、視線を合わせないままソファーに座った。呼びかけられても返事が出来ない。
すると一人分だった重みのソファーがもう一人の重さで弾んで。すぐ隣にうさぎさんが腰掛けて俺の顔を覗き込もうとしていた。目が合う。すると彼女はにっこりと微笑んだ。
「やっぱりこの位置が落ち着くな♪」
そう言って肩にこてんと頭を置いたうさぎさんはえへへっと照れくさそうに笑う。
もう限界。もう…無理だ。
「うさぎさん…っ!」
「えっ!?きゃっ」
どさっとそのままソファーに倒れ込むと、彼女は突然のことに真っ赤な顔をして俺のことを見上げてくる。
「うさぎさん…俺…」
「まもるく…っ」
理性の糸がプツリと切れていた俺は目の前の桜色の唇に誘われるようにキスをし、角度を変えながら何度もその甘い香りを味わった。
「ど…したの…?衛くん変、だよ…っ?」
うさぎさんの言葉はもう耳には全く入ってこなくて、ただその開いた口に本能のままに食らい付いてしまった。
「いた…っ」
「!ごめん」
勢いが付き過ぎて歯が当たってしまって。己の行動に恥ずかしくなって顔を上げる。
「あの、あのね、衛くん。こーゆーのはまだちょっと、ね」
「うん……ごめん」
「あ、誤解しないで!いやとかそういうんじゃないの。でもね、まだ私、こうしてるだけで幸せだから」
きゅうっと抱きつかれて囁く声は可愛すぎて、もう本当に色々無理だったけど、彼女のことを無理にどうにかしようだなんて気持ちはなかったから。俺はひと呼吸置いてから「うん」とどうにか返事した。
ソファーから起き上がった俺たちの間に少しだけ気まずい空気が流れたけれど、それを振り払うかのようにうさぎさんが声を上げた。
「ねえ衛くん」
「え?」
「あれ、天体望遠鏡だよね?」
今までのやり取りを必死で頭の中から振り払おうとしていた俺と違って、もう何事もなかったかのようなその言葉に少しむっとしたけれど、その微笑みはやっぱり天使みたいに可愛かったから苦笑するしかなくて。小さく頷いてから彼女の頭を撫でるとうさぎさんはくすぐったそうに笑う。
「夜に一緒に見る?ベランダでもいいし、このマンションの屋上もいつも開放されてるから。」
「うん!嬉しい。でも…」
「今日じゃなくてもいいよ。なんかその、色々しちゃったしさ。うさぎさんキャパ超えてそうだもん。また、日を改めて。」
俺のほうが超えてるけど、それは黙っとく。
顔を赤らめてうーと唸る恋人が可愛くて、そっと頬を撫でる。
「ごめん。今日は帰ったほうがいいよな。うさぎさんの家族も心配するだろうし。」
家族。その言葉にうさぎさんははっとして、俺も黙る。
今なら言えるだろうか。俺をこうして受け止めてくれた彼女に。今なら俺も余計な邪念は入れずに過去を話せるだろうか。
俺は彼女の肩を強く抱いて、深呼吸すると蓋をしていた思いをぽつりぽつりと語り始めた。
「その天体望遠鏡、俺の両親が最後にくれた…誕生日プレゼントなんだ。」
「最後…?」
そして俺は両親と六歳の誕生日に一緒に出掛けた帰りに事故に遭った事。両親が死に、俺だけが生き残った事。でもそれ以前の記憶を全て失ってしまった事。けれど家に帰ってきて葬儀や全てが親戚により片付けられた後、不在届けを経て何日か遅れてこの天体望遠鏡が届いた事。メッセージには両親の言葉が綴られていた事。
それらをゆっくりと、話した。
「『これからいっしょにいっぱいほしをみようね。きっとまもるのだいすきなせかいのえらいひとたちもほしになってそらでかがやいているから、そのひとたちをみつけよう。パパと、ママときょうそうだよ』って。」
彼女を抱いている肩が濡れていくのが分かった。その体が震えていることも。こんなことを話されて、重い彼氏だと思われただろうか。
でも。うさぎさん、最後まで聞いて欲しいんだ。
俺は更に思いを彼女に語っていった。
そのメッセージを読んでから、俺はまるで両親を探すかのように毎夜星を天体望遠鏡で眺めていた。コーヒーメーカーも、戸棚に残された豆を見て。きっと両親もこれを挽いて飲んでいたのだろうと思ったら、まだコーヒーの味も分からないのに毎日それを挽いてみた。濃くて飲めない日も、それでもその香りが酷く懐かしくて。毎日毎日。両親の幻影を追うように。
ずっと、独りだと思っていた。たった独り、取り残された…日々。
「けど、ある夜夢を見たんだ。」
「ゆめ…?」
肩を抱き寄せれば、涙を流し続ける彼女も俺の手をぎゅっと握ってきた。
「まるでどこかのお姫様みたいな女の人が、言うんだ。あなたは独りじゃない。いつか必ず巡り会えるからって。夢なんだけど、夢に思えないほど彼女の存在はリアルで…俺の中のただ一つの本当の記憶のように感じた。」
「衛くん…」
「笑わないで欲しいんだけど、そのお姫様が…うさぎさんにそっくりだったんだって最近気付いた。でも、例えそうじゃなくてもうさぎさんは俺を孤独から救ってくれた本当に…本当に大切な人なんだ。」
彼女の手を握り返して真っ直ぐに見つめる。すると彼女は泣いている顔を更に崩して抱きついてきた。
「…わない…っ」
「え…?」
「笑わないよ…っ!だって…私も同じ夢を見たの…っ」
「同じ…夢?」
「そう。夢の中でね、王子様みたいな男の人が…いつか絶対巡り会える。きっと探してみせるからって…言うの。今気付いた…。あのひと…あなたにそっくりだったって…っ」
「うさぎ…さん…」
彼女が俺の頬を包み込む。そして泣きながら、とても綺麗に微笑んだ。
「きっとわたしたち、運命の恋人だったのよ。」
「…っ」
俺は泣いた顔を見られたくなくて彼女をただ強く抱き締める。
「もう、独りじゃ、ないね。」
「うん。」
―セレニティ―
心の中のもう一人の自分がそう言った気がした。
「私を…見つけてくれて…ありがとう」
―エンディミオン―
そして、彼女の中のもう一人の彼女の声も聞こえた気がした。
「…ああ…っ」
そうして俺達はただ抱き合って、温かな涙を流して、それが乾くまでキスを何度も交わし合った。彼女の温もりが酷く懐かしく感じたことも、彼女とのキスもまるでどこかでしたかのような既視感も、それらはきっと太古の昔のもう一人の自分達の記憶だったのだと。
それでもお互い、ただ一人の恋人に巡り会えた奇跡に言葉に出来ない喜びに包まれて、
何度も、何度も。
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