本音を言わないと出られない部屋

 うさぎが目を覚ますと真っ白な壁に真っ白な天井。窓もない、まるで四角い空間に放り込まれたような状況に混乱する。ふと、低くうめいた声に見下ろす。そこには大好きな人、衛がいた。怪我は一つもしていない事に安堵するが、別れを告げられている事実がうさぎの声をかけようとする勇気を削いでいく。
 衛の蒼い瞳がうさぎをぼんやりと捕らえた。至近距離に愛しい彼女の顔があり困惑する。すぐに起き上がると距離を置き、赤くなる顔を隠したくて背を向けた。
「なぜお前が?ここは一体……」
「分からない。とにかく出ましょ?」
(あたしと二人きりなんて、嫌だよね……)
 そう思う自分の心に傷付きながら。
 振り返る衛はうさぎの落とした肩を見て胸の奥がつきりと痛む。けれどドアに向かっていたうさぎには、そんな彼の隠しきれない表情を見る事は叶わなかった。
「あれ?開かない。どういう事?」
ガチャガチャと音を立てノブを回して押しても引いてもびくともしないドアにうさぎは初めて恐怖を覚える。
「敵の罠か?」
 只事ではない状況に衛の顔色も変わる。
(嘘まで付いて突き放したうさこと二人きりで閉じ込められるとは。一体どんな拷問だ)
いつ本音が飛び出してもおかしくない事態に、衛は「くそ……っ」思わず声に出してしまう。それを聞いたうさぎはピクっと肩を震わせて、目の奥が痛くなってくる。
「ねえまもちゃん、このままここであたしとずっと二人きりだったらどうする?」
 振り返った彼女は胸に広がる壊れかけたガラスのような心に蓋をして笑顔で尋ねた。
「どうしてそんな事を聞くんだ?答えなんて、分かってるだろ?」
 彼女を傷付ける言葉を返したくなくて誤魔化す自分に、衛は嫌気が差す。
「ごめん……そうだよね……だってまもちゃんのその顔見たら分かるよ。すごく困ってるもん。嫌いな女の子とこんな何もない部屋で二人っきりなんて……やだよねぇ……」
 空色の瞳に透明な膜を作り、笑顔を保とうとするうさぎ。その姿に衛は叫び出したくなる衝動を抑えようと、爪が白くなる程掌を握っていた。
「いいの!こんな部屋、あたしがセーラームーンにパパッと変身して、ちゃちゃっと出ちゃおー!」
 重く流れる空気を変えようと、明るく切り替えるうさぎに、衛は年長者としても男としても己が情けなくなる。
「いや、このドアは俺が何とかする。お前はこの部屋の中に何か手掛かりがないか探してくれ」
「うん……!」
 例えこの部屋から早く出たいだけの言葉かもしれなくても、この状況を協力して打破しようと指示を出してくれる事が嬉しくて、そしてそんな衛の姿はやはり格好良くて、うさぎの頬は赤く色付いた。
 しかしこの小さな部屋の探索は数分で終わってしまい、手掛かりも見つからず途方に暮れる。
 衛もタキシード仮面になりあらゆる手を尽くしたがどうしても開かないドアに背を預け、ため息をついた。
「タキシード仮面様、次はあたしがやってみます!」
 セーラームーンになって必殺技を繰り広げたが、やはり穴一つ開かない。
「万事休す…か」
 衛は落ち込むうさぎの肩に手を置きぽつりと言った。
 衛から触れられたのが久し振りだったうさぎは、こんな状況なのに胸が震えた。彼自身は無意識だったのだが、愛しい彼女が沈む姿を見て自然とそうしてしまったのだ。うさぎは衛の温もりをもっと感じたくて、彼の手にそっと自分の手を重ねる。衛自身も抗えない気持ちが大きく膨らんでいくのを感じた。
 変身を解いた二人は互いの体を向かい合わせて見つめ合う。何かを言えば始まりそうで、けれども終わりそうでもある予感に、言葉に思いを上手く載せる事が出来ずにただ見つめ合う。

「あたし、このまま死んじゃってもいいな」
「何を…!?」
 唇を震わせながら笑顔で漸く紡いだうさぎの言葉に衛の顔は一変した。
「馬鹿な事言うな!」
「バカじゃないよ、だってここならまもちゃんとこうして二人でいられるもん。まもちゃんが、あたしのこと嫌いでもいい。もし死んじゃうなら、まもちゃんの隣がいいの」
 その、はにかんだような笑顔が『あの夢』の中の純白のドレスのうさぎと重なって、衛は目の前が真っ暗になる。
「やめてくれ!」
「まもちゃん?」
 両肩を痛いくらいに掴まれ懇願するように叫ぶ衛にうさぎは目を見開いた。
「ごめん、まもちゃんには迷惑よね。あたしってば自分のことばっかりだぁ。これじゃまたルナにも叱られちゃう」
「違う!うさこは悪くないっ」
 衛の目尻に光る物に気付きうさぎは息を飲んだ。
「頼む、死ぬなんて言わないでくれ。俺は、うさこを失いたくないんだ」
 真剣な眼差し、声、力強く掴むその手に戸惑う。
「だって、まもちゃん……あ、あいじょうが、なく、なったって言って……」
 言葉にするのも辛くて、それでも確認したくて、心に小さな棘をいくつも刺しながら聞く声は震えていた。
 出られるかも分からない部屋。もしかしたら命尽きるまで出られないかもしれないこの状況と、うさぎのこんなにも傷付いた姿に、衛はもう自分の本心を隠し続ける事が出来なくなる。気付いた時にはその腕の中に彼女を苦しくなるほど抱きしめていた。
「嘘だ……全部……嘘なんだ。ごめんうさこ、ごめん……」
 衛の震える肩に腕を回すと、その大きな体から彼の温かい心が流れ込んでくる。あんなに痛かった心の中の棘がホロホロと溶けていくのを感じて、うさぎは愛しい彼の名を呼んだ。
「あたしのこと、嫌いじゃない?」
「嫌いなんかじゃない」
「ずっと隣にいてもいいの?」
「うさこじゃなきゃ嫌なんだ」
「まもちゃん、あたしのこと……」
「好きだよ」
 その声は、うさぎの鼓膜を優しく揺らし、心の一番柔らかな場所に直接届いた。
「まもちゃあん……っ」
 大粒の涙が後から後からこぼれ落ちる。うさぎは彼の胸にしがみ付くようにシャツを掴み、衛も涙を止める事もせず、彼女の頭をそっと撫で続けていた。
 その時、ガチャリと音を立ててドアが開いたのだが、それに気付くのは数分後のこと。
 二人がその唇で想いを確かめ合って、更に抱きしめ合って、もう一度キスした後のことだった。


おわり
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