好きならそう言ってよ(クン美奈)



 前世。あの頃の私たちにとっての一番は、お互いではなかった。
 果たすべき使命。守るべき大切な存在がいたから。
だけどね、あの頃の私は、それでもやっぱりどうしても貴方が好きだった。
 前世の死に際、最期に想ったのは私が殺した相手…クンツァイトが平和な頃に差し出してくれた温かくて大きな手だったの。
 それに触れたくて腕を伸ばしたけれど、ただ空を切るだけで、重力に逆らうこともなくそれは虚しく落ちていった。
 いつもいつまでもプリンセスのことを思っていたはずだったのに。こんなにも自分はただの女なんだってことを思い知らされて、そんな自分に呆れて笑って、泣いたんだ。
 それが最期の記憶。
 誰にも言えなかった胸の中に秘めた最後の想い。


 転生後、ダークキングダムの戦いを終えて、もう会うこともないのだと思っていた彼に再び巡り会えたのは本当に奇跡で。
 意地を張っていた心を結局最後はあんたの温もりが溶かしてくれた。
 抱きしめられて、美奈子って呼ばれて。
 それだけで互いの心が繋がった気がしたの。
 あたしは言ったわ。あんたの胸の中で、自分の気持ちを。
 それからあたしたちは初めて、肩を並べて歩けるようになった。
 ずっと、長いこと、叶うはずもないと思っていた恋人同士になれたの。
 だけど…
 あんたは言わない。
 あたしに自分の気持ちを言ったことがない。
 けれどそのうちきっと、何でも無いような顔をしてポロっと、挨拶みたいに言ってくれるんじゃないかと思ってた。
 でも、もしかしたらそうじゃないのかもしれないとも思う。
 前世からの因縁みたいなものを感じてただ一緒にいてくれているだけかもしれない…なんて思う。
 そんなことないってすぐに否定してみるけれど、不安なの。
 たった一言もらったことがあるか、ないかでは全然違うの。
 普段のあたしの性格がいくらサバサバしていたとしても、心の中はその辺の恋する乙女と何も変わらないんだから。
 こんなにもあんたの一言を待っている一人の女の子なの。
 だから…お願い。
 好きならそう言ってよ。

※※※

「俺が、美奈子の事をどう思っているかって?」
 久しぶりに会えた休日。いつもの高台の公園で街を見下ろしていた私は彼の顔を真っ直ぐに見て尋ねてみた。
「そう。あたしのこと、どう思ってる?」
 秋の風は次第に冬の気配を感じるような冷気があって、あたし達の長い髪の毛を揺らしていく。
 そんな風が吹き抜ける間、時が止まってしまったかのように感じたのはなぜだろう。
 真面目な表情をした賢人はふと息を吐くと少しだけ目を逸らした。
「何でまた突然そんなことを聞く?」
「聞きたいから」
「だからどうして…」
「聞きたいの!」
 どうしてはぐらかそうとするの?
 あたしから目を逸らすのはどうしてよ。
 気付いたら視界がぼんやりと霞んできたから慌てて目を拭う。
「あたしのこと………好き?」
 今までこんなに直接的なことを聞いたことが無かったから恥ずかしくて、声が震える。
 だけどどうしても聞きたかったの。
「……」
 黙ってしまった賢人にいよいよ不安になる。
「美奈子…俺は…」
 さんざん聞きたかったその先の言葉を紡がれるのが彼の様子を見たらなぜか怖い気がして、あたしは咄嗟に彼の胸をどんと叩く。
「やめて!」
「美奈子…」
 そんなあたしの肩に労わるように両手を置いてくれたけれど、それも受け止められなくて彼の腕から体を離した。
「ごめん。変なこと聞いて…。ナシナシ! 今のナシってことでよろしく!」
 無理やり明るくしたテンションは悲しいくらいに浮いていた。
 だけど今のあたしにはこういう風にしか振舞えない。
 アルテミスに言わせれば愛の女神の化身らしいけれど、実際のあたしは自分の愛を育てることも、守ることも笑ってしまうほど下手なんだ。
 くるりと踵を返してパンッと両頬を軽く叩くと元の自分に戻ろうとする。
「さ~てと、次はどこ行く?」
 その場を離れて歩き始めながら賢人に何事も無かったかのように笑顔で振り返る。
 だけど今度は賢人が少しだけ泣きそうな顔をしてこっちを見ていたから次の言葉が出なくなる。
 私が彼の顔をまともに見れない間、ずっとこんな表情をしていたのだろうか。
 そう思ったら胸がぎゅっと締め付けられた。
 賢人は一歩一歩と近づいて、躊躇うこともなく伸ばしたその手があたしの頬を撫でる。
「駄目だ。ナシにはできん。俺にも、話をさせろ」
 その言葉に黙って見つめ返していると、賢人はますます辛そうな顔をする。
 どうして気持ちを聞いているだけなのに、こんなに悲しい顔をさせてしまうのか分からない。
 今度は彼の奥に潜む想いに触れようと、逸らさずに見つめ続ける。
 悲哀に満ちた表情はかつての彼と重なって…次に続く言葉にある一つの答えがあたしの頭の中に浮かんだ。

「怖いんだ」

 プライドが高くて、あたしにすらあまり弱味を見せない彼が怖いと言う。
 気持ちを言えない理由がその弱い部分にあるなら、なかなか話せなかったのも分かる気がした。
 でも彼の強いところも、弱いところも、あたしは全部受け止めたい。
「うん」
 静かに相槌を打つと、頬を撫でてくれたその手を今度はあたしがそっと握る。
「それって、もしかして前世のことと関係してる?」
「どうして…」
 分かるんだ?という言葉が聞こえてきそうなその表情にあたしは少しだけ笑う。
「分かるわよ。だって、似た者同士でしょ? あたしたち」
「そうか。そうだったな…」
 彼もまた弱々しく微笑んで話を続けた。
「あの頃は、口が裂けても本当の気持ちなんて言えなかった。言ったら自分の守ってきた立場も、お前のことも失ってしまうって分かっていたから。だから…」
「だから怖くて言えなかったのよね?」
 私の続けた言葉に頷く賢人は、なんだかいつもより素直な普通の青年に見えた。
「ちょっと歩かないか?」
「うん。歩こうか」
 先を歩く彼を追って、ポケットに手を入れている腕に自分の手を掛けた。

「あの頃の自分の想いが今の俺に重なることがある。俺はもうクンツァイトではなくて北崎賢人として生きている。
だが、結局何もかもを守れなくて傷付けて死んだ前世の業みたいなものが今の俺に降りかかってくるような気がして仕方がなくなることがあるんだ」
 賢人の気持ちが痛いほど伝わってあたしの胸の一番深い部分がズキンと疼いた。
 それは前世のヴィーナスとしての心だったり、恋をして臆病になる弱い部分だったりするのかもしれない。
 あたしだって、同じ思いを抱えたことがあったから。
でも…
「俺は、こうしてお前と肩を並べて歩けるだけで…。そのうえ気持ちまで伝えたら、本当に何もかもなくなって終わってしまうような気がしたんだ。だから今まで言えなかった。
笑いたければ笑え。結果的にこんなに俺の弱い部分が、美奈子を傷付けてしまった。責めたいだけ責めていいんだぞ? お前にはその権利がある。」
「笑わない。責めたりなんかしない。それに、権利って何よ。あたしはただあんたが好きなだけ」
 腕に添えていた手にグッと力を込める。
 初めて聞けた彼が恐れていたもの。それを全部吹っ飛ばしてあげたくて、そのまま身を翻して無防備な賢人の唇に自分のを合わせた。
「美奈…」
「好きよ」
 驚いて呼び掛けてくる彼を遮ってもう一度はっきりと気持ちを伝える。
 そして再びキスをした。
 今度は首に腕を回して。初めはそんな奇襲に驚いていた彼も、最後には降参して抱き締めてくれた。
「終わらないわ。なにも、なくなったりなんかしない。始まるんだと思う。好きって伝えるだけで、何かが始まるんだと、あたしは思う」
「美奈子…」
「だから言うわ。あんたが言えない分だけ、何度でも。そしたら、いつかあんたの中の不安な気持ちも全部無くなるでしょ?」
 笑顔で伝えれば、彼は「負けたな…」と呟いて、なんだかとても嬉しそうに笑った。
 その顔が好きだ、と思う。
「好き」
「ああ…分かったから」
 いつになく顔を赤くして照れて言う彼を好きだ、と思う。
「よし、じゃ何か美味しいものでも食べに行くわよ! もちろん賢人の奢りで♪」
「…仕方ないな」
「仕方なくない! 当然でしょ? あんたの悩み事聞いてあげたんだから!」
「お前という奴は…」
 はあ、と溜め息をついて頭を抱えるというお決まりのポーズをとる賢人。
 いつもの二人の調子に戻ってなんだか嬉しくなって、先陣を切って鼻歌混じりに歩き出す。
「美奈子!」
 珍しく大声で呼ばれて振り返ろうとしたら全身を包まれる感触。後ろから抱き締められた体はみるみるうちに熱を帯びていった。
 だけど耳元で囁かれた言葉で、あたしの体温はこれ以上ないくらい高くなる。

「美奈子…愛してる。」

 賢人、あんたは本当に狡い男よ。
『好き』を言うのにあたしがどれだけ勇気を使ったか分かってる?
 それを全部飛び越えた言葉を…飛びっきりの言葉をいきなりくれるなんて。
 信じられない。バカにして…。死にそうなくらい鳴り続けている私の心臓をどうしてくれるのよ。
 悔しすぎて涙が出るわ。
 だから、そう。今泣いてるのは、悔しいからなんだから。

 世界で一番ムカついて、世界で一番愛しい貴方。

 結局、昔も今もそんな貴方が大好きなんだ―――


おわり(2022.9.26)
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