precious time

「おはよールナ。げぇー?!やだやだなんでこんなに降ってるのー?!」

月野うさぎ。花の女子大生。中学の頃よりは少しだけ早く起きられる日も増えてきたお団子頭がトレードマークの美少女だ。短期大学に入ってからは少女から大人の女性へと日に日に成長を遂げていた。
今日は特別早起きで、時計はまだ6時を少し回ったところ。

6月30日であるこの日はうさぎの19回目の誕生日。予報では分かってはいたものの、出窓いっぱいに飾ったてるてる坊主も虚しい雨模様に深い溜息をついて外に不満を投げ付けた。

今年の誕生日は土曜日で大学も休みで、高校とは違い前期テストまでまだ期間がある為憂いなしのまっさらな休日だ。恋人の衛も同様で、夢の国の呼び声高いテーマパークに遊びに行こうと前々から計画していたのだった。

「おはよううさぎちゃん、元気出しなさいよ。あと、げぇーはやめなさい。アルテミスから聞いた話だけど、あの遊園地は雨でも楽しめるらしいわよ?」

「そうなの?!あ、美奈Pが行ったのかな?」

実はアルテミスは卓上旅行が趣味で、美奈子が買ってきた床に放置している大量の様々な情報誌を片っ端から読んでは実際行かない場所の知識を吸収し、実に面白くルナに提供したりするのだが(ルナはその話を聞くのが結構好きだ)、それを今言うのも違うような気がして適当に相槌を打っておいた。

「あ、そうだうさぎちゃん。」

「なあに?」

「お誕生日、おめでとう。」

コホンと改まった咳をして尻尾をゆっくりと揺らしながら微笑んで言うルナ。うさぎはそんな彼女を抱き上げて頬ずりをするとぎゅうっと抱きしめた。

「ありがとう!ルナ!」




「おはよう、うさぎ」

リビングに降りれば家族はみんな起きていて一家の長女を迎えた。

「お、おはよう、みんな早起きだね。」

驚いて言うと、育子がそんな娘の手を取ってニッコリ笑う。

「だって今日は衛君とデートでしょ?お祝いの言葉は朝くらいしかちゃんと言えないと思って。
うさぎ、お誕生日おめでとう。」

「ママ……」

「おめでとう。うさぎももう19歳か。」

「パパ……」

「おめでとさん。姉貴はガキっぽいからあと1年で成人だなんて信じられないよなあ。」

「何よ進悟ー!」

そういうところだよ。なんて返されるが、それでも彼なりの祝いの言葉だと分かっているため怒りながらも笑顔だ。

「えへへ、ありがとね!みんな!!」



薄化粧を施したうさぎは買ったばかりのワンピースも良く似合っていて、育子はニコニコ笑顔で見守り、謙之は美しい娘にやや複雑な心境を隠せない。そして弟進悟はいつも通りがっつり朝食を食べ、お代わりまでしていた。もちろんうさぎも。



玄関で靴を履くと育子に背後から声をかけられる。

「うさぎ、衛君によろしくね。」

「うん♪」

「明日は家族でうさぎの誕生日本番を祝うからな!…ちゃんと帰ってくるんだぞ?」

最後はなぜかひそひそ声の父親に苦笑する。

「はーい分かってるよパパ。」

「お土産忘れんなよ!」

「進悟!あんた誕生日のお姉さまに物をねだる気?!」

「プレゼントと土産は別だろー?」

にっしっしと笑う小生意気な弟にも楽しいデートが控えている今日ばかりは寛大だ。

「もう!分かったわよ!行ってきまーす!」

「「「行ってらっしゃい」」」

うさぎは笑顔で家を出て行く。そして扉が閉まり玄関先に残った家族は、ほんの少しの寂しさを混ぜたような、それでも柔らかな笑みをそれぞれ浮かべていた。



うさぎの持っている傘は、戦闘もない今となってはすっかり使わなくなってしまったもののデザインも可愛くてお気に入りの変装ペンが変形したものだった。

生地は薄いピンク色の半透明で白銀色のラメが入っているかのように全体がキラキラしていて、そこへ雨粒が降り注ぐと輝きが形を変えては消えていく……。
うさぎはそんな魔法の傘を見上げるのがとても好きだった。こうしていると苦手な雨も素敵な贈り物のように思えてくるから。

そんな風に駅前で微笑みを携えて傘を差す綺麗な横顔に見惚れて足を止める男が一人。
漆黒の髪に整った顔立ちで長身の彼は、うさぎの恋人の地場衛だ。
衛は視線の先の雨に浮かび上がり周りがほんのり白く象られた恋人をこのまま家に連れ帰り独り占めしてしまいたい衝動が生まれる。しかし誕生日を彼女のリクエストに応えて楽しい思いを共有したいという気持ちも本当なので、足を速めて恋人に近寄った。

彼の傘は落ち着いたネイビー色だが、実は内側にはネイビーを背景に少し明るいグレーで夜空に浮かぶたくさんの星座を描いた小さな宇宙が広がっている。

「うさ、お待たせ。」

「…!まもちゃん!おはよう!」

二つの傘が重なって、静かな瞬きが二人の出会いを祝福している。まるで七夕伝説の夫婦のように。


「おはよう。ちゃんと早起きできたんだな。偉いぞ。」

「うん!」

「生憎雨だけど、今日行くところは室内アトラクションも多いから大丈夫だと思う。」

「やっぱりそうなんだね!まもちゃん調べてくれたの?」

「まあそれなりに、な。」

「嬉しい!ありがとう!」

駅構内まで会話を弾ませながら歩く二人。

傘を閉じてより近くで向き合うと、衛がうさ、と呼び掛ける。

「誕生日おめでとう。」

「ありがとう、まもちゃん!」

衛はうさぎの頭をくしゃりと撫でる。このあとまたちゃんと言うつもりだが、大好きなうさぎの笑顔を見て、心からの祝いの言葉が自然と出てきたのだ。

抱きしめたい衝動も今は手を繋ぐことだけにとどめて微笑み合う。
言葉はいらなかった。ただ蕩けそうなほどの甘い視線を互いに送って。



遊園地に着くとまずシューティング型アトラクションのファストパスを取った彼らは、空いた時間にこのテーマパークのキャラクターと会って写真が撮れるというコーナーに並んでいた。
そこはキャラクターの家という設定のため内装がどこを見ても凝った作りで可愛らしく、うさぎの笑顔も弾けた。そんな彼女を写真に撮る衛。遊園地全体がフォトスポットの夢の国は、どこで撮っても被写体である彼女の可愛らしさが光るのだった。

「まもちゃんの事も撮ってあげるよ!」

「俺はいいよ。」

「だーめ!せっかく来たんだもん。」

うさぎは衛のデジカメをぱっと取り上げて用意していた彼女が付けている対のキャラクターのカチューシャを踵を上げてひょいと衛に装着すると、満足顔で一枚撮った。

そんな事をしているうちに、ついに撮影の順番が来て苦笑しつつもそれを付けたまま大人気のキャラクターを挟んで思い出の写真が撮られたのだった。

うさぎに思いっきりハグされているキャラへ少しばかり複雑な思いもあったが、彼女が心底楽しんでいることがよく分かるので嬉しさの方が勝る。

そんな二人とキャラクターを撮影した当遊園地のキャストは、
(よっしゃあ美男美女の超絶可愛い写真が撮れたわ!!!)
と心の中で激しくガッツポーズしていた。
そして撮影が終わった後もキャラクターに天使の笑みでもう一度ハグする彼女、そんな彼女が可愛くてしょうがないという眼差しで見守るイケメン彼氏を見るに君の名は?!と尋ねたくなるのを抑えるのに必死になっていた。




「まもちゃん、本当にいいの?」

「大丈夫だ。」

シューティング型ライドのアトラクションを衛が高得点、うさぎが銀河点(奇跡の無得点)で終え、ボートに乗って人形達の可愛らしい世界を巡るアトラクション、黄色いクマと愉快な仲間達の冒険にも乗り、昼食をとった後。今二人はこの遊園地の三大コースターの一つ、水の上を走り最後は滝から落ちるという設定のアトラクションに並んでいた。

衛の表情は苦手意識を散らす為に『無』になっていたのだが。

「私は嬉しいんだけど、まもちゃんジェットコースター苦手でしょ?」

しかしうさぎとて付き合いが長い恋人の数少ない弱点を知っている。あっさりと言い当てられて衛はピタリと動きを止めるが、次の瞬間百人中百人がクラリときてしまうような憂いある微笑を浮かべて頭をゆっくりと撫でた。

「今日はうさの誕生日だろ。好きなものに乗って欲しいし、俺も一緒にいたい。」

「まもちゃん……でも、私のわがままでまもちゃんが楽しめないのは嫌だよ。」

衛の気持ちが嬉しくて瞳を潤ませるうさぎだが、苦手なものを無理させてまで一緒に乗ろうとはやはり思えない。一緒に楽しめなければ意味が無く、心からは楽しめないのだ。

そんな彼女に繋いでいた手をぐっと力を込めて違うよ、と返した。

「うさの我儘じゃない。どんな事も一緒にやりたい、俺の我儘だ。」

「ま……まもちゃああんんっっ」

衛の愛溢れる言葉にうさぎは感動して泣き始めてしまう。

「おい、泣くなようさ。」

「だってえええ」

衛はしがみついてくる泣き顔の彼女の頬に手を添えて苦笑する。そして額をくっつけると甘い声で囁いた。

「泣き止んで?うさこ。せっかく今日のうさこ、すごく可愛いんだから。」

たまに呼ばれる愛称、そして脳内に染み渡る低音は破壊力抜群だ。

うさぎはボンっと音を立てるように真っ赤になると、言葉も出ずにコクリと頷いた。

「いい子だな。」

優しく親指で涙を拭われ、柔らかく頭を撫でられれば彼女はキラキラした笑みを浮かべる。

そして周りの人々と言えば。突然繰り広げられる甘々劇場に真っ赤になったり天井を見上げたり顔を覆ったりと、本人たちが気づかないところで大忙しで、更には呼吸困難に陥っていた。



「まもちゃん、ごめん。私忘れてた。」

「何?」

コースターで最前列の二人。正に滝壺に落ちるための坂を登っている最中に話しかけられて横を向く余裕もなく聞き返す衛。

うさぎはそんな衛の腕にぎゅっと両手でしがみ付いた。

「このコースター、落ちるときだけ外だった!下も水だし、いつもより濡れちゃうかも!!」

「……え?」

そこから見えたものは空と、夢の国のファンタジックな世界に色とりどりの傘が点々と広がる光景。それらが一瞬映り、

急転直下した。

「っっごめええええ」

「……っっ!!!!」

バッシャーーーン!!!!




激しくなっていた雨と、跳ね上がる水。一番前に座っていた二人はびしょ濡れになってしばし呆然としていたが、互いを見つめ合うとなんだか可笑しくて、どちらともなく声を上げて笑う。

「も、やぁだーびしょ濡れー!」

「うさ、シャワー浴びたみたいになってるぞ。」

「まもちゃんもだよー!」

そうして笑い合っていたが少ししてから視線が落ち着かない衛に気付いてうさぎはぱっと胸元を両腕でクロスして顔を赤らめた。




派手に濡れてしまった二人はとにかく拭ける範囲は拭こうということで、グッズ売り場で大きめのタオルを購入し、屋根のある店先でわたわたと髪や顔などを拭き合った。
一つのタオルで互いの髪の毛をなんやかんや言いながら拭いていると、ふと相手の顔が至近距離であることに気付く。

「まもちゃん……」

「うさ……」

うさぎは大好きな衛の蒼い瞳から目が逸らせない。衛も逸らさない。その瞳がゆっくりと伏せられて……

次の瞬間、青空色のタオルの中で唇が重なる。

その小さな空間だけは、まるで日差しが降り注いでいるかような幸せな温もりが二人を包んでいた。




「ね、いいこと考えた。」

「何?」

長いキスの後、少し顔を近づければまた唇が触れそうな距離で内緒話のようにうさぎは話し始めた。
衛はそんな彼女の頬をつるりと指先で撫でる。

「これ、まもちゃんも使ってみない?」

手には彼女の傘。けれどその傘は不思議な力で何にでも変身できる魔法のペンだ。

「ね!こっち来て!」

「お、おいうさ!」

傘を開くと衛を入れて手を引いて駆け出していった。






雨が上がった遊園地には一際目を引く王子と姫の姿があった。
そのコスチュームはこの夢の国の元のアニメ作品の一つからそのまま抜け出したかのようなクオリティで、来場客達の溜め息を誘う。
透き通るような水色のドレスは魔法のように煌き、王子の正装も一分の隙もなく美しい。
容姿端麗な顔立ちが一層輝いて見えた。

この遊園地はこうしてキャラクター達が周遊する事が有名で楽しめる要因の一つでもあった。

王子の優雅な所作に姫は優美な笑みでエスコートされ、その雰囲気は上質な砂糖菓子のように甘く溶けていき、ダンスを舞うような軽やかさで歩いてみせる。

(まもちゃんすごい、完璧だよ)

(うさも、伊達に月のプリンセスやってないな)

(もー!何それイジワル!)

小さな声で二人は言い合いながら笑う。


そう、彼らは濡れてしまった服と体を変装ペンで解決した衛とうさぎだ。

可憐な姫と凛々しい王子はその日の客達によって雨上がりに見た幻として語り継がれたという。




「誕生日おめでとう、お姫様。」

手の甲に口付ける恋人にうさぎは花が咲いたように笑う。

雨が残した水の鏡が晴れ渡る空と二人を映す。


「大好きよ、私の王子様。」

王子が姫を抱き上げてくるくると回れば、周りからわっと歓声が上がった。



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